書斎で大地のドラマを見る…さらに地学模型のはなし2012年05月05日 10時31分16秒

前回の3段重ね地学模型を見てみます。


幼年期の大地。平原を2本の川筋が走っています。


幾万年を経た頃か、壮年期の大地は水の作用によって、深い谷が刻まれています。


川下から見た峨々たる山容。
川の左右に支流ができて、山を削り、大地は複雑な起伏を見せています。


大地が川によって完全に削り取られた老年期。
人間の老年期と違って、大地の老年期は、再びベビーフェイスに戻ります。


うねうねと平らな大地を流れる河。三日月湖も形成されています。
そして、ここからまた新たな大地のドラマが始まるわけです。まさに輪廻ですね。
もちろん実際の大地は、おだやかな水の作用だけでなく、激しい火の作用(火山の噴火や大規模な造山活動)も加わって、いっそう複雑な様相を呈します。
最近は、それに人の手も加わってきました。

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地学模型は、まだ写真に撮っていないのがいくつかあって、文字通り「山積」しています。それにしても、かつての小学校は、どこもこんな風に地学模型があふれていたんでしょうか。どうも、自分の記憶では、せいぜい1つか2つだけだったような気もするんですが、これは日土小学校の先生の趣味なのでしょうか。

切り取られた大地…地学模型のはなし2012年05月03日 17時39分04秒

風薫る五月。庭のコデマリやノイバラにも愛らしい虫たちが訪れ、子どもの頃に味わった自然観察の興趣が、いっときよみがえります。

今年は突発事態続きで、連休中も心が休まりませんでしたが、ようやく昨日で一段落したので、連休の後半はゆっくり骨休めをしようと思います

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さて、前回のつづき。
地学模型の魅力というのは、一種の「神の視点」にあると思います。巨大なスケールの世界を、掌(たなごころ)に照らして見る快感といいますか。


まあ、たなごころに照らすには一寸かさばるので、普段はお蔵入りしているのが不憫ですけれど、こうして改めて眺めると不思議な美しさがあります。


これは成層火山模型で、モデルとなっているのはもちろん富士山とその周辺地形。
こういうのは、地理の時間にも習った記憶がありますが、ラベルを見るとやっぱり理科教材で、昭和44年の夏休み中に購入したものであることが分かります。お値段は4,270円也。


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「巨大なスケールの世界」と上で書きましたが、それは空間ばかりでなく、時間的スケールについても言えます。


たとえば、この模型は3段重ねになっていて、水理作用による大地の変化を、時間軸に沿って眺めることができます。上から幼年期、壮年期、その下はラベルがはがれていますが、おそらく「老年期」でしょう。


表面がボロボロなのは、素材が樹脂ではなく、木と紙塑(一種の紙粘土)製だからで、購入年代も昭和30年と、他のものよりも一層古い時代の品です。

(雄大な大地のドラマを愛でつつ、さらにこの項つづく)

あの頃、あの棚の上に、地学模型がたしかにあった2012年04月30日 19時44分18秒

昨日、買った物が部屋に置けないということを書きました。
先日登場した植物構造模型なども、部屋の中には置くスペースがないので、ふだんは押入れに入っています。

そうしたものは結構多くて、今では押入れの中が理科準備室状態ですが、中でも場所ふさぎなのが、以前まとめて購入した地学模型の類。





ずっとしまいっぱなしなので、彼らとまともに対面したのは、荷物が届いて荷ほどきしたときと、この写真をとったときぐらいでしょう。となると、何のために買ったのか不審に思われるでしょうが、いつかこういうものを棚にずらりと並べて、自分だけの古びた理科室を作りたいという夢があるのです。


小学校名が出てしまっていますが、今となっては特に迷惑を感じる方がいるとも思えないので、そのままにしておきます。ちなみに、日土(ひづち)小学校は愛媛県にある学校で、建築の世界では、戦後の木造モダニズム建築を代表する作例として有名だそうです。


理振法準拠のラベルが頼もしい。

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昭和45年といえば、何を隠そう私が小学校に入った年で、これと同じものが我が母校にあったとしても、おかしくはありません。実際、同じかどうかは分かりませんが、理科室の棚に地層の模型が鎮座していたのを、今でもはっきり覚えています。

これらの品は、作られてからまだ半世紀も経っていませんし、素材も樹脂をふんだんに使っているので、理系アンティークとしては辛い点を付けざるを得ませんが、でもこれは他人様にとっての価値はどうでもよくて、自分自身が思う存分郷愁にふけるための品です。

