テレスコープ氏2017年07月16日 17時02分47秒



今日もフランスの紙物です。
「18世紀後期の銅版画」と称して売られていた、何かの本の1ページらしい紙片(裏面は白紙)。


タイトルは、「Potier rôle de Télescope dans la Comète」とあって、フランス語を眺めても、Googleに英訳してもらっても、「彗星における望遠鏡のポティエの役割」という、何だかよく分からぬ意味にしかとれません。


オレンジに星模様の派手な服と、彗星柄のストッキング。
手には地球儀を持ち、ポケットに望遠鏡を入れた怪しげな人物。

「うーむ…これは18世紀のカリカチュアライズされた天文家の姿で、ひょっとしたら実在のポティエという天文学者を描いたものかもしれないぞ…」と、最初は思いました。
だとすれば、天文趣味史的になかなか興味深い品です。

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事の真相を解く手がかりは、フランス国立図書館のデータベースにありました。
そこには、これと全く同じ図が載っていて(http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b6400501s)、それを足掛かりに調べていくと、この絵の正体が判明しました。

結論から言うと、これは一種の「役者絵」だったのです。

時は1811年10月、所はパリのヴァリエテ劇場(Théâtre des Variétés)。
そこで、『ラ・コメット(彗星)』という一幕物の寸劇が上演され、その中で「ムッシュ・テレスコープ」という役を、シャルル・ポティエ(Charles Potier、1774-1838)という役者が演じ、この絵はその舞台衣装を描いたものなのでした。

当初の推測は外れたものの、これがカリカチュアライズされた天文家の姿だ…というのは、まんざら間違いでもないでしょう。ただ、時代はちょっとずれていて、このいかにも18世紀っぽい装束は、19世紀初めのフランス人がイメージしたところの、幾分マンガチックな擬古的デザインの衣裳なのだと思います。


ムッシュ・テレスコープのセリフ回し。
意味はよく分かりませんが、「こりゃ大変!俺は大地をこの腕に抱き、大空を懐に入れちまったぞ!」とか何とか、おどけたことを言っているのでしょう。

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天文学者(あるいは占星術師)は、歴史の中でしばしば「おちょくり」の対象になりましたが、これも19世紀初頭における実例と言えそうです。

空の旅(13)…スパイグラス2017年05月02日 09時15分54秒

天文趣味というのは、抽象的に宇宙に憧れるばかりでなしに、多くの場合、自分自身の目で、宇宙の深淵を覗き込みたいという方向に、(たぶん)自ずと向かうものです。

…というか、私がイメージする天文趣味は「天体観測趣味」とニアイコールで、そうした「趣味の天体観測」という行為が成立したのが、たぶん1800年前後だろうと踏んでいます。(最初期の天体観測ガイドブックの登場が、19世紀の第1四半期であることが、その主たる根拠です。)

19世紀の100年間、時を追うごとに、天文趣味はポピュラーなものとなっていきました。そして、当時、本格的な天体望遠鏡に手の届かない人たちが頼ったのが、多段伸縮式のスパイグラス(遠眼鏡)や、手近なオペラグラスでした。(19世紀前半には、天体望遠鏡の量産体制自体なかったので、財力の多寡を問わず、そうせざるを得ない面もありました。)

それらは、天体観測用途のスペックこそ満たしていませんでしたが、月のクレーターや、木星の4大衛星の存在なんかは教えてくれたでしょうし、何よりも肉眼では見えない微かな星を見せてくれることで、人々の「星ごころ」を強く刺激したことでしょう。

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その辺のことを表現したくて、今回の展示では、スパイグラスとオペラグラスを並べました。


木製鏡筒の古い遠眼鏡。

「1800年頃にイギリスで作られた小型望遠鏡。「昼夜兼用(Day or Night)」をうたっていますが、あまり天体観測の役には立たなかったろうと思います。それでも、こうした小さな望遠鏡を空に向けて、熱心に「宇宙の秘密」を覗き込もうとした人も大勢いたことでしょう。」


真鍮の筒をぐっと伸ばして、空をふり仰げば


この小さなレンズを通して、広大な宇宙の神秘が、かすかにその尻尾をひらめかせた…かもしれません。少なくとも、この筒を手にした人は、そう信じたことでしょう。

(この項つづく。次回はオペラグラス)

