英国王立天文学会 図書室 ― 2012年05月10日 21時40分55秒
自分にとって理想の空間とは何だろう?
そんなことを考えながら、ネット上を日々徘徊しています。
本当は、それを自分の頭で考えて、オリジナルの空間づくりを目指すのがホンモノという気がしますが、私の場合は、手っ取り早く他人の真似をして済ませようという安易な心があって、基本的に他力本願です。先日のマクジー教授の書斎も、そんな徘徊の道筋で出会った素敵な空間の1つ。
本当は、それを自分の頭で考えて、オリジナルの空間づくりを目指すのがホンモノという気がしますが、私の場合は、手っ取り早く他人の真似をして済ませようという安易な心があって、基本的に他力本願です。先日のマクジー教授の書斎も、そんな徘徊の道筋で出会った素敵な空間の1つ。
★
日本ハーシェル協会のイベントに参加し、以前(2005年)、ロンドンの王立天文学会(Royal Astronomical Society ; RAS)を一度だけ訪問したことがあります。
天文趣味を標榜する者として、RASの図書室はやはり別格。「理想の空間」を考える際の重要な指針であることは勿論です。
2階分の高さのある部屋は、その2階相当部分にぐるりと歩廊をめぐらし、そこには螺旋階段でアクセスします。当然のごとく四面はすべて本。
もちろん表に出ている本ばかりでなく、書庫に収められた資料も無数にあって、偉大な天文家の手になる天体スケッチ、手稿、書簡など、英国天文学の至宝とよぶべきものがぎっしりと詰まっています。
この図書室はその後改築があったそうで、今は少し違った雰囲気かもしれませんが、この「時の番人」のような落ち着いたムードは、私の内部にかなり深刻な影響を残しています。
もちろん、RASといえども、ここは<図書室>ですから、理科室っぽい雰囲気はあまりなくて、それは別途補わなければなりません。
妖しい絵の素性を探る (後編) ― 2012年03月18日 10時15分54秒
(昨日のつづき)
その本とは、あのカミーユ・フラマリオンのベストセラー、『一般天文学 Astronomie Populaire』のドイツ語版です。
■Camille Flammarion,
Himmels-Kunde für das Volk.
N. Zahn, Neuenburg, 刊年なし(1907年頃)
※複数の古書カタログが、この本の刊年を1907年頃と記載しているので、きっと典拠があるのでしょう。今はそれに従います。
さて、待つことしばし。ドイツの田舎町から船便で届いた本を、ふるえる手で開くと…
「あった!!」
↑タイトルは「日本における黄道光」
フラマリオンの原著は、何回も版を重ねており、とりあえず初版(1880年)と1925年版をチェックしましたが、どちらにもキーナーの挿絵はないので、彼の挿絵はドイツ語版独自のもののようです。
↑印刷を手掛けたのはスイスのベルンの会社です。やはりこれはドイツ語版を出すにあたり、独自に増補した挿絵なのでしょう。
★
こうして推理が当たっただけでも、十分報われた気がしますが、あの名著(ただし独語版)の原画が手に入ったのですから、これはもう望外の喜びとせねばなりません。
キーナーが手がけた同書の挿絵原画は、この黄道光の絵を含め、当時一括してeBayに出品されていました。どこかに保管されていたのがまとめて発見されたか、関係者(遺族)が手放したかのいずれかでしょう。そうと知っていれば、そっくり購入する手もあったのですが、そこが神ならぬ身の悲しいところ。それでも、頑張って( 素性の知れない絵を思い切って買うのですから、これは相当な頑張りです)全部で4枚落札しました。
あとの3点は、北極のオーロラ、木星、土星の絵で、これらはまた機会があればご紹介することにします。
妖しい絵の素性を探る(前編) ― 2012年03月17日 18時07分25秒
きれいに撮れませんでしたが、絵の全体はこんな感じです(右上は照明)。
描かれた絵のサイズは、約38.5×26cm 。
水彩画の用紙に描いた絵を、別の台紙に貼り付けてあります。以前も書いたように、サインから察するに、これはRobert Kiener(1866-1945)というスイスの風景画家の作品。
そして、この絵の正体を雄弁に物語るヒントがこれ。
欄外にマーキングされた、いわゆる「トンボ」記号です。トンボは製版・印刷時の位置合わせのための印ですから、この絵は「純粋な絵」として描かれたのではなく、本の挿絵の原画として描かれたものだと見当がつきます。
そうと分かれば、あとは検索しまくるのみ。
