スターベイビー2018年08月15日 16時23分31秒

昔の8月15日には、「旧校舎の理科室」の匂いがありました。

いかにも分かりにくい喩えですが、窓からはかんかん照りの校庭が見えるのに、室の中はぼんやりと暗く、静かで、埃くさく、死の気配が漂っている趣と、8月15日の情調は、個人的に妙に重なるところがあります。子供時代に見聞きした戦争の話題にも、生々しい感じと、どこか遠い感じが、複雑に混じり合っていました。

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最近、「人はみな星の子どもだ」と、いろいろなところで語られます。
つまり人の身体を構成している元素は、遠い昔に「元素製造工場」たる恒星内部で作られたもので、それが星の死とともに散骨され、再度それが雲集して太陽系を作り、地球を作り、我々人間を作った…というわけです。

これは現代の科学が教えてくれる事実です。
でも、世間に無数にある事実の内には、心に響く事実と、あまり響かない事実とがあって、「人は星の子どもだ」という事実は、間違いなく前者です。そして、こういう心に強く響く事実は、多くの場合、人の心の奥にある古い観念と結びついていることを、民俗学や神話学や心理学は教えてくれます。

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先月初めに「スターチャイルド」のことを話題にし、人は空から生まれ落ち、空へと帰っていく存在だ…という観念について、絵葉書を見ながら考えました。

以下、本からの抜き書き(改行は引用者)。

 「観測に基づく天文学が客観的なデータの収集に専念する一方、占星術は天上と地上の世界がひとつの組織をなしているという主観的確信から生じている。その統一性の探求を支えた、古代世界で繰り返しみられる信念のひとつは、人間の魂がそもそもは星の世界にあったとする考えである。

魂は地上に落下して肉体に住まうようになったとピタゴラスははっきり教えており、そうすると人間の精神的努力目標は、この世から自らを解放して天の住まいへ帰ることになる。プラトンも述べているこの考え方は後世の占星術の豊かな霊感源となり、彼らは魂がいくつもの天体を通って落ちるときにさまざまな特徴を――例えば火星からは攻撃性、水星からはどん欲さ、金星からは色情を――得ていることなどを詳しく述べた。死後魂がもと来た道をひきかえすときこうした特徴は捨てられていくことになる。

ヘレニズムの、またのちのローマの神秘宗教には、この魂の降下という考え方がその基本にあった。」
 (ピーター・ウィットフィールド(著)・有光秀行(訳)、『天球図の歴史』、ミュージアム図書、1997、p.29)

こうしたギリシャ~ヘレニズム的思考が、地球規模でどこまで普遍的かはわかりませんが、スターチャイルドの件は、こうした考えを淵源としていることはほぼ確実です。そして、「星の子ども」の一件も、そうした下地があるからこそ、人々に強くアピールするのではないでしょうか。

(星模様のベビードレスを着た赤ちゃんとお母さん。19世紀後半、ドイツ。現物が見つからないので、購入時の商品写真を流用。)

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8月15日は、終戦記念日とお盆が重なります。
今宵は曇天で星は見えそうにありませんが、いずれ空が澄んだら、星を見上げて静かに死者を――戦死者もそうでない死者も――悼むことにします。

機械仕掛けの星占い2017年09月10日 08時43分14秒

星にちなんだ品といえば、これも一寸得体が知れない品です。


黄道十二星座や惑星記号など、占星術にちなんだシンボルが、びっしり描きこまれた紙箱(9.5cm角)。そのサークル上を、黒い金属指針がくるくる回るようになっています。


「MADE IN GERMANY」と英語で書かれているので、ドイツ生まれの英米向け輸出品のようですが、四隅に目を凝らすと、英・米・仏・独でパテント取得済みであることを誇っています。時代的には、1900年前後のものでしょうか。

