ルネサンスが生んだ美麗な天文書2023年01月15日 12時39分10秒

昨日、いつもの天文学史のメーリングリストに、素敵な情報が寄せられました。
それはコペルニクスの同時代人、ペトルス・アピアヌス(1495-1552)が1540年に上梓した『Astronomicum Caesareum (皇帝天文学)』を紹介するページにリンクを張っており、リンク先はニューヨークのメトロポリタン・ミュージアム(MET)のサイトの一部になります。



『皇帝天文学』は、アピアヌスが神聖ローマ皇帝・カール5世(在位1519-1556)に捧げた「天文仕掛け絵本」といった体のもので、その造本は美麗の一語に尽きます。
この本については、以前も英国王立天文学会の所蔵本を紹介した動画を載せましたが【LINK】、そちらはわずか1分半のショートフィルムだったのに対し、今回の動画は6分間と、一層見応えがあります。


こういうのを見ると、当時の天文界に華やぎをもたらしたのは、天文学者本人ではなく、そのパトロンたちだったことがよく分かります。

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ちなみに、MET曰く本書の現存数は約40部。

METが所蔵する本は、1925年にHerbert N. Straus(1881-1933)という資産家から寄贈されたもので、ハーバートのお父さん、Isidor Straus(1845-1912)は、メイシーズ百貨店を経営した富豪であり、愛する妻とともにタイタニック号の事故で亡くなったと聞くと、ストラウス家の人には申し訳ないですが、実にドラマチックな感じがします。と同時に、400年の時を越えて、学問をもり立てるパトロンが健在であることも印象深く、現代の富豪たちも、あんまりエゲツナイことばかりせずに、ぜひ生きたお金の使い方をしてほしいものだと思います。

(イシドール・ストラウスは、男性である自分が女性や子供を差し置いて救命ボートに乗るわけにはいかないと乗船を拒否し、妻だけボートに乗るよう説得したのですが、妻も夫と離れることを拒んで、二人して海に没したそうです。その高潔な人柄がしのばれます。)

雪の森、星の林2022年12月24日 08時31分06秒

強い寒気が襲来し、各地で大雪だと天気予報は告げています。
私の住む町でも初雪。そしていきなりの大雪警報です。
雪に降り込められたおかげで、今日は一日静かに過ごせそうです。
記事のほうものんびりした気持ちで再開します。

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マックノートさんの星図ガイド(LINK)を見て、こんな本を買いました。


■Louise Brown(著) The Sky Winter Nights.
 The Womans Press (NY)、1920


副題は「自分の目で星空に親しみたいと考える多忙な若者のための授業」
著者のルイーズ・ブラウンさんは、タイトルページによれば、当時YWCAの教育部門に所属した人のようで、これは100年前に出た女性による女性のための星空ガイドです。

(「第3部 空を眺めよう~戸外における10のレッスン」)


星図は巻末に控えめに載っている程度で、わりと地味めの本ですが、この表紙はなかなか素敵ですね。


白銀の森で星を見上げて浮き立つふたりの女性。
その軽やかな様子に、見ているこちらの心も弾みます。
でもふたりが素足なのは、どういうわけでしょう?
なんとなく妖精じみた感じです。

大気が心底冷えきった晩。
空気の透明度が上がるにつれて、星の光は徐々に鋭さを増し、それに比例して星たちのシンチレーションもいよいよ激しく、その不安定な像は天文マニアを悩ませますが、レンズから目を離して虚心に空を見上げれば、そのきらめきは空の宝石さながの美観です。

妖精じみた彼女たちも、豪華な空の宝石箱を前にはしゃいでいるのかもしれませんね。

クロウフォード・ライブラリーを覗き込む2022年12月02日 20時38分13秒

今年イギリス国王になったチャールズは、皇太子時代に「プリンス・オブ・ウェールズ」を名乗っていました。個人の名前と称号は当然別物で、皇太子が替われば、自動的にプリンス・オブ・ウェールズが次の皇太子に引き継がれる仕組みのようです。

