巴里の天象儀 ― 2024年10月12日 16時05分16秒
最近はずっと円安なので、海外からモノを買うことがめっきり減りました。「洋星」にくらべ「和星」の話題が多かったのも、それが原因のひとつだと思います。
別にそれも悪くはないんですが、それだけだと幾分世界が狭くなるので、今月は久しぶりに何点か海の向こうに発注をかけました。もちろん予算が限られるので、他愛ない品ばかりですが、他人の目にはともかく、自分の目には魅力的に映ったモノたちですから、届くのが待ち遠しいです。
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下の紙モノは、今回購入したものではありませんが、以前買った品をぱらぱら見ていて、きれいな色合いが目に留まったリトグラフ。厚手の用紙にたっぷりとインクが載っています。
(シートサイズは31.5×24cm)
シートの裏面は白紙で、おもて面にも制昨年は書かれていませんが、アメリカの売り手は1959年という年次を挙げていました。隅っこに「29」という番号が見えるので、他にも一連の作品があって、その全体が1959年に作られたのかもしれません。いずれにしても、何か根拠があるのでしょう。
ここでテーマになっているのは。パリの科学博物館「Palais de la Découverte(発見の殿堂)」に併設されたプラネタリウムです。
冒頭「パリ大学」を冠しているのは、1940年から1972年まで、ここが組織上パリ大学に属したからのようです。「発見の殿堂、パレ・ド・ラ・デクヴェールト」は、1900年のパリ万博の折に建てられた、壮大な「グラン・パレ」の一部を利用して、1937年に開設された科学博物館で、ツァイスの投影機を備えたプラネタリウムも同時にオープンしています(これがフランスで最初の光学式プラネタリウムだそうです)。
「投影は金曜日を除く毎日午後。火・木・土曜日は午後9時まで」…と具体的な事項まで書かれているのは、これが純粋な宣伝用ポスターだからだと思うんですが、だとしたら、ずいぶん贅沢なポスターですね。しかも洒落ています。さすがはパリです。
原画の作者は、「色彩の魔術師」の異名をとった野獣派の画家、ラウル・デュフィ(Raoul Dufy、1877-1953)。
そしてデュフィの没後に、その作品を美しいリトグラフとして刷り上げたのは、アートポスターの制作で有名なパリの「ムルロ工房」です。
ばら色のパリの上空には、澄んだ紺碧の宇宙がひろがり、星や銀河が輝いています。さらにその上に雲があり、太陽があり…というところで、最初「ん?」と思いましたが、すぐに「ああそうか、プラネタリウムとはそういうものだったな…」と気づきました。
100年前のプラネタリウム熱 ― 2024年02月10日 17時36分49秒
プラネタリウムの話題で記事を続けます。
プラネタリウムの歴史の初期に、ツァイス社が作成した横長の冊子があります。
発行年の記載がありませんが、おそらく1928年ごろに自社のプラネタリウムを宣伝する目的で作られたもののようです。
(タイトルページ)
☆ ツァイス・プラネタリウム ☆
― 星空観望: テクノロジーの驚異 ―
― 星空観望: テクノロジーの驚異 ―
「目次」を見ると、
○なぜツァイスプラネタリウムが必要なのか?
○天文学者はツァイスプラネタリウムについてどう述べているか?
○ツァイスプラネタリウムの構造
○ツァイスプラネタリウムはどのように操作するか?
○演目
○プラネタリウムの建物は他の目的にも使える
○天文学者はツァイスプラネタリウムについてどう述べているか?
○ツァイスプラネタリウムの構造
○ツァイスプラネタリウムはどのように操作するか?
