海洋気象台、地震に立ち向かう(その3)2017年09月03日 07時32分27秒

くだくだしいことは省き、以下、報告書に付属する多数の図表のうちのいくつかを転載し、彼らの熱気の一端を味わってみます。


いろいろな考察の出発点となる、関東周辺の地質概略図
時代の古いものから並べると、茶色は安山岩層、黄色は第三紀層、黄緑は洪積層、そして白は沖積層です。大雑把に言えば、古いものほどガッシリした地盤ということになります。


そこに被災状況を重ねてみます。
赤い矢印は、最大震動時の揺れの方向、赤く囲まれた地域は、家屋の倒壊が全体の半数以上に及んだ地域です。


震度の詳細分布。色の濃いところほど揺れが大きかった地域です。
相模湾に描かれた赤い楕円は、本震の震源域を示し、灰青のドットは余震の震源地です。

現代と同様、大正時代の地震学者も、こんなふうに得られる限りのデータを縦にしたり、横にしたり、その分析に心血を注いだのでした。

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著者の須田は、さらに地震の成因論についても筆を進め、それを主要な(principal)要因と、副次的・偶発的な(occasional)要因に分けて論じています。

前者については、地下での歪みの段階的蓄積と、それが相対的に弱い部位で解放されるという、地震の基礎的な理解に関わるもので、最初に掲げた地質図を議論の足掛かりとしています。

後者は、地震の直接的な「引き金」となる要因に関する所論で、地磁気や他の天体の影響、あるいは潮位や気圧の変化に言及していますが、いかにも気象台らしく、特に最後の2つ、すなわち潮位変化気圧変化については、データを元に詳しい検討を加えています。(天体の影響が気になりますが、それについては、同時代の寺田寅彦が太陽活動と地震の関係について論じている事実に触れている程度です。)

(地震発生前後の気圧変化の詳細。8月31日~9月2日)

(地震発生後の気圧推移。9月1日~9月30日)

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前回も述べたように、気象台員の活動は机上の作業にとどまらず、本報告の筆者・須田皖次ら3名の台員は、直接被災地入りして、データの収集に努めました。この報告には、そのときの写真も多く収められています。これまた一例にすぎませんが、そのいくつかを挙げてみます。

彼らは悲惨な状況に驚きつつ、冷静に観察を続けました。


その視線は、碑石の倒壊方向や、巨大な地割れの走向、


線路の屈曲に向けられ、さらには鉄橋橋脚の破断面のような微妙な点も見逃しませんでした。


そして、いかにも専門家だな…と頷かれるのは、「何もなかったもの」に注目していることです。すなわち、甚大な被害の出た地域にあって被害を免れた建物は、なぜ被害を免れたのか?という視点です。上の写真は、頑丈な砂岩の上に直接建てられた民家や、伝統的な多宝塔建築が、ほとんど無傷であることに注意を向けています。

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陸の都・東京の危機に駆けつけた、海の都・神戸の研究者たち。
関東大震災については、既に多くのことが語られていると思いますが、それらに付け加えるべく、彼らの活躍の一端を見てみました。



【付記】

関連する話題として、かつて3.11直後に、以下のような記事を書きました。
震災復興の一環として、東京・横浜全域の地質調査を徹底的に行った、地質学者集団の活躍を紹介する内容です。

■帝都復興土竜隊(ていとふっこうどりゅうたい)

海洋気象台、地震に立ち向かう(その2)2017年09月02日 15時19分55秒

(昨日のつづき)


手元にある論文集は、

■ 『海洋気象台欧文報告(The Memoirs of the Imperial Marine Observatory, Kobe, Japan)』 第1巻第1号(1922年6月)~第4号(1924年8月)

をまとめて製本したものです。元はアメリカのスミソニアン協会の蔵書でしたが、除籍されて市場に出たものが、回り回ってこうして日本に里帰りしました。

問題の関東大震災に関する報告は、第1巻第4号をまるまる当てており、これだけで第1号~第3号を合わせたよりも分厚くなっています。(第1巻の約3分の2近くを、第4号が占める格好です。)

その報告の正式な題名は以下のとおり。

■K. Suda:  On the Great Japansese Earthquake of September 1st, 1923.
 (須田皖次、『1923年9月1日の日本大震災について』)

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さて、東京では昨日の記事のような塩梅でしたが、神戸では「その時」どうであったか。
須田の報文には、以下のように書かれています(拙訳)。