同様に「クロウフォード伯爵」というのも、これ全体がひとつの称号で、第26代クロウフォード伯爵も、爵位を継ぐ前は(そして継いだ後も)ジェームズ・ルードヴィック・リンゼイ(James Ludovic Lindsay、1847-1913)という個人名を持っていました。彼の家名はあくまでもリンゼイで、クロウフォードに改姓したわけではありません。(日本だと「前田侯爵」とか「三井男爵」とか、“家名+爵位”を名乗るので、ちょっと勝手が違います。「クロウフォード伯爵」というのは、むしろ「加賀藩主 前田利家」の「加賀藩主」に近いのかも。)

この人が築いた天文書の一大コレクションが、現在エディンバラ王立天文台に収蔵されている「クロウフォード・ライブラリー」だ…というのを、先日も話題にしました(LINK)。

ただ、上のような理由から、リンゼイ自身は自分の蔵書を「リンゼイ家文庫(ビブリオテカ・リンデジアーナ、Bibliotheca Lindesiana)」と称していました。

(クロウフォード・ライブラリーの貴重書群。

ただし、リンゼイ家文庫は、ジェームズ以前の家蔵書を含み、その内容も天文書以外に小説とか歴史書とか雑多なので、クロウフォード・ライブラリーよりも一層広い指示対象を持ちます。

そしてクロウフォード・ライブラリーに収まった以外のリンゼイ家蔵書は、巷間に流出して、今も古書店の店頭に折々並びます。そこにはリンゼイ家の紋章入りの蔵書票が麗々しく貼られ、おそらくクロウフォード・ライブラリーに並ぶ本も、それは同じでしょう。


クロウフォード・ライブラリーにはなかなか行けそうもないので、とりあえず蔵書票だけ買ってみた…というのが今日の話題です(このあいだの記事を書いたあとで思いつきました)。

世間には蔵書票マニアというのがいて、名のある蔵書票は単品で取引されています。私が買ったのもそれです。いじましいといえばいじましいし、直接クロウフォード・ライブラリーと関係があるような、ないような微妙な感じもするんですが、少なくとも天文書のコレクションが、まだリンゼイ家にあった頃は、手元の蔵書票が貼られていた本(それが何かは神のみぞ知る、です)も、同じ館に――ひょっとしたら同じ部屋に――置かれていたはずです。


それに、自慢じゃありませんが、我が家にはクロウフォード・ライブラリーの蔵書目録(1890、復刊2001)もあるのです。それを開けば、万巻の書籍の背表紙だけは、ありありと目に浮かぶし、そこにこの蔵書票が加われば、もはやエディンバラは遠からず、クロウフォード・ライブラリーの棚の間に身を置いたも同然です。(全然同然ではありませんが、ここではそういうことにしましょう。)

(蔵書目録は著者アルファベット順になっています。上はコペルニクスの項)

(でも、著者名順だけだとピンとこない領域があるので、主題別分類も一部併用されています。「C」のところに「Comet」関連の文献がまとめられているのがその一例)

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例によって形から入って、形だけで終わってしまうのですが、こういう楽しみ方があっても悪くはないでしょう。山の楽しみは登山に限りません。山は遠くから眺めるだけでも楽しいものです。

英雄たちの選択…ある古書の場合(後編)2022年11月06日 07時46分13秒

他人にはどうでもいいことでしょうが、当事者としては大いに緊張感をもって話を続けます。あまり勿体ぶっても良くないので、何の本を買ったのか、ここで明らかにしておきます。


掲載されている美しい表紙に、思わず目を奪われました。

■Mary Elizabeth Storey Lyle
 What are the Stars?
 Sampson, Low, Son & Marston(London)、1870

マックノート氏による解説を引かせていただきます。

 「1869年、次いで1870年には第2版が G.T.Goodwin 社から出ている。1869年に出た(おそらく初版の)Goodwin 社版は、より大型の判型で、下に掲げたセクションを囲むように、金色の12星座が描かれている。おそらくこれが費用の高騰につながったのだろう、私の所蔵本を含め、後の版ではこの部分が切り詰められているが、縮小後もなお非常に魅力的な本である。折々見かけるが、大判の本は希少。」

