続・乙女の星空 ― 2025年03月10日 06時00分31秒
その後もいろいろ考えていて、この話はかなり「大きい話」だということが、徐々に分かってきました。単に小冊子を一瞥して、それで終わりということではなく、明治~大正の文芸思潮と天文趣味の絡み合いみたいなものところに、話が発展していきそうな気がするからです。でも、あまり話を大きくすると収拾がつかなくなるので、とりあえず冊子の中身を見てみます。
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冊子の冒頭は、前回の口絵に続き、次のような口絵で飾られています。
生贄となったアンドロメダ姫と、ペガサスにまたがり姫の救出に向かう英雄ペルセウス。西洋では伝統的な画題でしょうが、このアンドロメダ姫のハイ頭身と、肉感性を排した、か細い身体表現は、西洋画の伝統を離れ、むしろ後の少女漫画的表現に接近しているようにも見えます。
口絵のあとは、季節ごとの星図が挿入されていて、さらにその後に本文が続きます。
本文は二部構成になっていて、第一部が「星座の手引き」、第二部が「星の神話」と銘打たれています。ここで第一部の冒頭、本冊子の序文に当る一文に注目してみます(原文改段落は改行で表示。太字は引用者)。
「涼み台に坐って、星を数へたりする夏の夜が近づいてまゐりました。
あの美しい星たちの鏤(ちりば)められた夜の空を仰いで、あなた方は宇宙の神秘と壮麗さとに心を打たれたことはありませんか。さうしてあなた方は御存知でせうか。夜の星空の殆ど全天がロマンチックな神話と伝説に満ち満ちてゐるといふ事を。
それはどんな神話と伝説なのか、とあなたはお訊ねになるのですね。それを聞きたいとおっしゃるのですね。でも、さう一と口にお話しできる物語でもなく、物語の数も多いのですから、おい、それと直ぐにお聞かせするわけにもいきません。
そこでこのやうな可愛らしい「星の本」を作って、あなた方の夜のために捧げやうとするのですが、さてその星と星座との物語をお聞かせすれば、その次には、その星と星座はどれであらう?と云ふ興味をあなた方は屹度(きっと)お持ちになる筈です。で、つまりそれ等(ら)のロマンチックな星の話をお聞かせするためと、そして実際にそれ等の星々を夜空に指摘するために役立たせやうとしたのがこの「星の本」の目的です。」
あの美しい星たちの鏤(ちりば)められた夜の空を仰いで、あなた方は宇宙の神秘と壮麗さとに心を打たれたことはありませんか。さうしてあなた方は御存知でせうか。夜の星空の殆ど全天がロマンチックな神話と伝説に満ち満ちてゐるといふ事を。
それはどんな神話と伝説なのか、とあなたはお訊ねになるのですね。それを聞きたいとおっしゃるのですね。でも、さう一と口にお話しできる物語でもなく、物語の数も多いのですから、おい、それと直ぐにお聞かせするわけにもいきません。
そこでこのやうな可愛らしい「星の本」を作って、あなた方の夜のために捧げやうとするのですが、さてその星と星座との物語をお聞かせすれば、その次には、その星と星座はどれであらう?と云ふ興味をあなた方は屹度(きっと)お持ちになる筈です。で、つまりそれ等(ら)のロマンチックな星の話をお聞かせするためと、そして実際にそれ等の星々を夜空に指摘するために役立たせやうとしたのがこの「星の本」の目的です。」
文中、「ロマンチック」という語が2回使われています。
この冊子の書き手が伝えようとするもの、そして読み手が期待するものは、「夜空のロマンチシズム」だというのです。
ただし、こういう文脈で使われる「ロマンチシズム」は、芸術分野でいうところの「ロマン主義」とは少なからず意味合いが異なり、おそらく「センチメンタリズム」と同義だと思います。うっとりと夜空を見上げ、ときに甘く、ときにやるせない思いを星に託す態度こそ、女学生文化における星空受容の基調だったのでしょう。
(冊子の表紙。画像再掲)
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第一部は、冒頭の「ロマンチシズム宣言」に続いて、星の数(肉眼で5,388個、22等星まで数えるとおよそ1,000億個)、星の種類(恒星、遊星、衛星の区別)、太陽系の各遊星の説明、星と星の距離、季節による星座の移動…といった簡単な天文学の基礎が説かれます。
続く第二部は、大熊座・小熊座(以下、星座名は冊子に従います)、龍座、髪座、乙女座、獅子座、蝎座、射手座、蛇遣座・蛇座、鷲座、琴座、冠座、白鳥座、ケフェウス座、山羊座、カシオペイア座、アンドロメダ座、ペルセウス座、鯨座、南魚座、ペガサス座、魚座、牡牛座、オリオン座、大犬座、小犬座、双子座、エリダヌス座、アルゴ座、馭者座、蟹座…以上32の星座について、主にギリシャ・ローマの星座神話を、易しい言葉で再話しています。(なお、それぞれの項目中、関連する星座に触れている箇所があるので、登場する星座はこれよりも多いです。たとえばアルゴ座が、今では5つの星座に分割されていることなどは、当然言及されています。)
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「序文」で著者自身が述べるように、本冊子が提示する「夜空のロマンチシズム」の中身とは、ギリシャ・ローマの星座神話の世界に他ならず、それは本冊子の口絵からも明らかです。
それは昭和の女学生にとって、時間的にも空間的にも遠く隔たった「お伽の世界」であり、だからこそ夢を託すにふさわしい対象たりえたわけですが、アンドロメダ姫の絵画表現に滲み出ているように、そこには微妙な日本的アレンジも加わっており、言うなれば「宝塚的異国憧憬」に近いものが、そこにはあったんじゃないか…と想像されるのです。
