ゆったりとした天文趣味の話(4)…P.H.ゴス・前編 ― 2012年01月09日 00時51分08秒

(Philip Henry Gosse 1810-1888。Wikipediaより)
天文趣味と博物趣味。そこから連想するのは、博物学の偉大な啓発家、フィリップ・ヘンリー・ゴス(1810-1888)です。彼はビクトリア朝時代における、博物学ブームの立役者の一人で、そのことは以前ちらりと書きました。
その中で、リン・メリルの『博物学のロマンス』から次の一節を引用しました。
「彼は標本を「固定」し昆虫をピンで止めたり、広口瓶、平鉢、水槽〔アクアリウム〕のなかで海洋生物を飼育することの達人であった。なんと言っても、水槽は彼の発明品である。彼の家は魚飼育用の水槽、植物栽培容器、瓶、昆虫用キャビネット、星座を眺めるための望遠鏡や動物を調べるための顕微鏡などでごったがえしていた。」
私はここで、「星座を眺めるための望遠鏡」をゴスが手にしていたことを知って、おや?と意外に思ったのですが、今回改めて調べてみて、ゴスと天文学のかかわりは、なかなか容易ならぬものがある…ということを知りました。
★
ゴスの息子である、詩人のエドムンド・ゴス(1849-1928)が著した伝記『フィリップ・ヘンリー・ゴスの生涯』(1890)が、現在オンラインで読めますが↓、それによるとゴスが死んだのは、まさに天体観測が原因だったのだそうです。
(ゴス父子、1857年。同上)
■The life of Philip Henry Gosse (1890)
http://www.archive.org/stream/lifeofphiliphenr00goss/lifeofphiliphenr00goss_djvu.txt
例によって適当訳ですが、以下、「第10章 デヴォンシャーでの文筆活動 1857~1864」から抜き出してみます。
「父は長年愛し続けてきた女主人、すなわち動物学を投げ出し、代わりに天文学と植物学に熱中し始めた。これら2つの新しい興味が目覚めたのは、1862年の4月のことである。前者は、「タイムズ」紙に、父の想像力を強く刺激した彩星coloured stars〔=色彩の鮮やかな恒星〕に関する観測記事を発表したことが発端であり、また後者はシンクレア卿の熱帯産のランのコレクションを見たのがきっかけだった。父はいつもの情熱で、これら目新しい分野に精魂を傾け、ランを育てる温室を建てたかと思うと、非常に値の張る奇妙で魅力的な植物たちをせっせと集めては、そこに並べ始めた。」
1862年とは、ゴスが52歳を迎えた年です。ゴスは1888年に78歳で亡くなりますが、人生の後半に入ってから急に天文づき、その趣味は没するまで続きました。以下は「第11章 晩年 1864~1888」の記述から。
「とはいえ、これらの年月は決して不活発だったわけではない。その間、父はアマチュアとしての活動に専心しており、その中でもランの栽培と天文学の研究は突出していた。フィリップ・ゴスが還暦を迎えたとき、彼の身体はすっかり健康になり、ひょっとしたらそれまで以上に人生を楽しんだかもしれない。」
その死の前年、1887年になっても、彼の知的好奇心は依然旺盛で、天文熱も続いていました。
「10月になると、ティステッドの教区牧師、F.ハウレット師の訪問を受けたことがきっかけとなって、父と母は再び晴れた晩に天文学の研究をするようになった。22日の日記にはこう記されている。『20年余り前と同様に、我々は恒星たちの間で忙しく過ごしている。特に、魅力的な二重星を夢中で探しまわっている。今は夜でも惑星が見えない』。 父は時折、以前よりも弱々しい感じがしたし、明らかに寡黙になっていたとは言え、家族の者たちは、父について特に心配はしていなかった。
だが1887年も暮れようとする頃、とても寒い晩に、新しく買ったばかりの望遠鏡用機材が外れて、庭に落ちるという事件があった。このささいな出来事による心の動揺と、レンズが落ちた場所を確認するために、しばらく身をかがめたことによって気管支炎の発作が起こり、この持病は何とか収まったものの、父が健康を取り戻すことは二度となかった。」
こうして床に伏せりがちになったゴスは、翌1888年8月23日、ひっそりと息を引き取りました。苦しむことなく逝ったことは幸いだったと、息子は記しています。
(記事が長いので、ここで2つに割ります)
ひっそりと眠る驚異の博物標本室 ― 2011年12月27日 20時45分03秒
この頃は5時ともなれば、辺りはとっぷりと暮れ、しかも空気が乾燥しているせいで、おぼろな感じがなくて、黒々とした夜空が頭上に広がっています。
今日、仕事帰りに西の空を見上げたら、駅舎の上にかっちりした三日月と金星が、並んで光っていました。何だかその脇に「足穂」と落款を押したいような、実に絵になる光景でした。
今日、仕事帰りに西の空を見上げたら、駅舎の上にかっちりした三日月と金星が、並んで光っていました。何だかその脇に「足穂」と落款を押したいような、実に絵になる光景でした。
★
さて、1つ前の高校生の理科の話題、ヴンダーカンマーの話題から、三題噺的に話を続けます。
真に驚くべきものは、人知れずひっそりと、そして意外に身近な場所にあるのかもしれません。驚異の部屋に憧れる人、博物趣味に思い焦がれる人が、呆然となるような場所が、都内豊島区にあるのを発見しました。私もつい先日知ったのですが、見た瞬間、我が目を疑いました。
それは学習院高等科の標本保管室です。
リンク先には、掛図の紹介ページと、生物・骨格標本の紹介ページとがあります。詳細なデータはありませんが、いずれも驚くほど良質の資料と見受けられます。しかも、同室にはとびきりの鉱物標本も所蔵されていることを、下のページで知りました。きっと他にも知られざる逸品が収蔵されているのでしょう。まさに博物学の一大聖地。
★
こうした品が、なぜ大学ではなく、高校という中等教育機関に所蔵されているのか、そのこと自体不思議ですが、その辺の経緯は下のページに略術されていました。
■旧制学習院歴史地理標本室コレクション:学習院大学東洋文化研究所
