前原寅吉、北の地で怪気炎を上げる(後編)2012年05月08日 22時07分25秒

(↑寅吉翁の号「天文山」を刻んだ印章。『前原寅吉天文論文集』のコピーよりスキャンして加工)

寅吉翁は、凶作克服のために天文学の知識を応用しようという、宮沢賢治ばりの志を持っていたと言われます。このことが、翁を偉人視する大きな理由でもあるようです。
しかし、これまでのことから予想されるように、その所説はかなり怪しげです。

第五説、天候は果して人為に依りて左右せらるゝか」の中で、翁は「人為を以て天候を随意に左右し得らるゝか、否か」、「換言すれば人為を以て、晴天続きに降雨を促し、又は霖雨を霽〔は〕らして晴天となす至極便利なる方法を講ぜん」ことを試みています。

その至極便利なる方法とは、焚火をたくことです。
いわゆる伝統的な日和乞いの習俗ですが、「是等は全く迷信的の遣り方の如しと雖も、其の理由を説明するに於ては全然科学的の方法にして、大に取るべき点あり」と翁は力説します。その理由はまことにシンプルで、「夫れ地上に篝火を焚くや附近の空気は温暖となりて上昇すると同時に、地の寒冷なる空気は其隙間に乗じて入り代り、空気に変動を来すの結果、或は風を起すこともあるべく、或は雨を呼ぶこともある」からだ、と翁は言います。

焚火の上に上昇気流が生じるのは事実としても、果たして、それだけで気候を変えうるものか?

斯く云はば人或は笑ふて言はん。此広き地上に於て或一小局部に篝火したりとて何の功あらんやと。然れども、怪む勿れ、大事小事より起ることを。鍼灸の一局部に施して巧験全身に及ぶと同じ理なり
故に余は断じて云はんとす。晴天を促し、或は降雨を望む際には、風なき時ことに危険なき処へ、朝夕毎日三十分位に篝火をなし以て人為的に天候を動かし得べしと

何だか落語を聞くようです。翁の説が正しいとすると、天候が温和な時には、天候不順になる恐れがあるので、うっかり火を焚くこともできません。翁の誠を疑うわけではありませんが、これはやはり怪説と言わざるを得ないのではないでしょうか。

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翁の天文学応用はおどろくほど広範囲にわたります。
曰く「第八説、星学上より見たる地球の内外を論じ併せて其変化変動を論ず」、曰く「第十説、天文学上より人生の運命を論ず、宇宙学より見れば世に不思議なし」、曰く「第十一説、天文学上より世人無情とする原因を論じ、併せて記憶速成法を論ず」…

(↑寅吉翁が描いた太陽系の図。往時の絵葉書より)

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寅吉翁は、高等教育を受けぬまま成長し、制約の大きい中で精進を重ねた人です。
そうした老翁を、後世の知識で嗤うことは厳に慎まねばなりませんが、しかし、翁の「奇説・怪説」の類もきちんと取り上げなければ、やはり公正さを欠くと思います。

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敬愛すべき寅吉翁に対して、いささか皮肉めいた調子になるのも厭わず、あえてその負の面を書き綴ったのは、寅吉翁を過剰に神格化する動きが最近も続いているからです。

例えば、昨年10月、青森県企画政策部は、『見つけよう!伝えよう!あおもりの人財』マンガ誌(vol.1)というのを発行しました(http://www.pref.aomori.lg.jp/kensei/seisaku/jinzai_manga02.html)。

これは青森ゆかりの著名人を、県内の中高生が取材してマンガ化したもので、そこで寅吉翁は、子供たちに慕われ、世の蒙を啓き、ハレー彗星の太陽面通過の観測に世界でただ一人成功した人として、理想化して描かれています。

取材者である生徒さんの純真は疑うべくもなく、またその取材の不備を責める気も毛頭ありません。何せ、世間にはそういうミスリードの情報があふれているのですから。

問題とすべきは、発行者・青森県の見識です。この事業は、「中高生の自主的取材とその成果を、県として応援しているだけ」なのかもしれませんが、しかし、発行者として青森県に最終的な責任があることは言うまでもありません。

