ハーグ新報とプラネタリウム ― 2026年04月12日 09時59分54秒
なかなか記事が書けずにいます。
新年度に入って前年度の報告事務が重なり疲弊しているとか、齢のせいで生産性が落ちたとか、理由付けはいろいろできますが、どうもこの「おっくう感」はそれだけではなくて、ちょっと鬱が入ってる気がします。
といって、別に不安焦慮にさいなまれたり、微小妄想にとらわれたりすることもなく、普通に日常生活を送っているのですが、なんだかひどく億劫で、根気や集中力が続かない感じが持続しています。ひょっとしたら、これは同世代の多くの人が感じていることかもしれず、そうなるとやっぱり齢のせいかな…と思ったり。
まあ、こういうちょっとしたことが積み重なって、老いの坂を上ったり下ったりしていくのでしょう。そのこと自体、興味深いことではあります。
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さて、億劫は億劫なりに、天文古玩道の鍛錬を欠かすことはなく、モノは単調増加を続けています。
1960年代の品とおぼしいラペルピン。
強い光を放つ十字の星は、あるいは北十字(はくちょう座)と南十字(みなみじゅうじ座)をシンボライズしたものかもしれません。そこに「Zeiss Planetarium Haagsche Courant」の文字が見えますが、これはオランダ・ハーグの老舗新聞、「ハーグ新報(Haagsche Courant)」の本社屋上にあったプラネタリウムのことで、この品はその記念バッジです。
(ハーグ新報社屋とプラネタリウム。これを見ると、2つの十字星は同プラネタリウムのシンボルだったようです。出典:Worldwide Planetariums Database)
ここにツァイス製プラネタリウムが設置されたのは1934年のことで、オランダでは最も古いプラネタリウムのひとつ。1976年の火災で建物が焼失したことにより、その歴史は幕を閉じましたが、辛うじて難を逃れた投影機本体は、今も別の場所に保管され、近年修復されて稼働可能になった由。
バッジの裏面に見える「Ferd Berentzen Maastricht」は、このバッジの製造メーカーで、1960~70年代、主に石油会社のロゴ入りノベルティグッズを手掛けた会社だそうですが、それが今ではオランダのレトロな広告文化を代表するアイテムになっていると、AIは教えてくれました。
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以下、余談。
プラネタリウムを運営していたハーグ新報は、ハーグ密使事件(1907)の舞台となった新聞社です。韓国が独立国家から日本の保護国に、さらに属領となる流れの中で、世界に韓国の苦境を訴えるため、時の高宗皇帝はハーグ万国平和会議に3人の密使を送りましたが、列国は出席を拒否。そこに手を差し伸べたのがハーグ新報です。密使たちに共同記者会見の場を設け、同紙がその声を大々的に報じたことは、欧州世論に強いインパクトを与えました。その結果、日本が態度を硬化させ、植民地支配のくびきが強まったことは歴史の皮肉ですが、同様のことは現在の国際政治でもしばしば見られます。
さらに後年、これはプラネタリウム閉館後のことですが、“ハーグのアル・カポネ”と恐れられたエーフ・ホース(Eef Hoos)の不正を同紙が報じたことで、ホース一味の怒りを買い、発行元のシトホフ社(ハーグ新報以外にも複数の新聞を発行していた親会社です)に対する大規模な自動車爆弾テロ事件が起こりました(1986年)。ホースは後に逮捕され、この事件はオランダにおける報道の自由に対する重大な挑戦として、今も語り継がれているとのことです。
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ドイツ占領下のハーグで、ナチス寄りの報道を行ったことは同紙の黒歴史とはいえ、ハーグ新報はリベラルな保守系日刊紙として、戦前も戦後も一貫して硬骨な報道を続けてきました(リベラルと保守は別に二項対立するものではありません)。
無駄なような気もしましたが、あえて色違いのラペルピンを買い足したのは、その姿勢を大いに是としたからです。
プラネタリウムのペーパーウェイト ― 2025年11月24日 12時44分01秒
我ながら執念深いですが、過去の話題を蒸し返します。
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投影式プラネタリウム誕生100周年を記念する話題の流れで、プラネタリウムのミニチュアがほしいなあ…とつぶやいたことがあります。
■リリパット・プラネタリウム
