夏の果ての雲の色2020年08月31日 07時00分05秒

秋は空から下りてくる―。

以前ブログの中で呟いた言葉ですが、これは我ながら名言。暑さに汗をぬぐいながらも、ふと細かい鱗雲や、刷毛ではいたような筋雲が、高い空に浮かんでいるのを見ると、「ああ秋も近いな」としみじみ思います。山里だと、赤とんぼが山から下りてきたり、山のいただきから木の葉が色づいたりするので秋を感じるのでしょうが、都会でも雲の景色は自然の理をあらわして、いたって正直なものです。

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ですから、「晩夏雲(ばんかのくも)」と題された次の歌を知ったときは、大いにうれしかったし、その透徹した観察眼にシンパシーを感じました。

  白雲のみねのけしきはかはりける
    そらより夏はくれんとすらむ

目に焼き付くような純白の入道雲に、いつか秋色がまじり、地上に先駆けて、まず空の彼方から夏は暮れようとしている…。鮮明な印象を伴う歌です。


この歌を詠み、短冊に筆をふるったのは、黒田清綱(1830-1917)
いわゆる維新の功臣の一人で、薩摩出身の官僚として、最後は枢密顧問官をつとめた人。その一方で和歌をよくし、歌人としても一家を成しました。画家の黒田清輝はその養嗣子です。

私は元薩摩藩士と聞くと、つい豪傑肌の人を想像してしまうので、こういうこまやかな歌の存在を知って、意外に思うと同時に、己の不明を大いに恥じました。

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今日で8月も終わり。いよいよ本物の秋がやってきます。


【9月1日付記】

上の短冊の読み方について。上の読みは、売り主である古本屋さんが教えてくれたものですが、私には「峰のけしき」の「は」の字が読み取れません(作者が書き洩らしたか?まあ、そういうことも無くはないでしょう)。そして「かはりける」の結びが正しければ、「峰のけしき」とでもすべきところですが、決め手に欠けるので、ここでは疑問を記すにとどめます。

気球に乗って(後編)2020年08月09日 12時38分10秒

今日も気球の旅を続けます。


第14図 「エーベニフルーとグレチャーホルン」

我々はスイスのベルン州を出発し、その南のヴァレー州に入ろうとしています。エーベニフルー(3962m)とグレチャーホルン(3983m)は、その州境にそびえる峰々。
山々を覆うのは白雲ばかりではありません。不気味な黒雲も飛来して、気球に迫ります。


第18図 「ユングフラウから見たメンヒとアイガー」
「オーバーラント三山」と呼ばれる、ユングフラウ(4158m)、アイガー(3970m)、メンヒ(4107m)を一望しながらの空の旅。写真に写っているのは、アイガーとメンヒで、ユングフラウは、今我々の真下にあります。現在の高度は4300m。(オーバーラント三山の名を意訳すれば、「乙女岳」、「剱岳」、「坊主岳」ですから、こうして見ると、山の名前というのは東西よく似ていますね。)


第21図 「フィンシュターアールホルン」

高度は4500mに上がりました。どちらを向いても万年雪をいただく山また山です。中央の峰は4274mのフィンシュターアールホルン。気球の位置からは、おそらく7~8km東に位置するはずですが、ここまで広い視野を獲得すると、すぐ間近に感じられます。

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ひょっとしたら、山岳写真を見慣れている人には、上の写真もあまりインパクトがないかもしれません。テレビの山番組を見ても、似たような画像には事欠きませんから。

しかし、ここで想像力を働かせてください。我々は今、グイヤーのカメラの目を借りて、114年前の気球に乗ってるんですよ。あたりは身も凍る冷気に包まれ、風の音だけがヒューヒューと鳴り、頭上には青黒い空が広がり、目の前には巨大な入道雲が見え、眼下には雪をいただく高山が果てしもなく連なっているのです。