これを読めば、初版本に一層食指が動くのは当然です。
中身はモノクロ図版ばかりのようですが、多くの挿絵を使って、ヴィクトリア朝の女性や子供向けに、星座の見つけ方をやさしく説いた星座入門書です。いかにも当時の天文趣味の香気が漂う一冊。

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私がここで逡巡したのは、前回書いたように、状態の良い初版本はウン万円したのに、Acceptableな初版本は2千円以下だったからです。この本はどちらかといえば「ジャケ買い」に近い買い物なので、表紙の状態が何よりも重要で(表紙がきれいなら、中身も当然きれいでしょう)、Acceptable な本は本来問題にならないはずですが、ウン万円と千円だったら、やっぱり問題になるのです。(ちなみにもう1冊売りに出ていた後版の状態は「Good/Fair」と記載されていました。)

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さてアンサー編です。届いた本はこれでした(右側)。


「ああ良かった」と思いました。
確かに状態が良好とは言い難いですが、私の基準だと、これなら「Fair」はクリアしていて、良くて「Good」、悪くて「Goodマイナス」ぐらいの感じです。



中身はきれいで、まったく問題ありません。


背表紙はたしかに傷みが目立つので、イギリスの古書店主はこの点を考慮して「Acceptable」の評価にしたと、ご当人から伺いました。なかなか律儀で、本を愛する人です。

上のやりとりからお分かりと思いますが、実際のところ、私はこの本を袋入りのまま、ギャンブル気分で買ったわけではありません。ちゃんと事前に写真を送ってもらい、これならいいだろうと思って買ったのです(それぐらいの用心は、ズボラな私でもします)。ただ、写真はあてにならない場合もあるので、実物を手にとるまでは油断できず、今回はまずまずの結果だったので、「ああ良かった」と思ったわけです。

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今回の教訓は、陳腐ながらも「百聞は一見に如かず」ということです。
それともうひとつ、「跳ぶ前に見よ」

【おまけ①】
ときに、この愛すべきブックデザインを見て、私のお気に入りのもう1冊の本を連想しました。エドウィン・ダンキンの『真夜中の空(The Midnight Sky)』です。


丸い青い貼り込みと金の十二星座、それに中身も何となく似ています。


版元は違いますが、出たのは同じ1869年なので、どちらかが真似したわけでもないと思うんですが、こういうブックデザインが当時の流行りだったんでしょうか。

【おまけ②】
ちなみに、上で何度も言及した「申し分のない美本」は、古書サイトではなくアメリカのAmazonに出品されていたのですが、さっき見たら既に売れてしまったようです。世の中には懐が豊かで、しかも目端の利く人がいるものです。だから古書離れの現在でも、依然として果断さが求められるのです。

英雄たちの選択…ある古書の場合(前編)2022年11月05日 10時35分31秒

古書の状態表示は、英語だとまずFine(新品同様)Near Fine(ほぼ新品同様)から始まって、Very Good(良好)Good+(まずまず)Good(経年並み)と続き、最後にFair(可)というのが来ます。


GoodとFairは、業者によっても相当判断に幅がありますが、少なくとも「状態がいいとは言えない」ということで、「古書のGoodはGoodではない」というフレーズが囁かれるゆえんです。さらにFairともなれば、相当ボロボロの本を覚悟しなければなりません(日本の業者なら、はっきり「状態悪し」と書くところです)。

しかし、下には下があって、さらに「Acceptable」という表現があります。これはFairと同義で使われることもありますが、区別する場合は「本として読めないことはない」、すなわち商品として流通しうる下限に相当し、これより状態が悪ければ、すなわち紙屑です。

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…というのが話の前置き。

先日のマックノート氏の本に触発されて、1冊の本を注文することにしました。
その時点でネット上に売りに出ていたのは、以下の3点です。
1冊は判型が初版よりも一回り小さい後版で、状態の良くないもの。残りの2冊は初版ですが、1冊は上記の「Acceptable」で、状態は極め付きに悪そうです。最後の1冊は申し分のない美本ですが、お値段はウン万円以上するし、しかも海外発送はしない業者の取扱品です。

