雨あがる2018年07月08日 22時06分30秒

窓から星空が見えます。
夕刻のニュースは、各地の惨状を伝えるとともに、豪雨による死者・行方不明者が120名を超えたと報じていました。

先週の天気図を見返すと、週半ばには、九州脇をかすめて日本海に抜けた台風7号と、その行く手に横たわる前線の姿がありました。台風はその後、温帯低気圧に変わりましたが、これが北の前線をぐいと引き寄せ、そこに極度に高湿の空気が流れ込んで、週末の大雨をもたらしたのでした。

一週間前の日曜日、中国・四国地方の天気はおおむね曇りでした。
広島市では、最高気温31.2℃、最低気温22.9℃。午後3時には秒速3mの風が南西からそよそよと吹いていました。

あのとき、被災地の人々は――亡くなられた方もそうでない方も――平凡な日常生活を送りながら、見慣れた町が1週間後にどうなっているか、まるで想像していなかったと思います。おそらく、日常が日常のまま、半ば永遠に続くような気が漠然としていたのではないでしょうか。ちょうど1週間前の私がそうであったように。

「被災者」と「非・被災者」を分けるのは、いわば「不条理な偶然」以上のものではありません。

   ★

…と、ここまで書いて、さらに「相身互い」ということと、「他者への想像力」ということについて記そうと思ったのですが、思ったことを十分書き切れないので、いったん筆をおきます。でも、上手くは書けないですが、この「相身互い」と「想像力」がないと、善意の振る舞いにも、どこか傲岸な臭いが付きまとう気がします。

とはいえ、矛盾したことを言うようですが、そうした心の機微とは別に、「思し召しより米の飯」「案じてたもるより、銭たもれ」というのも一大真理であり、今はどんどん物理的支援をすべきフェーズにあるのも確かでしょう。

物心両面の支えで、被災地に日常生活が一日も早く戻ってきますように。

君の名は『雪華図説』(後編)2018年01月30日 22時46分21秒

1968年に出た復刻版『雪華図説』の限定版。



全部が1冊にまとまった普及版とは異なり、こちらは夫婦箱(クラムシェルボックス)に、正編と続編の2冊が、それぞれ和本仕立てで収まっており、さらに小林禎作氏の『雪華図説考』が別冊で付属します。


当時400部作られ、私の手元にある本はNo.178。
限定版とはいえ、400部というのは決して少なくない数ですから、タイミングさえ合えば必ず入手できるとは思ったものの、そのタイミングが長いこと合いませんでした。

(『雪華図説』正編冒頭)

結局、最初の1982年版の購入から、足掛け9年かけて、ようやく昨年の暮れに限定版を入手できたのですが、そのきっかけがネットではなく、昔ながらの古書店のカタログを通じてだった…というのは、この本の雅趣に照らして、ちょっと嬉しかったです。

まあ、苦労自慢めいた話は脇に置いて、ここで『雪華図説』の世界を少し覗いてみます。

   ★

「雪の殿様」、土井大炊頭利位(どいおおいのかみとしつら)――。
ひたすら雪の結晶観察に打ち込んだ殿様と聞けば、何となく浮世離れした好人物を連想します。しかし、歴史の文脈に彼を位置付けると、ちょっと違う相貌が見えてきます。

   ★

小林禎作氏の解説にもありますが、雪の結晶観察は、傍から見て思うほど簡単なものではありません。チラッと見るだけならいいのですが、その細部をスケッチしようと思えば、当然、ある程度の時間、雪の結晶を眼前にとどめておく必要があります。でも、雪というのは人間の体温が伝われば一瞬で融けてしまうし、何もしなくても気化・蒸発して、繊細な結晶の形は、じきに失われてしまいます。

少しでもそれを防ぐためには、できるだけ低温下で、手早く作業をする必要があります。そのための工夫を十分こらした点に、利位の非凡な才はありました。

   ★

でも、そもそも利位が関東平野のど真ん中、下総古河で、あるいはまた大阪城代や京都所司代務めをしながら、それができたということ、それは取りも直さず、江戸時代の日本が今よりもずっと寒冷だったことを意味しており、それは農作物の不作と直結していました。