http://www.gakushuin.ac.jp/univ/rioc/vm/c01_zenkindai/c0104_hyouhon.html
それによれば、学習院所蔵の博物資料群は、そもそも旧制の学習院で、博物学教育に供するために設けられた「標本室」がルーツでした。これらの貴重な標本は、残念ながら関東大震災でいったん全て失われてしまうのですが、その後、新たに建てられた理科特別教場に再び「博物学標本室」が設けられ、昭和初年以来、熱心に標本の収集活動が続き、それが戦後になって同校高等科に移管され、現在に至るという流れです。
要するに、これらの標本は本来、旧制高校ないし大学に相当する高等教育機関が収集したものであり、コレクションの質と量の豊かさは、そのことの直接的反映です。
しかも、学習院は今でこそ一私立学校ですが、戦前にあっては(文部省ではなくて)宮内省が管轄する、皇族・華族のための特殊な官立学校で、国家の強力な後ろ盾がありましたし、何と言っても、博物学は「殿様の学問」として大いに奨励されましたから、そのコレクションの充実ぶりは当然といえるかもしれません。
とにもかくにも瞠目すべき空間であり、標本群です。
もちろん私は、即座に学校に電話をして、見学が可能かどうか問い合わせました。しかし残念ながら、学習院側の回答は「一般には公開していないので、見学は不可」というものでした。
まあ、今後何らかのルートで許可が得られる可能性もなくはないでしょうが、今のところそういうルートが思い浮かばないので、当面は想像の世界で、ひそかに探訪するしかありません。しかし、だからこそ謎めいた妖しい魅力がいっそう増す気がします。
ともあれ、学習院の生徒さんは、精一杯そのメリットを享受し、すべからく博物趣味の涵養に努めていただければと念願しております(←余計なお世話でしょうが)。
博物学者の部屋… Liberal Arts Lab:DARWIN ROOM(4) ― 2011年11月19日 13時39分23秒
朝から冷たい雨が窓を打ち付けています。 冬近し。
★
さて、ダーウィンルームの店内を改めて画像つきでご紹介します。
この「天文古玩」は、著作権の扱いが全般に緩く、自他に甘いのですが、以下の画像はダーウィンルームさんのご好意により提供していただいたもので、著作権は同店にあります。その点につき十分ご留意願います。(なお、お送りいただいた画像はもう少し大きかったのですが、画面に収まるよう今回75%に縮小しました。)
六差路の角に開口部を持つ店舗。
エクステリアのグリーンも美しく、ドアから覗く店内の光景が好奇心を誘います。
スタッフのOさんからいただいたメールには、「ドアの右側は時計草です、5月から10月末頃まで花が咲き続けます。ボタニカルアートには欠かせない博物趣味の植物ですね。左側はブドウです」とありました。
ドアの左右につづく窓際は、カフェのカウンターになっていて、ここでコーヒーを飲みながら、街ゆく人を眺めたり、買ったばかりの古書にゆっくり目を通したりできます。
店内風景。中央奥にカフェカウンターが見えています。
昆虫標本はここに写っている以外の場所にも、たくさん置かれています。
「教養の再生」をうたう書棚。化石人骨のレプリカが目を引きます。
棚に並ぶのは当然、自然史やサイエンス系の本ですが、その範囲は驚くほど広く、品揃えは多彩です。ここでも本の合間に、化石や昆虫標本が所狭しと並んでいます。
博物濃度がひときわ高い一角。
奥にチラリと見えるシマウマ、そしてシマウマと並ぶ「2枚看板」のペリカンの剝製。
棚の最上段には、福音館の古典童話シリーズと南方熊楠全集が見えますね。この不思議な取り合わせも自然に思えるのが、この店の特徴です。
この角度からだと見えませんが、この奥がレジになっています。
★
いかがでしょうか?
当然のことですが、実際の店舗内は、ここに写っていない標本や剥製、その他の品も沢山あって、写真から想像されるよりも、さらに豊穣な空間となっています。
いくらコーヒーをごちそうになったとはいえ、提灯記事を書くつもりは毛頭ないのですが、やはりここは実際に足を運ばれることをお勧めします。
博物学者の部屋… Liberal Arts Lab:DARWIN ROOM(3) ― 2011年11月17日 20時46分41秒
ダーウィンルームのお土産編です。
一つは前から欲しかった「テンシノツバサ(天使の翼)」。
この和名は、英名Angel wingの直訳で、その由来は一目瞭然。
学名はCyrtopleura lanceolata(キュルトプレウラ・ランケオラータ)。
ネットのチラ見情報によれば、Cyrtopleura 属には現在3種が含まれており、中でも最初にリンネが命名したC. costataというのが、最も有名かつポピュラーな存在で、英語のAngael wing は、厳密にはこの種を指すという人もいますが、3種とも姿形はよく似ているので、一般名としては全部まとめて「天使の翼」と呼んでも良いのでしょう。
自然の造形も驚きですが、これを天使の翼と呼んだ人の発想もすばらしい。
★
もう一つは丸皿サンゴの一種。
ダーウィンルームのスタッフの方は、「シイタケみたいですねえ」と言われましたが、それ以来シイタケにしか見えなくなりました(笑)。でもこの類は、科名で言うと「クサビライシ科」で、「くさびら」とはキノコの古名だそうですから、やっぱり誰もがキノコを連想するのでしょう。これまた「名は体を表す」というか、自然の造形の妙と、秀逸なネーミングの取り合わせの例ですね。
(裏側)
★
今回は出張の合間で、しかも神保町でも買物をしたので、ストイックに振る舞わざるを得なかったのは、かえすがえすも残念でした。本当は各種昆虫標本にも強く心を奪われたのですが、やむを得ず断念。
しかし、せっかくダーウィンルームに来たのですから、何か強烈なインパクトのあるものはないか?と思って選んだのがこれです。

熱帯~亜熱帯の樹林に育つ、つる性のマメ科植物「モダマ」の莢(種子入り)です。
