あめゆじゅとてちてけんじゃ2021年12月31日 08時46分21秒

雪の大晦日。今年二度目の本格的な雪です。

雪に対する印象はもちろん人さまざまで、雪に良くない思い出があれば暗い気分になるでしょうし、もっぱら楽しい思い出ばかりなら、心が浮き立つことでしょう。
私はどちらかと言えば後者で、一面の銀世界を見ると、その瞬間にパッと心が明るくなって、一種のすがすがしさを感じます。

まあ、ひとりの社会人として、交通機関の乱れや、通勤の苦労を考えないわけではないですが、それはひとしきり雪を愛でてから心に浮かぶことで、最初の印象は「!!」という言葉にならぬ心の弾みです。ことに今日は外出する必要のない休日ですから、雪はあえて嬉しいものに数えたくなります。

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賢治の絶唱、「永訣の朝」
雪の苦労を賢治は十分知っていたし、何よりも眼前の悲痛な出来事と重なる存在でしたが、このときの賢治にとって、雪は決して忌むべきものではなしに、死の床にある妹を浄化する、限りなく美しく清らかなものでした。

 この雪はどこをえらばうにも
 あんまりどこもまつしろなのだ
 あんなおそろしいみだれたそらから
 このうつくしいゆきがきたのだ

その天からの贈り物を口にすることで、人は地上を離れ、より天に近い存在となる…。それは神々が住まう「兜率の天の食」にもなぞらえることのできるものでした。

 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
 そらからおちた雪のさいごのひとわんを…
 〔…〕
 雪と水とのまつしろな二相系をたもち
 すきとほるつめたい雫にみちた
 このつややかな松のえだから
 わたくしのやさしいいもうとの
 さいごのたべものをもらつていかう

「永訣の朝」は、文飾に凝った詩というよりも、自らの思いを血を喀くように文字にした詩だと思いますが、それにしてはあまりにも静かで、心にしんしんと沁み徹る趣があります。それは、この詩が妹の死を悼むと同時に、雪とみぞれに覆われた透明な世界の美を謳っているからでしょう。

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こんな日は、賢治のことを思いながら、私も「あめゆじゅ(雨雪)」を口にしようと思いましたが、街の雪は埃臭い気がして、どぶろくに氷を浮かべることで、兜率の天の食に代えました(何だかんだ言って雪見酒になるのです)。

雪華の幻灯2021年12月26日 14時04分37秒

クリスマスも終わり、今日は雪が舞い散る、寒い日曜日。
青空が見えたかと思うと、白い雲がおそろしいスピードで空を走り、また次の雪を連れてきます。

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下は雪の結晶を写した幻灯スライド。


ただし、リアルな写真ではなくて、結晶を模式的に描いた図です。


薄葉のフィルムをガラス板でサンドイッチしたもので、残念ながら一部破れてしまっています。本当はもっと透明感のあるスライドセットが欲しいのですが、雪の結晶を写した幻灯スライドは、世間にありそうで無いものの一つで、いまだ出会いがありません。

もちろん、そういう品が絶無というわけではなくて、例えば有名な雪の写真家、ベントレー(Wilson A. Bentley、1865-1931)は、生涯にわたって雪華スライドを製作しつづけましたが、それも現在は甚だ希少品で、以前目をむくような価格で販売されているのを見た記憶があります。まあ、雪はありふれた存在ですから、ベントレー以外の人が製作を試みてもいいし、ベントレーの複製だってバンバン作られても良さそうなのに、探してみると意外にないのは、あまり需要がなかったんでしょうか。ちょっと不思議な気がします。

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とりあえず手元の1枚をしげしげと眺めてみます。


スライドのラベルにはイタリア語で「Fiori di neve(雪の華)」と書かれています。


裏面にはまた別のラベルが貼られていて、こちらはフランス語で「Flour de glace(氷の華)」。まあ雪でも氷でもお好みでと思いますが、言うなればこれは「冬の華」でしょう。

このスライドの生国はイタリアかフランスかはっきりしませんが、フランスで販売を手掛けたのはパリのマゾ商店です。ネット情報によれば、店主のエリジャ・マゾ(Elijah Mazo)は、1880年ごろ光学機器と写真撮影の店を創立し、1913年にアボット・トレーニュ(Abbot Tauleigne)と組んで、屋号も「Tauleigne‐Mazo」となったらしいので、このスライドも19世紀末~20世紀初頭のものということになります。