○演目
○プラネタリウムの建物は他の目的にも使える
…と並んでいて、「プラネタリウムの建物は他の目的にも使える」のページでは、“プラネタリウムのドームは、映画の上映会や音楽演奏会にも使えるんです!”と怠りなくアピールしており、ツァイス社が販売促進に鋭意努めていたことが窺えます。
こうしたプラネタリウムの概説に続いて、冊子は各地に続々と誕生しつつあったプラネタリウムを紹介しており、ボリューム的にはむしろこちらの方がメインになっている感があります。
(バルメン)
(ハノーファー)
(ドレスデン)
いずれもまことに堂々たる建物です。
試みにここに登場する各プラネタリウムの開設年を、ネット情報に基づき挙げてみます。
▼Barmen 1926
▼Berlin 1926
▼Dresden 1926
▼Düsseldorf 1926
▼Hannover 1928
▼Jena 1926
▼Leipzig 1926
▼Mannheim 1927
▼Nürnberg 1927
▼Wien 1927
▼Berlin 1926
▼Dresden 1926
▼Düsseldorf 1926
▼Hannover 1928
▼Jena 1926
▼Leipzig 1926
▼Mannheim 1927
▼Nürnberg 1927
▼Wien 1927
既述のように、ミュンヘンのドイツ博物館で世界初のプラネタリウムが商業デビューしたのは、1925年5月のことです。その直後からドイツ各地で、雨後の筍のようにプラネタリウムのオープンが続いたわけです。
まだ生まれたての、それこそ海のものとも山のものとも知れない新技術に、なぜ当時の人々は間髪入れず――しかも巨額の費用をかけて――呼応したのか?各地のプラネタリウムを作ったのはどんな人たちで、どこからそのお金が出ていたのか?いったい、当時何が起こっていたのか?
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ネット情報を一瞥すると、たとえばライプツィヒ・プラネタリウムの場合は、時のライプツィヒ市長のカール・ローテが、ミュンヘンでプラネタリウムの試演を見て大興奮の末に地元に帰り、市議会に諮って即座に建設が決まったのだそうです。
(ライプツィヒ)
ライプツィヒに限らず、当時のプラネタリウムはほとんど公設です。
もちろん議会もその建設を熱烈に支持したわけです。ドイツのように都市対抗意識の強い国柄だと、一か所が手を挙げれば、我も我もとなりがちだったということもあるでしょう。それこそ「わが町の威信にかけて…」という気分だったのかもしれません。
それらは博覧会の跡地に(ドレスデン)、あるいは新たな博覧会の呼び物として(デュッセルドルフ)、動物園に併設して(ベルリン)建設され、人々が群れ集う場として企図されました。
(ベルリン)
プラネタリウムに興奮したのは、もちろん市長さんばかりではありません。ベルリン・プラネタリウムの場合は、初年度の観覧者が42万人にも達したそうです(これは日本一観覧者の多い名古屋市科学館プラネタリウムの年間40万人を上回ります)。
(デュッセルドルフ)
このデュッセルドルフの写真も興味深いです。
当時の客層はほとんど成人客で、子供連れで行く雰囲気ではなかったようです。これはアメリカのプラネタリウム草創期もそうでしたが、当時のプラネタリウムは大衆教育の場であり、それ以上に大人の社交場だったのでしょう。
(大人のムードを漂わせるデュッセルドルフのプラネタリウム内部)
「もう見ましたか?」 「もちろん!」
「今月のプログラムはすごかったですね」 「いや、まったく」
「今月のプログラムはすごかったですね」 「いや、まったく」
プラネタリウムなしでは夜も日も明けない―。
さすがにそれほどではなかったかもしれませんが、当時のプラネタリウム熱というものは、我々の想像をはるかに超えるものがあった気がします。
それはツァイス社という一企業の努力に還元できるものではなく、当時の科学がまとっていたオーラの力のゆえであり、その力があったればこそ、市長さんも市議さんも一般市民も、もろ手を挙げてプラネタリウムを歓迎したのでしょう。
