三葉虫を懐かしむ2021年11月28日 15時54分52秒

昨日のオレノイデス社のロゴを見ながら、三葉虫のことを思い出していました。


三葉虫はその形態の多様性から、世界中にコレクターが多いと聞きます。
私ももちろん気にはなりましたが、集め出すとキリがないのを悟って、いわゆる「沼」に陥ることはありませんでした。それでも当時――というのは15年か20年ぐらい前、ゼロ年代のことです――の品が入っている引き出しを開けると、その頃の記憶や、さらに遠い理科室の思い出がよみがえってきます。


初期の小さくて単純な形状から適応放散により多様な形態へと分化し、中には驚くほど巨大な種も出現した三葉虫の仲間たち。



古生代に栄えた三葉虫は、私の個人史を1000万倍ぐらい引き延ばしたタイムスケールの存在なので、「三葉虫の化石を見て懐かしむ」なんて、考えてみればおこがましい話かもしれません。三葉虫に言わせれば、「お前さんなんかが懐かしむのは、1億年早い」といったところでしょう。

それでも、やっぱり三葉虫は懐かしいです。
何しろ、私だって10億年の生命進化の歴史を母胎内で経験しているし、生まれ落ちてからだって、三葉虫の1個体にくらべれば、優にその1000万倍を超える記憶を有しているはずだから、懐かしむ資格はあるぞ…と、三葉虫に理解を求めたいところです。

昔の鉱物趣味の七つ道具(後編)2021年04月14日 05時28分47秒

(前回の続き)

(画像再掲)

この27cm幅の木箱をパカッと開けると、


各種の器具と試薬がきっちり収まっています。


蓋の裏に貼られたラベル。この吹管分析セットは、イングランド西部・トルーローの町で営業していた「J.T. Letcher」という科学機器メーカーが、19世紀後半(1880年頃)に売り出したものです。

ラベル中央には、"SOCIETY OF ARTS. SUPERIOR BLOWPIPE SET WITH EXTRA APPARATUS"と麗々しく書かれており、「ソサエティ・オブ・アーツ監修・特上吹管セット。付属装備一式付き」といった意味合いでしょう。

「Society of arts」というのは、「Royal Society of Arts」のこと。
この「アーツ」は芸術に限らず、広く専門技術の意味で、「王立技芸協会」と訳されます。現在は対貧困やSDGsといった、社会改良運動に力点を置いているようですが、19世紀には科学教育の普及にも熱心で、リーズナブルな価格の顕微鏡のコンテストを開いたりしていましたから、この吹管セットも同じ文脈で考案されたのだと想像します。


こう見ると完品ぽいですが、この下段にもいろいろ備品を収納するスペースがあって、そちらが何点か欠失しています(だから私にも買えました)。

(右端はアルコールランプ)

内容のいちいちについては、私自身よく分かってないので立ち入りませんが、セットの主役である吹管がこちら↓になります。


ラッパだったら、この反対側に口を付けてプーと吹くわけですが、気流を集中させたい吹管の場合、それでは役に立ちません。吹管はこの「ラッパ」に口を付けて息を吹きます。


これが吹管の全体。「ラッパ」の反対側、L字型に横に突き出た尖端から空気が噴出します。


試薬一式の入ったトレーを取り外すと、その下にガラス管や小さな管ビンが収まっています。またその脇に真鍮製の円筒缶が見えますが、その中身は木炭です。そこに試料を入れたり載せたりして、吹管の炎で強く熱し、試料の変化を観察するわけです。

   ★

鉱物趣味とは、言うまでもなく鉱物を愛でること。
でも鉱物に限らず、趣味人は同じ趣味の人とつながり、互いに経験を分かち合うことことで、一層趣味に味わいが出るように思います。

そして、そうした人とのつながりは、ときに時代をも超えます。こういう古い品を前にすると、異なる時代を生きた鉱物趣味人の肉声が聞こえてくるような気がします。

朋あり遠い過去より来たる、また楽しからずや。

昔の鉱物趣味の七つ道具(中編)2021年04月12日 09時46分21秒

吹管、すいかん。

「すいかん」と言いますが、「吸う」のではなく、「吹く」のです。英語で言うと「blowpipe」。この名称は、吹き矢の意味もあるし、ガラス職人が溶けたガラスに息を吹き込むときに使う長い筒の意味でも使われます。