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100年ちょっと前、この雪華の幻灯ショーを楽しんだのは誰なのでしょう?
凍てつく夜をよそに、両親とともに暖炉の前で過ごした幼い子どもたちでしょうか。それとも雪の科学を学びながら、心はすでに教場を離れ、スケートやそり遊びに向かっていた生徒たちでしょうか。いずれにしても、そこに冬の温かい思い出を重ねて眺めたくなります。

天候早見盤2021年11月23日 11時29分36秒

前回のポケット・プラネタリウムの色使いから連想した品。


■Raymond M. Sager(監修)
 Guest Weathercaster
 Dial Press(New York)、第4版1961(初版1942)、25p.

これは星座早見盤ならぬ「天候早見盤」です。
題名は「客員気象予報士」といった意味でしょうか。一瞬、キワモノ商品かと思いましたが、初版が1942年に出た後、少なくとも20年近く版を重ねているので、結構まじめに作られ、まじめに受容された品のようです。監修者のレイモンド・セイガーは、1937年から「ニューヨーク・デイリーニューズ」紙で天気予報を担当していた人の由。

(裏表紙を飾るのは、アメリカの気象警報信号旗の一部)

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「早見盤」は4層構造の円盤から構成されています。


これを外側から順に合わせることで、天候が予測できるというので、早速占ってみたいと思います。アメリカと日本では、気象条件がずいぶん違う気はしますが、表紙に「北緯25度以上用」とあるので、その言葉を信用しましょう。材料とするのは、本日午前6時の名古屋の気象データです(日本気象協会のページを参照)

(1)まず一番大きな「風向ダイヤル(WIND DIAL)」から合わせます。


名古屋の風は西北西。ダイヤルは8方位表示なので、とりあえず「WEST」に合わせてみます。さらに副目盛りとして、「BACKING-STEADY-VEERING」というのがあって、「steady」は一定方向の風が続いている状態、「veering/backing」は、過去数時間で風向きが「時計回り/反時計回り」に変化した状態を指します。名古屋では過去6時間で北西から西北西に風向が変化したので、「BACKING」を選んでみます。

(2)次は「気圧ダイヤル(BAROMETER DIAL)」です。
数値はアメリカ式に「水銀柱インチ(inHg)」で表示されています。1水銀柱インチ=33.86ヘクトパスカル(hPa)に相当します。名古屋の気圧は1002.7hPa=29.61inHg なので、「29.5 TO 29.7」の目盛に合わせます。

(3)次は「気圧変化ダイヤル(BAROMETER CHANGE DIAL)」です。
6時間前と比べて気圧が上昇しているか下降しているか、それを下図を手がかりに、気圧の日内変動も考慮して判別し、目盛を合わせます。

(赤線が通常の気圧の日内変動)

昨日24時の名古屋の気圧は、1001.1hPa=29.57inHgだったので、「RISING SLOWLY」を選びます。

(4)最後は「現在の天気ダイヤル(PRESENT WEATHER DIAL)」です。
名古屋は良く晴れているので、「CLEAR」に合わせます。

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(再掲)

こうして4つのダイヤルを合わせると、▼マークのところに「T521」というコードが読み取れます。このコード番号を、巻末のコード表を使って「天候予測キー(Weather Prediction Key)」に変換します。(「早見盤」と言いながら、あんまり「早見」になってない気がしますが、何しろ本品は科学的正確さを売り物にしているので、そこは我慢です。)


最終的に得られた予測は「CF7」

●最初のアルファベットは晴雨予想で、「C」は「Fair and cooler(晴れて寒い)」を意味します(coolerやwarmerというのは平年との比較においてです)。
●次いで2番目のアルファベットは、今後12ないし24時間の間に予想される風速で、「F」は「Fresh(やや強い風)」の意味。風速でいうと時速19~24マイル、すなわち秒速8.6~11mで、日本の天気予報だと「静穏」から「やや強い風」に相当します。
●そして3番目の数字は、今後12時間の風向予測で、「7」は「West or Northwest winds(西または北西の風)」を意味します。