じきにキーナーが、ある天文書の挿絵を描いていた事実が判明しました。「なるほど、これか!」…と思ったものの、100%の確証はないので、確認するには、決して安くはない本を購入しなければなりません。「うーん、そこまでするか?」とも思いましたが、もうここまできたら、ためらってはいけません。ええ、思い切って買いました。
(この項つづく)
炸裂する日本趣味 ― 2012年03月16日 21時07分33秒
今日はソメイヨシノの花芽がぷっくりと膨れているのに気付きました。
風は冷たいですが、春の足音はいよいよ確かなようです。
風は冷たいですが、春の足音はいよいよ確かなようです。
★
ところで、前回の奇怪なクロモカード。
あれから否応なしに思い出すのは、下の絵です(↓画像再掲)。
元記事は、今を去ること3年余り前のもの。
元記事を読むと、当時の私が、いかにこの絵を印象深く思ったかが分かります。
さて、この奇妙な絵がその後どうなったかというと

実は我が家にあるのです。
…というのは、つげ義春作品のしょうもない引用にすぎませんが(上図は同氏の『李さん一家』より)、私がその後異常な執念を燃やして、この絵の「正体」を明らかにしたことは、まだブログに書いてなかったと思うので、そのことを書きたいと思います。
天文古書と星ごころ ― 2012年03月04日 17時55分16秒
ブックデザインにも、英米、仏、独とお国ぶりがありますが、天文古書に関しては、どうもドイツの本に良書が多い気がします(ここでは、19世紀半ばから20世紀初頭の本をイメージしています)。
■Wilhelm Meyer
Kometen und Meteore 『彗星と流星』(第7版)
Franckh’sche Verlagshandung (Stuttgart), 1906, 104p.
上のような、他愛ないペーパーバックでも、その挿絵と文字の配列が何となく心憎い感じがします。
熱帯の空にすっと尾を曳く巨大な彗星。
中身は地味なモノクロページが続くので、それほど見所はありません。
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反対に、いちばんよろしくないのがフランスです。
そもそもフランスは版元装丁の習慣がない(皆無ではない)ので、買った人が好みの装丁を施すわけですが、結局は豪華なモロッコ革でくるんであればそれで良しとする気風があるらしく、贅を尽くした革工芸としての価値は認めるにしても、そこにどれだけ「星ごころ」が盛り込めているかというと、甚だ心もとない気がします。
装丁のみならず、フランスの天文書にはどうも「星ごころ」が乏しい。
フランス語が読めないのに、偉そうなことを言うのも滑稽ですが、それにしても、フランスの人が歴史的事件や人間臭いエピソードを好む傾向は、天文書の挿絵からも容易に感じ取れるものです。
フランス最大の天文啓蒙家、カミーユ・フラマリオンの著作を見ても、「天文学史」や「天文学者」、あるいは「星座神話」をめぐる記述が妙に目立ち、これはもうハッキリ国民性と言ってもいいのではないでしょうか。
★
森閑とした無限の世界への夢。あるいは宇宙的郷愁。
私がいう「星ごころ」とはそういうものです。賢治や足穂的リリシズムと親和的な、かつ明瞭に超越的(transcendent)な色彩を帯びたものです。
それにいちばん馴染むのが、ドイツの天文古書であるという事実は、たぶんドイツ精神の巨大な水脈である神秘主義思想と関係があるのではないか…というのは、今記事を書きながら思いついたことですが、けっこう正しい気がします。(←話半分に聞いてください。)
春日、望遠鏡、古書 ― 2012年03月03日 20時49分43秒
今日はひな祭り。穏やかな春です。
昨日、くしゃみが立て続けに出ました。
そして一晩明けたら、私は突然花粉症患者になっていました。
昨日、くしゃみが立て続けに出ました。
そして一晩明けたら、私は突然花粉症患者になっていました。
これまでも、何となく目がかゆいとか、予兆はありました。
しかし、まあそれほどでもなかったのですが、ここにきていきなりの発症です。
鼻水はとめどもなく流れ、喉もいがらっぽいし、しかも悪寒までしてきて、今日は昼からずっと寝ていました。
この間まで、他の人が花粉に苦しんでいるのを見て、何を大げさなと思っていましたが、いざ自分がその身になってみると、実に嫌なものですね。頭がずんと重い。
これ以上ひどくなったら、お医者に行ってきます。
★
そんなわけで記事を書くのも物憂く、HDDの隅で見つけた画像を1枚貼っておきます。
■Lucy Taylor,
Astronomers and their Observations.
Partridge (London), c1890, 160p.