詮ずる所、座興として星占いをする遊具なのでしょうけれど、その遊び方が全く分からないし、何よりも得体が知れないのは…


裏面にゼンマイを巻くための穴と心棒が見えることです。


蓋を留める金具を外して、そっと箱を開けてみると、果たして中にはゼンマイ仕掛が仕込まれていました。


錆が浮き、埃にまみれた、この歯車がクルクル回る時、運命の指針も回転を始め、厳かに目の前の相手の将来を告げる…。

あまりにも素朴な「デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)」ですが、これで十分に物理的なランダム生成装置たりえているならば、その託宣力は、熟達した術者にも、おさおさ劣りますまい(ゼンマイに頼らなくても、サイコロを投げても同じことです)。

完璧な偶然にこそ神意が示される…という観念は、時代と国を超えて強固なものがあるでしょうが、この紙箱もその延長線上にある品だと思います。

空の旅(8)…モンゴルの暦書2017年04月24日 21時33分38秒

「空の旅」を続けます。
インドからさらに東へ、そして北へと向かい、今日はモンゴルです。

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ところで、モンゴルとインドの地理関係がぱっと思い描けますか?

インドはヒマラヤとカラコルムの大山脈で、アジアの中央と隔てられており、この「世界の屋根」を越えたところがチベットです。今は大部分が中国領チベット自治区。
そこから道を西北にとれば、タクラマカン砂漠を越え、新疆ウイグル自治区を経て、モンゴルへ。あるいはチベットから道を東北にとれば、青海省を抜け、ゴビの砂漠を越え、内モンゴル自治区を経て、やっぱりモンゴルへ―。

今もさまざまな民族が住み、かつてはさらに多くの民族が往還した、この山岳と高原と砂漠の果てしない広がり。中世にはそれを精強な蒙古軍が呑み込み、広大なモンゴル帝国が築かれました。

そんなわけで、インドから見れば遠いようで近い、でもやっぱり遥かなのがモンゴル。

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モンゴルは、今もチベット仏教との結びつきが濃いそうです。
天文学とどこまで結びつくのか、若干疑問なしとしませんが、そんなモンゴルの「星事情」の一端を示すのが下の品。例によって解説文も書き起こしておきます。


モンゴルの暦書」 「チベット仏教の影響が強いモンゴルで作られた木版の暦書。モンゴルで宗教弾圧が激化した1930年代以前のものと思われます。日の吉凶や運勢が細かく記された十二支図や暦の背後に、インドや中国の暦学・天文学の影響を窺うことができます。」

何だかもっともらしいですが、上の解説文はほとんど何も語ってないに等しいです。
そもそも、「インドや中国の暦学・天文学の影響」とは何を指すのか、漠然とし過ぎて、書いている方もよく分からず書いていることが明瞭です。まあ、「さっぱり分からないけど、きっと影響があるのだろうなあ」…というぐらいに思ってください。


「暦書」と書きましたが、これは綴じられた本の形態はとらず、横長の紙片の束になっています。冒頭の十二支占いの絵柄が愛らしい。

(撮影の向きが上下反対ですが、そのまま表示)

この辺が吉凶を示す暦らしく、カラフルな赤・黄・紫・緑のマス目は、きっと運勢の良し悪しを塗り分けてあるのでしょう。


こちらはさらに細かいマス目。上は7段12列を基本に、12列をさらに二分し(前半と後半?)、都合24列になっています。この数字は、七曜と12カ月(あるいは十二支または十二宮)と対応していることを想像させますが、詳細は不明。


文脈を考えれば、おそらく医占星術的な図でしょうか。
身体各部と十二宮を対応させて、星回りによって身体の健康を占う術は、これまたヘレニズム経由でインドに到達したものです。

(最後の頁に捺された朱印)

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モンゴルの平原では、いかにも星がきれいに見えそうです。
でも、星にまつわる物語は意外に少なくて、いつもお世話になる出雲晶子さんの『星の文化史事典』に採録されているのは、わずかに2つだけ。その1つが「テングリ」の伝説です。

テングリ/モンゴルの天の神で創造神。運命を決める神で、モンゴルでは流星は天の裂け目から来て、その瞬間は天に願いごとをすることができるとされた。」 (出雲上掲書p.268)。

