アルカーナ2019年08月24日 18時10分51秒

家の改修やら何やらゴタゴタしているので、ブログの方はしばらく開店休業です。
そうしている間にも、いろいろコメントをいただき、嬉しく楽しく読ませていただいています。どうもありがとうございます。

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しかし、身辺に限らず、世間はどうもゴタついていますね。

私が尊敬する人たちは、人間に決して絶望することがありませんでした。
これは別に、偉人伝中のエライ人だからそうというわけではなくて、どんなに醜悪な世の中にも善き人はいるし、どんなに醜悪な人間の中にも善き部分はある…という、至極当たり前のことを常に忘れなかったからでしょう。(その逆に、どんなに善い世の中、どんなに善い人であっても、醜悪な部分は必ずあると思います。)

私も先人のあとを慕って、絶望はしません。
まあ、絶望はしませんが、でもゲンナリすることはあります。
醜悪なものを、こう立て続けに見せられては、それもやむなしです。
それに、このごろは<悪>の深みもなく、単に醜にして愚という振る舞いも多いので…とか何とか言っていると、徐々に言行不一致になってくるので、この辺で沈黙せねば。

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本棚の隅にいる一人の「賢者」。
彼が本当に賢者なのか、あるいは狂者なのかは分かりません。突き詰めるとあまり差がないとも言えます。今のような時代は、こういう人の横顔を眺めて、いろいろ沈思することが大切ではないか…と思います。

その人は、医師にして化学者、錬金術師でもあったパラケルスス(1493-1541)

写真に写っているのは、オーストリアのフィラッハ市が1941年、パラケルススの没後400年を記念して鋳造した、小さな金属製プラーク(銘鈑)です。フィラッハは、パラケルススが少年時代を過ごした町であり、郷土の偉人をたたえる目的で制作したのでしょう。

上の写真は、プラークを先に見つけて、あとからちょうどいいサイズの額に入れました。どうです、なかなか好いでしょう。

(プラークの裏面。購入時の商品写真の流用)

(仰ぎ見るパラケルスス)

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本棚ではたまたまユングの本と並んでいますが、ユングにはずばり『パラケルスス論』という著作があります。

(榎木真吉・訳、『パラケルスス論』、みすず書房、1992)

原著は1942年に出ており、内容は前年の1941年、すなわち手元のプラークが制作されたのと同年に、やっぱりパラケルススの没後400年を記念して、ユングがスイスで行った2つの講演(「医師としてのパラケルスス」と「精神現象としてのパラケルスス」)を元に書き下ろしたものです。

しかし、本書を通読しても、ユングの言っていることは寸毫も分かりません。
したがって、パラケルススその人のこともさっぱりです。

 「パラケルススは、〈アーレス〉に、≪メルジーネ的≫(melosinicum)という属性を与えています。といことは、このメルジーネは疑いもなく、水の領域に、≪ニンフたちの世界≫(nymphididica natura)に、属しているわけですから、≪メルジーネ的≫という属性に伴って、それ自体が精神的な概念である〈アーレス〉には、水の性格が持ち込まれたことになります。このことが示唆しているのは、その場合、〈アーレス〉とは、下界の密度の高い領域に属するものであり、何らかの形で、身体ときわめて密接な関係にあるということです。その結果として、かかる〈アーレス〉は、〈アクアステル〉と近接させられ、概念の上では、もはや両者は、ほとんど見分けがつかなくなってしまうのです。」
(上掲書 p.132)

私が蒙昧なのは認めるにしても、全編こんな調子では、分れという方が無理でしょう。
しかし、こうして謎めいた言葉の森を経めぐることそれ自体が、濁り多き俗世の解毒剤となるのです。そして、私が安易に世界に対して閉塞感を感じたとしても、実際の世界はそんなに簡単に閉塞するほどちっぽけなものではないことを、過去の賢者は教えてくれるのです。

インド占星術は政界の風を読む2019年07月20日 12時59分01秒

今年の1月に書いた記事の中で、インドにおける占星術の隆盛について触れました。

■インド占星術の世界
インドでは、古代から発展を続けた占星術が、現代でもなお生き続けており、人々の生活の一部になっていることを、矢野道雄氏の著書を引きながら、メモしたものです。その内容は1990年代の話でしたが、2019年現在でも状況は変わらず、むしろいっそう過熱しているのではないか…とすら思えます。

