蝶の翅 ― 2022年06月13日 19時25分42秒
今回家を片付けて、これまで目に触れなかったものが、いろいろ表に出てきました。
例えば、三角紙に入った蝶の標本。
これは完全な虫体ではなしに、翅のみがこうして包んであります。長いこと仕舞いっぱなしだったわりに、虫損もなく、きれいなまま残っていたのは幸いでした。
(クロムメッキのケースも、今回引き出しの奥から発見。本来は医療用だと思いますが、密閉性が高いので、改めて標本ケースに転用)
種類も、産地も、系統立ったものは何もないし、翅も破れているものが多いので、標本としての価値はほとんどないと思います。でも、これは特にそういうものをお願いして、知り合いの知り合いの方から譲っていただいたのでした。
なぜかといえば、それは鱗粉を顕微鏡観察するためです。
別に研究的意味合いはなくて、あたかもカレイドスコープを覗き込むように、単に好事な趣味としてそうしたかったのです。
鱗粉の名の通り、鱗状の構造物が視界を埋め尽くし、不思議なタイル画を描いているのも面白いし、モルフォ蝶などはステージが回転するにつれて、黒一色の「タイル」が徐々に鮮やかなエメラルドに、さらに一瞬淡いオレンジを呈してから輝くブルーに変わる様は、さすがに美しいものです。
(下半分はピンボケ)
でも、忌憚のないところを言えば、私の場合、鱗粉の美しさを愛でるというよりも、まさに鱗粉を顕微鏡で眺めるという行為に酔いしれているところがあって、この辺は子どもの頃から進歩がないなと思います。
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私の人生の蝋燭もだんだん短くなってきましたが、夏の思い出はまた格別で、ふとした瞬間に、あの日あの場所で見た陽の光、木の葉の香り、友達の声を思い出します。
今年も理科室のノスタルジアの扉が開く季節がやってきました。
理科室のバイプレイヤー…解剖顕微鏡 ― 2021年09月15日 18時44分15秒
私のイメージする理科室にあって欲しいモノ、それは解剖顕微鏡です。
ふつうの顕微鏡が100倍とか200倍とかの高倍率で、ミクロの世界を探検する道具であるのに対し、解剖顕微鏡はごく低倍率(10倍とか20倍)で、肉眼的な対象をじっくり観察する道具です。用途としてはルーペに近いですが、ルーペと違って、覗きながら両手が自由に使えるのがミソで、検鏡しながら解剖作業を行ったりすることから、その名があります。
解剖顕微鏡は、昔の理科の児童書や学習図鑑にはやたらと出てきて、その使用を推奨されましたけれど、実際に子供の手の届く範囲には存在しないという、不思議な品でした。子ども向きの学習顕微鏡は、あちこちで売っていたのに(半世紀前の子供は、親や親戚が必ず買ってくれたものです)、解剖顕微鏡はデパートにも売っていませんでした。そんなに高価なものではなかったと思うんですが、子供時代の印象としては、解剖顕微鏡は理科室の占有品で、ものすごく立派で有難い存在だったのです。
…と呟いても、なかなか伝わりにくいと思いますが、そんな個人的体験から、解剖顕微鏡はぜひ欲しい品でした。
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そして、そもそも古い理科室にこだわった末の行動ですから、古めかしい品であればなおさら結構で、見つけたのは戦前のそれです。
蓋に「解二」と筆太に書かれた木箱。
サイズは縦19.5×横14×高さ17cmと、わりと小ぶりなものです。
箱を開けると、真っ先に真鍮の輝きが目に映ります。真鍮はやはり華があります。
そして本体を箱から出して、パーツを取り付けると、
こんな姿の解剖顕微鏡が出現します。ペンギンの羽のように左右に広がったパーツは、解剖作業をするときの「手載せ台(ハンドレスト)」で、この特徴的なシルエットに、子供のころの自分は畏敬の念を抱いたのでした。
はめ込まれているのは20倍のレンズ。もうひとつ10倍のレンズがあったようですが、残念ながら欠失しています。
メーカーは、カルニュー(Kalnew)光学機器製作所。
大正10年(1921)に東京で設立された、日本でも指折りの老舗顕微鏡メーカーです。手元の解剖顕微鏡も、おそらくは大正末~昭和初年(1925年前後)のものでしょう。なおカルニュー社は、戦後、島津製作所の傘下に入り、現在は「島津デバイス製造」を名乗っています。
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この品の由来をもう少し書いておくと、これは明治38年(1905)に開校した、東京の日本橋高等女学校(その後、日本橋女学館の名称を経て、現在は開智日本橋学園高校)の備品だった品です。