星を見上げる夢のおうち2017年04月23日 11時16分20秒

「空の旅」の途中ですが、この辺で箸休めです。

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今日の朝刊を開いたら、紙面の隅にこんな広告が載っていました。


昨日から、愛知県の刈谷市美術館で始まった、「描かれた大正モダン・キッズ 婦人之友社 『子供之友』 原画展」の案内です。(会期は4月22日~6月4日。詳細はこちら
 
これまで東京や兵庫を回って来た巡回展で、6月以降は、山形県の天童市美術館が会場になるそうです。

で、この広告に目が留まったのは、そこに使われた村山知義(1901-1977)の表紙絵が、あまりにも印象的だったからです。

(上記刈谷市美術館のサイトより寸借)

チラシ掲載の画像だと、元はこんな色合いで、1924年(大正13年)という発表年を考えると、これはもうモダンの一語に尽きます。


震災の翌年、当時まだ20代前半の新進モダニスト・村山がイメージしたところの、「一人の少女の目を通して見た理想の家」の姿がこれです。

家の中には犬がいて、ネコがいて、人形芝居が演じられるかと思えば、みんなで楽器を演奏し、気が向けば油絵を描き、そして天窓から望遠鏡で星を眺める…

旧来の家族制度を脱した、友愛に基づく人のつながり。
芸術と科学が日常に溶け込んだ生活。

これぞ大正モダニズムに裏打ちされた理想主義で、付言すれば、そこにトルストイ的な土の匂いを混ぜ込んだのが、やはり大正末期に、宮沢賢治が羅須地人協会で目指したライフスタイルなのでしょう。

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この絵では、星を眺めることが、絵画や音楽と並立する活動としてイメージされており、当時は金色に光る望遠鏡が、キャンバスやギターやピアノと同様の色合いを持っていた…というのが、天文趣味史的には興味深い点です。

要は、天体望遠鏡はハイカルチャーの象徴であったわけですが、でも同時に、それは天体観測がホビーとして人々の間に根付きつつあったこと、そして天文学が象牙の塔や一部の富者の元から、市井の人々の手の届くところまでやってきたことを意味しています。

まあ、大正時代の日本の現実はともかく、イメージとしては確かにそうで、震災の前後から一般向け天文書の出版点数は急速に増え、このあと野尻抱影は「時の人」となっていきました。

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望遠鏡イメージのポピュラライズについては、「空の旅」の最後の方で、もう一度言及します。

日本のグランドアマチュア天文家(5)2017年03月16日 22時57分18秒

萑部氏自身のことは不明ですが、萑部氏が所有していた望遠鏡(あるいは反射鏡)については、前々回も引用したように、戦後、横浜で開催された博覧会に出品された…という情報があります。

 「萑部夫妻は10吋反射(赤),6吋屈折(赤)などを持ち、〔…〕その他に18吋・リンスコット反射鏡(未組立品)を持っており,これは戦後横浜市で開かれた産業貿易博覧会に出品された。」 (『正編』、p.319)

さらに『続編』には、

 「兵庫県の萑部進は26cm反射を1933年に購入した。架台は西村のドイツ式赤道儀で、後にリンスコットの46cm反射を輸入し換装、15cmのレイの屈折が同架された。この望遠鏡は戦後初の博覧会である横浜野毛山の平和博覧会に出品され、横浜市に移管、現在は横浜学院にある。」 (『続編』、p.282-3)

とも書かれています(筆者は冨田弘一郎氏)。

後者の記述によれば、萑部氏の「六甲星見台」のメイン機材は、木辺氏が手がけた例の26cm反射鏡から、元々手元にあった46cmリンスコット製反射鏡に置き換えられたというのですが、戦況の緊迫する時期にあって、それが出来たとは到底思えないので、これは「後に…輸入し」というのと併せて、誤伝でしょう。46cm鏡は、『正編』の記述のとおり、望遠鏡未満の単品の状態で手元に留め置かれたものと思います。

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その巨大な反射鏡が、戦後、横浜で開催された博覧会(正式名称は「日本貿易博覧会」。会期は、昭和24年(1949)3月15日~6月15日)に出品された…というのも、何だか茫洋とした話ですが、この件については、天文古書の販売で有名な「いるか書房」さんが、詳しく調べて記事にされています。