これはアフリカ産のEntada phaseoloides(エンターダ・パセオロイデス)。
(余談ですが、ラベルに「採集地:ブルキナファソ」とあって、私はブルキナファソが西アフリカにある独立国の名前で、この地域には11世紀以来王国が栄えていた、という事実を今回初めて知りました。)
さて、これがどれぐらい大きいかというと…


これぐらい大きいのです。全長は約90センチ。どうです、大きいでしょう。
でも、もっと大きいのもざらにあるようです。
モダマの仲間は日本の南西諸島にも分布していて、その種子は黒潮に乗って本土にまで流れ着き、ビーチコーマー(漂着物採集家)にとっては、恰好の収集対象なのだとか。南方憧憬を誘う品ですね。
★
本日、ダーウィンルームさんから正式に画像を提供していただいたので、次回、改めて店舗の様子を大きな画像でご紹介したいと思います。(ひょっとしたら、ネットでは本邦初!かもしれないので、刮目してお待ちください。)
博物学者の部屋… DARWIN ROOM(2) ― 2011年11月15日 22時24分59秒
(ダレル&ダレル著、日高敏隆・今泉みね子訳、『ナチュラリスト志願』、TBSブリタニカ、1985. 単なるイメージ画像ですが、そういえば日高敏隆さんのお名前も会話の中には出てきました。)
欅の黄葉にはまだ間があります。
いっぽう花水木や染井吉野の葉はすっかり赤く色づきました。
そして路傍のエノコログサは、とうに枯れ色です。
植物たちはそれぞれのペースで、冬への準備を進めているようです。
★
さて、前回のつづき。
私が店に入ったとき、清水さんは雑誌取材を受けている最中で、記者氏にいろいろとお店のことを説明されていました。私はその間、店内をぐるぐる回りながら、その品ぞろえに目を奪われつつ、何を購入すべきか考えていました。
取材も一段落し、清水さんがレジに戻られたところで、私も品物の支払いをするべくレジへと行き、清水さんとちょっと言葉を交わすうちに、だんだん熱がこもってきて、「お茶でもどうですか」と誘っていただいたのを幸い、店内のカウンターでさらに長々と話しこんでしまったのでした。
以下は、会話体の部分も含め、清水さんのお言葉そのままというよりも、私の再解釈がまじっているので、その点を含んでお読みいただければと思います。
★
まず、以前からの疑問、「ダーウィンルームは、デロールの影響を受けているのだろうか?」という点について、ずばりお聞きしてみました。
清水さんは、これまで商品の買い付けやら何やらで、ヨーロッパには100回以上、アメリカにはさらにそれ以上の回数出かけられているそうです。その旅の途次、関係するショップや場所を見て回り、ご自分のやりたいことを模索し続け、その結果として今のダーウィンルームがある、というお話。
「だから、その過程でデロールから影響を受けたものもあるとは思います。でも、自分はデロールの模倣をしたいわけではないんです」。清水さんは、このことをはっきり述べられました。「デロールは、過去の伝統を今にどう伝えるかに腐心しているようです。でもダーウィンルームは過去よりも現在、そして未来のことを考えていきたいと思っています。だから、ヴンダーカンマー的なものとは、ちょっと方向性が違うんです」。
この辺は、現在・未来の生態系や地球環境の問題を強く意識されているのかな…と思いながら、お話をうかがいました。実際、店内にはそうした方面の書籍がたくさん置かれています。
ザ・スタディルーム(=清水さんが立ち上げたサイエンスショップ)で科学に目覚めた子供たちが、今や大学生や大学院生として、ダーウィンルームを訪れてくれる…という素敵な話もうかがいました。
「でも、この店に一番興味を示すのは、理系の学生よりも、むしろデザイン系の学生ですね。まあ、スタディルームは科学への入口としては良かったんですが、ダーウィンルームでは、さらにその先にあるものを目指したいと思っています」。
「その先にあるもの」とは、店舗名の一部ともなっている「LIBERAL ARTS LAB」、すなわち豊かな真の教養がほとばしる場ということでしょう。
「この土地には、豊かな経験を持ちながら、今はリタイアしているような方が大勢暮らしていますから、そういう人が気楽に立ち寄って交流できる場となったら嬉しいですね。サロンと言ってしまうと、ちょっと後ろ向きな感じがしますけれど。私自身は学者ではありませんが、専門の研究者を招いて、積極的に情報発信していけるような拠点が理想ですね」。
半年前の記事で、「店を支える人的資源がどうなっているか」、要するにスタッフの資質の問題について触れましたが、清水さんもそのことは先刻ご承知で、今後、専門スタッフの確保が課題であるともおっしゃっていました。現状は、これまでの人脈を生かして、上野の国立科学博物館等の諸先生からアドバイスを受けつつ運営されているのだそうです。
上でダーウィンルームは、ヴンダーカンマーとは一線を画すという話がありました。
「でも好奇心という点では、謎めいた要素があってもいいですよね。隠された地下室に物凄い剥製がある、なんていうのも面白いじゃないですか」。
「アンティーク的なものは置かれないのですか?」と私。
「ええ、店の備品として置いてある古い品を買いたいというお客さんもいますし、そういうのを考えないわけではないのですが、なにしろこれだけのスペースしかないもんですから…」。
現在のダーウィンルームが抱える最大の課題は、スペースの問題のようです。
店の「看板娘」であるシマウマの剝製も、スペースの問題からわざわざ子どものシマウマの剝製を選ばれたそうです。そして、驚くべきことに、この店内最高価格の品を買いたいというお客さんがすでに複数いるそうですが、代替品の補充が難しいので、オーダーはすべてペンディングになっているというお話でした。
「この六差路はちょっとカルチェラタンの風情でしょう。店を拡張するとしたら、今のこの場所で広げたいんですけど、隣接するテナントはどこも黒字のようですから、なかなか空きがなくて…」。
さらにパワーアップし、謎めいた香りも漂わせたダーウィンルームの登場が待ち遠しいです。