私が購入したのは2007年で、当時校舎の建て替えに伴い、同校の古い備品が大量に廃棄された折に、運よく入手できました。これもひとえに、まめなリサイクル業者のおかげです。まさに捨てる神あれば拾う神あり。このとき購入した品は他にもいろいろあって、以前書いた記事では固有名詞をぼかしていましたが、今となっては特に支障もないでしょうから、文字にしておきます。
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古い女学校の理科室に鎮座していた解剖顕微鏡。
私の子供時代をはるかに飛び越えた古い品ですから、懐かしい上にも懐かしく、手に取れば、その長い物語が聞こえてくるようです。
望遠鏡と顕微鏡 ― 2021年03月04日 22時32分14秒
昨日の記事には、下の写真を添えると良かったかなと、後から思いました。
R.A. Proctorの『Half Hours with the Telescope』(1902)と、Edwin Lankesterの『Half Hours with the Microscope』(1898)。日本の新書版とほぼ同じサイズの、ごく小ぶりの本です。もちろん専門書ではないし、特にマニア向けの本でもありません。タイトルから分かるとおり、ひと時とは言わず、せめて半時を趣味に充てて楽しもうじゃないかと、一般の読者に呼びかけている本です。
このブックデザインは、当時、望遠鏡趣味と顕微鏡趣味を「好一対」のものと感じる人が、少なからずいたことを物語るようです。博物学が依然として隆盛だった頃ですから、せめてどちらか一方に通じていることが、紳士・淑女のたしなみだ…ぐらいの雰囲気だったかもしれません。
しかし、同じレンズを覗き込むのでも、両者の違いは歴然としていました。
望遠鏡の向こうに広がるのは、どこまでも深い闇と、かそけき光の粒と雲です。
いっぽう顕微鏡の視野を満たすのは、複雑な形象と鮮やかな色彩。
それぞれが世界の秘密を分有するビジョンとして、そこに優劣はないのでしょうが、やっぱり天文趣味は、地味は地味ですね(少なくとも眼視の場合はそうでしょう)。視力よりも想像力が求められる趣味だ…と呼ばれるゆえんです。
ミクロスコープ国の独立 ― 2021年03月03日 07時09分36秒
このブログの記事カテゴリー(左欄外にずらっと並んでいます)を、今以上ゴチャゴチャにするのは気が進まないのですが、今回、顕微鏡の記事を書いていて不便に思ったのは、これまで顕微鏡と望遠鏡が「望遠鏡・顕微鏡」という1つのカテゴリーに入っていたことです。
これだと過去の記事をたどりづらいし、この二つのスコープは、そもそも活躍の場がだいぶ違うので、この際思い切って「望遠鏡」と「顕微鏡」に分離することにしました。カテゴリーを変更すると、過去記事へのリンクが一部切れてしまう恐れがありますが、そこは目をつぶります。この点は、気づいたらその都度修正することにします。
カテゴリーの並び順も、「望遠鏡」の方は天文用具の並びに、「顕微鏡」の方は「動・植物」や「昆虫」の次に置いてみました。
ヴィクトリア時代のプレパラート標本(その2) ― 2021年03月02日 18時22分26秒
(前回のつづき)
トレイが12段、各段6枚ずつ、全部で72枚のプレパラート標本がここには収納されています。
箱に貼られたラベルにはロンドンの「Millkin & Lawley」社のラベルがあり、さっそく前回の記事でリンクしたアンティーク・プレパラートのページを見ると、ここは1820年の創業で、1854年以降に「Millkin & Lawley」名義になった…とあります(個人商店だと、代替わりや合併に伴って、社名が変わることはよくありました)。店をたたんだ時期は書かれていませんが、別のネット情報によると、1930年代まで存続したそうです。
ただし、中身の標本もすべて同社の製作かというと、各標本に貼られたラベルに見られるメーカー名は様々で、おそらく外箱だけが同社の製品で、中身の方は購入者が自前で揃えたのでしょう。(セットにはメーカー名のない、元の所有者の自製と思われる標本も多く含まれます。)
ここに含まれる標本は実に多様です。
でも、そもそもこんな風にすっきりと標本を整理できるようになったのは、スライドグラスの規格が統一されたおかげで、それは1840年に、ロンドン顕微鏡学会(現・王立顕微鏡学会)が創設されたことが機縁となっています。そして、このとき決まった3×1インチ(75×25ミリ)という規格が、今でも世界中で使われているのだ…と、前々回に引用したターナーの本には書かれていました。
