風を読む幻想の宮殿2017年09月24日 07時00分43秒

今日も絵葉書の話題です。

これはわりと最近――といっても半年前――の記事ですが、西 秋生氏の『ハイカラ神戸幻視行―紀行篇』を取り上げた際、神戸の怪建築「二楽荘」にまつわる、著者・西氏の不思議な思い出話をご紹介しました。

■神戸の夢(2)
 
(画像再掲)

それは一種の桃源探訪記でもあり、神隠し体験のようでもありましたが、その際に載せた二楽荘の画像を見て、私自身チリチリと灼けるようなデジャヴを味わっていました。

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その正体は、しばらくしてから思い出しました。
以前に見た、これまた不思議な建物の絵葉書がそれです。


パリのモンスーリ公園に立つ、イスラム風宮殿建築。
私は二楽荘のことを、「西洋趣味とオリエント趣味を混ぜ込んで建てた、奇怪な建築」と書きましたが、神戸とパリの二つの建物は、いずれも「ムーア様式」と呼ぶのが適当です。すなわち、中東とはまた一味違う、北アフリカで発展した独特のイスラム様式。

(同じ建物を裏から見たところ)

以前、盛んに天文台の絵葉書を集めていた頃、この建物は「Observatoire」の名称ゆえ、頻繁に網にかかりました。でも、気にはなったものの、さすがにこれは天文台ではないだろう…と思いました。

フランス語の「オブセルヴァトワール」(あるいは英語の「オブザベイトリー」)には、「天文台/観測所」の意味のほか、「物見台」や「展望台」の意味もあるので、左右の塔屋を指してそう呼ぶのだと、常識的に解釈したわけです。

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しかし、実はその常識の方が間違っていて、これは本当に観測施設だと知って驚きました。ただし、観測対象は天体ではなく気象、すなわち測候所です。

すぐ上の絵葉書の説明文にもチラッと書かれていますが、元々この建物は、1867年のパリ万博のパビリオンとして建てられたもので、チュニジアの首都チュニスを治めた太守の宮殿をお手本に、それを縮小再現したものです。

そして、万博終了後はモンスーリ公園の高台に移され、1876年以降、気象観測施設となり、また1893年からは、大気の衛生状態を監視する施設としても使われるようになりました。

しかし、建物の老朽化は避けがたく、1974年に観測施設としての運用が終了。
さらに1991年、ついに火事で焼け落ちて、この世から永遠に姿を消したのです。

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神戸の二楽荘が失われたのも、やはり失火が原因でした。
焼失は1932年ですから、消滅に関してはパリよりも先輩です。

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かくして彼らの姿は、今やこうして絵葉書の中にとどまるのみ―。
でも、彼らの戸口の前に再び立ち、さらにその中に足を踏み入れることだって、場合によっては出来ないことではない…西氏の経験はそう教えてくれます。


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▼閑語(ブログ内ブログ)

ここ数日の報道に接するにつけ、安倍さんにしろ、麻生さんにしろ、何とも異常な政治家であり、異常な政体だなあ…と再三驚いています。

まあ異常というより、「悪の凡庸さ」というフレーズを裏書きするぐらい凡庸な人間なのかもしれませんが、その突き抜けた凡庸さにおいて、やはり彼らは異常と呼ぶ他ないのではありますまいか。

凡庸も過ぎれば邪悪です。

墨染の雪2017年02月11日 15時36分38秒

寒いですね。
身辺は依然混沌としていますが、休みの日ぐらい記事を書いてみます。

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今日は典型的な牡丹雪で、差し渡し2、3センチもある大きな雪片が、フワフワと落ちてきて、地面に着くとすぐ消えることを繰り返していました。
暦を見たら、先週の今日がちょうど立春で、来週の土曜は雨水。
間もなく雪も雨と交代です。

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行儀よく並んだ3個の結晶。

(左右の幅は4センチ)