昭和24年 日本貿易博覧会 望遠鏡の絵葉書

ここでも諸説紛々、関係者の証言は互いに矛盾・錯綜しているものの、それらを取捨して、ある程度蓋然性のあるストーリーを組み立てると、横浜の博覧会に展示されたのは、たしかに萑部氏の望遠鏡であり、その前後の事情は以下のように想像されます。

すなわち、

○萑部氏は戦後、自機一式(26cm反射望遠鏡、同架の15cm屈折望遠鏡、西村製架台、そして46cm反射鏡)を、すべて手放すことにした。
○ちょうど博覧会の準備を進めていた横浜市が、それを購入。
○横浜市は、五藤光学に望遠鏡のレストアを依頼。
○五藤光学は46cm用鏡筒を新たに製作し、26cm望遠鏡と換装。
○こうして、旧蔵者の萑部氏が待ち焦がれた46cm望遠鏡がついに完成した。

…という筋書きです。

これは、博覧会の絵葉書に写っている望遠鏡(いるか書房さんの上記ページ参照)と、木辺氏の記事に載っている望遠鏡の架台(ピラー)の形状がよく似ていると同時に、望遠鏡本体は明らかに大型化しているという、至極単純な理由に基づく想像なので、全然違っているかもしれませんが、でも、あり得ないことではないでしょう。

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この望遠鏡と、それを収めた「天文館」は、博覧会終了後も、そのまま公共天文台としてアマチュアにも開放されていたようですが、望遠鏡の方は後に横浜学園(上で引用した冨田氏は「横浜学院」と書いていますが、これは横浜学園が正しい由)に譲られ、今も同校にあるそうです。

上の推測が正しくて、戦前のグランドアマチュアの残り香が、かすかに浜風に乗って漂っているのだとしたら、ちょっと嬉しい気がします。


【付記】

いるか書房さんが引用されている諸々の記事の中には、横浜に伝わった望遠鏡を「英国トムキンス製」とするものがあります。また、萑部氏が輸入した鏡面は、同じ英国の「リンスコット製」だと伝えられます。このトムキンスにしろ、リンスコットにしろ、あまり聞き慣れないメーカーなので、以下にちょっと確認しておきます。

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まず、「英国トムキンス」というのは、誤伝ではないでしょうか。
いるか書房さんも言及されていますが、トムキンスというのは、戦前を代表する大型望遠鏡である、京大の生駒山天文台の60cm反射望遠鏡の製作者として知られ、「大型望遠鏡といえばトムキンス」というイメージから、どこかで話が混線したように思います。そもそもトムキンスはイギリスではなくアメリカの人です。

下の大阪朝日の記事は、「アメリカのアマチュア天文学徒トムキンス氏」と記しており、その伝は未詳ですが、専業メーカーではなく、当時アメリカで熱を帯びていたATM(Amateur Telescope Making)、すなわち熱心な鏡面自作マニアの一人でしょう。なお、この60cm望遠鏡は、1972年、生駒山太陽観測所の閉鎖とともに飛騨天文台に移され、今も現役です。

2017年4月8日付記: 生駒から飛騨に移設された60cm反射望遠鏡は、トムキンス望遠鏡とは別の望遠鏡であることを、コメント欄でご教示いただきました。ここに訂正しておきます。詳細はコメント欄をご覧ください。】

大阪朝日新聞 1940.5.17 (神戸大学 新聞記事文庫)

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一方、リンスコットというのは、イギリスの有名な鏡面製作者ウィズ(George Henry With、1827-1904)が引退して商売をたたんだ後、その用具一式を買い取って、鏡面製作に励んだ J. Linscott のことだと思います。ドーバー海峡沿いのラムズゲートの町で、鏡面作りを商売にしたリンスコットのことは、「Journal of the British Astronomical Association」に載った下記論文の巻末註9にチラッと出ています。

■Jeremy Shears: The controversial pen of Edwin Holmes.