(アンティーク・プレパラート標本のいろいろ。下に並ぶのは規格化後、その上は規格化前のもの。L’E Turner 前掲書より。)
さて、上で“多様”と書きましたが、元の持ち主の興味・関心を反映して、この標本セットには、ある明瞭な特徴があります。それは蟲類(昆虫やクモ等)の標本が大半を占めることで、元々私も昆虫好きな子供だったので、これはちょっと嬉しかったです。
12枚ある各トレイは、それぞれ内容の類似したものでまとめられていますが、トレイ数で大雑把にいうと、蟲類が8、珪藻類が2、その他もろもろの動植物が2…という構成。
(左・イトトンボの一種、中央・ハサミムシの一種)
そして、その標本づくりの方法がこれまた多様で、上の写真のように虫体を丸ごと薄く熨(の)してプレパラートにしたものもあれば、
(右・ミツバチの口器)
こんな風に、虫体を解剖して部分的に標本化したものもあります。
(中央・ゾウムシの一種)
中には、厚みのある空間に、虫体をそのまま封じ込めた標本もあって、こうなるとプレパラート標本というよりも、普通の昆虫標本に近いですが、なかなか面白い工夫です。
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こんな風に見ていくと際限がありませんが、最後に「その他もろもろ」のトレイで見つけた素敵な標本を載せておきます。
木材やユリの茎の切片に挟まれて、美しく輝く「何か」。
その正体は、ハチドリの羽の輝きを封じ込めたプレパラートです。
ヴィクトリア時代のプレパラート標本 ― 2021年02月28日 14時52分57秒
顕微鏡趣味の世界も奥が深いです。
そういう世界に生きる人を指す「microscopist」という言葉があって、ふつうに「顕微鏡愛好家」と訳せばいいのでしょうが、もっとニュアンスを出せば「顕微鏡マニア」や「顕微鏡オタク」です。
マイクロスコーピストの中には、最新の機材でバリバリ極微の世界を覗き見る人もいるし、アンティーク顕微鏡を愛でることに特化している人もいます。さらにそこから派生して、アンティークのプレパラート標本をコレクションする人もいます。鉄道ファンと同じで、顕微鏡趣味も一つの根っこから、いろいろニッチな趣味が派生しているわけです。この辺は、私のように漫然と古い理科趣味や博物趣味を愛好する程度のゆるいファンには、到底うかがい知れぬディープな世界です。
イギリスには「クケット顕微鏡クラブ」という、1865年創立の伝統ある団体があって、そのWEBサイトを見れば、顕微鏡趣味の奥深さの一端を感じ取ることができます。
■The Quekett Microscopical Club
(クラブのホームページ)
■Antique microscopes and slides
(同・アンティーク顕微鏡のページ)
■Historical Makers of Microscopes and Microscope Slides
(上からリンクを張られたアンティーク・プレパラート情報の豊富な個人サイト)
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手元にずいぶん前に買った、古いプレパラート標本の木箱入りセットがあります。
何でもかんでも形から入ればいいというものでもありませんが、こういう風情に強く惹かれる自分がいます。野外で虫を追い、貝を拾い、シダ植物を掘り、真鍮の顕微鏡を熱心に覗きこんだ、ヴィクトリア時代の人々の面影。昔の博物趣味の香気…。
とはいえ、これを買った当時の気分を、実は私自身ちょっと思い出しにくくなっています。そして、それを思い出そうとして、15年前に自分が書いた文章を読み返すと、そこにもある種の深い感慨が伴います。大人になってからの15年間は、そんなに長い時間ではないと思っていましたが、やっぱり15年には15年の重みがあります。あの頃は今より元気で、子供たちも小さく、人との出会いがあり、モノとの出会いがあり、それに一喜一憂し…。
そう、ここには二つの思いが重なっているのです。
ヴィクトリア時代の博物趣味への懐旧と、ゼロ年代を生きた私自身のライフヒストリーへの懐旧が。
まあ、こういうのは他の人にはどうでもよいことでしょう。どうでもよいというか、私には私の物語があり、他の人には他の人の物語があり、皆が互いにそれを尊重することが大事なのでしょう。
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話が横滑りしましたが、既にその歴史の1割ぐらいを我が家で過ごした、古いプレパラート標本を久しぶりにのぞき込んで、新たな気分でその風情を楽しもうと思います。