それが鉱物の同定とどう関係するかと言えば、その実際を見ていただくのが早いです。


■Centennial Blowpipe Demonstration
 (Smithsonian's National Museum of Natural History)

リンク先では、オイルランプの炎に吹管で息を吹き込んで、さらに高温の炎を作り、それによって木炭に載せた粉末試料を加熱し、その反応や生成物を確認しています。

ウィキペディアの「吹管分析」の項(LINK)は三省堂の『化学小事典』を引いて、以下のように述べていますが、動画と説明を見比べると、そこで行われていることが、何となくわかってきます。

 「鉱物や合金などの金属成分を検出する古典的な分析法の一つ。固体の試料粉末を四角柱に削った木炭の中心に開けた穴に詰め酸化炎や還元炎などの吹管炎を吹き付け、その変色や溶融状態、化学変化を観察し成分を判定する。なお、現在は他の分析法の発達に伴い使われる頻度は少なくなっている。」

もう少しやわらかく解説したものとして、以下のページを拝見しました。(「天文古玩」もいい加減<老舗化>していますが、こちらの個人サイトは1999年から続く老舗で、しかも今も更新が続いており、本当にすごいなと思います。理科趣味界の鉄人ですね。)

■鉱物たちの庭:ひま話(2002.1.24)

   ★

今は流行らなくなった吹管分析ですが、かつてはプロ・アマを問わず、盛んにおこなわれました。


手元に、岩崎重三(著)『実用 鉱物岩石鑑定吹管分析及地質表』(内田老鶴圃刊)という本があるんですが、初版は明治30年(1997)に出ており、手元にあるのは大正6年(1917)発行の第7版ですから、少なくとも20年にわたって息長く版を重ねていたことが分かります。


言ってみれば試料に炎を当てるだけの分析法ですが、実際にやってみるとなかなか奥が深くて、炎色反応を見たり、ガラス管や木炭上に生じる生成物をさらに分析したり、溶球試験(ホウ砂球試験やリン塩球試験)によって金属の呈色反応を見たりして、徐々に鉱物の正体に迫っていきます。



   ★

そうした吹管分析を自宅でも手軽にできるよう、19世紀には吹管分析セットが盛んに販売されました。それが今や「鉱物古玩」として、欧米の理系アンティークの店先を飾っています。

(かつてオークションに出ていたドイツ製の吹管分析セット。

これは素敵だ…というわけで、私も苦労してひとつ手に入れました。


話が長くなったので、肝心の中身については次回に回します。

(この項つづく)

昔の鉱物趣味の七つ道具(前編)2021年04月11日 09時15分57秒

先月、鉱物趣味のアイコンは「ハンマー、つるはし、スコップ」だという記事を書きました(LINK)。 かつての鉱物趣味は、半ばアウトドアで営まれるものであり、標本は「店で買うもの」というより、もっぱら「自採するもの」だったからです。

今日はその話の続きです。

古今の鉱物趣味の違いは、それだけにとどまりません。
自分で採ってきた鉱物は、自らその正体を突き止めねば、相手の素性は永遠に謎のままです。つまり同定と分類という作業が、かつては必然的に伴ったことも、両者の大きな違いです。(かく言う私にしても、売り手が付けてくれた標本ラベルがなかったら、産地はおろか鉱物種そのものも怪しいので、その部分だけ取り出せば、立派な新派です。)

   ★

同定作業が必要であり、またそれが楽しみでもある…というのは、昆虫採集や植物採集も同じでしょうが、鉱物の場合、昆虫や植物とちょっと違う点があります。それは鉱物標本の場合、「絵合わせ」で正体を突き止めることができないこと。

昆虫や植物も深みにはまっていくと、器官を解剖したり、顕微鏡で強拡大したりして、ようやく種のレベルまで同定できるケースが多いと思いますが、そこまで厳密さを求めなければ、図鑑好きの少年なら、昆虫や植物の姿かたちを見ただけで、相当いい線までいけるはずです。