ツァイスモデルのミニチュアは、かつて机の上にちょこんと置けるペーパーウェイトが実際に作られたことがあって(1950年代頃?)、ネット上でその愛らしい姿を見ては、「ああ、いいなあ」と思っていました。
上の記事では、その後タカラトミーから投影機のカプセルトイ(ガチャ)が発売され、ひとまずそれで満足した顛末が記されています。
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しかし、こういうのはなかなか理性を超えた要素が働くので、ガチャを大人買いした後も、ペーパーウェイトのことが心の中でずっと気になっていました。それがようやく手に入った…というのが、今回の眼目です。
ご覧のように結構雑な作りですが、そこに愛らしい素朴美を感じます。
(本体は架台から取り外すことができます)
こうしてかつての願望が満たされ、まずはめでたし、めでたし…と言いたいところですが、この話には「おまけ」があります。
過去記事で借用した画像と並べても、両者はたしかに同じに見えるのですが、ちょっと妙な点があるのです(今気づきましたが、台座の形が少し違いますね)。
過去記事で触れたように、このペーパーウェイトはかつてEtsyで売りに出ており、その販売情報は今もネット上に残っています【LINLK】。
それによると、サイズは「Approx. 4 in L x 2 3/8 in dia」、即ち高さ10センチ、直径6センチとなっているのに、手元の品は高さ6センチ、直径4センチしかありません。これがパチモンでない限り、当時このミニチュアは2つのサイズが作られたことになります。
そもそもこのレプリカは、誰が何の目的で作ったのか、刻印等がないので一切不明です。まあ、作ったのはツァイス自身か、ツァイス製品を導入したどこかのプラネタリウムで、目的といえば何かの記念グッズのような気がしますけれど、だとすると大小2つのサイズをこしらえた理由は何でしょう? 豪華版と廉価版の違いでしょうか?
でも、商品として売られていたなら、もっと数が残っていそうなものですが、大にしろ小にしろ今や相当な稀品ですから、その作られた背景が依然として気になります(ちなみにEtsyで販売していた人と、私が購入した人は、いずれも米国の人です)。
こういう疑問が、また新たな執念を呼び起こすわけです。
天文小間物…チェコのハットピン ― 2025年09月04日 06時12分51秒
天文古玩趣味といっても、その範囲は広いです。
その中でも、私の個人的な嗜好が強く出ていると思うのは、ピンバッジ等のこまごました品です。私は昔からこまごましたものが好きで、なぜ好きか?と問われても答に窮しますが、たぶん昆虫好きとか、標本好きとかと根っこは一緒でしょう。世界の断片を集めることで、世界を再構成する気分を味わっているのかもしれません。
こういうこまごましたものを表す便利な言葉が日本語にはあります。
すなわち「小間物」。こまかい物だから小間物という、非常にわかりやすいネーミングですね。そして小間物に対する言葉が「荒物」で、昔は日用雑貨を商う店に「小間物屋」と「荒物屋」の区別がありました。
その伝でいうと、ピンバッジとか、おまけカードとか、あるいは幻燈スライドなんかは「天文小間物」で、天球儀や望遠鏡やアストロラーベ、掛図などは「天文荒物」と呼べるかもしれません。(片手に乗るかどうかが、私にとって両者の境目です。)
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さて、天文小間物のひとつにハットピン(ラペルピン)があります。
今ではあまり区別しませんが、元は文字通り帽子に付けるのがハットピンで、ラペル(上着の襟の胸元に近い部分)に付けるのがラペルピンだそうです。(以下、ハットピンで統一します。)
このハットピンは、1961年、チェコ北部の町フラデツ・クラーロヴェーに建てられた「フラデツ・クラーロヴェー天文台」(チェコ語:Hvězdárna Hradec Králové)に併設されたプラネタリウムの記念グッズです。
(裏面は何も書かれていません)
上で同天文台の完成年を1961年と書きましたが、公式サイト【LINK】によれば、その建設はすでに1947年から始まっており、カールツァイス・イエナ製ZKP-1を機材とする併設のプラネタリムは、1957年に先行オープンしていました。
このハットピンも、全体の雰囲気からすると、1950年代末から1960年代にかけての品だと思います。当時はまだチェコスロバキアの時代。
幅15ミリの小世界は、まさに天文小間物。
左は日・月食と星象図、右はドームを表現しているのかな?と思いますが、黒と白の地に金色が映える、全体に渋いデザインです。
先日の旧ソ連の人工衛星「プロトン4号」のピンバッジとほぼ同じ時代、同じ共産圏の国で生まれた品ですが、両者を見比べると、そこに書かれた文字がそもそも違うことに気づきます。
