気象カード2017年09月29日 18時06分55秒

政界の風から、再び天然自然の風へ。

気象趣味といえば、気象観測をテーマにした、こんな愛らしいカードを見かけました。
時代はそんなに古くなくて、冷戦末期の1981年に、東ドイツで発行されたものです。


気象はインビジブルだ…と前に書きました。そしてまた気象観測や気象予報というのも、あまり派手さのないテーマだと思いますが、このカードの絵柄は、なかなか多彩です。


これは、4枚セットの「仲間」集めを楽しむ「カルテットゲーム」のカードで、各カードの左肩に丸で囲った記号がその「仲間」を示しています。つまり、トランプでいえばハートやスペードに相当するものです。


「仲間」ごとにまとめて並べたところ。
「仲間」は全部で8種類あり、カードの総計は32枚です。(4枚1セットというのは共通ですが、「仲間」の数はカルテットゲームごとに増減があります。)

このカードで設定された「仲間」は、A 地上気象観測、B 高空気象観測、C 測定機器、D 気象通報、E 気象解析、F 天気予報、G 気象対策、H 異常気象…の8種類で、なかなか渋い設定。ちなみに、ゲームの対象年齢は10歳以上だそうです。

かつてこのゲームで遊んだ少年少女も、今ではいい年輩でしょうね。
彼ら彼女らは、今でもときどき空を見上げて、気象用語を口にしたりすることがあるんでしょうか。

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▼閑語(ブログ内ブログ)

この混乱ぶりはまるで幕末のようです。
何だか「ええじゃないか」を踊り出したい衝動にも駆られます。

でも、ここは一つ沈着に行きたいものです。
そもそも、なぜそんなに混乱する必要があるのか?そして、国民がその混乱に付き合わねばならない道理がどこにあるのか?

落ち着いて考えれば、多くの狂騒は単なる狂騒に過ぎず、我々がなすべきことは驚くほどシンプルです。すなわち、目の前の課題(その数は多いです)を解決するために、各候補がどんなプランを提示してみせるか、それをじっくり見極めさえすればよいのです。

フォルタン気圧計(補遺)2017年09月27日 06時51分37秒

昨日の気圧計が我が家に来てから、もう5年になります。
このちょっとした出来事にも、それに先立つエピソードがあります。

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2012年初夏。私は案内してくれる人を得て、滋賀県の豊郷(とよさと)町にある、豊郷小学校旧校舎の見学に出かけました。ここは建築家ヴォーリズの手になる名建築として知られます。

そのときご案内いただいたY氏の尽力によって、旧校舎の理科室は、その後見事に整備されましたが、当時はまだ整備前で、相当雑然とした状況でした。それが私の心をいっそう捉えたのですが、しかし「整備にかかる前に、あまり舞台裏を出すのはちょっと…」という関係者の声に配慮し、その際の探訪記はいったんブログで公開した後、じきお蔵入りとなったのです。

その訪問の際に、私の目にパッと飛び込んできたのが、このフォルタン気圧計でした。


理科準備室の隅に横たわる、いかにも古色蒼然とした器械(写真は5年前)。


ラベルに書かれた「フオルチン水銀気圧計」の筆文字も、相当インパクトがありました。

訪問を終えた私は、戦前の理科室にタイムスリップしたかような眼前の光景に、興奮の極にありましたから、古い気圧計に食指が動いたのも、単なる気象趣味にとどまらず、そうした「理科室趣味」に発する追い風も大いに作用していたのです。
イギリスから例の気圧計が届いたのは、豊郷小訪問の翌月だ…といえば、その風力がいかに大きかったか、ご想像いただけるでしょう。

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そんなわけで、この気圧計を見ると、いろいろな思いがむくむくと湧いてきます。
モノに念がこもるというのは、何も怪談の世界だけのことではありません。


【関連記事】

甦る昭和の理科室

フォルタン気圧計2017年09月26日 06時58分39秒

地球大気の振舞いに親しもうと思えば、戸外に一歩出て、大空を見上げさえすれば良いのです。そこには風が吹き、雲が湧き、水滴が走り、虹がかかり…。器具を補助手段として、五感を働かせれば、この惑星が生きていることを、存分に実感できます。

それなのに、わざわざ部屋にこもって、古書や古道具を眺めて満足げに目を細めるなんて、まことに不健康な話です。そして、気象趣味の本道から、これほど遠い振る舞いもないでしょう。