「プラネタリウム100年」継続中 ― 2024年02月05日 20時50分47秒
しばらく前に、家でとっている新聞を「朝日」から地元の「中日」に替えたんですが、渋茶をすすりながら、地元のニュースにゆっくり目を通すのは、なかなか楽しいものです。
その中日の日曜版に、昨日「プラネタリウム100年」の特集記事が載っていました。
名古屋市科学館プラネタリウムは完成当時世界最大で、集客数は今もダントツ日本一だ…なんていうのも、読者の郷土愛に訴える、ご当地ネタの一種でしょう。
ドイツのカール・ツァイス社が光学式プラネタリウムを完成させ、その試験投影を行ったのが1923年10月のことです。爾来100年、昨年がちょうど「プラネタリウム100年」だということで、このブログでも関連記事を書きました。
でも、私は完全に認識不足だったのですが、「プラネタリウム100年」の記念行事は、2023年10月から2025年5月まで、世界中でまだまだ続くんだそうです。これは、プラネタリウムの商業ベースの本格運用が1925年5月に始まったことに注目したもので、去年はまだそのとば口に過ぎず、今年からが一層本格的な祝賀イヤーなのでした。
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というわけで、プラネタリウムの話題を引き続き取り上げたいところですが、取り急ぎ、関連ページにリンクを張っておきます。
(※)今回のイベントは、国際プラネタリウム協会(IPS;The International Planetarium Society Inc)とドイツ語圏プラネタリウム協会(GDP;Gesellschaft deutschsprachiger Planetarien e.V.)が共同で運営しているようです。
プラネタリウム100年 ― 2023年10月08日 23時03分18秒
プラネタリウム100年を追体験するため、遅ればせながら地元の名古屋市科学館に足を運びました。
■企画展「プラネタリウム100周年」
○期間 : 2023/9/26(火)~ 2023/10/22(日) 9:30~17:00(入館16:30まで)
休館日 10/9(月・祝)を除く月曜日、10/10(火)、10/20(金)
○場所:名古屋市科学館 天文館5階「宇宙のすがた」
○公式サイト:【LINK】
同館にはいわば「常設展」として、昔の投影機の展示も以前からあるのですが、こういう機会に眺めると感慨もひとしおで、改めてすごい迫力だと感じ入りました。
(名古屋市科学館プラネタリウムの先代機、ツァイスⅣ型)
(かつて愛知県東栄町の御園天文科学センターに設置されていた金子式プラネタリウム)
天体望遠鏡と並んで、プラネタリウムは星空への憧れが凝縮された装置です。
ただし、天体望遠鏡が「野生の星たち」の生態を観察する道具であるのに対して、プラネタリウムは「飼育環境下の星たち」を学習/鑑賞するためのものという違いに加え、有り体に言えば、それは星ですらなく、単なるその似姿にすぎないんですが、人々の星ごころの発露という点では両者甲乙つけがたく、その進化の歴史は多くの人間ドラマに満ちています。
かつて幾人のプラネタリアンが、この操作盤に手を触れたことでしょう。
その解説の声に耳を傾けた人々のことを想像すると、何だか無性に愛しさが募ります。
会場には、名古屋市科学館に納入された「ツァイスⅣ型263番機」の、貴重な設計図面も展示されていました。古風な青焼きから、往時の技術者の肉声が聞こえてくるようです。
プラネタリウムの歴史を説く壁面投影のスライドショーも充実しています。
「医薬品、光学機器の興和(Kowa)が2台だけ作った伝説・幻の早すぎたプラネタリウム」、「その後、あっさり製造打ち切り」――この辺の口吻は、何となく公立科学館のお行儀の良い解説を逸脱した、純粋なプラネタリウムファンのコメントのような趣があって、好感度大。
こちらは小型ホームプラネタリウムの展示です。同じ条件で実際の投影像を比較できるのは貴重な機会で、購入を考えている人には大いに参考になるでしょう。