チェコ語はスラブ語派に属し、ロシア語とは親戚ですが、文字はキリル文字ではなく、ラテン文字。そのことは、宗教的に東方正教会ではなく、ローマ・カトリックの勢力圏内にあったことの間接的反映です。
首都プラハは、かつて神聖ローマ帝国の首都として、繁栄をきわめました。
その後、権勢の中心がウィーンに移るとともに、チェコの人はオーストリアに敵愾心を抱くようになりましたが、文化的には依然オーストリアと近しいものがありましたから、このハットピンの造形感覚にも、そうした歴史がひそかに影響しているのかもしれません。
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天文小間物もまた世界の断片です。
星を近づけた先人たち…反射望遠鏡とプラネタリウムの黎明期 ― 2025年04月06日 13時01分37秒
何だかぼんやりと過ごしているときに、ハッとするメールをいただきました。
メールの主は、「中村要とクック25cm望遠鏡」のブログ主であり、戦前~戦後の日本の望遠鏡史や天文趣味史の先達であるdouble_clusterさんです。そこには、現在、京都産業大学・神山天文台で開催中の或る展示会のお知らせが記されていました。
■企画展「西村製作所と中村要~反射望遠鏡にかけた夢~」
○日程: 2025年3月15日(土)~6月20日(金) 月~金曜日 9:00~16:30
○場所: 京都産業大学神山天文台(京産大キャンパス内)
○料金: 無料・予約不要
以下、公式サイトより。
「20世紀初頭、アメリカやイギリスで鏡を使った望遠鏡(反射望遠鏡)が作られていく中、ガラス鏡の反射望遠鏡製造技術を日本に持ち帰った山崎正光、その技術を日本に広めた中村 要、そして中村 要と協働し日本で初めて、ガラス鏡の反射望遠鏡を製作・販売することになる京都の理化学機器メーカー 西村製作所。
企画展「西村製作所と中村要~反射望遠鏡にかけた夢~」では、2026年に100周年を迎える反射式望遠鏡の歴史を取り上げ、どのようにして国産の反射望遠鏡が作られたのか、人と人との繋がりや当時の技術者たちの天文学や望遠鏡に対する情熱が形になるまでの軌跡を紹介します。」
企画展「西村製作所と中村要~反射望遠鏡にかけた夢~」では、2026年に100周年を迎える反射式望遠鏡の歴史を取り上げ、どのようにして国産の反射望遠鏡が作られたのか、人と人との繋がりや当時の技術者たちの天文学や望遠鏡に対する情熱が形になるまでの軌跡を紹介します。」
…と、これだけでも興味深いのですが、会期中の特別企画として来る4月19日(土)に、以下の特別講演会が予定されている由。
■企画展関連講演会(プラネタリウム100周年記念事業公認企画)
「日本の天文普及の黎明-西村氏・江上氏・金子氏の時代-」
○日時: 2025年4月19日(土) 13:00~18:30
○開催方法: 対面とオンラインのハイブリッド開催
○対面会場: 京都産業大学 12号館5階 12502教室
○参加費: 無料
内容の詳細は公式ページをご覧いただきたいですが、西村製作所の初代社長・西村繁次郎(1910-1992)、戦後間もない時期に「江上式プラネタリウム」を開発した江上賢三(1920-1997)、同じく「金子式プラネタリウム」の開発者である金子功(1918-2009)の三氏の事績に焦点を当てながら、日本製プラネタリウムの草創期と、それが天文教育に及ぼした影響を振り返る…という内容のようです。
当日は上記特別講演に先立ち、本展を企画された神山天文台学芸員の青木優美香氏による基調講演とギャラリートークが、また講演会終了後には、希望者による天体観望会も予定されています。
天文古玩的にこれは見逃せない内容ですし、あんまりぼんやりして、このまま人事不省に陥ってもよくないので、4月19日当日は、企画展の参観を兼ねて会場に足を運ぶことにしました。関心のある方はぜひご一緒しましょう(特別講演の参加は予約制です)。
巴里の天象儀 ― 2024年10月12日 16時05分16秒
最近はずっと円安なので、海外からモノを買うことがめっきり減りました。「洋星」にくらべ「和星」の話題が多かったのも、それが原因のひとつだと思います。
別にそれも悪くはないんですが、それだけだと幾分世界が狭くなるので、今月は久しぶりに何点か海の向こうに発注をかけました。もちろん予算が限られるので、他愛ない品ばかりですが、他人の目にはともかく、自分の目には魅力的に映ったモノたちですから、届くのが待ち遠しいです。
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下の紙モノは、今回購入したものではありませんが、以前買った品をぱらぱら見ていて、きれいな色合いが目に留まったリトグラフ。厚手の用紙にたっぷりとインクが載っています。