「流れ星に願い事をする」のは、汎世界的な民俗でしょうが、考えてみればずいぶん不思議な共通性です。ともあれ、モンゴルの星物語が、広い世界の中で他と関連しながら存在していることは確かで、その一部は仏教よりもさらに古い、人類の遠い記憶に由来するものかもしれません。


(ここでいったん西洋に話を戻し、この項もう少し続く)

空の旅(7)…インドの占星スクロール2017年04月22日 13時40分35秒

イスラム世界から、さらに東方に向い、今日はインドです。


このおそらくサンスクリット語で書かれた紙片は何かといえば、

「1844年、インドで書かれた星占いのスクロール(巻物)。個人の依頼に基づいて、占星師が作成したもの。」

という説明文が傍らに見えます。
幅は約15cm、広げると長さは2メートル近くになる長い巻物です(売ってくれたのはムンバイの業者)。


1844年といえば、インドがイギリスの植民地となって久しいですが、まだイギリスの保護国という形で、イスラム系のムガル帝国が辛うじて余命を保っていました。また、北方ではシク教徒のシク王国も頑張っており、そんな古い世界の余香を漂わせる品です。

そして、古いと言えば、インドにおける占星術の歴史そのものが、まことに古いです。
解説プレートは、上の一文に続けて、

 「古代ギリシャやオリエント世界の影響を強く受けて成立したインド占星術は、西洋占星術と共通の要素を持ちながらも独自の発展を遂げ、その一部は仏典とともに日本にも移入され、平安貴族に受け入れられました。」

…と書いていますが、この話題は「宿曜経(すくようきょう、しゅくようきょう)」について取り上げたときに、やや詳しく書きました。

「宿曜経」の話(3)…プトレマイオスがやってきた!

下は、上記の記事中で引用させていただいた、矢野道雄氏の『密教占星術―宿曜道とインド占星術』(東京美術、昭和61)から採った図です。


エジプト、ギリシア、バビロニアの古代文明が融合した「ヘレニズム文化」、それを受け継ぐササン朝や、イスラム世界の文化が、複数次にわたってインドに及び、もちろんインド自体も古代文明発祥の地ですから、独自の古い文化を持ち、その上にインド占星術は開花したことが、この図には描かれています。

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インドにおける占星術の興隆こそ、「空の旅」そのものです。

西暦紀元1世紀、地中海の商人は、紅海経由でインド洋に出ると、あとは貿易風に乗ってインドの西岸まで楽々と到達できることを学び、ここに地中海世界とインドを結ぶ海洋航路の発達を見ました。

以下、矢野道雄氏の『星占いの文化交流史』(勁草書房、2004)から引用させていただきます。

 「当時の海上交通の様子は無名の水先案内人が残した『エリュトゥラー海案内記』にいきいきと描かれている。西インドの重要な港のひとつとして「バリュガザ」(現在のバローチ)があり、その後背地として「オゼーネー」がにぎわっていた。後者はサンスクリット語ではウッジャイニー(現在はウッジャイン)とよばれ、アヴァンティ地方の都であった。のちに発達したインドの数理天文学では標準子午線はこの町を通るとみなす。つまり「インドにおけるグリニッジ」の役割を果たすことになる。」 (矢野上掲書p.64-5)

(画像を調整して再掲。ペルシャ湾をゆく船。14世紀のカタラン・アトラスより)

 「地中海とインド洋の交易がインドにもたらした文物の中にギリシアの天文学と占星術があった。インドでは古くから占いが盛んであり、星占いもそのひとつではあったが、数理的性格には乏しかった。古い星占いの中心は月であり、月が宿る二七または二八の星宿〔(原文ルビ)ナクシャトラ〕と月との位置関係によって占うだけであり、惑星についてはほとんど関心が向けられていなかった。

ところが新たに西方から伝えられたホロスコープ占星術は、誕生時の惑星の位置によって運命を占うという斬新なものであった。惑星の位置を計算するためには数理天文学の知識が必要であった。こうして占星術と共に数理天文学もヘレニズム世界からインドへと伝えられたのである。」 
(同p.65。途中改行は引用者)

