阿呆船2020年09月17日 10時51分46秒

菅内閣が発足し、また新たな人間観察の機会が与えられました。
ここまで来たら、もはや動じることなく、腰を据えて観察したいです。

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ときに、一連のニュースを見ていて、思い浮かんだワードがあります。

  『阿呆船』

15世紀末にドイツで出版され、16世紀を通じて各国でベストセラーとなった風刺文学です。ちなみに、私はずっと「あほうぶね」と読んでいましたが、さっきウィキペディアを見たら、そちらでは「あほうせん」と読んでいました(この辺は好みでしょう)。

私はタイトルを聞きかじっただけで、これまで内容を読んだことはないんですが、ウィキペディアの記述【LINK】を見たら、ひどく面白そうに思えてきました。

 「ありとあらゆる種類・階層の偏執狂、愚者、白痴、うすのろ、道化といった阿呆の群がともに一隻の船に乗り合わせて、阿呆国ナラゴニアめざして出航するという内容である。全112章にわたって112種類の阿呆どもの姿を謝肉祭の行列のごとく配列して、滑稽な木版画の挿絵とともに描写しており、各章にはそれぞれに教訓詩や諷刺詩が付されている。〔…〕その他にも、欲張りや無作法、権力に固執する者などが諷刺されている。本書は同時代ドイツにおける世相やカトリック教会の退廃・腐敗を諷刺したものとされる。」

こういう本が好まれ、長く読み継がれたという事実は、これこそ人間社会のデフォルトであることを示しているのではありますまいか。
しかも、その阿呆の群れの先頭を行くのが、

 「万巻の書を集めながらそれを一切読むことなく本を崇めている愛書狂(ビブロマニア)であり、ここでは当時勃興した出版文化の恩恵に与りながら、有効活用もせず書物蒐集のみに勤しむ人々を皮肉っている。」

…というのですから、まさに私自身、阿呆船の一等船客の資格十分です。

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今回ウィキペディアに恩義を感じたのは、上の項目から「ナレンシフ(小惑星)」にリンクが張られていたことです。

「ナレンシフ(Narrenschiff)」は、『阿呆船』のドイツ語原題。
旧ソ連の女性天文家、リュドミーラ・ゲオルギイヴナ・カラチキナが1982年に発見命名した小惑星で、正式名称は「5896 Narrenschiff(1982 VV10)」。火星と木星の間の小惑星帯を回り、絶対等級は13.8となっています。光学的観察からは、サイズ・形状ともに不明ですが、小惑星イトカワ(絶対等級19.2)が直径330mですから、2、3km~数kmのオーダーでしょう。

それにしても、カラチキナはなぜこれを「阿呆船」と名付けたのか?
この空飛ぶ阿呆船が目指す阿呆国「ナラゴニア」はどこにあるのか?

たいそう気になりますが、皆目わかりません。
そして、カラチキナの機知に感心しつつも、『阿呆船』と優先して命名されるべき天体は、他にあるような気がします。

【2020.9.18付記】 ナレンシフの命名者と命名理由について、コメント欄でS.Uさんにご教示いただきましたので、併せてご覧ください。

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そんなこんなで、私は『阿呆船』を注文することにしました。
たとえ積ん読になっても、それ自体が『阿呆船』の世界に入り込む行為ですから、それもまた良いのです。いずれにしても、あの顔もこの顔も、みな同船の客と思えば、親しみを持って観察できようというものです。

緑の金星2020年01月15日 20時00分33秒

ふと気がつけば、日脚が目に見えて伸びてきました。
前は5時には真っ暗だったのに、今日は5時半になっても西の空がほんのり明るく、浅い朱、淡い黄緑、灰青から成るグラデーションの帯ができて、その上の濃紺の空に、金星が鮮やかに光っているのが美しく眺められました。

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私が初めて望遠鏡を手にしたのは、たしか小学2年生のときです。

それは母親がどこかで見つけてきた、メーカー不明のバッタ品で、口径は50ミリ。ただし、安物によくあるように、対物レンズの後ろに絞りが入っていたので、有効口径は30ミリぐらいしかなかったはずです。

それでも月のクレーターははっきり見えましたから、私は愛機の優秀さをあえて疑うことはしませんでした(でも、「天文ガイド」の広告と見比べて、ちょっぴり不安はありました)。

その愛機を金星に向けた子供時代の私は、ピントの合わせ方がよく分かっていなかったので、合焦ノブを回したら、金星像がボヤンと素敵に大きくなるのを見て、「すごいぞ、これが金星か!」と大喜びでした。(もちろんこれはピンボケの状態で、星像がいちばん小さくシャープに見える位置が、ピントの合った状態です。)