(天候予測キー解説一覧)

日本気象会による12時間後予測、すなわち午後6時の天候は、「晴れ、気温10度、西北西の風4m」です。また、この間の最高気温は13度、風向は「北西ないし西北西」、風速は「3mないし5m」となっています。風速を除けば、全体としてこれは結構当たってるかもしれませんね。

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自前の観測設備がない限り、これを使うには気象サイトを参照せざるを得ず、そこには天気予報も当然載っていますから、この早見盤の出番は結局ないことになります。でも、実際にこれをくるくる回してみると、天候を予測するには、現在の気圧や風向だけでなく、直近6時間の変化が重要なパラメーターであることも分かって、にわか気象予報士の気分を味わえます。

月は出ていたか2021年03月11日 18時15分24秒

2011年3月11日は何曜日だったか覚えていますか?
恥ずかしながら私は忘れていました。暦をめくると金曜日です。

3月11日の発災時に何をしていたかは、多くの人が覚えていると思います。
では、その時の天気はどうだったでしょう?暖かかったか、寒かったか?あの日の晩、はたして月は出ていたのか?――覚えているようで、記憶の曖昧な点が多いです。

下は気象庁の「日々の天気図」というページからお借りしました(LINK)。


あの日は冬型の気圧配置で、太平洋側は晴れないし曇り、日本海側は雪。前日から寒気が流れ込んで寒い日でした。午前9時の天気と、最低・最高気温を書き抜けば、以下の通りです。

 盛岡・晴れ (-3.6℃~4.2℃)
 仙台・晴れ (-2.5℃~6.2℃)
 新潟・にわか雪 (-0.6℃~4.7℃)
 東京・快晴 (2.9℃~11.3℃)
 名古屋・曇り (0.6℃~9.0℃)
 大阪・曇り (2.5℃~10.1℃)

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今日、2021年3月11日の月齢は27.3。伝統的な呼び名だと「有明月」、いわゆる「右向きの三日月」です。有明月は夜明け前に顔を出し、夕暮れ前に沈んでしまうので、空を振り仰いでも、今宵は月を眺めることはできません。

では、10年前の3月11日はどうだったでしょうか?
あの日の月齢は6.3、半月には満たないものの、三日月よりも光の強い上弦の月でした。盛岡を基準にすると、月の出は8:42、月の入りは23:50。南中高度72.7°と、月が高々と空を横切ったために、月照時間の非常に長い一日でした。

あの晩、空を見上げた人は、雲間に明るい月を眺めることができたはずです。
逆にいうと、地震発生の瞬間も、それに続く悲劇も、月はすべてを見ていました。

それを無情と見るかどうか。
無情といえばたしかに無情です。冷酷な感じすらします。
でも、本当は無情でも有情でもなく、月はただそこにあっただけです。いつも変わることなく、無言で光り続けるだけの存在だからこそ、月は人間にとって良き友たりうるのだと思います。人はそういう存在を必要としています。

(月明かりに浮かぶサラーニョン島、スイス・レマン湖)

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ともあれ、今宵は静かに思いを凝らし、思いを新たにすることにします。

地震禍、津波禍2021年02月14日 15時52分53秒

コロナ禍の日本をまた地震が襲いました。まさに泣き顔を狙って刺す蜂のようです。
直接被害に遭われた方々に、改めてお見舞いを申し上げます。どうか平穏な日々が早く戻りますように。

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ここで、ゆくりなく10年前を思い出します。
あのときは最大震度7を記録した地点もありましたが、東北地方の多くの市町を襲ったのは最大震度6強の揺れで、今回の地震と同じでした。

地震の揺れで山が崩れ、家屋が倒れ、ライフラインが途絶え…というのも深刻な出来事です。でも、もし10年前のあの日、東北を襲ったのが「地面の揺れ」だけだったら…。もし津波さえなかったら…。もしそうだったら、三陸があれほどの悲劇に見舞われることはなかったし、原発事故もありませんでした。東日本大震災の惨禍は、「地震被害」というよりも、むしろ「津波被害」と呼んだ方が適切なのではありますまいか。