 「神戸では、弱い衝撃が1923年9月1日のほぼ正午に感じられた。上から吊り下った電灯がゆっくり揺れ、地震計は大きな、だがゆっくりとした大地のうねりを記録した。大森式水平振子の目盛りは、地震発生後2、3秒のうちに振り切れたため、その震動記録からは、発震の事実と、当気象台が最初に動いた方向を読み取ることができるのみだった。これは、これらの振子に制動装置がなかったことに起因している。磁気式制度装置を備えた大森式震動計およびヴィーヘルト式地震計は、大地の震動を忠実に記録したものの、限界を超える震動の端末において、やはり装置の描針が振り切れてしまった。」

東日本大震災のとき、震源から遠い地方の人も、何か尋常でない「ゆっくりとした大地のうねり」を感じて、たいへんなことが起きたのを直感した人が少なくないと思います。きっと94年前も同じような感じだったのでしょう。その際の地震計の記録が、昨日の記事に載せた図です。

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この後、まずやらねばならないのは、正確なデータの集積です。


報文には、台北、那覇、名瀬、鹿児島…から始まって、帯広、根室、大泊、釜山、仁川、大連に至るまで、当時、日本の版図だった内外56か所の観測拠点のデータが集約されて、一覧表になっています。(肝心の東京や横浜のデータが欠けているのが、被害の大きさを感じさせます。)

明治~大正の60年間弱で、とにもかくにも、これだけの観測網を築いた…というのはすごいことです。

表には地震の相(phase、地震の波形分類)と、到達時刻(世界標準時)が書かれており、相についてはP、L、Mというのが書かれています。

地震といえば、P波とS波を連想しますが、表中のPはP波に同じもの。いっぽうS波は、P波とともに「前走波」に分類されるので、ここでは特に区別されていないのでしょう。そして、L波「主要動の長波」M波「主要動の極大動」を意味します。「カタカタカタ…」の前走波に続く、「ガタガタガタ」「グラグラグラ」の部分です。

(下関や大分のようにP波とS波を、分けて読み取っている地点もあります)

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これらのデータを集約して、1枚の図にすると、震源と第一波の進行状況が、明瞭に浮かび上がります。


黒い矢印は、各地点における地面の初動方向、赤い曲線は、地震波が到達した等時線、そして各地のデータに基づく推定震源域のライン(黒線)が最も濃密に交わる相模湾こそ、真の震源であることを、結果は示しています。
この海底で発生した地震波は、片や北東へ、片や南西へと進み、2分あまりで列島全体に到達したのでした。


こちらは、全国の震度分布図
I(無感覚)~V(烈震)の5段階で表示されています。伊豆半島までがすっぽり最大のV、さらにⅣの範囲が広く名古屋、福井まで伸びているのが目を引きます。

なお、この5段階法ですが、和達清夫の『地震学』(昭和4、1929)では、我が国独自の「気象台震度」として、「0(無感覚)、Ⅰ(微震)…Ⅴ(強震)、Ⅵ(烈震)」の7段階法を挙げており、当時はまだ震度階級が浮動的かつ暫定的だったように思います。

ちなみに地震そのものの大きさをエネルギー量で示す「マグニチュード」の考え方は、1935年にチャールズ・リヒターという人が考案したそうで、こちらも当時はまだ未確立でした。

(記事が長くなるので、ここで記事を割ります。次回につづく)

海洋気象台、地震に立ち向かう2017年09月01日 16時29分38秒

大正12年(1923)9月1日、午前11時58分。
94年前の今日、相模湾を震源とする巨大地震の発生で、東京と横浜を中心に甚大な被害が出ました。いわゆる関東大震災です。

あの地震を経験したのは、私の身内でいうと祖父と曾祖父の世代の人たちで、私は幼いころに祖父から、「あのときはまるでコンニャクの上を歩いているようだった」と、事あるごとに聞かされたため、今でもコンニャクを見ると地震を連想します。

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ときに、地震を科学する立場の中央気象台(現・気象庁)は、その瞬間どんな有り様だったか?当時その場で執務していた、地震学者・中村左衛門太郎(1891-1974)の証言があります。

(震災後の中央気象台。ウィキメディアコモンズより)

■『関東大震災調査報告 地震篇1』
 中央気象台編、大正13年(1924)発行
 国会図書館デジタルコレクション所収 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/984966

