これもアポロ、あれもアポロ2019年04月07日 09時19分26秒

アポロといえば月着陸ですが、正確を期せば、アポロは1号(1966)から17号(1972)まであって、さらに1961年に始まる準備段階も全部ひっくるめて「アポロ計画」と称するんだそうです。もちろん、月に降り立ったのは、そのうちの一部にすぎません。

最初の月着陸を成し遂げたのはアポロ11号で、1969年のことです。
でも、年表を見ると、この年に限っても、地球を周回した9号(3月3日打ち上げ)、月を周回した10号(5月18日)、そして月に着陸した11号(7月16日)と12号(11月14日)…と、計4回も打ち上げが行われています(使用したのはすべてサターンⅤ型ロケット)。

子供だったので仕方ありませんが、そんなことも私の記憶からは飛んでいて、アポロといえば11号の印象だけが鮮明に残っています(その後、繰り返しテレビで映像を見せられたのも大きいでしょう)。

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11号の露払いを務めた9号の雄姿。
AP社が配信した、当時の報道用電送写真です。

(拡大すると、電送写真特有の細かい横縞が見えます)

幾筋ものサーチライトに照らされた夜の発射台に、強い緊張感がみなぎって感じられます。国産のH-ⅡAロケットもずいぶん大きいですが(53m)、サターンV型はさらにその倍以上の高さがあったので(110m)、間近で見たらものすごい迫力だったでしょうね。


裏面の「FEB 30」(2月30日)の文字が一寸解せないですが、まあ普通に3月2日の意味なのでしょう。すなわち打ち上げ前夜の光景です。

スタンプの印字や、貼付された紙面の向こうに堆積した50年の歳月。
思えば、「天文古玩」がスタートした13年前には、まだ40周年も迎えていなかったので、この写真もそれほど懐古モードでは見ていませんでしたが、さすがに50年ともなると、立派に古玩の仲間入りですね。今や平成も懐古の対象だし、ノスタルジーは埃のように日々降り積もるもの哉。

ときに、上で「露払い」と書きました。
確かに11号の陰に隠れて目立ちませんが、3人のクルーにとっては、文字通り命がけの大冒険ですし、アポロ計画全体の欠かせないピースという意味では、11号が横綱なら、9号だって横綱なんだと思います。

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…と書いたそばから何ですが、もう一人の大横綱たる11号も載せておかなければなりません。こちらはUPIの配信です。


打ち上げ当日の1969年7月16日の撮影です。
これもなんだか夜景のように見えますが、打ち上げは現地時間の午前9時32分、右上に輝くのは朝の太陽です。右側の説明文を読むと、特殊フィルター越しに赤外線フィルムを使って撮影したもので、ロケットの噴射する熱線が、きれいな軌跡として記録されています。ちょっと珍しい写真ですね。


裏面を見ると、発射直後ではなく、帰還後の8月13日に配信されたもののようです。
この日、3人のクルーは、ニューヨークとシカゴで盛大な祝賀パレードに臨み、さらにロスアンゼルスへと移動して(慌ただしいですね)、公式晩餐会に出席した…と、ウィキペディアは述べているので、たぶんそれに合わせて配信したのでしょう。


【メモ】
 この2枚の写真、大手新聞社のトリビューンが、経営不振の時期に、自社保管の品をチマチマ小売りしたものですが、どうも利益が薄かったのか、今はやめてしまったようです。(でも、似たような商売をしている業者は、他にもあります。)



【4月9日付記】 
 冒頭に記したアポロの号数について、S.Uさんからコメントをいただきました。重要な点ですので、公開コメントとします。ご参照ください。

飛び出せ!アポロ2019年04月05日 06時27分18秒

アポロの影響は文字通り全地球的だったので、アポログッズは無尽蔵に存在するし、アポロコレクターも、アメリカを中心に結構な数がいると思います。

私の場合、アポロものは基本的に守備範囲外なので、ほとんど持っていません。(いったん集め出したら、他のものをすべて断念しても追いつかないでしょう。文字通り沼です。) でも、幼いころの記憶に連なるものだし、何もないのも寂しいものです。

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アポロものというと、時代相からして、あざといものが多い印象ですが、これは今の目で見てもカッコいい本。

(高さ約23cm、絵本としては小さなサイズ)

■Stanley Hendricks(文)、Al Muenchen(絵)、Howard Lohnes(構成)
 ASTRONAUTS ON THE MOON: The Story of the Apollo Moon Landing.
 Hallmark Cards (Kansas), 1969.