夕べの地震で津波が来なかったのは、あえて不幸中の幸いと言うべきでしょう。(地震を「幸い」というと語弊がありますが、英語でいえばconsolation(慰藉)、不運の中に見出されるわずかな慰めです。あるいは、地震に加えて津波も襲った世界を考えれば、津波のない世界線を歩んだ我々は、まだ幸いだったとも言えます。)

(1908年12月28日、シチリア島のメッシーナを地震と津波が遅い、町は壊滅状態となりました。頑丈な石造りの建物も、地震と津波の前にはまったくなすすべがありませんでした。当時の絵葉書より)

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ときに、地表の津波の恐ろしさもさることながら、地球そのものも、過去に宇宙規模の津波の洗礼を受けたらしいことを、さっき知りました。

それが「近地球超新星(Near-Earth supernova)」という概念で、以下はウィキペディアの受け売りです(LINK)。

それによると、地球近傍で超新星爆発が起こると、その揺れ(重力波)が地球に及ぶだけでなく、大量のガンマ線が潮のごとく押し寄せ、生物の大量絶滅を引き起こす恐れがあるのだとか。現に、4億年前に起きたオルドビス紀の大量絶滅の原因はそれだとする研究者もいる由。

…というふうに話を大きくすると、地震に対する恐怖も多少は相対化されるのではと思いつつ、ちっぽけな人間にとっては、やっぱり地震も津波も恐ろしいものです。

白と黒2021年01月30日 08時25分10秒

昨日は午後から雪。それも一時は、かなりはげしく降りました。

強い横風が吹き付けると、雪はいっせいにサーッと流れ、ビルの上からは、まるで街全体が白濁した川の流れに揉まれているようです。そして、その白い流れの中に、真っ黒いものがこれまた無数に舞い飛び、なんだか只ならぬ状景でした。

その黒いものの正体はカラス。カラスたちも突然の雪に興奮し、狂喜しているように見えましたが、実際カラスは賢いので、彼らなりに「雪遊び」を楽しむ感覚だったのでしょう。

白と黒が入り乱れる、その不思議な光景を、「何だか花崗岩みたいだな…」と思いながら見ていました。

(花崗岩の岩石標本)

緻密な岩石と、風に揺らめく雪景色は、当然まったく違います。
でも、地殻の深部からフワフワと浮かび上がり、地上に顔を出すと、やがてサラサラと風化して、純白の石英砂を残す花崗岩と、湿った雲がまき散らす雪の結晶には、いくぶん似たところもあります。いや、もし黒く光るカラスも、雪雲から生まれるのだとしたら、むしろそっくりだと言えるかもしれません。

(上の標本ラベル)

雪降り積もる2021年01月09日 14時20分25秒

子供の頃、日本海側の雪はとにかくスゴいんだ…と聞かされていました。
日本海側は「裏日本」と呼ばれ、冬ともなれば人々は絶えず雪と格闘し、山あいに行けば、雪ん子みたいな藁帽子や藁沓、かんじきを身に着けた人が暮らしている…というのは実体験ではなしに、そういう映像を目にしただけですが、何となくそんなイメージでした。

そういうことが刷り込まれているので、近年の「冬でも雪のない新潟市内の映像」なんかを見ると、いまだに違和感を覚えます。それでも、今年は「年越し寒波」の影響で、雪国の人はやっぱり難儀していると聞きます。

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私の子ども時代を跳び越えて、さらにそれ以前に遡るとどうか?
手元に「北陸地方最深積雪図」というのがあります。

(全寸は約54×78cm。紙の向きと印刷の向きがずれていますが、地図の面積を最大化するための工夫でしょうか。)

昭和7年(1932)に、富山県伏木測候所が発行したものです。

(旧・伏木測候所。現在の高岡市伏木気象資料館。ウィキペディアより)


カタカナをひらがなにし、句読点を補ってみます。

 「本図は北陸信越の四県下並に岐阜長野二県の一部に亘る区域の最深積雪を図示したるものなり。本図の調製に当り、資料蒐集に援助を賜りたる長野保線事務所、金沢保線事務所、敦賀運輸事務所、日本電力黒部出張所及松本、長野、福井、高山、高田、新潟の各測候所の好意を深謝す。」