くるっとひっくり返すと、これは木製の下駄を履かせた、活版用の印刷ブロックなのでした。


黒インキで染まった中に光る銀色の雪。
深夜に音もなく舞い飛ぶ雪を思い起こさせます。



ヴァーチャル雪見(3)2017年01月22日 18時08分04秒



牧草地で乏しい草をはむ羊たち。
先ほどから降り始めた雪は、羊たちの背中にも積もり始めています。
雪は間断なく降り注ぎ、遠くの樹々はすっかり白く霞んで見えます。
暗く重たい空、冷たい大地。いかにも底冷えのする状景。


でも雪が降り止み、風も止んだ後には、一転して明るい世界が広がっています。
大きな木も小さな木も、皆いっせいに白い花を咲かせたようです。


静かな雪の林。時折ザザーと音を立てて、雪が枝から滑り落ち、地面に小山を作りますが、その後はふたたび静寂の世界。
真っ白な枝の複雑な分岐が美しく、まるで1本の木全体が、巨大な雪の樹枝状結晶のように見えます。


こんもりと綿帽子をかぶった大木と、雪の布団で覆われた地面。
「帽子」といい、「布団」といいますが、これには比喩以上の意味があります。
実際、雪の保温効果は相当大きいらしく、吹きっさらしの場所にいるより、雪洞の中の方が温かいのもそのためです(ぽかぽか温かいわけではないですが、外気温がぐっと下がっても、雪洞の中は氷点前後の気温が保たれます)。


空の色もずいぶん明るくなってきました。
こうして雪で守られたその下では、すでに春に向けて、植物や動物の生の営みが、徐々に始まっていることでしょう。


さあ、雪歩きをしているうちに、身体もすっかり冷えてしまいました。
そろそろ屋敷に帰りましょう。


あの門の向うに、温かい部屋と温かい飲み物が待っています。


ヴァーチャル雪見(2)2017年01月21日 11時44分54秒

(一昨日のつづき)

「ヴァーチャル雪見」と言っても、そう大した工夫があるわけではなくて、雪景色の幻灯スライドが何枚かあるのを、ちょっと眺めようという話。

(最近、この手のスライドは、厚手のクリアポケットに入れて仕舞ってあります)

手元にあるスライドは、みな同じメーカーの製品です。
欄外に振られた通し番号が飛び飛びなので、本当はもっとたくさんシリーズで売られていたと思うのですが、手元には8枚しかありません(2番から20番までのうちの8枚)。


いずれも、タイトルは「雪の景色 Snow Scenes」もしくは「霜と雪の景色 Frost and Snow Scenes」となっていて、メーカーは「G.W.W.」。

ネット情報を切り張りすると、この「G.W.W.」というのは、19世紀のスコットランドの写真家、ジョージ・ワシントン・ウィルソン(George Washington Wilson、1823 –1893)が、自らの写真販売のために起こした会社で、彼が撮影した美しい風景写真の数々は、幻灯スライドをはじめ、いろいろなフォーマットで流布しました。

その後、写真販売の仕事は、息子のチャールズが引き継ぎ、GWW社の製品が最も売れたのは1890年代だそうなので、手元のスライドも概ねその頃のものでしょう。

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写真家ジョージ・ウィルソンが居を構えたのは、スコットランドでも北にあるアバディーンの町で、以下に登場する被写体は、全てアバディーン内外とおぼしい冬の光景です。


この「ブリッグ・オ・バルゴウニー(殿様の橋、の意)」も、アバディーン郊外にある13世紀に作られた古い橋。今は飛び込みの名所で、度胸試しに橋のてっぺんから川に飛び込む人が跡を絶たないそうです。


雪というより、こちらは霜が主役かもしれません。
雪がこんもり積もっていると、むしろ暖かそうな印象を受けますが、これは冬ざれの、いかにも寒そうな光景。でも、陰鬱というのとはまた違う、白さに包まれた静かな明るさが感じられます。

(中央部拡大)