…でも、野に咲く花よりも、花の絵に魅かれる人がいるように、そういう偏った嗜好の持ち主も一方にはいます。いや、むしろ気象趣味の一端には、歴史性に裏打ちされた雅味が確かにあって、それはそれで味わうに足ることなんだ…と、ここでは敢えて主張したいと思います。「天文界に天文古玩趣味あれば、気象界にも気象古玩趣味あり」というわけです。

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そんな言い訳をしつつ、部屋の隅に置かれた大きな気圧計を登場させます。


フランスの科学機器製作者、ジャン・二コラ・フォルタン(Jean Nicolas Fortin 、1750–1831)が、1800年頃に考案した「フォルタン気圧計(Fortin Barometer)」。これぞ、17世紀に大気圧の存在を示したトリチェリに始まる、水銀式気圧計の19世紀における直系の子孫です。


手元の品は、英ニューカッスルの科学機器メーカー「Brady and Martin社」が、19世紀末頃に販売したもの。安定した測定を行うために、気圧計全体がオーク製のガラスケースに収められているのも魅力的ですし、ケースの高さは110cmと、部屋の中で相当な存在感を発揮しています。

(気圧計下端の水銀槽)

しかし、そのサイズゆえに、これを故国イギリスから送ってもらうには、かなりの苦労を伴いました。荷造りと送料の交渉も面倒でしたが、最大の障壁は、装置の内部を満たす水銀の扱いでした。

それまで私はあまり意識していなかったのですが、水銀は今や有害物質として、輸出入が厳しく制限されており、税関を通すためには、イギリス側でいったん水銀を抜いて、日本に輸入後、再注入しないといけない…という話が出て、先方と何度もメールでやりとりを重ねました(さっき数えたら、メールは全部で22通に及んでいました)。

結論からいうと、今手元にある気圧計は、水銀が抜かれたままの状態です。気圧を測るためには水銀の再注入を依頼しなければなりませんが、最初から実用を目的としていないので、その必要は当面ないでしょう。


気圧計とその上の風速計。
そよとも風の吹かないこの部屋で、気象趣味のかすかな余香が、微気象に乗ってゆっくり漂っています。(やっぱり偏った趣味かもしれません。)

気象趣味のこと(附・ガリレオ温度計の祖型)2017年09月25日 07時02分27秒

昔から言われる天文趣味の大きな特徴は、「星は遠くから眺めるしかできない」こと。

天体は、昆虫や鉱物と違って、直接手に取って愛でたり、収集したりすることができません。したがって、フェティッシュな喜びから遠い…という意味で、いささか抽象度の高い趣味なのかもしれません。

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しかし、星よりもはるかに身近でありながら、いっそう抽象度の高い趣味があります。
それが気象趣味です。

「え、気象趣味なんてあるの?」と、思われるかもしれませんが、趣味の延長で、気象予報士を目指す人が、毎年おおぜいいる事実を思い起こしてください。昔、19世紀のイギリスにも、自宅に気象観測機器を一式備え付けて、毎日律儀に記録を付ける紳士がたくさんいたと聞きます。

思えば、気温、湿度、気圧、風速、風向…これら気象学の主な観測対象は、すべて目に見えません。もちろん、計器の示度は読めますが、そこで測られる当の相手は、まったくインビジブルな存在です。

確かに雨は目に見えるし、雲は飽かず眺めるに足る存在でしょうが、しかし、いかにも取り留めがないです。そこには星座のようにピシッと決まった形もなければ、その運行もまったくの風任せです。

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そうした取り留めのない対象の背後に、一定のパターンを見つけ出すことで、現象を説明し、予測する…そこに気象趣味の醍醐味はあるのでしょうが、やっぱり抽象度の高い趣味だと感じます。私が気象趣味に対して、何となく「高尚」な印象を勝手に抱くのも、その抽象度の高さゆえです。

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とはいえ、この本↓はさすがに「ビジュアル」を謳うだけあって、見るだけで楽しいです。


ブライアン・コスグローブ(著)
 『気象』(ビジュアル博物館 第28巻)
 同朋舎出版、1992


大気の立体的な運動の解説も分かりやすいし、


古風な観測機器の図が、天文古玩の情趣にも合います。


中でも、このガラス製温度計の美しさときたらどうでしょう。

 「初期のフィレンツェの気象学者は、ヨーロッパで最も技術の高いガラス細工師の助けを借りることができた。このガラス吹きつけ技術のおかげで、多くの計測器具を実現できた。ここに見られる精巧で美しい温度計は、ガリレオの少しあとの時代のものである。管に満たした水中を色のついたガラス玉が上下して温度を表示した。」 (本文解説より)