(上下反対に撮ってしまいましたが、光の当たり方が不自然になるので、そのまま掲載します。下の写真も同じ。)

この円を組み合わせた曼荼羅のような模様。
ホロスコープとしては、見慣れないデザインですが、外周部(文字を書き込んだ部分)は12の区画から成っており、この区画が「十二宮」や「十二位」を意味し、そこに天体の位置が記してあるのでしょう。

同じデザインの図が、上から2番目の写真に写っていますが、よく見ると、文字(天体名)の配置が異なっており、両者が別々の日時のホロスコープであることを示しています。


これも、12枚の蓮弁模様から成り、ホロスコープの一種であることを示唆しています。

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この古ぼけた紙切れにも、天文学の知識がたどってきた旅の記憶がつまっており、想像力をたくましくすれば、19世紀インドの庶民の暮らしぶりから、さらに2000年さかのぼって、遠い昔の船乗りの威勢の良い掛け声や、波しぶきの音、そして占星師の厳かな託宣の声が聞こえてくるようです。

天台の星曼荼羅2016年05月21日 15時43分40秒

そういえば以前の記事で、星曼荼羅には2つの類型があることに触れました。

■星曼荼羅 (その3)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/07/29/6525631

(上の記事より画像再掲)

それは、上の画像に写っているように、諸天・諸仏を円形に配置しているか、方形に配置しているかの違いで、大雑把に言うと円形のものが天台宗、方形のものが真言宗で用いられる星曼荼羅です。

上の画像で、左側のは天台宗・延暦寺旧蔵の品で、「方形は真言宗」という説明と食い違いますが、これはたまたまです。また右側のは法隆寺の蔵品で、法隆寺というと真言宗とも天台宗とも関係なさそうですが、法隆寺ぐらい歴史の長い寺になると、後世いろいろな要素を採り入れて、中世には密教もなかなか盛んでしたから、こういう品も必要とされたわけです。

今に残る星曼荼羅の遺品は、方形のものが明らかに多く、これは真言宗では各地の寺々で星供養の祭儀を行なったため需要が高く、当然制作数も多かったためでしょう。

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そんなわけで、円形星曼荼羅の古物を手元に置くことはハードルが高いです。


これは取りあえず参考として見つけた品。
上の法隆寺の曼荼羅を手本にした、現代における写しで、仏画を扱っている店では今も売られていると思います。


色彩が鮮やかすぎて落ち着きませんが(むしろサイケデリックです)、法隆寺の曼荼羅も12世紀後半に制作された当初は、きっとこんな風だったのでしょう。あるいは、この品だって、これから100年も煙に燻されたら、落ち着いた趣が出るかもしれません。


一応肉筆ですが、絵の巧拙でいうと、素人目にもちょっときびしい気はします。
しかし、いずれにしても私にはこれを掛けてどうする当てもありませんし、改めて思うと何のために買ったのか、ものが仏画だけに罰当たりな気もします。

それでも、この絵のおぼろな記憶が、私を今回叡山に導いてくれたのかもしれず、これもまた仏縁であり、大師の御旨と申すべきやもしれません。

神戸、『博物蒐集家の応接間』へ(4)2015年12月17日 06時44分27秒

いっときの夢のように、神秘の応接間は消え、美しい記憶だけが、今は人々の心に残っています。そして、私の分身がその記憶のかけらとして存在する事実は、とても光栄なことに思います。

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2月の名古屋では、「銀河鉄道の夜」に出てくる時計屋の店先をイメージしてモノを並べました。今回は何といっても神戸ですから、足穂氏に敬意を表し、星を造る人」のイメージをモノで表現しようと思いました。

ただ、物質世界に囚われている身として、脳内イメージだけで事が運ぶわけもなく、必然的にモノの運搬作業がそこに伴います。そして、私は非常に面倒くさがりなので、今回は可能な限りコンパクトにまとめることとし、ごく少数のものをサラッと並べるにとどめました。足りないところは、見る人の想像力にお任せしようという策です。