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上で述べたことは、何となく当たり前のことを述べているように受け取られるかもしれませんが、でも、それは決して当たり前のことではありません。
なぜなら、「夜空のロマン」イコール「星座神話の夢幻性」である必然性は薄くて、むしろ「夜空のロマン」イコール「科学的宇宙像がもたらす驚異」である方が、19世紀以降は普遍的な在り様だったと思うからです。
これは換言すれば、センチメンタリズム(主情主義)的宇宙ロマンが、インテレクチュアリズム(主知主義)的宇宙ロマンを圧倒していたのが、日本の女学生文化における天文趣味の特質だということです。さらに、「異国憧憬とその日本的変容」という、過去本邦で何度も繰り返されてきたパターンが、ここにもまた見られる点も見逃せません。
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そして、上のことは実は女学生文化に限らず、野尻抱影や山本一清以降の日本の天文趣味全般に濃い影を落としているんじゃないか…というのが、私の常々考えていることです、そもそも、この冊子は無名の著者のオリジナルではなく、当時の一般向け天文書を切り貼りしたものでしょうから、往時の天文趣味の雛型に他なりません。でも、そこまで話を広げるとなかなか大変だ…というところで、今日の記事の冒頭につながるのです。
(この項、続くかもしれず、続かないかもしれません)
乙女の星空 ― 2025年03月03日 18時31分52秒
こういう小さな冊子を手にしました。
この冊子は表紙に工夫があって、単なる平面的な絵ではなく、窓ガラスにあたる部分を抜いて、窓越しに巻頭口絵の星空が覗いているという、なかなか凝った造本です。
その巻頭口絵がこちら。
あるいはこんなイラストも挿入されていて、レトロな「乙女チック」ムード全開です。
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『少女の友』(実業之日本社)は、1908年(明治41年)から1955年(昭和30年)まで続いた少女雑誌。戦前だと、ほぼ今の中・高生に当たる“女学生”、すなわち高等女学校の生徒らが愛読した雑誌です。国会図書館の第 148 回常設展示「女學生らいふ」(平成 19 年)の展示解説【LINK】は、この辺の事情を以下のように述べています(太字は引用者)。
「多くの少女雑誌が発売される中、二大人気雑誌は『少女倶楽部』と『少女の友』でした。発行部数で群を抜いていた『少女倶楽部』は、主に小学校高学年から女学校低学年を対象とし、地方の女学生が多く購読しました。少女小説や童話の他、受験の心得や時代物など内容は多彩でした。一方『少女の友』は、女学校高学年までを視野に入れ、同じ少女小説でもよりロマンティックなものを掲載し、少女歌劇の特集をするなど、抒情性豊かで繊細な誌面構成となっており、都市部の女学生に強い支持を受けました。」
(これまた乙女チックな裏表紙)
(同上 一部拡大)
この冊子の元の持ち主も山口高等女学校の女学生のようです。
その下に、この冊子の装丁・挿絵を担当した人の名前が「TSUYUJI」と見えますが、これは長谷川露二のことでしょう。
国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス【LINK】によれば、長谷川露二は本名を長谷川忠勝といい、1904年の生まれ。国会図書館の蔵書検索に当たると、1927年に雑誌「少女の友」「日本少年」「少女倶楽部」等にその名が見えるのが初出で、戦後はもっぱら幼児向け絵本や児童書の挿絵画家として活躍した方です。その最後の作品は1974年に出ているので、この前後に引退されたか、亡くなられたのでしょう。
ちなみに文中のカットをしげしげ見ると「TSUYUJI・E」とサインされていて、「あれ?TSUYUJI・H じゃないの?」と、最初首をかしげましたが、これはどうやら「露二・絵」の意味のようです。
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この冊子を手掛かりに、戦前の「乙女チシズム」ないし女学生文化と天文趣味の関連につい考えてみたいと思います(…といって、現時点では何の結論もないので、少し時間がかかるかもしれません)。
(この項つづく)
ギンガリッチ氏の書斎へ ― 2025年01月31日 12時36分46秒
(前回のつづき)
去年の暮れに書いた記事の末尾で、自分は「古典籍でなくてもいいので、ギンガリッチ氏の蔵書票が貼られた旧蔵書が1冊手に入れば、私は氏の書斎に足を踏み入れたも同然ではなかろうか…」と書き、そのための算段をしているとも書きました。
有言実行、その後、ギンガリッチ氏の地元・マサチューセッツの古書店で1冊の本を見つけ、さっそく送ってもらいました。
■Paul Kunitzsch,
『Arabische Sternnamen in Europa(ヨーロッパにおけるアラビア語星名)』.
Otto Harrassowitz (Wiesebaden, Germany), 1959. 240p.
『Arabische Sternnamen in Europa(ヨーロッパにおけるアラビア語星名)』.
Otto Harrassowitz (Wiesebaden, Germany), 1959. 240p.