その巨大な金星は、レンズの色収差のせいで、目の覚めるようなエメラルド・グリーンをしていましたが、後にも先にも、あれほど美しい金星を見たことはありません。

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私の家は経済的に楽ではなかったので、あの望遠鏡は母親にとって、かなり思い切った買い物だったはずです。それでも子供が喜ぶと思って買ってきてくれたことに、感謝の気持ちしかありません。

認知症を患い、特養で暮らす現在の母親に、その気持ちを伝えるすべは残念ながらありません。それでも、ここに「ありがとう」と書いて、かすかな慰めとします。

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人が満足と喜びを味わうには、いかにわずかなものしか要さないか。
今宵の金星を見て、昔の自分の気持ちを、ふと思い出しました。

現代の古地図(後編)2018年03月26日 22時55分53秒

かつて、夏から秋へと季節が移るころ、2隻の船が相次いで故郷の港を後にしました。
その姿は、彼らがこれから越えようとする大洋の広さにくらべれば、あまりにも小さく、かよわく、今にも波濤に呑み込まれそうに見えました。

しかし、彼らは常に勇敢に、賢くふるまいました。彼らは声を掛け合い、互いに前後しながら、長い長い船旅を続け、ついに故郷の港を出てから3年後に、それまで名前しか知られていなかった或る島へと上陸することに成功します。その島の驚くべき素顔といったら!

後の人は、彼らが残した貴重な記録をもとに、その島の不思議な地図を描き上げ、2隻の船の名前とともに、永く伝えることにしたのでした…

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勇気と智慧に富んだ2隻の船。それは、ずばり「航海者」という名前を負った、惑星探査機の「ボイジャー1号、2号」です。

1号は1977年9月5日に、2号は同年8月20日に、ともにフロリダのケープカナベラルから船出しました。途中で1号が2号を追い抜き、1号は1980年11月に、2号は1981年8月に土星に到達。(したがって、正確を期せば、2号の方は3年ではなく、4年を要したことになります。)

そして、彼らは上陸こそしませんでしたが、土星のそばに浮かぶ「島」の脇を通り、その謎に包まれていた素顔を我々に教えてくれたのでした。その「島」とは、土星の第一衛星・ミマスです。

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この時のデータを使って、1992年にアメリカ地質調査所(U.S. Geological Survey)が出版したミマスの地図は、確かに「現代の古地図」と呼ばれる資格十分です。


例によって狭い机の上では広げることもままなりませんが、全体はこんな感じです(紙面サイズは約67.5×74cm)。地図は、北緯57度から南緯57度までを描いた方形地図(200万分の1・メルカトル図法)と、南極を中心とした円形地図(122万3千分の1・極ステレオ図法)の組み合わせからできています。


多数のクレーターで覆われた地表面は、何となくおぼろで鮮明さを欠き、データの欠落が巨大な空白として残されています。


そんな茫洋とした風景の中に突如浮かび上がる奇地形が、他を圧する超巨大クレーター「ハーシェル」です。

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ボイジャーがミマスを訪れてから四半世紀近く経った2004年。
別の新造船が土星を訪れ、10年間の長期にわたって土星観測を続けました。
それが惑星探査機「カッシーニ」です。

このとき、ミマスについても一層詳細な調査が行われ、2014年には下のように精確な地図が作られました。

(ウィキペディア「ミマス」の項より)

解像度も高く、空白もないこの新たな地図を手にした今、ボイジャーがもたらした地図は価値を失ったのか…といえば、そんなことはありません。昨日の自分は、こんなことを書きました。

「古地図を見れば、当時の人が利用できたデータの質と量が分かる仕組みで、古地図には<地理的=空間的>データと、<歴史的=時間的>データが重ね合わされていると言えます。〔…〕古地図は古版画芸術であると同時に、人類の世界認識の変遷を教えてくれる、貴重な史資料でもあります。」

ボイジャーのミマス地図についても、まったく同じことが言えます。
繰り返しになりますが、これこそ「現代の大航海時代」が生んだ、「現代の古地図」なのです。(ボイジャーの地図は紙でできている…というのが、また古地図の風格を帯びているではありませんか。)