私の場合、野外の鉱物や地層よりも、こうした地学模型や岩石標本から、地学への興味が芽生えているので、やはり自分は「理科」よりも「理科室」が好きなのだなあ…とつくづく思います。

(地学模型の話題、さらにつづく)

恐竜クラシック2012年04月07日 19時01分28秒

昔の恐竜、今の恐竜。
その変化から類推して、さらに「未来の恐竜」というのを思い浮かべました。
で、「将来、恐竜はこうなる!」という予言記事を書いてみたらどうかとか、あるいは「2013、これが恐竜のニュートレンドだ!!」と煽りを効かせてみたらどうかと夢想してみました。

…書いていて、我ながら素敵にバカバカしいですが、でも、恐竜たちが、今も人々の想念の中で進化を続けていると考えるのは、ちょっと悪くない気がします。

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さて、昨日のおじいさんが憧れた恐竜は、きっと↑こんな姿をしているに違いありません。

ノッシ、ノッシ。
(斜めから写したので、ちょっと歪んでいます)

とぼけた表情に味わいがあるような…。

遠くの方でもノッシ、ノッシ。

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上の品は、「白亜紀の動物」と題された、ドイツの教育掛図で、1960年代頃のもの。
ドイツ中央教具研究所(Deutschen zentralinstitut fur Lehrmittel)監修、ベルリンのVolk und Wissen Verlag 社発行。Heinz Dost という画工の名前が欄外に見えますが、どうもこの絵は素人目にも下手ですねえ。

東西冷戦下の東ドイツ(略称DDR)では、教育用の掛図が大量に作られたらしく、それらは今や古物市場で二束三文の捨て値で売られています。私は勝手に「DDRもの」と呼んでいますが、全体に粗製乱造の気味があるので、買う時にはいささか用心が必要です。

ねじれた時間感覚…恐竜懐古談2012年04月06日 20時05分46秒


(↑朝日新聞=2012年4月5日=の紙面より)

「大型恐竜にも羽毛」 「全長9メートル、中国で新種化石発見」

「…国立科学博物館の真鍋真研究主幹は『大型恐竜にも羽毛があったという証拠がついに出た。羽は雌雄を見分けたり、求愛のディスプレーに使ったりした可能性がある』と話した。」

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縁側で爪を切りながら新聞を見ていたおじいさんが、誰に言うともなくつぶやきました。

なんだぁ、中国で羽毛をまとった大型恐竜だって?
…いってえ世の中、どうなっちまったんだ。

昔は恐竜といやあ、みんなどっしり腰を落としてなあ、ノッシノッシと歩いたもんさ。肌だってザラザラのうろこ肌でよ。まあ、見るからに堂々としてたな。子供心にも、そりゃあ、ほれぼれとしたもんだ。

それに比べて、何だあ、近ごろの恐竜どもは。どいつもこいつも尻尾を持ち上げてスタスタ歩きやがって。尻が軽いったらありゃしねえ。しかもボサボサ毛なんぞ生やしやがって。まったくなっちゃいねえ。

ああ、昔はよかったなあ…

石の縁、人の縁2011年12月19日 22時14分59秒

旅の記に続いて、土曜日の素敵な出会いについて。
この日は、鉱物趣味の新時代を画した『鉱物アソビ』、そしてその続編である『鉱物見タテ図鑑』の著者である、フジイキョウコさんとお話しする機会がありました。

(フジイさんからいただいた、黒地に活版の銀文字が映える黄鉄鉱カード。)

『鉱物アソビ』の出版をめぐるエピソード、そこに係わった誰それの話、フジイさんの子ども時代の思い出…いずれも大変興味深かったです。

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中でも面白かったのは、フジイさんが鉱物画を探し求めて、地学系に強い神田の某古書肆を訪ねた際のエピソードです。フジイさんがあれこれ説明しても、そこの店主氏は全くその意図が理解できず、話は最後まで平行線だったとか。
何でも店主氏は、「そうか、お前さんは学術書ではなくて、絵入りの入門書を探しているのだね。では、これを読むといい」と、(親切にも)最近出た初学者向けの本を薦めてくれたそうです。

要するに、アカデミックな<鉱物学>の体系が脳内に刻まれた店主氏にとって、アートや文学と接する近頃の<鉱物趣味>は、完全に理解を超える存在だったわけで、これはなかなか考えさせられる話です。