詳しい発行経緯は不明ですが、地元の測候所として、一度きちんとデータをまとめておきたいと考えたのでしょう。アメダスのない時代ですから、鉄道や発電所など、普段から克雪に取り組んでいる機関の協力も得て、とにもかくにも1枚の図にまとめた労作です。



凡例を見ると、単位は「粍(ミリ)」ではなくて、「糎(センチ)」。つまり、いちばん雪が少ない地域が、いきなり「1~2m」から始まっていて、以下「2~3m」「3~5m」「5~8m」「8~10m」と続き、最後は「10m以上」です。

もちろん、「最深積雪」ですから、常時こんなに積もったわけではないでしょうが、それにしても容易ならぬ雪です。そして地元の富山は全域が、また石川・新潟の2県も、大半が色塗りされた豪雪地帯です。


要部を大きな画像で載せておきます。
高い山々を結ぶように10m以上の積雪エリアが広がり、鉄道が走る人里でも、3mや5mというところはザラで、まさに江戸時代の『北越雪譜』の世界もかくやと思わせます。

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ひるがえって、アメダスで見る今日の積雪状況。


積雪が100cm、150cm、中には2mを超えるところもあって、やはり今年は雪が多いなと思いますが、昭和戦前のことを考えると、当時の人がどんな気持ちで毎年冬を迎えたのか、それほど昔のことではないのに、その心情がもはや見えにくくなっていることに気づきます。

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純白の雪が見せる、ときに非情な一面。
雪で苦しんだ人々には周知のことでしょうが、この1枚の図はそれを教えてくれます。

夏の果ての雲の色2020年08月31日 07時00分05秒

秋は空から下りてくる―。

以前ブログの中で呟いた言葉ですが、これは我ながら名言。暑さに汗をぬぐいながらも、ふと細かい鱗雲や、刷毛ではいたような筋雲が、高い空に浮かんでいるのを見ると、「ああ秋も近いな」としみじみ思います。山里だと、赤とんぼが山から下りてきたり、山のいただきから木の葉が色づいたりするので秋を感じるのでしょうが、都会でも雲の景色は自然の理をあらわして、いたって正直なものです。

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ですから、「晩夏雲(ばんかのくも)」と題された次の歌を知ったときは、大いにうれしかったし、その透徹した観察眼にシンパシーを感じました。

  白雲のみねのけしきはかはりける
    そらより夏はくれんとすらむ

目に焼き付くような純白の入道雲に、いつか秋色がまじり、地上に先駆けて、まず空の彼方から夏は暮れようとしている…。鮮明な印象を伴う歌です。


この歌を詠み、短冊に筆をふるったのは、黒田清綱(1830-1917)
いわゆる維新の功臣の一人で、薩摩出身の官僚として、最後は枢密顧問官をつとめた人。その一方で和歌をよくし、歌人としても一家を成しました。画家の黒田清輝はその養嗣子です。

私は元薩摩藩士と聞くと、つい豪傑肌の人を想像してしまうので、こういうこまやかな歌の存在を知って、意外に思うと同時に、己の不明を大いに恥じました。

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今日で8月も終わり。いよいよ本物の秋がやってきます。


【9月1日付記】

上の短冊の読み方について。上の読みは、売り主である古本屋さんが教えてくれたものですが、私には「峰のけしき」の「は」の字が読み取れません(作者が書き洩らしたか?まあ、そういうことも無くはないでしょう)。そして「かはりける」の結びが正しければ、「峰のけしき」とでもすべきところですが、決め手に欠けるので、ここでは疑問を記すにとどめます。

気球に乗って(後編)2020年08月09日 12時38分10秒

今日も気球の旅を続けます。


第14図 「エーベニフルーとグレチャーホルン」

我々はスイスのベルン州を出発し、その南のヴァレー州に入ろうとしています。エーベニフルー(3962m)とグレチャーホルン(3983m)は、その州境にそびえる峰々。
山々を覆うのは白雲ばかりではありません。不気味な黒雲も飛来して、気球に迫ります。


第18図 「ユングフラウから見たメンヒとアイガー」
「オーバーラント三山」と呼ばれる、ユングフラウ(4158m)、アイガー(3970m)、メンヒ(4107m)を一望しながらの空の旅。写真に写っているのは、アイガーとメンヒで、ユングフラウは、今我々の真下にあります。現在の高度は4300m。(オーバーラント三山の名を意訳すれば、「乙女岳」、「剱岳」、「坊主岳」ですから、こうして見ると、山の名前というのは東西よく似ていますね。)