彼は当日、皇居の東側にあった中央気象台本館の階上にいました。
最初、南北方向の急激な振動が数秒続き、北向きに並べた戸棚が転倒。中村はあまりの揺れに歩くこともままならず、机に両手をついて立っているのがやっとでした。そして、いったん揺れが収まったものの、直後に東西方向の激しい揺れが襲ってきて、東向きの戸棚も次々に転倒。

この間、中村は外の様子を確認しようと窓に目をやりましたが、とにかく自分の身を守ることに精一杯で、「僅かに神保町附近に砂塵の立昇るを目撃したるに過ぎず、錦町河岸附近には目立ちたる家屋の倒壊するを見ざりき」。

たしかに揺れは凄かったのですが、窓外の町並は意外に持ちこたえていました。
中央気象台においても、「本館其他主要庁舎並に附属庁舎の被害は極めて軽微」でした。しかし、この震災の恐ろしさは、周知のごとくその後に続いた大火災で、「斯くの如く地震に因る被害は比較的軽微なりしが 次いで起れる火災にかゝりて 大部分焼失の悲運に陥りたるなり」…という結果になったのです。

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貴重な測器類も被害甚大でした。

当時の中央気象台あった、大森式微動計、普通地震計、ウィーヘルト地震計はいずも重錘の落下や転倒により大破。中村式簡単微動計や、最新式のガリッチン地震計は、大破を免れたものの、「何れも今回の地震に依って破損せられ 一時観測を中止するの止むを得ざるに至」ったのでした。

こうした状況の下、震災直後の東京で、中央気象台員たちがどんな苦労を重ね、地震のデータ解析に取り組んだかは、上の報告書に記載がないので分かりませんが、当然のことながら、かなり右往左往したことでしょう。

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そんな中、頼もしい助っ人が、地震発生直後から活動を始めていました。
震災の3年前、大正9年(1920)に業務を開始したばかりの神戸海洋気象台」(現・神戸地方気象台)の台員たちです。

(9月1日、午前11時59分27秒、東京に遅れること41秒後に神戸で感知した地震動。Wiechert地震計が記録した南北・東西方向の揺れは、神戸でもあっさりスケールアウトしており、その揺れの大きさを物語っています。)

神戸のスタッフは、全国の気象台・測候所の観測データを整約し、地震の全貌を明らかにするとともに、須田皖次(すだ かんじ、1892-1976)ほか2名の台員が現地入りして、地震の影響を実地に確認しました。

9月10日に沼津入りした彼らは、以後10月12日までのほぼ1ヶ月にわたって、御殿場、三島、熱海、小田原、箱根、厚木、藤沢、鎌倉、横浜、東京、大宮、熊谷、千葉、木更津、館山、鴨川、銚子…と、静岡、神奈川、東京、埼玉、千葉の各所を踏査しましたが、鉄道が寸断されていたため、その行程の多くは徒歩でした。未曽有の惨事を前に、いつも以上に奮い立った面はあるにせよ、その研究者としての熱意と執念に打たれます。


その須田が、震災の翌年、海洋気象台報として英文でまとめた論文が手元にあるので、その中身を少し見てみます。


(この項つづく)


「鉱石倶楽部」の会員章(後編)2017年08月13日 10時57分38秒

アメリカで血なまぐさい争乱が起きています。
アメリカに限らず、争乱の絶えたためしがない人間世界ではありますが、穢土を厭離し、浄土を欣求するのもまた人間です。逆説的に、だから争乱が絶えないのかもしれませが、そんな穢土の真ん中にあって、無言の鉱物に、深い救いを感じる人も少なくないでしょう。一種の「鉱物浄土」です。

   ★

さて、アメリカの鉱物クラブのバッジを眺める後編。
アメリカの鉱物趣味人のセルフイメージといえば、何と言ってもこれです。


ハンマー、つるはし、スコップの三種の神器。
アメリカの鉱物趣味人の特質は「自採」にあり、「鉱物趣味」と「鉱物採集趣味」はイコールで結べる…というのが、少なくともちょっと前までの共通認識でしょう。

もちろん、アメリカはミネラルショーの本場で、趣味人ともなれば、会場で珍品の品定めに余念がないでしょうし、逆に日本でも、昭和の鉱物愛好家は、こつこつ自採する人が多かったと思います。