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それは、たまたま下のようなページを目にしたからです。




時節柄、選挙と天文に関して、三題話的なことでも書ければ…と思って、ネット上を徘徊していたら、突如インドのモディ首相の写真がバーンと出て、そこに「2019年ローク・サバー選挙予測: ガネーシャの正しさを知れ」というタイトルが踊っていました。

ローク・サバーというのは、インド連邦議会の下院で、日本でいえば衆議院に当たります。そして、今年はインドも総選挙の年で、5年ぶりにローク・サバー選挙があったという話。

で、上のページ自体は、「GaneshaSpeaks.com」という占星術の総合サイトに含まれていて、記事の書き手は、選挙に先立って同社が占った結果が恐ろしく当たったぞ!…と、縷々(るる)強調しているのでした。(選挙は4月11日から5月19日にかけて行われ、上の記事は5月24日付です。)

本当に当たったのかどうかは、正直よく分かりません。
文中に出てくる占星術用語はちんぷんかんぷんだし、インドの政界事情にも疎いのですが、運営側は、「占星術の奥深さと、ガネーシャのすばらしい予測精度をとくとご覧あれ(Read on to know the depth of Astrology and the super quality of Ganesha's predictions)」と、自信満々です。

それほどまでに当たるならば、明日の選挙結果もぜひ占ってほしいですが、まあ、こればかりはインドの叡智と伝統も、多少割り引いて考えねばならないでしょう。

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ときに、ローク・サバーを知るために、ウィキペディアを覗いたら、2019年の選挙結果が興味深かったです。545議席中303議席を得た「インド人民党」は、日本の自民党みたいな存在でしょうが、その後のロングテールぶりがすごいです。

「インド人民党」、「インド国民会議派」、「ドラーヴィダ進歩党」、「トリナムール(草の根)会議派」に始まって、そこに並ぶ組織・政党名は、実に36(「無所属」を除く)。
「解放パンサー党」とか、「ナガランド人民戦線」とか、「全ジャールカンド州学生組合党」とか、「シッキム革命戦線」とか、1議席だけの諸派も15を数えます。

まさにインド亜大陸の多様性を、目の当たりにする思いです。
日本も多党制の国だとはいいますが、インドと比べれば、まだまだですね(何が「まだまだ」なのか、自分でもよく分かりませんが)。

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さらにインドの外に目を向ければ、世界はいっそう広く、多様です。
時間軸に沿って眺めれば、その多様性は常に変化を続け、まるで万華鏡を覗いているようです。

今の日本で起こっていることも、その1コマであり、その1コマに過ぎない…と達観することで、いくぶん精神衛生が向上する気はしますが、それにしても、日付が変わって万華鏡がヒョイと回った時、いったいどんな光景が見えるのか、今から気もそぞろです。

中世チックな天文趣味に親しむ2019年03月16日 11時54分20秒

前回は知ったかぶりして、ちょっといい加減な記事を書いてしまいましたが、それはさておき、「中世チックな天文趣味」を親しく味わうことは、果たして可能なんでしょうか?

普通に考えると、それはもっぱら本やネットの世界の住人であり、実物を眺めようと思えば、海外の博物館に行くしかありません(日本にいる限り、充実したコレクションは拝みがたいでしょう)。

しかし、世の中には複製本、いわゆるファクシミリ版という便利なものがあって、ホンモノは無理でも、その似姿なら手元に置けないことはありません。

その一例は、以前も登場した『皇帝天文学』の複製です。


ただし、あれはルネサンス期も後期、活版印刷の時代になってからのものでした。
もっと中世チックなものというと、たとえばこんな一冊。


■Losbuch in Deutschen Reimpaaren.
 Akademische Druck- u. Verlagsanstalt (ADEVA), 1972

14世紀の第4四半期に制作されたと推測される彩色写本です。原本はウィーン国立図書館所蔵。複製本の方は、オーストリアのグラーツにあるADEVA社から1972年に出ていますが、ちょっと驚くのは、半世紀近く経った今も、定価390ユーロで版元から購入可能なことです(http://www.adeva.com/faks_detail_en.asp?id=90)。特に稀書ではないので、古書店でも普通に売っています。


ページを開いても何が書かれているのかまったく分からないし、付属の解説書もドイツ語なので、これまたよくは分からないのですが、とりあえずタイトルは『ドイツ語韻文対句による占いの書』といった意味らしいです。要は、個人の星回りを見て、その身にこれから起きることを占おうという本です。