典型的なヴィクトリア時代後期のブックデザイン。
表紙は可愛らしいんですが、中身はそれほどでもないので、古書としての評価は今一つで、昔のメモを見たら、買い値は15ドルでした。
この写真は、3年前の今頃、我楽多倶楽部のとこさんに撮影していただいたもの。
表紙に当たった陽光がいかにも春らしい。
そう、確かにここには句に詠み込みたいような仲春の諧調があります。
できることなら、理知的で繊細な句をよくした、若いころの芥川龍之介(俳号、我鬼)に詠ませたい。
ゆったりとした天文趣味の話(3)…ウォード夫人・後編 ― 2012年01月06日 20時59分34秒
メアリー・ウォードの『望遠鏡 The Telescope』(旧題・『望遠鏡指南 Telescope Teachings』)も、『顕微鏡』と同様に、自らの愛機(※)を使って、自分自身の目で観察したことを、美しいスケッチとともに紹介した好著です。
(※)口径5センチの屈折望遠鏡。それを勧めたのが、あの世界一の大口径マニア、ロス伯爵だったのは興味深い。
1859年に初版が出る直前、1858年に大空を翔けた巨大なドナチ彗星の水彩画は、天文学と美術のみごとな融合です。
実はウォード夫人のこの本と、ドナチ彗星の絵は、ずいぶん前にも記事で取り上げていて、まったく同じようなことを書いているのですが、その後、Brück博士の前掲書『Women in Early British and Irish Astronomy(初期の英国・アイルランド天文学における女性たち)』を読み、博士もウォード夫人のオリジナリティという点に注目されているのを知り、大いに意を強くした次第です。
以前の記事はこちら。
■メアリー・ウォード『望遠鏡』(1)~(6)
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/03/26/304129
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/03/27/305426
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/03/28/306782
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/03/30/308998
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/03/31/311136
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/04/01/311567
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ここで少し話がそれますが、上で触れたドナチ彗星の絵。
2006年に↑の記事を書いたときは、1876年の第4版を元に紹介したのですが、その後1859年に出た初版を手に入れて比べてみたら、挿絵の細部がかなり違っていることに気付きました。
↓は左が第4版、右が初版です。
彗星の尾の表現がずいぶん違います。何せ彗星登場から20年近く経っていたので、人々の記憶も薄れていたか、あるいは拡大誇張の方向に記憶が変形していたのでしょう。ウォード夫人が第4版の図を目にしたら、即座に修正を指示したかもしれませんが、このとき彼女はすでに故人となっていました。ともあれ、本を買う時は、版の違いにも注意を払うべきだということを改めて感じました。
(初版の図の尾の部分を拡大。濃淡表現が繊細かつリアルです。)
(彼女の天文家としての力量を示す、ドナチ彗星の連続スケッチ。この図は後の版にはなくて、初版のみに収められています。)
★
さて、話をもとに戻してさらに続けます。
あるいは日食、あるいは流星群…彼女がペンや絵筆で記録した天文現象は、いずれも魅力的であり、価値あるものでした。
「あらゆる点で、彼女の魅力的かつ教育的な著作は、彼女が憶測や理論化を排し、己の目で見たものだけを平易な言葉と絵で記載するという、博物学者たることの証しに他ならない。〔…〕こうした理由から、メアリー・ウォードの『望遠鏡』は、小型望遠鏡ユーザーの入門書として、まさに不滅の存在である。同時代におけるその価値は、平明な文章とすばらしい挿絵を組み合わせて、一般の人々の天文学に対する興味を大いに掻き立てたことだった。〔…〕
もし、彼女がもっと長命だったら、さらに観測を続けて、天文学の啓発家であるにとどまらず、きっとユニークな研究者としての地位を確立したことだろう。だが、現実はそうはならなかった。〔しし座流星群の観測記録を公にした〕わずか2年後の1869年に、彼女はまだ42歳の若さで亡くなったのである。」 (Brück前掲書、p.97)
惜しみても余りある死。