(シートサイズは31.5×24cm)
シートの裏面は白紙で、おもて面にも制昨年は書かれていませんが、アメリカの売り手は1959年という年次を挙げていました。隅っこに「29」という番号が見えるので、他にも一連の作品があって、その全体が1959年に作られたのかもしれません。いずれにしても、何か根拠があるのでしょう。
ここでテーマになっているのは。パリの科学博物館「Palais de la Découverte(発見の殿堂)」に併設されたプラネタリウムです。
冒頭「パリ大学」を冠しているのは、1940年から1972年まで、ここが組織上パリ大学に属したからのようです。「発見の殿堂、パレ・ド・ラ・デクヴェールト」は、1900年のパリ万博の折に建てられた、壮大な「グラン・パレ」の一部を利用して、1937年に開設された科学博物館で、ツァイスの投影機を備えたプラネタリウムも同時にオープンしています(これがフランスで最初の光学式プラネタリウムだそうです)。
「投影は金曜日を除く毎日午後。火・木・土曜日は午後9時まで」…と具体的な事項まで書かれているのは、これが純粋な宣伝用ポスターだからだと思うんですが、だとしたら、ずいぶん贅沢なポスターですね。しかも洒落ています。さすがはパリです。
原画の作者は、「色彩の魔術師」の異名をとった野獣派の画家、ラウル・デュフィ(Raoul Dufy、1877-1953)。
そしてデュフィの没後に、その作品を美しいリトグラフとして刷り上げたのは、アートポスターの制作で有名なパリの「ムルロ工房」です。
ばら色のパリの上空には、澄んだ紺碧の宇宙がひろがり、星や銀河が輝いています。さらにその上に雲があり、太陽があり…というところで、最初「ん?」と思いましたが、すぐに「ああそうか、プラネタリウムとはそういうものだったな…」と気づきました。
100年前のプラネタリウム熱 ― 2024年02月10日 17時36分49秒
プラネタリウムの話題で記事を続けます。
プラネタリウムの歴史の初期に、ツァイス社が作成した横長の冊子があります。
発行年の記載がありませんが、おそらく1928年ごろに自社のプラネタリウムを宣伝する目的で作られたもののようです。
(タイトルページ)
☆ ツァイス・プラネタリウム ☆
― 星空観望: テクノロジーの驚異 ―
― 星空観望: テクノロジーの驚異 ―
「目次」を見ると、
○なぜツァイスプラネタリウムが必要なのか?
○天文学者はツァイスプラネタリウムについてどう述べているか?
○ツァイスプラネタリウムの構造
○ツァイスプラネタリウムはどのように操作するか?
○演目
○プラネタリウムの建物は他の目的にも使える
○天文学者はツァイスプラネタリウムについてどう述べているか?
○ツァイスプラネタリウムの構造
○ツァイスプラネタリウムはどのように操作するか?
○演目
○プラネタリウムの建物は他の目的にも使える
…と並んでいて、「プラネタリウムの建物は他の目的にも使える」のページでは、“プラネタリウムのドームは、映画の上映会や音楽演奏会にも使えるんです!”と怠りなくアピールしており、ツァイス社が販売促進に鋭意努めていたことが窺えます。
こうしたプラネタリウムの概説に続いて、冊子は各地に続々と誕生しつつあったプラネタリウムを紹介しており、ボリューム的にはむしろこちらの方がメインになっている感があります。
(バルメン)
(ハノーファー)
(ドレスデン)
いずれもまことに堂々たる建物です。
試みにここに登場する各プラネタリウムの開設年を、ネット情報に基づき挙げてみます。
▼Barmen 1926
▼Berlin 1926
▼Dresden 1926
▼Düsseldorf 1926
▼Hannover 1928
▼Jena 1926
▼Leipzig 1926
▼Mannheim 1927
▼Nürnberg 1927
▼Wien 1927
▼Berlin 1926
▼Dresden 1926
▼Düsseldorf 1926
▼Hannover 1928
▼Jena 1926
▼Leipzig 1926
▼Mannheim 1927
▼Nürnberg 1927
▼Wien 1927
既述のように、ミュンヘンのドイツ博物館で世界初のプラネタリウムが商業デビューしたのは、1925年5月のことです。その直後からドイツ各地で、雨後の筍のようにプラネタリウムのオープンが続いたわけです。
まだ生まれたての、それこそ海のものとも山のものとも知れない新技術に、なぜ当時の人々は間髪入れず――しかも巨額の費用をかけて――呼応したのか?各地のプラネタリウムを作ったのはどんな人たちで、どこからそのお金が出ていたのか?いったい、当時何が起こっていたのか?
