小さな実験室(後編)2021年09月13日 15時45分06秒

このかわいらしいセットは、どこにもメーカー名の記載がありません。
その顕著な「小ささ」も、子ども向きのセットだから、こんなかわいらしいサイズなのか?といえば、そうとは思えない節もあります。

たとえば、このセットにはビーカーやフラスコといった、定番の実験器具が含まれていません。また、箱の中に目を凝らすと、


中に見慣れぬ紙筒(↑中央)がまじっていて、


筒の中には比重計が入っています。
こんな渋いものを、子どもが実験で使うとは考えにくいので、このセットは実は「化学何でも実験セット」というよりは、何か特定の用途や、特定の使用者を想定した品かもしれません。比重計は品質管理目的で工業分野で使われることが多いと思いますが、このセットが持ち運びを重視している点からすると、あるいは水質検査とか、そういった方面でしょうか。


まあ正体は知れませんが、その透明な表情は、まさに理科室趣味の友と呼ぶに足ります。

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この品は用途だけでなく、年代も曖昧です。この品はこれまで1回も使用された形跡がなくて、あるいはデッドストック品かもしれません。ですから、何となく新しく見えるのですが、おそらくは1960年代ごろのものかなと、漠然と想像しています。


セットに含まれる品のうち、素性が明らかなモノを挙げると、まず試験管は(株)ギヤマン製。同社は1923年の創業で、現在も営業中ですが、同社のトップページ(https://giyaman.co.jp/)には、下のような告知があって、今やガラス器具類は、徐々に廃番化しつつあるようです(勝手に切り貼りして恐縮ですが、業界の現状を物語るものとしてお借りします)。

(「最後のジェダイ」を名乗る老職人の笑顔に、隠しきれない寂しさを感じます)


また、緑の箱に入った濾紙は東洋濾紙(株)製。ここは1917年創業、1933年に会社組織となり、現在も営業中の会社です。今は「ADVANTEC」のブランドロゴを使用しているそうで、その名はたしかに聞き覚えがあります。この新しいロゴマークの使用は1984年からだそうですから、一応この1984年が年代の下限です。

そして赤と青のリトマス紙は、東京の日本橋本町にあった「KONISHI SUGIURA SEISAKUJO」(小西杉浦製作所か)の製品ですが、この会社は今のところ手掛かりなし。たぶん既に廃業したのでしょう。その時期が分かれば、このセットの年代をもう少ししぼれそうです。

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理科室の棚を、いやそれ以上に理科室そのものを連想させる、この小さな実験セット。

(画像再掲)

こうして改めて見ると、理科室のひな人形のようでもありますね。
桃の節句は季節外れですが、9月もまた菊の節句(9月9日)に合わせて「後の雛(のちのひな)」というのを飾る風習があるそうですから、アルコールランプのぼんぼりに灯りをともして、試薬瓶のお内裏様や五人囃子を眺めるのも、理科室の風雅を慕う者として、悪くない過ごし方でしょう…と、昨日に続いて、強引に記事を結びます。

小さな実験室(前編)2021年09月12日 15時58分37秒

そういえば、最近いわゆる「理科室趣味」のモノが登場していませんでした。
理科室がいかに魅力的でも、興味の幅が広がれば、理科室の中だけに安閑としてはいられませんから、自然と登場の機会が減っていたのですが、でもハリー・ポッター展も開かれていることですし、またちょっと「秘密の理科室」の匂いに誘われて、そうした品を登場させます。

   ★

理科室の道具類を飽かず眺めていたころ、ひどく欲しかったものがあります。
それは化学実験器具セットで、今もたぶんあると思いますが、昔は大小のメーカーから、それこそ百花繚乱という感じで、さまざまなタイプのものが販売されていました。

(1955年発行の理科教材カタログより)

理科室が好きな人で、これに心を動かされない人がいるでしょうか?
とにかくこのセットさえあれば、たちどころに「小さな実験室」が完成するのですから、理科室風書斎を目指す上では、まさにマストアイテム。私もいっとき執念深く探したおかげで、いくつか手にすることができました。