日本のグランドアマチュア天文家(3)2017年03月14日 07時20分31秒

萑部進・守子両氏のお名前は、『改訂版 日本アマチュア天文史』(日本アマチュア天文史編纂会編、恒星社厚生閣、1995)、および『続 日本アマチュア天文史』(続日本アマチュア天文史編纂会編、同、1994)に、複数回登場します(以下、前者を『正編』、後者を『続編』と記すことにします)。

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まず夫君である進氏の名は、『正編』に9か所、『続編』に1か所出てきます。また、守子氏の名は、『正編』に7か所登場します。これは両氏がアマチュア天文家の中でも、相当熱心な活動家だったことを示す数字です。

その天文家としての活躍ぶりは、前回、木辺氏の文章でも挙げられていたように、惑星面、掩蔽(星食)、微光変光星と多岐にわたっていました。

東亜天文協会(現東亜天文学会)は、観測対象に応じてセクション体制をとっており、昭和9(1934)年には、進氏は「掩蔽課」に、守子氏は「遊星面課」に、それぞれ課員として名を連ね、昭和11(1936)年には、守子氏も掩蔽課員となっています。
(なお、当時の掩蔽はもっぱら月によるものを指し、惑星や小惑星による掩蔽観測は一般的ではありませんでした。)

また、変光星についても、夫婦揃って熱心な観測家で、進氏は438個、守子氏は29個の観測データを、東亜天文協会に報告しており、さらにアメリカのAAVSO(アメリカ変光星観測者協会)にも、進氏は249個、守子氏は14個のデータ報告を行なっています。

変光星の観測報告は、すべて昭和10(1935)年に行われたものですが、萑部氏に限らず、この年は東亜天文協会の内部で、ちょっとした「変光星ブーム」があったらしく、その前後に比べて、報告者も、報告数も、格段に多くなっています。

そのことは、『正編』172ページに所載の「東亜天文協会変光星観測リスト」に明瞭ですが、ここでいっそう注目されるのは、このリストに挙がっている55名の観測者中、女性は萑部守子氏と、京都の成川梅子氏の2名のみであることです。

さらに、『正編』の319ページには、以下の記述も見られます(筆者は重久長生氏)。

 「萑部夫妻は10吋反射(赤)、6吋屈折(赤)などを持ち、変光星観測をやっていた〔註:吋はインチ、「赤」は赤道儀式の意〕。とくに夫人の方が熱心だったという。その他に18吋・リンスコット反射鏡(末組立品)を持っており、これは戦後横浜市で開かれた産業貿易博覧会に出品された。」

横浜云々のことは、また後でも触れますが、守子氏の熱心な観測ぶりは、こんなふうに周囲にも広く聞こえていたのでしょう。

   ★

1930年代の神戸。美しい六甲の山裾に瀟洒な山荘風の屋敷を構え、専用の観測室と大型機材を持ち、夫婦そろって熱心に星を観測した人たち。

口径10インチが放つオーラも、女性が星を観測することの社会的意味合いも、当時と今では全く異なることにご留意いただきたいですが、何だか本当にタルホの小説に出てきそうな、いかにも浮世離れした二人です。

   ★

そもそも萑部氏とは、どんな経歴の人物なのか?

興味は自ずとそこに向きますが、ネット上にはきわめて情報が乏しいので、図書館に行って、当時の人名録(いわゆる紳士録の類)を見てきました。さすがにこれだけの資産家ですから、その名前は載っていて、萑部氏の仕事向きのことも分かったので、日本アマチュア天文史の一断章として、簡単に触れておきます。

(この項つづく)

日本のグランドアマチュア天文家(2)2017年03月12日 09時04分08秒

青木氏からお知らせいただいたのは、萑部(ささべ)氏と、その私設天文台の様子を伝える、同時代の雑誌記事の存在でした。

それは、反射望遠鏡の鏡面製作者として有名な、木辺成麿(きべしげまろ、1912-1990)氏がかつて書いた、「六甲星見台の萑部氏の新反射赤道儀」という一文です。
掲載誌は、東亜天文協会(現・東亜天文学会)の機関誌『天界』1935年2月号。

「六甲星見台の萑部氏の新反射赤道儀」

木辺氏の文章は、少し要領を得ないところもありますが、概略は以下の通りです。

〇1934(昭和9)年7月、木辺氏は萑部氏から依頼を受け、翌8月からそのメイン機材の製作に取り掛かった。

〇萑部氏は、同年(1934)春に、イギリスから47cm 径の巨大な反射鏡〔註:他資料によればリンスコット社製〕を取り寄せていたが、それをすぐ望遠鏡に組み上げることは困難だったので、差し当たり、もう少し小型の眼視用機材を木辺氏に作ってもらいたい…というのが、依頼の趣旨。