私には、フジイさんの思いも、店主氏のそれも、それぞれよく分かる気がします。
ここには、アートとサイエンスの対立もあるし、また以前話題にしたように(http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/04/09/5789446)、博物学とサイエンスの違いという、もう一寸入り組んだ問題も絡んでいると思います。

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あるいは、「石」業界の内輪の話。
ミネラルショーで同じように軒を並べていても、「鉱物屋」と「宝石屋」はほとんど交流がなく、別種の業界を形成しているとか、だからこそ両方に通じた人はきわめて貴重な存在であるとか、私にとっては初めて聞く話で、思わず「へええ」と思いました。

(同じく「石」の一字が捺されたしおり。凹凸舎・製)

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あるいはガラスの実験器具をめぐる話。
実験器具というのは、戦前も戦後もほとんど同じ姿をしているけれども、やはり今出来のものは魅力が薄く、古いものは趣がある…そんな微妙な感覚にも深い共感を覚えました。(ちょっと古陶磁趣味に通じますね。)

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と、こんな風に書いているとキリがありませんし、実際当日も話は延々と尽きませんでしたが、最後に「こういう出会いから、何か新しいものが生まれたら…!」という夢を話し合って、この日は語り納めとしました。

これが正夢になったら嬉しいですね。

ジョバンニが見た世界「時計屋編」(10)…宝石を乗せて回る硝子盤(番外)2011年12月09日 21時23分48秒

さて、「時計屋編」の残りのアイテムは、星座早見、望遠鏡、星座絵と、いよいよ天文趣味の本流に入っていきますが、その前に宝石に関連して、もう一つだけおまけアイテムを取り上げます。

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「銀河鉄道の夜」に出てくる宝石関連の記述として、「水晶の数珠」というのがあるということを、この前ちらりと書きました。それは旅が始まって間もない「北十字とプリオシン海岸」の章に出てきます。

銀河鉄道の旅は、白鳥座が形づくる「北十字」から、南十字星まで、2つの十字架を結ぶルートを走り抜けますが、この2つのポイントは旅の中でも荘厳華麗な、人々の信仰心を揺さぶるものとして描かれています。

北十字の描写はこうです。

「俄かに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床の上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射した一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架がたって、それはもう凍った北極の雲で鋳たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。」

その荘厳さに打たれて、車中の人々が皆立ち上がり、敬虔な祈りを捧げるというシーンに、「水晶の数珠」は登場します。

そして物語の終盤の南十字では、

「見えない天の川のずうっと川下に 青や橙や もうあらゆる光でちりばめられた十字架がまるで一本の木という風に川の中から立ってかがやき その上には青じろい雲が まるい環になって 後光のようにかかっているのでした。汽車の中がまるでざわざわしました。みんなあの北の十字のときのように まっすぐに立ってお祈りをはじめました。」

以前、プラネタリウム番組の「銀河鉄道の夜」(http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/11/26/4722590)を見たときも、この2つのシーンはとても印象的でした。
冷たい白光を放つ北十字と、色鮮やかな光に満ちた南十字。

ここに出てくるのは、キリスト教のシンボルとしての十字架ですが、そのいかにもキラキラしいイメージが、なんとなく華やかな時計屋の情景と結びついているようにも感じられて、たとえばあの店先には、水晶で刻んだ美しいロザリオが飾らており、ジョバンニの夢は、それに触発されたものではないか…と、そんな風に想像してみたりします。(実際の宝飾店の店先に、ロザリオが並ぶものかどうかは定かでありませんが。)

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というわけで、単なる思い付きのようではありますが、銀と金のロザリオを探してみました。(我ながら、この企画には異様に力瘤が入っています。)


白銀の北十字。



きらめく水晶の珠。


「『ハルレヤ、ハルレヤ。』前からもうしろからも声が起りました。ふりかえって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶の珠数をかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そっちに祈っているのでした。」


ターコイズをちりばめた黄金の南十字。


「そしてその見えない天の川の水をわたって ひとりの神々しい白いきものの人が 手をのばしてこっちへ来るのを二人は見ました。」

 

「ふりかえって見ると さっきの十字架はすっかり小さくなってしまい ほんとうにもうそのまま胸にも吊されそうになり…」

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以上、「宝石を乗せて回る硝子盤」の番外編でした。
なお、「黄金の…」というのはもちろんイメージで、2番目の品は金製品ではありません。

