小さな天体観測家2017年01月24日 06時55分34秒

1冊の愛らしい星の本。


■Linda Whittier MacDonald
  『The Little Star-Gazer』
  The Murray Press (Boston), 1928. 77p.

星にあこがれ、星のことなら何でも知りたい少女・スー。そしてスーの先生役を務める、星に詳しいスー叔母さん。本書はこの2人のスー、すなわち「リトル・スー」と「アント・スー」のやりとりで進む星座入門書です。


こういう問答体の星座入門書は、他にもいろいろあると思いますが、本書の特色は、そのやり取りがすべて手紙で行われている点です。しかも、この設定は単なる作者の思いつきではなくて、現実に作者には星好きの姪がおり、彼女と手紙でやり取りした事実と文面が、本書の下敷きになっています。


本書を捧げられたマリオン・ガートルードというのが、件の姪御さんでしょう。
彼女はB.A.という立派な称号を有していますが、これは文学士(Bachelor of Arts)の意味ではなくて、「こども天文学者(Baby Astronomer)」の略。こんなところに、叔母さんの温かいユーモアがあふれています。

作者の住む東部ボストンから、7歳の姪が住む西部コロラドまでは、ざっと3,200km。その距離を越えて、幾たびも交わされた夜空の往復書簡集――。

何と心優しい話だろう…と思います。この本は別に美しいイラストにあふれているわけでもなく、どちらかといえば地味な本ですが、でもそこに流れる空気は、とても気持ちがよいものです。


こういう優しい心根に触れると、「アメリカは、なぜこれほど粗雑な国になってしまったのか?」と素朴に疑問に思いますが、でもトランプ候補(今はトランプ大統領)に投票した人たちが求めたものこそ、まさに「古き良きアメリカ」のイメージなのかもしれず、この辺はちょっと流れが複雑です。まあ、それにしたって、今のアメリカが子供に優しい社会かといえば、大いに疑問符が付くと思います。

(見返しに書かれた、著者リンダ・マクドナルドの自筆署名と献辞。相手がマリオンだったらなお良かったのですが、どうも贈り先は違うようです。)

『星恋』のこと2017年01月02日 14時54分59秒

星の文学者・野尻抱影(1885-1977)と、星を愛した俳人・山口誓子(1901-1994)が著した句文集、『星恋』(初版1946)。その冒頭に置かれたのが、誓子の「星恋のまたひととせのはじめの夜」という一句です。

「星恋」というフレーズが何とも良いし、明るい星々がきらきら輝く今の時期の空を見上げて、冷たく澄んだ空気を胸に吸い込んだときの清新な気分は、星好きの人にとって言わずもがなの情趣でしょう。

敬愛する霞ヶ浦天体観測隊http://kasuten.blog81.fc2.com/)のかすてんさんは、毎年この句でブログ開きをされるのを嘉例としていて、私もそのマネをしてみたいと思います。

   ★

といって、私の方は地上の話題に終始するのですが、私の手元には『星恋』が5冊あります。なんでそんなにあるかといえば、『星恋』には終戦直後の昭和21年(1946)に鎌倉書房から出た初版と、昭和29年(1954)に中央公論社から出た版とがあり(この2つは内容が多少異なります)、さらに昭和61年(1986)に深夜叢書社から出た『定本 星恋』と合せて、全部で3種類の異版があるからです。このことは既に5年前に取り上げました。

■『星恋』ふたたび

でも、それだけでは5冊にまだ2冊足りません。
実は鎌倉書房版と中公版は、それぞれ後からもう1冊ずつ買い足しました。

(左・鎌倉書房版、右・中央公論社版)

なぜかといえば、それぞれに抱影と誓子の署名が入っているという、関心の無い人にはどうでも良いことでしょうが、『星恋』に恋する者には無視できない要素が含まれていたからです。