(続編より。「於大阪城中所採」の記載が見えます)

当時、毎年のように飢饉や打ちこわしが起こったのは、農業技術が未発達だったというだけでなく、そもそもの気象環境が、今よりもずっと過酷だったのです。

そして、利位は幕閣として、飢饉や打ちこわしに現実的に対処する立場の人間でした。それだけでも、彼がマンガチックな「呑気な殿様」などではなく、こわもての面があったことを窺うに足ります。

彼は大阪城代時代、例の大塩平八郎の乱を鎮定した功績で、さらに出世を遂げることになりますが、私は大塩平八郎にはすこぶる同情的なので、「敵役」である土井利位に対する思いは一寸複雑です。

とはいえ、そんな劇務の中でも、雪を観察する時間を捻出して、顕微鏡をのぞき続けたこの人物を、私はたいそう興味深く思いますし、小林氏の視線もまさにそこに向けられています。

   ★


普及版の方も、『雪華図説』の復刻パートは、小林氏の論考パートとは別の、ちょっとニュアンスのある紙が使われており、決して悪くない風情ですけれど、特装版の方は、さらに和の表情に富み、利位の時代に精神を飛ばすための恰好のツールとなってくれます。そして、上のような時代相と、当時の人々の心情を思う時、雪は真に美しく、同時に恐るべきものだ…ということが、冊子の向こうにしみじみと感じられます。


   ★

今日は遠くの山の上に、冬の入道雲がむくむくと湧き、冷たく光っていました。
今週は再び雪が降ると、週間天気予報は告げています。

君の名は『雪華図説』(前編)2018年01月29日 20時52分21秒

昨日は底冷えのする日で、午後から再び白いものが舞いました。
季節柄、また雪にちなんだ話題です。

   ★

NHKのラジオドラマが人気を博し、その後何度も映像化された「君の名は」。あれは戦中・戦後を舞台に、運命に翻弄され、何度もすれ違いを続けた男女の物語でした。
そして、新海誠監督のアニメ映画「君の名は。」も、時空の奇妙なねじれによって、会えそうで会えない高校生カップルの、じれったいエピソードの連続が、ストーリーの縦糸になっていました。

   ★

ああいうことって、確かにあるぞ…と思います。
私がすれ違いを続けたのは、『雪華図説』です。

『雪華図説』は、下総古河を領した土井家第11代当主にして、幕閣として老中首座にまで上りつめた、土井利位(どいとしつら、1789-1848)が、自ら観察した雪の結晶図を集めた、江戸時代を通じて最も精緻な雪の結晶図鑑。

結晶86種を収めた正編は、天保3年(1833)に、また同じく97種を収めた続編は、天保11年(1840)に出ました。ただ、『雪華図説』は正・続とも、この“雪の殿様”が私家版で出したものらしく、昔も今もとびきりの稀書ですから、古書市場に出れば、すぐに100万円以上の値がついてしまいます。

   ★

もちろん私が欲しかったのは、本物ではありません。
昭和になって築地書館から出た復刻版の方です。この復刻版にも一寸とした歴史があって、築地書館からは1968年と1982年の2回にわたって復刻版が出ています。

奥付の表記に従えば、1968年版は、
○小林禎作(解説)、『正・続<雪華図説> 雪華図説・考』
というタイトルで、『雪華図説』の複製に、小林禎作氏による「雪華図説考」という書誌学的論考を付したもの。

一方、1982年版の方は、
○小林禎作(著)、『雪華図説 正+続 [復刻版] 雪華図説新考』
となっていて、小林氏が自らの「雪華図説考」に、旧版以降の新知見を盛り込んで、全面的に改稿した、「雪華図説新考」を併載したものです。

解説者/著者である小林禎作(1925-1987)は、中谷宇吉郎が創設した北大の低温科学研究所の教授(旧版時は助教授)を務めたプロの雪氷学者。その専門から派生して、土井利位の事績を追究し、その成果を問うたのが、新旧2つの復刻版でした。

(旧版の箱と本体。杉浦康平氏による和テイストの装丁)