繰り返しますが、寅吉翁については、上記のような、あきらかに「奇説」と言うほかない主張も含めて、もっときちんとその事績を紹介すべきです。現代の言い方では、寅吉翁は「トンデモ」系の要素が多分にある人なので、それを「天文学の大偉人」のように持ち上げるのは問題が大きいと考えます。そうした説が破たんするのは明らかなので、これは教育的にも、むしろよろしくないと思います。

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(日本天文学会発行の絵葉書。1910年)

さて、問題のハレー彗星の一件。
これは寅吉翁を語る上で、もっとも華やかなエピソードで、ウィキペディアも、1910年のハレー彗星の項(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AC%E3%83%BC%E5%BD%97%E6%98%9F#1910.E5.B9.B4)で麗々しく記述していますが、その出典がはっきりしないことを以前↓書きました。

■「明治日本のアマチュア天文家…前原寅吉翁のこと(7)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/12/28/5613143

しかし、この小冊子でそれがはっきりしたので、そのことを記しておきます。
結論から言うと、出典は「満州日日新聞」の明治43年(1910)5月下旬(日付未詳)の記事なのですが、文章自体は新聞記者ではなく、寅吉翁自身の手になるものでした。つまり、翁の投稿に基づく記事です。当然他紙にも書き送ったと思いますが、結果的に採用されたのが、外地の満州日日新聞だけだったのでしょう。同紙がこの投稿に敏感に反応した理由は、以前↓の記事で推測まじりに書きました。

■「明治日本のアマチュア天文家…前原寅吉翁のこと(6)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/12/28/5613140

翁の『天文論文集』に再録された該当記事は以下の通りです。


注意を要するのは、寅吉翁がハレー彗星の観測に成功したのは、「太陽面直接観望用眼鏡」と称する独自の装置を使ったからだという説がありますが(連載(4)(8)を参照)、上の記事を読むと、「右三鏡〔=翁が所持した3種類の望遠鏡〕にて直接望見せんが為黒色硝子を製し観測せしに」とあるだけで、普通にサングラスを使って観望しただけのように読めることです。

当時、他の観測者もサングラス越しに彗星と太陽面を観測していたわけですが、色の変化(彗星が太陽面を通過する時、太陽が青く変じたと言います)を察知し得たのは、寅吉翁だけだったという事実。これは寅吉翁にとって「見る」という行為がどんなものであったかを示すエピソードです。

どうも寅吉翁には、容易に何かを「見て」しまう癖があったようです。
翁の天文論文の第十二説、「太陽のプロミネンスを容易に見る法なきか」には、プロミネンスを簡単に見る方法が説明されています。それは、たらいに水を入れて、そこに太陽を反射させて、白い幕か紙に投映するというもので、そうすると、「例へば間欠温泉の噴出するやうに或は火山の噴火するやうに、又海上ならば竜巻を見るやうに、陸上ならば旋風を見るやうに、或はポンプで空中に水をまくやうに昇るのが写るのです」。もちろん、これは水面の揺らぎや立ち昇る水蒸気によるものに違いありませんが、翁もその可能性を一応認めつつも、3分~5分毎に爆発的に映じる像は、やはりプロミネンスだろうと、自説に強くこだわっています。

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翁は、たしかに常識にとらわれず、ユニークな発見を追求した人です。
ハレー彗星の青い光にしても、水鏡によって捉えたプロミネンスにしても、そのユニークさを証するエピソードだとは思います。ただ、奇想の人であるだけに、その所説の解釈には十分な慎重さが求められると思います。

私が寅吉翁を評価するのは、何も翁が天文学の天才だからとか、学問的に価値のある業績を上げたから…というわけではありません。
そうではなしに、天文趣味がまったく普及していなかった明治時代の日本で ― しかも八戸という、中央から遠く離れた土地で ― 星への強烈な憧れを抱きつづけ、その夢を一生かけて追った天文趣味の大先輩として、深いを敬意を表したいと思うからなのです。

前原寅吉、北の地で怪気炎を上げる(前編)2012年05月07日 22時21分35秒

最後の最後に大変な災厄を残して、今年の連休も終わりました。
ふと、今年もすでに3分の1以上が経過したのか…と気付き、愕然とします。

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以前、明治日本のアマチュア天文家…前原寅吉翁のこと(1)~(9)」という長文の記事を書きました。