これは8つの場面(見開き)から成る、いわゆるポップアップ絵本です。
でも、子供だましの感じはなくて、正確さを旨とする教育的配慮の行き届いた本です。ブックカバーを外した本体のデザイン↓も洒落ているし、絵柄も全体に落ち着いています。

(背表紙は銀文字)

表紙を開くと、サターンⅤ型ロケットがどんと直立します。


みんなが固唾をのんで見守る中、ケネディ宇宙基地では、打ち上げの秒読みが始まります。やがてロケットは轟然とオレンジ色の炎を吹き出して、ゆっくりとリフトオフ。



この後、宇宙飛行士たちは、いったん地球周回軌道に入った後、さらに加速して月へと向かいます。


月面に接近する月着陸船。
相棒の司令船を探すと…


はるか上空に浮かんでいるのが見えます(ピンと伸びた針金の先に貼り付いています)。


次のページを開くと…


すっくと月面に降り立った月着陸船の雄姿があります。


数々のミッションをこなした後、2機は再び月上空でドッキング。
司令船に乗り込んだ3人の宇宙飛行士は、青い地球を目指す帰路に就きます。


ザッバーン!
3日間の飛行の後、3人は無事、太平洋に着水。
こうして1969年、人類初の有人月旅行は成功裡に終わり、地球中の大人と子どもが、新しい時代に突入したことを実感したのでした。

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そう、たしかに新しい時代は到来したはずなのです。
この50年で、世界も日本もずいぶん変わりましたから。

でも、相変わらず世間に醜悪なニュースの種は尽きません。
何だかなあ…とは思いますが、ここから人間についてなにがしかのことを学ばないと、それこそ進歩がないので、辛抱してじっと目を凝らそうと思います。

遠い日のアポロ2019年04月03日 06時09分47秒

ただでさえ忙しい年度替わり。そこに突発事態が生じては、もうどうにもなりません。
そんなわけで記事の更新も中断しています。

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ときに、最近「おっ」と思ったのが、イギリスの天文史学会(SHA)の最新の会報が、「月着陸50周年」を特集していたこと。


アポロは、ずいぶん前から歴史のひとコマになっていたと思いますが、SHAがそれを取り上げた…というのは、その歴史性にいっそう重みが加わった感じです。

(下のリンク先参照)

何せ、過去にこんな記事を書いたように、SHAの会員といえば、主に19世紀以前の天文事績をたどることに熱心な、総じて古風な振る舞いの目立つ人々ですから、その彼らが、こうして月着陸を回顧しているのを見ると、アポロもいよいよ遠くなりにけり…の感が深いです。

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そんなわけで、天文古玩もアポロの話題です。

(この項つづく)

切手の中の宇宙旅行2019年03月06日 22時05分27秒

1963年にポーランドで発行された人工天体シリーズ。


1903年に「宇宙旅行の父」、ツィオルコフスキーが構想したロケットを前史とし、1957年のスプートニク1号から、1962年の火星探査機マルス1号や金星探査機マリナー2号に至るまで、ソ連に限らずアメリカのものも含めて、各種の人工天体をモチーフにしたものです。


それにしても、このデザイン力、そして美しい色彩。
まったく大した小芸術です。

こういうのを見せられては、大人も子どもも夢中になってしまうわけで、私も以前、NEW ATLANTISの由里葉さんに教えられて、「あ、これは!」と、ネットショップに走った思い出があります。

金のクロワッサン2018年06月06日 06時02分16秒

今日も三日月のおもちゃ。


9センチ角の赤い紙箱にシールが貼られ、「Question du Croissant/Nouveau Casse-Tête」「新パズル、三日月問題」と書かれています。そして「三日月を箱から取り出せ」とも。