(同。『雪華図説』を復刻したページの一部)

(新版。こちらも装丁は杉浦康平氏)

(同。「雪華図説新考」の冒頭)

   ★

で、私は最初に1982年版を、次いで1968年版を手に入れ、ここまではごく順調でした。でも、よくよく話を聞いてみると、1968年版には、さらに正・続の『雪華図説』を和本仕立てで復刻した「限定版」というのがあると知って、オリジナルの雰囲気を味わうには、ぜひ限定版を手にしなければ…と思ったのです。

しかし、勇んで探し始めたものの、どうもタイミングが合わず、逢えそうで逢えない状態が、結局その後何年も続いたのでした。

(この項つづく)

雪の便り2018年01月25日 22時37分15秒

春の気配を星に感じたと思ったら、関東に続いて中部も雪。
それもほどろな春の雪なんかでなくて、妙に雪質のいい、パウダースノーが、さっきまで晴れていた空をあっというまに覆い尽くし、一時は何かただならぬ感じがしました。

こんなふうに太平洋側の人間は、1年に何べんもない降雪にオロオロしますが、今回は1年に1回だけ舞い降りる雪片の話題。

   ★

雪の写真師、ウィルソン・A.ベントレー(1865-1931)が撮影した雪の結晶写真をもとに、彼の故郷の記念館が、毎年新たにデザインするグッズ類のことは、1年前も記事にしました。

■白銀の雪

今シーズン(2017年)の新デザインのテーマは、下の結晶です。


ピューター製の美しい樹枝六花。
炎に投じぬ限り、永遠に融けない雪。

   ★

雪は美しいものですが、人間生活と軋轢を生じると、恐ろしい顔を見せます。
そしてまた、普段心の奥にしまってある思いを、ゆくりなく引き出すものでもあります。

 犬棄てし子 心に雪ひそと積む       三汀
 昔 雪夜のラムプのやうな ちひさな恋  鷹女
 酒のめば いとゞ寐られぬ 夜の雪     芭蕉

人の心が様々であるように、心の中の雪景色もまた様々ですね。


気象カード2017年09月29日 18時06分55秒

政界の風から、再び天然自然の風へ。

気象趣味といえば、気象観測をテーマにした、こんな愛らしいカードを見かけました。
時代はそんなに古くなくて、冷戦末期の1981年に、東ドイツで発行されたものです。


気象はインビジブルだ…と前に書きました。そしてまた気象観測や気象予報というのも、あまり派手さのないテーマだと思いますが、このカードの絵柄は、なかなか多彩です。


これは、4枚セットの「仲間」集めを楽しむ「カルテットゲーム」のカードで、各カードの左肩に丸で囲った記号がその「仲間」を示しています。つまり、トランプでいえばハートやスペードに相当するものです。


「仲間」ごとにまとめて並べたところ。
「仲間」は全部で8種類あり、カードの総計は32枚です。(4枚1セットというのは共通ですが、「仲間」の数はカルテットゲームごとに増減があります。)

このカードで設定された「仲間」は、A 地上気象観測、B 高空気象観測、C 測定機器、D 気象通報、E 気象解析、F 天気予報、G 気象対策、H 異常気象…の8種類で、なかなか渋い設定。ちなみに、ゲームの対象年齢は10歳以上だそうです。

かつてこのゲームで遊んだ少年少女も、今ではいい年輩でしょうね。
彼ら彼女らは、今でもときどき空を見上げて、気象用語を口にしたりすることがあるんでしょうか。

-------------------------------------------------
▼閑語(ブログ内ブログ)

この混乱ぶりはまるで幕末のようです。
何だか「ええじゃないか」を踊り出したい衝動にも駆られます。

でも、ここは一つ沈着に行きたいものです。
そもそも、なぜそんなに混乱する必要があるのか?そして、国民がその混乱に付き合わねばならない道理がどこにあるのか?