パウル・クーニチュ氏(1930-2020)は、オーウェン・ギンガリッチ氏(1930-2023)に劣らぬ碩学で、生れた年も同じなら、長命を保ったことも同じです。…といっても、私は無知なので、恥ずかしながらクーニチュ博士のことを知らずにいたのですが、ウィキペディアの該当項目を走り読みしただけでも、氏は相当すごい人であることが伝わってきます。
氏はアラビア学というか、アラビアの知識・学問が中世を通じてヨーロッパにどう流入したかが専門で、その初期の代表作が、氏がまだ20代のとき世に問うた『ヨーロッパにおけるアラビア語星名』です。これは氏の博士論文を元に、それを発展させたものだそうで、氏の本領はアラビア科学の中でも、特に天文学だったことが分かります。
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手元の一冊には、著者の献辞があります。
「オーウェン・ギンガリッチに敬意を表して。ディブナー会議でのわれわれ二人の出会いの折に。1998年11月8日 パウル・クーニチュ」
ディブナー会議というのは、MITにかつてあった「ディブナー科学技術史研究所」(1992年開設、2006年閉鎖)が主催した会議のひとつだと思いますが、このときクーニチュ氏も来米し、両雄は(ひょっとしたら初めて)顔を合わせたのでしょう。
ただ、いくら代表作とはいえ、クーニチュ氏が40年近く前の自著を献呈するのは変ですから、おそらくクーニチュ氏の来訪を知ったギンガリッチ氏が、自分の書棚からこの本を持参し、記念のメッセージを頼んだ…ということではないでしょうか。クーニチュ氏はメッセージの中で、ギンガリッチ氏を敬称抜きの「呼び捨て」にしていますから、仮に初対面だったにしても、両者は旧知の親しい間柄だったと想像します。
その場面を想像すると、まさに「英雄は英雄を知る」を地で行く感があります。
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そして問題の蔵書票が以下です。
クリスティーズのオークションで見た、繊細な青緑の蔵書票(↓)でなかったのは残念ですが、これはギンガリッチ氏がもっと若い頃に使っていた蔵書票かもしれません。
ギンガリッチ氏の書斎の空気をまとった存在として、また両大家の友情と学識をしのぶよすがとして、これは又とない宝である…と自分としては思っています。このドイツ語の本を読みこなすのは相当大変でしょうが、スマホの自動翻訳の精度も上がっているし、文明の力を借りれば、あながち宝の持ち腐れにはならないもしれません。
(本書の内容イメージ。「アルデバラン」の項より)
3億3300万円 ― 2025年01月29日 19時10分29秒
昨年の暮れに、天文学史の大家・故オーウェン・ギンガリッチ博士(1930-2023)の旧蔵書の売り立てがあるという記事を書きました。
■碩学の書斎から
クリスティーズが主催するこのオークションが昨日、無事終了。
出品されたギンガリッチ博士ゆかりの品74点(古典籍73冊とアストロラーベ1点)のうち、10点は入札がなく、オークション不成立でしたが、それ以外は概ね好調で、落札額の合計額は214万8400ドル、1ドル155円で換算すると、3億3300万円ちょっきりという、まことに天晴れな数字になりました。
これはクリスティーズが事前に公表していた、74点の最高評価額(評価額は、例えば「5千ドル~8千ドル」のように幅を持たせてあります)の合計である、160万5500ドルをも大きく上回る結果で、手数料で稼ぐクリスティーズにとってはホクホクでしょう。
もちろん私には無縁の世界の出来事ですし、他人の懐具合を気にするのも下世話な話ですが、やっぱりこういうのは気になるもので、今回の結果を改めてレビューしておきます。その盛会ぶりを知ることは、ギンガリッチ博士の遺徳を偲ぶよすがともなるでしょう。
以下、タイトルと書誌はクリスティーズによる表示のままで、落札額には日本円(1ドル155円で換算)も添えておきます。タイトルから元ページにリンクを張ったので、本の詳細はそちらでご確認ください。
<落札額ベスト10>
47,800ドル(740万円)
37,800ドル(585万円)
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ちなみに、クリスティーズの最高評価額を大きく超えて、意外な高値を呼んだのは、
最高評価額2,500ドルのところ、5.54倍の13,860ドルで落札された
Mechanism of the Heavens, inscribed (Mary Somerville, 1831)や、同じく5万ドルのところ、3.53倍の176,400ドルで落札された、Stellarum Fixarum Catologus Britannicus (John Flamsteed, 1712-1716)〔これは高額落札の第3位に既出〕、あるいは同じく3,000ドルのところ、3.36倍の10,080ドルで落札された
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これまたちなみに、19~20世紀に作られた旅行客用のお土産品らしいアストロラーベは、最高評価額6,000ドルのところ、10,800ドル(167万円)とかなりの健闘です。
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これらの高価な品々を落札したのが誰かはまったく分かりません。
もちろん個人コレクターもいるんでしょうけれど、多くは名のある博物館とか図書館とかに収まることになるんでしょうか。こういうものは当然お金のあるところに吸い寄せられるので、以前記事にした上海天文館あたりにひょっこり登場する可能性もあるかな…と想像しています。
■ある天文コレクションの芽吹き
ポスト・アポカリプスに希望の灯あり ― 2025年01月14日 05時58分21秒
文明社会が滅び、荒廃した地球。
あのカタストロフを辛くも生き延び、荒野をさまようひとりの男。
男はある日、彼と同じように災厄を生き延びた人々が小さなコミュニティを作り、ささやかな「文明の灯」を守り続けているのを見い出した。信じられない思いでゲートを叩く男の前に、おごそかに現れたコミュニティの長(おさ)。それはかつて男が「師」と仰いだ人物だった…
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そんなSFチックな場面が現実にあるとは!!