エジプトの星(2)…エジプトとメソポタミア2018年03月17日 16時53分42秒

あまりにも醜悪な政権にプロテストして断筆…というわけではなく、もろもろの事情の然らしむるところにより、やむなく断筆っぽい状態にありました。

そもそも、私が断筆しても、世間的には何の意味もありませんし、プロテストしたところで、後から後からプロテストしたいことがどんどん出て来るので、自分がいったい何にプロテストしていたのか、それすら失念しかねない状況です。まったくマトモな相手ではありません。

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さて、記事のほうは「エジプトの星」と題して、次のようなつぶやきとともに終わっていました。

 「でも、エジプトだって古代天文学が発達した土地で、独自の星座を使っていたわけだよね。それはいったいどうなったの?プトレマイオス朝になって、忽然と消えちゃったの?それに、そもそもメソポタミアって、エジプトのすぐ隣じゃない。ギリシャ経由で黄道12星座のアイデアが入ってくる前に、直接メソポタミアから伝わらなかったの?」

上のように呟いたときは、すぐに答えられそうな気がしたのですが、これはなかなかどうして簡単な問いではありませんでした。つまり事は星座に限らないわけで、エジプトとメソポタミアという、近接した地域で発展した古代文明相互の、文化の影響-被影響関係の実相は…という点にまで遡らないと、この問いには答えられないのでした。

そこで、積ん読本の山から『世界の歴史―古代のオリエント』というのを引っ張り出してきて読んだのですが、この一冊の入門書で、私の歴史感覚がかくも大きく変わるとは、予想だにしなかったことです。

古代オリエントの歴史の一端に触れれば、栄光の古代ギリシャといえど、オリエントの歴史絵巻の終わりの方に、ちょろっと出てくるローカルな話題に過ぎないと感じられるし、カール大帝以降のヨーロッパの歴史などは、まるで「現代史」のようです。

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以下は、素人が1冊の入門書から読み取ったことなので、間違っているかもしれませんが、とりあえずのメモとして書き付けます。

まず、一口に「古代エジプト」と言い、また「古代メソポタミア」と言いますが、両者の実態は大きく異なります。

エジプトの地では、長い年月のうちに多くの王朝の興亡がありましたが、それを担ったのは「エジプト人」という1つの民族であり、エジプトの社会は、多年にわたって相対的に純一な社会でした。

対するメソポタミアは、まさに民族の十字路といってよく、人種的にも言語的にも多様な民族が四方から流入しては、前王朝を滅ぼし、支配し、やはては滅び…ということを、100世代以上にわたって繰り返してきました。したがって「古代メソポタミア」という言葉の内実は、何かひとつの色に染まった世界では全くありません。

ただし、文化という点では、メソポタミアの地にも一定の連続性があった…という点で、やはり、「古代メソポタミア」という言葉は意味を持つのです。メソポタミア文明の創始者である、シュメール人が歴史の表舞台から消え、アッカド帝国が興り、バビロン王朝が栄え、アッシリアが巨大な帝国を築いても、新たな支配者たちは、いずれもシュメール人が生んだ文化を連綿と受け継ぎ、発展させました。

そして、多くの異民族がそこに関わったからこそ、メソポタミアの文化は普遍性を獲得し、文化的支配力・伝播力という点では、エジプトを大きく凌駕するものがありました。エジプトのヒエログリフの影響が、地理的に限定されているのに対し、楔形文字が言語系統の差を超えて、古代オリエント諸国で広く用いられたのは、その一例です。

(古代オリエントの歴史舞台。“イラク”と“クウェート”の文字の間に広がる灰褐色のパッチがメソポタミア。点々と続く疎緑地と耕地によって灰褐色に見えています。)

さらにまた、歴史を俯瞰して強調されねばならないのは、古代オリエント世界を彩ったのは、何もエジプトとメソポタミアだけではないことです。それに匹敵する古代文明のセンターだった「アナトリア」、すなわち今のトルコ地方や、それらの各文明を摂取し、それを地中海世界へと伝える上で重要な役割を果たした「レヴァント」、すなわち今のシリア・パレスチナ地方の諸王国の興亡が、古代オリエントの歴史絵巻を、華麗に、そして血なまぐさく織り上げているのです。(メソポタミアの天文知識がギリシャに伝わったのも、アナトリアやレヴァントという媒介者があったからです。)

そうした中で、エジプトとメソポタミアの両文明は、当然古くから直接・間接に接触を続けてきたのですが、エジプトの側からすると、他国の文化を自国に採り入れるモチベーションが甚だ低かった――これが、メソポタミア由来の黄道12星座が、エジプトでは長いこと用いられなかった根本的な理由ではないでしょうか。古代エジプトは、純一な社会であったがゆえに、強固な自国中心主義、一種の「エジプト中華思想」をはぐくんでいたように思います。