しかし、現今の日本では「鉱物はお金を出して買うもの」という観念が一般化し、「一切自採しない鉱物ファン」が圧倒的に多い現況からすると、この「ハンマーとつるはしこそ、我らがアイデンティティ」という、アメリカの鉱物ファンの強烈な自負は、いささかまぶしく感じられるのではないでしょうか。


とにかくバッジに描かれた彼らは、掘って掘って掘りまくります。

(「フープ博士」の物語に登場しそうな、陽気な鉱物採集家)

彼らは山でも、


海でも、


絶えず鉱物探しに余念がありません。


上のバッジを見ると、そんな彼らのセルフイメージの背後には、ゴールドラッシュ時代の金採掘人のイメージもあることが伺われます。これは単なる言葉のアヤではなくて、実際、アメリカ西部には、今もそんな探鉱者の流れを汲む男たちがいて、「現代の金」たる希少な隕石や鉱物探しに余念がないことを、以前の記事で引用しました。

■火星来たる(3)

要するに、彼らの一部は「Mineralogist(鉱物学徒)」である以上に、「Miner(鉱夫、探鉱家)」気質の者たちであり、このことも日本の鉱物趣味人からすると――購入派はもちろん、自採派にとっても――少なからず肌合いが違って感じられる点でしょう。(確かに、日本にも「山師」の伝統はありますが、それが今の鉱物趣味に多少なりとも影響を及ぼしているのかどうか、寡聞にして聞いたことがありません。)

   ★

最後に、個人的にいちばん嬉しかったバッジ。


1979年、カリフォルニアのサクラメントで、ヒスイに特化したフェアがあったらしく、そのときに配られたバッジです。「碧い玉」のバッジは、まるで私のために誂えてくれたかのようで、今後外出するときは、これを常に胸に着けることにします…というのは嘘ですが、何かのアイコンとして使うかもしれません。

「鉱石倶楽部」の会員章(前編)2017年08月12日 16時08分25秒

あまり意味がないとは思いながら、つい集めてしまうものがあります。
例えば以前、鉱物クラブやミネラル・ショーのバッジ類を盛んに集めていました。


それは既に箱一杯で、これ以上増えることもないでしょうが、なぜ鉱物そのものではなく、バッジに執着したかといえば、それによって長野まゆみさんの『鉱石倶楽部』の世界に、ちょっとでも近づけるような気がしたからです。


「鉱石倶楽部」は、長野さんの鉱物エッセイのタイトルであり、また同氏の小説『天体議会』に登場する、博物標本・理化学器材を扱う店舗の名前でもあります。

もちろん、見も知らぬ鉱物クラブのバッジを胸に付けたからといって、「鉱石倶楽部」のドアを開けることはできませんが、少なくとも、現実世界に「鉱石倶楽部」を名乗る団体がある――しかも、あるところには山のようにある――ことを目の当たりにするだけでも、心を慰められる気がして、せっせとバッジ集めに興じたのでした。

   ★

手元にあるのは、そんなに古いものではなくて、1970年代以降の、主にアメリカの団体やイベントに関係するものです(ただし、団体の創設自体は、それ以前に遡るところが多いです)。

現実の「鉱石倶楽部」の名称は様々です。

たぶん、「宝石・鉱物協会 Gem & Mineral Society」というのが最も一般的で、他にも興味の主眼によって、「岩石クラブ Rock Club」もあれば、「宝飾クラブ Lapidary Club」もあり、「鉱物学徒 Mineralogist」の上品なグループがあるかと思えば、「ロックハウンド(「虫屋」や「星屋」と並ぶ「石屋」、岩石コレクターの意) Rockhound」を自称するマニア集団もある――といった具合です。

日本でも、ここ20年間で、鉱物趣味はすっかりポピュラーになりましたが(長野さんの功績も大きいです)、アメリカのそれは、歴史的にも、愛好家の層の厚みにおいても、やはり一日の長ありと言うべきでしょう。

ただ、こうした趣味の団体は、今や汎世界的に、会員の高齢化と新入会員の減少に悩んでいるらしく、アメリカの鉱物クラブも例外ではないと想像します(本当のところは、聞いたことがないので分かりません)。

となると、これらのバッジ類も、既になにがしか歴史の影を帯びつつあり、さらにそのデザインからは、「鉱物趣味の徒のセルフイメージ」が読み取れるので、たかがバッジとはいえ、鉱物趣味史を考える上で、なかなか貴重な資料と言えなくもない…という風に、これを書きながら思いました。