しかも、我が身を託す「かご」はフラフラと覚束ないし、ちょっと歩けばギシギシいうし、何か突発事態が生じたら一巻の終わりだし、想像力を発揮しすぎると、即座に恐怖で縮み上がってしまいます。こんなに避暑にふさわしい場所も他にちょっとありません。

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第22図 「北東から見たアレーチュホルン」

これまた4193mの高峰です。山もすごいが、雲もすごいですね。凄絶といおうか、凄涼といおうか、間近で見たらかなり怖いでしょう。


第26図 「アレッチ氷河とメルイェレン湖」

毎年高山に供給される雪が氷となって流れ下るのが氷河です。ヴァレー州――その南はもうイタリア――にあるアレッチ氷河は、ヨーロッパ・アルプス最大の氷河。写真の手前が氷河で、そこから直角に切れ込んだ谷筋に、小湖が連なっているのがメルイェレン湖。氷河を間近で見るために、降下しながらの撮影。


第27図 「牽引してアレッチ氷河を縦走」

一行は、南北に延びるアレッチ氷河に沿って、地面すれすれの高さを飛び、一部は地上から気球を牽引して進みました(単純に、より近くから氷河を見たかったからです)。


第28図 「アレッチ氷河」
地上から見た光景。


第29図 「アレッチ氷河を振り返ったところ」

一行は氷河をあとにし、ふたたび気球に乗って上昇します。
昼過ぎに出発した旅は、現在午後6時を回ったところです。6月のスイスの日の入りは、午後9時過ぎですから、まだ辺りは明るいです。


第31図 「ブリーク上空の黄昏」

谷あいの町ブリークに差し掛かりました。日が長いとはいえ、山の端に日が沈むと、山麓は、早くも夕闇に包まれます。現在午後7時、高度は4400m。イタリアとの国境が徐々に近づいてきます。


第32図 「ベルナー・アルプス〔スイス側〕を振り返ったところ」

ブリークを過ぎ、もう一山越えればイタリアです。高度4500mから振り返ったスイスの山々。この後、本格的に夜を迎えますが、夜間も気球は休まず南下を続け、その間にイタリア入りをします。当然のことながら、夜間は写真撮影も休止です。


第33図 「アルプスの南、高度6000m」

イタリアに入り、標高1000m前後のなだらかな丘陵が続きます。夜間は低高度を保った気球ですが、夜明け前に一気に上昇し、午前8時30分には、これまでで最高の高度6000mに達しました。ちっぽけな入道雲なら、その頭頂を見下ろす高さです。これが冒険のフィナーレ。


第34図 「ジニェーゼに着陸」

その後、気球は一気に降下態勢に入り、午前9時30分、ジニェーゼの村(標高707m)に無事到着。野花の咲き乱れる下界に帰ってきました。正味21時間の空の旅でした。この後、気球もロープも一切合財をかご詰めして、陸路帰還します。

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非日常から日常に戻るのはちょっぴり寂しいような、ホッとするような、微妙な感情が交錯しますね。今年の夏は、帰省もまかりならぬという、これまた非日常の夏ですが、こちらの方は、極力早く日常に戻ってほしいです。

ともあれ、こうして文字にしたら、暑中にちょっとした涼が得られました。

(この項おわり)

気球に乗って(中編)2020年08月08日 13時26分37秒

前回、「さっそく見てみましょう」と調子のいいことを言いましたが、ドイツ語がネックになって、気球の旅はいきなり逆風を受けています。まあ、あまり深く考えず、雰囲気だけでもアルプス気分を味わうことにします。

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この本には、全部で48枚の記録写真が収められています。いずれも大判の2LないしKG判相当で、1ページにつき1枚、裏面はブランクという贅沢な造り。ですから、本書は「写真集」と呼んだ方が正確です。

そのうち第1図から34図までが、この1906年6月29日から30日にかけての冒険飛行の記録で、第35図から48図までは、著者グイヤーが別の機会に空撮した、同様の山岳写真になっています。