無音の世界。モノクロームの画面に漂う詩情。


こちらのスライドも、霜の光景を写したもの。
その証拠に、樹々は真っ白に化粧しているのに、地面は乾いています。
題して「Fairy Frost Work」。

(一部拡大)

過冷却状態の水滴が、風に乗って樹木に衝突し、そこで瞬時に氷結することを繰り返してできるのが「樹氷」。これは水が凍った、いわば「ふつうの氷」の塊です。

それに対して、上のスライドに写っているのは「樹霜(じゅそう)」。
霜というのは、空気中の水蒸気(気体)が、水(液体)を経過せず、物体の表面で直接固体化(昇華凝結)してできたものです。その過程で結晶成長するため、樹霜は樹氷と違って、雪と類似の美しい結晶形態を持ち、また風が吹けば容易に脱落します。
(…と、知ったかぶりして書いていますが、この辺はすべて本の受け売りです。)

(次回は霜から本格的な雪景色へ。この項つづく)

ヴァーチャル雪見(1)2017年01月19日 07時16分49秒

少しずつ記事を続けます。

先日の寒波はなかなか強力で、3日間続けて白いものが舞うのを目にしました。
町場に降る雪は、醜いものをすべて白一色で覆い隠し、耳障りな音も妙にくぐもって聞こえるので、気持ちがしんみりと落ち着くものです。雪は良いなあ…と独りごちるのはこんな時。

でも、それには一つの前提があります。

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 雪見とは あまり利口の さたでなし

故・杉浦日向子さんの短編漫画で、この江戸川柳を題材にしたものがありました。
風流人を気取って、向島まで雪見に出かけた3人組。「風流」がきつく骨身にしみたところで、やっと家まで帰り着いた一人は、女房相手に毒づきます。「オイ、湯豆腐まだかあ!…フウ、おらあ、あのまんま向島で凍り固まってしまうかと思った。やっぱり炬燵にあたって湯豆腐が大風流よ。

 ばかめらと 雪見のあとに のんでいる

(杉浦日向子、『風流江戸雀』、1987、潮出版社)

まあ、現実とは得てしてこんなものです。
雪見というのは、実際に野に出でて楽しむ…というよりは、温かい部屋で雪見障子越しに眺めるとか、いっそ純粋にイメージだけを楽しむとかするものじゃないでしょうか。そこが花見や月見と違うところです。雪見というのは、ひょっとしたら人類が初めて編み出した「ヴァーチャルな自然を楽しむ行為」かもしれませんね。

上で書いた「前提」とは、即ちこのことです。

雪はいいねえ…というのも、温かい堅固な部屋に身をおけばこそで、これが吹きっさらしだったり、足元を気にして、震えながら雪道を歩かねばならないとしたら、なんぼ風流人でも雪を楽しむことは難しいでしょう。

そんなわけで、私もエアコンの温風に当たりながら、風流なヴァーチャル雪見としゃれ込むことにします。

(この項つづく)

雪の絵本2017年01月14日 12時10分27秒

夕べは空を一面雲が流れ、星はろくに見えませんでした。
でも雲を透かして、一つだけ星がやけに明るく輝いていました。
東方最大離角を過ぎたばかりの金星です。

ふだんは瞬かない金星がちらちらするのを見て、「これは来るぞ…」と思ったら、やはり夜半からしきりに白いものが降り始めました。

今日は一日雪。
こういう日には、どうしても読みたい本があります。


児童文学者・神沢利子さん(1924~)の筆になる、雪にちなんだ美しい文集、雪の絵本』(昭和46、三笠書房

(目次の一部)


「雪うさぎ」の一節。
子供が雪でこしらえる、あの雪うさぎではなく、冬になると白毛に替わる野うさぎの生態についてのエッセイ。

雪明かりに照らされた紙の色。
江戸時代の『雪華図説』からとった雪の絵が文章を彩ります。


清少納言と「香炉峰の雪」のエピソード。

日本の古典、おとぎ話、近代の詩人の作品などを引きながら、文章は静かに綴られていきます。そしてまた、自身のあふれるような思い出も。

南樺太のそのまた外れの村で過ごした、少女時代の明るく楽しい雪遊びの思い出(著者のお父さんは、炭鉱会社の事務員として、一家を連れてこの辺境の地に赴任していました)。その後、東京から信州へと移り住んだ、戦時下の青春時代の哀切な記憶。