で、その星回りを見るための道具として、表紙の内側には、天体の運行を示すヴォルヴェル(回転盤)が取り付けられています。

今では痕跡を残すのみですが、昔はここにあった円盤をグルグルやって、その指し示す該当ページを読みに行くと、それらしい託宣が書かれている…という体裁。こういう託宣書というのは、古代ギリシャからあって、それがイスラム圏を経由してラテン語に翻訳され、さらに口語たるドイツ語に移されて…という歴史が本書の背後にはあります。東方風の人物像は、そうした歴史の反映でしょう。


こうした占星の書と純粋な天文趣味との間には、もちろん大きな距離がありますが、これはこれで昔の人の「星ごころ」の発露だというのは、原本の装丁に見て取れます。実に素敵な月星尽くし。

(付属解説書より)

何せ当時の人は、星界と人間界(あるいは個人)の相関を説く新学問に幻惑され、星の声を聞き取ろうと必死だったので、用いる解釈原理は違えども、星への憧れと熱意において、後代の天文趣味人と大いに重なる部分があるわけです。



中世チックな天文趣味を考える2019年03月12日 21時41分05秒

昨日の記事を書いてから、しばし考えました。
昨日登場したような「中世チックな天文趣味」は、なぜ現代人の心を引き付けるのか?

(「History of Astronomy」の直近1年間のトップツイートより。画像出典は大英図書館。http://www.bl.uk/manuscripts/FullDisplay.aspx?ref=Harley_MS_937

単純に考えれば、その主因は「いわゆる中世ロマン」なのでしょう。
すなわち、騎士や、お姫様や、魔法使いが活躍する、RPG的な冒険譚に彩られた中世ロマンの香り―これは19世紀に流行した中世趣味の直系の子孫でもあります―が、退屈な日常からの逃避を与えてくれるからだ…というわけです。

しかし、「いわゆる中世ロマン」の内実は、なかなか複雑です。

例えば、星にまつわる中世ロマンといえば、天文学と占星術が混淆した時代の、妖しくもマジカルな匂いが肝でしょうが、この点はよくよく吟味が必要です。なぜなら、中世における占星術の流行は、むしろ中世という時代を否定するものであり、新時代への曙光に他ならないからです。ですから、それを「中世ロマン」の語でくくると、ちょっとおかしなことになります。

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ヨーロッパにおける「中世的世界」とは、「キリスト教的世界」とほぼ同義でしょう。
教科書風にいえば、中世はキリスト教という単一の世界観・価値観が世を覆った時代で、一方には封建諸侯を上回る絶対的な権力を誇る教会が、他方には抑圧された個人がいました。

しかし、中世後期になって、この強固な世界に徐々にひびが入ります。
そのひびの一つが占星術に他なりません。12星座にしても、神格化された惑星にしても、キリスト教の正当教義からすれば明らかに異教的要素であり、教会権威にとって不穏なものをはらんでいました。占星術の側からすれば、自らの学問体系は、観察と思索に裏打ちされた立派な経験科学であり、一途な宗教的信念を蒙昧視する傾向が無きにしも非ず。したがって、両者の間には常に緊張関係があったのです。(と言っても、当時の占星術研究者は、たいてい学僧であり、自ら教会に属していましたから、その緊張関係の在り様も単純ではありません。)

いずれにしても、いわゆる12世紀ルネサンスを迎えるころ、イスラム圏を経由して、古代のギリシャ・ローマの学問がヨーロッパ世界に流入し、本格的なルネサンスが開花する下準備が整いつつありました。もちろん占星術もギリシャ・ローマから吹き寄せる風の一つであり、各地に大学が生まれたのもこの時期です。

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「中世チックな天文趣味」が美しく、ロマンに富んでいるのは、宗教的圧力を撥ねのけるまでに、中世後期のヨーロッパ人の「星ごころ」が沸騰していたからではないでしょうか。そこには古さと同時に清新さがあり、それが我々の心を打つのだ…というのは、定説でも何でもない、個人的感想にすぎませんけれど、私なりにぼんやり考えたことです。

教条主義が幅を利かせた中世前期、そこでは「光輝く星空はすべて神様が作ったもので、そこに不思議な要素は何もない」とする静的世界観が優勢でした。しかし、占星術という新奇な学問は、そこに「星空には人間が探求すべき謎と不思議が満ちている」という動的世界観をもたらした…そんな風に言い換えることもできそうです。

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ここで、ひとつ連想することがあります。

18世紀、ニュートン力学が鮮やかに世界を席巻し、天体の運行はすべて万有引力によって説明がつくようになりました。果ては、「この宇宙に新たに探求すべきことはない」とまで言われるようになったのですが、同時にそれは天文学からワクワク感を奪い、それを退屈な学問にしてしまいました。