落ち着いて考えれば、多くの狂騒は単なる狂騒に過ぎず、我々がなすべきことは驚くほどシンプルです。すなわち、目の前の課題(その数は多いです)を解決するために、各候補がどんなプランを提示してみせるか、それをじっくり見極めさえすればよいのです。

フォルタン気圧計(補遺)2017年09月27日 06時51分37秒

昨日の気圧計が我が家に来てから、もう5年になります。
このちょっとした出来事にも、それに先立つエピソードがあります。

   ★

2012年初夏。私は案内してくれる人を得て、滋賀県の豊郷(とよさと)町にある、豊郷小学校旧校舎の見学に出かけました。ここは建築家ヴォーリズの手になる名建築として知られます。

そのときご案内いただいたY氏の尽力によって、旧校舎の理科室は、その後見事に整備されましたが、当時はまだ整備前で、相当雑然とした状況でした。それが私の心をいっそう捉えたのですが、しかし「整備にかかる前に、あまり舞台裏を出すのはちょっと…」という関係者の声に配慮し、その際の探訪記はいったんブログで公開した後、じきお蔵入りとなったのです。

その訪問の際に、私の目にパッと飛び込んできたのが、このフォルタン気圧計でした。


理科準備室の隅に横たわる、いかにも古色蒼然とした器械(写真は5年前)。


ラベルに書かれた「フオルチン水銀気圧計」の筆文字も、相当インパクトがありました。

訪問を終えた私は、戦前の理科室にタイムスリップしたかような眼前の光景に、興奮の極にありましたから、古い気圧計に食指が動いたのも、単なる気象趣味にとどまらず、そうした「理科室趣味」に発する追い風も大いに作用していたのです。
イギリスから例の気圧計が届いたのは、豊郷小訪問の翌月だ…といえば、その風力がいかに大きかったか、ご想像いただけるでしょう。

   ★

そんなわけで、この気圧計を見ると、いろいろな思いがむくむくと湧いてきます。
モノに念がこもるというのは、何も怪談の世界だけのことではありません。


【関連記事】

甦る昭和の理科室

フォルタン気圧計2017年09月26日 06時58分39秒

地球大気の振舞いに親しもうと思えば、戸外に一歩出て、大空を見上げさえすれば良いのです。そこには風が吹き、雲が湧き、水滴が走り、虹がかかり…。器具を補助手段として、五感を働かせれば、この惑星が生きていることを、存分に実感できます。

それなのに、わざわざ部屋にこもって、古書や古道具を眺めて満足げに目を細めるなんて、まことに不健康な話です。そして、気象趣味の本道から、これほど遠い振る舞いもないでしょう。

…でも、野に咲く花よりも、花の絵に魅かれる人がいるように、そういう偏った嗜好の持ち主も一方にはいます。いや、むしろ気象趣味の一端には、歴史性に裏打ちされた雅味が確かにあって、それはそれで味わうに足ることなんだ…と、ここでは敢えて主張したいと思います。「天文界に天文古玩趣味あれば、気象界にも気象古玩趣味あり」というわけです。

   ★

そんな言い訳をしつつ、部屋の隅に置かれた大きな気圧計を登場させます。


フランスの科学機器製作者、ジャン・二コラ・フォルタン(Jean Nicolas Fortin 、1750–1831)が、1800年頃に考案した「フォルタン気圧計(Fortin Barometer)」。これぞ、17世紀に大気圧の存在を示したトリチェリに始まる、水銀式気圧計の19世紀における直系の子孫です。


手元の品は、英ニューカッスルの科学機器メーカー「Brady and Martin社」が、19世紀末頃に販売したもの。安定した測定を行うために、気圧計全体がオーク製のガラスケースに収められているのも魅力的ですし、ケースの高さは110cmと、部屋の中で相当な存在感を発揮しています。

(気圧計下端の水銀槽)

しかし、そのサイズゆえに、これを故国イギリスから送ってもらうには、かなりの苦労を伴いました。荷造りと送料の交渉も面倒でしたが、最大の障壁は、装置の内部を満たす水銀の扱いでした。

それまで私はあまり意識していなかったのですが、水銀は今や有害物質として、輸出入が厳しく制限されており、税関を通すためには、イギリス側でいったん水銀を抜いて、日本に輸入後、再注入しないといけない…という話が出て、先方と何度もメールでやりとりを重ねました(さっき数えたら、メールは全部で22通に及んでいました)。