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彼女は大自然の驚異に対して、常に開かれた存在でした。その行動の背後には、神の被造物の精妙さや美しさを眺め、神の栄光をたたえたいという、強い動機づけがあったようです。その点で、私とまったく立場は違いますが、しかしここで「神の栄光」を「名状しがたい不可思議さ」や「奇態なカッコよさ」に置き換えれば、存外その距離は近いともいえます。
もちろん、私は精緻な観測をこらすわけでもなく、単純にこんなモノを買った、あんなモノを見つけたという、オメデタイ話ばかりしているので、ウォード夫人と我が身を比べるのは最初から無理ですが、しかし彼女の精神のありようは大いに学びたいと思っています。そして、天文学と博物学を並行実践した、その力強い知力に深い憧れを覚えます。
足穂の里へ(3) ― 2011年09月02日 20時08分30秒
夏を吹き飛ばす台風がやってきました。
台風が去った後には、きっと秋の高い空が広がっていることでしょう。
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経歴にアヤシサのつきまとう利吉ですが、彼が幼い一人娘(足穂の母)を近所に預け、猿を連れて旅回りをしていたのは若いころの話で、足穂が見知った祖父の姿は、あくまでも「入れ歯屋」のそれでした。
台風が去った後には、きっと秋の高い空が広がっていることでしょう。
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経歴にアヤシサのつきまとう利吉ですが、彼が幼い一人娘(足穂の母)を近所に預け、猿を連れて旅回りをしていたのは若いころの話で、足穂が見知った祖父の姿は、あくまでも「入れ歯屋」のそれでした。
「祖父の旅廻りが止されてからは、三十年以上になっていたろう。〔…〕祖父はともかく天井の低い二階を改造して、一人の書生を助手にして、彼のクレオソート臭い店を開いていた。近在からワラジがけで、また対岸の淡路島から舟に乗ってお客がやってくるような仕組で、つまり「入れ歯屋」である。それらのおとくい連は祖父の許に一泊し、午前中に彼らの歯並を取揃えて家路につくならいであった。町の人々はしかし、この入れ歯屋を未だに「猿屋」と呼びならわしていた。曾て真向かいの浄行寺の土塀ぎわに設けられた止り木に、いつも数匹のエテ公が日向ぼっこをしていたことによるらしい。しかし、おしまいまで居残って玄関に繋がれていた「三吉」も、いまは家人の思い出話に上るにすぎなかった。」 (「雪融け」)
足穂がはじめて天文趣味に目を開かれたのも、この漁師町時代にさかのぼる…というのも注目すべき事実です。
「俺の天文学趣味は、あの羊助〔註:利吉の作中での仮名〕の書生の購読していた講義録の挿絵がきっかけだ。竹筒の台ランプの下で、あの晩初めて見て驚嘆したのは太陽の黒点だった。巴形の襞に囲まれた真黒い孔々は、いずれもお日様の肛門のように受取られたものだ。」 (「地球」)
(↑いずれも横山又二郎著・早稲田大学出版部発行 『天文講話(訂正五版)』、明治41より。足穂が見たのがこれかどうかは分かりません。)
彼の機械趣味のルーツについても同様です。
彼は飛行機狂となる以前は自動車に、さらにその前は船舶に強い興味を向けていました。
「明石へ越してからは、波止崎に立って眺める大船・小船がいかほど私を魅了したことだろう。〔…〕ある日、私が色鉛筆で描いた千島丸のおしりの所へ、新規の友が8の字を書きそえた。その8のまんなかから短い柄をつけて、いうのだった。「蒸気にはみんなスコロクというものが付いとる。スコロクがないと船は走らへん。あとで浜へ行って、巡航船のおしりをよく見てみイ」〔…〕友が帰ってから私は裏口を出た。ペンキとチャン〔註:アスファルトの類〕の匂いがしている所に、お尻を海に向けてならんでいる明社丸・天神丸・琴平丸等々において、私は間違いもなく、これらの船のおしりに付いている真鍮製のスコロク、乃至そのスコロクを差し込む孔をみとめたのだった。」 (「明石」)
太陽黒点にも、スコロク(もちろんスクリューのことです)にも、お尻の穴を見て取るところが足穂らしいですが、私もスコロクを見に、足穂旧居の裏手に回ってみました。
今でも船はずらりと並んでいます。が、残念ながらお尻にささったスコロクは見られませんでした。(足穂のころの海岸は砂浜で、船体は岸に引き上げられていたのでしょう。)
(↑船だまりで見かけた「明石丸」。「明社丸」だとなお良かった。)
(この項つづく)
THE MOON …エルガーの月面図 ― 2011年07月22日 21時16分45秒
前回、思わせぶりに顔を出したのはこの本です。
エルガーが著した月面図の原典。
■Thomas Gwyn Elger
THE MOON:A Full Description and Map of its Principal Physical
Features.
George Philip and Son, London, 1895
8vo, 173p.