〇望遠鏡の主な使途は、火星をはじめとする惑星面の観測、掩蔽観測、微光変光星の追跡。

〇依頼を受けて木辺氏が製作したのは、口径31cm の反射赤道儀式望遠鏡(自動追尾の運転時計付き)。ただし、実際に組み込んだのは31cm 鏡ではなく、暫定的に26.5cm 鏡を使用。

〇これに、15cm 径の屈折望遠鏡(レンズは英国レイ製)を同架。

〇光学部以外の一切は、京都の西村製作所が担当。

〇同年(1934)12月に機材完成。

その完成した機材と観測施設の外観が、上掲誌に載っています。

(キャプションは「新設された六甲星見台(萑部氏宅)の望遠鏡」。この上に更にルーフやドームが乗ったのかどうか、おそらく乗ったと思うのですが、その辺がはっきりしません。)

 
(同じく「六甲星見台の外観。白亜六角形の建物が観測室」。何だか、ジブリの「耳をすませば」に出てくる地球屋みたいな風情です。)

   ★

これだけの大仕事を、当時まだ22歳の木辺氏が請け負ったというのも驚きですが、何と言っても目を引くのは、萑部氏というアマチュア天文家の存在です。しかも、その星見の舞台がハイカラ神戸と聞けば、これはもうタルホ世界に向けて一直線で、俄然興味をそそられます。

日本の「グランドアマチュア」と呼ぶにふさわしい萑部氏の事績を、さらに追ってみます。

(この項つづく)

日本のグランドアマチュア天文家(1)2017年03月11日 08時17分30秒

さて、どこまで話を遡らせればよいか…。

これまで何度か言及した、アラン・チャップマン著『ビクトリア時代のアマチュア天文家』(産業図書)には、19世紀のイギリスを生きた、多様なアマチュア天文家が登場します。

彼らは、星に興味がある…という唯一の共通点を除けば、その社会的・経済的地位は実にさまざまで、まさに赤貧洗うがごときだった人もいれば、あきれるほどの富に恵まれ、巨大な機材を備えた私設天文台を作り、飽かず星を眺めた人もいます(チャップマン氏は、後者を「グランドアマチュア」と呼びます。即ち「大アマチュア」の意です)。

   ★

そんな昔の天文マニアの生きざまに関心を持ち、キョロキョロしているうちに、かつての日本にも堂々たる貧窮スターゲイザーがいたことを知って、大いに勇気づけられました。それが、戦前に独学で詳密星図を作った草場修(1900-?)という人物です。

草場氏が活躍したのは昭和ヒトケタ、すなわち1930年前後のことで、英国ビクトリア時代の同輩と並べて論じるのは、いささか無理がありますが、氏の場合も、孤独な日雇い人夫として、さらには聾というハンデを持ちながらの活躍でしたから、まさに貧窮スターゲイザーの名に恥じぬ――というのは褒め言葉にならないかもしれませんが――あっぱれな御仁であったと言い切って差し支えありません。

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草場氏のことは、これまで何度も記事にしているのですが、下のページを足掛かりにして、前後をたどっていただければ、およそお分かりいただけると思います。

貧窮スターゲイザー、草場修(7)…カテゴリー縦覧:天文趣味史編

私はその一連の記事の中で、山本一清の内弟子のような格好で、京大のスタッフにまでなった草場氏に対して、いく分揶揄するような記事を、雑誌「天界」に投稿した「萑部進・萑部守子」という人物について言及しました。そのときは、「これは草場氏を排撃するための匿名記事であり、萑部云々は仮名だろう」…というようなことを書きました(当時はそういう記事がわりと多かったです)。

貧窮スターゲイザー、草場修(10)…カテゴリー縦覧:天文趣味史編

でも、それは私の完全な間違いでした。
この萑部(ささべ、と読みます)というのは、紛れもなく両氏のご本名だということを、上の記事のコメント欄で、青木茂樹氏にご教示いただきました。

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しかも驚いたことに、この萑部氏夫妻(進氏と守子氏はご夫婦です)は、草場氏とは対照的な、まさに日本における「グランドアマチュア」のような方だったのです。草場氏に注目したことで、期せずして、日本のアマチュア天文家の多様な姿を知ることができたのは、大きな収穫でした。

以下、萑部氏のことについて、今現在分かっていることを心覚えとしてメモ書きしておきます。

(この項つづく)


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▼閑語 (ブログ内ブログ)