   ★

バッジの中で目につく一群として、当然のごとく結晶をデザインしたものがあります。


日本の我々が「鉱物クラブ」と聞いて真っ先にイメージするのも、こうした形象でしょう。


一方、ちょっと日本と違うかな?と思えるのは、鉱物趣味と宝石趣味の距離が近い(むしろ一体化している)ので、水晶の群晶的形態と並んで、ブリリアントカットを施したダイヤのようなイメージが、頻繁に登場することです。

そして、さらにアメリカ的と思えるのは…

(ここでちょっと勿体ぶって、後編に続く)

鉱物博覧会2017年08月11日 09時25分47秒

今年も、“鉱石(イシ)を見ながら酒をのむ”、あの「鉱物Bar」の季節がやってきました。DMを拝見し、今回は記念すべき第10回であることに、少なからず感慨を覚えます。


■鉱物Bar vol.10 「 鉱物博覧会 」
 “鉱物好きに贈る、鉱物のための祭典” (イベント紹介ページより)

○会期 2017年8月11日(金)~8月20日(日) <会期中は月・火休>
      15:00~21:00(8月19、20日は20:00閉廊)
○会場 GALLERY みずのそら
      東京都杉並区西荻北5-25-2(最寄り駅 JR西荻窪)
      MAP  http://www.mizunosora.com/map.html
○参加メンバー (敬称略)
      鉱物アソビ(鉱物標本)、COVIN(Antique Box)、
      ROUSSEAU(Mineralium)、涙ガラス制作所(結晶accessory)、
      coeur ya.(同)、なの(鉱石菓子)、彗星菓子手製所(同)、青洋(同)
○WEB (GALLERY みずのそらさんのイベント紹介ページ)

   ★

鉱物Barは、永続性のある鉱物と、それを愛でる短夜の夢のような催しとの対比に、個人的な妙味を感じていましたが、その催しが10年に及ぶと伺えば、もはや短夜の夢は夢たることを超え、確かな実体を獲得したように感じます。

何しろ10年といえば、ある種の鉱物がきらきらした結晶として析出するのに、十分な時間なのですから。

   ★

そんな個人的な思いとは別に、今回のテーマである「鉱物博覧会」には、主催者のフジイキョウコさんにとって、一種原点回帰的な意味合いも込められているのかな…と想像します。

というのも、これまでの鉱物Barのテーマは、「玻璃」にしても、「結晶実験室」にしても、また「天体嗜好症」にしても、鉱物を何かと対比することで、その美に迫っていましたが、今回は鉱物を、まさに鉱物それ自体として愛でることを宣言――あるいは再宣言――しているように感じられるからです。

色、形、硬さ、質感、光沢、透明度…
美しく、多様で、にぎやかなミネラル・キングダムの住人たち。

この10年間、鉱物趣味にもいろいろな波があったでしょうが、このあたりで一度心を白紙にして、鉱石(イシ)とゆっくり酌み交わすのも又愉しからずや。

それによって、相手の新たな魅力、新たな謎、新たな驚異に気が付いて、大きく目を開かれるのは、相手が人間だろうと、鉱物だろうと同じでしょう。(…と、何だか偉そうに書いてますが、実際そういうことってあるよと、10年の年輪を重ねた私は思うのです。)


市松結晶模型2017年07月09日 16時42分16秒

天文古玩は早めのバカンスを満喫しています。

ブログを更新しないと「あいつは死んだのかな?」と思われるかもしれませんが、ちゃんとこうして生きています。逆に言うと、別にブログを書かなくても死ぬわけじゃないし、ブログというのは、たまさか気の向いた時に書けばよい…というのが、正常な在り方で、これまで何となく義務感というか、妙な勤勉精神に囚われていた方が、むしろ異常なのです。

で、そのバカンスとやらの間に何をしてるんだい?」と問われれば、「いや、バカンスとは、何もしない空っぽの時間を言うのさ」と、しれっと言うのがこの場合無難でしょうが、もちろん実際はそんなことはなくて、本も読めば、買い物もするし、まあ記事を書かないだけで、やっていることは以前と変わりません。

   ★

で、今日がその「たまさか気の向いた時」。
たまたま昨日気になったことがあるので、そのことについて書きます。


手元に差し渡し4~5センチの、積み木のようなものがあります。
全体が白木と黒塗りのツートンという、なかなか伊達な姿。


鉱物趣味の方ならご存知のとおり、これは鉱物結晶模型の一種です。
そう聞かされて、「ふーん」と思い、そのまま長いこと棚のオブジェになっていたのですが、ふと、このツートンの意味が気になりました。