冒険の記録は時系列に沿って並べられています。

(上の写真を含め、以下周囲に余白がないものは、原図の一部をトリミングしたもの)

第1図「充填開始」
6月29日朝、アイガーの高峰(3974m)を背景に、いよいよ「コニャック号」にガスの充填が始まりました。場所はユングフラウ鉄道のアイガーグレッチャー駅の脇です(現在は延伸されていますが、当時はここが終着駅でした)。


第3図「出発前」
飛行直前の記念撮影です。気球のバスケットに立つのが、船長のド・ボークレア。その手前、腰に手をやった偉丈夫はファルケ。左側の男女二人が、ある意味、今回の主役であるゲプハルト・グイヤーと婚約者のマリーのカップル(マリーは恥ずかしいのか顔を伏せています)。

(使用したインクの違いによって、同じ本の中でも写真によって色合いがずいぶん違います。以下、手元のディスプレイ上で、なるべく原図に近くなるよう調整しました。)

第4図「アイガーグレッチャー駅の鳥瞰」
いよいよ気球は上昇を始めます。

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ここで改めて、今回の旅の航跡を確認しておきます。下がその地図。


といっても、これだけだと画面上では何だか分からないので、航跡を書き入れた図と、グーグルマップを並べてみます。


右側の地図で、青い三角形がユングフラウ。その右上、丸で囲ったのがスタート地点・アイガーグレッチャー。そして右下の丸がゴール地点であるジニェーゼの村。
グーグルマップの方は、両地点を今なら最速4時間で車で移動できることを示していますが、グイヤーたちは、気球に乗ってのんびり1泊2日の空の旅です。でも、結構危なっかしい場面もあって、途中風にあおられたかして、航跡がグニャグニャになっている箇所があります。そして、イタリア国境を越えた後で大きく南に迂回し、いったん地図の外に飛び出してから、再び北上してジニェーゼに到達しています。

この旅の途中で、グイヤーがバスケットの中でパチリパチリと撮ったのが、一連の雄大な山岳写真です。


第6図「ユングフラウ」
気球はスタート直後からすみやかに高度を上げ、高度4000mに達したところで、目の前の乙女の姿を捉えました。大地の峰々と、雲の峰々の壮麗な対照に心が躍ります。

ユングフラウは、アイガー、メンヒと並ぶ「オーバーラント三山」の一つで、その最高峰。高さは4158m。(…というのは知ったかぶりで、私はユングフラウがどこにあるのか、さっきまで知らずにいました。以下の説明も同様です。)


モノとしての本にも言及しておくと、この図はフォトグラビュール(グラビア印刷)で制作されています(全48枚中6枚がフォトグラビュール)。

「グラビア」と聞くと、今の日本では安っぽいイメージがありますけれど、本来の「グラビア印刷」は、それとは全く別物です。その制作は、腐食銅版画を応用した職人の手わざによるもので、そこから生まれる網点のない美しい連続諧調表現は、高級美術印刷や、芸術写真のプリントに用いられました。

ですから版画と同じく、版の周囲に印刷時の圧痕が見えます。


第7図「雲の戦い(Wolkenschlacht)」
高度はさらに4300mに達し、ユングフラウ(画面左端)を足下に見下ろす位置まで来ました。しかし、その上にさらに積み重なる入道雲の群れ。雲は絶えず形を変え、雷光を放ち、自然の恐るべき力を見せつけています。

(後編につづく)

ロシアの寒暑先生2020年08月02日 17時27分18秒

8月の到来。
梅雨が明け、青空が戻り、夏らしい夏がやってきました。
これで開放感がみなぎっていれば、なお良いのですが、なかなか難しいですね。
こういうときは、逼塞感を味わい尽くすしかないのかも。

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逼塞感といえば、最近、自分の手元にあるモノたちを把握しきれなくなって、自分が買ったことすら忘れているものや、あるいは買ったはずなのに、どこにいったか全く分からないものが増えてきました。