しかし、鉱物の場合は、そもそも「個体」という概念がなくて、その姿形や大きさが不定だし、同じ鉱物種でも見た目が違うとか、あるいは違う鉱物種でも見た目がそっくりという例がたくさんあって、こうなるとさしもの図鑑少年もお手上げです。

   ★

前口上が長くなりましたが、上のような事情を踏まえて、昔の鉱物趣味の徒の三種の神器が「ハンマー、つるはし、スコップ」だとすれば、彼らの七つ道具といえるのが、鉱物を同定するための道具類です。

たとえば、結晶面の「面角」を測る接触測角器」とか、


おなじみのモース硬度計」とか。

(ナイフややすり、条痕板もセットになっています。ドイツのクランツ商会製)

これらは実用の具というより、理科室趣味を満足させるために買ったので、はっきりいって1回も使ったことがありません。(そういう品が私の部屋にはたくさんあります。使わない補虫網とか、胴乱とか、プランクトンネットとか。まあ、大業物に目を細める刀剣愛好家みたいなもので、あれも「実用」に供するものではありません。)

そんなわけで、私の鉱物趣味は一向に進歩しませんが、こうした測角器や硬度計は曲がりなりにも現役の品で、教育現場では今も使われていますから、新派の鉱物趣味の人にもなじみがあるでしょう。

しかし、これぞ旧派という道具があります。
それがかつて盛んに使われた、吹管(すいかん)分析器」です。
その表情を次に見てみます。

(この項つづく)

鉱物趣味のアイコンとは2021年03月24日 06時54分34秒

河の流れは常に一方向ですが、仔細に見れば早瀬もあり、淀みもあり、中には渦を巻いて、全体の流れとは逆行する動きも生じます。
常に動き行く世界の片隅で、生活の糧を得るために今も呻吟していますが、河が全体としてどちらに向かって流れているのか、それを見失わないようにしたいものです。

…とひとりごちたところで、暢気な話のつづきです。

 ★

「昆虫好きな人」といっても実態は多様でしょう。
でも、依然として最もポピュラーなのは、「昆虫採集趣味の人」じゃないでしょうか。つまり、自ら野山で網を振るって、せっせと標本をこしらえる人。最近だと、捕虫網をカメラに持ち替えて、昆虫写真のコレクションに励む人も多いかもしれません。その場合も、虫たちの住む場所まで出かけて、その場の空気を肌で感じながら…という点は同じです。要するに「現場派」ですね。

昆虫標本のコレクションを形成するには、自分で採集する以外に、よその土地の同趣味の人と標本を交換したり、専門の業者から購入することも実際多いのでしょうが、依然として「捕虫網と毒びんと三角紙が昆虫趣味のアイコンだ」というのが、当事者を含む多くの人の共通理解じゃないでしょうか。

   ★、

そんなことを持ち出したのは、鉱物趣味の立ち位置を考えたかったからです。

鉱物趣味の場合も、過去のある時期、たぶん昭和の頃までは、「自採」という活動が非常に大きなウェイトを占めていたと思います。しかし、現在、「趣味は鉱物集めです」と聞いて、リュックをしょって山に分け入る姿をイメージすることは、ほとんどありません。

もちろん、自由に動き回る昆虫と、地面にひっついている岩石や鉱物とでは、採集にあたってのハードルが異なる(=地上権や採石権が発生して、ややこしい)ので、ひとくくりにはできませんし、辺境の地に産する珍奇で美しい鉱物を入手しようと思ったら、業者からの購入に頼らざるを得ないのは当然です(後者の点は昆虫趣味も同じです)。

しかし、金銭と引き換えに手に入れた美しい鉱物を眺めながら、その産地のことを全く考えないとしたら、それはいささか寂しいことです。

そこに広がっているであろう景色、風の音、土の匂い、遠い山並みの稜線、そして鉱物の生態環境たる地質条件。そうしたものを思い浮かべつつ鉱物を手にしてこそ、大地(geo)の学問たる地質学(geology)の愛好者と称するに足るのではないか…と、地質学のことを何も知らない私が力説してもしょうがないんですが、そんなことを思います。(もっと言ってしまうと、新派の鉱物好きの人の視線が、宝石箱を覗く貴婦人のようになっているのが気になっています。)