しかし、19世紀の「新天文学」、すなわち天体物理学の誕生は、星空を新たな不思議で満たし、天文学は再びワクワクする学問になったのです。

アナロジカルに考えれば、かつての占星術は、近代の天体物理学に等しい存在です。
19世紀の天文趣味に純な「星ごころ」が満ちているように、中世の占星術に純な「星ごころ」の発露を見る…というのは、一見奇説めいていますが、あながち無茶な説でもなかろうと、自分では思っています。

(「ヨーロッパ」とか、「中世」とか、妙に大きい主語を持ち出す話は、大抵ヨタか不正確と相場が決まっています。もちろんこの記事も例外ではありません。)

占星の遠き道(後編)2019年02月03日 09時02分48秒

暦占の知識が吹き溜まった、「スターロード」の終着駅・日本。
そのことは、昨日の写本と対になる、もう1冊の写本によく表れています。

(体裁は昨日の『七星九曜十二宮廿八宿等種印言』と同じ。ただし丁数は5丁と、一層薄いです。)

こちらは『知星精』と題する冊子で(書名は「ちせいしょう」または「ちしょうせい」と読むのでしょう)、筆者は同じく江戸時代初期の人、長怡房祐勢。

こちらは、九曜と北斗七星の各星を、木火土金水(もっかどこんすい)の「五行」に当てはめる方式と、それぞれの威徳を解説したものです。


当然、木星は木の精を帯びた存在ですし、火星、土星、金星、水星はそれぞれ火・土・金・水に当てれば良いのですが、そうする太陽と月、それに羅睺と計都が余ってしまいます。これらは、その性質から太陽と羅睺は火精に、月と計都は水精に配当します。また、北斗七星の各星も、それぞれ下図のような配当になるのだそうです。


で、ここに展開されているような、すべての現象は「陰陽五行」の相互作用に因るとする説や、北斗に対する信仰は、純正インド仏教ではなしに、中国起源の思想ですから、これらを仏僧がごっちゃに兼学しているところが、まさに吹き溜まりの吹き溜まりたる所以。(ちなみに、「長怡房祐勢」という名前には、何となくピュアな仏僧ならぬ「修験者」っぽい響きがあって、昨日の写本の大元らしい醍醐寺三宝院が「修験道当山派」の本山であることを考え合わせると、こうした宗教儀式の背景が、いろいろ想像されます。)


北斗の柄杓の口先、おおぐま座α星は別名「貪狼星(たんろうせい)」
「貪狼星は日天子の精なり」とあって、五行の「火」に当たります。解説の方は「日輪は閻浮提一切草木聚林を行き、その性分に随いて増長するを得。経に曰く、日輪はあまねく光明を放ち、大いに饒益をなすと云々。然らばすなわち煩悩の黒雲を払い、法身の慧眼を開く。」…と続きます。

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いずれにしても、この小さな冊子の向こうには、中国、インドへと通じる道があり、さらにその先は、遠くギリシャやメソポタミアまでつながっています。そして、「ふむ、日曜日の午前中からこんなことをノンビリ考えるのも悪くないね」と呟いたそばから、その「日曜」にしろ、「午前」にしろ、やっぱり数千年に及ぶ人類と星のかかわりの中から生まれた言葉だと気づくと、だんだん頭がぼんやりしてきます。

我々は皆すべからく歴史を生きる存在です。

占星の遠き道(前編)2019年02月02日 09時53分48秒

暦と占星の知識を伝えた「スターロード」。
まあ、これは私のいい加減な造語ですが、文化にはそうした水平(地理的)な伝搬に加え、当然垂直(歴史的)な伝搬もあります。むしろ現実のスターロードは、その両者が複雑に絡み合った、組み紐のようなものでしょう。

ところで、この文化の垂直伝搬に関して、その実例をまざまざと目にしたことがあります。

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これも矢野氏の影響と言っていいですが、以前、宿曜経に関心を示した際、さらに密教と星供(「ほしく」または「しょうく」)に関係したモノが気になり、少しキョロキョロしたことがあります。そんな折に、古書店のデータベースで2冊の写本を目にしました。

一冊は『七星九曜十二宮廿八宿等種印言』と題されたもの。

(用紙はタテ横16.5cmのほぼ正方形)

表紙を含め全14丁の和紙を糊付けした薄い冊子体のもので、後述のように、今から370年前、江戸時代前期の慶安2年(1649)に筆写されたものです。筆写したのは、表紙に見える「長怡房(ちょういぼう)祐勢」という僧侶。