上はその1つで、手持ちの中でも一番小さなセットです。
木箱の大きさは、家庭用の救急箱ぐらいしかありません。


ふたを開けると、試験管や試薬びんや漏斗がキラキラと顔を出します。


とにかくコンパクトさを第一に追求した品らしく、アルコールランプも通常のものよりほっそりしたミニサイズです。


試薬瓶が並んだ下の隙間も無駄にせず、引き出しがついているのも心憎い工夫。


中に入っているのは濾紙、リトマス紙、試験管ばさみで、このいかにも「ちんまり」入っている感じがまた好いです。

   ★

私がこれで実際に実験をすることは、今後もないと思います。
だから全くの無駄だ…とは思いません。書物に「積ん読」の効用があるように、こういう品が常に身近にあるだけでも、人は徳化され、理を尊ぶ気風が養われるものです。対象に対するそういう敬意を持てるかどうかが、理科室趣味と単なる「いかもの趣味」の分かれ目ではないでしょうか。(いかもの趣味はいかもの趣味で良いのですが、私の目指すところとはちょっと違う気がします。)

(次回、セットの細部に注目して、その素性を考えてみます)

現代文明を作ったもの2021年01月24日 09時55分00秒

現代文明を作った究極のものとは何か?
電気でしょうか?それとも通信技術でしょうか?
あるいはコンクリート?近代教育制度?

いろいろな考え方があるとは思いますが、下の箱の中に、私が思う究極のものが入っています。イギリスの業者の言い分によれば、オーストリアで使われた1950年頃の学校教材だそうです。

(箱の大きさは30×40cm)

その中身は…


これです。私が考える、現代文明を作った究極のものとは「化石燃料」
上の教材は、さまざまな産状の石炭と石油精製物のサンプルをセットにしたものです。

文明とは人間の活動の総体であり、当然エネルギーを必要とします。
そして近代以降、人間社会が飛躍的な変化を遂げた根本原因は、人類が化石燃料という膨大なエネルギー源を手にしたからだ…というのが、私の考えです。その基本構図は、おそらく200年前も、今も変わってないでしょう。

今もこうしてキーボードをカシャカシャ叩いて、IT技術こそ現代文明の根幹のような気になっていますが、一皮むけば、今もこれらの顔触れが、それを下支えしているはずです。(ここに顔を出していない大立者は天然ガスですが、それもまた化石燃料です。)


右側の石炭ファミリーは、いかにも地味ですが、左側の石油ファミリーは、こう言ってよければ、「きれいな」表情をしています。

前者が、原木から泥炭、さらに亜炭褐炭瀝青炭無煙炭へと、自然の大地が長い時間をかけて、徐々に石炭化を進めた結果であるのに対し、後者はガソリンにしろ、重油軽油にしろ、その他パラフィンや各種の機械潤滑油にしろ、すべて人間がせっかちに分留・混和してこしらえたものという点が、両者の印象の違いを生んでいる気がします。(もっとも、大地だってその気になれば、数々の宝石を生み出す力がありますが、やっぱり時間はかかります。)

   ★

化石燃料の使用は、典型的な「過去の遺産を食いつぶす」行為に他なりません。
近代社会とは、勤勉と合理性を貴ぶ社会だ…と聞きますけれど、何となくそれと真逆の匂いを感じるのは、そういう「居食い」生活を、漫然と続けているからです。
もちろん私もその恩恵を受けているので、そのことに口をつぐむべきではありませんが、事態を突き放して見れば、やっぱり上のような次第だと思います。


【雑記】

余談ですが、昨日は「天文古玩」の15周年でした。ついに元服です。
途中でブログの営業終了を宣言し、その後営業再開を宣言した覚えはないので、厳密にいうと15周年とも言い難いですが、仮に今も生きていれば15歳になります。いわゆる死んだ子の齢を数えるというやつですね。でも、ご覧のとおり完全に死んだわけでもないので、半死半生のまま15周年ということにしておきます。

科学の目…科学写真帳(中編)2020年12月17日 06時56分42秒

(昨日のつづき)

こんな写真集を見つけました。


■Franklyn M. Branley(編)
 『Scientists' Choice: A Portfolio of Photographs in Science.』
 Basic Books(NY)、1958