(個別に撮った写真を並べたもので、実際の並び順とは違うかもしれません。)
これも常設展示ですが、ツァイスの光学式プラネタリウムに先立つこと約140年、18世紀後半に作られた、世界最大・最古の機械式プラネタリウム「アイジンガー・プラネタリウム」のレプリカです。
その脇には、オランダの時計メーカー、クリスティアン・ヴァン・デル・クラーウ【LINK】 が制作した「ロイヤル・アイゼ・アイジンガー リミテッドエディション」が展示されていて、「おお、これが」と思いました。といってもムーブメントのない外身だけですが、実物は世界に6つしかない、1000万円超えの逸品だそうですから、そう滅多矢鱈に展示できるものではありません(でも、明石の天文科学では今年6月に、その紛れもない実物が展示された由↓)。
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こうして展示をゆっくり見てから、現役のプラネタリウムを鑑賞し、豊かな気分で家路につきました。一口にプラネタリウム100年といいますが、アイジンガーのことまで勘定に入れると、その歴史は250年にも及ぶわけで、これはウィリアム・ハーシェルに始まる現代天文学の歴史とちょうど重なります。1年前にハーシェル没後200年展が同じ会場であったことなども、道々ゆくりなく思い出しました。
リリパット・プラネタリウム ― 2023年09月20日 18時22分59秒
プラネタリウムの模型というのは、ありそうでないものの1つです。
もちろん、小型のホームプラネタリウムは山のようにありますが、あの古風なダンベル型のフォルムをした、机辺に置いて愛玩するに足る品は、ほぼ無いと言っていいでしょう。
ここで「ほぼ」と頭に付けたのは、以前、古い真鍮製のペーパーウェイトを見たことがあるからで、絶対ないとも言えないのですが、あれは極レアな品ですから、まあ事実上「無い」に等しいです。
(Etsyで見つけた商品写真。見つけたときには既に売り切れでした。ねちっこく探したら、過去のオークションにも出品された形跡がありましたが、稀品であることに変わりはありません。)
あれを唯一の例外として、あとは自分で図面を引いて3Dプリントした方とか、100均で手に入るパーツを組み合わせてDIYされた方とか、皆さんいろいろ工夫はされているようですが、入手可能な製品版というのは、ついぞ見たことがありません。プラネタリウム好きの人は昔から多いことを考えると、これはかなり不思議なことです。
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…という出だしで記事を書きかけたのは、今年の春のことです。でも、そんなボヤキだけでは記事にならないので、それは下書きで終わっていました。
しかし、昨日次のような情報に接して衝撃を受けました。
本文には、「タカラトミーアーツから、プラネタリウム100周年記念事業の公認企画商品「プラネタリウム100周年記念 ZEISS プロジェクター&ミニチュアモデル」がカプセルトイに登場! 2023年9月から全国のカプセル自販機(ガチャマシン)で順次発売」とあります。
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ナポレオン・ヒル『思考は現実化する』…というのは一種の自己啓発本で、昔はしょっちゅう新聞に広告が出ていましたが、さっきアマゾンで見たら、今でも着実に版を重ねているらしく、「へえ」と思いました。あの手の本としては古典中の古典なので、コンスタントな人気があるのかもしれません。
私は自己啓発が苦手なので、もちろん読んだことはありませんが、「思考は現実化する」というフレーズだけは記憶に残っていて、ふとした折に口をついて出てきます。今回も半ば呆然としながら、このフレーズを呟いていました。
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この手のものを買うのは久しぶりですが、この機を逃すときっと後悔するでしょうから、さっそく予約しました。