(題名の前にある「三宝院簿」の意味が判然としませんが、この写本のオリジナルが、京都の真言寺院、醍醐寺三宝院に由来することを意味するのかな…と想像します。)

その中身はというと、題名のとおり、神格化された北斗七星、九曜(5大惑星+日月+羅睺と計都)、それに十二宮と二十八宿の各星座について、それぞれに対応した、種子(諸尊をシンボライズした梵字)・印相(手指で結ぶ印の形)・真言(梵語による唱句)を列記したものです。要は、密教の修法の一として、星に祈る際のコンサイスマニュアル。

羅睺と計都は、日食・月食を引き起こす原因として想定された仮想天体です。)

(日曜(太陽)はやっぱり大した存在らしく、祈りを捧げるときも、指を盛んにくねくねさせて、ノーマクアーラータンノータラヤー…と、唱え事も長いです。)

(これが十二宮になると、その他大勢的な感じになって、文句もごくあっさり。なお、左から二番目の「男女」は今でいう双児宮、星座を当てればふたご座です)

そして、私が<文化の伝搬>に思いを巡らし、「なるほど、文化とはかつてこんな風に伝えられたのか…」と深く嘆息したのは、この冊子の奥書を見たときのことです。


一見して、「知識のバトンリレー」を生で観戦する感動と迫力があります。
もちろん、私も写本文化の存在を、知識としては知っていましたが、そこに突如としてリアリティが備わった感じです。たびたび言うように、これこそ形あるモノの力でしょう。

一部読み取れない文字もありますが、平安時代に成立したとおぼしい原本を、鎌倉時代の弘長2年(1262)に、真言僧・頼瑜(らいゆ、1226-1304)が書写したのに始まり、以後、文禄3年(1595)、慶長16年(1611)、慶安2年(1649)と書写を繰り返して、現在に至っています。そしてここには、ささやかな水平伝搬もあって、京の都から房州(千葉県)へ、さらに奥州磐城へと、書写を繰り返すたびに知識が下向していく様子が見て取れます。

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「スターロード」の終着駅・日本で、さらに時間を超えて続く旅。
今ひとたび、「なるほど、文化とはかつてこんな風に伝えられたのか…」の思いが深いです。

(もう1冊の写本をめぐって、後編につづく)

続・インド占星術の世界2019年01月30日 20時17分34秒



昨日も載せたインドの占星スクロールは、1844年のものだと売り手は述べていました。
文字がまったく読めないので、この辺は額面通り受け取るしかありませんが、でも紙質を見る限り、相応に古いモノでしょう。

これが時代を下ると、下のようにツルツルの現代的な製紙になってきます。

(全長約5メートルの大作。ちなみに1844年のスクロールの方は約2メートル)

これまた年代不詳ですが、たぶん20世紀半ばぐらいでしょう。でも、書かれているのは、やっぱり昔ながらのホロスコープ図で、このスクロールは、とりわけその図像表現がグラフィカルで、むしろサイエンティフィックな感じすらしたので、面白いと思って購入しました。
 
 

どうです、なんだか分からないけれどもスゴイでしょう。

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まあ、これだけ見ている分には、「ふーん、面白いね」で終わってしまい、特にインド占星術の体温を感じるには至りません。でも、次の品を見たとき、私は一瞬でその体温を ―― 占星術師の節くれだった指や、長いひげを蓄えた哲人めいた風貌を、想起しました。

 (「Old Antique Original Iron Astrological Horoscope Geometrical Tool」と称して、北インドのジョードプルのアンティーク業者が売りに出していたもの)

上のような幾何学的なホロスコープを描くには、当然それ用の道具が要るわけで、私はこれを見て再び「ああ、そういうことだったのか…」と思ったのでした。
 

鉄製の粗削りなコンパスと…


直線を引くための烏口(からすぐち)。

この品は戦前にさかのぼるものだそうですが、おそらくもっと遠い昔の占星術師たちが手にしていたのも、これと大差なかったでしょう。あるいは貴人に仕えた占星術師なら、もっと贅沢な道具を使ったのかもしれませんが、民間で門戸を張った術師は、やっぱりこういう無骨な道具で、せっせと円を描いたり、線を引いたりしてたんじゃないでしょうか。


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前回も引用した、矢野氏の『占星術師のインド』には、「500年前から代々続く占星術師の家」とか、「16世紀以来、さる藩王の宮廷占星術師を務めた一家の末裔」とか、歴史を誇る占星術師がいろいろ登場します。あるいは、これはインドではなくネパールですが、古い四分儀や暦書を家に持ち伝え、父と子は常にインドの古典語たるサンスクリット語で会話する一家とか。
 