編者のブランリーは、ニューヨークのヘイデン・プラネタリウムに在籍した人です。
表題は『科学者が選んだこの1枚』といったニュアンスでしょう。各分野の専門家が選んだ「この1枚」を全部で12枚、それをバラの状態でポートフォリオにはさみ込んだ写真集です。さらに付録として、『Using Your Camera in Science(手持ちのカメラで科学写真を撮ろう)』という冊子が付属します。


裏面の解説を読んでみます。

 「ここに収めた写真は、その1枚1枚が芸術と科学の比類なき組み合わせである。いずれも、一流の科学者が自分の専門分野の何千枚という写真の中からお気に入りの1枚を選んだものばかりだからだ。電子やウイルスから、飛行機翼や星雲に至るまで、幅広いテーマを扱ったこれら一連の写真は、多様な科学の最前線、すなわち風洞、電子顕微鏡、パロマー望遠鏡、検査室等々におけるカメラの活躍ぶりを示している。どの写真も、科学者であれ素人であれ、それを見る者すべてに、自然と物質のふるまいに関する新しい洞察をもたらし、その美しさの新たな味わい方を教えてくれる。」


1950年代に出た科学写真を見ていると、当時の科学の匂いが鼻をうちます。


表紙を飾った酸化亜鉛の電子回折像
酸化亜鉛の結晶を電子ビームが通過するとき、電子が「粒子」ではなく「波」として振る舞うことで、その向こうの写真乾板に干渉縞が生じ、ここではそれが同心円模様として現れています(形がゆがんでいるのは、電子線が途中で磁石の力で曲げられているためです)。奇妙な量子力学的世界が、写真という身近な存在を通して、その正当性をあらわに主張している…というところに、大きなインパクトがあったのでしょう。


美しい放射相称の光の矢。
これも回折像写真で、氷の単結晶のX線像です。(撮像もさることながら、単結晶の氷を作るのが大変な苦労だったと…と解説にはあります。)


科学写真が扱うのは、硬質な物理学の世界にとどまりません。こちらはショウジョウバエの染色体写真。2000倍に拡大した像です。
本書の刊行は1958年ですが、当時すでに染色体の特定の部位に、特定の形質(翅の形、目の色・大きさ等)の遺伝情報が載っていることは分かっていました。そして1953年には、あのワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の発見があり、生命の秘密の扉が、分子生物学の発展によって、大きくこじ開けられた時代です。

   ★

ときに、「当時の科学の匂い」と無造作に書きましたが、それは一体どんな匂いなのでしょう?個人的には「理科室の匂い」です。薬品の匂いと、標本の匂いと、暗幕の匂いが混ざった不思議な匂い。

でも、それだけではありません。そこには「威信の匂い」や「偉さの匂い」も同時に濃く漂っています。この“科学の偉さ”という話題は、おそらく「科学の社会学」で取り扱われるべきテーマでしょうけれど、何にせよ当時の科学(と科学者)は、今よりも格段に偉い存在でした。本当に偉いかどうかはともかく、少なくとも世間は偉いと信じていた…という点が重要です。

「偉い」というと、何だかふんぞり返ったイメージですが、むしろ光り輝いていたというか、憧れを誘う存在でした。その憧れこそ、多くの理科少年を生む誘因となったので、当時の少年がこの写真集を手にすると、一種の「望郷の念」を覚えると思います。いわば魂の故郷ですね。そう、これはある種の人にとって、「懐かしいふるさとの写真集」なのでした(…と思っていただける方がいれば、その方は同志です)。

(この項つづく)

夏の日の研究室にて2020年08月15日 11時49分22秒

昨日、よんどころない事情があって――というのは、プリンターのインクカートリッジを取り換える必要があって――机脇の本を移動させました。その過程で、1冊の本が顔を出して、「おっ」と思いました。

(装丁は著者自ら行い、表紙絵も著者)

■中谷宇吉郎(著) 『寺田寅彦の追想』、甲文社、昭和22(1947)

雪の研究で知られる中谷宇吉郎(1900-1962)が、恩師・寺田寅彦(1878-1935)に寄せた随筆を、一書にまとめた文集です。(個々の文章自体は、昭和13年(1938)に出た『冬の華』(岩波書店)をはじめ、既刊の自著からの再録が多いです。)