(この項つづく)
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【余談】
ところで、日本語の「プレパラート」のことを、英語ではシンプルに「microscope slide」と呼びます。日本語の方はドイツ語の「Präparat」から来ているそうですが、これは英語の「prepartion」と同義で、文字通りの意味は「準備」です。何の準備かといえば、材料を薄片にしたり、染色したり、カバーグラスの下に封入したり…つまり顕微鏡観察の準備です。
したがって、そうした準備作業の結果でき上った標本までも「プレパラート」と呼ぶのは本来変なのですが、日本では慣用的にそう呼ぶようです。(「プレパラート標本」と呼ぶ方が一層適切だと思いますが、それでも「赤血球のプレパラート標本を作る」というと、「馬から落ちて落馬する」的な冗長表現に感じられます。「赤血球の標本をプレパラートする」というのが、たぶん最も正しい言い方だと思いますが、あまりそうは言わないようです。)
博物趣味の春 ― 2021年02月27日 17時55分13秒
壁に掛かっている暦を見ると、先週の木曜が雨水、来週の金曜日が啓蟄だと書かれています。水仙のつぼみが膨らみ、紫陽花の鮮やかなグリーンの新芽が顔を見せ、やっぱり春は毎年めぐってくるものですね。年々歳々花は相似たり…とはよく言ったものです。
そして上の句は「歳々年々人同じからず」と続きますが、人の方もやっぱり相似ていて、政治の醜聞が続いています。まあ、人が人である限り、醜聞が絶えることはないのかもしれませんが、それを肯定することはできません。醜聞を前にして、「これは醜聞である」と、きっぱり認識できることが大事であり、目の前の出来事はどう見ても醜聞です。
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さて、こういう季節になると、野山に出かけて、にわかナチュラリストを気取りたくなります。まあちょっとした観察なら近所の裏山でも十分ですから、気取るも何も、すぐに出かければいいわけですが、「天文古玩」の常として、まず形から入ることにします。
そのための小道具として、小さな野外用顕微鏡を買いました。
箱の高さが17cmというかわいいサイズで、合焦ノブのない、手で鏡筒を出し入れしてピントを合わせる、ごく素朴なタイプの顕微鏡です。野外に簡単に持ち出せるので、field microscope とも呼ばれるし、安価で生徒にも買えたため、student microscope と呼ばれることもあります。いわば日本でいう「学習顕微鏡」のアンティーク版。
科学機器の歴史が専門のGerard L’E. Turnerの本を見ると、この手の顕微鏡(ターナーは drum microscope(円筒型顕微鏡)と呼んでいます)の歴史も結構古くて、最初は1740年代にイギリスのベンジャミン・マーティンが売り出して、その後19世紀半ばには英仏両国の多くのメーカーが手掛けて、大いに売れたようなことが書かれています。当時の博物趣味と顕微鏡の一大ブームが追い風になったのでしょう。
(Gerard L’E. Turner(著)『Collecting Microscopes』、Christie’s of South Kensington Colectors Series、1981より)
大いに売れたということは、それだけ数が残っているわけで、しかも元々廉価版ですから、アンティークとしての価格もリーズナブルです。私ももっと早く買えばよかったのですが、これまでたまたま縁がありませんでした。
ただ、私が買った品が19世紀まで遡るかどうかは疑問で、木箱の造りや、ラッカーの色合いからすると、20世紀第1四半期ぐらいかなと想像します。
メーカーはエディンバラのE. Lennie社で、ここは1840年に創業し、1971年まで続いた老舗です(参考LINK)。最初は創業者Jamesの名をとって「J. Lennie」でしたが、ジェームズの没後、未亡人のElizaが店を継いで「E. Lennie」に改名しました
木箱に焼き印で押された住所はPrinces Street 46番地で、同社がここに店を構えたのは1857年から1954年までだそうですから、少なくともこの範囲を出る品ではありません。
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自分で言ったことを食言するようですが、この相棒をかばんに忍ばせて野山を闊歩するか…といえば、たぶんしないでしょう。野山に持っていくならば、もっと実戦向きの機材がいろいろあります。