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窓の外にも、本の中でも、雪はまだ降り続いています。

天からの手紙に貼る切手2017年01月07日 13時36分57秒



雪と雲の切手。
以前に登場したものもありますが、最近はこうやって律儀にストックブックに入れてあるので、「一望する」喜びが増しました。


「雪は天からの手紙である」と言いますが、その手紙には、ぜひこういう切手が貼ってあってほしいものです。


今から10年前の2007年(~2008年)は、国際極年(International Polar Year)に当り、各国が共同して、極地観測プログラムに取り組みました。
上のスキッと澄んだ切手は、それを紀念してフィンランドで発行されたものです。

切手の右下にある地図で、北緯65度と70度の間に引かれた点線は、北緯66度33分の北極線。この線より北が北極圏になり、夏は白夜、冬には極夜が生じます。フィンランドは、その北部がすっぽり北極圏に入っていますが、この極北の地にも村があり、町があり、人が住んでいる…というのは、「今年は雪が遅いね」とか言っている暖国の人間には、ちょっと現実離れして感じられます。でも、現実に人は住んでいて、トナカイ料理をふるまうレストランがあったりします。

(フィンランドの北の端にある「DEATNU RESTAURANT」。トナカイのソテーは28.6ユーロ也。http://www.holidayvillagevalle.fi/en/restaurant/

それにしても、2007年といえば、ついこのあいだのような気もしますが、もう10年も経ったのですね。まあ2017年だって、もう50分の1が過ぎたのですから、それも仕方のないことでしょう。


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【閑語】(ブログ内ブログ)

これまで通らなかった法案がどんどん通る。
これまで通らなかったのは、それだけの理由があるわけで、その理由自体は昔とまったく変わらないのに、法案だけがどんどん通るというのは、国会が、そして世の中一般が変ってしまったからです。それも確実に悪い方向に。

自分の生まれ育った国が無残に壊れるのを目にするのは、あまり愉快な気分ではありません。「世の中が変質するとは、こういうことか」と、体験的に学べたのは良かったですが、その代償はあまりにも高くつくものでした。

日本の自壊もいよいよ仕上げの段階に入り、「共謀罪」という、これまた歴史的な悪法の成立がもくろまれています。悪用しようと思えば幾らでもできるという意味で、これは無敵の大悪法ですが、それだけに政権は是が非でも成立させたいところでしょう。

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ただ、歴史は常に複線的なので、今後、世の中がいっそう悪く変化するにしても、その変化の過程には、まだまだいろいろあるはずです。この世に生きた証として、それをしっかり目に焼き付けておこうと思います。

安倍という人物の力の源泉が「日本会議」という右派団体であり、その中枢にいるのが、かつての右翼学生あがりの人物たちだ…というのは、今や広く知られる事実でしょう。端的にいって、安倍氏は彼らの傀儡です。安倍氏とアドルフとの大きな違いはそこです。

と同時に、安倍氏は一部財界の傀儡でもあり、何と言ってもアメリカという国家の傀儡でもあります。そして、日本会議と財界とアメリカが、全部同じ方向を向いているはずはないので、どうしてもどこかに軋みが生じます。先に対ロシア問題で迷走したのも、その軋みの現れだと思います。

日本会議中枢の思惑を勝手に忖度すれば、
  「御輿に担ぐには、操りやすい人間の方が良い。
  だが愚か過ぎては、担ぎ甲斐がない。
  さらに自分が御輿であることを忘れて、勝手なことを始めるのは何より良くない。」