実際上すこぶる不便ですが、でも、「自分も結構な物持ちになったんだなあ…」と、そこに一種の感慨がなくもないです。まことに愚かしい感慨ですけれど、ごみごみした集積の中から一種の「発見」をしたときは、一瞬うれしいような、得をしたような気分になります。

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そんな風にして、ふと発見したものを眺めてみます。


題名は、『Der Temperatur-verhältnisse des Russischen Reiches(ロシア帝国における気温の状況)』

幅は37cm、高さは52cmという巨大な判型の本で、そこだけ‘ニョキッ’と飛び出ていたので、存在に気づいたのですが、今となっては自分がなぜこれを買ったかは謎。購入記録を調べると、8年前にエストニアの人から買ったことになっています。

ロシアの帝国科学アカデミーの名で出版されたもので、1881年にサンクトペテルブルグで刊行されました。タイトルばかりでなく、中身もドイツ語で書かれています。編著者はスイス出身で、30年近くをロシアで過ごし、ロシアの近代気象学の発展に尽くした、ハインリッヒ・ヴィルト(Heinrich Wild、1833-1902)

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気象データの中で、気温はいちばん基本的なものの1つです。
それを測るのに、それほど高度な技術や装置を要するわけでもありません。ただし、それは点として見た場合の話です。

ある日、ある時刻、ある場所での気温を測るのは簡単ですが、気温は時々刻々変わり、鹿児島より札幌の方が暑い日だってあります。じゃあ、札幌の方が鹿児島よりも暑いのかといえば、やっぱり鹿児島の方が暑いです。それはデータを集積して、その平均や偏差を比べて、初めて言えることです。

このヴィルトの本は、ロシア全土の気温の経年変化を図示したもので、言ってみれば、ただそれだけの本なんですが、広い広いロシアの国土を俯瞰して、その気温のありようを正確に知ることが、19世紀にあって、どれだけ大変なことだったか。それを実現したヴィルトの奮闘を、ここでは想像してみたいです。(さっき発見したばかりのものから、訳知り顔に歴史と教訓を語るなんて、ずいぶん厚かましいですが、私なりに正直に感じたことです。)

それを可能にした観測所網がこちら。


地図上にパラパラ散っている青丸が各地の測候所です。

(上図拡大)

(同)

東欧~ヨーロッパロシアにかけては、さすがに密ですが、シベリアからアジアにかけても点々と測候所が分布し、北京や天津のデータも参照されています。

報告されたデータを足したり、引いたり、グラフを描いたり、さまざまに整約して、ようやく描き上げたのが、本書に収められた月ごとの等温図というわけです。


上は8月の等温図。ユーラシア大陸を、ほぼ東西平行に等温線が走っているのが分かります。


日本付近の拡大。日本列島は、20度(いちばん上の太い赤線)から28度の間にほぼ収まっています。(この値は最高・最低気温ではなくて、平均気温です。ちなみに気象庁のデータベースを見ると、当時の8月平均気温は、札幌21.4℃(1881年)、鹿児島26.8℃(1883年)でした。)


これが真冬の1月になると、様相がガラリと変わって、単純に「北に行くほど寒くなる」のではないことが分かります。すなわち、寒さの極は北極ではなく、シベリア東部の内陸部にあって、そこから同心円状に等温線が分布しています。(したがって寒極北側では、「北に行くほど暖かい」ことになります。)


寒極付近の拡大。その中心にはマイナス46℃という、信じがたい数字が記されています。これで「平均気温」なのですから、まったくいやはやです。北半球で史上最も低温が記録されたオイミャコン村(記録マイナス71.2℃)や、ベルホヤンスクの町(同マイナス67.8℃)は、まさにこの付近にあります。


日本付近も拡大してみます。太い青線は、北から順にマイナス20℃、マイナス10℃、0℃で、その間の細線は2℃間隔で引かれています。したがって、岩手・秋田から北は氷点下、九州・四国を通るのが6℃の線です。