(↑青年期の前原寅吉と大理石製の太陽模型。この模型は、後に日本天文学会会長の寺尾寿に贈られた旨が、『前原寅吉天文論文集』の序文にあります。)

前原寅吉翁(1872-1950)は、八戸で時計店を営む傍ら天文趣味にのめりこんだ、明治時代にあっては稀有な存在で、上の記事はその実像をラフスケッチしたものです。

上の記事を書いた時は、ほとんど一次資料がなかったので、十分翁の実態に迫れませんでした。しかし、昭和7年(1932)に出た『前原寅吉 天文論文集 及身辺雑集』という小冊子のコピーを最近手に入れ、翁のことが少し詳しく分かったので、そのことを書こうと思います。(この冊子は国会図書館に所蔵されており、誰でもコピーを請求することができます。)

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これが表紙。「宇宙互愛研究所」という編者の名前からして、ちょっと微妙な雰囲気が漂います。

(マイクロからの複写なので一寸ピントが甘めです。)

奥付を見ると、「天文山 前原寅吉」の前に、「太陽観望眼鏡発明者、星座時計発明者、太陽光線療法器発明者、日本天文学会特別会員」という長々とした肩書きが付いています。

また冊子の巻末には、「来往文書集」と題して、いろいろな書状類が集められており、その内容は、「赤門出の秀才医学士大村光造先生〔…〕よりの書状」とか、「東洋皇漢医学の大家N氏よりの書翰」とか、はたまた「ユダヤ時代研究の一人者たるS氏よりの書翰」といった、必ずしも天文学とは関係ない人々による、寅吉翁を賛美する内容が続きます。極めつけは、「青森県庁 熊谷社会主事談」による「世界的の天文学者 前原寅吉氏」という一文。

どうも寅吉翁は、謙譲よりも自己賛美を旨とする性格だったように見受けられます。
こう言っては何ですが、こうした特徴は現代で言うところの「トンデモ系」の人を彷彿とさせます。

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肝心の「天文論文」の中身を見てみます。
まず「第一説、音声の昼夜によりて異なる理由」というのがあります。短文なので、その全文を引用させていただきます。(以下、〔 〕内は引用者)

 「音声の速度は物理学上にては一秒時間に三町三間〔=約333メートル〕は定説にして、昼間と夜間とに依り速度の異なる理も亦世人の認むる所なり。而して其の理由に就ては夜間の昼間に比し静粛なるに依るとは古来よりの定説なり。右は多少の差違あるべしと雖も余の愚考する所是太陽の光線の関係するにあらざるか。即ち夜間は昼間の三倍の速さの波動にして、電気の波動も亦同じ。諸動物の血液循環の異なる理も亦医学上に於て認むる所也而して太陽の水線下九十度なる時、即夜の十二時より二時頃までは音声の伝波力最も速し。又日蝕の皆既には夜間と異ならず。満月に於ても光線虚弱なれば音声の波動に及ぼす影響は暗夜の時と格別の違なきを認めたり。故に音声の波動の昼夜により異なる理は、太陽光線の高低の有無によるものと信ず。」

どうでしょうか。正直に言うと、私には最初から最後まで翁の言っている意味がまったく理解できません。私に理解できないから「トンデモ」だと言うのは不遜ですけれど、なんとなくそういう「匂い」を感じます。

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第三説、地球は果して楕円形なるか」というのも興味深い内容です。
地球の形は楕円形(回転楕円体)であるというのが通説ですが、「小生浅学を顧みず茲〔ここ〕に一二の実験を以てせる結果を挙げ、以て地球の楕円形にあらざるべきを論」じようというのです。通説への大胆な挑戦です。

翁は実験の前に、天文学上の「事実」を指摘します。
「太陽を始めとし〔…〕木星及び〔…〕火星も亦〔…〕月等も総べて楕円形なるを認めず」。
一瞬、「え?『楕円形なるを認む』の間違いでは?」と思いましたが、翁はこれらの天体は楕円形ではない、なんとなれば、「太陽、月、木星、火星、を撮影し之を計り見るに、少しも径に長短あることなし」。つまり、写真に撮ったものを物差しで測っても、長径・短径の区別がないから、これらは完全な球体なのだ…と、自信を持って主張します。