中公版は抱影の署名入り。ミミズの這ったような…というと叱られますが、抱影の独特の筆跡で、仏文学者の高橋邦太郎(1898-1984)に献じられています。


対する鎌倉書房版には、誓子の几帳面な署名と落款が印されています。

古書を手にすると、昔の人の体温がじかに伝わってくる気がしますが、この2冊は確実に二人の作者が手に取って、ペンを走らせた本ですから、両者の存在がなおのことしみじみと身近に感じられます。何だか今もすぐそばに座っているような気すらします。



  星恋のまたひととせのはじめの夜
  初春といひていつもの天の星

変るものと変わらぬもの。
世の転変を横目に、今宵も星と向き合い、そして自分の心と向き合いたいと思います。

古暦2016年12月31日 19時43分54秒

年賀状も書き、大掃除も済ませ、さてカレンダーを掛け替えようと思ったら、「そういえば、まだカレンダーを買ってなかったな」と気づき、買いに行ってきました。

何となく買い置きがあったような気がしたのですが、よく考えたら、それは一昨年の年末のことで、自分の頭の中では2年前と今の記憶がごっちゃになっていて、そんなことがあると、自分もいよいよか…と思います。

用済みの暦はそのまま捨ててしまいましたが、一年間世話になった古暦というのは、何となく人間臭さが伴うものです。俳句では歳末・冬の季語。

  引き裂いて鰯包むや古暦   高井几董
  古暦水はくらきを流れけり  久保田万太郎

古暦は過去の象徴として、懐かしくもあり、同時に振り捨ててしまいたいものでもあり、それはちょうど新しい暦が、期待と不安を感じさせるのと対になるものでしょう。

   ★

気前よく鰯を包むのに使われたりする一方で、暦はお上から特に許しを得た版元しか発行できない時代が長かったので、貴重なもの、有難いものという観念も伴っており、昔は古暦を大事にとっておく人が少なからずいました。今でも昔の暦がたくさん残っているのは、そのせいでしょう(和紙が貴重だったということもあるかもしれません)。


上は嘉永二年(1849)の会津暦。
会津暦は会津地方で印刷された地方暦の一種ですが、暦の日付けそのものは、江戸の幕府天文方の暦算に拠っています。(脇に書かれた「江戸暦 鈴木より至〔到〕来」というのは、その辺の事情を何か伝えているのかもしれません。)

この年は酉年で、干支でいうと己酉(きゆう、つちのととり)。
干支は周知のように60年で一回りするので、1849年の次は、1909年、1969年…と来て、来年の次の酉年、すなわち2029年は再び己酉の年になります。前回の酉年のことを思うと、2029年の酉年も、きっとあっという間に訪れることでしょう、

「明治百年」の祝賀行事を記憶する者として、黒船の時代からもう180年か…というのも感慨深いですが、アポロの月着陸から数えてもう60年か…というのは、いっそう驚きです(いずれも12年後の話です)。そして、蒸気船から月ロケットまで、わずか120年で走り抜けた人類の速力にも改めてビックリです。


まあ、何にしてもそれほど遠い昔のことではないのですが、江戸の人はマゲを結って、こんな暦を使って、煤けた家に暮らしていたわけです。

   ★


ときに、暦をめくっていたら、日食の記事があって「おや?」と思いました。
すなわち二月一日の項には、「日そく〔蝕〕九分半 五時三分右の上より欠けはじめ四時甚だしく四時八分左の上におはる」とあります。

Wikipediaを見たら、果たして「1849年2月23日(嘉永2年2月1日)江戸をわずかに外れて金環食が通った」とあって、煤けた家でマゲを結っていても、やっぱり幕末の人は、かなり正確な時の流れの中で生きていたのだなあ…と再び思い直しました。

   ★

…と古暦を見ながら、いろいろ思いにふけっているうちに、いよいよ今年も終わりが近づいてきました。
今年一年、「天文古玩」にお付き合いいただき、ありがとうございました。
来たる年が、どうか皆さんにとって良い年でありますように!