第21図 「フィンシュターアールホルン」

高度は4500mに上がりました。どちらを向いても万年雪をいただく山また山です。中央の峰は4274mのフィンシュターアールホルン。気球の位置からは、おそらく7~8km東に位置するはずですが、ここまで広い視野を獲得すると、すぐ間近に感じられます。

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ひょっとしたら、山岳写真を見慣れている人には、上の写真もあまりインパクトがないかもしれません。テレビの山番組を見ても、似たような画像には事欠きませんから。

しかし、ここで想像力を働かせてください。我々は今、グイヤーのカメラの目を借りて、114年前の気球に乗ってるんですよ。あたりは身も凍る冷気に包まれ、風の音だけがヒューヒューと鳴り、頭上には青黒い空が広がり、目の前には巨大な入道雲が見え、眼下には雪をいただく高山が果てしもなく連なっているのです。

しかも、我が身を託す「かご」はフラフラと覚束ないし、ちょっと歩けばギシギシいうし、何か突発事態が生じたら一巻の終わりだし、想像力を発揮しすぎると、即座に恐怖で縮み上がってしまいます。こんなに避暑にふさわしい場所も他にちょっとありません。

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第22図 「北東から見たアレーチュホルン」

これまた4193mの高峰です。山もすごいが、雲もすごいですね。凄絶といおうか、凄涼といおうか、間近で見たらかなり怖いでしょう。


第26図 「アレッチ氷河とメルイェレン湖」

毎年高山に供給される雪が氷となって流れ下るのが氷河です。ヴァレー州――その南はもうイタリア――にあるアレッチ氷河は、ヨーロッパ・アルプス最大の氷河。写真の手前が氷河で、そこから直角に切れ込んだ谷筋に、小湖が連なっているのがメルイェレン湖。氷河を間近で見るために、降下しながらの撮影。


第27図 「牽引してアレッチ氷河を縦走」

一行は、南北に延びるアレッチ氷河に沿って、地面すれすれの高さを飛び、一部は地上から気球を牽引して進みました(単純に、より近くから氷河を見たかったからです)。


第28図 「アレッチ氷河」
地上から見た光景。


第29図 「アレッチ氷河を振り返ったところ」

一行は氷河をあとにし、ふたたび気球に乗って上昇します。
昼過ぎに出発した旅は、現在午後6時を回ったところです。6月のスイスの日の入りは、午後9時過ぎですから、まだ辺りは明るいです。


第31図 「ブリーク上空の黄昏」

谷あいの町ブリークに差し掛かりました。日が長いとはいえ、山の端に日が沈むと、山麓は、早くも夕闇に包まれます。現在午後7時、高度は4400m。イタリアとの国境が徐々に近づいてきます。


第32図 「ベルナー・アルプス〔スイス側〕を振り返ったところ」

ブリークを過ぎ、もう一山越えればイタリアです。高度4500mから振り返ったスイスの山々。この後、本格的に夜を迎えますが、夜間も気球は休まず南下を続け、その間にイタリア入りをします。当然のことながら、夜間は写真撮影も休止です。


第33図 「アルプスの南、高度6000m」

イタリアに入り、標高1000m前後のなだらかな丘陵が続きます。夜間は低高度を保った気球ですが、夜明け前に一気に上昇し、午前8時30分には、これまでで最高の高度6000mに達しました。ちっぽけな入道雲なら、その頭頂を見下ろす高さです。これが冒険のフィナーレ。


第34図 「ジニェーゼに着陸」

その後、気球は一気に降下態勢に入り、午前9時30分、ジニェーゼの村(標高707m)に無事到着。野花の咲き乱れる下界に帰ってきました。正味21時間の空の旅でした。この後、気球もロープも一切合財をかご詰めして、陸路帰還します。

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非日常から日常に戻るのはちょっぴり寂しいような、ホッとするような、微妙な感情が交錯しますね。今年の夏は、帰省もまかりならぬという、これまた非日常の夏ですが、こちらの方は、極力早く日常に戻ってほしいです。