それをパラパラ読んで、「うーむ、読書というのは良いものだな」と思いました。
名手の文章を読むのは、本当に贅沢な時間です。なんだか心に滋養分がしみこむような感じがします。

   ★

季節柄、「寅彦夏話」というのを読んでみます(初出は昭和12年8月)。


 「先生は夏になると見違へるほど元気になられて、休み中も毎日のやうに実験室へ顔を出された。そしてビーカーに入れた紅茶を汚なさうに飲みながら、二時間くらゐ実験とはとんでもなく懸けはなれた話をしては帰って行かれた。」

‘理科系あるある’で「ビーカーでコーヒーを飲む」というのがありますが、あの風習は、どうも戦前からあるみたいですね。で、そこで出たのが「化物の話」。(〔 〕は引用者)

 「僕〔=寅彦〕も幽霊の居ることだけは認める。然しそれが電磁波の光を出すので眼に見へるとはどうも考へられない。幽霊写真といふやうなものもあるが、幽霊が銀の粒子に作用するやうな電磁波を出すので写真に写るといふ結論にはなかなかならないよ。」

寅彦先生は歯切れがいいですね。

 「海坊主なんていふものも、あれは実際にあるものだよ。よく港口へ来ていくら漕いでも舟が動かなかったといふ話があるが、あれなんかは、上に真水の層があって、その下に濃い鹽水の層があると、その不連続面の所で波が出来る為なんだ。漕いだ時の勢力(エネルギー)が全部、その不連続面で定常波を作ることに費やされてしまふので、舟はちっとも進まないといふやうなことが起るのだ。」

こんなふうに怪異を科学的に解説するところが、理学者らしいわけですが、寅彦の真骨頂は、むしろそうした尤もらしい解説以前に、現象への向き合い方に現れています。

 「人魂なんか化物の中ぢゃ一番普通なものだよ。あれなんかいくらでも説明の出来るものだ。確か、古いPhil. Mag.(物理の専門雑誌)に」

…と、具体的な誌名を挙げて、人魂に関する原論文を読むよう、若き日の中谷博士に勧め、博士はさっそくそれを実行します。

 「読んでみたら、その著者が人魂に遭ったので、ステッキの先をその中に突っ込んで暫くして抜いて、先の金具を握って見たら少し暖かかったとかいふ話なのである。〔…〕要するにそれだけのことで案外つまらなかったと云ったら、大変叱られた。」

寅彦は弟子をこう諭します。

 「それがつまらないと思ふのか、非常に重要な論文ぢゃないか。さういふ咄嗟の間に、ステッキ一本で立派な実験をしてゐるぢゃないか。それに昔から人魂の中へステッキを突っ込んだといふやうな人は一人も居ないぢゃないか。
 先生の胃の為には悪かったかもしれないが、自分にとってはこれは非常に良い教訓であった。自分は急に眼が一つ開いたやうな気がした。」

こんな風に、寅彦は暑中休暇のつれづれに弟子たちと閑談し、目の前の平凡な現象の奥に、いかに重要な論点がひそんでいるか、それを実に面白くてたまらないといった口調で語りつづけ、「時間があれば自分で実験したいのだが…」と、弟子を盛んに焚きつけます。

そこで出た話題は、線香花火の火花の形金平糖の角の生成墨流し(マーブリング)の膠質学的研究…等々で、その論を聞いて中谷博士もまた大いに悟るところがあったのでした。いかにも暢気なようですが、そこには真剣で切り結ぶような真率さもあり、真剣なようでいて、やっぱり暢気さが感じられる。実にうらやましい環境です。

   ★

この本は中谷博士の自筆献辞入りなので、大切にしていたものです。

(献呈先は丁寧に削り取られています。贈られた人が本を売り払うとき、いろいろ斟酌したのでしょう)