ただ、この真鍮製の筒に象徴される博物趣味の世界は広大で、たいそう滋味豊かです。こうして顕微鏡を脇から眺めているだけでも、それは感じ取ることができます。
1枚の葉、1匹の虫の向こうに広がる自然の奥深さは言うまでもありませんが、人と自然が出会うところに生まれる博物趣味の豊かさも、それに負けぬものがあります。これはちょうど、詩に詠われる自然の美しさと、詩文そのものの美しさとの関係に等しいと言えるかもしれません。
そしてまた、文人が文飾を練りつつ文房四宝を愛でるように、鈍く光る顕微鏡の向こうに、博物趣味の佳趣を感じる人がいても良いのです。(何を言っているのか、自分でもよく分かりませんが、まあ分かったことにしましょう。もっと平たく言えば、これは「積ン読」のモノ版です。)
珪藻愛 ― 2017年09月12日 06時41分53秒
上野の国立科学博物館のミクロ分館で、「大珪藻展」が好評開催中と聞いて、見に行って来ました。
(上空から見たミクロ分館)
夏休みも終わったというのに、会場は大勢の親子連れで賑わい、入場するまでちょっと待たされました。
中に入ると、壁面に珪藻の実物がずらりと並び、その迫力に圧倒される思いです。
不思議な形の珪藻たちが、黒い闇をバックに光り輝く様は、美しくもあり、怖ろしくもあり、これが自分と共通祖先を持つ生物だとは、とても思えません。
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…と、しょうもないことを書きましたが、珪藻というのは、確かに不思議な生き物です。
私が買ったのは、カリフォルニアの海辺で採取された、85個体を1枚のプレパラートに封入したものですが、それを一瞥しただけでも、その多様性に目を見張らされます。
(スマホでは広い視野が撮れないので、購入時の商品写真を流用)
その多様性から、珪藻は昔から顕微鏡ファンには人気で、その集合プレパラートもたくさん作られました。
(A. Pritchard、『滴虫類誌(History of Infusoria)』第4版(1861)より)
(同上。プリチャードのこの本には図版が40枚載っていますが、珪藻の図は、そのうちの実に14枚を占めています。)
その人気は、今も衰えを知りません。
下の写真はeBayで見かけたものを勝手に貼らせてもらっていますが、この100個体を封入したプレパラートは、その色形の美しさからグングン値を上げ、何と6万円近くの値段で落札されました(たった1枚のプレパラートがですよ)。本当に口あんぐりです。
まあ、これは巧みな暗視野写真が、美しさに下駄を履かせている部分もあるでしょう。
私も真似したかったのですが、手元の安価な顕微鏡は、暗視野観察装置を欠いており、冒頭の写真は、絞りを中途半端な位置に置いて擬似的に暗視野とし、後から画像をいじったものです。
それにしても、見れば見るほど素敵な連中じゃありませんか。
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現実の国立科学博物館に「ミクロ分館」はありませんが、珪藻の一大標本コレクションは実際に収蔵されており(現在は同館の筑波研究施設に置かれているようです)、過去には「珪藻カフェ」なんていう素敵な催しもありました。
そして本邦には、珪藻を専門とする「日本珪藻学会」があり、珪藻学(diatomology)の発展に日々邁進しているのです。
ミクロの銀河 ― 2017年08月06日 17時51分00秒
「視点の置き所によっては、巨大な銀河もちっぽけな点に過ぎないし、反対に、針の先ほどの物体の中にも、実は広大な宇宙が蔵されているのだ。」
子供はよく、そんなことを夢想します。
まあ、大人になってからも、そんなことを考えていると、一種の現実逃避と嗤われたりしますが、でも「現実」なんて薄皮一枚のもので、そんなに大したものじゃないよ…というのも真実でしょう。(むしろ、薄皮一枚の破れやすいものだから、大切に扱わないといけないのです。)
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宇宙を揺曳する賢治さんや足穂の面影を追って、今日はアンドロメダ銀河を覗いてみました。
ただし、望遠鏡ではなしに顕微鏡で。
これは19世紀に流行った「マイクロフォトグラフ」の復刻品で、他の天文モチーフのスライドとセットになっていました。
カバーグラスの下に見える、米粒の断面よりも小さな四角い感光面。
その黒は宇宙の闇を表わし、中央に白くにじむように見えるのが、直径20万光年を超えるアンドロメダ銀河です。