で、翁が言うところの「実験」とは何か。
まず直径3尺(=約90cm)の球と、それとほぼ同じ大きさで、南北の径が東西の径よりも4分(=約1.2cm)だけ短い、ひしゃげた「球」を作ります。これを500尺(=150メートル余)の距離に置き、肉眼や望遠鏡で観察したり、望遠撮影したりしてみます。すると肉眼で見ると両方同じに見えますが、写真上で計測すると、「明かに一つの球には径の長短なく、即円形にして一つの球には径の長短なく、即円形なるを認むべし」。
もちろん、これは誤植で、後半は「…一つの球には径の長短ありて、即楕円形なるを認むべし」の間違いでしょう(でなければ文意が不明です)。

要するに、翁は、「実際に、通説が述べる地球と同比率のひしゃげた球体を作って、それを写真に撮ると、写真上でそれが楕円であることは、はっきり計測できる。しかるに太陽等の諸天体の写真を計測しても、それらが楕円であるとは認められない。すなわち、太陽等は楕円ではなく真円であり、そこから翻って地球だけが楕円である道理がない」と言うわけです。

ちょっと論の展開が独特だという気がします。
それに、もちろん正しく写真を計測すれば、これらの天体が扁平であることは明らかなはずで、上の主張は、翁の天文学に関する基礎的理解の程度を示すものと言わざるを得ません。

(後編につづく)

LIVE!太陽系2012年03月29日 21時09分23秒

桜のつぼみがふくらみ、宵に入ってもなお、春の気配が辺りに濃く漂っているのを感じます。

仕事の帰り道、西の空がからっと開けた場所があって、ここしばらくは金星、木星、月の競演が続いています。それらを結んだ先には、まだ沈んだばかりの太陽の存在もしっかりと感じ取れます。

巨大な太陽、内惑星、外惑星、そして我らが地球。さらにその周りを回る白銀の衛星。

「ああ、自分は今、CGでもプラネタリウムソフトでもない、『生の太陽系』を見ているのだなあ…」と、空を見上げるたびに心がかすかにふるえます。

きっと、コペルニクスやケプラーの時代の人々だったら、もっと劇しい、灼けつくような昂奮を眼前の光景に覚えたのではないでしょうか。

写された明治の星空2012年03月21日 20時58分32秒

例によって、続き物の記事の合間に、ほかの話題がはさまります。

今回は三鷹発のビッグニュース。

「国立天文台では、平成20年4月に天文情報センターの中にアーカイブ室を発足させ〔…〕このアーカイブ室の活動の一環として、約2万枚と想定される段ボールに収められた古い乾板の整理を続けてきました。その過程で、19世紀末から20世紀初めにかけて、麻布で観測していた時代に撮影されたと思われる星野写真乾板を、全部で437枚、発見しました。」

記事全文は以下。
 

国立天文台:日本最古の星野写真の発見
 http://www.nao.ac.jp/releaselist/archive/20120316-old-plate/

おお!!!と思いました。
明治の昔、東京天文台(現・国立天文台)が三鷹に移転する以前、まだ麻布にあった頃に撮影され写真乾板が大量に出てきたというのですから、本当に驚きです。
確認された中で、最も古い画像は1899年(明治32)に撮影されたもので、撮影には現在上野の国立科学博物館(日本館)に鎮座している「トロートン望遠鏡」に同架した「ブラッシャー天体写真儀」を使用したそうです。

以前トロートン望遠鏡の歴史に関してまとめた下の表(我ながら労作)によれば、1896年から97年(明治29~30)にかけて、麻布の天文台に撮影用の機材と撮影室が整備されてから、あまり間をおかずに撮影したものが今回ゴッソリ出てきたわけで、これは日本天文学史上、特筆大書すべき「事件」だと思います。

■東京天文台:明治前期の歩み
 http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/tokyo_observatory/table

震災と戦災を被った東京天文台には、古い資料はほとんど残っていないと思っていたのですが、いや、あるところにはあるものですね。
資料を守りぬいた先人の苦労にも、深く感謝したいと思います。