安倍氏に対しては、何となく小物感を感じて、軽侮の念を抑えかねていました。でも、それは安倍氏にとって甚だ不本意なことでしょう。

ここはひとつ「平成の妖怪」と尊称すれば、氏としても、敬愛するお祖父さん(昭和の妖怪、岸信介)に大いに面目を施した形になりますし、さらに「平成の巨悪」として「平成の大疑獄事件」の果てに引退した…となれば、相当な大物感が漂いますから、氏にとって悪い気はしないはずです。平成の終わりが近い今、早く決断しないと、永遠にその機会が失われます。ぜひ英断を望みたいです。

…と、皮肉まじりに書くのは、私の信条に反しますけれど、でも安倍さんにはそんな矜持もないのかなあと、つくづく侘しく思います。

天文トランプ初期の佳品: ハルスデルファーの星座トランプ(補遺)2016年11月04日 06時46分01秒

今日はオマケの話題。
ハルスデルファーの星座トランプが売られているのを見つけました。
といっても、それは4年前のサザビーズのオークションに登場したもので、現物はすでにどこかの誰かの元に旅立っています。


サザビーズの説明では刊年が1674年となっており、マクリーン氏の本では1656年でしたから、両方正しいとすれば、このトランプは、少なくとも20年近く版を重ねたことになります。(以下、それぞれ「マクリーン本」、「サザビーズ本」と呼ぶことにします。)

サザビーズ本は無彩色なので、パッと見の印象はずいぶん違いますが、画像をズームして仔細に比べると、マクリーン本と寸分たがわぬことが分かります。(サザビーズ本には、星名を表すギリシャ文字がありますが、これは後からペンで書き足したものでしょう。)

サザビーズ本が、マクリーン本と明らかに違うのは、星座絵の上部のスート部分を欠くことですが、サザビーズ本のふたご座のカードの上部には、木の葉のスートの葉柄や、髭文字の痕跡が見られるので、もともとスート絵は確かに存在し、それを誰かが切り取ったことが明らかです。

(マクリーン本(部分))

(サザビーズ本(同)。矢印がスートの痕跡)

その真意は不明ですが、その誰かは、これを遊び道具のトランプではない、純粋な「星座カード」として手元に置きたかったのではないでしょうか。そして、詳細に星名を書き加えたのも彼の仕業であり、彼は高価なバイエルの星図帖は買えないけれど、星座トランプなら何とか買える…という、昔の貧しい星好きだったと空想すると、心に温かいものが通います。

   ★

しかし、この星座トランプ。
販売当時は安かったかもしれませんが、今では相当なことになっていて、サザビーズによる評価額は1万~1万5千ポンド。ポンド安の今でも126万~190万円に相当します。実際の落札額は不明ですが、価格だけ見れば、今や本家・バイエルの星図帖に迫る勢いです。

参考として、サザビーズによる解説を一部引用。

 「極めてまれな17世紀の天文トランプの完全セット。〔…〕他にセットで存在するのは、1991年に、ドイツ・トランプ博物館(Deutsches Spielkarten-Museum)で展示された、シルヴィア・マン・コレクション中のセットが唯一(ただし表題カードを欠く)。ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館には、1枚だけ所蔵されている。」

トランプは、豪華な星図帖のように恭しくしまい込まれるものでもないので、後代に伝わりにくく、後になってみればすこぶる貴重な存在です。(我が家のエフェメラだって、いつかは…と、ひそかに思わなくもないですが、まあ価値が出るのは、さらに300年ぐらい後のことでしょう。)


天文トランプ初期の佳品: ハルスデルファーの星座トランプ(3)2016年11月03日 06時08分03秒

昨日の記事を読み返したら、「ハルスデルファー」という人名を、自分は途中から「ハデルスファー」と書いているのに気づき、修正しました。こういうことが最近多くて、話し言葉だけでなく、書き言葉でも「ロレツが回らない」状態というのはあるのだなあ…と、身の衰えを感じます。最近は「てにをは」も一寸おかしいです。

   ★

さて、ぼやきはこれぐらいにして、昨日のつづき。

(左:へびつかい座、右:オリオン座)

これもバイエルの図そのままです。

余談ですが、これを見てバイエル星図の不思議さを悟りました。
バイエル星図は地球視点――いわゆる geocentric orientation ――で、星の配列は地上から空を見上げたとおりの形に描かれています(つまり、天球儀上の星座のように、左右が反転していません)。