ジョバンニが見た世界「時計屋編」(8)…宝石を乗せて回る硝子盤(第3夜)2011年12月05日 20時51分53秒

ふと思い立って記事のカテゴリーを新設しました。
またカテゴリーの並び順も整理して、天文に関連するものを上位にまとめました。(一応「天文を中心に…」とうたっているので。)

今回増やしたのは、「天文余話」、「極地」、「驚異の部屋」、「長野まゆみ」、「ヴンダーショップ・イベント」、「博物館」の6種類です。(「天文余話」というのは、他のカテゴリーに入れづらい天文関連の記事を整理するためのものです。)

それにしてもバカバカしいほどカテゴリーが多い。ご当人は整理したつもりなのに、いっそう取り散らかった印象を生むという矛盾。なんだか自分の部屋や、頭の中を見せつけられるような気がします。

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さて、ジョバンニの話。

「銀河鉄道の夜」には、いろいろな宝石名が登場します。
しかし改めて読み返すと、その多くは比喩表現として使われていて、実際に宝石そのものが登場する場面は少ないことに気付きました。

比喩表現というのは、次のようなものです。

金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという風に」
月長石ででも刻まれたような、すばらしい紫のりんどうの花」
金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床」
水晶細工のように見える銀杏の木」
真珠のような実」
「日光を吸った金剛石のように露がいっぱいについて」
ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔ったようになってその火は燃えている」

それに対して、宝石そのものが登場するのは、以下の2か所ないし3か所のみです。

「あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟ばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼もさめるような、青宝玉(サファイア)黄玉(トパース)の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。」

印象的な「アルビレオ観測所」の描写。
はくちょう座のくちばしに当たるのが二重星のアルビレオで、望遠鏡でのぞいた時のオレンジと青の美しい対比で知られます。

「河原の礫(こいし)は、みんなすきとおって、たしかに水晶黄玉(トパース)や、またくしゃくしゃの皺曲(しゅうきょく)をあらわしたのや、また稜(かど)から霧のような青白い光を出す鋼玉やらでした。」

透明で涼やかな、銀河のほとりの光景。
「鋼玉」(コランダム)というのは酸化アルミニウムを主とする鉱物で、鉱物学的にはルビーやサファイヤもコランダムの仲間です。ここでは「青白い光を出す」とあるので、明らかにサファイヤのこと。もちろん賢治もそのことは承知で、ただ文字と音の印象から、ここでは「鋼玉」を使いたかったのでしょう。

なお、上記の2か所以外で探すと、水晶の数珠」という表現が出てきますが、これは天上世界の超現実的な美を表現しているわけではなくて、現実世界にも存在するモノなので、ちょっと性格が違うかもしれません。

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結局、作品中に宝石として登場するのは、サファイヤ、トパーズ、水晶の3種類のみです。時計屋の店先には色々な宝石が並んでいたはずですが、ジョバンニに深く印象されたものとして、この3種の宝石は外せないところです。

そして、この3種をメインに、銀河鉄道の世界のイメージを喚起する存在として、比喩的に登場した他の宝石も取り混ぜて、これらを青いガラス盤に乗せてぐるぐる回してやれば、一応所期の目的は達成されたことになります。

ただ、それを実現するには相当な資金力が必要で、私にはそれが欠けています。
万やむを得ず、ここでは若き日の賢治さんの情熱に応えて、合成宝石を用意してみました。これならばぐっと経済的です。


ベルヌイ法や熱水法で作られた人工結晶の美。




サファイヤ、ルビー、トパーズ、エメラルド、そして金剛石を欺くジルコニア。あとは月長石とか水晶とか、これらは宝石というよりも「貴石」のたぐいかもしれませんが、そんなものを散りばめたら、まずは上出来。


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さて、以上はある意味「公式見解」です。
作品に出てくる宝石のターンテーブルとして、私は現時点では上のようなものを思い浮かべますが、実は最初にこの文を読んだときには、まったく別のものを想像していました。それはオーラリーです。

青いガラスの上を、色とりどりの宝石でできた惑星がすべるように回るオーラリー。このイメージは今でも個人的に気に入っていて、時計屋の店先を再現するとしたら、むしろこの案を採用するかもしれません。

何といっても、そうすれば星関連のアイテムで場面に統一感が生まれますし、それにオーラリーの製作は、歴史的に時計職人の領分でしたから。

話を妙に引っ張りますが、これについてもう少し書いてみます。

(この項つづく)