金の星、青の星 …天王星の見ごろ近し!2012年02月04日 20時00分46秒

以前も登場した、英国フィリップス社の古い星座早見盤。


ぐっと近づいてみると、ボーっと浮かび上がる「PISCES(うお座)」の文字。


さらに目をこらせば、魚の傍らに金の星と青の星が並んで輝いています。


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先日ご案内したイベント、「ハーシェルの天体を見よう 2012」。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/01/14/6291227

いよいよ来週2月8日(水)から12日(日)にかけて、最初の目標天体である天王星が金星に接近します。両者が最接近するのは10日の金曜日。

今回の逢引きの場所は、2匹の魚(うお座)を間近に眺める西の空です。
双眼鏡があればきっと見えるはずですので、天王星をご覧になったことのない方は、この機会にぜひ。詳細な観測ガイドは以下にあります。

ハーシェルの天体を見よう2012(日本ハーシェル協会公式ガイド)
 http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/hsjsub/herschelwatch2012/

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天王星はウラヌス、金星はヴィーナス。

天空神ウラヌスは、大地母神ガイアの息子であると同時に、母ガイアと通婚して、多くの神々を生み出しました。しかし、後にガイアの怒りを買い、ガイアの命を受けたわが子クロノスに陽物を切り落とされ、海に漂うその陽物の泡から生まれたのが、愛と美の女神・アプロディーテー、すなわちヴィーナスです(アプロディーテーはギリシャ神話、ヴィーナスはローマ神話における名前で、同格の存在とされます)。

何ともすさまじい話ですが、間もなく天空神から美神が誕生する、その瞬間を我々は目にすることができます。

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今日の記事は、コメント欄でとこさんにご提案いただいたアイデアに基づくものです。
ちなみに星座早見の上に配したのは、満ばんざくろ石(金)と菱亜鉛鉱(水色)の微晶で、直径はそれぞれ約2mm。

「雪の天文台」 総集編2012年01月22日 13時36分23秒

お知らせ: 「さあ、みんなでハーシェルの天体を見よう」の記事は、当初の掲載日である1月14日に移動しました。)

「最近気になるテーマ」として取り上げた、「雪の天文台」。
でも、考えてみたら、このテーマは昔から繰り返し取り上げています。ですから「最近になって再び気になりだしたテーマ」という方がより正確です。

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リックと並んで、カリフォルニアが誇る3人の巨人、ウィルソン山天文台パロマー山天文台についても、それぞれ雪の絵葉書を紹介したことがあります。

100年前、雪はあくまでも深く…ウィルソン山天文台
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/12/07/4745515


↑の画像は以前と同じもの。
それにしても、ものすごい雪ですね。雪の中で静かに眠る、これまた純白の天文ドームのたたずまいが素敵です。

雪のパロマー山天文台
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/12/11/2504133


↑の画像は、今回より大きなサイズでスキャンし直しました。

この絵葉書をめぐっては、さらにその続編の物語も書きました。
一人の地元の女性が語る、パロマー山天文台の思い出は、今読み返しても本当に心にしみじみとします。
パロマー物語…クリスマス・イヴに寄せて
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/12/24/2527345


さらに大西洋を越えて、イギリスのグリニッジ天文台の雪景色も既出。


↑は新たに色調を整えて、拡大機能付きで貼り直しました。
古い街中の雪景色には、大自然の雪景色とはまた違った、こまやかな情緒が感じられます。


さて、既出のものばかりではつまらないので、最後にリック天文台の雪景色を、もう1枚載せておきます。


↑は1900年ごろの古絵葉書。
木の間ごしに遠く見える天文台。巨大なドームが何と小さく見えることか。
画面を見ていると、広大な宇宙における人間の小ささ、いじらしさと、それでも歩みを止めない勁さを、ふと感じたりします。

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昨日の記事にいただいたコメントにもあるように、日本の天文台にも、雪にまつわる物語や愉しいエピソードは多々あることでしょう。

中でも戦後間もない1949年に、標高2876メートルの乗鞍岳・摩利支天山頂に設置された乗鞍コロナ観測所(正式開所は1950年)は、冬ともなれば全山雪で、そこに集った「漢」たちには、ずいぶん武勇談もあったことでしょう。

(乗鞍山頂での第一次越冬班。左から山本康郎、森下博三、野附誠夫、清水一郎、河野節夫の諸氏。『東京大学 東京天文台の百年1878-1978』より)