★
ネット情報を一瞥すると、たとえばライプツィヒ・プラネタリウムの場合は、時のライプツィヒ市長のカール・ローテが、ミュンヘンでプラネタリウムの試演を見て大興奮の末に地元に帰り、市議会に諮って即座に建設が決まったのだそうです。
(ライプツィヒ)
ライプツィヒに限らず、当時のプラネタリウムはほとんど公設です。
もちろん議会もその建設を熱烈に支持したわけです。ドイツのように都市対抗意識の強い国柄だと、一か所が手を挙げれば、我も我もとなりがちだったということもあるでしょう。それこそ「わが町の威信にかけて…」という気分だったのかもしれません。
それらは博覧会の跡地に(ドレスデン)、あるいは新たな博覧会の呼び物として(デュッセルドルフ)、動物園に併設して(ベルリン)建設され、人々が群れ集う場として企図されました。
(ベルリン)
プラネタリウムに興奮したのは、もちろん市長さんばかりではありません。ベルリン・プラネタリウムの場合は、初年度の観覧者が42万人にも達したそうです(これは日本一観覧者の多い名古屋市科学館プラネタリウムの年間40万人を上回ります)。
(デュッセルドルフ)
このデュッセルドルフの写真も興味深いです。
当時の客層はほとんど成人客で、子供連れで行く雰囲気ではなかったようです。これはアメリカのプラネタリウム草創期もそうでしたが、当時のプラネタリウムは大衆教育の場であり、それ以上に大人の社交場だったのでしょう。
(大人のムードを漂わせるデュッセルドルフのプラネタリウム内部)
「もう見ましたか?」 「もちろん!」
「今月のプログラムはすごかったですね」 「いや、まったく」
「今月のプログラムはすごかったですね」 「いや、まったく」
プラネタリウムなしでは夜も日も明けない―。
さすがにそれほどではなかったかもしれませんが、当時のプラネタリウム熱というものは、我々の想像をはるかに超えるものがあった気がします。
それはツァイス社という一企業の努力に還元できるものではなく、当時の科学がまとっていたオーラの力のゆえであり、その力があったればこそ、市長さんも市議さんも一般市民も、もろ手を挙げてプラネタリウムを歓迎したのでしょう。
「プラネタリウム100年」継続中 ― 2024年02月05日 20時50分47秒
しばらく前に、家でとっている新聞を「朝日」から地元の「中日」に替えたんですが、渋茶をすすりながら、地元のニュースにゆっくり目を通すのは、なかなか楽しいものです。
その中日の日曜版に、昨日「プラネタリウム100年」の特集記事が載っていました。
名古屋市科学館プラネタリウムは完成当時世界最大で、集客数は今もダントツ日本一だ…なんていうのも、読者の郷土愛に訴える、ご当地ネタの一種でしょう。
ドイツのカール・ツァイス社が光学式プラネタリウムを完成させ、その試験投影を行ったのが1923年10月のことです。爾来100年、昨年がちょうど「プラネタリウム100年」だということで、このブログでも関連記事を書きました。
でも、私は完全に認識不足だったのですが、「プラネタリウム100年」の記念行事は、2023年10月から2025年5月まで、世界中でまだまだ続くんだそうです。これは、プラネタリウムの商業ベースの本格運用が1925年5月に始まったことに注目したもので、去年はまだそのとば口に過ぎず、今年からが一層本格的な祝賀イヤーなのでした。
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というわけで、プラネタリウムの話題を引き続き取り上げたいところですが、取り急ぎ、関連ページにリンクを張っておきます。
(※)今回のイベントは、国際プラネタリウム協会(IPS;The International Planetarium Society Inc)とドイツ語圏プラネタリウム協会(GDP;Gesellschaft deutschsprachiger Planetarien e.V.)が共同で運営しているようです。
プラネタリウム100年 ― 2023年10月08日 23時03分18秒
プラネタリウム100年を追体験するため、遅ればせながら地元の名古屋市科学館に足を運びました。
■企画展「プラネタリウム100周年」
○期間 : 2023/9/26(火)~ 2023/10/22(日) 9:30~17:00(入館16:30まで)