さて、ここで一番賢明な振る舞いは何か? 
NHKの歴史番組「英雄たちの選択」よろしく、そのときの私の心のうちに分け入ってみましょう。

選択A 「ふーむ、同時に3冊も市場に出ているということは、この本は決して稀本ではないのだろう。だったら、もう少し待てば、まずまずの状態で、もっと値頃の品が出てくる可能性は高い。ここはいったん購入を保留して、好機を待つのはどうか。」

選択B 「いや、古書との出会いは一期一会。ここで出会いを無下にして、あとで後悔しても遅い。ここはあの美本に目星をつけて、まずは先方と発送の可否や価格について交渉してみるのが良いだろう。最終的な選択はそれからでも遅くはないはずだ。」

さて、皆さんだったら、どんな選択をするでしょう?


まあ、これはどちらも理のあることで、たぶんAを主体にして、Bを並行して試みるというのが、磯田先生(「英雄たちの選択」の司会者)的には正解だと思います。

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しかし私が最終的に選択したのは、そのいずれでもなく「Acceptable」な1冊でした。
果たしてそれがどんな結果を招いたか、それを以下に書きます。

(この項、緊張感をはらみつつ続く)

銅製のゾディアック2022年11月02日 06時05分23秒

この前、マックノート氏の星図カタログを紹介しました。
あそこに載っている本で、私が持っていない本は多いですが、反対に私が持っている本で、あそこに載っていないものもまた多いです。

たとえば、関根寿雄氏の美しい星座版画集、『星宿海』
あれも英語圏で出版されていたら、きっとマックノート氏のお眼鏡にかなったんだろうなあ…と思いました。『星宿海』については、過去2回に分けて記事にしたので、リンクしておきます。

関根寿雄作『星宿海』 http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/06/10/6851030

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その関根寿雄氏には、『黄道十二宮』という、これまた変わった本があります。

(左:外箱、右:本体。本体サイズは10×7.5cm)

■関根寿雄(造本・版画) 「黄道十二宮」
 私家版、1978年 

まず目を惹くのは、その装丁です。


著者自装によるその表紙は、星雲や太陽を思わせる形象を切り抜いた銅板の貼り合わせによって出来ており、表紙の表裏がネガとポジになっています。


関根氏は版画家として銅板の扱いには慣れていたでしょうが、かといって金工作家でもないので、その細工はどちらかといえば「手すさび」という感じ受けます。が、そこに素朴な面白さもあります。

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ただし、『星宿海』とは違って、こちらは星図集ではありません。



ご覧のように、黄道星座のシンボル絵集です。そして多色木版の『星宿海』に対して、こちらはモノクロの銅版なので、受ける感じもずいぶん違います。

(扉)

(奥付)

当時、100部限定で作られ、手元にあるのは通番98。
内容は銅版画16葉と木版3葉で、銅版16葉というのは、十二宮が各1葉、十二宮のシンボルから成る円環図、扉、奥付、そして蔵書票を加えて16葉です。

(銅版作品の間に挿入されている木版画は、いずれも天体をイメージしたらしい作品)

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掌サイズのオブジェ本。
版画作品としての完成度という点では、正直注文をつけたい部分もなくはないです。
しかし、その小さな扉の向こうに、広大な宇宙と人間のイマジネーションの歴史が詰まっている…というのが、何よりもこの本の見どころでしょう。


星図収集、新たなる先達との出会い2022年10月29日 08時22分55秒

「星図コレクター」というと、質・量ともに素晴らしい、書物の中でしかお目にかかったことがないような、ルネサンス~バロック期の古星図が書架にぎっしり…みたいなイメージがあります。

そういう意味でいうと、私は星図コレクターでも何でもありません。
典雅な古星図は持たないし、特に意識してコレクションしているわけでもないからです。でも、19世紀~20世紀初頭の古びた星図帳なら何冊か手元に置いています。そして、そこにも深い味わいの世界があることを知っています。ですから、星図コレクターではないにしろ、「星図の愛好家」ぐらいは名乗っても許されるでしょう。同じような人は、きっと他にもいると思います。