そして、この寒暑の差をとると「等差線」を描くことができ、ユーラシア東部は非常に寒暑の差が激しい土地であることが分かります。


必然的に寒極は、その差も極大で、夏と冬の気温差は実に66℃。「日本は四季のはっきりした国だ」と言いますが、激烈なまでにはっきりしているのは、むしろこの地域で、日本は「穏やかな変化が楽しめる」ところに良さがあるのでしょう。

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こんな風に2℃刻みで考えた場合は、140年前も、現在も、そこに描かれる等温図自体はあまり変わりません。21世紀の人は、「このところ温暖化で暑いなあ!」としきりに口にし、明治の東京はずいぶん涼しかったように想像しがちです。実際、そうには違いありませんが、それはアスファルトの照り返しとか、エアコンの排熱とか、より局地的な要因によるところが大きいでしょう。

地球温暖化の問題は、それとはまたちょっと違った性質の問題です。
地球大の「面」で考えたとき、平均気温1℃の上昇は、巨大な環境の変化をもたらす…というのが事柄の本質で、それはヒトの皮膚感覚では容易に分からないことが、問題を見えにくくしています。(何せ各個人は、自分の住んでいる「点」でしか、気温を感じ取ることができませんから。)

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暑いときこそ、暑さについて考える好機です。そして、暑さについて考えれば、おのずとシベリアの冬も思い起こされて、この暑さがどこか慕わしく思えてくる…かどうかはわかりませんが、それでも多少の暑気払いにはなります。

『北越雪譜』の世界2020年02月11日 15時12分07秒

昨日は遅い初雪でした。観測史上、最も遅い初雪だったそうです。今年はもう雪が降らないまま冬が終わってしまうのか…と思っていたので、少なからず嬉しかったです。

これも毎年の言い訳になりますが、雪国の苦労をよそに、あまり能天気なことを言ってはいけないと自戒しつつ、やっぱり天から舞い降りる雪は世界を清め、人の心を慰めてくれるような気がします。

今よりも格段に雪に悩んだ時代だって、都人士にとって雪は文句なく風雅なものでしたし、雪国にあっても、雪という存在に民俗学的関心を集中させる知識人が現れたりして、彼らは頻々とそれを筆にしました。

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その代表が越後の鈴木牧之(すずきぼくし、1770-1842)で、彼の代表作が、有名な『北越雪譜』(初編、1835年刊)です。


手元の岩波文庫は、奥付を見ると1983年発行になっています(初版は1936年)。
この年、私は大学に進学して、慣れない東北暮らしを始めたのですが、その年の冬は記録的な寒さで、一週間も真冬日(=最高気温が0℃以下)が続きました(※)。「これは大変なところに来た…」と思って、急ぎ牧之の本を買い求めたように記憶しています。まあ、宮城は東北の中でも雪の少ない土地ですが、部屋の中でも吐く息が白い中で読むその文章は、実に身に迫って感じられました。

(※)念のため記録を確認したら、これは1984年2月4日から9日までの6日間で、厳密には1週間に満たないですが、その前後も最高気温は1℃台で、非常に寒い日でした。

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『北越雪譜』は有名な本ですから、今さら私が何か書く必要もないのですが、昔の思いを新たにしたのは、文庫本の下に写っている本を見つけたからです。


秩入りの『北越雪譜』複製本。



昭和44(1969)に、地元・新潟の野島出版というところから出ています。



これは非常によくできた、ほぼ完璧な複製本で、これを手にすれば、江戸時代の北越の風土が一層身近に感じられます。



ページをめくれば、挿絵の向こうには、吹雪にかき消される人々の悲鳴が聞こえ…


氷よりも冷たい幽霊の衣を透かして、白一色の世界がどこまでも広がっているのが見えます。

ガラスの雪2019年08月13日 06時26分37秒

一昨日の写真の端っこに写っていたモノについて。

以前――だいぶ以前です――雪のペーパーウェイトを集めようと思い立ったことがあります。でも、あっさり断念しました。珍重に値する古い品は少ないし、新しいものまで含めると、今度はキリがなくなるからです。それに、ペーパー「ウェイト」の名の通り、重くてかさばるのも、挫折した理由です。