休館日 10/9(月・祝)を除く月曜日、10/10(火)、10/20(金)
○場所:名古屋市科学館 天文館5階「宇宙のすがた」
○公式サイト:【LINK】
同館にはいわば「常設展」として、昔の投影機の展示も以前からあるのですが、こういう機会に眺めると感慨もひとしおで、改めてすごい迫力だと感じ入りました。
(名古屋市科学館プラネタリウムの先代機、ツァイスⅣ型)
(かつて愛知県東栄町の御園天文科学センターに設置されていた金子式プラネタリウム)
天体望遠鏡と並んで、プラネタリウムは星空への憧れが凝縮された装置です。
ただし、天体望遠鏡が「野生の星たち」の生態を観察する道具であるのに対して、プラネタリウムは「飼育環境下の星たち」を学習/鑑賞するためのものという違いに加え、有り体に言えば、それは星ですらなく、単なるその似姿にすぎないんですが、人々の星ごころの発露という点では両者甲乙つけがたく、その進化の歴史は多くの人間ドラマに満ちています。
かつて幾人のプラネタリアンが、この操作盤に手を触れたことでしょう。
その解説の声に耳を傾けた人々のことを想像すると、何だか無性に愛しさが募ります。
会場には、名古屋市科学館に納入された「ツァイスⅣ型263番機」の、貴重な設計図面も展示されていました。古風な青焼きから、往時の技術者の肉声が聞こえてくるようです。
プラネタリウムの歴史を説く壁面投影のスライドショーも充実しています。
「医薬品、光学機器の興和(Kowa)が2台だけ作った伝説・幻の早すぎたプラネタリウム」、「その後、あっさり製造打ち切り」――この辺の口吻は、何となく公立科学館のお行儀の良い解説を逸脱した、純粋なプラネタリウムファンのコメントのような趣があって、好感度大。
こちらは小型ホームプラネタリウムの展示です。同じ条件で実際の投影像を比較できるのは貴重な機会で、購入を考えている人には大いに参考になるでしょう。
(個別に撮った写真を並べたもので、実際の並び順とは違うかもしれません。)
これも常設展示ですが、ツァイスの光学式プラネタリウムに先立つこと約140年、18世紀後半に作られた、世界最大・最古の機械式プラネタリウム「アイジンガー・プラネタリウム」のレプリカです。
その脇には、オランダの時計メーカー、クリスティアン・ヴァン・デル・クラーウ【LINK】 が制作した「ロイヤル・アイゼ・アイジンガー リミテッドエディション」が展示されていて、「おお、これが」と思いました。といってもムーブメントのない外身だけですが、実物は世界に6つしかない、1000万円超えの逸品だそうですから、そう滅多矢鱈に展示できるものではありません(でも、明石の天文科学では今年6月に、その紛れもない実物が展示された由↓)。
★
こうして展示をゆっくり見てから、現役のプラネタリウムを鑑賞し、豊かな気分で家路につきました。一口にプラネタリウム100年といいますが、アイジンガーのことまで勘定に入れると、その歴史は250年にも及ぶわけで、これはウィリアム・ハーシェルに始まる現代天文学の歴史とちょうど重なります。1年前にハーシェル没後200年展が同じ会場であったことなども、道々ゆくりなく思い出しました。
リリパット・プラネタリウム ― 2023年09月20日 18時22分59秒
プラネタリウムの模型というのは、ありそうでないものの1つです。
もちろん、小型のホームプラネタリウムは山のようにありますが、あの古風なダンベル型のフォルムをした、机辺に置いて愛玩するに足る品は、ほぼ無いと言っていいでしょう。
ここで「ほぼ」と頭に付けたのは、以前、古い真鍮製のペーパーウェイトを見たことがあるからで、絶対ないとも言えないのですが、あれは極レアな品ですから、まあ事実上「無い」に等しいです。
(Etsyで見つけた商品写真。見つけたときには既に売り切れでした。ねちっこく探したら、過去のオークションにも出品された形跡がありましたが、稀品であることに変わりはありません。)
あれを唯一の例外として、あとは自分で図面を引いて3Dプリントした方とか、100均で手に入るパーツを組み合わせてDIYされた方とか、皆さんいろいろ工夫はされているようですが、入手可能な製品版というのは、ついぞ見たことがありません。プラネタリウム好きの人は昔から多いことを考えると、これはかなり不思議なことです。