パンのクロワッサンは、元々「三日月」の意。
その頭文字の「C」が、三日月の姿にデザインされているのが、洒落てます。
これも1920年代とおぼしいフランス製ですが、メーカー名がなくて、詳細は不明。


中身はこんな感じです。中央の小さい「×」は、十字の形に切り抜かれた穴。
金色の小さな真鍮の月を、この穴から取り出すのがゲームの目的です。

一見難しそうですが、穴の周囲に立つ4枚の「壁」を使えば、意外と簡単。
いったん壁に月を寄りかからせてから、箱をちょっと揺すってやれば…


三日月の頭はあっさり穴を突き抜けて…


スルリと外に滑り出てきます。


ゲームクリア。

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「星のおもちゃ」は存外少ない…と先日書いたわりに、玩具の話題はなかなか尽きそうにありません。他愛ない玩具ばかりでなく、他愛ある玩具も載せたいのですが、さすがにおもちゃの話題ばかりだと、書いている方もダレてくるので、ここらでちょっと気分を変えます。

一服したら、玩具の話題はさらに続きます。

現代の古地図(後編)2018年03月26日 22時55分53秒

かつて、夏から秋へと季節が移るころ、2隻の船が相次いで故郷の港を後にしました。
その姿は、彼らがこれから越えようとする大洋の広さにくらべれば、あまりにも小さく、かよわく、今にも波濤に呑み込まれそうに見えました。

しかし、彼らは常に勇敢に、賢くふるまいました。彼らは声を掛け合い、互いに前後しながら、長い長い船旅を続け、ついに故郷の港を出てから3年後に、それまで名前しか知られていなかった或る島へと上陸することに成功します。その島の驚くべき素顔といったら!

後の人は、彼らが残した貴重な記録をもとに、その島の不思議な地図を描き上げ、2隻の船の名前とともに、永く伝えることにしたのでした…

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勇気と智慧に富んだ2隻の船。それは、ずばり「航海者」という名前を負った、惑星探査機の「ボイジャー1号、2号」です。

1号は1977年9月5日に、2号は同年8月20日に、ともにフロリダのケープカナベラルから船出しました。途中で1号が2号を追い抜き、1号は1980年11月に、2号は1981年8月に土星に到達。(したがって、正確を期せば、2号の方は3年ではなく、4年を要したことになります。)

そして、彼らは上陸こそしませんでしたが、土星のそばに浮かぶ「島」の脇を通り、その謎に包まれていた素顔を我々に教えてくれたのでした。その「島」とは、土星の第一衛星・ミマスです。

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この時のデータを使って、1992年にアメリカ地質調査所(U.S. Geological Survey)が出版したミマスの地図は、確かに「現代の古地図」と呼ばれる資格十分です。


例によって狭い机の上では広げることもままなりませんが、全体はこんな感じです(紙面サイズは約67.5×74cm)。地図は、北緯57度から南緯57度までを描いた方形地図(200万分の1・メルカトル図法)と、南極を中心とした円形地図(122万3千分の1・極ステレオ図法)の組み合わせからできています。


多数のクレーターで覆われた地表面は、何となくおぼろで鮮明さを欠き、データの欠落が巨大な空白として残されています。


そんな茫洋とした風景の中に突如浮かび上がる奇地形が、他を圧する超巨大クレーター「ハーシェル」です。

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ボイジャーがミマスを訪れてから四半世紀近く経った2004年。
別の新造船が土星を訪れ、10年間の長期にわたって土星観測を続けました。
それが惑星探査機「カッシーニ」です。

このとき、ミマスについても一層詳細な調査が行われ、2014年には下のように精確な地図が作られました。

(ウィキペディア「ミマス」の項より)

解像度も高く、空白もないこの新たな地図を手にした今、ボイジャーがもたらした地図は価値を失ったのか…といえば、そんなことはありません。昨日の自分は、こんなことを書きました。

「古地図を見れば、当時の人が利用できたデータの質と量が分かる仕組みで、古地図には<地理的=空間的>データと、<歴史的=時間的>データが重ね合わされていると言えます。〔…〕古地図は古版画芸術であると同時に、人類の世界認識の変遷を教えてくれる、貴重な史資料でもあります。」