ヘイデン・プラネタリウムのペンダント ― 2023年09月19日 17時54分44秒
ニューヨークのヘイデン・プラネタリウムで、かつてお土産として売っていたペンダント。気楽なお土産品ですから、全体の作りは安手な感じですが、青緑の背景に光る銀のプラネタリウムは、なかなか美しい配色です。
(ペンダントの裏側)
で、気になったのは「これって、いつぐらいのものなのかな?」ということ。
鉄アレイ型の古風な投影機のシルエットは、これが少なからずビンテージな品であることを物語っています。
下はWikipediaの「Zeiss projector」の項に挙がっている同館の投影機の変遷を日本語化したものです(Zeissの型式呼称は、「Mark 〇〇」とか「Model 〇〇」とか、表記が揺れていますが。Zeiss社自身は後者を採用しているようなので、ここでも「モデル〇〇」で通します)。
ヘイデンは一貫してツァイス社の製品を使っており、そこには長い歴史があります。このうち明らかに異質なのは、ずんぐりしたお団子型のモデルIXです。
(ヘイデンの現行機種であるモデルIX。American Museum of Natural Historyのサイトより「Zeiss Projector」の項から転載)
日本でも最近はこういう形状のものが大半なので、「プラネタリウムというのはこういうもの」というイメージにいずれ変っていくのでしょうが、私にとってはやはり旧来の「ダンベル型」のイメージが強烈です。
下はヘイデンを被写体にした同時代の報道写真で、eBayで見かけた商品写真をお借りしています。
左は1935年、右は1960年とクレジットされていたので、それぞれモデルIIとモデルIVでしょう。本体の見た目はそんなに変わりませんが、昆虫の脚っぽい支柱がすっきりしたのが目立つ変化です。これはその後のモデルVIも同様で、モデルVIになると、さらに支柱のみならず、投影機の胴体周りも幾分すっきりしています。
(ヘイデンの画像が見つからなかったので、これはシュトゥットガルト・プラネタリムに設置されたモデルVIの写真です(1977)。出典:ZEISS Archive)
ペンダントに描かれた投影機はデフォルメと簡略化が著しいですが、もろもろ考え合わせると、どうやらモデルVIの時代(1973~1997)のものらしく、全体がピカピカと新しいのも、この推測を裏付けています。
とはいえ、これでもすでに四半世紀以上昔の品であり、「プラネタリウム100年」の歴史の一コマを飾る品と呼ばれる資格は十分ありそうです。
「うーむ…」と思ったこと ― 2023年06月14日 19時06分12秒
話を蒸し返しますが、プラネタリウム100周年を話題にしたとき、改めてプラネタリウム関連の品をいろいろ探していました。そこで見つけたうちのひとつが、「カール・ツァイス創立125周年」を記念して、1971年に当時の東ドイツで発行された切手です。
でも、現物が届いてじーっと見ているうちに、「あれ?」と思いました。
何だかすでに持っているような気がしたからです。
ストックブックを開いたら、たしかに同じものがありました。
すでに持っているのに気づかず、同じものを買ってしまうというのは、日常わりとあることですが、それはたいてい不注意の為せるわざです。
今回、自分が日頃気合を入れている趣味の領域でも、それが生じたということで、「うーむ…」と思いました。モノが増えたということもあるし、自分が衰えたということもあるんですが、いずれにしても、これは自分の所蔵品を自分の脳でうまく管理できなくなっていることの現れで、これはやっぱり「うーむ…」なのです。
切手に罪はなく、52年前の切手は変わらず色鮮やかで、そのことがまた「うーむ…」です。まあ、今後こういうことがだんだん増えていくんでしょうね。
子どもたちはプラネタリウムをめざす ― 2023年05月03日 10時43分50秒
紳士・淑女の社交場だったプラネタリウムが、子どもたちの人気スポットになったのはいつか? いつ…とはっきり言うこともできませんが、たぶんベビーブーマー世代が学童期を迎えると同時に、スペースエイジの熱狂が重なった時代が、その画期だったんじゃないでしょうか(まったくの想像ですが)。