それなのに、星座絵の方は、天球儀と同じく背中向きに描かれています。結果として、天界の住人は左利きが優勢になって、オリオンもヘルクレスも左手に棍棒を持ち、ペルセウスは左手で剣を構えるという、ちょっと不自然な絵柄になっています。

天球儀を見慣れた目には、背中向きの方が星座絵らしい…と感じたせいかもしれませんが、常にお尻を向けられている地上の人間にとっては、微妙な絵柄。(でも、ふたご座、おとめ座、カシオペヤ、アンドロメダは、ちゃんと正面向きです。一方、むくつけき男性陣は後ろ向き。そこには或る意図が働いているようです。)

(左:ぎょしゃ座、右:くじら座)

昨日も述べたとおり、この美しい彩色は、オリジナルのトランプにはなく、復刻版の著者であるマクリーン氏が、自ら施したものです。ただし、版画に手彩色することは、昔から広く行われたので、オリジナル出版当時も、彩色した例はきっとあるでしょう。


本の最後に登場するのは「ドングリの10」。
羽の生えた奇怪な魚が描かれていますが、これは「とびうお座(Volans)」です。
その脇を泳ぐ、これまた変な魚は「かじき座(Dorado)」。

トビウオの方は、変は変なりに言いたいことは分かります。
むしろ「かじき座」の方が、昔から今に至るまで正体のはっきりしない星座で、文字通りカジキを指すとも、本当は全然別のシイラを指すとも言われます(mahi-mahiはハワイの現地語でシイラのこと)。南海に住む巨魚は、ほとんど区別のつけようがなかった時代ですから、それも止むを得ません。むしろ、この星座絵に漂う奇怪さこそ、南の空と海に対する、当時のヨーロッパ人の<異界感>そのものなのでしょう。

   ★

一組の星座トランプも、仔細に見れば、そこにはいろいろな発見があり、大げさに言えば「時代相」を読み取れる気がします。

天文トランプ初期の佳品: ハルスデルファーの星座トランプ(2)2016年11月02日 07時03分53秒

昨日の文章はちょっと舌足らずだったので補足しておきます。
マクリーン氏の『The Astronomical Card Game』という本は、書名からすると、何となく天文トランプ総説のような感じですが、実際には1656年に出たハルスデルファーの星座トランプを、その絵柄とともにひたすら紹介している本です。


上は冒頭に登場する、おひつじ座を描いた、「木の葉のキング」。

ドイツでも、今や英米式のトランプが一般的だと思いますが、本来は「ダイヤ・ハート・クラブ・スペード」の代りに、「鈴・ハート・木の葉・ドングリ」のスートを用いるのがドイツ式。数字の方は、英米式と同じく各スート13枚から成り、このハルスデルファーのトランプも、都合52枚のカードから構成されています。

   ★

ハルスデルファーのトランプの絵柄は、ドイツのヨハン・バイエル『ウラノメトリア』(1603年)の図を踏襲し、それを簡略化したものです。
サンプルとして、「はくちょう座」の図で比較してみます(参考としてモクソンの図も挙げておきます)。

(バイエルの『ウラノメトリア』)

(ハルスデルファーの星座トランプ)

(モクソンの星座トランプ)

並べてみると、モクソンのトランプは、20年前のハルスデルファーのそれよりも、むしろ古拙な感じを受けます。

  ★

17世紀は、銅版による挿絵印刷技術の進歩を受けて、それまで「星表」という、単なる数字の羅列として記録されてきた恒星の位置データが、正確な星図として表現されるようになった時代です。

中でも、バイエルの『ウラノメトリア』は、後続のヘヴェリウス『ソビエスキの蒼穹―ウラノグラフィア』(1687)や、フラムスティード『天球図譜』(1729)、そしてボーデの『ウラノグラフィア』(1801)と並ぶ、<四大星図>の一角を占め、その嚆矢となった金字塔(※)。

(※)四大星図については、以下を参照。
  ■四天王の共通点 http://mononoke.asablo.jp/blog/2014/11/09/

こうした精緻な星図隆盛の余波が、17世紀中葉以降トランプ界にも及び、星座トランプという新趣向を生み出した…ということなのでしょう。

ついでなので、他にもいくつか内容をサンプルとして挙げておきます。

(この項つづく)