というところかと思います(単なる想像です)。

日本会議が次の御輿探しを始める頃、水面下で暗闘が始まり、第2の政変が起こる…という勝手予想をしているのですが、これは全然外れるかもしれません。
いずれにしても、傀儡体制が続く限り、仮に首がすげ替っても、それで事態が収束するわけでないことは、しっかり頭に入れておきたいです。


白銀の雪2017年01月06日 22時38分53秒

昨日から冷え込みが厳しいです。
私のすむ街は、今シーズンはまだ雪らしい雪がなくて、年末に白いものが舞ったとニュースでは言ってましたが、自宅からは見えませんでした。でも、この冷え込みだと、天から白い便りが届くのも、もうじきでしょう。

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毎年、クリスマスソングが町に流れ出す頃、注文しているものがあります。
それは本物に先駆けて届く「白銀の雪」。

(素材は銀ではなくピューター)

雪の結晶写真で有名な、ウィルソン・A.ベントレー(1865-1931)を顕彰する、地元バーモント州のジェリコ歴史協会は、毎年ベントレーの膨大な結晶写真から1枚を選んで、それにちなむグッズを制作しています。

Snowflake Bentley (ジェリコ歴史協会)
 http://snowflakebentley.com/

その1つである「スキャッターピン」、すなわちピンブローチを、以前から気長に集めていて(何せどんなに頑張っても1年に1個しか集められないのですから)、今シーズン届いたのが上の品というわけです。

(5センチ角の銀の小箱に入って届きます)

雪の結晶をモチーフにしたアクセサリーは、世間に無数にありますけれど、様式化されすぎて、現実の結晶とは乖離したものも多いようです。その点、この品は何と言っても本物の結晶に基いて作られているので、正確さという点では申し分ありません。

(これまで制作されたスキャッターピンは、全部で11種類)

この先どれだけ集められるか、私の命が尽きるとき、あるいはジェリコ歴史協会そのものが歴史のかなたに消えるとき、海を越えて舞い落ちる白銀の雪も降り止み、あとにはささやかな雪原が残ることでしょう。

首都の週末(1)…インターメディアテク(前編)2016年07月24日 20時50分06秒

味のある一日であった。
…昨日経験したさまざまな出来事を、そう総括したいです。

時間にすれば一日、いやわずか半日のことですが、人間によって生きられる時間は、物理的時間以上に伸縮・濃淡に富むものです。そして、昨日は大いに時間が濃くかつ長く感じられました。

昨日出かけた主目的は、既報のごとく、池袋のナチュラルヒストリエで開催中の「博物蒐集家の応接間」のレセプションに出席することでしたが、そこに至るまでにも、いろいろなプレ・イベントがあったので、ゆるゆると流れに沿って振り返ることにします。

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東京駅に着いたら、何はともあれ、インターメディアテクを訪ねなければなりません。
一途にそう思いこんだわけは、昨年10月から始まった「ギメ・ルーム開設記念展“驚異の小部屋”」を見たかったからです。

「驚異の小部屋」と名付け、インターメディアテクという巨大な驚異の部屋の中に、さらに小さな驚異の部屋が作られているという、一種の入れ子構造が面白いのですが、この「小部屋」は、デザインがまた良いのです。

インターメディアテクは相変わらず写真撮影禁止なので、その様子は下のページに載っている写真を参照するしかありません。

■大澤啓:ギメ・ルーム開設記念展『驚異の小部屋』
  「展示法」の歴史と交流―フランス人蒐集家エミール・ギメ由来の展示什器と
 その再生

 http://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/ouroboros/v20n2/v20n2_osawa.html
 (画像だけならば、手っ取り早くこちらで)

赤を基調としたメイン展示室とは対照的な、この浅緑の空間は、実に爽やかな印象を与えるもので、ヴンダーカンマー作りを目指す人に、新たなデザインの可能性を示唆するものでしょう。

(赤を基調としたメイン展示室。『インターメディアテク―東京大学学術標本コレクション』(平凡社)より)