1935年にオープンした、ニューヨークのヘイデン・プラネタリウムも、下の絵葉書を見るかぎり、当初はだいぶ大人のムードを漂わせていました。
それが1967年には、下のようにすっかりキッズ・フレンドリーな、ファミリー向け施設に変わっていました。
上のイラストを含むページ全体がこちら↓です。
「ベッツィー・マコール、プラネタリウムにいく」と題した雑誌広告です(「マコールズ」、1967年4月号掲載)。
「マコールズ(McCall’s)」というのは、1950~60年代を全盛期とする、アメリカの「家庭画報」みたいな女性月刊誌で、20世紀いっぱい発行が続いたそうですが、この雑誌から生まれた人気キャラクターが、「ベッツィー・マコール」です。雑誌の付録というか、雑誌の中に彼女の登場するページがあって、厚紙に貼って切り抜くと、着せ替え人形になるという仕掛けで、しかもベッツィーの着る服は、すなわち自社製品の宣伝にもなっているという、なかなか商売上手な企画です。
広告の中身は、ベッツィーが休日にパパとプラネタリウムに行った…という体裁の記事になっており、なんとなく面白そうだったので、全文訳してみるとこんな感じです(適当に改段落)。
「春休みにパパとニューヨークまでお出かけして、プラネタリウムに行ったの。あんなにドキドキしたのは生まれて初めて。大きなホールの灯りが消えると、お星さまとお月さまと惑星たちがいる宇宙の真ん中にいるみたいだった。いろいろ解説してくれた天文学の先生は、ヘス博士っていうの。ヘス博士は昔パパの先生だったんだって。
ねえ、知ってる?1時間に何千マイルも何万マイルも飛ぶ宇宙船に乗っても、火星につくには3か月ぐらいかかるんだって。それでも火星はいちばん近い惑星なのよ!空でいちばん明るい星座の名前もさっき覚えたわ。しし座って言うの。「しし」っていうのはライオンのことね。でもライオンを見ようと思ったら、きっと想像力がいるわ。それといちばんワクワクしたのは、今月は本物の空にもすごいことがたくさん起きるってこと。4月22日は流星雨だし、4月23日には月食があるの。でも私たちは月食の最初のほうしか見られないんだって。アフリカあたりに住んでれば全部見られるんだけどね。
ショーが終わって灯りがついてから、パパは私を博士に会わせてくれたんだけど、どぎどきしちゃって「いつか月まで行きたいです」って言うのが精一杯だったわ。ヘス博士は「うん、きっと行けるよ、ベッツィー」だって。ねえ、すごくない?」
ねえ、知ってる?1時間に何千マイルも何万マイルも飛ぶ宇宙船に乗っても、火星につくには3か月ぐらいかかるんだって。それでも火星はいちばん近い惑星なのよ!空でいちばん明るい星座の名前もさっき覚えたわ。しし座って言うの。「しし」っていうのはライオンのことね。でもライオンを見ようと思ったら、きっと想像力がいるわ。それといちばんワクワクしたのは、今月は本物の空にもすごいことがたくさん起きるってこと。4月22日は流星雨だし、4月23日には月食があるの。でも私たちは月食の最初のほうしか見られないんだって。アフリカあたりに住んでれば全部見られるんだけどね。
ショーが終わって灯りがついてから、パパは私を博士に会わせてくれたんだけど、どぎどきしちゃって「いつか月まで行きたいです」って言うのが精一杯だったわ。ヘス博士は「うん、きっと行けるよ、ベッツィー」だって。ねえ、すごくない?」
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児童文化におけるプラネタリウムの意義やシンボリズムというのは、本気で論じようとするとかなり大きなテーマになる気がします。まだ調べたことはありませんが、プラネタリウムが主要な舞台になっている漫画や小説で、主人公が少年・少女であるものを数え上げるだけでも相当な数になるでしょう。
なお、ベッツィーが言葉を交わした「ヘス博士」というのは、Dr. Fred C. Hess(1920-2007)という実在の人物で、ヘイデン・プラネタリウムで活躍した名物プラネタリアンです。