そういう人にとって、最近、有益な本が出ました。
まさに私が関心を持ち、購書のメインとしている分野の星図ガイドです。


■Robert W. McNaught(著)
 『Celestial Atlases: A Guide for Colectors and a Survey for Historians』
 (星図アトラス―コレクターのための収集案内と歴史家のための概観)
 lulu.com(印刷・販売)、2022

「lulu.com(印刷・販売)」と記したのは、これが自費出版あり、lulu社が版権を保有しているわけではないからです。lulu社はオンデマンド形式の自費出版に特化した会社で、注文が入るたびに印刷・製本して届けてくれるというシステムのようです。
同書の販売ページにリンクを張っておきます。


著者のマックノート氏は、巻末の略歴によればエディンバラ生まれ。少年期からアマチュア天文家として経験を積み、長じて人工衛星の航跡を撮影・計測する研究助手の仕事に就き、ハーストモンソー城(戦後、グリニッジ天文台はここを本拠にしました)や、オーストラリアのサイディング・スプリング天文台で勤務するうちに、天文古書の魅力に目覚め、その後はコレクター道をまっしぐら。今はまたイギリスにもどって、ハンプシャーでのんびり生活されているそうです。(ちなみに、マックノート彗星で有名なRobert H. McNaught氏とは、名前は似ていますが別人です。)


本書は、そのマックノート氏のコレクションをカタログ化したもの。判型はUSレターサイズ(日本のA4判よりわずかに大きいサイズ)で、ハードカバーの上下2巻本、総ページ数は623ページと、相当ずっしりした本です。


収録されているのは全部で292点。それを著者名のアルファベット順に配列し、1点ごとに星図サンプルと書誌が見開きで紹介されています。

(日本の天文アンティーク好きにもおなじみの『Smith's Illustrated Astronomy』)

そこに登場するのは、いわゆる「星図帳」ばかりではなく、一般向けの星座案内本とか、星図を比較的多く含む天文古書、さらに少数ながら、星座早見盤や星座絵カードなども掲載されています。時代でいうと、18世紀以前のものが零葉を含め30点、1950年以降のものが16点ですから、大半が19世紀~20世紀前半の品です。これこそ私にとって主戦場のフィールドで、本当に同好の士を得た思いです。

(同じくギユマンの『Le Ciel』)

もちろんこれは個人コレクションの紹介ですから、この期間に出た星図類の悉皆データベースになっているわけではありませんが、私がこれまでまったく知らずにいた本もたくさん載っていて、何事も先達はあらまほしきものかな…と、ここでも再び思いました。

本書の書誌解題には、当該書の希少性について、マックノート氏の見解が記されていて、「わりとよく目にするが、初期の版で状態が良いものは少ない」とか、「非常に稀。全米の図書館に3冊の所蔵記録があるが、私は他所で見たことがない」…等々、それらを読みながら、「え、本当かなあ。それほど稀ってこともないんじゃないの?」と、生意気な突っ込みを入れたりしつつ、マックノート氏と仮想対話を試みるのも、同好の士ならではの愉しみだと感じました。

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円安の厳しい状況下ではありますが、この本で新たに知った興味深い本たちを、これから時間をかけて、ぽつぽつ探そうと思います。(こうなると、私もいよいよコレクターを名乗ってもよいかもしれません。)

ルナ・ソサエティのこと(4)2022年10月15日 08時14分32秒

月を愛でる奇妙な団体「ジャパン・ルナ・ソサエティ」で、実際どんな会話が、どんな雰囲気で行われていたのか、それを知る好材料として、1冊の本があります。


■荒俣宏・松岡正剛
 『月と幻想科学 (プラネタリーブックス10)』 工作舎、1979

1979年は、ちょうどジャパン・ルナ・ソサエティの活動期。
松岡正剛氏はその主宰者であり、荒俣宏氏はそこに参加していたメンバーです。その二人が、おそらく2~3時間かけて対談した内容(※)を文字に起こしたら、そのまま一冊の本になった…というわけで、これぞ談論風発、両者の博覧強記ぶりもすごいし、当時のルナ・ソサエティで、どんな丁々発止があったかを窺うに足ります。