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ディスプレイ自体は、antique SalonさんとLandschapboekさんの手で美しくしつらえていただきました。写真を撮り洩らしたのは、返す返すも残念ですが、その一部は、antique Salonさんのツイートに写り込んでいます。
https://twitter.com/antiquesalon/status/675871226716286976

で、今回はものぐさを決め込んだ埋め合わせとして、少し「遊び」の要素を混ぜておきました。といっても、その場に並べた「手相カード」の1枚にQRコードをしのばせておき、そこから隠しページに飛べるという、ごく他愛ない仕掛けです。(ご覧になった方は気づかれたでしょうか?)


上のQRコードがそれですが、改めて読み込むまでもなく、以下のリンク先をご覧いただければ… http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/starmaker/

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何となく浅知恵という気もしますけれど、これもやりようによっては、もっと面白い応用が利くかもしれません。




占星術師の商売道具2013年12月05日 19時35分56秒

単なる物珍しさから、こんなものを買いました。
昨日のお母さんのデスクに乗っていてもおかしくない品。


ご覧のとおり、ホロスコープ作図用のスタンプです。これでポンポンと枠線を捺して、惑星の位置などを手で書き入れたのでしょう。大勢の顧客を相手にする、プロの占星術師が使った物かなと想像します。時代は不明、アメリカの業者から購入しました。


全体の大きさは21.5×14cm。かなり厚みのある板に、金属プレートが釘で打ち付けてあります。


ホロスコープの本体部分。まるで教会の薔薇窓のようです。
周囲の大円は天球を表現しており、左右が東西を、上下が天頂と天底を表現しています。すなわち円の下半分は地平線下の空。この図中にその人の誕生時点における各惑星の位置を書き入れて、あれこれするとその人の運命が浮かび上がる…という仕組みらしいです。


下半分には「火」「地」「風」「水」の4元素と星の配位を関連付けて、性格やら何やらをあれこれする表が付いています(文字が読めるように、画像を左右反転しました)。



古びた味のある印面細部。ちょっと謎めいた感じが漂います。

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2013年12月某日某時某分、一人の異相の赤ん坊が生まれようとしています。
占星の術をよくする人は、この赤子の将来を占ってもらえないでしょうか。
顔を黒く塗りつぶされた、特定秘密保護法という禍々しい名前の赤ん坊の行く末を。


【2013.12.21付記】
 改めて見たら、一連の惑星が海王星(1846年発見)までで、冥王星(1930年発見)の表示がないことに気づきました。冥王星が占星術の体系に取り入れられたのがいつかは分かりませんが、このスタンプは戦前に遡るものと見て間違いなさそうです。

現代の占星術師2013年12月04日 19時57分23秒

昨日の本の著者、チャールズ・レアード・カリアにまつわる特異な点、それは彼の母親が占星術師だったことです。そしてその父親、すなわち母方の祖父も占星術師でした。
占いのニーズは日本にもアメリカにもあるので、占星術が職業として成り立つのでしょうけれど、しかし世間にそうそう多い存在とも思えません。



著者が星空回帰を果たしたのと同じ年、母親はひっそりと77年の生涯を閉じました。しかし、著者は直接それに立ち会ったわけではありません。
著者が大学生のときに両親は離婚し、母親は東海岸から西海岸へとひとり移り住み、いささかエキセントリックな生活を続けながら、愛する本と原稿に囲まれ、眠るように亡くなったのです。

その母親の遺品として、彼の元に届いたのが1台の望遠鏡でした。孤独な生活を送りながら、彼女はどんな思いで小さな望遠鏡を買ったのか?かつてティーネイジャーの息子と一緒に彗星を覗いた晩の思い出がそこにこもっていたのかどうか?著者は「まさにやすっぽい三文小説のネタになりそうな」と書いていますが、彼がその「贈り物」に相当な衝撃を受けたことは間違いないでしょう。

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この『ぼくはいつも星空を眺めていた』には、母親の思い出が繰り返し出てきます。天文少年だった頃に、占星術師の母親と交わした議論の光景が。