いつものようにネット空間を徘徊していたとき、ふとFacebook上に「Vintage Astronomy Books」というグループが存在するのを見つけました。以下はその冒頭に書かれたグループ紹介。
「ここは、天文古書とその著者、天文エフェメラや思い出の品にまつわるストーリー・情報・画像を共有し、これら過去の魅力的な品々の収集と保存について語り合うことに特化したフォーラムです。興味深い天文古書がオークションにかけられたり、売りに出ている場合、メンバーが該当ページにリンクを張ることもありますが、このグループは売買の場ではないことに留意してください。また上述のとおり、(天文古書と関連がある場合を除いて)新刊書や、このグループの趣旨とは関係のない、一般的な天文学の話題について投稿する場所でもありません。」
なんと天文古玩的な場所でしょう!
このグループが作られたのは2019年2月、現在のメンバーは2,656人です。
そして、このグループのモデレーター(管理者)の名前を見たとき、私は「嗚呼!」と深く嘆息したのでした。
その名は Richard Sanderson 氏。
氏は以前、米マサチューセッツのスプリングフィールド博物館で学芸員をされていた方ですが、必ずしも天文の世界で有名な方とは言えません。しかし、サンダーソン氏は紛れもなく私の「師」であり、この「天文古玩」の生みの親なのです。
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このブログがスタートしたのは、2006年1月23日。
その開設直後に、私は「天文古玩の世界への招待」という連載記事を書きました。いや、書いたというか、別の方が書いたコラムを要約して翻訳しました。
それこそサンダーソン氏の文章であり、原題を『Relics of Astronomy's Past(過ぎ去りし天文学の形見)』といいます(以下、画像は過去記事より再掲)。

■天文古玩の世界への招待(1)
■天文古玩の世界への招待(2)…望遠鏡
■天文古玩の世界への招待(3)…オーラリー、天球儀
■天文古玩の世界への招待(4)…古書
■天文古玩の世界への招待(5)…星座早見盤、絵葉書、シガレットカード
■天文古玩の世界への招待(6)

連載を終えるにあたり、自分はこうも書きました。
「以上、リチャード・サンダーソン氏の天文コラムをご紹介しました。
真鍮製の望遠鏡、オーラリー、天球儀、アストロラーベ、古書、星座早見盤、絵葉書、シガレットカードなど、何とも魅力的なアイテムの数々です。
観望機材にかけるお金の一部でも、こうしたモノに回せば、天文趣味もまた別の滋味を発揮するのではないでしょうか?」
真鍮製の望遠鏡、オーラリー、天球儀、アストロラーベ、古書、星座早見盤、絵葉書、シガレットカードなど、何とも魅力的なアイテムの数々です。
観望機材にかけるお金の一部でも、こうしたモノに回せば、天文趣味もまた別の滋味を発揮するのではないでしょうか?」
私のその後の営みは、サンダーソン氏の描いた海図に従った航海に他なりません。私はサンダーソン氏という巨人の肩に乗った小人に過ぎず、このブログもサンダーソン氏のミミックに過ぎないのです。ですから、上で書いた「なんと天文古玩的な場所でしょう!」というのは真逆で、この天文古玩こそ「なんとサンダーソン氏的な場所でしょう!」と言わないといけないのでした。
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その後、サンダーソン氏とネット上で再会したのは2014年のことで、その折のことは以下の記事に書きました。
■天文古書の黄昏(1)
■天文古書の黄昏(2)

天文古書で有名な名物本屋の廃業に関して、サンダーソン氏が天文学史のメーリングリストに投稿した内容を紹介するものでしたが、天文古書の世界に弔鐘が鳴らされたようで、私もひどく暗い気持ちになったものです。
サンダーソン氏が件のMLにその後も投稿されることがあったのかどうか、少なくとも私は見た記憶がないので、氏のその後の動向はまったく分からず、おそらくサンダーソン氏の趣味の世界にも黄昏がやってきたのだろう…と勝手に思い込んでいました。
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そうした長い時の流れを経て、冒頭の出来事に戻るわけです。
最初に書いたことが決して戯言でないことが、これでお分かりいただけるでしょう。
私はFacebookを使ったことがなくて、使い方もよく分らないんですが、何はさておきグループメンバーに加えていただきました。このコミュニティが永く安住の地になるのか、再び荒野にさまよい出ることになるのか、映画のプロット的には後者ということになるのですが、これは現実世界の出来事なので、そうはならないかもしれません。
碩学の書斎から ― 2024年12月26日 05時51分32秒
「なんたること…なんたること!」と、2回心の中でつぶやきました。
いや、1回は心の中だけではなく、たしかに声に出しました。
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クリスティーズの主催する古書・手稿の売り立てが、来年1月、オンラインで開催されると聞きました。会期は1月14日から28日までの2週間です。
出品品目は全部で231点。それだけならたぶん「ふーん」でしょうが、今回心に響いたのは、天文学史の泰斗、故オーウェン・ギンガリッチ氏(Owen Jay Gingerich、1930-2023)の蔵書がそこに含まれていると聞いたからです。