エジプトのこうした自国中心主義は、あのデンデラ天文図が作成された、古代エジプトの最末期、プトレマイオス朝時代にあっても健在で、あの図にはメソポタミア由来の星座以外に、カバや牛の前脚など、エジプト固有の星座も数多く描かれています。(そして、エジプト中心主義の崩壊とともに、エジプトの星座は消えていったのです。)

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ときに、メソポタミア時代の星空を偲んで、こんな品を見つけました。

(背景は近藤二郎氏の『星座神話の起源―古代メソポタミアの星座』)

紀元前700~800年頃、アッシリア帝国時代の円筒印章の印影レプリカ。
円筒形の印章に陰刻された図柄を、粘土板上で転がして転写したものです。


中央は古代メソポタミアで愛と豊饒の神として崇敬された女神イシュタル
彼女は金星によってシンボライズされる存在で、後のヴィーナスのルーツでもあります。その冠の頂部で金星が光を放ち、その身の周囲を多くの星が取り囲んでいます。

そして、イシュタルと向き合う人物の頭上に浮かぶ六連星は、プレアデス
さらにその右手には、奇怪な「さそり男」の姿が見えます。彼は太陽神シャマシュが出入りする、昼と夜の境の門を開閉する役目を負っており、その頭上に浮かぶのが「有翼の太陽」です。


古代エジプトでは、野生の動物を神として崇める動物崇拝が盛んでした。
一方メソポタミアでは、天空の星を神々と崇め、エジプト人よりも一層熱心に夜空を観察しました。メソポタミアで天文学と占星術が生まれたのは、その意味では必然だったのでしょう。


(あまり話が深まりませんでしたが、この項一応おわり)

金色のちひさき月のかたちして2018年02月15日 07時20分09秒

最近、1枚の幻灯スライドを見つけました。
金星の満ち欠けと、見かけの大きさの変化を、1枚の写真に合成したものです。


それにしてもどうでしょう、このスライドの表情ときたら!
ガラス板を包む紺の色紙。
写真を囲む黒地に金の装飾模様。


丸窓に並んで輝く金星3態。
天文モチーフの幻灯スライドは、それこそ星の数ほどあります。でも、これほど完璧なデザイン、完璧なフレーミングのものは少ないでしょう。それ自体が、一個のアート作品のようです。


メーカーは、アメリカのベセラー社(Beseler Lantern Slide Co.)で、時代は19世紀終わり頃。左肩の星マークも洒落ているし、この鋭角的な味わいは、パリでもロンドンでもなく、まさにニューヨークであってほしく、その所在地がマンハッタンのど真ん中、東23丁目131だというのも高ポイントです。(ベセラー社は、今も工業機器メーカーとして存続していますが、会社はペンシルバニアに移転してしまいました。)


このスライド、写真自体は普通のモノクロですが、販売時の商品写真では、背景が灰色がかった青緑に写っていて、それもまたすこぶるカッコよく感じました。

モノクロのスライドも、背景光の選択など、投影の仕方の工夫次第で、その表現の可能性はさらに広がる気がします。

惑星X、迫る2017年08月18日 22時51分25秒

土星堂の営業成績挽回も重要な問題ですが、天文古玩的には、下の品にいっそう興味を覚えます。


長さ12cm、つまりちょうどガラケーぐらいの板に、金属板を留めた印刷ブロック。


側面から見ると、エッチングを施した薄い銅板が、アンチモニーの厚板に圧着されているのが分かります。

で、肝心の絵柄なんですが、この金属板は縦長の台形をしていて、上から下へと徐々に絵柄が大きくなっています。


てっぺんにある最も小さな図と「18」の文字。


次いで「28」となり…


さらに「36」を経て…


最後の「42」に至ります。
いずれも、円の内部にモヤモヤした模様が描かれ、これが球体の表面であることを窺わせます。

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果たしてこれは何なのか?
私の目には、いかにも時間経過に伴う惑星の見え方の変化を示した図に見えます。

でも、もしこれが火星なら、大陸や極冠がもっと明瞭に画かれても良いはずです(時代によっては、さらに運河のネットワークが刻まれて然るべきところ)。

このモヤモヤした取り留めのない感じは、むしろ金星に近い印象ですが、金星のような内惑星だったら、見かけの大きさの変化とともに、月のような満ち欠けが伴うはずです。

それなら、いっそ天王星海王星なのか?
そもそも、各数字の意味は何か?日数か、年数か、それとも別の何かか?
――すべては謎に包まれています。

ここはいっそ、「かつて地球に急接近した、惑星Xのスケッチ」ということにしておきましょう。

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今後の手がかりとして、<ネガポジ反転 & 左右反転>の画像も、ついでに掲げておきます。