しかし、本の山の中に埋もれさせることを、ふつう「大切にしていた」とは言わないので、ここは中谷博士に赦しを乞わなければなりません。


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【閑語】

今年は夏休みが短いので、夏休みの宿題も例年とはずいぶん違うのでしょう。

ともあれ、夏休みの宿題への取り組み方は、その後の人生の縮図です。
最初にパッとやってしまう子、コンスタントにやり続ける子、最後の最後にようやく腰を上げる子、最初にパッとやろうとして根気が続かず、結局最後になってしまう子…そういう傾向は、大人になっても変わらないことを、私は会う人ごとに確認して、大半から「まさにその通りだ」という証言を得ています。

みんな違って、みんないい…かどうかは分かりませんが、人間、そういうものなのです。

   ★

ここに来てしきりに思うのは、「人生の宿題」への取り組み方も、同様だということです。私は最後の最後にようやく腰を上げるタイプなので、まだ全く手つかずで、だからこそ「早くやらなくちゃ」と、ジリジリ焦りを感じています。

ただ問題は、「人生の宿題」が何であったか、忘れてしまっていることで、確かに何か宿題を与えられた気はするのですが、それが何だか思い出せません。

   ★

夏休みも、人生も、宿題が完成しようがしまいが、容赦なく終わってしまいます。
「だから、やらなくてもいいんだ」とまで悟れれば別ですが、なかなかその境地にも達しがたいです。

真空を包むガラス体(後編)2020年07月28日 06時25分40秒

真空管の魅力は多様です。ガラスの涼やかさと科学の涼やかさが同居しているのもいいし、「閉ざされた小世界」をのぞき込む、秘密めいた感覚にも惹かれます。何だか自分が「神」になったかのようです。


その真空の小世界に封じ込められた、不思議な回路たち。



その多様性は、まったく見飽きることがありません。


真空の榴弾と化した巨人チューブ。


電子をついばむ、ガラスのみみずく。

   ★


今日は久しぶりに同窓会のようなにぎやかさです。
あるいは精霊祭りのような。

真空を包むガラス体(前編)2020年07月26日 12時48分29秒

雑談は脇において、本来の記事も書きます。

涼しげなものというと、やっぱりガラスです。
そして「ガラスといえば、あれはどうしたかな…」と思い出したものがあります。
棚の奥にしまいっぱなしになっていた、真空管たちです。


私の子供時代はまだ真空管が現役でしたが、それよりもさらに古い、戦前の「クラシック・バルブ」と呼ばれる真空管たちは、(雑な表現ですけれど)いかにも「味」があって、眺めるだけで楽しいものです。

ただ、真空管にはディープなコレクターがいて、あまり生半可な知識で手を出すのも危険だし、我ながら何となく「こけし集め」っぽい感じになりそうだったので、それは短いマイブームで終わりました。(こけし集めにもいろいろな側面があるとは思いますが、得てして「単に集めて終わり」になりがちな印象があります。趣味としての広がりに、若干欠けるような…。)

   ★

とはいえ、虚心に見るとき、真空管はとても美しいものです。
科学と芸術という大きなテーマを、真空管はその小さな体で完璧に体現しているとさえ思います。


初期のまあるい真空管は愛らしく、


アークチューラスのブルーバルブは涼やかです。


真空管の歴史の最初期、1910年代に遡る、ドイツ・シーメンス社の製品。
そこに漂う古い科學の香り。当時はエジソンもマルコーニもまだ現役でした。


ガラス細工に支えられた不思議なグリッド。
決して比喩ではなしに、まさに繊細な手工芸品です。
ここを電子が奔り、跳んだのです。

理科室の棚から…電流計のこと2020年06月27日 07時22分37秒

暑いですね。そして蒸します。
最近、理科室の話題が少なかったですが、ちょっと理科室で涼もうと思います。

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とはいえ、現実の私の部屋はかなり乱雑で、涼しいというよりも、暑苦しく、むさくるしいです。この前も、棚の奥の本を取るために、その前に置かれた物を、せっせとどかしてたんですが、その堆積の中に、古い理科器具が埃をかぶって――あまつさえ蜘蛛の巣までかかって――いるのを再発見し、「おやおや」と思ったのでした。

昔標榜していた「理科室風書斎」は、その後「理科準備室風」になり、さらに「物置風」となって、風趣の点では、だいぶ退化したことを認めないわけにはいきません。寂しいことですが、これも宇宙を貫く真理、「熱力学第二法則」の実例なので、抗うことは難しいです。