この日は他にも科博のトロートン望遠鏡の話やら、下北の再開発の話やら、昆虫採集の話やら、気がつけばあっという間に1時間以上経っていたので、お礼を言ってあわてて店を辞去したのでした。
いや、本当に愉しくも充実した時間をどうもありがとうございました。
この場を借りて、改めてお礼を申し上げたいと思います。
(次回はダーウィンルームのお土産編)
欅の黄葉にはまだ間があります。
いっぽう花水木や染井吉野の葉はすっかり赤く色づきました。
そして路傍のエノコログサは、とうに枯れ色です。
植物たちはそれぞれのペースで、冬への準備を進めているようです。
★
さて、前回のつづき。
私が店に入ったとき、清水さんは雑誌取材を受けている最中で、記者氏にいろいろとお店のことを説明されていました。私はその間、店内をぐるぐる回りながら、その品ぞろえに目を奪われつつ、何を購入すべきか考えていました。
取材も一段落し、清水さんがレジに戻られたところで、私も品物の支払いをするべくレジへと行き、清水さんとちょっと言葉を交わすうちに、だんだん熱がこもってきて、「お茶でもどうですか」と誘っていただいたのを幸い、店内のカウンターでさらに長々と話しこんでしまったのでした。
以下は、会話体の部分も含め、清水さんのお言葉そのままというよりも、私の再解釈がまじっているので、その点を含んでお読みいただければと思います。
★
まず、以前からの疑問、「ダーウィンルームは、デロールの影響を受けているのだろうか?」という点について、ずばりお聞きしてみました。
清水さんは、これまで商品の買い付けやら何やらで、ヨーロッパには100回以上、アメリカにはさらにそれ以上の回数出かけられているそうです。その旅の途次、関係するショップや場所を見て回り、ご自分のやりたいことを模索し続け、その結果として今のダーウィンルームがある、というお話。
「だから、その過程でデロールから影響を受けたものもあるとは思います。でも、自分はデロールの模倣をしたいわけではないんです」。清水さんは、このことをはっきり述べられました。「デロールは、過去の伝統を今にどう伝えるかに腐心しているようです。でもダーウィンルームは過去よりも現在、そして未来のことを考えていきたいと思っています。だから、ヴンダーカンマー的なものとは、ちょっと方向性が違うんです」。
この辺は、現在・未来の生態系や地球環境の問題を強く意識されているのかな…と思いながら、お話をうかがいました。実際、店内にはそうした方面の書籍がたくさん置かれています。
ザ・スタディルーム(=清水さんが立ち上げたサイエンスショップ)で科学に目覚めた子供たちが、今や大学生や大学院生として、ダーウィンルームを訪れてくれる…という素敵な話もうかがいました。
「でも、この店に一番興味を示すのは、理系の学生よりも、むしろデザイン系の学生ですね。まあ、スタディルームは科学への入口としては良かったんですが、ダーウィンルームでは、さらにその先にあるものを目指したいと思っています」。
「その先にあるもの」とは、店舗名の一部ともなっている「LIBERAL ARTS LAB」、すなわち豊かな真の教養がほとばしる場ということでしょう。
「この土地には、豊かな経験を持ちながら、今はリタイアしているような方が大勢暮らしていますから、そういう人が気楽に立ち寄って交流できる場となったら嬉しいですね。サロンと言ってしまうと、ちょっと後ろ向きな感じがしますけれど。私自身は学者ではありませんが、専門の研究者を招いて、積極的に情報発信していけるような拠点が理想ですね」。
半年前の記事で、「店を支える人的資源がどうなっているか」、要するにスタッフの資質の問題について触れましたが、清水さんもそのことは先刻ご承知で、今後、専門スタッフの確保が課題であるともおっしゃっていました。現状は、これまでの人脈を生かして、上野の国立科学博物館等の諸先生からアドバイスを受けつつ運営されているのだそうです。
上でダーウィンルームは、ヴンダーカンマーとは一線を画すという話がありました。
「でも好奇心という点では、謎めいた要素があってもいいですよね。隠された地下室に物凄い剥製がある、なんていうのも面白いじゃないですか」。
「アンティーク的なものは置かれないのですか?」と私。
「ええ、店の備品として置いてある古い品を買いたいというお客さんもいますし、そういうのを考えないわけではないのですが、なにしろこれだけのスペースしかないもんですから…」。
現在のダーウィンルームが抱える最大の課題は、スペースの問題のようです。
店の「看板娘」であるシマウマの剝製も、スペースの問題からわざわざ子どものシマウマの剝製を選ばれたそうです。そして、驚くべきことに、この店内最高価格の品を買いたいというお客さんがすでに複数いるそうですが、代替品の補充が難しいので、オーダーはすべてペンディングになっているというお話でした。
「この六差路はちょっとカルチェラタンの風情でしょう。店を拡張するとしたら、今のこの場所で広げたいんですけど、隣接するテナントはどこも黒字のようですから、なかなか空きがなくて…」。
さらにパワーアップし、謎めいた香りも漂わせたダーウィンルームの登場が待ち遠しいです。
この日は他にも科博のトロートン望遠鏡の話やら、下北の再開発の話やら、昆虫採集の話やら、気がつけばあっという間に1時間以上経っていたので、お礼を言ってあわてて店を辞去したのでした。
いや、本当に愉しくも充実した時間をどうもありがとうございました。
この場を借りて、改めてお礼を申し上げたいと思います。
(次回はダーウィンルームのお土産編)
博物学者の部屋… DARWIN ROOM(1) ― 2011年11月13日 11時52分57秒
さて、しばらく頭が働きませんでしたが(いつものことです)、記事を再開します。
「ジョバンニが見た世界」の方はボチボチ続けるとして、先日、出張の合間に東京・下北沢にある素敵な博物ショップ、ダーウィンルーム↓を訪ねたことを書かねばなりません。
(今回の「合間」の目標は、このダーウィンルームと、それから久しぶりに神保町を訪ねることでした。神保町では、掘り出し物を狙う、目つきの悪い男たちの群れが昔と変わらぬ様子で徘徊していて、ちょっとホッとしました。)