   ★

上のような印象は、以前も文字にしました。

■「鉱石倶楽部」の会員章(後編)

その中で書いたように、昆虫趣味のアイコンが「捕虫網、毒びん、三角紙」ならば、「ハンマー、つるはし、スコップ」が、旧来の鉱物趣味の三種の神器。鉱物趣味に憧れる者として、私も象徴的にその神器を手にすることにしました。


ひとつはアメリカ生まれで、


もうひとつはオーストリア生まれです。


かつて正真のミネラロジストが手にし、あまたの岩肌に触れたであろう、古い鉱物採集用のハンマーとつるはし。自分がこれらを手にして山に行く可能性はゼロだし、全く意味のない買い物とえばそうなのですが、それを鉱物標本の傍らに置けば、石たちの声がより明瞭に聞こえてくるような気がします。

缶の中に眠る宝石2021年03月20日 07時37分37秒



昨日の標本セットには相棒がいます。


同じイギリスの業者が扱っていたものですが、こちらは「Rough Precious Stones」とラベルにあるように、貴石・半貴石のラフストーンを20種集めたもの。昨日の鉱物コレクションのラベルとは、筆跡が違って見えますが、筆記体とブロック体の違いもあるので、別筆と断ずることもできません。少なくとも木箱と中身のティン缶は全く同じで、以前の所有者も同じ(はず)です。


宝石というのはきらきらしてナンボでしょうが、ここに見られるのは、それとはずいぶん違った表情です。ここでは石そのものを愛でるというよりも、古びた金属缶、曇った板硝子、その奥に見えるザラザラした石の肌、そこに浮かぶ鮮やかな色彩…それらが一体となって醸し出す風情を愛でたい気がします。


元の所有者も、きっとこの「きっちり感」をいとおしく感じたのでしょうね。

鉱物趣味の大きな要素に「結晶の美」というのがあります。
明快で幾何学的な形象の面白さ。原子と分子のロジックが生み出す構造美。
箱の中にきっちり収まった円環の行列が放つ魅力は、ちょっとそれに似ている気がします。

鉱物古玩…缶入り鉱物標本セット2021年03月19日 19時20分52秒

年度替わりの時期、面倒な仕事の山を片づけながら、「これもプチ終活みたいなものか…」とひとりごちています。ただ、実際の終活とはちがって、こちらはやり残しが許されないムードがあるので、いっそう人生に倦み疲れた気分になっています。

   ★

さて、いつもの机の上にポンと置いた木箱。


大きさは15.5×19cm、高さは4cmほどですから、そう大きなものではありません。新書版よりは大きい、ほぼ選書サイズ(四六版)です。


蓋をぱかっと開けると、中には鉱物標本が20種、円筒形の容器に入って、きっちり収まっています。


中身とラベルをじっくり照合したことがないので、正体不明の点もありますが、ラベルのほうは19種の鉱物名が挙がっているので、どれか1個重複しているようです。

(ガラスの反射を避けて、正面から見たところ)

それにしても、この風情はどうでしょう。
まず、このきっちり感がいいですね。そして「マホガニーケースに入った19世紀の鉱物標本セット」という存在自体が、主役であるはずの鉱物以上に魅力を放っています。こういう鑑賞態度は、純粋な「鉱物趣味」とも言い難く、いわば「鉱物古玩趣味」でしょうか。

   ★


この標本セットに関して、もう1つ強い興味を覚えたのは、この収納容器。
鉱物コレクターの中には、小さなガラス蓋のついたアルミケースを標本入れにしている方もいらっしゃるでしょう。100均とかだと、「ティンケース」の名称で売られています。

(ネットショップで見かけたティンケース。 出典:https://store.shopping.yahoo.co.jp/biwadaya/6ari15-5.html#

あれは小さな標本の整理にはなかなか便利なものですが、ただ、古い標本は紙箱入りというイメージがあるので、ティンケースの使用は何となく新しい習慣のように思っていました。でも、実際にこういう例があるので、その使用は少なくとも19世紀の末に遡ることになります。