【付記】

なお、上の暦に押された「禁出門 治三郎文庫」の朱印は、印刷業界人にして日本印刷史の研究家でもあった、故・牧治三郎氏(1900-2003)の旧蔵品であることを示し、虫喰い跡のある古暦を丁寧に補修したのも、おそらく同氏の仕事でしょう。

ヴォルベルのこと2016年12月03日 14時06分47秒

身過ぎ世過ぎと言いますが、なかなか人として世を送るのは大変なことです。
今週は生業が突沸して、記事を書く余裕が持てませんでした。

その間も政権周辺はまさにやりたい放題、トランプやプーチンに恥を掻かされた恨みを、ここぞとばかりに国内で晴らして、溜飲を下げているようにも見えますが、結局は恥の上塗りをしているだけのことです。まあ、廉恥心のかけらもない手合いですから、その辺はどうでもよいのでしょう。

それにしても、お上公認の賭場を開帳するとなると、その周辺で蠢く有象無象の懐には、いったい幾らぐらい入るものなのでしょうか。そんないかがわしい利権のために、我々の身過ぎ世過ぎの成果を使うのはやめてくれと、声を大にして言いたいです。

   ★

…と、怒りをあらわにしたところで、おもむろに記事を再開します。

前回までの記事で、アピアヌスの『皇帝天文学』を眺めましたが、あそこで多用されていたのが「回転盤」、横文字でいうと「ヴォルベル(volvelle)」で、紙製の円形パーツをクルクル回すことで、天文現象をシミュレートする仕掛けでした。

天体とその運行は、基本的に球と円(あるいは楕円)に還元できる部分が多いので、素朴なヴォルヴェルでも、かなりの精度で各種の現象を再現できる…というのが、ヴォルベル盛行の要因でしょう。

今、「盛行」と書きましたが、実際ヴォルベルはアピアヌスの前からあちこちで用いられていたようです。英語版Wikipediaの「volvelle」の項を見ると、ヴォルベルは、アブー・ラインハーン・ビールニーといった碩学の働きによって、すでに11世紀のイスラム世界では多用されていたようなことが書かれています。そして、オリエント世界でヴォルベルから生まれた傑作が、あのアストロラーベというわけです。

アナログ計算機としてのヴォルベルは今も現役です。
お馴染みのところでは、星座早見盤がその直系の子孫。
なお、星座早見盤のルーツをアストロラーベとする資料もあって、たしかに両者は似ているのですが、アストロラーベからダイレクトに星座早見盤が生まれたというよりは、ヴォルベル一族の多様な進化の中で、片やアストロラーベが生じ、片や星座早見盤が作られ、両者が似ているのは、多分に偶然の産物だ…というのが真実に近いと思います。

   ★

日本にもヴォルベルはあります。


上は嘉永2年(1849)の序文を持つ『宿曜経撮要』という和本。
内容はさっぱり分かりませんが、要は日の吉凶を卜す、密教占星書の類でしょう。
その中に、和式ヴォルベルが登場します。


右側のは(最外周から)二十八宿、七曜、日付の3層構造、左側のも同じく3層構造で、こちらは本命星(占いの際は二十八宿から牛宿を除いて二十七宿として扱う由)と「運勢」の対応を見る「三九秘要法」のためのものらしいです。



まあ、何のことやらですが、宇宙と人間の照応関係をめぐる省察の歴史は、ヴォルベルの歴史以上に長く、他愛ない星占いとは言え、その根はなかなか深いです。

(でも、最近は人々の意識のあり様もちょっと変わって来て、外界が人間に与える影響の大きさよりも、むしろ人間が外界に与える影響の方を重視して、思いひとつで世界は変る…みたいな物言いを好むようです。人間の力が相対的に強まったせいでしょう。)


至宝の秘密2016年11月28日 06時25分08秒

(昨日のつづき)


さらにページをめくると、冒頭の星図に続き、ひたすら美麗な図版が続きます。


「LATITVDO SATVRNI」、すなわち「土星の(天球座標上での)緯度」を計算するための回転盤…らしいのですが、詳しい使い方は不明。昨日も書いたように、本複製には別冊の解説書が付属しており、そちらを読むと、個々の図版の詳しい用法が分かると思うのですが、まだじっくり読んだことはありません。