でも、こうして改めて見ると、なんだか懐かしいです。
何せ、あれからもう10年以上も経つのですから。

右側の大きいのはエイボン社の製品。
エイボンというのは、あの化粧品のエイボンのことですが、同社は化粧品ばかりでなく、家庭用品も手掛けているので、これもそうした品のひとつです。eBayで雪のペーパーウェイトを探すと、たぶん真っ先に表示されるのがこれで、今でも大量に流通しているせいで、あまり「有難み」はないんですが、雪のペーパーウェイト好きなら、避けては通れない品。

エイボンの雪模様が型押しなのに対し、あとの二つはエッチング彫刻です。

下のお饅頭型は、石川県加賀市の「中谷宇吉郎 雪の科学館」で購入したもの。このブログでは、わりと頻繁に画面に映りこんでいます(本のページを開いておくのに便利だからです)。でも、記事を書くため、同科学館に確認したところ、この品はもう取り扱ってない由。

そして、左上の薄い円柱型の品は、大阪のガラス工房に発注したものですが、こちらはすでにお店そのものが営業されていないようです。


購入した日の記憶はこんなにも鮮明なのに、すべては雪のようにはかないです。
まあ、こうやってはかながっている私だって、遠からず全ての記憶とともに、はかなくなるわけですが。

雪氷三話2019年08月11日 07時41分30秒

しばし心を静めて…と思えど、暑いですね。

暦を見れば、二十四節季だと「立秋」を過ぎ、七十二候だと「涼風至る」だと書かれています。いったいどこの国の話か…と思いますが、これは話が逆で、昔の日本を標準にする限り、異国化しているのは、むしろ我々の方です。

まあ、二十四節季は中国大陸のものを、そのまま引き継いでいるので、日本の季節感とズレがあってもおかしくはないですが、七十二候のほうは、近世に入ってから日本に合うよう修正が施されているそうなので、これはやっぱり時代とともに気象条件が変わってしまった証拠でしょう。

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こういうときこそ涼しい話題をと思って、日本雪氷学会(編)『雪氷辞典』をパラパラ見ていました。(この本は、2014年に新版が出ていますが、手元にあるのは1990年に出た旧版です。)


本書はもちろん全編これ雪と氷の話題ばかりですが、その中でも、とりわけ涼しさを感じた言葉を3つ取り上げます。

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「とうれつ 凍裂 frost crack」

 厳冬期に、通直な太い幹の内部から樹皮まで、縦方向の割れ(放射状)を生ずる現象を、凍裂(または霜割れ)という。割れ目の長さは1mから数mに及び、生長期に癒着しても、冬に再発を繰り返す例が多い。この現象は、水分を平均よりも多く含む「水喰い材」の、凍結・膨張による強い内圧と、樹幹外周部の低温による収縮とに起因するといわれている。北海道では谷筋のトドマツ、ドロノキ、ヤチダモなどの凍裂が、その音とともによく知られている。 〔…下略…〕

がっしりとした樹木までもが、激しい叫び声をあげて屈するとは、まったく想像を絶する寒さです。その音が実際どんな音かは、ネットで容易に聞くことができます。以下はNHKの「新日本風土記」で紹介された、北海道・陸別町の映像と音。(凍裂音は、0:37と2:11の2回出てきます。)

北海道・陸別町「凍裂」~日本でもっとも寒い町
陸別町は、冬ともなれば氷点下20度を下回る日が続き、そんな折には、夜明けの無人の森から、「パーン!」と鉄砲を放つような音が時折聞こえてくるのだそうです。なんだか耳も心も凍るようです。