やっぱり、インドでは占星術が文字通り「生きて」いるのです。
そして、それは「神秘の国・インド」として矮小化されるべき事柄ではなくて、古代から連綿と続く文化の豊かさの証であり、その鮮烈な具体例なのだと思います。

…そんなことを考えながら、この製図道具を手に取り、その重みを感じていると、だんだん心が膨らんでくるのを感じます。



インド占星術の世界2019年01月29日 21時08分49秒

ところで占星術に関連して、「ああ、そうか」と思ったことがあります。

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以前、こういう品を取り上げました。

(画像再掲。元記事: http://mononoke.asablo.jp/blog/2017/04/22/

これは、一昨年に神田の三省堂で行われた「博物蒐集家の応接間」というイベントに、お味噌で参加した際、会場に並べたものです。これだけだと何だか分からないので、一応キャプションを付けようということになり、そこに添えたのが以下の短文。

 「1844年、インドで書かれた星占いのスクロール(巻物)。個人の依頼に基づいて、占星師が作成したもの。」

ここに書いてあることは、確かにウソではないですが、このときの自分は、インド占星術の実相をまったく知らなかったので、書きながら何だかフワフワした感じがしました。要は自信がなかったのです。

たとえば、こういう占星スクロールは、eBayを覗くと、インドの業者がたくさん売りに出しているんですが、「なんでこんなにたくさんあるんだ?」というのが、そもそもの疑問。「ひょっとして、こんな酔狂な品でも、騙されて買う物好きがたまにいるので、インドの業者が偽作してるんじゃないか?」という疑念が、次いで頭をよぎりました(※)

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結局よく分からないまま、この件は放置していましたが、最近一冊の本を読んで、「ああ、そういうことだったのか…」と、腑に落ちました。


■矢野道雄(著)
 占星術師たちのインド―暦と占いの文化
 中公新書、1992

矢野氏は、以前「宿曜経」を取り上げた際にも登場しましたが、ご自身は別に占星術師ではなくて、科学史、特に天文学史や数学史の専門家です。

上の本は、氏が1991年に訪印した際の見聞をもとに、現代インドにおける占星術の在り様をレポートしたもので、遠い時代から受け継がれたインド占星術の諸技法が、今もインド社会で強固に生き続けていることが綴られています。

で、結論から言うと、「なんでこんなに、占星スクロールがあるんだ?」という疑問の答は、実際たくさん作られているからに他ならず、それは私の想像の遥か上を行くものでした。

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同書から一部を引用させていただきます。
矢野氏は、このインド訪問に際して、自作のインド暦計算プログラムを持参し、現地でそのデモを度々行いました。

 「この講演を聞きに来ていたサンスクリット・カレッジの校長シュリーヴァトサ先生は占星術の熱心な信奉者であった。かれは〔…〕ぜひ自分の家へコンピュータをもってきて、自分の作ったホロスコープが正しいかどうかチェックしてほしいというのだ。
 家に着くとすぐにかれは本人、奥さん、子供たち、親戚のホロスコープをつぎつぎと出してきた。いずれも長い巻紙に見事な彩色で描かれていた。」(pp.18-19)

…という具合で、中には趣味が高じて、自ら占星スクロールを作成する人もいるぐらい、それは生活に溶け込んでいるようです。またあるときは、宿泊先のホテルの店員と親しくなり、好意でコンピュータ・ホロスコープを作ってあげたら、

 「さらに他の店員たちも次から次へと生年月日を書いた紙切れを渡して申し込んできた。たいていのインド人は生まれたときに親が占星術師に頼んでホロスコープを作ってもらうはずなので、なにも私に作ってもらわなくてもいいのにと思ったが、ある店員は南インドのケーララ出身で、実家にはホロスコープがあるのだが、いま手元にないからといった。他の店員はどういう生まれか聞かなかったが、ホロスコープを作ってもらったことがなかったらしい。」(p.20)

そして、ホロスコープが実際どんな使われ方をしているかと言えば、なかなか切実な事情もありました。

 「インドでは恋愛結婚はまだ普通ではなく、結婚相手を決めるのはたいてい親や親戚である。しかしそう簡単に相手が見つかるわけではない。そこで利用されるのが新聞広告である。〔…〕広告の内容は、本人の年齢、身長、肌の色、学歴、職業、カーストで始まり、たいていは「略歴と写真を送られたし」という一文が加えられているが、さらに「ホロスコープを送られたし」とあるものが多い。結婚相手を決めるときホロスコープはきわめて大きな役割をはたす。たいていは親しい占星術師のところへ本人と相手のホロスコープをもっていって相性をみてもらうのである。」(pp.23-24)