ボイジャーのミマス地図についても、まったく同じことが言えます。
繰り返しになりますが、これこそ「現代の大航海時代」が生んだ、「現代の古地図」なのです。(ボイジャーの地図は紙でできている…というのが、また古地図の風格を帯びているではありませんか。)

飛び出るクレーター2017年11月27日 21時14分50秒

ルナ・オービターにちなむ品として、印刷ではない「生写真」が手元にあるので、この機会に載せておきます。

「生写真」と言っても、昨日述べたような理由で、ルナ・オービターが撮影した本当の生写真は地球上に存在しないのですが、NASAが配布した紙焼き写真には、何となくルナ・オービターの体温や肉声に近いものが感じられます。


この2枚組は、ステレオ写真を狙って撮影されたもの。写真が顔を覗かせている枠の大きさは約13×11cmですから、そんなに大きなものではありません。撮影したのは、月面地図作りに活躍したルナ・オービター4号機、5号機ではなく、アポロの着陸候補地の調査を担当していた3号機。


額縁から出すと、こんな感じです。


欄外の「NASA-LRC」というのは、NASAの一部門である「ラングレー研究センター(Langley Research Center)」を指します。LRCは1965年、センター内に月着陸研究施設(Lunar Landing Research Facility )を開設し、月面着陸に備えて、実物大モジュールを使った模擬着陸に取り組んでいました(…と、知ったかぶりして書いていますが、もちろんネットで知ったことの受け売りです)。


写真裏側の印字情報。
この写真が月で撮影されたのは、1967年2月19日で、プレスリリースされたのは、1969年2月13日です。

アポロ11号の月着陸は1969年7月20日のことですから、それを目前にして、全米が熱狂ムードにある中、2年前の業績を振り返りつつ、報道陣に提供された1枚なのでしょう。


中央に写っているのは、直径は約3.8kmの「メスティングC」クレーター。(“MOSTING”と印字されていますが、正確には“MÖSTING”です。)

月の経緯表示は、地球から見た時、ちょうど月の真ん中にくる位置が原点で、メスティングCはその中心近く、南緯1.8度、西経8.1度の位置にあります(月のウサギのおへその辺りと言ったほうが早いかも)。月を眺めれば、嫌でも目に入る位置ですから、アピール性があったのかもしれません。

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あれから半世紀―。
月探査の話題は、アポロ以後もたびたびニュースになりますけれど、かつての熱気に比べれば、随分おとなしいものです。人類史における「一大事件」も、人間の生来の飽きっぽさの前には顔色なし…といったところで、そこに人類の頼もしさと同時に限界を感じます。

月の空を飛んだ兄弟の記憶(後編)2017年11月26日 12時04分38秒

映像で月の名所を旅する…
それだけが目的なら、「かぐや」のハイビジョンカメラ・アーカイブで簡単にできるので、この半世紀前に撮られた写真集に頼る必要はありません。


でも、そこで味わえるのは人類史における「一大事件」を追体験する喜びであり、そこにこそ、この写真集の価値はあると思います。

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1959年、ソ連のルナ3号によって、初めて月の裏側の写真が撮られて以来、米ソの月探査機は、次々と月の知られざる風景を絵手紙にして我々に送ってくれました。

(ルナ3号が送ってきた月の裏側の最初の写真。Wikipedia「Luna 3」の項より)

そして、その後の急速な技術の進展は、10年も経たないうちに、ルナ・オービター計画による、この鮮明な月写真集を生み出すに至りました。

人類は過去何万世代にもわたって、空に月を見上げ、物思いにふけり、神話を紡ぎ、観測を続けてきましたが、20世紀後半に至って初めて――文字通り天地開闢以来初めて――「機械の眼」と「機械の神経系」を使って、月の裏側や月の空に浮かぶ地球といった、新奇な光景に接することとなったのです。その感動を思いやるべし、です。


上空から見渡す、峩々たる月の山脈と荒涼とした平原。それは、19世紀の人が夢に思い描いた光景そのものでした。

(エドムント・ヴァイス、『星界の絵地図』(1892)より) 