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…という出だしで記事を書きかけたのは、今年の春のことです。でも、そんなボヤキだけでは記事にならないので、それは下書きで終わっていました。
しかし、昨日次のような情報に接して衝撃を受けました。
本文には、「タカラトミーアーツから、プラネタリウム100周年記念事業の公認企画商品「プラネタリウム100周年記念 ZEISS プロジェクター&ミニチュアモデル」がカプセルトイに登場! 2023年9月から全国のカプセル自販機(ガチャマシン)で順次発売」とあります。
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ナポレオン・ヒル『思考は現実化する』…というのは一種の自己啓発本で、昔はしょっちゅう新聞に広告が出ていましたが、さっきアマゾンで見たら、今でも着実に版を重ねているらしく、「へえ」と思いました。あの手の本としては古典中の古典なので、コンスタントな人気があるのかもしれません。
私は自己啓発が苦手なので、もちろん読んだことはありませんが、「思考は現実化する」というフレーズだけは記憶に残っていて、ふとした折に口をついて出てきます。今回も半ば呆然としながら、このフレーズを呟いていました。
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この手のものを買うのは久しぶりですが、この機を逃すときっと後悔するでしょうから、さっそく予約しました。
ヘイデン・プラネタリウムのペンダント ― 2023年09月19日 17時54分44秒
ニューヨークのヘイデン・プラネタリウムで、かつてお土産として売っていたペンダント。気楽なお土産品ですから、全体の作りは安手な感じですが、青緑の背景に光る銀のプラネタリウムは、なかなか美しい配色です。
(ペンダントの裏側)
で、気になったのは「これって、いつぐらいのものなのかな?」ということ。
鉄アレイ型の古風な投影機のシルエットは、これが少なからずビンテージな品であることを物語っています。
下はWikipediaの「Zeiss projector」の項に挙がっている同館の投影機の変遷を日本語化したものです(Zeissの型式呼称は、「Mark 〇〇」とか「Model 〇〇」とか、表記が揺れていますが。Zeiss社自身は後者を採用しているようなので、ここでも「モデル〇〇」で通します)。
ヘイデンは一貫してツァイス社の製品を使っており、そこには長い歴史があります。このうち明らかに異質なのは、ずんぐりしたお団子型のモデルIXです。
(ヘイデンの現行機種であるモデルIX。American Museum of Natural Historyのサイトより「Zeiss Projector」の項から転載)
日本でも最近はこういう形状のものが大半なので、「プラネタリウムというのはこういうもの」というイメージにいずれ変っていくのでしょうが、私にとってはやはり旧来の「ダンベル型」のイメージが強烈です。
下はヘイデンを被写体にした同時代の報道写真で、eBayで見かけた商品写真をお借りしています。
左は1935年、右は1960年とクレジットされていたので、それぞれモデルIIとモデルIVでしょう。本体の見た目はそんなに変わりませんが、昆虫の脚っぽい支柱がすっきりしたのが目立つ変化です。これはその後のモデルVIも同様で、モデルVIになると、さらに支柱のみならず、投影機の胴体周りも幾分すっきりしています。
(ヘイデンの画像が見つからなかったので、これはシュトゥットガルト・プラネタリムに設置されたモデルVIの写真です(1977)。出典:ZEISS Archive)
ペンダントに描かれた投影機はデフォルメと簡略化が著しいですが、もろもろ考え合わせると、どうやらモデルVIの時代(1973~1997)のものらしく、全体がピカピカと新しいのも、この推測を裏付けています。
とはいえ、これでもすでに四半世紀以上昔の品であり、「プラネタリウム100年」の歴史の一コマを飾る品と呼ばれる資格は十分ありそうです。




























































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