「惑星の位置をさがしだせないんだったら」と、わたしはいった。「ホロスコープなんて意味がないよ」
 母の唇に笑みが浮かんだ。
「惑星のじっさいの位置はどうでもいいの。重要なのは、それがあたえる影響なのよ」
「岩石とガスのかたまりの話をしてるんだよ、わかってるでしょ」
「あたしは観念の話をしてるのよ」(p.56)

議論と呼ぶには、あまりにも噛み合ってない問答です。
しかし、著者カリアの母親は単に迷妄愚昧な人というよりは、一種独特の神秘思想の持主であり、対象の奥にある真実を、自分の言葉で語ろうとした人でした。

「ねえ」と、母はいった。「それはあたしたちのために存在しているのよ。宇宙は」
 傲慢な意見だし、ずるい、とわたしはいつも思っていた。〔…〕
「すべては人びとのためにあるの?」と、わたしはきいた。
「人びとだけじゃないわ。あらゆる原子、石、あらゆる星のためよ。そのためにここにあるの」
「それはママの占星術だよ」
「占星術とは関係ないわ。宇宙は目的を果たすために存在しているの」
「どんな目的?」
「ふさわしい場所を見つけることよ。」(p.171)

少年のころ母が語った言葉に著者は反発し、納得できないものを感じながらも、その影響は彼の深いところに及び、その思索に色合いを添えることになります。

「謎がほしかったら」と、わたしはいった。「見あげてごらんよ」
 宇宙はいつはじまったのだろう?どんなふうに終わるのだろう?終わることができるんだろうか?〔…〕
 母はにっこり笑ってうなずいた。〔…〕
「気をつけなさい。あなたの天文学は神秘主義的になってきてるわよ」
 母の意味するところがわかるまでに、わたしは人生の半分を要した。(pp.56-57)

アメリカの占星術師が、みな件の母親のような人とは限りません。むしろ十人十色のような気がしますが、しかし、その生きざまはなかなか興味深いものがあります。

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天文学と占星術、この2つの知の体系の歴史は非常に入り組んでいますが、相互に関係してきたことは間違いありません。そして「Astronomy天文学」と「Astrology占星術」は、そのスペルもよく似ています。実際、海の向こうには両者を混同している人も少なからずいるらしく、天文アンティークを探していて煮詰まった時、「Astronomy」の代わりに「Astrology」をキーに検索すると、ふっと面白いモノが見つかったりすることもあります。

なんだか書いているうちに長くなったので、占星術をめぐるモノ語りの方は次回にまわします。

(この項つづく)

星曼荼羅 (その3)2012年07月29日 17時53分16秒

ここで星曼荼羅の構造を確認しておきます。

そもそも星曼荼羅の様式には、大別して2つの型があります。
1つは諸尊を<方形>に配置した「寛助(かんじょ)系星曼荼羅」で、我が家にあるのは、こちらになります。
もう1つは、諸尊を<円形>に配置した「慶円系星曼荼羅」で、抱影が注目した法隆寺のものはこちらに属します。

(方形と円形の星曼荼羅の遺品。左は延暦寺旧蔵で、現在は宮内庁所蔵、右は法隆寺蔵。 林温著『妙見菩薩と星曼荼羅』(日本の美術377)、至文堂、1997より)

「寛助系」の方曼荼羅は、香隆寺寛空が天暦年間(947-956)に創案し、その4代後の弟子にあたる、成就院寛助(1056-1125)が整備したもの。
他方、「慶円系」の円曼荼羅は、天台座主慶円(944-1019)が創始したものです。
一般には、方形のものが東密系(=真言宗;東は東寺のこと)で、円形のものが台密系(=天台宗)とされています。

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見た目の印象は違いますが、両者の基本構造は同一です。
まず最外周(我が家のものだと緑に塗られた部分)には二十八宿が描かれ、その内部(同じく朱色の部分)に十二宮、さらにその内側に北斗七星九曜、そして中心部に釈迦(一字金輪仏頂)がいるという構造です。
(ただし方形では、釈迦の足下に北斗を置き、他の九曜が釈迦を取り巻いているのに対し、円形では釈迦の頭上に北斗があって、足下に九曜が配置されているという違いがあります。)


改めて、わが家の星曼荼羅の上半分↑と下半分↓のアップです。

(北斗七星の脇に、ちんまり輔星のアルコルがいるのが見えますか?)