ともあれ、そこで再発見したものを採り上げます。

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アンティークな宇宙船のような姿をした電流計。


ガラスドームの中にコイルと磁針が仕組まれ、その両サイドに電線をつなぐ端子が鈍く光っています。そして下部には、島津の紋所に由来する丸に十字の島津製作所のロゴ。

手元に島津製作所が発行した『理化学器械使用法』という冊子があります。小学校の理科授業で使う機器類の操作法を説明した本です。そこに、同じタイプの品が小さく載っていました。この本は明治43年(1910)が初版、手元のは大正5年(1916)の第5版なので、我が家の電流計も、その頃に遡る品かな…と想像しています。

(隣の「白熱電灯」も目を引きます。大正時代には、電球もありふれた存在になっていたでしょうが、そこには依然「科学」の匂いがありました。)

せっかくですから、この電流計の働きについて、当時の人の説明に耳を傾けましょう(原文には句読点が一切ないので、適宜補いました)。

 「電流の為めに磁針が傾く角度の大小によりて電流の強弱を測るものにして、度盛したる円盤の中央にコイルを置き、その中心に小磁針を支へ、之れと直角に指針を取付け、磁針の傾きを円盤状に示さしむ。先づコイルの面を磁針の方向と一致せしめ(指針を目盛の0と一致せしむべし)、コイルに電流を通ずれば、指針の示す目盛によりて電流の強弱を知る事を得べし。此種の電流計を正切電流計といふ。」(上掲書p.72)

「正切」は「正接」と書かれることが多いですが、三角関数でいう「タンジェント」のことです。コイルに電流を流したときの磁針の振れ角を読むと、その角度のタンジェントが電流の強さになる(=電流の強さが磁針の振れ角のタンジェントに比例する)ことを利用した電流計を、「正切(正接)電流計」と呼ぶのだそうです(注)




木、真鍮、ガラスの作り出す小世界。
電流計は、もちろん電流さえ測れれば良いわけですが、そういう機能を越えて、素材の質感やら何やら、「風趣」にこだわるのが理科室趣味というもので、そこに涼やかな感じがあるわけです。

   ★

とはいえ、私が実際に経験した理科室には、こうした風情は薄れていて、私の記憶の中の電流計は、こちらの姿に近いです。

(こちらも同じく島津製)

これも1950年代のものらしく、十分懐かしいは懐かしいです。
そして、デジタル化が著しい現在でも、理科の授業で使う電流計は似たような姿をしていて、ピョコピョコ動く指針をアナログ的に読んでいる(らしい)のは、ちょっとホッとできる気がします。


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(注) この箇所は、永平幸雄・川合葉子(編著)『近代日本と物理実験機器―京都大学所蔵明治・大正期物理実験機器』(京都大学学術出版会、2001)を参照しました。

アルカーナ2019年08月24日 18時10分51秒

家の改修やら何やらゴタゴタしているので、ブログの方はしばらく開店休業です。
そうしている間にも、いろいろコメントをいただき、嬉しく楽しく読ませていただいています。どうもありがとうございます。

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しかし、身辺に限らず、世間はどうもゴタついていますね。

私が尊敬する人たちは、人間に決して絶望することがありませんでした。
これは別に、偉人伝中のエライ人だからそうというわけではなくて、どんなに醜悪な世の中にも善き人はいるし、どんなに醜悪な人間の中にも善き部分はある…という、至極当たり前のことを常に忘れなかったからでしょう。(その逆に、どんなに善い世の中、どんなに善い人であっても、醜悪な部分は必ずあると思います。)

私も先人のあとを慕って、絶望はしません。
まあ、絶望はしませんが、でもゲンナリすることはあります。
醜悪なものを、こう立て続けに見せられては、それもやむなしです。
それに、このごろは<悪>の深みもなく、単に醜にして愚という振る舞いも多いので…とか何とか言っていると、徐々に言行不一致になってくるので、この辺で沈黙せねば。

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本棚の隅にいる一人の「賢者」。
彼が本当に賢者なのか、あるいは狂者なのかは分かりません。突き詰めるとあまり差がないとも言えます。今のような時代は、こういう人の横顔を眺めて、いろいろ沈思することが大切ではないか…と思います。