(「第1談」の扉)

松岡――今日は僕が『話の特集』に一年間「月の遊学譜」を連載したのにちなんで、月の話が中心になるんだけれど、月っていうのは天体に浮かぶ物理的な月もある一方、「ルナティック」って言えば、精神がどういうふうにルナティックか(狂気じみているか)ということも関係あるわけですよね。あなたが一番初めに月に関心を持ったのはいつ頃ですか。
荒俣――僕がなんで「月の話」で引っぱり出されたかというと、前に『別世界通信』という本を出版しまして、それの冒頭で月の話をちょっと書いたので、そのせいだろうとおもっているんですが。
松岡――それもあるけど、本人がやっぱり気違いじみてるってこともある…。
荒俣――いや、そんなことはないですよ。(笑)

…というのが、対談の冒頭。両者の話題は、前回の『ルナティックス』もそうでしたが、古今東西のことに及び、尽きることがありません。対談の一部を無作為に切り取ってみると(pp.79-80)、

荒俣――英語だと、やっぱりルナティックですね。ルナティックというのは、「月的」という意味のほかに、ずばり「気のふれた」という意味もあるわけですから。
松岡――これはもう偶然の一致じゃないね。日本語の「憑き」、つまり「魔に憑かれる」のツキは「月」から来ているしね。
荒俣――黒魔術なども含めた異端密教が〝左手道″と呼ばれますが、大脳のうち体の左がわをコントロールする右半球は、驚いたことに瞑想や空想や内省といったルナティックな精神活動を司る場所でもあるんですね。
松岡――〝左手道″とか〝左道″というのはインド密教にある言葉だね。しかしこうなってくると、月と狂気との関係は抜き差しならないものになる。天台法華の智顗がよく言うんだけれど、そこには月と無意識の絶対的相関がある。
荒俣――あやしゅうこそ物狂おしけれ、とは兼好の名言でしょう。たしかに、日本の古典文学はそこに気づいていて、月を相当に重要視していましたね。『源氏物語』でも、たとえば時間の経過を月の描写によって暗示する技巧が使われていますし。
松岡――そこでいくつか歌を挙げたいね。「月平砂を照らす真夏の夜の霜」と歌った白楽天から出た、「夏の霜」っていう季語はね、もちろん真夏の月なわけだ。「生き疲れただ寝る犬や夏の月」と詠んだ蛇笏は、いいところを突いた。次に宮沢賢治をすこし読んでみるよ。

  あはれ見よ月光うつる山の雪は
    若き貴人の死蝋に似ずや
  鉛などとかしてふくむ月光の
    重きにひたる墓山の木々

賢治は月の歌をずいぶん詠んでいて、さすが月光派の極北に恥じないわけだけれど、「アンデルセンの月」はとくにお気に入りの造語で、「あかつきの瑠璃光ればしらしらとアンデルセンの月は沈みぬ」とやっている。

…と、全編ほぼこの調子です。こういう盛り上がりに、さらに第3者、第4者、第5者が加わり、いっそう混沌とルナティックの度を深めたのが、ジャパン・ルナ・ソサエティの例会ではなかったか…と想像しています。

いかにも楽しそうですが、一面狂騒的でもあります。
まあ、それこそが月の魔力でしょうが、そこには「若さ」という要素も大いに介在していました。今にして思えば、みな若かったからこそ、楽しめた時間であり空間だったのではないかと、妙に老人めいたことを言うようですが、そんな気もします。

(荒俣氏も、松岡氏も、当たり前の話ですが非常に若いです。今の「御大」の風情とはだいぶ違いますね。プロフィール紹介文にも、時代相が現れています。)


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ときに、松岡氏が時折口にされる、「ルナチーン」という謎の言葉の由来について、松岡氏自身が説明している箇所があるので、参考として挙げておきます(pp.94-95)。