インドは今も――少なくとも本書が書かれた1990年代には――占星術がしっかりと息づく社会であり、多少とも余裕のある人は、子どもや孫が生まれれば、その未来の運勢を知るべく、町々にいる占星術師を訪ね、その占いの結果を長大な巻物に記してもらって、後生大事に持っている…大体そんな塩梅らしいです。

ですから、占星スクロールが大量にあるのは当然で、持ち主のいなくなったスクロールが、半ば古紙として市場に流れ、目ざとい古物屋がそれを手に入れて、外国の物好きに売る…なんていう商売も成り立つのです。

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さて、以上はどちらかといえば即物的な話で、本当はインド占星術の歴史そのものに、いっそう興味を向けるべきでしょうが、その学理はなかなか難しくて、理解が追いつきません。矢野氏に教えられて、かろうじて分かったことは、インド占星術は非常に重層的な体系を持つということです。

すなわち、古代インドの「月占い」(天球上の月の位置によって吉凶を見る)の上に、ギリシャで完成し、その後イスラム世界がさらに発展させた「ホロスコープ占い」(そこでは惑星が重視されます)が接ぎ木され、さらにインド独自の工夫も積み重なって、インド亜大陸は占星術の一大沃野と化し、その影響は、遠く中国や日本にまで及びました(密教系の「宿曜道」がそれです)。そして母国インドは、依然として占星術大国だというわけです。

(矢野氏上掲書より。インドは広いので、ホロスコープの作図ひとつとっても、ユニオンジャックみたいな「ベンガル式」やら、紋所の武田菱みたいな「北インド式」やら、地方によっていろいろ流儀があるらしい。)

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まことに壮大な話です。

何せ、かつてユーラシア大陸には、東西を貫通する「スターロード」があり、星を見上げて、その動きを計算し、人間社会と天界の相関に思いをめぐらす複雑な知の体系が、それを伝える学者や書物とともに、そこを自在に往還していたというのですから。(思うに、本来の占星術は、宗教よりも明瞭に科学(経験科学)寄りの存在として、堂々たる学問体系を成していたのです。)

そんな悠遠な文化に思いをはせつつ、インド占星術の体温が肌で感じられるような品を、この機会にもう一つ紹介しておきます。

(この項つづく)


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(※)でも、偽作が全くないとも言い切れません。私が疑っているのは、彩色すると高く売れると踏んで、業者が後から色付けしたものが混じってるんじゃないかということです。まあ商才があれば、それぐらいはするでしょう。

インフルエンザと星の光2019年01月26日 20時56分53秒

昨日(1月25日)の朝日新聞の「天声人語」は、インフルエンザの話題でした。
で、その中に次の一文があって、思わず目をそばだてました。

 「人とインフルエンザの歴史は長い。感染症に詳しい岡部信彦・川崎市健康安全研究所所長(72)によると、中世の欧州では、星の光が人体に流れ込んで起きる病気と目された。」

「おお、そんなに素敵な病気なら、今年もいっぺん罹ってみようか」
…そんな気すら起こりました。でも、この話って本当なのかなあ、何かソースはあるのかなあと、読み終わった後で気になりました。

そこで、今回は特に自助努力せず、いつもの天文学史のメーリングリストで質問したところ、ある人に以下のページを教えてもらいました。

WORLD WIDE WORDS: Influenza

これは英語版「ことばの散歩道」みたいなサイトで、高度に学術的というわけでもないのでしょうが、当面の疑問には十分こたえてくれました。

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結論からいうと、天声人語の文章には、曲解と誤解が混じっています。
そもそも、中世には「インフルエンザ」という病気が認知されていなかったので、その原因を人々がとやかく述べるはずがありません。では「星の光」云々は、まったく根も葉もない話かといえば、そうでもない…というのが、ややこしいところです。

この「influenza」という言葉は、語形から想像がつくように、イタリア語から借入したものです。当然、英語の「influence」とは同根の単語。いずれも、語源はラテン語の「influentia(流入)」です。

ここで、英語の「influence」の用例をたどると、この言葉は中世にあっては、「影響力」といった抽象的な意味ではなくて、もっぱら占星術用語として、「星からあふれ出て、地上の人間に影響を与えるエーテル状の液体」というかなり狭い意味で使われていました(今のような「影響力」の意味は、16世紀以降に生まれた由)。