…と、デザイン面だけ褒めるのも変ですが、実際、この展示室の目玉は、個々の展示物よりも、それを並べているフランス渡りの古風な什器(19世紀のフランス人実業家、エミール・ギメが自分のコレクションを展示するために誂えたもの)であり、それを配した「展示空間」そのものが展示物であるという、これまた奇妙な入れ子構造になっているのでした。

私は小部屋に置かれたソファに腰をかけ、展示されている「空間」を堪能しつつ、「ヴンダーカンマーとは実に良いものだ」と、今さらながら深く感じ入りました。

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そして、これは全く知らずに行ったのですが、現在、特別展示として『雲の伯爵――富士山と向き合う阿部正直』というのをやっていて、これまた良い企画でした。

特別展示 『雲の伯爵――富士山と向き合う阿部正直』
 http://www.intermediatheque.jp/ja/schedule/view/id/IMT0108

「雲の伯爵」というのは修辞的表現ではありません。
本展の主人公、阿部正直(1891-1966)は、華族制度の下、本物の伯爵だった人で、その家筋は備後福山藩主にして、安政の改革を進めた老中・阿部正弘の裔に当ります。


阿部は帝大理学部で寺田寅彦に学び、1923年には1年間ヨーロッパを遊学。1927年、御殿場に「阿部雲気流研究所」を設立し、本郷西片町の本邸内にも実験室を作り、富士山麓をフィールドとした雲の研究に専心しました。

…というと、何だか気楽な殿様芸を想像するかもしれませんが、阿部は戦後、中央気象台研究部長や気象研究所長を歴任しており、その学殖の確かさを窺い知ることができます。

(阿部正直が撮影した山雲の写真。藤原咲平・著『雲』(岩波書店)所収。『雲』は日本の代表的な雲級図(雲の分類図)で、初版は1929年に出ましたが、阿部の山雲写真は、1939年の第4版から新たに収録されました。)

展示の方は、阿部の研究手法の白眉といえる、様々な光学的記録手段――雲の立体写真や、映画の手法を用いた雲の生成変化の記録などをビジュアルに体感できるものとなっています。

(同上)

広大な富士の裾野、秀麗な山容、その上空に生じる雲のドラマ。
想像するだに胸がすくようです。

(同)

上で殿様芸云々と言いましたが、潤沢な資金を用いた阿部の研究は、まさに「殿様」ならではのものであり、その研究を殿様芸と仮に呼ぶならば、その内でも最良もの…と言ってよいのではないでしょうか。

(この項つづく)

夏雲2016年07月20日 06時04分53秒

自分は何に季節を感じるのかなあ…と考えたとき、パッと思いつくのは雲です。
何か季節の変化を述べるとき、雲への言及が有意に多い自覚があります。
(前回の記事もそうです。)

春の柔らかい雲
夏の真っ白い雲
秋の突き抜けるように高い雲
冬のちぎれ飛ぶ雲

ぽけーっと空を見上げていると、街中では星はさっぱり見えませんが、雲はよく見えるので、自ずとその印象が残るのでしょう。

   ★

夏の雲を写した幻灯スライドを見つけました。


欄外には「40 The rolling summer clouds (うねる夏雲)」のタイトル。
「40」の番号は、これがセットものの1枚であることを意味しており、おそらく雲をテーマにしたシリーズに含まれていた品でしょう。年代は1910年頃と思います。


こうして見ても何だか分かりませんが、例によって、ディスプレイの光を透かして眺めてみます。


100年前、イギリスの田園地帯から見上げた空と雲。
タイトル通り、モクモクとうねるように盛り上がっているものの、日本の入道雲よりは一寸おとなしめです。でも、緯度の高いイギリスでは、これでも十分「夏雲、奇峰多し」の感を催したのかもしれません。


樹々のシルエット。
夏なのに、ちょっと葉っぱがまばらな木もあります。


夏の雲のさらに頭上には、早くも秋を感じさせる雲が浮かんでおり、これはもう夏も終わりに近い頃の光景なのかもしれません。
…そんな季節の移ろいを感じさせる、良い写真だと思います。