結論からいうと、今手元にある気圧計は、水銀が抜かれたままの状態です。気圧を測るためには水銀の再注入を依頼しなければなりませんが、最初から実用を目的としていないので、その必要は当面ないでしょう。


気圧計とその上の風速計。
そよとも風の吹かないこの部屋で、気象趣味のかすかな余香が、微気象に乗ってゆっくり漂っています。(やっぱり偏った趣味かもしれません。)

気象趣味のこと(附・ガリレオ温度計の祖型)2017年09月25日 07時02分27秒

昔から言われる天文趣味の大きな特徴は、「星は遠くから眺めるしかできない」こと。

天体は、昆虫や鉱物と違って、直接手に取って愛でたり、収集したりすることができません。したがって、フェティッシュな喜びから遠い…という意味で、いささか抽象度の高い趣味なのかもしれません。

   ★

しかし、星よりもはるかに身近でありながら、いっそう抽象度の高い趣味があります。
それが気象趣味です。

「え、気象趣味なんてあるの?」と、思われるかもしれませんが、趣味の延長で、気象予報士を目指す人が、毎年おおぜいいる事実を思い起こしてください。昔、19世紀のイギリスにも、自宅に気象観測機器を一式備え付けて、毎日律儀に記録を付ける紳士がたくさんいたと聞きます。

思えば、気温、湿度、気圧、風速、風向…これら気象学の主な観測対象は、すべて目に見えません。もちろん、計器の示度は読めますが、そこで測られる当の相手は、まったくインビジブルな存在です。

確かに雨は目に見えるし、雲は飽かず眺めるに足る存在でしょうが、しかし、いかにも取り留めがないです。そこには星座のようにピシッと決まった形もなければ、その運行もまったくの風任せです。

   ★

そうした取り留めのない対象の背後に、一定のパターンを見つけ出すことで、現象を説明し、予測する…そこに気象趣味の醍醐味はあるのでしょうが、やっぱり抽象度の高い趣味だと感じます。私が気象趣味に対して、何となく「高尚」な印象を勝手に抱くのも、その抽象度の高さゆえです。

   ★

とはいえ、この本↓はさすがに「ビジュアル」を謳うだけあって、見るだけで楽しいです。


ブライアン・コスグローブ(著)
 『気象』(ビジュアル博物館 第28巻)
 同朋舎出版、1992


大気の立体的な運動の解説も分かりやすいし、


古風な観測機器の図が、天文古玩の情趣にも合います。


中でも、このガラス製温度計の美しさときたらどうでしょう。

 「初期のフィレンツェの気象学者は、ヨーロッパで最も技術の高いガラス細工師の助けを借りることができた。このガラス吹きつけ技術のおかげで、多くの計測器具を実現できた。ここに見られる精巧で美しい温度計は、ガリレオの少しあとの時代のものである。管に満たした水中を色のついたガラス玉が上下して温度を表示した。」 (本文解説より)

   ★

話が枝葉に入りますが、上の説明にはちょっと腑に落ちない点があったので、所蔵表示を頼りに、ガリレオ博物館(Museo Galileo)にある現物を見に行ってきました。


そこでは、「房状温度計(Cluster thermometer)」の名前で紹介されており、高さは18センチと、思ったよりも可愛いらしいサイズです。

管の中を満たしているのは、(上の本に書かれているように水ではなく)アルコールで、そこに密度の異なるガラス球が封入されており、温度の上昇につれて、密度の低いものから順に浮かび上がる仕組みだそうです。

要は、今あるガリレオ温度計そのものなんですが、ただし、紹介文中にガリレオの名前はなくて、代わりに発明者として、メディチ家のフェルディナンド2世(1610-1670)の名前がありました。まあ、実際に製作したのは、大公お抱えのガリレオの弟子たちあたりでしょうが、この科学マニアの好人物に、その栄誉が帰せられたのは、ちょっと微笑ましい感じがします。