ともあれ、こうして文字にしたら、暑中にちょっとした涼が得られました。

(この項おわり)

気球に乗って(中編)2020年08月08日 13時26分37秒

前回、「さっそく見てみましょう」と調子のいいことを言いましたが、ドイツ語がネックになって、気球の旅はいきなり逆風を受けています。まあ、あまり深く考えず、雰囲気だけでもアルプス気分を味わうことにします。

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この本には、全部で48枚の記録写真が収められています。いずれも大判の2LないしKG判相当で、1ページにつき1枚、裏面はブランクという贅沢な造り。ですから、本書は「写真集」と呼んだ方が正確です。

そのうち第1図から34図までが、この1906年6月29日から30日にかけての冒険飛行の記録で、第35図から48図までは、著者グイヤーが別の機会に空撮した、同様の山岳写真になっています。

冒険の記録は時系列に沿って並べられています。

(上の写真を含め、以下周囲に余白がないものは、原図の一部をトリミングしたもの)

第1図「充填開始」
6月29日朝、アイガーの高峰(3974m)を背景に、いよいよ「コニャック号」にガスの充填が始まりました。場所はユングフラウ鉄道のアイガーグレッチャー駅の脇です(現在は延伸されていますが、当時はここが終着駅でした)。


第3図「出発前」
飛行直前の記念撮影です。気球のバスケットに立つのが、船長のド・ボークレア。その手前、腰に手をやった偉丈夫はファルケ。左側の男女二人が、ある意味、今回の主役であるゲプハルト・グイヤーと婚約者のマリーのカップル(マリーは恥ずかしいのか顔を伏せています)。

(使用したインクの違いによって、同じ本の中でも写真によって色合いがずいぶん違います。以下、手元のディスプレイ上で、なるべく原図に近くなるよう調整しました。)

第4図「アイガーグレッチャー駅の鳥瞰」
いよいよ気球は上昇を始めます。

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ここで改めて、今回の旅の航跡を確認しておきます。下がその地図。


といっても、これだけだと画面上では何だか分からないので、航跡を書き入れた図と、グーグルマップを並べてみます。


右側の地図で、青い三角形がユングフラウ。その右上、丸で囲ったのがスタート地点・アイガーグレッチャー。そして右下の丸がゴール地点であるジニェーゼの村。
グーグルマップの方は、両地点を今なら最速4時間で車で移動できることを示していますが、グイヤーたちは、気球に乗ってのんびり1泊2日の空の旅です。でも、結構危なっかしい場面もあって、途中風にあおられたかして、航跡がグニャグニャになっている箇所があります。そして、イタリア国境を越えた後で大きく南に迂回し、いったん地図の外に飛び出してから、再び北上してジニェーゼに到達しています。

この旅の途中で、グイヤーがバスケットの中でパチリパチリと撮ったのが、一連の雄大な山岳写真です。


第6図「ユングフラウ」
気球はスタート直後からすみやかに高度を上げ、高度4000mに達したところで、目の前の乙女の姿を捉えました。大地の峰々と、雲の峰々の壮麗な対照に心が躍ります。

ユングフラウは、アイガー、メンヒと並ぶ「オーバーラント三山」の一つで、その最高峰。高さは4158m。(…というのは知ったかぶりで、私はユングフラウがどこにあるのか、さっきまで知らずにいました。以下の説明も同様です。)


モノとしての本にも言及しておくと、この図はフォトグラビュール(グラビア印刷)で制作されています(全48枚中6枚がフォトグラビュール)。

「グラビア」と聞くと、今の日本では安っぽいイメージがありますけれど、本来の「グラビア印刷」は、それとは全く別物です。その制作は、腐食銅版画を応用した職人の手わざによるもので、そこから生まれる網点のない美しい連続諧調表現は、高級美術印刷や、芸術写真のプリントに用いられました。

ですから版画と同じく、版の周囲に印刷時の圧痕が見えます。


第7図「雲の戦い(Wolkenschlacht)」
高度はさらに4300mに達し、ユングフラウ(画面左端)を足下に見下ろす位置まで来ました。しかし、その上にさらに積み重なる入道雲の群れ。雲は絶えず形を変え、雷光を放ち、自然の恐るべき力を見せつけています。

(後編につづく)