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ギンガリッチ氏のことは、その訃に接した直後、昨年6月1日の記事で採り上げ、さらに3日、4日、5日と4回連続で話題にしており、そのときの自分がどれほど動揺していたか分かります。以下がその一連の記事。
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今回の売り立てのうち、ギンガリッチ氏の蔵書に由来するのは74点で、以下のページにその内容が詳述されています。もちろんこれがギンガリッチ氏の蔵書の全貌ではなくて、今回出品されるのは、そのハイライトたる古典籍だけです。
冒頭のアストロラーベは何だかフェイク臭いぞ…と思いましたが、そこはクリスティーズで、フェイクとこそ書いてないものの、「19世紀以降、インドかイランで旅行者向けのお土産用として作られたものだろう」と正直に書いています。それでも4千~6千ドルと結構な評価額なのは、ギンガリッチ氏旧蔵品という有難みが上乗せされているからでしょう。
まあ、アストロラーベはご愛嬌として(ギンガリッチ氏も誰かにお土産でもらったのかもしれません)、今回の目玉である古典籍を見ると、コペルニクス前夜からティコ、ケプラー、ガリレオに至る15~17世紀の稀覯本がずらりで、さすが碩学の書斎はすごいなあ…と驚き、さらにその評価額を見て再び驚くことになります。
ギンガリッチ氏のお父さんは、アメリカの地方大学で歴史を教えた先生で、教養はあったでしょうが、格別財産があったとも思えないので、ギンガリッチ氏の蔵書も刻苦勉励の末、一代で築かれたもののはずで、そのことも大いに尊敬の念を掻き立てます。
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ギンガリッチ氏は天文学史を研究し、その分野の古典籍のコレクターでした。
そして、私がさらに氏を敬仰するのは、氏は一方で博物趣味の徒でもあり、貝類の一大コレクターだったからです。その素晴らしいコレクションは、亡くなる直前に自身が教鞭をとったハーバード大学の比較動物学博物館・軟体動物部門に寄贈されたそうです。
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以下は「Astronomy」誌のWEB版に載ったギンガリッチ氏の追悼記事。
その写真から、在りし日のギンガリッチ氏の書斎の様子が偲ばれます。
■Owen Gingerich, historian of astronomy, passes away
Copernicus, Pluto, and many, many books: Astronomical
Copernicus, Pluto, and many, many books: Astronomical
research loses a legend.
By Samantha Hill (2023年6月19日)
By Samantha Hill (2023年6月19日)
氏のデスクのすぐ背後に飾られているのは、ティコが領したフヴェン島の古地図(※)で、同じものが私の書斎にも飾られていることは、何の衒(てら)いもなく自慢できることです。
そして、古典籍でなくてもいいので、ギンガリッチ氏の蔵書票が貼られた旧蔵書が1冊手に入れば、私は氏の書斎に足を踏み入れたも同然ではなかろうか…と、無駄なようでいて、私にとって決して無駄ではない次の算段もしています(今回の古典籍はちょっとどうにもならないですね)。
(上記クリスティーズのページより)
(※)1572年から1617年にかけて全6巻で出た、Georg Braun とFranz Hogenberg の『Civitates Orbis Terrarum(世界の諸都市)』からの一枚。
羊飼いの暦 ― 2024年12月19日 05時57分51秒
「羊飼いの暦」という言葉をネットで検索すると、真っ先に出てくるのがシェイクスピアと同時代の英国の詩人、エドマンド・スペンサー(c.1552-1599)の 詩集『羊飼いの暦』(1579)です。
しかし、今回話題にするのは、それとは別の本です。
学匠印刷家のひとり、ギー・マルシャン(Guy Marchant、活動期1483-1505/6)が、1490年代にパリで出版し、その後、英訳もされて版を重ねた書物のことで、英題でいうとスペンサーの詩集は『The Shepheardes Calender』で、後者は『The Kalender of Shepherdes』または『The Kalender and Compost of Shepherds』という表記になります(仏題は『Le Compost et Kalendrier de Bergiers』)。
マルシャンの『羊飼いの暦』は、文字通り暦の本です。
当時の常として、暦にはキリスト教の祝日や聖人の縁日などが細かく書かれ、さらには宗教的教訓詩や、星占い、健康情報なども盛り込んだ便利本…のようです。想定読者は文字の読み書きができる人ですから、その名から想像されるような「農民暦」とはちょっと違います(この「羊飼い」はキリスト教でいうところの司牧、迷える民の導き手の意味と思います)。
★
暦や占星への興味から、マルシャンの『羊飼いの暦』を手にしました。
(1493年パリ版)
もちろん本物ではなく、1926年にパリで作られた複製本ですが、複製でも100年近く時を経て、だいぶ古色が付いてきました。
一般民衆向けの本なので、言葉はラテン語ではなく、日常のフランス語です。…といっても、どっちにしろ読めないので、挿絵を眺めて楽しむぐらいしかできません。我ながら意味の薄い行為だと思いますが、何でもお手軽に流れる世情に抗う、これぞ良い意味でのスノビズムではなかろうか…という負け惜しみの気持ちもちょっとまじります。