ものの本を見ると、確かにそれらしい説明図が書かれています。


これは、鉱物図鑑の「等軸完面晶族」から「三斜半面晶族」まで全部で32種類ある「32晶族」についての解説ページで、そこにはいくつかの面によって囲まれた多様な結晶の姿を、その対称面、対称軸、対称心によって分類記述してあります。


…といって、同形同大の2個の六角柱をこのように塗り分ける意味は何なのか、私にはいまだによく分かりません。件の解説を凝視しても、文字列は双の眼から虚空へと抜けていくばかりで、脳内には何の像も結びません。

結局、一日かけても何も得るものは無く、ボンヤリ物思いにふけるだけで終わりました。これこそ優雅なバカンスであり、人間として好ましい生き方なのだ…と強弁してもいいのですが、意味が分かるに越したことはなく、簡便にご教示願えるものなら、ぜひお願いしたく思います。

(よく見ると、個々の模型には数字が刻印されており、左から順に、116、230、213と読めます。結晶の多様性に応じて、塗り分けなしの白木の結晶模型も、おそろしくたくさん作られましたが、ツートンの模型もそれに劣らずたくさんあるのでしょう。)

五月の鉱物2017年05月19日 06時53分02秒

芽吹きの季節を過ぎ、今は若葉の季節です。
あの透明感のある美しい若緑を、他のモノにたとえると…と考えていて、思いついたのは、緑玉髄(クリソプレース)の色です。


透明感はあるけれども、決して透明ではない、柔らかい緑。
明るく、みずみずしいアップルグリーン。


かつて宮沢賢治も、落葉松の新芽の色を、この鉱物にたとえました。

(『春と修羅』所収「小岩井農場 パート七」)

  「から松の芽の緑玉髄」

(保育社版『原色日本植物図鑑 木本篇(Ⅱ)』より)

そして、「からまつの芽はネクタイピンにほしいくらゐだ」と書いたのは、やはりその色合いに宝石の美しさを感じたせいでしょう。

(「小岩井農場 パート三」)

賢治さんと緑玉髄の関わりは、板谷栄城氏の『宮沢賢治 宝石の図誌』(平凡社)に教えていただいたことですが、こうして改めてモノを並べてみると、何となくそこに賢治さんの心象が揺らめくようでもあります。


   ★

美しい緑の季節に不似合いな、どろどろしたニュースに胸が塞がる思いです。
でも、あの暗い時代に光を放った賢治さんの後姿を眺め、どこまでも広がる自然を前にすれば、これからだって歩いていかれないことはないぞ…と思います。

夏、標本、鉱石2016年07月15日 22時01分52秒

ピンクの百日紅が咲き、紅い夾竹桃が咲き、
その脇を「暑い、暑い」と言いながら出勤する毎日です。
でも、私は基本的に夏が好きなので、そんなに口で言うほど苦ではありません。

そして来週からは、いよいよ夏休み。
夏休み向きの企画が、既にいろいろ始まっています。

   ★

横須賀美術館では、「標本」をテーマにした美術展が開催中。


自然と美術の標本展――「モノ」を「みる」からはじまる冒険
○会期 2016年7月2日(土)~8月21日(日)
      10:00-18:00  (7月4日(月)、8月1日(月)は休館)
○会場 横須賀美術館(http://www.yokosuka-moa.jp/index.html
      神奈川県横須賀市鴨居4-1
      アクセスMAP http://www.yokosuka-moa.jp/outline/index.html#02
○出品参加
      江本創、鉱物アソビ・フジイキョウコ、橋本典久、原田要、
      画材ラボPIGMENT、plaplax、山本彌  (フライヤー掲載順) 
○公式ページ http://www.yokosuka-moa.jp/exhibit/kikaku/1602.html


フライヤーの解説に目をやると、「自然をテーマに、標本や自然を題材にする現代作家の作品」と、「横須賀市自然・人文博物館が所蔵する岩石や昆虫、植物などの標本」を取り合わせることで、「美術館と博物館という境界を越え、「モノ」を「みる」という純粋な行為に身を投じてみてはどうでしょう」と誘いかける企画です。