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話が枝葉に入りますが、上の説明にはちょっと腑に落ちない点があったので、所蔵表示を頼りに、ガリレオ博物館(Museo Galileo)にある現物を見に行ってきました。


そこでは、「房状温度計(Cluster thermometer)」の名前で紹介されており、高さは18センチと、思ったよりも可愛いらしいサイズです。

管の中を満たしているのは、(上の本に書かれているように水ではなく)アルコールで、そこに密度の異なるガラス球が封入されており、温度の上昇につれて、密度の低いものから順に浮かび上がる仕組みだそうです。

要は、今あるガリレオ温度計そのものなんですが、ただし、紹介文中にガリレオの名前はなくて、代わりに発明者として、メディチ家のフェルディナンド2世(1610-1670)の名前がありました。まあ、実際に製作したのは、大公お抱えのガリレオの弟子たちあたりでしょうが、この科学マニアの好人物に、その栄誉が帰せられたのは、ちょっと微笑ましい感じがします。

風を読む幻想の宮殿2017年09月24日 07時00分43秒

今日も絵葉書の話題です。

これはわりと最近――といっても半年前――の記事ですが、西 秋生氏の『ハイカラ神戸幻視行―紀行篇』を取り上げた際、神戸の怪建築「二楽荘」にまつわる、著者・西氏の不思議な思い出話をご紹介しました。

■神戸の夢(2)
 
(画像再掲)

それは一種の桃源探訪記でもあり、神隠し体験のようでもありましたが、その際に載せた二楽荘の画像を見て、私自身チリチリと灼けるようなデジャヴを味わっていました。

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その正体は、しばらくしてから思い出しました。
以前に見た、これまた不思議な建物の絵葉書がそれです。


パリのモンスーリ公園に立つ、イスラム風宮殿建築。
私は二楽荘のことを、「西洋趣味とオリエント趣味を混ぜ込んで建てた、奇怪な建築」と書きましたが、神戸とパリの二つの建物は、いずれも「ムーア様式」と呼ぶのが適当です。すなわち、中東とはまた一味違う、北アフリカで発展した独特のイスラム様式。

(同じ建物を裏から見たところ)

以前、盛んに天文台の絵葉書を集めていた頃、この建物は「Observatoire」の名称ゆえ、頻繁に網にかかりました。でも、気にはなったものの、さすがにこれは天文台ではないだろう…と思いました。

フランス語の「オブセルヴァトワール」(あるいは英語の「オブザベイトリー」)には、「天文台/観測所」の意味のほか、「物見台」や「展望台」の意味もあるので、左右の塔屋を指してそう呼ぶのだと、常識的に解釈したわけです。

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しかし、実はその常識の方が間違っていて、これは本当に観測施設だと知って驚きました。ただし、観測対象は天体ではなく気象、すなわち測候所です。

すぐ上の絵葉書の説明文にもチラッと書かれていますが、元々この建物は、1867年のパリ万博のパビリオンとして建てられたもので、チュニジアの首都チュニスを治めた太守の宮殿をお手本に、それを縮小再現したものです。

そして、万博終了後はモンスーリ公園の高台に移され、1876年以降、気象観測施設となり、また1893年からは、大気の衛生状態を監視する施設としても使われるようになりました。

しかし、建物の老朽化は避けがたく、1974年に観測施設としての運用が終了。
さらに1991年、ついに火事で焼け落ちて、この世から永遠に姿を消したのです。

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神戸の二楽荘が失われたのも、やはり失火が原因でした。
焼失は1932年ですから、消滅に関してはパリよりも先輩です。

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かくして彼らの姿は、今やこうして絵葉書の中にとどまるのみ―。
でも、彼らの戸口の前に再び立ち、さらにその中に足を踏み入れることだって、場合によっては出来ないことではない…西氏の経験はそう教えてくれます。


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▼閑語(ブログ内ブログ)

ここ数日の報道に接するにつけ、安倍さんにしろ、麻生さんにしろ、何とも異常な政治家であり、異常な政体だなあ…と再三驚いています。

まあ異常というより、「悪の凡庸さ」というフレーズを裏書きするぐらい凡庸な人間なのかもしれませんが、その突き抜けた凡庸さにおいて、やはり彼らは異常と呼ぶ他ないのではありますまいか。