レンズの向うに見える、遥かな遠い世界。
その光芒は、1兆個の星が放つ光の集合体であることを、我々は知っています。
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望遠鏡を通した像をカメラで撮影し、それを縮小して焼付け、それを再度拡大して覗く。―― リアルな現実からは幾重にも隔てられた、人工的な経験に過ぎないとは言え、いろいろ空想を誘う品であることは確かで、しかも空想力さえ働かせれば、ここから世界の真実を、いかようにでも掴み出すことができるのではないでしょうか。
【参考】
上のスライドと同じセットに含まれていた、満月のマイクロフォトグラフと、マイクロフォトグラフの歴史については、以下の記事で取り上げました。
■驚異の名月(上)(下)
■極微の写真のものがたり
紫煙と顕微鏡 ― 2016年04月10日 17時20分29秒
下に掲げたのは、イギリスのJohn Player & Sonsのシガレットカード。
「隠された美」と題する、1929年に出た25枚のセットです。
ご覧のとおり、顕微鏡観察をテーマにした、いかにも理科趣味に富んだシリーズ。
「隠された美」と題する、1929年に出た25枚のセットです。
ご覧のとおり、顕微鏡観察をテーマにした、いかにも理科趣味に富んだシリーズ。
John Player & Sonsは19世紀の前半にさかのぼる古いタバコメーカーですが、1901年に他社と大同団結して「インペリアル・タバコ会社」を結成し、その子会社という位置づけになりました。
(常に絵になるボルボックス。英名は“Traveling Globes”)
1929年という年は、すでにヴィクトリア時代はおろか、エドワード時代も過去のものとなっていましたから、かつてイギリス中を席捲した博物趣味は影を潜め、辛うじてその名残が、こうして子供向けのシガレットカード(煙草を吸ったのはお父さんですが)から、かすかに紫煙のように立ち昇っているわけです。
カードの裏面、シリーズの第1番には「隠された美」のタイトルで、序文のようなものが記されています。
「昼となく夜となく、我々の周囲には自然という絵本が常に開かれ、我々の美を愛する心に訴えかけている。そして自然の『限りなき秘密の書』の中に、その『隠された美』を覗き見ることも、我々には許されている。たとえ我々の目にはありふれて、些末で退屈なものに映ろうとも、顕微鏡で眺めると、そこにはしばしば思わぬ美しさが現れる。ヒキガエルの頭部に生ずるという伝説の宝石のように、『隠された美』は全く思いもよらぬ所に存在するのだ。」
さすがにもう「神の摂理」を云々する時代ではないですね。文章の書き手も、純粋に美的見地から顕微鏡趣味を語っています。
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このカードセットは、月兎社さんから青い箱に入って届きました。
シガレットカードの存在自体は、最初別の人から教えられたのですが、月兎社の主宰者である加藤郁美さんには、『シガレット帖』(倉敷意匠計画室、2011)という美しい著書もあり、その不思議な魅力を教えていただいたのは、何といっても月兎社さんによるところが大きいです。
ちなみに、コレクター向けのカタログに記載された、このセットの2015年現在の評価額は7.5英ポンド、1,200円ぐらいだそうで、そう高いものではありません。手ごろな価格で楽しめるのも、シガレットカードの魅力の1つです。
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さて、今日のメモ書きは「顕微鏡の色」について。
19世紀の顕微鏡は、おおむね真鍮製で、表面はラッカー塗膜で保護され、まばゆい金色の光を放っていました。
その後、世紀の替わり目あたりから金属加工技術が様変わりして、各種の鋼材(鉄および鉄合金)が多用されるようになり、顕微鏡もアイアン・ボディに変身しました。同時に表面塗装も、ストーブ・エナメル(エナメル塗膜を加熱固化したもの)が主流になり、顕微鏡は金色から一転して「黒いもの」になったのです。(今では白い顕微鏡が主流ですが、ちょっと前まで、顕微鏡はおしなべて黒かったです。)
1920年代は、ちょうど真鍮と鉄が共存した時代で、黒いボディのあちこちに真鍮のパーツが金色に光っていました。そういう意味で、このシガレットカードに登場する顕微鏡の姿は、いかにも1920年代チックな感じがします。
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