その人は、医師にして化学者、錬金術師でもあったパラケルスス(1493-1541)

写真に写っているのは、オーストリアのフィラッハ市が1941年、パラケルススの没後400年を記念して鋳造した、小さな金属製プラーク(銘鈑)です。フィラッハは、パラケルススが少年時代を過ごした町であり、郷土の偉人をたたえる目的で制作したのでしょう。

上の写真は、プラークを先に見つけて、あとからちょうどいいサイズの額に入れました。どうです、なかなか好いでしょう。

(プラークの裏面。購入時の商品写真の流用)

(仰ぎ見るパラケルスス)

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本棚ではたまたまユングの本と並んでいますが、ユングにはずばり『パラケルスス論』という著作があります。

(榎木真吉・訳、『パラケルスス論』、みすず書房、1992)

原著は1942年に出ており、内容は前年の1941年、すなわち手元のプラークが制作されたのと同年に、やっぱりパラケルススの没後400年を記念して、ユングがスイスで行った2つの講演(「医師としてのパラケルスス」と「精神現象としてのパラケルスス」)を元に書き下ろしたものです。

しかし、本書を通読しても、ユングの言っていることは寸毫も分かりません。
したがって、パラケルススその人のこともさっぱりです。

 「パラケルススは、〈アーレス〉に、≪メルジーネ的≫(melosinicum)という属性を与えています。ということは、このメルジーネは疑いもなく、水の領域に、≪ニンフたちの世界≫(nymphididica natura)に、属しているわけですから、≪メルジーネ的≫という属性に伴って、それ自体が精神的な概念である〈アーレス〉には、水の性格が持ち込まれたことになります。このことが示唆しているのは、その場合、〈アーレス〉とは、下界の密度の高い領域に属するものであり、何らかの形で、身体ときわめて密接な関係にあるということです。その結果として、かかる〈アーレス〉は、〈アクアステル〉と近接させられ、概念の上では、もはや両者は、ほとんど見分けがつかなくなってしまうのです。」
(上掲書 p.132)

私が蒙昧なのは認めるにしても、全編こんな調子では、分れという方が無理でしょう。
しかし、こうして謎めいた言葉の森を経めぐることそれ自体が、濁り多き俗世の解毒剤となるのです。そして、私が安易に世界に対して閉塞感を感じたとしても、実際の世界はそんなに簡単に閉塞するほどちっぽけなものではないことを、過去の賢者は教えてくれるのです。

ケミカル蛍狩り2019年08月14日 19時03分00秒

蛍狩りの時期はとうに過ぎましたが、棚の隅からこんなものを見つけたので、暑中に涼を求めることにします。


幅14.5センチの箱に書かれた文字は「蛍光物質」

「昭和40年 理振法」のラベルが貼られた、半世紀余り前の理科教材です。
今も甲府盆地の中央に立つ笛南中学校が、開校と同時に購入したもので、さすがに教材としては使用に堪えないので、廃棄されたのでしょう。メーカーは内田洋行科学教材部で、「Kent」はそのブランド名。


ぱかっと開けると、中に管瓶が5本並んでいます。
この赤ん坊の人差し指ほどの、ちっちゃな瓶に紫外線を照射すると、



…といった感じで、涼やかな化学の蛍を楽しめるのですが、でも、今も元気なのは、左の2本の「有機蛍光塗料」だけです。


真ん中の瓶は「石油」で、石油が蛍光物質とは知りませんでしたが、石油は可視光線を受けて暗緑色の蛍光を発するとあります。今では完全に揮発して、石油は影も形もありません。ただコルク栓に塗られた塗料が、鮮やかな蛍光を発するばかりです。

右側の2本は「ハロゲン化物」「炭酸カルシウム」で、紫外線を浴びると、オレンジやら何やらの光を放つはずですが、今はその能力を失い、単なる“白い粉”として、紫外線LEDの光で青っぽく見えているだけです。

   ★

50年もたてば、「蛍雪の功」も、自ずと空しくなるのもやむを得ません。
古い理科教材を前に、わが身を省みつつ、まあそんなことも含めての「涼」ですね、これは。