答がお分かりの方、ご教示どうぞよろしくお願いします。

空の旅(17)…『スミスの図解天文学』異聞2017年05月05日 10時10分50秒

(今日は2連投です。以下、前の記事のつづき)

『スミスの図解天文学』についての新知識、それはこの本で最も有名で、最も人気のある最初の図版↓には、元絵があるということです。


このことは、会場でメルキュール骨董店さんに教えていただいたのですが、その元絵とは、Duncan Bradford という人が著した、『宇宙の驚異(The Wonders of the Heavens)』(1837年、ボストン)という本に収められたもの。

(ダンカン・ブラッドフォード著、『宇宙の驚異』 タイトルページ)

スミスの本の正確な初版年は不明ですが(※)、ダンカンの本は、スミスの本におよそ10年先行しているので、こちらが元絵であることは揺るぎません。

その絵がこちらです。


(上図部分拡大)

印刷のかすれが激しいですが、確かにほとんど同じ絵です。
しかし、その舞台背景はエジプトの神殿風ですし、先生役は黒い女神、そして生徒たちは黒いキューピットと、何だかすごい絵です。思わずため息が出る、奔放な想像力。

ブラッドフォードの本を手にしたのは、ずいぶん前のことですが、この挿絵の存在は、メルキュールさんの慧眼によって指摘されるまで気づかずにいました。メルキュールさんには、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。

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ところで、ブラッドフォードとスミスの絵には、舞台設定の違い以外にも、天文学史上の時代差が出ています。それは、前者には1846年に発見された海王星が描かれていないことです。

(ブラッドフォードの挿絵・部分。最外周を回るのは1781年に発見された天王星)

片やスミスの方には、当時最大の発見・海王星が、発見者の名をとって「ルヴェリエ」として記載されています(天王星の方は同じく「ハーシェル」)。

(スミスの挿絵・部分)

ちなみに日本の『星学図彙』ではどうかと思ったら、こちらは「海王」「天王」となっていました。

(『星学図彙』・部分)

「Neptune/海王星」、「Uranus/天王星」という新惑星の表記は、欧米でも日本でも、いろいろ揺れながら定着しましたが、日本に限って言うと、この直後(明治9年、1876)に出た『百科全書 天文学』(文部省印行)という本では、すでに「海王星」「天王星」となっているので、神田によるこの過渡的な表記は、ちょっと面白いと思いました。

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さて、いろいろな時代、いろいろな国をたどってきた「空の旅」も終わりが近づいてきました。次回は20世紀に足を踏み入れます。



(※) 連邦議会図書館には、1850年刊のものしか所蔵されていません。手元にあるのは1849年刊で、それでも「第4版(Fourth Edition)」となっています。年1回以上版を重ねることもあるので、おそらく初版は1848年~47年頃と推測します(さっき古書検索サイトを覗いたら、1848年に出たものが売られていました)。

9月の星座…グラスゴーの街から2015年09月23日 09時56分56秒

そういえば、休みにかまけて、月々の星座めぐりを怠っていました。


9月も半ばを過ぎ、白鳥と鷲の2羽の鳥は徐々に西へと向かい、その後ろから大きなペガススの四辺形と、水瓶を捧げ持つ若者が空に姿を見せる時分となりました。


今日のスカイラインは、スコットランド南部の大都市・グラスゴーの街です。
中央から右手にかけてそびえるのは、グラスゴー大学と、それに隣接するケルヴィングローブ美術博物館の建物と尖塔群。

キャプションを読んでみます。

 「9月の星座。この星図を使って、皆さんは9月中旬から10月中旬までの星たちを学ぶことができます。皆さんは今、グラスゴーから南を見ているところです。右手には美術館が見えています。9月半ばの午後9時頃には、イギリス中のどこからでも、ほぼこれと同じ位置に星が見えるでしょう。」

尖塔の真上に浮かぶのはやぎ座(Capricornus)。
その左手にはみずがめ座が並び、みなみのうお座のフォーマルハウトを見下ろしています。

 少年(ガニュメデス)の持つ水瓶から零れる水を、南の魚が飲んでいる。ひときわ煌(かがや)く一等星は、魚の口(フォーマルハウト)。十月の星図を眺めていた銅貨は、それを折りたたみ、まだ星などひとつも見えない真昼の天(そら)を見あげた。