ダーウィンルームについては、半年前にいくぶんヨタった記事を書きました。
(http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/05/29/5887822)
読み返してみると、かなり失礼なことも書いているので、今回はしっかり自分の目で見、そして耳で聞いたことを元に、改めて記事を書くことにします。
★
ややもすれば方向を見失いがちになる下北沢の町の中で、目指す店は、駅前から南に続く南口商店街をまっすぐ行った六差路(すごい!)の一角に立っています。
店のドアを開けると、即座に鮮やかな色彩が目に飛び込んできます。
内装は、木を主体とした落ち着いたムードなのですが、そこに自然や博物学に関する本が並び、店内のあちこちに昆虫、鳥、貝、鉱物の標本や剝製がディスプレイされ(それらも商品です)、その全体が穏やかな光に満ちているという、とても居心地のいい空間です。
この「明るさ」と「鮮やかさ」が、この店の1つの特徴だと思います。
同じ博物趣味の徒でも、ナチュラリスト志向の人は「光系」、ヴンダーカンマー志向の人は「闇系」を好むと思いますが、ここは明らかに「光系」。
そして店内が明るく鮮やかに感じられるのは、標本や剥製の質が驚くほど良いということも、その大きな理由になっています。
鳥たちは艶々とした羽を閉じ、あるいは開き、生き生きとしたポーズで静止しています。その姿は、埃をかぶった「理科室の古い剝製」のイメージとは、およそ異なるものです。昆虫標本も完璧な展翅展足が施された完品ぞろい。しかも、美々しい蝶や甲虫ばかりでなく、コノハムシもいれば、バイオリンムシもいるし、巨大アリの標本まで並んでいるという具合で、そんなところに、この店のこだわりを感じます。
また下北という土地柄ゆえか、若いお客さんも多く、それも明るさの理由でしょう。(と言って、老人が暗いというわけではありませんが、やはり若さはそれ自身エネルギーですから。)
★
今回のダーウィンルーム訪問で、もっとも大きな収穫は、店主である清水隆夫氏とゆっくりお話ができたことでした。
(長くなるので、ここで記事を割ります。この項つづく)
博物美、そして博物Bar ― 2011年09月24日 10時39分52秒
記事の間隔が開いています。
例の仕事はまだ途半ばですが、ちょっと気が付いたことをメモ。
★
今日の朝刊一面は、ユーロ安の話題と、「ニュートリノは光速を超えた」というセンセーショナルなニュースでした。紙面に載った専門家のコメントは、懐疑的なものが多いようで、今のところ白黒はっきりしない話ではありますが、記者氏も含めて、一般の興味は「すわタイムマシンの実現か!?」というところでしょう。(両者がどう結びつくのか、定かではありませんが。)
今、改めてブラッドベリを読んでいるので、なんとなく懐かしいSF世界を目の当たりにしたような気分になりました。
★
さて、本題はこちら。
昨日、仕事の合間にボーっとして(ボーっとする合間に仕事をして、かもしれませんが)、またネットを徘徊。もう何百回も何千回も続けている検索作業によって、だいたいの場所はなじみのような気がしていたのですが、昨日は全く初見のサイトに行き当たりました。
■Vicious Sabrina Archives
http://vicioussabrina.blog72.fc2.com/
表題のヴィシャス・サブリナというのは、退廃美とヴンダーな世界に魅せられた、1人の架空の女性の名前です。
その非在の女性に仮託して創作活動をされている―より正確に言うと、その創作活動を通じて非在の女性の人格を形成している―アート&デザインユニットが情報発信しているのが上記のページ。
(上のブログを含むさらに上位の公式サイトはこちら http://vicious-sabrina.com/)。
架空の女性ヴィシャスは、架空の邸内に自らのヴンダーカンマーを作り上げ、そこで博物趣味にあふれたアクセサリーを制作しており、そのアクセサリー自体は現実のものとして販売されています。“Accessry of Curiosities – Wunderkammer von Vicious Sabrina/学術標本を蒐集するアクセサリー”と銘打った、その創作コンセプトは以下に。
http://vicioussabrina.blog72.fc2.com/blog-entry-56.html
ヴンダー趣味や博物趣味は、今やこういう方向に太い枝を伸ばしていたのかと、少なからず驚きを感じました。そしてその主が、80年代生れの若い世代であることにも。
★
さらに過去のエントリーを見ていくと、以下のような記事が目に留まりました。
■展示販売のお知らせ / 中目黒のCafe & Bar " Malmö " にて
http://vicioussabrina.blog72.fc2.com/blog-entry-69.html
ここでは、東京の中目黒にある“Malmö”というお店が紹介されています。
昆虫標本や剥製や人体解剖図に囲まれたバーという、尖端的というか、かなり客を選ぶ店のようです。記事中の紹介文には、「標本や剥製の数々を酒のつまみに愛でながら、中目黒の素敵な夜のお供に」…とあります。私は素敵だと思いますが、二の足を踏む方も多いでしょうね。
それにしても、Vicious Sabrina さんにしても、Malmöさんにしても、こういう洒落た空間作りに憧れはするものの、現実にはなかなか難しいものです。リアルに生活する部屋は、あたかも一個の都市の如く、猥雑な不統一を内包しています。そこには闇もあれば、犯罪もあり、一部はスラム化しています。いかに強権的な為政者(部屋の主)でも、いかんともし難い現実…。
またまたそれにしても、なぜこれらのページがこれまで1回も検索にかからなかったのか、それが私にとっては大きな謎です。
日本に限ってもこうですから、世界のヴンダー界は、依然広大無辺だと思わないわけにはいきません。