一方イタリアでは、流行病の発生は星々の影響に因るという考えから、「influenza」という言葉に、「病気の発生・流行」という語義が16世紀になって付け加わります。さらに下って1743年には、「influenza di catarro」(カタル熱の流行)がヨーロッパ中を席巻し、これを機にイギリスでは「インフルエンザ」という言葉が、「流行病」そのものの意味で使われるようになります。そして、その後さらに医学的な概念整理が進み、「インフルエンザ」という言葉が、徐々に限定して用いられるようになり、今に至るというわけです。

言葉ひとつとっても、その歴史はなかなか込み入ってますね。

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インフルエンザの語の成り立ちには、たしかに遠い中世の占星術的世界観の残照が見て取れます。でも、「中世のヨーロッパの人がインフルエンザの原因を星の光に求めた」という陳述は事実に反するので、その点は天声人語子に訂正を求めたいと思います。

(話を整理すると、おそらく正しい陳述は、「近世のイタリア人は、流行病の発生を星の影響力と結びつけて考えた」です。そして、ここでいう「星の影響力」とは、あくまでもインビジブルなもので、目に見えるスターライトではありません。)

スターベイビー2018年08月15日 16時23分31秒

昔の8月15日には、「旧校舎の理科室」の匂いがありました。

いかにも分かりにくい喩えですが、窓からはかんかん照りの校庭が見えるのに、室の中はぼんやりと暗く、静かで、埃くさく、死の気配が漂っている趣と、8月15日の情調は、個人的に妙に重なるところがあります。子供時代に見聞きした戦争の話題にも、生々しい感じと、どこか遠い感じが、複雑に混じり合っていました。

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最近、「人はみな星の子どもだ」と、いろいろなところで語られます。
つまり人の身体を構成している元素は、遠い昔に「元素製造工場」たる恒星内部で作られたもので、それが星の死とともに散骨され、再度それが雲集して太陽系を作り、地球を作り、我々人間を作った…というわけです。

これは現代の科学が教えてくれる事実です。
でも、世間に無数にある事実の内には、心に響く事実と、あまり響かない事実とがあって、「人は星の子どもだ」という事実は、間違いなく前者です。そして、こういう心に強く響く事実は、多くの場合、人の心の奥にある古い観念と結びついていることを、民俗学や神話学や心理学は教えてくれます。

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先月初めに「スターチャイルド」のことを話題にし、人は空から生まれ落ち、空へと帰っていく存在だ…という観念について、絵葉書を見ながら考えました。

以下、本からの抜き書き(改行は引用者)。

 「観測に基づく天文学が客観的なデータの収集に専念する一方、占星術は天上と地上の世界がひとつの組織をなしているという主観的確信から生じている。その統一性の探求を支えた、古代世界で繰り返しみられる信念のひとつは、人間の魂がそもそもは星の世界にあったとする考えである。

魂は地上に落下して肉体に住まうようになったとピタゴラスははっきり教えており、そうすると人間の精神的努力目標は、この世から自らを解放して天の住まいへ帰ることになる。プラトンも述べているこの考え方は後世の占星術の豊かな霊感源となり、彼らは魂がいくつもの天体を通って落ちるときにさまざまな特徴を――例えば火星からは攻撃性、水星からはどん欲さ、金星からは色情を――得ていることなどを詳しく述べた。死後魂がもと来た道をひきかえすときこうした特徴は捨てられていくことになる。

ヘレニズムの、またのちのローマの神秘宗教には、この魂の降下という考え方がその基本にあった。」
 (ピーター・ウィットフィールド(著)・有光秀行(訳)、『天球図の歴史』、ミュージアム図書、1997、p.29)

こうしたギリシャ~ヘレニズム的思考が、地球規模でどこまで普遍的かはわかりませんが、スターチャイルドの件は、こうした考えを淵源としていることはほぼ確実です。そして、「星の子ども」の一件も、そうした下地があるからこそ、人々に強くアピールするのではないでしょうか。

(星模様のベビードレスを着た赤ちゃんとお母さん。19世紀後半、ドイツ。現物が見つからないので、購入時の商品写真を流用。)

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8月15日は、終戦記念日とお盆が重なります。
今宵は曇天で星は見えそうにありませんが、いずれ空が澄んだら、星を見上げて静かに死者を――戦死者もそうでない死者も――悼むことにします。