ティンケースは今ではアルミ製ですが、本来は文字通り「ティン(tin)」、すなわち錫ないしブリキ製だったのでしょう。この標本に使われているのがまさにそれです。
当初は白銀の輝きとガラスの透明感にあふれていたものが、100年以上の歳月を経て、すっかりアンティークの表情となり、鉱物古玩趣味に強く訴えかけてきます。

地震禍、津波禍2021年02月14日 15時52分53秒

コロナ禍の日本をまた地震が襲いました。まさに泣き顔を狙って刺す蜂のようです。
直接被害に遭われた方々に、改めてお見舞いを申し上げます。どうか平穏な日々が早く戻りますように。

   ★

ここで、ゆくりなく10年前を思い出します。
あのときは最大震度7を記録した地点もありましたが、東北地方の多くの市町を襲ったのは最大震度6強の揺れで、今回の地震と同じでした。

地震の揺れで山が崩れ、家屋が倒れ、ライフラインが途絶え…というのも深刻な出来事です。でも、もし10年前のあの日、東北を襲ったのが「地面の揺れ」だけだったら…。もし津波さえなかったら…。もしそうだったら、三陸があれほどの悲劇に見舞われることはなかったし、原発事故もありませんでした。東日本大震災の惨禍は、「地震被害」というよりも、むしろ「津波被害」と呼んだ方が適切なのではありますまいか。

夕べの地震で津波が来なかったのは、あえて不幸中の幸いと言うべきでしょう。(地震を「幸い」というと語弊がありますが、英語でいえばconsolation(慰藉)、不運の中に見出されるわずかな慰めです。あるいは、地震に加えて津波も襲った世界を考えれば、津波のない世界線を歩んだ我々は、まだ幸いだったとも言えます。)

(1908年12月28日、シチリア島のメッシーナを地震と津波が遅い、町は壊滅状態となりました。頑丈な石造りの建物も、地震と津波の前にはまったくなすすべがありませんでした。当時の絵葉書より)

   ★

ときに、地表の津波の恐ろしさもさることながら、地球そのものも、過去に宇宙規模の津波の洗礼を受けたらしいことを、さっき知りました。

それが「近地球超新星(Near-Earth supernova)」という概念で、以下はウィキペディアの受け売りです(LINK)。

それによると、地球近傍で超新星爆発が起こると、その揺れ(重力波)が地球に及ぶだけでなく、大量のガンマ線が潮のごとく押し寄せ、生物の大量絶滅を引き起こす恐れがあるのだとか。現に、4億年前に起きたオルドビス紀の大量絶滅の原因はそれだとする研究者もいる由。

…というふうに話を大きくすると、地震に対する恐怖も多少は相対化されるのではと思いつつ、ちっぽけな人間にとっては、やっぱり地震も津波も恐ろしいものです。

100年前の原始世界2021年02月11日 20時39分08秒

これもついでと言えばついでですが、前回の星図と同じ意図のもと作られた、テオドール・ライハルト・ココア社の別シリーズのカードを見てみます。

(巨大な肢骨を手に、感慨にふける古生物学者)

■Kakao-Compagnie Theodor Reichardt(編)
 『Tiere der Urwelt in 30 Kunstblättern nach wissenschaftliche 
 Material bearbeitet.』
 (科学的資料に基づく全30枚の美しい図版で見る原始世界の動物たち)
 刊年なし(1900年頃)、多色石版画 全30枚

これまた上の写真に写っているのはポートフォリオで、この中に30枚の図版カードがはさまっています。


静かにまたたく星座よりも、太古の動物は一層子供たちの心を捉えたのでしょう。
この動物セットは、その後すぐに続集が出ました。

その辺の書誌がいくぶん複雑なのですが、まず手元にあるのは、1900年ごろに出た同シリーズの第1集です。その後、あまり間をおかず、同じポートフォリオ・デザインで第2集が出て、全60枚のセットになりました。

その後、1910年代になってからだと思うのですが、上記60枚に新たに30枚を加えた全90枚を、図版の順序等を入れ替えて、新たに全3集に編集しなおした新シリーズが出ました。こちらはポートフォリオ・デザインが翼竜の表紙絵に変わっています。

(全3集からなる新シリーズ。ネット上で拾った画像です)