あの日のプラネタリウムへ ― 2023年05月02日 06時26分53秒
プラネタリウム100年。
もちろん、プラネタリウムは今でも人々を楽しませてくれています。
でも、100年前の世界を生きた人々が、プラネタリウムの誕生をどれほどの驚きをもって迎え、そしてどれほどの感動をもってそれを眺めたか、それはちょっと想像の埒外という気がします。
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それを知るために、実際その場に行ってみることにしました。
タイムマシンに乗らなくても、その場の臨場感を味わうだけなら、下の品で十分です。
キーストーン社製のステレオ写真。キーストーン社はステレオ写真の世界では後発ながら、先行他社のネガを大量に買い取るなどして、最大手にのし上がったメーカーです。ペンシルベニア州に本社を構えて、19世紀末から20世紀半ばまで営業を続けました。
ここに写っているのは、1930年にオープンしたシカゴのアドラー・プラネタリウムで、この写真はオープン間もない頃の情景でしょう。中央に鎮座するのはツァイスⅡ型機です。
これをビュアーにセットして覗けば…
視界の向こうに…
新品の香もゆかしい機械と、
人々の表情が臨場感豊かによみがえります。
今、私の目は1930年代のカメラマンの目と一体化し、たしかにその場にいるのです。
ちょっと驚くのは、そこには子供の姿も、若いカップルの姿もないことです。
たぶん皆さん夫婦連れなのだと思いますが、いかにも紳士・淑女の社交場という感じで、そこにはドレスコードすら存在するかのようです(実際、あったかもしれません)。そして、人々はちょっと小首をかしげたり、澄ましたポーズと表情で、開演を今や遅しと待ち構えています。当時、プラネタリウムに行くことは、きっと観劇やクラシック・コンサートに行くのと同様に、高尚で晴れやかな行為であり、ここはまさに科学の殿堂にして、「The Theater of the Sky」だったことがうかがえます。
★
この光景をしばらく眺めていると、徐々にその世界に馴染んで、違和感が薄れてきますが、そこでふたたび現代のプラネタリウムの光景を思い起こすと、今度はタイムマシンで逆に100年後の世界に飛ばされた感じがして、一瞬頭がクラっとします。
プラネタリウムの誕生 ― 2023年04月30日 08時46分10秒
100年前の1923年はどんな時代だったか?
手っ取り早くウィキペディアで1923年の「できごと」欄を見ると、日本では何と言っても関東大震災の年で、海外だとウォルト・ディズニー・カンパニーの設立や、ヒットラーがミュンヘンで武装蜂起して失敗した事件(ミュンヘン一揆)など、いろんなことが項目に上がっています。
そんな時代に産声をあげたプラネタリウム。
ちなみに、上記の「ミュンヘン一揆」が起こったのは1923年11月8日から9日にかけてのことで、ミュンヘンのドイツ博物館でプラネタリウムのお披露目があったのは、その直前の10月21日のことですから【参考LINK】、いいささか不穏な幕開けでした。
★
プラネタリウム100年にちなむ「ご当時もの」を探していて、こんな絵葉書を見つけました。
地平線上の建物のシルエット、その上に広がる人工の星空、それを生み出すツァイスⅠ型機の勇姿。これぞ世界初のプラネタリウム施設、ドイツ博物館の情景で、当然のことながら「プラネタリウムを描いた絵葉書」としても世界初のはずです。
ただし、ドイツ博物館のツァイスⅠ型機は、1923年のデモンストレーションの後、いったん工場に戻されて改良が加えられ、再び同じ場所に戻ったのは1925年5月のことです。これが本格的な商用デビューなので、この絵葉書もそれを機に発行されたものと想像します。(ですから、厳密には100年前のものではなく、98年前のものですね。)
消印は9月13日付け。年次が消えていますが、末尾の数字は何となく「6」っぽいので、1926年の差し出しかな?と思います。
この絵葉書には「ドイツ博物館公式絵葉書」のマークがあって、たぶん館内でお土産として売られていたのでしょう。