また暖国とはいえ、岡山天体物理観測所の1年を詩情豊かに描いた、石田五郎氏の名著『天文台日記』(1972)でも、正月早々雪のシーンが続いていたのを思い出します。

雪のリック天文台(3)2012年01月21日 19時20分33秒

暦の上で今日は大寒。
雪の天文台の話題をつづけます。

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ときに、昨日の記事のタイトルを改めました。
調べたら、自分は以前も「雪のリック天文台」という記事を書いていたので、昨日の記事は「雪のリック天文台(2)」に変更します。そして今日の記事は「その(3)」です。

その(1)に当たる、オリジナルの「雪のリック天文台」の記事は以下。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/12/24/1045824

で、昨日思い出したことというのは、まさにこの記事と関係しています。
以前と同じ絵葉書ですが、改めて画像を拡大できるように貼り直してみました。


この絵葉書には、1946年の消印がありますが、絵葉書自体はもう少し前に作られたものかもしれません。画面はすっかりセピア色になっています。

ここで注目したいのが、斜面についたソリのあと。
これは天文台スタッフの子供たちが遊んだあとかな?…と昔の記事では書きました。
おそらくは、そうなのでしょう。最近、リック天文台での人々の暮らしぶりを知り、それがこの1枚の絵葉書と、頭の中であざやかに結び付いた…というのが今日の話題です。

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昨年、マーシャ・バトゥーシャク著、長沢工・永山淳子訳、張宇宙の発見-ハッブルの影に消えた天文学者たち(地人書館、2011)という本を読みました。1920年代から30年代にかけて、ひと癖もふた癖もある天文学者たちが、たがいに覇を競いながら「膨張宇宙論」を確立するまでのドラマを、生き生きと描いた好著です。

そのドラマの舞台の1つがリック天文台で、本の中にはそこでの生活が、いろいろ顔を出します。

リック天文台は、ジェームズ・リックという富豪の寄付で、1870年代に建設が始まりました(リックの遺骸は、巨大望遠鏡の真下に埋葬され、今もそこに眠っています)。
同天文台には、天体観測ドームのほか、住居、作業場、事務所、図書館、学校などの施設が備わり、スタッフは家族とともに現地で暮らし、生活用品はふもとの町から毎日馬車で(後には自動車で)運び上げたそうです。
まさに、ここは1つの町であり、別名小さな科学の共和国とも呼ばれます。

1900年の直前の時点で、ここには上級天文学者が3人、助手の天文学者が3人、作業員たち、その家族、使用人等、総勢約50名の人が暮らしていました。人々は余暇には手作りのゴルフコースでクラブを振るい、雲のある晩にはパーティーを催し、互いを招待しました。子どもたちのための学校では、女性教師が毎年のように雇われた…というのは、彼女達は若い天文学者と結ばれ、退職することがしばしばだったからで、ロマンスにも事欠かない場でした。

ちなみに、1908年に稼働を始めた、同じカリフォルニアのウィルソン山天文台では、天文学者たちは「通い」で観測に当たりましたから、リックのような定住方式が、当時の標準だったわけではありません。やはり、リックは特異な環境だというべきでしょう。

リックには現在も20家族以上が暮らし、交番と郵便局も置かれ、科学の共和国は依然健在です。

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上のようなことを念頭に、あのソリのあとを見ると、子どもたちがこの科学の共和国で明るい歓声を上げてソリ遊びをしていた様子が、まざまざと目に浮かびます。

1世紀を超える「共和国」の歴史の中で、数多くの子供たちがここで暮らし、野生動物と触れ合い、遠くの尾根を眺め、そして満天の星を見上げたことでしょう。心も頭も柔らかな、そして身体中にエネルギーが満ちあふれた子供時代を、こういう場所で過ごせた人は幸いですね。

さあ、みんなでハーシェルの天体を見よう2012年01月14日 21時27分15秒

※この記事は、1週間トップ表示します※
【1月22日付記: トップ表示の期間が満了したので、本来の位置に戻します。】

今日は天文古玩には珍しく、リアル天文趣味の話題です。

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古来、人類の歴史を変えた天文家が幾人かいます。
プトレマイオス、コペルニクス、ケプラー、ガリレオ。あるいは天文家ではないですが、宇宙の理解を飛躍的に高めたニュートンやアインシュタインなど。