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星好きの人がいちばん興味を持たれるのは、黄道星座の図像表現でしょう。
手元のものを左上から反時計回りに見ていくと、以下の順になっています(カッコ内は現行の星座名と漢名)。

魚宮(うお、双魚)、羊宮(おひつじ、白羊)、牛宮(おうし、金牛)、夫婦宮(ふたご、双子)、蟹宮(かに、巨蟹)、獅子宮(しし、獅子)、女宮(おとめ、処女)、秤宮(てんびん、天秤)、蝎宮(さそり、天蝎)、弓宮(いて、人馬)、磨羯宮(やぎ、磨羯)、瓶宮(みずがめ、宝瓶)

だいたいは西洋星座の表現と一致しますが、双子座が夫婦に、山羊座が怪魚の姿になっており、また射手座が単なる弓矢で表現されている点が違います。
それ以外の星座も、個々の絵を見ていると、何だか不思議な気がしてきます。そもそも西洋を連想させるものが、お釈迦さまと同居しているのが、奇妙な感じです。

(緋鯉のような魚座)
(魔法の壷のような水瓶座)

しかし、そこで感じる奇妙な感覚こそ、古代の汎ユーラシア的な文化交流が中世に入って途絶し、我々の先祖が長期にわたって文化的孤立状態で生きてきたことの証しなのでしょう。

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宿曜経の話から始まったこの話題も、この辺でそろそろ一区切り付けねばなりません。
この件ではまだまだ紹介したいモノもありますが、それはまた折をみて取り上げることにします。

星曼荼羅(その2)2012年07月28日 20時52分18秒

星曼荼羅について話の続きです。

(曼荼羅の中央に座す釈迦と、釈迦を守護する人面蛇身の竜王)              

星曼荼羅がどのような場面で使われたか、いわばその「機能」についてですが、これは密教の儀式である「北斗法」の際に、本尊として祀るのだと、諸書には書かれています(昨日の抱影の文章にも、そうありました)。

では、北斗法(北斗尊星王法、または北斗護摩とも)とは何ぞや?というのを、改めて中村元博士の 『仏教語大辞典』 から引いてみます。

北斗法   密教で北斗七星を本尊とし、息災または天変地妖を除くために修する密法。平安時代のころ、大原僧都長宴が、加陽院で修したのに始まり、以来、東密でも台密でもこれを行った。」

なんだか仰々しいですが、近世以降は庶民信仰のレベルで盛んに行われたらしいです。平たく言えば「開運厄除け」のための儀式であり、今でも、真言宗を中心に、節分の晩に星祭り(星供・ほしくを行う寺院がたくさんあって、信者でにぎわっているようです。いわゆる「星回り」を良くするためのご祈祷というわけでしょう(この辺の説明は、あるいは正確さを欠くかもしれません)。星曼荼羅は、その際、祈祷壇の正面に掲げられたものです。

(星供壇の荘厳形式。正面に曼荼羅を掲げ、幡を立て、銀銭を供える。岩原諦信著『星と真言密教』・東方出版より)

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末寺での需要がそれなりにあったので、星曼荼羅にも「量産型」が作られたと想像します。手元にある星曼荼羅がまさにそれで、近づいて眺めてみると、線は墨版で、その上から手彩色していることが分かります。

(絵師の北村桃渓については未詳)

金彩を施したり、それなりに細かい細工はしてありますが、基本的には「普及版」なのでしょう。素材も、中回しは織地ですが、それ以外は本紙・表装ともに紙です。時代的には江戸時代後期と見て、ほぼ間違いないでしょう。

(長くなりそうなので、ここで記事を割ります。この項つづく)