以前、京都のラガード研究所さん(http://lagado.jp/)が我が家に来られたときに、このブックデザイン、特に背表紙を激賞され、改めて見直した思い出があります。
本書に挿入されている図は4枚。月の表側を4つに分割して表示しています。
この前の1957年版とは違って、淡彩が施されています。
ちなみに、この本とは別に、月面図だけを別刷りにしたものが、当時売り出されていたようで、その案内が載っていました。壁にかけるのに便利なよう、厚紙で裏打ちされた品(4シリング也)もあったらしく、これはぜひ欲しいな…と思いますが、まだ現物を見たことはありません。
月面図以外は、ご覧のように月の地形解説がびっしり。
右下にケプラー・クレーターの説明がちらっと出ています。
内容は、純粋にクレーターの物理的特徴に限られ、ケプラーその人の伝記事項や、このクレーターがケプラーと命名されたいきさつ等は一切省かれています。
この辺は非常にサバサバしていて、何となくイギリス的だと思いました。
(漠然としたイメージですが、この本がもしフランスで出ていたら、そういう人文的な事項が、むしろ前面に出たんじゃないでしょうか。)
熱い話…古書と古書肆 ― 2011年06月24日 21時08分39秒
3日ほど前、某古書検索サイトからメールが来ました。
だいぶ以前、「探索本」に登録しておいた本が、カリフォルニアの本屋から売りに出ているよ…という連絡でした。
その本は、Deborah Jean Warner という女性研究者が著した、『The Sky Explored: Celestial Cartography 1500-1800』という、星図史の分野では、いちばん信頼できるソースとされる本です(最近は、これに Nick Kanas の『Star Maps: History, Artistry, and Cartography』が加わりました)。近年(1979)の出版物のわりに、相当な稀書で、市場に滅多に出てこない本です。私も結局入手をあきらめて、近くの大学図書館から借りだして、せっせとコピーした思い出があります。
上のメールは、この貴重な本が100ドルで販売されていることを告げていて、これははっきり言って大変な破格値です。よっぽど買おうかと思いましたが、でも本のコピーは手元にあるし、情報のためだけの本にそこまでこだわる必要もないと思って、見合わせることにしました。(最近は、私もだいぶ自制心が備わりました。)
もちろん、この本は私が買うまでもなく、すぐに売れていきました。
★
そして今日、また同じサイトからメールが来ました。
同じタイトルの本が、カリフォルニアの別の本屋から、649ドルで売りに出ているというのです。この2冊が同じ本だという証拠はありません。でも、ふつうに考えれば、2番目の本屋が抜け目なく立ち回ったか、あるいは地元のセドリ師(転売屋)が機敏に立ち回ったかのいずれかでしょう。
これは完全に合法的な行為ですし、世間的に珍しい話でもないのでしょうが、「熱い話」ではあるなあ…と思いました。古書の世界はまだまだ熱く、掘り出し物を狙う人々の視線も実に熱いものがあるゾと、今宵はビールと団扇を手にボンヤリ考えました。
だいぶ以前、「探索本」に登録しておいた本が、カリフォルニアの本屋から売りに出ているよ…という連絡でした。
その本は、Deborah Jean Warner という女性研究者が著した、『The Sky Explored: Celestial Cartography 1500-1800』という、星図史の分野では、いちばん信頼できるソースとされる本です(最近は、これに Nick Kanas の『Star Maps: History, Artistry, and Cartography』が加わりました)。近年(1979)の出版物のわりに、相当な稀書で、市場に滅多に出てこない本です。私も結局入手をあきらめて、近くの大学図書館から借りだして、せっせとコピーした思い出があります。
上のメールは、この貴重な本が100ドルで販売されていることを告げていて、これははっきり言って大変な破格値です。よっぽど買おうかと思いましたが、でも本のコピーは手元にあるし、情報のためだけの本にそこまでこだわる必要もないと思って、見合わせることにしました。(最近は、私もだいぶ自制心が備わりました。)
もちろん、この本は私が買うまでもなく、すぐに売れていきました。
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そして今日、また同じサイトからメールが来ました。
同じタイトルの本が、カリフォルニアの別の本屋から、649ドルで売りに出ているというのです。この2冊が同じ本だという証拠はありません。でも、ふつうに考えれば、2番目の本屋が抜け目なく立ち回ったか、あるいは地元のセドリ師(転売屋)が機敏に立ち回ったかのいずれかでしょう。
これは完全に合法的な行為ですし、世間的に珍しい話でもないのでしょうが、「熱い話」ではあるなあ…と思いました。古書の世界はまだまだ熱く、掘り出し物を狙う人々の視線も実に熱いものがあるゾと、今宵はビールと団扇を手にボンヤリ考えました。





























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