松岡――〔…〕『ルナチーン』というのは、さっきも言ったアレクサンドル・ミンコフという東欧圏の作家で、最近僕は注目してる人です。ようするに今日の話みたいなもので、世の中がどんどん太陽じみてきて、ヤボテンばかりがエネルギッシュに動きはじめるんで、ある天文学者が月の雫を集めてペパーミントをつくるんですね。それをルナチーンという商品名で発売するんです。これを一つぶ飲むと、フワフワとして、二つぶコーヒーに入れるとコーヒーが酒にかわって、という、メチャクチャな話。(笑)で、「世界よ、ルナチーンでいっばいになれ!」というような月族宣言みたいなもの。
荒俣――夢かなんかの?
松岡――夢じゃなくて、もうメチャクチャな話。(笑)それ読んでから、僕は「さよなら」とか「紅茶」と言うとき「ルナチーン」と言ってるんですが、(笑)あまりはやらないから今日はぜひ、それをはやらせたいですねェ。〔…〕

(本書裏表紙)

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…と、ここまで書いて、せっかく書いたものを反故にするのも勿体ないので、そのまま載せました(貧乏性ですね)。でも、ジャパン・ルナ・ソサエティについて、もっとしっかりした情報を、昨夜ついに見つけたので、それを最後に載せます。

(この項、次回完結)

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(※注) つまらん詮索をするようですが、対談の終わりの方で、松岡氏が「あと十五分ぐらいで一応時間が来てるらしいんだけど」と区切りをつけてから、対談が終わるまでが約12ページ。本書の対談部分は90ページちょっとですから、全体を時間に換算すると、約2時間弱。よくこれだけの短時間で、これほどまでに話がふくらむものだと思います。

カロライン・ハーシェルの肉声を取り戻す2022年10月06日 20時45分23秒

現在、名古屋市科学館で「ウィリアム・ハーシェル没後200年記念展」が開かれていることは、以前お伝えしました(LINK)。

偉大な天文学者であるウィリアム・ハーシェル。
彼には、終生頼もしい相棒がいて、その助力がなければ、彼の偉大な発見の数々もどうなっていたか、一寸分かりません。少なくとも、彼が論文をまとめ、それを公表するまでに、だいぶ手間取ったことは確実です。

その相棒が、彼の妹カロライン・ハーシェル(Caroline Lucretia Herschel、1750-1848)です。彼女は兄ウィリアムの研究助手であると同時に、独立した天文学者でもあり、その実力と功績は誰の目にも明らかでしたから、晩年には栄えある王立天文学会ゴールドメダルを授与され、最終的に同学会初の女性会員にも選出されました。

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そのカロライン(と兄ウィリアム)の第一級の伝記資料として、『カロライン・ハーシェルの回想録と書簡集(Memoir and Correspondence of Caroline Herschel)』(1876)という本があります。


カロライン自身が記した追想録と手紙を編纂したもので、編纂したのはウィリアムの息子、すなわちカロラインから見れば甥っ子に当たる、ジョン・ハーシェルの妻であるマーガレット・ハーシェル。

カロラインとマーガレットは、要するに義理の叔母と姪の関係になるわけで、普通だったらわりと縁遠い関係だと思うんですが、マーガレットはカロラインのことを非常に尊敬しており、一族の歴史を記録する意味でも、本書の編纂を思い立ったのでした。

(カロライン92歳の肖像。上掲書口絵)

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さて、ここからが本題です。
昨日、全身が一気にざわつくような感覚を覚えました。

それは、この『回想録と書簡集』の元になった、カロライン自身の自筆草稿がマーケットに現れ、近々クリスティーズで売り立てがある…という知らせを耳にしたからです。貴重この上ない、しかも出版された本には載ってない情報も含む、あのカロラインの手稿がです。何ということだ!と思いました。


このニュースを知らせてくれたのは、イギリスのハーシェル協会です。
そこには、ハーシェルゆかりの地に立つ「ハーシェル天文博物館」が、この手稿の獲得に向けて募金活動を進めていて、今月末までに3万8千ポンド(約620万円)の基金増資が必要だ、だから皆さんもぜひ力を貸してほしい…というアピールが掲載されていました。

更なる詳細と募金情報は、下記のハーシェル天文博物館のサイトをご覧いただければと思いますが、そちらには基金増資目標額がさらに10万8千ポンド(約1800万円)と記されていて、どうも事態は容易ならぬことになっているようです。