例の仕事はまだ途半ばですが、ちょっと気が付いたことをメモ。
★
今日の朝刊一面は、ユーロ安の話題と、「ニュートリノは光速を超えた」というセンセーショナルなニュースでした。紙面に載った専門家のコメントは、懐疑的なものが多いようで、今のところ白黒はっきりしない話ではありますが、記者氏も含めて、一般の興味は「すわタイムマシンの実現か!?」というところでしょう。(両者がどう結びつくのか、定かではありませんが。)
今、改めてブラッドベリを読んでいるので、なんとなく懐かしいSF世界を目の当たりにしたような気分になりました。
★
さて、本題はこちら。
昨日、仕事の合間にボーっとして(ボーっとする合間に仕事をして、かもしれませんが)、またネットを徘徊。もう何百回も何千回も続けている検索作業によって、だいたいの場所はなじみのような気がしていたのですが、昨日は全く初見のサイトに行き当たりました。
■Vicious Sabrina Archives
http://vicioussabrina.blog72.fc2.com/
表題のヴィシャス・サブリナというのは、退廃美とヴンダーな世界に魅せられた、1人の架空の女性の名前です。
その非在の女性に仮託して創作活動をされている―より正確に言うと、その創作活動を通じて非在の女性の人格を形成している―アート&デザインユニットが情報発信しているのが上記のページ。
(上のブログを含むさらに上位の公式サイトはこちら http://vicious-sabrina.com/)。
架空の女性ヴィシャスは、架空の邸内に自らのヴンダーカンマーを作り上げ、そこで博物趣味にあふれたアクセサリーを制作しており、そのアクセサリー自体は現実のものとして販売されています。“Accessry of Curiosities – Wunderkammer von Vicious Sabrina/学術標本を蒐集するアクセサリー”と銘打った、その創作コンセプトは以下に。
http://vicioussabrina.blog72.fc2.com/blog-entry-56.html
ヴンダー趣味や博物趣味は、今やこういう方向に太い枝を伸ばしていたのかと、少なからず驚きを感じました。そしてその主が、80年代生れの若い世代であることにも。
★
さらに過去のエントリーを見ていくと、以下のような記事が目に留まりました。
■展示販売のお知らせ / 中目黒のCafe & Bar " Malmö " にて
http://vicioussabrina.blog72.fc2.com/blog-entry-69.html
ここでは、東京の中目黒にある“Malmö”というお店が紹介されています。
昆虫標本や剥製や人体解剖図に囲まれたバーという、尖端的というか、かなり客を選ぶ店のようです。記事中の紹介文には、「標本や剥製の数々を酒のつまみに愛でながら、中目黒の素敵な夜のお供に」…とあります。私は素敵だと思いますが、二の足を踏む方も多いでしょうね。
それにしても、Vicious Sabrina さんにしても、Malmöさんにしても、こういう洒落た空間作りに憧れはするものの、現実にはなかなか難しいものです。リアルに生活する部屋は、あたかも一個の都市の如く、猥雑な不統一を内包しています。そこには闇もあれば、犯罪もあり、一部はスラム化しています。いかに強権的な為政者(部屋の主)でも、いかんともし難い現実…。
またまたそれにしても、なぜこれらのページがこれまで1回も検索にかからなかったのか、それが私にとっては大きな謎です。
日本に限ってもこうですから、世界のヴンダー界は、依然広大無辺だと思わないわけにはいきません。
デロールと庭師殿下 ― 2011年07月23日 13時31分22秒
(↑デロールPV風)
相も変わらぬデロール話で恐縮です。
どうもデロールのことを知ったかぶりをして書き散らしてきましたが、実はデロールのことを何も知らなかったなぁ…と、つくづく感じます。そもそもデロールの経営者は誰なのか、それすら知らずにいました。
こういう人事に属する話は、博物学本来の佳趣と相容れないでしょうが、でもちょっとゴシップめいたことも知っておくと、対象にいっそう親しみがわくということもあるでしょう。
★
さて、前置きはこれぐらいにして、先日偶然に次のような記事に出会ったので、それについて書きます。
■Animal House:Vanity Fair
http://www.vanityfair.com/culture/features/2008/09/deyrolle200809
記事は3年前のデロールの火災事故と、その後の復活劇を報じたもので、なかなか感動的な筆致で書かれています。で、上で言いかけたデロールの経営者ですが、私は今まで物好きな園芸会社が、その経営権を買い取って、道楽半分で店を続けているぐらいに思っていたのですが、それは認識不足でした。
今の経営者は、「Prince Jardinier(庭師殿下)」の異名をとる、ルイ・アルベール・ド・ブロイLouis Albert de Broglie(1963-)という人物。多くの名士を輩出したフランス貴族の末裔・ブロイ家の出で、具体的にどういう関係かは分かりませんが、物質波を提唱した物理学者のルイ・ド・ブロイ(1892-1987)とも縁続きらしいです。
彼のニックネームは、デロールと関わる以前に、園芸関連事業で羽振りが良かったことに由来し、上記の「園芸会社云々」という情報もここから来ています。
記事の方は、彼が不思議な運命でデロールの経営者になったいきさつを、面白おかしく書いています。何でも、西暦2000年の正月、ルイ・アルベールは高名な占星術師から、ある予言を授かったというのです。曰く、「1年以内に一人のブロンドが現れて、あなたの人生を変えることになるでしょう」と。
後に夫人となるフランソワ嬢は、それをそばで聞いて当然ムッとしたそうですが(彼女はブルネットでした)、図らずもその年の暮れ、ルイ・アルベールは、当時デロールの経営者だったナタリー・オルロフスカから電話を受け、話の弾みで彼自身が新しい経営者になることが急遽決まったのだとか(ナタリーがブロンドだったことは言うまでもありません)。