さて、これが本書の眼目である「暦」のページ。
読めないなりに読むと、左側は10月、右側は11月の暦です。冒頭の「RE」のように見える囲み文字は、実際には「KL」で、各月の朔日(ついたち)を意味する「kalendae」の略。そこから暦を意味するKalender(calendar)という言葉も生まれました。
(12月の暦よりXXV(25)日のクリスマスの挿絵。こういうのは分かりやすいですね)
これは月食の時刻と食分の予測図でしょう。
星を読む男。
占星学の基礎知識もいろいろ書かれていて、ここでは各惑星が司る事柄が絵入りで説かれています。左は太陽(Sol)、右は金星(Venus)。
何だか謎めいていますが、たぶん天象占い的な記事じゃないでしょうか。
身体各部位を支配する星座を示す「獣帯人間」の図。
これも健康情報に係る内容でしょう。
恐るべき責め苦を受ける罪人たち。最後の審判かなにかの教誨図かもしれません。
★
印刷術の登場により情報の流通革命が生じ、世の中が劇的に変化しつつあった15世紀後半の世界。
それでも庶民の精神生活は、キリスト教一色だったように見えますが、庶民が暦を手にしたことで、教会を通さず自ら時間管理をするようになり、そして星の世界と己の肉体を―すなわちマクロコスモスとミクロコスモスを―自らの力で理解するツールを手にしたことの意味は甚だ大きかったと想像します。
その先に「自立した個の時代」と「市民社会」の到来も又あったわけです。
いつもの例の話 ― 2024年11月10日 14時26分53秒
うーむ…と思いました。
いつもの天文学史のメーリングリストに今日投稿された1通のメッセージ。
「私は 1955 年 9 月号から 「S&T(スカイ・アンド・テレスコープ)」誌を定期購読しており、「S&T DVD コレクション」に収録されている 2010 年以前の号(厚さにして12フィート分)は、紙の雑誌の方はもはや不要なので、送料さえ負担してもらえれば、すべて寄付したい思います。どこかでお役に立てていただけないでしょうか?」
今やどこにでもある話で、その反応もある程度予想されるものです。
A氏 「あなたのS&Tに早く安住の地が見つかりますように。私の手元にある某誌もずっと寄贈先を探しているのですが、うまくいきません。」
B氏 「数年前、私は S&T やその他の天文雑誌を、すべて UNC の学部生に譲りました。私は天文学部の教授である隣人を通じて彼と知り合いましたが、何でもオンラインでアクセスできる今の時代、そのようなもののハードコピーを欲しがる人を見つけるのは本当に大変です。幸運を祈ります!」
C氏 「私が退職したときは、ケニアで教えていた同僚が、私の歴史ジャーナルのコレクションを、自分が教鞭をとっていた大学に送ってくれました。海外とご縁があるなら、同じことを試してみてもいいかもしれませんね。」
D氏 「数年前、私もS&T について同様の状況に直面し、ずっと受け入れ先が見つからなかったため、結局、観測関連の記事だけは切り抜いて、将来の観測に備えてバインダーに保存することにしました。残念ながら、それ以外のものは一切合切、地元の古紙回収ステーションに出さざるをえませんでした。」
B氏 「数年前、私は S&T やその他の天文雑誌を、すべて UNC の学部生に譲りました。私は天文学部の教授である隣人を通じて彼と知り合いましたが、何でもオンラインでアクセスできる今の時代、そのようなもののハードコピーを欲しがる人を見つけるのは本当に大変です。幸運を祈ります!」
C氏 「私が退職したときは、ケニアで教えていた同僚が、私の歴史ジャーナルのコレクションを、自分が教鞭をとっていた大学に送ってくれました。海外とご縁があるなら、同じことを試してみてもいいかもしれませんね。」
D氏 「数年前、私もS&T について同様の状況に直面し、ずっと受け入れ先が見つからなかったため、結局、観測関連の記事だけは切り抜いて、将来の観測に備えてバインダーに保存することにしました。残念ながら、それ以外のものは一切合切、地元の古紙回収ステーションに出さざるをえませんでした。」
そう、表現はさまざまですが、要するに皆さん異口同音に言うのは、「それはもうただのゴミだ!」という冷厳な事実です。まあ、私は決してゴミとは思わないんですが、世間一般はもちろん、天文学史に関心のある人にとっても既にそうなのです。それに、かく言う私にしたって、「じゃあ送料はタダでいいから、あなたのところに送りましょう」と仮に言われたら、やっぱり困ると思います。
(eBayでも大量に売られているS&Tのバックナンバー)
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ただ一つのポジティブなメッセージは、アマチュア天文家にして天文学史に造詣の深いロバート・ガーフィンクル氏(Robert〔Bob〕Garfinkle)が寄せたものでした。
「私の S&T 誌のコレクションは、前身である「The Sky」と「The Telescope」誌にまで遡ります。私も会員になっているイーストベイ天文協会の友人から、シャボット・スペース&サイエンスセンターが、製本済みのS&Tを処分すると聞いたとき、私の手元には、ほぼ完全な未製本雑誌のコレクションがありました。シャボット から譲られたのは第 1 巻から第 67-68 巻 (1984 年) までで、その間の未製本雑誌はすべて箱詰めしてあります。製本済みの方は、約 7,000 冊の天文学の本、いくつかの天文学の学術誌の全巻、数十枚の月面地図、1800 年代から今日に至るまでの数百枚の月写真、そしてローブ古典文庫の約 3 分の 1 の巻とともに、今も私の書庫の棚に並んでいます。