文面を読めるといいのですが、まったく読めません。でも冒頭第1行に「caelum」(ラテン語で「天空」)の一語が見えます。そして宛先はリューベック。たぶん…ですが、プラネタリウムを見学した人が、ドイツ南端の町ミュンヘンから、北端の町リューベックに住む知人に宛てて、その感激を伝えているのではないでしょうか。そう思って眺めると、当時の人々の弾む心がじわじわ伝わってくるようです。
★
さて表面にもどって、プラネタリム本体について。
ぱっと見、「あれ?変な形だなあ」と思われないでしょうか。ツァイス・プラネタリウムといえばおなじみの、あのダンベル型のフォルムをしていません。でも、それこそがⅠ型機の特徴で、その詳細を写した写真がwikipediaに載っていました。
そもそもあのダンベル型は、北半球の星空を投影する球体と南半球用の球体をつないだ結果生まれた形で、1926年に登場したⅡ型機から採用されたものです。Ⅰ型機はまだ北半球の星空(より正確にはドイツから見える星空)にしか対応していなかったので、このような形になっています(お皿に載ったウニのようなものが恒星投影機、その下の円筒のかご状のものが惑星投影機です。)
キャプションには「プトレマイオス式プラネタリウム」とあります。何だか大仰な言い回しだなあと思いましたが、山田卓氏がその背景を書かれているのを読み、納得しました。
■山田 卓「プラネタリウムのうまれと育ち」
それによると、ドイツ博物館(1903年オープン)を創設したオスカー・フォン・ミラー博士は、何事も実物展示志向の人で、宇宙もできればそうしたいが、それは無理なので、それに代わるものとして最新の天球儀とオーラリーを製作したい、できれば両者をドッキングさせたい…というプランを持っていたのだそうです。
「1913年、ミラーは星の動きにモーターを使うこと、星は伝統の光を使って輝かせて。ミュンヘンの星空と同じ状態が再現できることなど、コペルニクスタイプ(オーラリー)のものも、プトレマイオスタイプ(天球儀)のものも、それぞれ彼の意図を満足させるものにしたいという条件をつけて再発注することにした。
設計・製作を依頼されたツアイス社は、二つのタイプについて、それぞれ前者はフランツ・メイヤーFranz Mayerを、後者はウオルター・バウアスフェルドWalther Bauersfeldを中心にプロジェクトチームをつくった。
〔…〕
ウオルター・バウアスフェルドを中心にしたプロジェクトでは、最初の計画とは逆に、星を動かすのではなく、星のプロジェクターを動かすという方式を採用し、さらに多くのアイディアを盛り込んで、ついにプロジェクター方式の近代プラネタリウムの第一号機を誕生させたのだ。」 (上掲論文pp.9-10.)
設計・製作を依頼されたツアイス社は、二つのタイプについて、それぞれ前者はフランツ・メイヤーFranz Mayerを、後者はウオルター・バウアスフェルドWalther Bauersfeldを中心にプロジェクトチームをつくった。
〔…〕
ウオルター・バウアスフェルドを中心にしたプロジェクトでは、最初の計画とは逆に、星を動かすのではなく、星のプロジェクターを動かすという方式を採用し、さらに多くのアイディアを盛り込んで、ついにプロジェクター方式の近代プラネタリウムの第一号機を誕生させたのだ。」 (上掲論文pp.9-10.)
最終的に完成したプラネタリウムは、単なる可動式天球儀というにとどまらず、そこに惑星の動きも投影できる装置となりましたが、系譜としてはミラー博士がいうところの「プトレマイオスタイプ」の発展形であり、実際そこで示される天体の動きは、すべて地球が中心ですから、これを「プトレマイオス式」と呼ぶことには理があります。
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100年にならんとする星霜。
たった1枚の絵葉書に過ぎないとはいえ、その歴史的重みはなかなかのものです。
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