記事は上のエピソードに続けて、デロールの初期の歴史が次のように書かれています。これまで耳にしたそれとは細部が少し異なり、資料として貴重と思うので、参考までに適当訳しておきます。
「高名な昆虫学者である、初代のジャン・バプティスト・デロールが剥製商売を始めたのは、1831年のことだった。彼は息子のアシルに店と博物学への情熱を譲り渡し、アシルはセイロン産のゾウを剥製にしたことで名を挙げた(その理由は想像に難くない。厚皮動物はもっとも剥製にするのが難しく厄介なものの1つだからだ)。アシルの息子、エミールが この伝説の地、バック街46番地に店を移したのは1888年のことである。〔訳注:以前の記事では移転は1850年になっていました。〕その頃には、デロールの商売は剥製作りにとどまらず、科学用の機材や什器、さらには印刷・出版まで手がけるようになっており、従業員は300人以上に及んだ。デロールはとりわけ教育用掛図で有名になり、それらは多くの言語に訳され、世界中で販売された。デロールは1978年まで同族経営を続けたが、同年に身売りした後、徐々に落ち目になっていった。〔訳注:ちょうどこの時代、1985年当時のデロールについて触れたのが、最近書いた「デロールがデロールだった頃」という記事です。〕」
こうして経営権が人から人へと移り、少なからず不遇をかこっていたデロール。
その行く末を心配するパリジャンの期待に応え、さらにそれを上回る復興を成し遂げたのが、庭師殿下ことルイ・アルベール・ド・ブロイだ…という風に、記事は彼のことを大いに持ち上げています。
実際、彼は片手間仕事ではなく、真剣にデロール復活に取り組んだらしく、2008年2月1日の大火の後で、軍関係者や多くのアーティスト、それにエルメスやクリスティーズが自発的に支援を申し出たのも、その人徳のおかげだったのでしょう。
庭師殿下は、早くも火災の翌日には、建物の店子一同とともに、黒焦げの焼け跡に集い、キャンドルを灯すと、不屈の聖歌「エルサレム」を歌い、再生を誓った…というのですから、なかなか意気軒昂な話です。
ともあれ、こうしてデロールは今も立派に商売を続け、多くの人々に愛されているのですから、庭師殿下の功績を称えることに、私もやぶさかではありません。
↓デロール復活を告げる庭師殿下。
デロールがデロールだった頃 ― 2011年06月19日 08時54分49秒
flickrにすこぶる貴重な画像が投稿されているのを見つけました。
http://www.flickr.com/photos/thsnailandthecyclops/5556088035/in/set-72157626216985241/
http://www.flickr.com/photos/thsnailandthecyclops/5556088035/in/set-72157626216985241/
今から四半世紀あまり前の1985年に、あるインテリア雑誌が特集したデロールの記事の全ページをスキャンしたものです。
画面操作の説明として、上の写真に赤(①)と緑(②)の矢印を書き込んだので、クリックで拡大してご覧ください。
① Prev/Nextで画像切り替え。虫眼鏡をクリック→右上のView all sizesで画像拡大。
② “World of Interiors”をクリック→右上にあるSlideshowでオートプレイ開始。
★
さて、この記事を見ると、ヴンダー濃度が今よりも3割増、いや5割増の感じです。
以前も書きましたが(http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/04/15/4247034)、デロールの経営権は、1995年に某アンティークショップ・オーナーが買い取り、さらにその後、園芸用品会社に身売りされて、現在に至っています。
今のデロールは(この目で見たことはありませんが)、どうも「オシャレで奇抜な店」というか、アート色を前面に出した店づくりになっている気がします。
しかし、この1985年においては、依然として19世紀博物商の面影を色濃く残しており、今では店頭から消えたバタフライトラップ(蝶の採集用具)や、人体骨格標本や、植物採集用胴乱なんかも並んでいますし、剥製類もあまり整理が行き届かないまま雑然と積み上げられています。「そうだよ!これがデロールなんだよ!!」と、行ったこともないくせに叫びたくなるような、驚異の空間です。
しかし、この1985年においては、依然として19世紀博物商の面影を色濃く残しており、今では店頭から消えたバタフライトラップ(蝶の採集用具)や、人体骨格標本や、植物採集用胴乱なんかも並んでいますし、剥製類もあまり整理が行き届かないまま雑然と積み上げられています。「そうだよ!これがデロールなんだよ!!」と、行ったこともないくせに叫びたくなるような、驚異の空間です。
しかし、上掲インテリア雑誌の記事を読むと、デロールがそれでは立ち行かなくなりつつあった1985年当時の現状が書かれています。
「デロールは、1830年に探検家のデロール氏(その名はマレーシア産のクワガタの1種に残っている)が創業し、1850年以来、現在の場所で商売を続けている。かつてのデロールは、主に学校教育関係の仕事に関わっていた。デロール氏は、甲虫類・化石・その他さまざまな自然科学の珍物を収めた15冊以上の目録を刊行し、植民地で財を成した金満家たちが持ち帰った動物を剥製にすることで、当時流行の異国趣味を満足させた。
店内には、今でも地理学者用の地図や、有毒植物や絶滅したレッド・ベリー類を詰め込んだ棚があるにはある。しかし、デロールの教育関係の仕事は先細りだし、蒐集家や裕福なアマチュアが、探検家もろとも消え失せるにつれて、その客層も変化しつつある。」
そう、時代は移ろうものなのです。
デロールの店員が語るところによれば、旧派の客も当時はまだかろうじて生き残っていました。