なぜこんなにたくさんの本を持っているのかと何度も尋ねられました。その答は、私が原稿を書くのは夜間であり、ほとんどの図書館は夜には閉まっているからです。それに私の手元には、どの図書館も持ってない珍しい本が何冊かあります。そのうちの1冊は、これまで2冊しか存在が知られておらず、私の手元にあるのは、まさにそのうちの1冊なのです。」
なぜこんなにたくさんの本を持っているのかと何度も尋ねられました。その答は、私が原稿を書くのは夜間であり、ほとんどの図書館は夜には閉まっているからです。それに私の手元には、どの図書館も持ってない珍しい本が何冊かあります。そのうちの1冊は、これまで2冊しか存在が知られておらず、私の手元にあるのは、まさにそのうちの1冊なのです。」
いくら夜間に執筆するからといって、DVD版も出ている今、紙の雑誌を手元に置く理由にはならないですが、ガーフィンクル氏がこう言われるからには、氏にとって紙の雑誌には、デジタルメディアで置き換えることのできない価値が確かにあるのでしょう。
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遠い将来、人間の思念が物質に影響を及ぼすことが証明され、さらに物質上に残された過去の人々の思念の痕跡を読み取ることができるようになったら、そのとき紙の本はたとえようもない貴重な遺産となるかもしれません。
しかし、そんな遠い未来を空想しなくても、私は古い紙の本を手にすると、ただちに元の持ち主の思いを想像するし、それが読み取れるような気がすることさえあります、そのことに価値を感じる限り、紙の本はこれからも私の身辺にあり続けるはずです。
他愛ない宇宙 ― 2024年11月04日 11時36分44秒
他愛ないといえば、こんな本も届きました。
■Child Life 編集部、『The Busy Bee SPACE BOOK』
Garden City Books (NY)、1953
Garden City Books (NY)、1953
版元の Garden City Books も含めて、「Child Life」という雑誌は、今一つ素性がはっきりしません(同名誌が他社からも出ていたようです)。
裏表紙には、この「Busy Bee Books(働きばちの本)」シリーズの宣伝があって、いずれも幼児~小学生を対象としたもの。中でもこの「宇宙の本」は、いろいろな工作を伴うせいか、年齢層は相対的に高めで、小学校の中学年~高学年向けの本です。
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その内容はといえば、
この「プラネット・トス」は、切り抜いて壁に貼り、粘土玉をぶつけて点数を競うゲーム。
あとは迷路遊びとか、数字の順に丸を線で結ぶと浮かび上がる絵とか、
色塗りしてパズルを作ろうとか、火星人と金星人の追いかけっこゲームとか、
「宇宙暗号を解読せよ」等々、中身は本当に他愛ないです。
工作ものとしては、この「スペース・ポート」がいちばん大掛かりな部類ですから、あとは推して知るべし。
日本の学習雑誌の付録にも、同工異曲のものがあったなあ…と懐かしく思うと同時に、当時の日本の雑誌に比べて紙質は格段に良くて、そこに彼我の国力の違いを感じます。
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1953年といえば、日本では昭和28年。
エリザベス女王の即位や、朝鮮戦争の休戦、テレビ本放送の開始、映画では「ローマの休日」や小津の「東京物語」が公開…そんなことのあった年でした。
目を宇宙に向ければ、ソ連のスプートニク打ち上げ(1957)に始まる宇宙開発競争の前夜で、宇宙への進出は、徐々に現実味を帯びつつあったとはいえ、まだ空想科学の世界に属していた時期です。その頃、子供たちは宇宙にどんな夢を描いていたのか?…という興味から手にした本ですが、これが予想以上に他愛なくて、それ自体一つの発見でもありました。
でも、今となってはその他愛なさが貴くも感じられます。
「他愛ない」とは、けなし言葉である以上に褒め言葉でもあり、強いて英語に置き換えれば「イノセント」でしょう。
『星三百六十五夜』の書誌 ― 2024年09月24日 18時11分42秒
石田五郎氏の『野尻抱影伝』(中公文庫)を手に取り、昨日も触れた抱影の『星三百六十五夜』との出会いのくだりを読んでいて、「あれ?」と思ったことがあります(最近「あれ?」が多いですね)。
ちょっと長くなりますが、以下に一部を引用します(引用文中、読みやすさを考慮し、年代を示す漢数字をアラビア数字に改めました。太字は引用者)。
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「抱影の『星三百六十五夜』が中央公論社から出版されたのは昭和31(1956)年のことである。「お前、こんな本知っているか」といって突然私の目の前にさし出されたのが赤い表紙の真四角のこの本で、開いてみると扉には星座の絵がある。」(p.220)
「〔…〕さりとて助手の身分で楽に買える値段でもなく、奥付をしっかり目に入れて、帰り途の本屋で探した。麻布飯倉から虎の門、新橋、銀座、有楽町と大きな本屋の店頭で何軒もの「立ちよみ」のハシゴをした。〔…〕立ち読みの姿勢で最後の頁を閉じた。しかし四百円の定価は手が出せない。」(pp.226—9)
続いて30年後、思い出深いこの初版本に古書市で再会したくだり。