■The Herschel Museum of Astronomy
 “Help Us To Give Caroline Herschel Her Voice Back”

博物館として、喉から手が出るほど欲しいことは痛いほど分かるので、私もハーシェル協会員として、貧女の一灯をと思っています。ご奇特な方は、ぜひお力添えを願います。

なぜ天文古書を?(後編)2022年09月11日 09時37分56秒

スチュアートさんの書き込みを読んだとき、実は微妙な違和感がありました。
それは、スチュアートさんが「天文古書なんて古臭いものを、なぜ一部の人は集めるのか?」と問うていたからです。

もちろんスチュアートさんの真意は全く違うところにあると思いますが、その問いの前提ないし含意は、「天文古書は古臭くて、実用性に欠け、そうしたものは読んでもしょうがないんだ」という考え方です。でも、私が天文古書に惹かれる理由(のひとつ)は、まさに「古風で実用性に欠ける」からなので、出発点からして全然違います。

(賑やかしの演出写真。以下も同じ)

京の伝統町家や、優美な茅葺の古民家を、単に「古臭い」とか「住みにくい」とかいう理由で取り壊して、新しい家に建て替える――実際そうした例は多いし、それは住む人の権利だとは思いますが、一部の人にとっては、はなはだ嘆かわしいことでしょう。私が天文古書をいとおしむ気分は、それに通じるものがあります。

人から人に伝わってきた古いものは、それだけで慈しむに足るし、ましてやそこに優美さや、往時の人の思いが感じられれば、それを尊重しないわけにはいきません。

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ここでちょっと注釈を入れておくと、「天文古書には実用性がない」と書きましたが、ある立場の人にとっては、天文古書にも立派な実用性があります。それは、過去の学説史を学ぶ人、つまり「天文学史」の研究者で、そうした人にとって、天文古書は大切な研究材料であり、いわば飯の種です。

研究こそしていないものの、私も興味関心は大いにあるので、天文学史家にはシンパシーを感じます。でも極論すれば、研究目的のためだけなら、デジタルライブラリでも事足りるので(今後、古書のデジタル化はますます進むでしょう)、モノとしての本は無くても良い…ということになりかねません。この点で、私の立場は純粋な天文学史家ともズレる部分があります。

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「天文古書好き」というのは、「天文好き」と「古書好き」の交錯領域に成り立つものでしょう。「真理を説く」という科学書の第一目的から逸脱してもなお、古民家のごとくそれを愛惜するというのは、もっぱら後者の観点からです。いわば審美的観点。


実際、天文古書はビジュアル面でも優美と呼ぶほかないものが多々あります。
古風な装丁もそうですし、その美しい挿絵の数々には、まったく目を見張らされます。まあ、美しい挿絵ならば現代の本にも多いわけですが、天文古書の場合は、まさに「古い」ということが重要な要素です。それは自分と過去の世界とのつながりを保証するものであり、甘美なノスタルジーを存分に託せるだけの頼もしさを備えています。

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そして、これまで何度も口にしてきた星ごころ」

16世紀の人は16世紀なりに、19世紀の人は19世紀なりに、そして21世紀の人は21世紀なりに、精いっぱいの知識と知恵で星空を見上げ、そこに憧れを投影してきたという事実、それが私のシンパシーを誘うわけです。この点では、古いも新しいもなくて、みな同格です。いずれも熱く、そして優雅な営みだと思います。


そして、現代の星ごころを知るためのツールはたくさんありますが、過去の人の星ごころを知ろうと思えば、何といっても天文古書が良き窓であり、好伴侶です。それが天文古書を集める大きな理由です。

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スチュアートさんの問いに対する答をまとめておきます。

「あなたは天文古書を集めていますか?」
はい、集めています。

「誰の本を?」
過去のあらゆる時代の星好きが著した本です。

「どんな本を?」
優美で、愛らしく、星ごころが横溢した本です。

「なぜ?」
それがまさに過去に属し、古人と語らう場となるからです。また審美的にも優れたものが多く、ロマンを感じさせるからです。