「お客様のうちには、とてもお年を召した、品の良い採集家がいらっしゃいます。この方は13歳の頃からずっとご来店いただいております。最初の聖餐式のときに、この方のお母様が、はじめて蚕蛾をお与えになったそうです。この方は、デロールに来るたびに永遠を感じるとおっしゃいます。何せここでは100年以上何も変わっていないのですから。」
しかし、一方では、“クリスマス・ツリーに飾るために蝶の標本を買いあさる、テキサスから来た夫婦”といった存在が幅を利かせる時代となってきました。また、デロールのお家芸である剥製作りの技術も、腕をふるう場がすっかり減って、剥製部門主任のコルペ氏もあきらめ顔…というようなことが、記事には書かれています。
まさに「時代は変わった」のです。
しかし、時代が変わったからこそ、こうやってネットで昔のデロールのことも分かるし、そこにあった珍物を、自分の部屋から一歩も出ずに買うこともできるわけで、時代の移り変わりをどう評価すべきか、簡単には答が出せそうにありません。
La Première Étape de la Deyrollisation au Japon: 日本のデロール化が始まった! ― 2011年05月29日 10時52分56秒
…という記事が、昨日のフィガロ紙に載りました。
というのは、もちろん嘘で、下北沢に昨年オープンした「ダーウィンルーム」というお店が、ちょっとデロール風でいいね、ということを書きたかったのでした。
というのは、もちろん嘘で、下北沢に昨年オープンした「ダーウィンルーム」というお店が、ちょっとデロール風でいいね、ということを書きたかったのでした。
■ □ ■
「下北沢に『ダーウィンルーム』-ザ・スタディールーム創業者が開く
〔…〕店舗面積は約15坪。図鑑を中心とした古書のほか、化石や鉱石、動物のはく製など、標本約200~300種類が並ぶ。価格は100円~87万円。「今のところ一番高額なものは、シマウマの子どものはく製(87万円)」とオーナーの清水隆夫さん。
〔…〕清水さんは1995年10月、雑貨店「THE STUDY ROOM(ザ・スタディールーム)」(北沢2)をオープン。「知ること、学ぶこと」をテーマにさまざまな教育雑貨を取り扱ってきた。2007年5月、「もっと教養的価値を楽しんでもらえる店を作りたい」と事業を後進に任せ辞任した。約3年の充電期間を経て、同店を開いた。」 (2010年11月2日号より)
■ □ ■
お店の公式サイトは↓です。
■好奇心の森 ダーウィンルームDARWIN ROOM
http://www.darwinroom.com/
http://www.darwinroom.com/
下北沢経済新聞には「事業を後進に任せ」云々とありますが、公式サイトの説明によると、その間いろいろ複雑な経緯があったようです。
そもそも、ザ・スタディルーム(http://www.thestudyroom.co.jp/index.html)の経営は、清水氏が創業した(株)ジーンという会社が行っていました。
同社は2004年に、いったんJR東日本グループの傘下に入ったのですが、どうも清水氏らジーン側と、親会社との間で、経営方針をめぐる対立があったらしく、結局、2007年に清水氏は、ジーンの社長職を辞任。さらに2009年にはジーン自体も解散して、ザ・スタディルームの経営権は現在、親会社側に移っているのだそうです。
要するに、今もあるザ・スタディルームは、清水氏とは無縁の存在であり、氏が当初思い描いていた姿とは、ちょっと別物になっているということです。
私は今日の今日まで、そういう事情をまったく知りませんでしたが、そう言われてみると、ザ・スタディルームの雰囲気が、一時期よりも、土産物屋的というか、王様のアイデア的というか(同店も既にないですね)、ちょっとチープな方向に振れているのが気になっていました。品揃えにこだわりが無いというか…。
ザ・スタディルームがそんな塩梅になっているのを横目に、清水氏が新たに立ち上げたのが、このダーウィンルームです。その目指すところは、「自由で柔軟な精神としての“教養”の再生」のための「Liberal Arts Lab」たらんというもので、その心意気を買いたいですね。
★
さて、気になる店舗の様子ですが、どうも詳しい紹介写真が見つかりません。
公式サイトにある「お店の風景」というタブも、何だか写真が小さくて見づらいです。
外部サイトですが、「rioのブログ」(by 今井様)の以下の記事に、クリックで拡大する画像があって、これがいちばん雰囲気が伝わって来るようです。
http://ameblo.jp/fundomshop/entry-10851121528.html
★
話を冒頭のデロールに戻すと、この店はザ・スタディルーム的な「サイエンスグッズ」よりも、古書・剥製・標本など、ずばり「博物趣味」に軸足を置いていて、特に、ザ・スタディルーム時代には扱っていなかった剥製を手がけているのは、きっとデロールを参考にしたのでしょう。とりわけ店の看板娘(?)であるシマウマの剥製は、いかにもデロール臭い。
ただ、仮にこの想像が当たっているにしても、清水氏が目指しているのは、デロールそのものではなく、氏独自の世界観を発信する基地でしょうから、それを「デロール化」と呼ぶことは失礼に当たるかもしれません。
しかし。嗚呼、しかし!
デロールは、やはり博物好きの人間にとっては1つの聖地、シンボルなので、そういう店が、我が日の本にも出来たのは喜ばしいニュースには違いありません。
★
ただ、それが「カフェ」(+α)という形態しか取り得ないところに、現在の日本の限界も同時に感じます。博物学オンリーでは、経営的にとても成り立たないのでしょう。
そして、店を支える人的資源がどうなっているかも、気になるところです。
本家デロールは、プロの研究者と互角に渡り合えるだけの知識を備えたスタッフを多数擁している(少なくとも昔はそうだった)と聞きます。
ダーウィンルームが、ムード先行の一時の仇花で終るのか、それとも真に博物学的教養のオーラを放射する場となるかは、ひとえにそこにかかっているような気がします。














最近のコメント