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「とうきらい 冬季雷 [冬の雷] winter thunderstorms」

 日本海側に冬季に発生する雷のこと。日本の平均雷日数分布は、内陸部と日本海側で多く、ともに40日前後だが、内陸部は夏、日本海側は冬に多い。〔…中略…〕冬季雷雲は雲高が低く、水平方向に広がり、電気的には発雷の日変化が少なく、雷放電数も少なく、上向き雷、正極性のものが多いといった特徴がある。冬季雷はノルウェー西岸と日本海側に多く、メキシコ湾流と対馬暖流の影響が大きい。

雷といえば、夏の入道雲や夕立とセットに考えていたので、日本海側では雷は冬のものだと聞いて、目から鱗がはらりと落ちました。雪催いの日、低く垂れこめた雲に向けて、地上から雷光がさかしまに走るなんて、なんとも凄愴味があります。でも、これは日本海側で暮らしたことのない人間の無責任な感想で、実際にはやっぱり相当怖いでしょう。

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「ゆきおんな 雪女」

 雪国の伝説で、大雪の夜などにあらわれるという雪の精。一般にはその名称から、白い衣を着た雪のように白い女の姿が想定されている。しかし、ところによっては小正月や元日に現れる歳神であったり、片目片脚の雪女もある。

「雪女」の怪談は別に珍しくありません。
でも、最後の「片目片脚の雪女」というのは知りませんでした。

これを聞いて、ただちに思い出したのが、岡本綺堂「一本足の女」という話。
最初は単に可憐な不具の少女だったものが、長ずるにつれて、その器量によって父親代わりの侍を狂わせ、果ては生血を欲する鬼女となっていくさまが不気味に綴られた、時代物の怪談です。

そういう連想が働いたので、「片目片脚の雪女」にヒヤッとするものを感じたのですが、彼女が常ならぬ美貌の持ち主だったら、確かにいっそう恐ろしさが勝る気がします。

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現今の暑さは、なかなか怪談ぐらいでは追いつきませんが、それでも想像力を働かせれば、ちょっとは涼しくなるような…。

水の惑星2019年06月12日 18時57分14秒

梅雨本番です。
ありふれた光景ですが、紫陽花が雨に濡れている風情なんかは、やっぱり好いですね。

考えてみれば、雲が空を走り、大量の水が空から落ちてくるなんて、ずいぶん不思議な現象です。私はその景色を、これまで幾度目にしたのでしょうか?

調べてみると、年間降水日数は、関東や中部だとだいたい100日前後です。この中には雪の日も含まれ、また1ミリ未満の降水日は勘定に入ってませんが、まあ大雑把に言って、私はこれまでの人生で、5千回か6千回の雨を目撃した計算です。多いようでもあり、少ないようでもあり。

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透明なガラスに描かれた青い地図がさわやかな幻灯スライド。
黒枠に金の星のワンポイントも洒落ています。
ピッツバーグのスティエレン光学社(Stieren Optical Co.)が、20世紀初頭に売り出したもの。


これが何かというのは、裏面のラベルに書かれています。
「Land and Water Hemisphere」、すなわち「陸半球と水半球」

地球の陸地は、巨大なユーラシア大陸がある分、明らかに南半球より北半球に偏在していますが、地球儀をいろいろな角度から眺めると、さらに陸地の割合の多い半球と少ない半球に分割できることに気付きます。それがすなわち陸半球と水半球です。


満々と水をたたえた水半球。
そして、精いっぱい陸地を取り込んだ陸半球でも、較べてみると、やっぱり海洋面積のほうが、陸地の面積よりも広いのだそうです。この星は何といっても水の惑星です。空から絶え間なく水が降ってくるのも、ある意味当然なのでしょう。