   ★

さて、実際の図版をさらに見に行きます。


原始世界の動物…というと、恐竜が思い浮かびますが、その前に新生代の哺乳類もいろいろ登場します。編集の方針としては、あたかも地表から化石を掘り進めるように、新しい時代から古い時代へと、時間をさかのぼるように図版が配列されているようです。


カラフルな多色石版は、目で見て愉しいのですが、100年後の目で見ると、どれも微妙に変な感じがします。


その「変な感じ」の大きな要素は、もちろん化石骨から生体を復元する、学的水準の変化でしょう。ステゴサウルスの姿もその例にもれません。

(犬塚則久(著)『恐竜復元』、岩波書店、1997より)

上の本も、今となってはちょっと古いかもしれませんが、左上のマーシュによる1891年の復元図と、右下の1990年代の復元図とを比べれば、頭部から尻尾まで大きく逆U字を描いた「昔のステゴサウルス」と、頭をぐっと反らし、尻尾もピンと持ち上げた「今風のステゴサウルス」の違いに目を見張ります。この動物シリーズに出てくるステゴサウルスは、もちろん「昔のステゴサウルス」です。(実のところ、私の中のステゴサウルスも、こちらに近いです。)


このイクチオサウルスも、いかにも変です。今だと完全にイルカ化した姿で描かれますが、当時はそこに「恐竜っぽさ」を加味しないと、何だか落ち着かなかったのでしょう。

   ★

ただ、ここに漂う「変な感じ」は、どうもそれだけではなさそうです。
最初は分かりませんでしたが、しばらく考えたら、その理由が分かりました。




そう、動物たちがやたらと同種で、あるいは異種で、戦っているのです。
100年前の人々にとって、原始の世界は「絶えざる闘争の世界」とイメージされており、そこらじゅうで阿鼻叫喚が上がっていた…と考えていた節があります。

そこには現実の帝国主義的な植民地獲得競争と、社会的ダーウィニズムの流行が、当然影を落としているのでしょう。

   ★

それと、もう一つ「変な感じ」の理由を挙げることができます。


岩礁に上がり、沈む夕日をじっと見つめる古生代の甲冑魚。
甲冑魚がこんなふうに陸に上がったのかどうか、そこも不審ですが、それよりも気になるのは、この図に典型的に見られる「不自然な擬人化」です。これまた100年前の博物学には、たっぷりあった成分だと思います。

   ★

原始世界のタイムスケールに比べて、100年という時間はいかにも短いです。
それでも結構な勢いで、原始世界のイメージは上書きされ続けています。それは取りも直さず人間世界の変化の速さの反映でしょう。

ただ、今日の記事は何となく現代の目線で、100年前の世界を指弾する調子で書いていますが、擬人化傾向ひとつとっても、本当に現代は100年前よりも「正しい」対象の捉え方に近づいているのか…というと、何だか心もとないところもあります(だからこそ「新型コロナとの戦い」みたいな言い方が好まれるのでしょう)。

白と黒2021年01月30日 08時25分10秒

昨日は午後から雪。それも一時は、かなりはげしく降りました。

強い横風が吹き付けると、雪はいっせいにサーッと流れ、ビルの上からは、まるで街全体が白濁した川の流れに揉まれているようです。そして、その白い流れの中に、真っ黒いものがこれまた無数に舞い飛び、なんだか只ならぬ状景でした。

その黒いものの正体はカラス。カラスたちも突然の雪に興奮し、狂喜しているように見えましたが、実際カラスは賢いので、彼らなりに「雪遊び」を楽しむ感覚だったのでしょう。

白と黒が入り乱れる、その不思議な光景を、「何だか花崗岩みたいだな…」と思いながら見ていました。

(花崗岩の岩石標本)

緻密な岩石と、風に揺らめく雪景色は、当然まったく違います。
でも、地殻の深部からフワフワと浮かび上がり、地上に顔を出すと、やがてサラサラと風化して、純白の石英砂を残す花崗岩と、湿った雲がまき散らす雪の結晶には、いくぶん似たところもあります。いや、もし黒く光るカラスも、雪雲から生まれるのだとしたら、むしろそっくりだと言えるかもしれません。

(上の標本ラベル)