中には、こんなふうに見開きで2つの図が並んでいるところもあります。
左側はタイトルページにも登場したドラゴン。


『誰も読まなかったコペルニクス』の中で、著者ギンガリッチ博士が、「一番複雑に組み合わされたボルベルは7層に重なり、プトレマイオス説の周転円の理論をシミュレーションして水星の経度を見つけるという、アナログコンピュータの機能をもっていた」と書いていたのが、これだと思います。


いくつもの紙製パーツが紐でページに留めらられて、互いにクルクルと動きます。非常に手の込んだ作です。

「しかし」と、ギンガリッチ氏は続けます。

 「しかし残念なことにこの本は、印刷は見事だが可動部分の組み立てがお粗末きわまりなく、ボルベルのなかには、間違ったページに取りつけられたものや、糊で貼りつけられたためにうまく動かないものがあった。私は《ジャーナル・フォー・ザ・ヒストリー・オブ・アストロノミー》誌上で、この組み立てのひどさを訴えた。すると、しばらくしてエディツイオン・ライプツィヒ社は、専門的な意見を求めて私を東ドイツに招待した。」  (邦訳p.210)

これぞ「至宝の秘密」。この複製が完璧に見えて、実は完璧でない点です。
『誰も読まなかったコペルニクス』の本文には、この箇所にさらに註がついていて、巻末の註を読むと、そこに事の顛末がこう記されていました。

 「エディツイオン・ライプツィヒは『皇帝天文学』の修理用キットを印刷することに同意してくれたが、本を買った側に、このような改善の必要性に気づく人があまりいなかったために、このプロジェクトは取りやめになった。そのとき以来、私は中止になった修理プロジェクトのカラー校正刷りを使って、10冊以上の本を直した。1冊を修理するのに、普通で8時間近くかかった。それ以外にも、本の持ち主たちに10組以上の修理キットを配った。」 (邦訳p.352)

まめな人ですね。ギンガリッチ氏は、この修理キットをその後も長く手元に置いていたらしく、わりと最近も(2~3年前?)、希望者にこのキットを進呈する旨、メーリングリストでアナウンスしていた記憶があります。譲ってもらえばよかったかな…と思う反面、とても8時間かけて正確に修理する自信はありませんし、失敗したら元も子もありませんから、これはやめておいて正解です。

まあ、いずれにしても「至宝」は“使ってなんぼ”ではなく、恭しく拝んでこそのもの。「このような改善の必要性に気づく人があまりいなかった」のもむべなるかな、です。(アピアヌスの意気込みはそれとして、きっと献じられたカール5世だって、「ふーん」と眺めたぐらいで、この本を真面目に使ったりはしなかったんじゃないでしょうか。)

   ★

以下、おまけ。
前の記事で書いたように、東京三鷹の国立天文台の図書室にはこの複製本があって、開館時には誰でも閲覧できます。図書室の利用方法も含めて、以下のページにその紹介がありました。

マイナビニュース:
 宇宙 日本 三鷹!天文ファン御用達『国立天文台三鷹図書室』はビギナー歓迎

 http://news.mynavi.jp/articles/2010/10/19/mitaka/


至宝の扉を開く2016年11月27日 08時21分59秒

(昨日のつづき)


革でくるまれた表紙をめくると、これが動画にも登場していた、ドラゴンのタイトルページ。

(ちょっとピントが甘くなっています)


欄外の書き込み、手ずれでできたシミや汚れ、いずれもほぼ完璧に原本が再現されています。1967年当時のいかなる技術を使ってこれを製版したのか、私には想像がつきませんが、拡大しても網点が見られないので、オフセット印刷でないことは確かです(石版かもしれません)。


上のページをさらにめくると、神聖ローマ皇帝カール5世(CAROLVS QVINTVS)」への献辞と、皇帝の紋章が麗々しく掲げられています(この「V」は「U」と同じ)。