イギリスで活動したウィリアム・ハーシェル(1738-1822)も、間違いなくその一人です。

(Sir Frederick William Herschel,  1738-1822)

新惑星・天王星を発見し、赤外線の存在を実証し、太陽系が恒星宇宙の中を疾駆している事実を見出し、銀河系の形状を観測データから明らかにし、膨大な星雲星団の目録を超人的な努力でまとめた人。40歳を過ぎて天文家に転身する前は、優秀なプロの音楽家だったという、その経歴からして、とびきり異色の存在です。

そうした個々の業績も驚くべきものですが、その最大の功績は、この大宇宙(太陽系を超えた遥かな世界)の真の姿について、人類は単なる思弁のみならず、具体的な観測によってもアプローチできることを、身をもって実証したことでしょう。後続の学者たちは皆、このハーシェルがこじ開けた扉を目にしたことで、果敢な挑戦に打って出ようという勇気を与えられたのです。

これは人類の精神史における、一種の革命だと言ってよいのではありますまいか。それまで庇護されるばかりの存在だった幼児が、ある日ふと「自分もやればできるんだ!」と気づいた瞬間…とでも言えばいいでしょうか。

この偉大な天文家を慕う人々は今も多く、イギリスにはウィリアム・ハーシェル協会があり、日本にも日本ハーシェル協会があって、活動を続けています。

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さて、ハーシェルについて熱く語りましたが、私も会員である日本ハーシェル協会では、本年「ハーシェルの天体を見よう2012」というイベントを開催します。会員であってもなくても、世界のどこからでも参加自由という、気軽な催しです。

内容は、今年1年かけて、ハーシェルにちなむ天体を5つ見ようというものです。(そう、たった5つです。これならば、ものぐさな人や、ライトな天文ファンでも十分チャレンジできそうですね。)

そのラインナップは以下のとおり。

1.天王星
2.ハーシェル天体H VII-2(いっかくじゅう座 散開星団 NGC2244)
3.ハーシェル天体H V-24(かみのけ座 銀河 NGC4565)
4.ハーシェルのガーネットスター(ケフェウス座μ星)
5.ハーシェル天体H V-1(ちょうこくしつ座 銀河 NGC253)

街中でも小型望遠鏡があれば十分チャレンジできるものをセレクトしました(一部は双眼鏡でも観測可)。昔、天体望遠鏡を買って、土星の輪っかや木星の縞模様は見たけれど、天王星はまだ見たことがない…という方も多いでしょう。この機会にぜひ挑戦してみてください。
個々の天体に関する情報や、イベントの詳細は、以下の特設ページをご覧ください。


■ハーシェルの天体を見よう 2012
 http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/hsjsub/herschelwatch2012/

このイベント、参加費や事前エントリーはもちろん不要ですが、「見えた!」「残念、ダメだった」, etc. …のレポートを、日本ハーシェル協会の掲示板にお書き込みいただければ有難いです。偉大なる天文家の追体験を、多くの方といっしょに楽しめればと思います。

なお、この情報について、個人サイト;Twitter;口コミ等で拡散していただければ、これまたありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。

人間ガリレオ、木星へ旅立つ?2010年11月07日 10時50分48秒

(↑木星に近づくジュノーの想像図。ウィキメディアコモンズより)

メーリングリスト(ML)経由の情報です。

以前、ガリレオの遺骨が、博物館で展示されているというニュースについて書きましたが(http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/06/18/5170081)、それとは別に、今度ガリレオの遺骸の一部が、木星に行くかもしれない…という話題を耳にしました。

どういうことかというと、来年打ち上げ予定の木星探査機「ジュノー」に、ガリレオの遺骨を積み込む計画があるのだとか。

ソースはこちら。

■Nature 468, 6 (2010年11月4日付)
 http://www.nature.com/nature/journal/v468/n7320/full/468006a.html

以下、いつにもまして適当訳(原文を確認してください)。

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 「コロラド州デンバーの航空宇宙施設では、現在技術者たちが、NASAの後続木星探査機に科学機器を組み込む作業に追われている。この探査機は、1年以内に打ち上げが見込まれている。しかし、十億ドルの巨費を投じた探査機ジュノーに関わる作業チームのメンバーは、この宇宙船に、ちょっと毛色の変わった物が乗り込むことについては、声をひそめている。すなわち、ガリレオ・ガリレイの遺骨のひとかけらだ。