一面にあふれる青い光。


時には梅雨がうっとうしく感じられる折もありますが、水の惑星の住人として、今年はこの涼しげな水の色を眺めながら、せいぜい水に親しもうと思います。

銀の雪2019年02月11日 10時36分53秒

今日も広く雪模様。
でも、私の町では雪はさっぱりで、薄雲を通して日の光さえ射しています。
今は結露した窓越しに見る、白くぼんやりした景色に、わずかに雪を思うのみです。

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人は明るい雪景色を「一面の銀世界」と呼び、「白銀が招くよ」とつぶやきながら、いそいそと山に向かったりします。

「銀雪」というのは、もちろん中国生まれの言葉でしょうが、9世紀に編まれた空海の詩文集『性霊集』(しょうりょうしゅう)にも、「銀雪地に敷き、金華枝に発す。池鏡私無し」云々の句があって、日本でもこの語はずいぶん古くから用いられているようです。(大地を覆う純白の雪、日光に煌めく樹上の氷、すべての景色を無心に映して静まりかえる池の面…。こういう芯から澄み切った冬景色を好ましく思うのは、平安時代の高僧も、21世紀の俗人も変わりません。)

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ふと、ほんものの「銀の雪」が欲しいと思いました。

実際探してみると、もちろんスノーフレークをモチーフにした銀製アクセサリーはいろいろあるのですが、結晶の表現がマンガチックというか、ちょっとリアリティに欠けるものが多いようです。


そんな中、この差し渡し2センチほどの小さな結晶たちは、なかなかよくできていると思いました。

1831年、ロードアイランドで創業したアメリカの老舗銀器メーカー、ゴーハム社(Gorham Manufacturing Company)。この銀のチャームは、同社が1970年代にシリーズで発売したもので、手元の品はそれらをチェーンでつないで、ブレスレットに仕立ててあります。


結晶の片面には1970から1976まで、各結晶の制作年が鋳込まれています。


7年間の歳月をかけて、この世界に降り積もった雪のかけら。
磨いてやれば、すぐに元の輝きを取り戻すはずですが、当分はこのくすんだ銀色に時の流れを重ねて愛でることにします。

銀は金と並んで柔らかい金属なので、チャーム同士が触れ合う時も、なんとなく優しい音がします。

雨あがる2018年07月08日 22時06分30秒

窓から星空が見えます。
夕刻のニュースは、各地の惨状を伝えるとともに、豪雨による死者・行方不明者が120名を超えたと報じていました。

先週の天気図を見返すと、週半ばには、九州脇をかすめて日本海に抜けた台風7号と、その行く手に横たわる前線の姿がありました。台風はその後、温帯低気圧に変わりましたが、これが北の前線をぐいと引き寄せ、そこに極度に高湿の空気が流れ込んで、週末の大雨をもたらしたのでした。

一週間前の日曜日、中国・四国地方の天気はおおむね曇りでした。
広島市では、最高気温31.2℃、最低気温22.9℃。午後3時には秒速3mの風が南西からそよそよと吹いていました。

あのとき、被災地の人々は――亡くなられた方もそうでない方も――平凡な日常生活を送りながら、見慣れた町が1週間後にどうなっているか、まるで想像していなかったと思います。おそらく、日常が日常のまま、半ば永遠に続くような気が漠然としていたのではないでしょうか。ちょうど1週間前の私がそうであったように。

「被災者」と「非・被災者」を分けるのは、いわば「不条理な偶然」以上のものではありません。

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…と、ここまで書いて、さらに「相身互い」ということと、「他者への想像力」ということについて記そうと思ったのですが、思ったことを十分書き切れないので、いったん筆をおきます。でも、上手くは書けないですが、この「相身互い」と「想像力」がないと、善意の振る舞いにも、どこか傲岸な臭いが付きまとう気がします。

とはいえ、矛盾したことを言うようですが、そうした心の機微とは別に、「思し召しより米の飯」「案じてたもるより、銭たもれ」というのも一大真理であり、今はどんどん物理的支援をすべきフェーズにあるのも確かでしょう。

物心両面の支えで、被災地に日常生活が一日も早く戻ってきますように。