ここにも多面体を前にした人の姿が。
彩色は手彩色で、ところどころ金彩も見られます(上のMの字がそうです)。

   ★

ここで改めて書誌を確認しておきます。
本書の末尾には、以下の情報が記されています。


この番号入り複製本は総数750部で、州立ゴータ図書館(Die Landesbibliothek Gotha〔現・ゴータ研究図書館Die Forschungsbibliothek Gotha〕)所蔵のオリジナル(所蔵記号 Math. Fol. p.38)に基づく。1~200番の複製は、バイエルン州立図書館所蔵のオリジナル(所蔵記号 rar. 819)に従い、完全な彩色を施した。本複製は414番である。」

…というわけで、複製本にもグレードがあって、エディションナンバーが200番までの「上級品」には、特別な彩色が施されているそうです。手元にあるのは「並品」で、それでも私の目には十分美しく見えますが、さらにその上をいく彩色とはどんなものか?気になりますが、具体的な違いは今のところ不明です。

また、本複製には別冊の解説書(英独併記)が付属しており、そちらに書かれた情報も記しておきます。

「この複製本は、ドレスデン「人民の友愛」印刷所(Druckerei “Völkerfreundschaft”)で印刷され、ライプチヒのシャウアー彩色研究所で手彩色された。表紙に用いた革はハイニヒェン皮革製造公社の提供によるもので、ライプチヒのアルトマン製本所で製本された。付属の解説書は、ライプチヒのオフィツィン・アンダーセン・ネクセ(Offizin Andersen Nexö)公社で製版・印刷された。」

   ★

何せ「至宝」ですから、ここはもったいを付けて、さらに次回に続けます。

(この項つづく)

至宝登場2016年11月26日 14時57分36秒

『皇帝天文学』については、天文学史の泰斗、オーウェン・ギンガリッチ氏が、著書(邦題 『誰も読まなかったコペルニクス、早川書房、2005)の中で、それにまつわるエピソードを紹介しています。


その1つが、『皇帝天文学』が世に出てから40年後、1580年にティコ・ブラーエがこの本を大枚はたいて購入し、謎の多い天文学者パウル・ヴィッティッヒへの贈り物にした逸話で(そのときヴィッティッヒは、客人としてティコの城に滞在していました)、ティコの献辞が入ったその現物は、現在、シカゴ大学図書館にあるといいます(邦訳139頁以下、「第7章 ヴィッティッヒ・コネクション」参照)。

ギンガリッチ氏は、地動説が知識層にどのように受容されていったか、それをコペルニクスの『天球の回転について』の欄外書き込みを比較考証して跡付けるという、聞くだに大変な研究――何せ『天球…』の初版に限っても世界中に分散所蔵されているのですから――に手を染め、そのあれこれの追想記が、この『誰も読まなかったコペルニクス』で、まあ一種の「古書探偵譚」です。

氏の探索の手は、同時代の天文学書にも及び、『皇帝天文学』の書誌も当然のごとく熟知し、それについてさらにこう記しています(邦訳p.210。途中改行は引用者)。

 「エディツイオン・ライプツィヒは、すばらしい印刷の美術書や、図書館にある貴重な本の複製を刊行してドルを稼ぐことに熱心な東ドイツの大手出版社だった。

16世紀の出版界における偉業の一つは、『回転について』のわずか3年前に出版された、ペトルス・アピアヌスの『皇帝天文学』で、ブラーエが熱烈な思いをこめてヴイツティッヒに贈った豪華な本だ。この本は、回転円盤〔ボルベル〕がふんだんについた天体図をいくつも収め、人の手ですばらしい彩色を施した巨大な二つ折り判だった。一番複雑に組み合わされたボルベルは7層に重なり、プトレマイオス説の周転円の理論をシミュレーションして水星の経度を見つけるという、アナログコンピュータの機能をもっていた。

 エディツイオン・ライプツィヒは、チューリンゲン州中部のゴータの図書館にあった一冊のばらばらになった本をもとにして豪華な複製本を作り上げた。」

これが即ち昨日言及した複製本で、1967年に、全部で750部が作られました。
国内では東大の駒場図書館や、国立天文台の三鷹図書室が所蔵しており、千葉市はオリジナルの他に、複製本も持っているそうです。