…という、長野まゆみさんの『天体議会』第2章の冒頭のままの光景です。

この辺はフォーマルハウト以外にも、やぎ座のデネブアルゲディ、セクンダギエディ、みずがめ座のサダルメリク、サダルスウド…と、エキゾチックな星名に事欠かず、特に冷涼なイギリス北部に住む人にとっては、激しく南方憧憬を掻き立てられたんじゃないでしょうか。


ところで、今日9月23日の出来事を見ると、古代ギリシアの劇作家・エウリピデスの誕生日(紀元前480年)…というような、大層昔のことも書かれていますが、天文趣味人にとって見逃せないのは、1846年のこの日、海王星が発見されたことでしょう。(前回のオーラリーに天王星までしか表現されていなかったのは、もちろんまだ海王星が発見されていなかったからです。)

ネプチューンはローマ神話による呼び名で、ギリシア神話ではポセイドンと名が変りますが、一説によればポセイドンとメドゥサの間に生まれたのが、天馬ペガススだとか。


人間の想像力の何と奔放なことか。


惑星格付けの謎…カテゴリー縦覧:その他の惑星・小惑星編2015年03月22日 10時23分13秒

ここまで来たら、惑星・小惑星をまとめてドンと登場させます。


南米ベネズエラで発行された惑星切手シリーズ。

1961年にフンボルト・プラネタリウム(この名は、かつてベネズエラを探査した、ドイツの博物学者、アレクサンダー・フォン・フンボルトに由来します)が、首都カラカスに開館し、10周年を迎えたことを記念して、1973年に発行されたものです。(本当の10周年と一寸ずれているのは、細かいことを気にしない国柄もあるのでしょう。)



ささやかな切手とはいえ、こうしてズラリ揃うと壮観です。


冥王星が、現役の惑星として頑張っているのを見るのも嬉しいし、小惑星が切手になっているのはわりと珍しいんじゃないでしょうか。

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それにしても謎なのは、惑星と額面の対応です。ベネズエラの通貨単位は「ボリバル」、100分の1の補助単位は「センティモ」ですが、額面順に並べてみると、

 太陽(5センティモ)
 地球(5センティモ)
 火星(20センティモ)
 土星(20センティモ)
 小惑星(30センティモ)
 海王星(40センティモ)
 金星(50センティモ)
 木星(60センティモ)
 天王星(75センティモ)
 月(90センティモ)
 冥王星(90センティモ)
 水星(100センティモ=1ボリバル)

となっています。一見でたらめですが、ここには何か秘められた秩序があるのでしょうか?何か秘密の暗号とか?

春の永日、この壮大かつ暇なクイズ―と言っても、答があるかどうかは定かでありませんが―に挑むのも、また一興ではありますまいか。

ウラニアのおもかげを追って2014年09月20日 11時57分20秒

学芸の女神であるミューズたち(ムーサイ)の一人で、「天文学」を司るウラニア
その名はウラノスと同じく「天空」に由来し、その女性名詞化ですから、文字通り「天女さま」です。

では、ウラノスとウラニアはどんな関係にあるのか?
ウィキペディアでパパッと系譜調べをすると、
ウラノスの息子がクロノス(大地・農耕の神。なお、「時間の神」であるクロノスは、綴りが違う別の神様)、クロノスの息子がゼウス、そしてゼウスの娘がウラニア。

…というわけで、要するにウラノスとウラニアは、曾祖父と曾孫の関係なのでした(もっとも、神々の系譜については異伝も多く、これはそのうちの一説に過ぎないそうです)。

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ウラヌスが惑星の名前になったのに対し、ウラニアは直径100キロという小惑星の名になって、火星と木星の間でくるくる公転しています。

(同時代資料に見るウラニア。1855年に出たA.K. Johonston(著)、J.R. Hind(監修)『School Atlas of Astronomy』より、当時発見されていた35個の小惑星リスト。1854年7月22日に発見されたばかりのウラニアの名が見えます。発見者は監修者のハインド自身)

(同書より太陽系の図。左上に浮かぶのが天王星Uranus。右上は海王星)

(中央部拡大。フローラとヒギエアに挟まれた領域に、他の33個の小惑星が見つかっていました。)

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もちろんウラヌスもいいのですが、天女さまにも魅かれるものがあって、ウラニアのおもかげをあちこちに追ってみます。

(この項つづく)