「〔…〕何とか初版本が手に入らぬものかと心がけていたが、〔…〕昭和61年、池袋東武の古書セールの初日の雑踏の中で出会った。めぐりあったが百年目、まさに盲亀の浮木、ウドンゲの花である。六千円で「親の仇」を手に入れた。〔…〕カラフルな記憶は茶色の絵具を刷毛ではいたような外函の装幀であった。真紅の表紙に黒点を点じた蛇遣い座の絵も記憶の通りであった。」(pp.229-30)
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今回の「あれ?」は、私の手元にある『星三百六十五夜』(下の写真)は、1956年ではなく1955年の発行であり、定価も400円ではなく800円、そして真紅の表紙ではなく青い表紙だったからです。
(表紙絵は、野間仁根による水瓶座と南の魚座)
(裏表紙には蠍座が描かれています)
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世はネット時代。机の前に座ってカチャカチャやるだけで、上の疑問はすぐ解けました。その書誌を概観してみます。(なお、以下に掲載の画像は自前の写真ではなく、各種の販売サイトで見かけた画像を寸借したものです。各撮影者の方に深甚の謝意を表します。)
『星三百六十五夜』は出版社を変え、判を変えていくたびも出ていますが、その「本当の初版」は1955年(昭和30)に出ています。それと石田氏が述べていた1956年(昭和31)版の奥付を並べた貴重な画像があって、これを見てようやく事情が分かりました。
上に写っているのは、昭和30年11月25日印刷、同年12月1日発行の「本当の初版」で、青い表紙の本です。1500部の限定出版で定価は800円。これが私の手元にある本です。
そして下は昭和31年2月20日印刷、同年2月25日発行で、特に「新装版」とも「第2版」とも銘打っていないので、これだけ見ると「初版」のように見えますが、正確にいえば「普及版・初版」で、定価は半額の400円。表紙は赤です。
(1956年・普及版表紙)
(外函のデザインは、限定版も普及版も同じ)
あとから気づきましたが、この辺の事情は、1969年に恒星社から出た「新版」に寄せた抱影自身の「あとがき」にすでに書かれていました。
「『星三百六十五夜』は初め、敗戦後の虚脱感から救いを星空に求めて日夜書きつづけた随筆集であった。それが図らずも中央公論社から求められて、一九五五年の秋に豪華な限定版を出し、次いで普及版をも出した。その後しばらく絶版となっていたが、六〇年の秋、恒星社の厚意で改装新版を出すこととなり、添削を添えた上に約二十篇を新稿と入れ代えた。
ここにさらに新版を出すに当たって再び添削加筆し、同時にこれまで「更科にて」の前書きで配置してあった宇都宮貞子さんの山村の星日記をすべて割愛して、二十四篇の新稿とした。従ってスモッグの東京となってからの随筆も加わっている。」
…というわけで、石田五郎氏の記述にはちょっとした事実誤認があります。
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この2冊を皮切りに、『星三百六十五夜』はいろいろな体裁で出版され、上記のように時期によって内容にも少なからず異同があります。本書は多くの星好きが手にした名著ですが、人によって違ったものを見ている可能性があるので、コミュニケーションの際には注意が必要です。以下、参考として発行順にそれぞれの画像を挙げておきます。
(恒星社厚生閣「新版」、1960)
恒星社から最初に出た版です。
恒星社版は、この後も一貫して横長の判型を採用していますが、おそらく俳句歳時記にならった体裁だと思います。上述のとおり、改版にあたり約20篇が新しい文章に置き換わっています。
(恒星社厚生閣「愛蔵版」、1969)
恒星社から出た1960年版をもとに、さらに添削加筆したもの。
これ以前の版では「更科にて」と前書きして、信濃在住の宇都宮貞子さんが綴った星日記から、毎月2、3篇ずつを選んで収録していましたが、これらをすべて削除し、24篇を抱影自身の新稿に置き換えてあります。
(中央公論社, 1978年1月~2月)
中公から文庫版で出た最初のもので、上・下2巻から成ります。
カバーデザインは初版の外函のデザインから採っていますが、内容は恒星社から出た新版を底本にしているのでは?と想像するものの、未確認。
(恒星社厚生閣「新装版」、1988)
外函のデザインが変わりましたが、中身は69年版と同じです。
(恒星社厚生閣「新装版」、1992)
再度の新装版。外函デザインが本体に合わせて横長になりました。
(中央公論新社、2002年8月~2003年5月)
この間、中央公論社は経営難から読売グループの傘下に入り、「中央公論新社」として再出発しました(1999)。その3年後に、中公文庫BIBLIOから「春、夏、秋、冬」の4巻構成で出たバージョンです。
(中央公論新社、2022)
一昨年、クラフト・エヴィング商會のブックデザインで出た最新版。
再び「春・夏」、「秋・冬」の2巻構成に戻りました。
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みなさんの記憶の中にある、あるいは書架に並んでいる『星三百六十五夜』はどれでしょう? こうして振り返ると、本当に息長く愛されてきた本で、まさに抱影の代表作と呼ぶにふさわしい作品です。来年で出版70年を迎えますが、これからもきっと長く読み継がれることでしょう。
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