複製本の方は、オリジナルのように何千万円ということはなくて、何十万円…というのも言い過ぎで、古書価だと十何万円です(「何十万」と「十何万」は似て非なるもの也)。


だから、我が家にもあります。
十何万というと、「お宝鑑定団」では「はい残念でした」レベルですが、言うまでもなく我が家にあるモノの中では最も高価な部類で、ボーナスをはたいて買った、まさに「我が家の至宝」。

このささやかな至宝を眺めながら、さらにギンガリッチ博士の言葉に耳を傾けてみます。

(この項つづく)

皇帝天文学2016年11月25日 22時22分17秒

昨日登場したペトルス・アピアヌス(1495-1552)。

一般に与えた影響という点では、1524年に出た『Cosmographia (宇宙誌)』が、彼の主著とされますが、天文古玩的には何といっても、1540年に出た『Astronomicum Caesareum (皇帝天文学)』を挙げなければなりません。

本書は、時の神聖ローマ皇帝・カール5世(在位1519-1556)に捧げられたもので、仰々しいタイトルは、それに由来します。

高さが50cm近くある堂々たる判型。美しい彩色図の数々。
そして何と言っても、天体の運行や天文現象を可視化するため、ヴォルベル(回転盤)を多用した、いわば「仕掛け絵本」の元祖というべき特異な造本。
まさに皇帝の目を喜ばせるに足る快著…というか奇書です。


その中身は、「Astronomicum Caesareum」で検索すれば、↑のような感じでバーッと出てきますが、そんな中、イギリスの王立天文学会が「王立天文学会の至宝(Treasures of the RAS)」と称して、この本を動画で紹介しているのが目に付きました。


約1分半の短い動画ですが、本の質感や、頁をぺらっとめくる感じがよく伝わると思います(探したら、他にも同書を紹介した動画はいくつかありました)。

   ★

個人的な思い出を述べると、以前、千葉市立郷土博物館で開かれた星図展を見学した際、本書をガラスケース越しに眺め、「!」と、声にならぬ声を上げた記憶があります(同館では『天文学教科書』の名称で展示していました)。

本書は1960年代に東独で精巧な複製が作られ、所蔵する館も少なくないですが、16世紀のオリジナルを所蔵するのは、国内では千葉市だけ(のはず)で、これは「千葉の至宝」として、大いに自慢してよいことです(下世話な話、この本は過去のオークションでは、ウン千万円の値が付いています)。

(この項つづく)

銀河草紙(後編)2016年09月22日 13時51分39秒

実は、昨日の文章にはウソが1つまじっています。

昨日は、あたかも『銀河草紙』の存在を知ってから、その現物を探し始めたように書きましたが、実際には古書店で現物を目にしてから、その関連情報を求め、その延長で国会図書館や大阪市立科学館のページに行き当たったのでした。

ですから、探すのには何の苦労もなくて、唯一の苦労は懐の問題だけです。

   ★

古書店で売っていたのは、中巻のみの端本でしたが、京大にだって上巻しかないのですから、私にとっては十分すぎる品です。

(題箋は下半分が欠)

そして中巻には、あの「天の川の条」が含まれているので、三巻の中でどれか一つ選べと言われたら、やっぱり中巻を取ると思います。


   ★

それにしても、七夕とはつくづく多義的な祭です。


それは織女=天女からの連想で、羽衣伝承と結びつき、


「七夕踊り」と盆踊りの類縁性に見られるように、盆の習俗とも結びついています。

そもそも七夕は、夏と秋の交代の時期の行事として、6月晦日の夏越(なごし)の祓から、7月中旬の盆行事まで続く一連の祭事に組み込まれたもので、本来は、歳送り・歳迎えの新年行事と対になるものです。

そこには笹流しに見られる祓えの要素もあり、7月7日を「七日盆」と称する土地もあるように、祖霊の魂祀りの要素もあり、そうした古俗に中国伝来の乞巧奠の性格が加わって、今のような七夕が成立した…というのが、平均的な七夕理解でしょう。