ジョバンニが見た世界「時計屋編」(7)…宝石を乗せて回る硝子盤(第2夜)2011年11月30日 21時13分20秒

賢治が宝石屋になりたいと考えたのは、大正7年(1918)の暮れから翌年にかけてのことです。彼はこの時22歳で、盛岡高等農林(現・岩手大学農学部)を卒業し、さらに研究生という身分で学生生活を続けていました。

この年の12月、東京で学ぶ妹・トシが病で倒れ、賢治は祖母とそもに、その看病のために上京します。このときの東京生活は、大正8年(1919)3月に、トシが退院するまで続きましたが、学校卒業後の進路選択で煩悶していた賢治にとって、東京で見聞きしたものは心を大いに揺さぶったらしく、その中で浮上したのが「人造宝石の製造販売業の立ち上げ」という、ちょっと怪しげな計画でした。

この件について、板谷栄城氏の『宮澤賢治 宝石の図誌』(平凡社、1994)から、孫引きと受け売りをさせていただきます。

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師走の街をブラブラする賢治の目を捉えたのは、神田小川町にあった水晶堂と金石舎の2軒でした(今も水晶堂ビル、金石舎ビルとして残っています)。
これらの店は、宝石や貴石の原石の販売・卸を手がける原石屋でしたが、賢治はここで「石を売る」というアイデアに魅了され、岩手産の蛋白石や瑪瑙をこれらの店に卸したら、商売として十分成り立つのではないかと夢想します(賢治自身は真剣で、郷里の父に石の手配を依頼する手紙を書いています)。

(金石舎の鉱物標本セットのラベル。昭和10年代?)

(同セット中で唯一岩手県産の標本。仙人鉱山の雲母鉄鉱)

(蛋白石は福島県・宝坂産)

さらにこのアイデアは、本格的な宝石商への夢として発展していきます。

大正8年1月に父親に宛てた手紙では、

「色々鉱物合成の事を調べ候処 殆んど工場と云ふものなく 実験室といふ大さにて仕事には充分なる事、設備は電気炉一箇位のものにて 別段の資本を要せぬこと、東京には場所は元より 場末にても間口一間半位の宝石の小店たくさんにありて いづれにせよ商売の立たぬ事はなきこと」

云々と、父親を説得するため、盛んに弁を振るっています。

その後も、賢治は頻々と手紙を書き送って、父親を口説きます。

「私の目的とする仕事は宝石の人造に御座候。〔…〕私は之を研究実験し営利的にも製造する様に相成度と存じ候。」
「人造の宝石を人造の名に於て(模造には非ず)売るもの故 同義上決して疾しからざるのみか 宝石の人造は有名の化学者も多く研究し、〔…〕鉱物の合成は実用的にも大なる意義あるものに候。」

そして商売としては一層手広く、「飾石宝石原鉱買入及探究」、「飾石宝石研磨小器具製造」、「金属部を買入れてネクタイピン、カフスボタン、髪飾等の製造」、「鍍金」、「飾石宝石改造」を手掛けたいと大風呂敷を広げます。
(繰り返しますが、賢治自身は真剣でした。ちなみに最後の「宝石改造」というのは、「黄水晶を黒水晶より造る。瑪瑙に縞を入る。真珠の光りを失へるを発せしむ、下等琥珀を良品に変ず」といった「まがい仕事」で、いささか賢治らしくないものです。)

結局、賢治のこの思いつきは父親の容れるところとならず、彼はしょんぼり花巻に帰ってきたのですが、私には、宝石屋の店先に憧れの視線を向けた若き日の賢治と、時計屋をじっとのぞき込むジョバンニの姿とが、ダブって感じられます。

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ところで「モノ」のレベルに返って、ここに並んでいる宝石の種類は何でしょう?
文中には何も書かれていませんが、それを解く手がかりが「夢仮説」です。つまり、「銀河鉄道の旅は、ジョバンニが見た一場の夢であり、そこに展開する光景は、彼が現実世界で経験したことの変形である」という考え方。

銀河鉄道そのものが、カンパネルラの家で遊んだアルコールで走るおもちゃの汽車のメタモルフォシスであることは、言うまでもありません(←ちょっと強引)。また車中で手にした「黒曜石でできた銀河の地図」が、時計屋の店先に飾ってあった黒い星座早見盤の変形であろうことも既に述べました(http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/11/04/6187712)。

この夢仮説に従えば、銀河の旅に登場する宝石が、すなわち時計屋に飾られていた宝石だということになります(少なくともその一部は)。
そういう目で見ると、たしかに銀河旅行の記述には、たくさんの宝石が出てきます。

(長くなるので、ここで一息入れます。)