当たるや当たらざるや2024年02月18日 13時17分44秒

(昨日のおまけ)

近代的な天気予報は天気図を元に行われるものなので、ことの順序として天気図が先、天気予報が後ということになります。

(1910年9月3日の欧州天気図)

日本の場合、最初の天気図は1883年(明治16年)2月に作られましたが、最初の天気予報のほうは1年遅れの1884年(明治17年)の6月1日から始まっています。(この日は、気象庁の前身、東京気象台がオープンした日でもあり、6月1日は気象記念日になっています。今年は気象庁開設140年&天気予報スタート140年の節目の年です。)

その1884年6月1日の「天気予報 第1号」は、「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ」という、日本全国の天気を一文で表現したもので、あまりにもふわっとしていることから、時に笑いのネタになったりもします。

でも、【参考】に掲げた渡辺氏の論文によれば、1880年代は、まだ欧米でも天気予報は技術的発展途上にあり、海運上の必要性が高かった暴風警報こそ実用域に入りつつあったものの、晴雨予報の方は前途遼遠でしたから、これはあまり責められないと思います。(「天気予報は当たらないもの」というのは、明治に限らず、戦後も長く言われ続けてきたことで、河豚の毒よけのまじないに、「気象庁、気象庁」と唱える…なんていう話もありました。)

   ★

さて、昨日の『気象略報』は、まさに天気予報が始まった年のデータを収めた本なので、問題の6月以降、その「警報及予報ノ適否」も掲げています。いわば気象台の自己採点結果です。


その6月の項を見てみます。
当時は1日3回天気予報を発表していたので、6月1か月間で延べ90回の予報が出されました。その適否について述べたのが以下。


予報九十回ノ中
 風   正中   偏中   不中
     七五   一三   二
 天気 七六   一三   一
右偏中ノ数ヲ折半シ正中不中ニ各一半ヲ加ヘ
以テ適否ノ百分比例ヲ得乃チ左ノ如シ
 風   八七
 天気 八五
 平均 八六

正中とは「予報的中」、偏中は「部分的中」、不中は「予報失敗」のことでしょう。
理解の便のために対応する英語の方も挙げておきます。

Indications were issued 90 times.
The indications     for wind     weather
were justified        75                76              times
partly  〃              13                13              〃
not      〃          2                  1              〃
Adding one half of the partly justified indications to the successes, one half to the   failures,  percentage of verifications was 
for wind 87%, weather 85%, mean 86%.

それにしても、最初の天気予報の的中率が85%(風予報も含めると86%)というのは驚くべき数字(※)ですが、「正中」といい、「偏中」といっても、その定義がどこにも書かれてないので、この数字の妥当性については何とも言えません。そもそもが「ふわっとした」予報なので、まあ大抵は当たったのでしょう。

参考までに7月以降の的中率も、気象台の自己採点結果を挙げておきます。
数字は左から風予報の的中率、天気予報の的中率、平均的中率です。

 7月 93% 88% 90%
 8月 89% 88% 88%
 9月 87% 85% 86%
10月 85% 81% 83%
11月 86% 87% 86%
12月 86% 86% 86%

ちなみに今の気象庁も、天気予報の精度検証の結果を公表しています。
たとえば降水の適中率―地方予報区単位で、明日の予報(降水の有無)がどれぐらい当たったか―を見ると、1992年~2023年の全国平均で83%となっています。

明治の頃は全国を単位とした予報であり、予報のインターバルも「8時間後の天気」だったので、直接の比較はできないにしろ、数字だけ見ると、あまり明治の頃と変わりがないですね。

最近は雨雲レーダーのおかげで、「あと20分後に雨が降り出し、1時間後にはやむ」みたいなことは非常に正確に分かるようになりましたけれど、天気の予測は今でもなかなか難事で、量子コンピューターの実用化までは、たぶんこんな感じでしょう。

【参考】

■気象庁の歴史(気象庁公式ページ) 
 ①御雇外人からの気象観測の建議、②気象器械・地震計の据付けと観測の開始、③ 天気予報と天気図、④組織の変遷、沿革

■渡辺和夫
 天気予報の歴史―その方法と技術の変遷―
 「天気」vol.2 No.7(1955年7月)


(※)ところで、この計算って合ってますかね?偏中(13回)の半分を正中(75回)に加えると、75+6.5=81.5 になって、分母90で割り返すと、的中率は91%になると思うんですが。

コメント

_ S.U ― 2024年02月19日 07時57分28秒

あっ、これ面白いですね。計算間違い?よくわかりませんね。
 昭和40年代の私の中学生の時だったと思いますが、夏休みの理科研究で「天気予報は当たるか」という研究をしてクラスで発表をした同級生がいました。すばらしい着眼と綿密さの研究だと思いました。
 確か、結果は70%くらい当たっていて、まあまあ当たっているという印象でした。当時でも天気予報は当たらないという印象で、当たり障りのない予報でやっと7~8割当たるという感じだったと思います。故郷の丹波地方は複雑な地形の関係上、晴雨の切り替えが早く、京都府北部全体のふわっとした予報にさえなじみにくい事情があったと思います。だから、70%でも、最近の科学の進歩でよく当たる時代になった(それ以前はほとんど当たらなかった)という気持ちだったのだと思います。
 天気予報が信用できるようになったのはいつかというと、平成に入った頃ではないかというのが、私の主観的な感想です。

_ 玉青 ― 2024年02月23日 16時23分50秒

うちの年寄りは、雨がパラパラ降ってくると、「おお、天気予報はよう当たるなあ!」というのが口癖なんですが、昔の記憶を保っている人にとっては、「天気予報が当たる」ことが、一種新鮮な驚きなのかもしれませんね。

いつから当たるようになったかは、私自身はっきりした記憶がないんですが、アメダスが1974年、気象衛星ひまわりの初代が1977年、確率予報が1980年にそれぞれ始まっていますから、たぶんこの頃から「科学の装いをこらした天気予報」というイメージがメディアを通じて普及し、一般の人の信頼を勝ち得たような気がします(それで予報が当たるようになったかどうかはまた別問題ですが)。

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