(冒頭二首。「年毎に逢ふとはすれど棚ばたの 寝る夜の数ぞ少なかりける」、「浅からぬ契りとぞ思ふ天の川 逢ふ瀬は年に一夜なれども」)

そして、古来多くの人が地上の男女の機微を天上に投影し、和歌を詠み、星に願いを捧げ、ますます陰影に富んだ行事として発展し、伝承されてきました。

   ★

現在では、幼稚園や保育園で短冊を書いたり、折り紙で飾りを作ったりする日に矮小化されている観もありますが、歳を重ねた今、たなばたの陰影に今ひとたび目を向けてみばや…と思ったりします。

銀河草紙(前編)2016年09月21日 06時39分49秒

台風一過。
彼岸の中日を前に、秋冷の気が辺りに満ちています。

おととい耳にしたツクツクボウシが、おそらく今年最後の蝉でしょう。はたして彼は伴侶を得ることができたのかどうか。伴侶どころか、彼は自分以外の蝉の存在をまったく知らずに、一生を終えたかもしれません。思えば何と孤独な生でしょう。

   ★

さて、話題を星に戻して続けます。

『銀河草紙』 ―― そんな美しいタイトルの本があることをご存知でしたか?
それは正真正銘の江戸時代の本で、しかも黄表紙や洒落本なんぞでなく、七夕習俗について真面目に綴った本なのですから、興味深いことこの上ないです。

著者は池田東籬(いけだとうり、1788-1857)、画工は菱川清春(1808-1877)。京都の書肆・大文字屋得五郎らが版元となって、天保6年(1835)に出た本です。

この本の存在を知ったのは、つい最近のことです。
でも検索したら、大阪市立科学館では、2011年から七夕関連のプラネタリウム番組の中でこの本を紹介しており、現物の展示も行われている由。

第45回 七夕にまつわる新発見(2011年6月12日)
 http://www.sci-museum.jp/staff/?p=22

   ★

気になるその内容ですが、幸いなことに、この本は国会図書館のデジタルコレクションで、全頁カラー画像で見ることができます(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2608095)。


今、巻ごとの章題を挙げれば、上巻は、「二星(じせい)相値(あひあふ)の説」、「乞巧奠の条」。中巻は、「天の川の条」、「鵲(かささぎ)の橋の条」、「梶の葉の条」、「願の糸の条」、「芋の葉の露の条」、「笹流しの条」。そして下巻は、「七夕といえる条」、「七日佳節の条」、「素麺を祝ふ条」、「星に小袖をかすといふ条」…となっています。

天文趣味の観点からは、中巻の「天の川の条」が、真っ先に気になるところです。
では、と目を凝らすと、

 「天の川は水気の精とも、金気の集まる処にして秋の気であるとも〔※〕、あるいは『遠望鏡(えんぼうきょう)』とかいうもので覗くと、小さな星が集まっているのが鮮やかに見えるともいう」

…という記述があって、当時すでに「天の川は星の集まりだ」という知識が、かなり行き渡っていたらしいのが、目を惹きます。(※なお、中国古来の五行説では、「木火土金水(もっかどこんすい)」の五要素を四季と関連付けて、「金」を秋に当てました。)

とはいえ、著者・東籬は、

 「自分は『天の学び』〔天文学の意?〕に暗いので、どれが正しいのかは分からないが、天の川は夏の終わりごろから見え始め、冬になると見えなくなってしまうことからすると、『秋気の集まったもの』という説が、もっとも妥当ではなかろうか…」

と自説を述べており、江戸の平均的知識人の理解の限界も、同時に示しています。

   ★

ときに、この素敵な本はかなりの稀本です。
全3巻を所蔵するのは、国会図書館と京都府立総合資料館のみで、あとは京大に1冊(上巻のみ)あるそうですが、他は皆目わかりません。

まあ、鮮明な画像をいつでも見られるので、現物はなくてもいいようなものですが、モノ好きとしてはそれでは物足りません。いくら部屋が濁ろうが、飽和しようが、やっぱりこれは探す価値がある…という辺りの顛末を記します。

(この項つづく)