近年の博物ブームと、それをアートの文脈に位置づける試みが、公立美術館でも大規模に行われるようになった点で、この試みは大いに注目されます。
そしてまた、これまで主に「鉱物趣味の多様化」の文脈で語られてきたフジイキョウコさんの活動が、明確に<現代美術>の営みとして捉えられたことも、鉱物趣味の歴史を語る上で、画期的な出来事と思います。

   ★

さらに、フジイさん以外の方の作品も、興味を激しく掻き立てられます。


超高解像度人間大昆虫写真。
リアルといえば、これほどリアルなものもないですが、リアルを突き抜けた一種の幻想性が漂っています。


江本創氏による幻獣標本。
こちらは逆に幻想にリアルを注入した作品です。
氏の作品は、これまで写真等で見る機会はありましたが、残念ながらその現物を目にしたことはないので、機会があればぜひ直接拝見したいです。

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フジイさんからいただいたご案内には、これまた嬉しいDMが同封されていました。

鉱物Bar (vol. 9) Alchemy ~錬金術~  結晶が科学反応をおこす夜
○会期 2016年8月12日(金)~8月21日(日) 月・火休み
      15:00-21:00 (8月20日、21日は20:00まで)
○会場 ギャラリーみずのそら(http://www.mizunosora.com/index.html
      東京都杉並区西荻北5-25-2
      MAP http://www.mizunosora.com/map.html
○参加メンバー
      鉱物アソビ(鉱物標本)、piika(博物系アンティーク)、
      coeur ya.(アクセサリー)、cineca(鉱石菓子)、彗星菓子手製所(同)、
      なの(同) 
○公式ページ http://www.mizunosora.com/event200.html


「鉱石(イシ)をみながら酒をのむ」
――この文字を目にする季節が、ついにまた巡ってきたのです。

鉱物とアンティーク、そして鉱物にちなんだリキュールとお菓子。
美しく不思議なモノを眺め、それにまつわる物語を聞きながら、舌の喜びを味わう。
何と贅沢な宵の過ごし方でしょう。

今回のテーマは、「Alchemy 錬金術」です。

わりと近い過去まで、鉱物趣味の徒は、高価な光学機器に頼ることなく、劈開を調べ、条痕の色を見、石同士をすり合わせて硬度を決定し、いくつかの試薬や吹管による化学分析を行うという、どちらかといえば素朴な手段によって、鉱物を同定していたと聞きます。

こうした化学分析の営みこそ、8世紀のアラビアの錬金術師ジャビール・イブン・ハイヤーンから、16世紀のパラケルススへと至る、正統派錬金術の直系の子孫というべきものです。

透明な鉱物の向うに、自然を構成する始原の存在を思いつつ、アラビア科学の精華たる「アルケミー」と「アルコール」を併せて堪能する。今回の愉しみのひとつは、そこにあると想像します。

プロキシマ系鉱物2016年06月11日 09時08分22秒

プロキシマは遠いようで、たしかに近い。


現に、プロキシマで採取された鉱物が、ここにこうしてあります。


プロキシマ系鉱物、2種。


硝子壜の中に固定された、細く鋭角的な両錐の結晶。
透明な基質の中に、ライムグリーンとぶどう色が広がり、涼し気な味覚を感じさせます。

   ★

「アーティスト・小林健二氏」とは別に、氏が制作・デザインしたアイテムの頒布を担っているのが「銀河通信社」です(http://aoiginga.shop-pro.jp/)。

このプロキシマ系鉱物は同社から届きました。


銀河通信社に問い合わせをすれば、返信があるし、商品を注文すれば、たしかに届きます。発送元を見れば、それは東京の町中にあると自己主張しています。
しかし、本当にそれは「在る」と言えるのかどうか、ちょっと自信が持てません。
銀河通信社自体、何となく氏の作品のような非在感が伴います。


皆さんは、今単なる液晶の揺らぎを眺め、その向うに、硝子壜に封じ込められた美しい結晶が実在すると信じているでしょう。でも、そのことと、その結晶がプロキシマ由来のものであるという事実を対比させた場合、その「事実性」において、両者にいかほどの懸隔があろうか…と、ぼんやり考えます。

これについては、いろいろな答があるでしょうが、いかに事実性の認定にシビアな人でも、現実のプロキシマ、観測されたプロキシマ、推測されたプロキシマ、思念されたプロキシマ、憧憬のプロキシマ…等々が、この世界でどんな風に折り重なって存在しているかを考えれば、やっぱり頭がぼんやりしてくるのではないでしょうか。