新たに獲得した視界は、地上からはぼんやりしていた月の細部が、次々と明らかになっていく爽快感に満ちています。

(深さ1300mに達するシュレーター峡谷)

(ウサギの尻尾に当たる「湿りの海」と、そこに穿たれた三つ星のような小クレーター)


巨大な目玉模様の「東の海」は、地上から観望する際は、ほんの端役に過ぎませんが、こうして正面から見れば超一級の役者であることが、よく分かります。

(月球儀に見る「東の海」)

さらにこの写真集は、高解像度写真で「東の海」の偉観を伝えてくれます。


上は「東の海」周辺と部分図(エリアA~F)の位置表示。
下はエリアA(左)とエリアB(右)の拡大図。


ちょっと変わったところでは、ルナ・オービター3号機は、1年前に月に降り立った先輩、「サーベイヤー1号」の姿もとらえています。

(円内がサーベイヤー1号の姿。右は拡大)

それは、月探査が着実に歴史の年輪を重ねつつあり、人類史が新たな局面に入ったことを物語るものでした。

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NASAが作ったこの写真集は本当によくできていて、全写真の詳細データと、ルナ・オービター全5機が撮影した写真のインデックス・マップを完備しています。

(収載写真のデータ表(部分))

(8枚あるインデックス・マップの内の1枚)

(同凡例)

さらにおまけとして、同一地点をわずかな時間差で撮影した2枚を、赤青で重ね刷りしたステレオ写真(アナグリフ写真)が何枚か載っているのも楽しい工夫です。

(赤青の立体メガネも付属)

この歴史的写真集は当時大量に刷られたせいか、現在の古書価はごく低廉で、私は2千円ちょっとで買いました。こういうのをリーズナブルな買い物と言うのではないでしょうか。

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【補遺】

この写真集、今の目で見ると何となくボンヤリした画像に見えるかもしれません。
でも、それは「前編」で触れたように、ルナ・オービターによる画像取得が、
①月面撮影 → ②フィルムをアナログスキャン → ③電送 →
④受信データを地上でテレビモニターに映写 → ⑤モニター画面を撮影 →
⑥撮影画像を継ぎ合わせて全体を撮影
という、非常にまどろっこしい方法を採っているせいです。

オービターの眼が捉えた本来の画像は、もっと鮮明なものでした。
原撮影に使用されたフィルムは、コダックの「SO-243」、すなわち航空写真用に作られた高解像度の超微粒子フィルムで、記録できるライン数は450本/mm。これに対して、オービターのスキャンシステムは、解像度が76本/mmだったので、スキャンの段階で、実は大半の情報が脱落してしまったのです。

単純化していえば、オービターの「生写真」は、我々が地上で目にする電送写真の約6倍(単位面積では36倍)の記録密度を持っており、その情報が機体と共に失われたことは、当時の科学者にとって一大痛恨事だったことでしょう。

月の空を飛んだ兄弟の記憶(前編)2017年11月24日 07時03分59秒

年の瀬が近づき、街はすっかりクリスマスムードです。
2017年ももうじき終わりですけれど、遅ればせながら2017年にちなんだ話題です。

   ★

今からちょうど半世紀前の1967年。
人間の背丈ほどの人工天体が、月の周りを回りながら、課せられたミッションにせっせと取り組んでいました。すなわち、アメリカの「ルナ・オービター」4号機および5号機です。そして、彼らのミッションとは、月面の詳細な写真地図を作ること。

(NASAのロゴ。下に紹介する書籍の扉より)

ルナ・オービター計画自体は1964年からスタートしており、月への接近も前年の1966年から始まっていました。ただし、前任の1号機から3号機までは、アポロ計画の露払いとして、その着陸予定地点を精査することを目的としており、月面地図作りの大仕事を任されたのが、後継の4号機と5号機だった、というわけです。

その期待に応えて、4号機は月面の大半を写真撮影することに成功し、さらに5号機が、4号機の撮り洩らしたエリアもすべて写真に収め、一連の計画はすべて成功裡に終わったのです。