 この有名な天文家の遺骸の一部を、巨大な惑星をめぐる軌道に送り込み、彼自身が発見した衛星の仲間に加えようというアイデアは、この探査計画に参加するアメリカ側の関係者を少なからず魅了した。それに比べて、2種類の科学機器を提供するイタリア航空宇宙局(Italian Space Agency)の職員は、さほど熱心ではないようだ。しかし、この計画はきっと前進するにちがいない。

〔…〕

 ガリレオの安らかな眠りを乱す、〔ガリレオの遺骨を遺伝子解析にかけたり、その一部を私蔵したりといった、従来なされてきた〕振る舞いに比べれば、一片の骨などは、ごくささやかな捧げ物だとも思える。すなわちこの骨は、探査計画に感動のエネルギーを充てんし、科学が人類固有の努力であることを人々に思い出させる標(しるし)として捧げられる、供犠の品なのだ。

 ガリレオ自身は、科学と社会とを結び付ける必要性を理解していたし、政治的に機敏な彼は、ショーマンシップの価値を十分に承知していた。〔…〕したがって、公衆の支持を得るという目的のためならば、ガリレオは自分の死後の探査計画に、多少なりとも寛容さを発揮したのではあるまいか。

 だが、ガリレオだったら、この計画を認めるだろうと思える、もう1つ別の理由がある。彼は望遠鏡を通して明らかになった宇宙の姿にすっかり魅了されていた。「地球半径の60倍も離れている月の本体が、わずか2倍しか離れていないように近くにみえる。美しい、心をそそる事実ではないか」。彼は1610年に著した『星界の報告』の中で、月の表面について、こう書いた。探査機ジュノーは、ガリレオにとって月と同じぐらい魅力的な天体、すなわち木星の表面からわずか4,800キロのところをかすめることになる。彼は月よりもいっそう間近で見る光景に、きっと満足するにちがいない。」

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この事実、天文関係者にとっても寝耳に水だったみたいで、いぶかしむ声がMLに寄せられていました。「NASAは、こういうことはいつも大々的に宣伝するのに、なぜ今回は沈黙してるんだろう?誰か詳しい事情を知っている人はいないか?」 そして、ネイチャーの編集子が肯定的に書いているこの計画に対して、「何か意味があるのか?」「とんでもない愚行だ!」と憤る声も聞かれました。

日本語のジュノー関係の記事を読んでも、今のところ、この件は出てこないので、私ばかりではなく初耳の方が多いのではないでしょうか。

私には、この件について特に定見はありません。

 「夢のある話じゃないですか。」
 「夢がある、の一言で済ませていい問題じゃないでしょ。」
 「いや、今の地上は、それほどまでに夢を必要としてるんですよ。」
 「君のいう夢が、政権の人気取りのことを言うならばね。」

…いろいろ内なる声が聞こえてきますが、さて、どんなものでしょうか。


【付記】 記事中、「10億円」→「10億ドル」に修正。額が2ケタも違っていました;

拝星教徒の間に兵火烈々として起き、コップの中に嵐轟々たり2009年11月07日 20時01分46秒

関心のない方には、まったくつまらない話だと思いますが…

今日、東亜天文学会(OAA)の機関誌「天界」が届きました。
「ん、最近発行のペースが早いな」と思いつつも、特に気にも留めずフムフムと目を通しましたが、読んでいくうちに「全会員の皆様へ」とか、「東亜天文学会混乱の一部始終について―OAA動乱の真実を語る」とか、何やら檄文調の記事が並んでいて、「???」。

で、「先月号」を引っぱり出してきたら、写真のような次第でした。
左の「10月号」は<滋賀県の東亜天文学会>が発行、右の「10・11月合併号」は<兵庫県の東亜天文学会>が発行。

どうも二大勢力の角逐が熾烈らしいのですが、もう何が何やら分かりません。
まさに一大奇観。

しかし、全然面白がる気にもなれず、このままでは厭気がさして辞める会員も増えるのではないかと心配です。

○参考関連記事
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/09/05/4564274