風を読む幻想の宮殿2017年09月24日 07時00分43秒

今日も絵葉書の話題です。

これはわりと最近――といっても半年前――の記事ですが、西 秋生氏の『ハイカラ神戸幻視行―紀行篇』を取り上げた際、神戸の怪建築「二楽荘」にまつわる、著者・西氏の不思議な思い出話をご紹介しました。

■神戸の夢(2)
 
(画像再掲)

それは一種の桃源探訪記でもあり、神隠し体験のようでもありましたが、その際に載せた二楽荘の画像を見て、私自身チリチリと灼けるようなデジャヴを味わっていました。

   ★

その正体は、しばらくしてから思い出しました。
以前に見た、これまた不思議な建物の絵葉書がそれです。


パリのモンスーリ公園に立つ、イスラム風宮殿建築。
私は二楽荘のことを、「西洋趣味とオリエント趣味を混ぜ込んで建てた、奇怪な建築」と書きましたが、神戸とパリの二つの建物は、いずれも「ムーア様式」と呼ぶのが適当です。すなわち、中東とはまた一味違う、北アフリカで発展した独特のイスラム様式。

(同じ建物を裏から見たところ)

以前、盛んに天文台の絵葉書を集めていた頃、この建物は「Observatoire」の名称ゆえ、頻繁に網にかかりました。でも、気にはなったものの、さすがにこれは天文台ではないだろう…と思いました。

フランス語の「オブセルヴァトワール」(あるいは英語の「オブザベイトリー」)には、「天文台/観測所」の意味のほか、「物見台」や「展望台」の意味もあるので、左右の塔屋を指してそう呼ぶのだと、常識的に解釈したわけです。

   ★

しかし、実はその常識の方が間違っていて、これは本当に観測施設だと知って驚きました。ただし、観測対象は天体ではなく気象、すなわち測候所です。

すぐ上の絵葉書の説明文にもチラッと書かれていますが、元々この建物は、1867年のパリ万博のパビリオンとして建てられたもので、チュニジアの首都チュニスを治めた太守の宮殿をお手本に、それを縮小再現したものです。

そして、万博終了後はモンスーリ公園の高台に移され、1876年以降、気象観測施設となり、また1893年からは、大気の衛生状態を監視する施設としても使われるようになりました。

しかし、建物の老朽化は避けがたく、1974年に観測施設としての運用が終了。
さらに1991年、ついに火事で焼け落ちて、この世から永遠に姿を消したのです。

   ★

神戸の二楽荘が失われたのも、やはり失火が原因でした。
焼失は1932年ですから、消滅に関してはパリよりも先輩です。

   ★

かくして彼らの姿は、今やこうして絵葉書の中にとどまるのみ―。
でも、彼らの戸口の前に再び立ち、さらにその中に足を踏み入れることだって、場合によっては出来ないことではない…西氏の経験はそう教えてくれます。


------------------------------------------------
▼閑語(ブログ内ブログ)

ここ数日の報道に接するにつけ、安倍さんにしろ、麻生さんにしろ、何とも異常な政治家であり、異常な政体だなあ…と再三驚いています。

まあ異常というより、「悪の凡庸さ」というフレーズを裏書きするぐらい凡庸な人間なのかもしれませんが、その突き抜けた凡庸さにおいて、やはり彼らは異常と呼ぶ他ないのではありますまいか。

凡庸も過ぎれば邪悪です。

墨染の雪2017年02月11日 15時36分38秒

寒いですね。
身辺は依然混沌としていますが、休みの日ぐらい記事を書いてみます。

   ★

今日は典型的な牡丹雪で、差し渡し2、3センチもある大きな雪片が、フワフワと落ちてきて、地面に着くとすぐ消えることを繰り返していました。
暦を見たら、先週の今日がちょうど立春で、来週の土曜は雨水。
間もなく雪も雨と交代です。

   ★


行儀よく並んだ3個の結晶。

(左右の幅は4センチ)

くるっとひっくり返すと、これは木製の下駄を履かせた、活版用の印刷ブロックなのでした。


黒インキで染まった中に光る銀色の雪。
深夜に音もなく舞い飛ぶ雪を思い起こさせます。