…というのは、例によってウィキペディア(「ルナ・オービター計画」の項)の受け売りに過ぎませんが、受け売りついでに書くと、同じ項の以下の記述も一寸驚きです。

 「ルナ・オービター計画の撮影システムは非常に複雑であった。まず、月面を撮影した後、軌道上にてフィルムの現像を自動で行い、濃淡を帯状にアナログスキャンし、データを地上に送信する。地上では、データをモニターに表示し、それを再び撮影する。そして最後に、帯状の画像をつなぎ合わせて全体の画像を作成していた。」

何といっても月探査機ですから、そこには当時の最先端技術が投入されたのでしょうが、画像処理に関しては、予想以上にローテクというか、アナログ一色の世界でした。しかし、それでも見事な成果を上げたところが、やっぱり偉いといえば偉いし、スゴいといえばスゴかったわけです。

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ここでルナ・オービターの話題を持ち出したのは、先日、ルナ・オービターによる当時の月写真集を手にしたからです。

(高さ35cmを超える大判の写真集)

■L. J. Kosofsky & Farouk El-Baz,
 『The Moon as Viewed by Lunar Orbiter』 (ルナ・オービターが見た月)
 National Aeronautics and Space Administration (NASA)、1970

下は同書に掲載されている撮像システム。

(左:撮像システム、右:フィルムフォーマット概念図(部分))

搭載のカメラは、中解像度の80mm広角レンズと高解像度の610mm狭角レンズを備え、装置内には79mの長大な70mmコダックフィルムが装填されていました。そこに、写角が広狭の画像を、互い違いに写し込んでいく仕組みです。

同じくフィルムスキャンシステム。


光源は電子線を当てた蛍光物質から発する光で、それをレンズで点状に集光し、フィルム上の画像を舐めるように走査した結果が対向面で記録され、画像信号として地上に送信されました。

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かつて月上空を旋回した5機のルナ・オービターは、運用終了後、いずれも月面に落下し、その貴重な撮影フィルムも探査機本体と運命を共にしました。今となっては、ルナ・オービターの「声」を遥かな地上で聞き取って、それを元に画き起こした「絵」が、彼らの形見として残るのみです。

彼らの半世紀前の偉業をしのんで、ちょっと古めかしい写真集のページを開いてみます。

(この項つづく)

飛べ、スペース・パトロール2017年10月13日 06時52分33秒

くるくる回るのは星座早見のみにあらず。


1950年代のルーレット式スピン玩具。アメリカから里帰りした日本製です。


紙製の筒箱の脇から突き出た黒いボタンをプッシュすると、


スペースパトロールの乗った宇宙船が、クルクルクル…と高速回転し、やがてピタッと目的の星を指し示します。

   ★

初の人工衛星、ソ連のスプートニク1号が飛んだのが1957年。
それに対抗して、アメリカがエクスプローラー1号を打ち上げたのが1958年。

ここに米ソの熾烈な宇宙開発競争が始まり、わずか12年後(1969年)には、有人月面探査という格段の難仕事を成し遂げるまでになりました。

こうした現実の技術開発を背景として、更にその先に予見された「宇宙旅行」「宇宙探検」に胸を躍らせ、SFチックな「宇宙ヒーロー」に喝采を送ったのが、1950~60年代、いわゆるスペース・エイジの子どもたちでした。

   ★

上の玩具を作ったのは、もちろん子どもではなく大人ですが、そこはかとなく当時の子どもたちの気分を代弁しているかなあ…と思えるのが、「惑星の偉さの序列」です。

まずいちばん偉いのは何と言っても火星で、火星は100点満点。
今でも火星は人々の興味を引く天体でしょうが、この火星の突出した偉さというか、崇めたてまつる感じが、まさに時代の気分だと思います。

火星に次いで偉いのは、太陽系最大の惑星・木星80点、そして土星50点。
金星はややロマンに欠けるのか40点どまり。
さらに、ごく身近なは30点で、地球はなんと0点です。

スペース・エイジの子どもたちの憧れが、どこに向いていたかを窺うに足る数字です。と同時に、当時の「宇宙」イメージが、いかにコンパクトだったかも分かります。