凡庸も過ぎれば邪悪です。

墨染の雪2017年02月11日 15時36分38秒

寒いですね。
身辺は依然混沌としていますが、休みの日ぐらい記事を書いてみます。

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今日は典型的な牡丹雪で、差し渡し2、3センチもある大きな雪片が、フワフワと落ちてきて、地面に着くとすぐ消えることを繰り返していました。
暦を見たら、先週の今日がちょうど立春で、来週の土曜は雨水。
間もなく雪も雨と交代です。

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行儀よく並んだ3個の結晶。

(左右の幅は4センチ)

くるっとひっくり返すと、これは木製の下駄を履かせた、活版用の印刷ブロックなのでした。


黒インキで染まった中に光る銀色の雪。
深夜に音もなく舞い飛ぶ雪を思い起こさせます。



ヴァーチャル雪見(3)2017年01月22日 18時08分04秒



牧草地で乏しい草をはむ羊たち。
先ほどから降り始めた雪は、羊たちの背中にも積もり始めています。
雪は間断なく降り注ぎ、遠くの樹々はすっかり白く霞んで見えます。
暗く重たい空、冷たい大地。いかにも底冷えのする状景。


でも雪が降り止み、風も止んだ後には、一転して明るい世界が広がっています。
大きな木も小さな木も、皆いっせいに白い花を咲かせたようです。


静かな雪の林。時折ザザーと音を立てて、雪が枝から滑り落ち、地面に小山を作りますが、その後はふたたび静寂の世界。
真っ白な枝の複雑な分岐が美しく、まるで1本の木全体が、巨大な雪の樹枝状結晶のように見えます。


こんもりと綿帽子をかぶった大木と、雪の布団で覆われた地面。
「帽子」といい、「布団」といいますが、これには比喩以上の意味があります。
実際、雪の保温効果は相当大きいらしく、吹きっさらしの場所にいるより、雪洞の中の方が温かいのもそのためです(ぽかぽか温かいわけではないですが、外気温がぐっと下がっても、雪洞の中は氷点前後の気温が保たれます)。


空の色もずいぶん明るくなってきました。
こうして雪で守られたその下では、すでに春に向けて、植物や動物の生の営みが、徐々に始まっていることでしょう。


さあ、雪歩きをしているうちに、身体もすっかり冷えてしまいました。
そろそろ屋敷に帰りましょう。


あの門の向うに、温かい部屋と温かい飲み物が待っています。


ヴァーチャル雪見(2)2017年01月21日 11時44分54秒

(一昨日のつづき)

「ヴァーチャル雪見」と言っても、そう大した工夫があるわけではなくて、雪景色の幻灯スライドが何枚かあるのを、ちょっと眺めようという話。

(最近、この手のスライドは、厚手のクリアポケットに入れて仕舞ってあります)

手元にあるスライドは、みな同じメーカーの製品です。
欄外に振られた通し番号が飛び飛びなので、本当はもっとたくさんシリーズで売られていたと思うのですが、手元には8枚しかありません(2番から20番までのうちの8枚)。


いずれも、タイトルは「雪の景色 Snow Scenes」もしくは「霜と雪の景色 Frost and Snow Scenes」となっていて、メーカーは「G.W.W.」。

ネット情報を切り張りすると、この「G.W.W.」というのは、19世紀のスコットランドの写真家、ジョージ・ワシントン・ウィルソン(George Washington Wilson、1823 –1893)が、自らの写真販売のために起こした会社で、彼が撮影した美しい風景写真の数々は、幻灯スライドをはじめ、いろいろなフォーマットで流布しました。

その後、写真販売の仕事は、息子のチャールズが引き継ぎ、GWW社の製品が最も売れたのは1890年代だそうなので、手元のスライドも概ねその頃のものでしょう。

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写真家ジョージ・ウィルソンが居を構えたのは、スコットランドでも北にあるアバディーンの町で、以下に登場する被写体は、全てアバディーン内外とおぼしい冬の光景です。


この「ブリッグ・オ・バルゴウニー(殿様の橋、の意)」も、アバディーン郊外にある13世紀に作られた古い橋。今は飛び込みの名所で、度胸試しに橋のてっぺんから川に飛び込む人が跡を絶たないそうです。


雪というより、こちらは霜が主役かもしれません。
雪がこんもり積もっていると、むしろ暖かそうな印象を受けますが、これは冬ざれの、いかにも寒そうな光景。でも、陰鬱というのとはまた違う、白さに包まれた静かな明るさが感じられます。

(中央部拡大)

無音の世界。モノクロームの画面に漂う詩情。


こちらのスライドも、霜の光景を写したもの。
その証拠に、樹々は真っ白に化粧しているのに、地面は乾いています。
題して「Fairy Frost Work」。

(一部拡大)

過冷却状態の水滴が、風に乗って樹木に衝突し、そこで瞬時に氷結することを繰り返してできるのが「樹氷」。これは水が凍った、いわば「ふつうの氷」の塊です。

それに対して、上のスライドに写っているのは「樹霜(じゅそう)」。
霜というのは、空気中の水蒸気(気体)が、水(液体)を経過せず、物体の表面で直接固体化(昇華凝結)してできたものです。その過程で結晶成長するため、樹霜は樹氷と違って、雪と類似の美しい結晶形態を持ち、また風が吹けば容易に脱落します。
(…と、知ったかぶりして書いていますが、この辺はすべて本の受け売りです。)

(次回は霜から本格的な雪景色へ。この項つづく)

ヴァーチャル雪見(1)2017年01月19日 07時16分49秒

少しずつ記事を続けます。

先日の寒波はなかなか強力で、3日間続けて白いものが舞うのを目にしました。
町場に降る雪は、醜いものをすべて白一色で覆い隠し、耳障りな音も妙にくぐもって聞こえるので、気持ちがしんみりと落ち着くものです。雪は良いなあ…と独りごちるのはこんな時。

でも、それには一つの前提があります。

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 雪見とは あまり利口の さたでなし

故・杉浦日向子さんの短編漫画で、この江戸川柳を題材にしたものがありました。
風流人を気取って、向島まで雪見に出かけた3人組。「風流」がきつく骨身にしみたところで、やっと家まで帰り着いた一人は、女房相手に毒づきます。「オイ、湯豆腐まだかあ!…フウ、おらあ、あのまんま向島で凍り固まってしまうかと思った。やっぱり炬燵にあたって湯豆腐が大風流よ。

 ばかめらと 雪見のあとに のんでいる

(杉浦日向子、『風流江戸雀』、1987、潮出版社)

まあ、現実とは得てしてこんなものです。
雪見というのは、実際に野に出でて楽しむ…というよりは、温かい部屋で雪見障子越しに眺めるとか、いっそ純粋にイメージだけを楽しむとかするものじゃないでしょうか。そこが花見や月見と違うところです。雪見というのは、ひょっとしたら人類が初めて編み出した「ヴァーチャルな自然を楽しむ行為」かもしれませんね。

上で書いた「前提」とは、即ちこのことです。

雪はいいねえ…というのも、温かい堅固な部屋に身をおけばこそで、これが吹きっさらしだったり、足元を気にして、震えながら雪道を歩かねばならないとしたら、なんぼ風流人でも雪を楽しむことは難しいでしょう。

そんなわけで、私もエアコンの温風に当たりながら、風流なヴァーチャル雪見としゃれ込むことにします。

(この項つづく)

雪の絵本2017年01月14日 12時10分27秒

夕べは空を一面雲が流れ、星はろくに見えませんでした。
でも雲を透かして、一つだけ星がやけに明るく輝いていました。
東方最大離角を過ぎたばかりの金星です。

ふだんは瞬かない金星がちらちらするのを見て、「これは来るぞ…」と思ったら、やはり夜半からしきりに白いものが降り始めました。

今日は一日雪。
こういう日には、どうしても読みたい本があります。


児童文学者・神沢利子さん(1924~)の筆になる、雪にちなんだ美しい文集、雪の絵本』(昭和46、三笠書房

(目次の一部)


「雪うさぎ」の一節。
子供が雪でこしらえる、あの雪うさぎではなく、冬になると白毛に替わる野うさぎの生態についてのエッセイ。

雪明かりに照らされた紙の色。
江戸時代の『雪華図説』からとった雪の絵が文章を彩ります。


清少納言と「香炉峰の雪」のエピソード。

日本の古典、おとぎ話、近代の詩人の作品などを引きながら、文章は静かに綴られていきます。そしてまた、自身のあふれるような思い出も。

南樺太のそのまた外れの村で過ごした、少女時代の明るく楽しい雪遊びの思い出(著者のお父さんは、炭鉱会社の事務員として、一家を連れてこの辺境の地に赴任していました)。その後、東京から信州へと移り住んだ、戦時下の青春時代の哀切な記憶。

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窓の外にも、本の中でも、雪はまだ降り続いています。