朝の教訓 ― 2024年04月04日 05時57分46秒
音楽家から天文学者に転身したウィリアム・ハーシェル(1738-1822)。
彼が天王星を発見したゆかりの地である、イングランド西部の町バースは、英国ハーシェル協会の本部があるところで、地元のバース王立文学科学協会(BRLSI)とも協力して、ハーシェル関連のイベントがなかなか盛んです(彼の旧居は現在ハーシェル天文博物館として公開されています)。
(Googleストリートビューで見るバースの町とBRLSIの建物(正面左手))
そのBRLSIが主催して、ウィリアムの息子で同じく天文学者のジョン・ハーシェル(1792-1871)に関する講演会があると聞き、たまには勉強しようと思ってオンラインで参加することにしました。
(同講演会の案内ページより。晩年のジョン)
しかし参加はしたものの、何だか様子がおかしい。
入室した時点で話がえらく進んでいて、おや?と思う間もなく「結論 Conclusion」というパワポのスライドが出て、そのまま講演は終わってしまったのでした。
★
「指折り数えても時間は合っているはずなのに、おかしいなあ」
…というのを読んで、「ははーん」と思われた方もいるでしょう。
そうです、私はやっぱり時間を間違えていたのです。
イギリスでは先月末からサマータイムが始まっていて、日本との時差は今は9時間ではなく、8時間で計算しないといけないのでした。イベント慣れしている人には何でもないことかもしれませんが、ごくたまに発心する程度の人間にはちょっと難易度が高かったです。
参加チケットを事前購入して、がんばって早起きまでしたのに、何たることか。
まさに時間どろぼうに遭った気分ですが、まあここで一度失敗しておけば、次回からはたぶん大丈夫でしょう。
星のかさね色目(前編) ― 2024年04月07日 06時46分38秒
ふと思いついて、1877年に出たギユマンの『Le Ciel』(第5版)を開いてみます。
その<図版41>には、美しくも愛らしい二重星(多重星)が描かれています。
図版タイトルの「étoiles colorées」は、英語でいう「colored stars」のことで、鮮やかな色味を帯びた恒星を指します。まあ、どんな星でも何らかの色はあるので、ことさら「colored」と呼ぶ必要もないわけですが、眼視とモノクロ写真の時代には、白く輝く星々の中にあって色味の強い星はやっぱり目立つので、こう呼ばれたのでしょう。いずれにしても、これは古風な言い回しで、現在日本語の定訳もないと思いますが、強いて訳せば「有色星」でしょう。
★
最近のマイブームに合わせて、二重星の色彩のコントラストを、平安装束の「かさね色目」に当てはめてみてはどうか?と思いつきました。というよりも、「かさね色目」の本を読んでいて、二重星のことを思い出したというのが正確ですが、いずれにしても、これは我ながら風雅な試みと自画自賛。
ギユマンの図版は、望遠鏡ごしに見る現実の二重星の色とはずいぶん違う気がしますが、ここではあくまでも図版を基準に、下の本と対照してみます。
(長崎盛輝・著『新版かさねの色目―平安の配彩美』、青幻社、2006)
(この項つづく)
星のかさね色目(中編) ― 2024年04月08日 05時42分31秒
さて、ギユマンの『Le Ciel』掲載の二重星を順次ながめていきます。以下、かさね色目については、長崎氏の前掲書からお借りします。またWikipedia(英語版、日本語版)に写真が掲載されている二重星は、その画像も載せておきます(アトリビュートが必要なものを除き、撮影者名は省略)。
まずは「2 ペガスス座カッパ星」です。
これはもう「桜」で決まりでしょう。
お次は「3 はくちょう座61番星」。
これは「黄朽葉(きくちば)」がピッタリです。
「かさね色目」には、こんな風にあえて同色を取り合わせたものもあります。
写真に写った61番星を見ても、この色目はかなりリアルであることが分かります。
次いで青い双子星、「4 へび座デルタ星」。
この鮮やかな青は、日本の伝統色にない色調で、強いて挙げると、この「朝顔」がわりと近い感じです。これも縹(はなだ)の同色のかさねです。
「5 アンドロメダ座ガンマ星」、固有名はアルマク。ここではオレンジの主星とグリーンの小二重星の「三重連星」として描かれていますが、グリーンの方は実際には三重星で、全体として「四重連星」を構成している由。
これもうまい色目が見つかりませんが、この「黄柳(きやなぎ)」なんかはどうでしょう。
(撮影:NVN271)
望遠鏡ごしに眺めると、はくちょう座のアルビレオばりの美しい多重星です。
「6 カシオペヤ座イータ星」。
これは「裏山吹(うらやまぶき)」がよさそうです。
最初は下の「莟菊(つぼみぎく)」を当てたんですが、目立つ主星を表地に、差し色となる伴星を裏地に当てた方がいいいと思い直して、改めて「裏山吹」としました。
ちなみに、「かさね色目」という言葉は、装束の表地と裏地の色の配合をいう場合と、重ね着した装束が生む襟元や袖口の美麗な色彩配列をいう場合があって、引用書の著者・長崎盛輝氏は、前者を「重色目」、後者を「襲色目」と書き分けています。拙記事で採り上げているのは、もっぱら前者の意味ですが、二重星に対して「重色目」の用字はまさにぴったり。
(この項つづく。次回完結)
星のかさね色目(後編) ― 2024年04月09日 05時37分41秒
夜空を彩る星のかさね色目の続きです。
キャプションには、「7 Étoile double du Navire(船の二重星)」とあって、「?」と思いますが、「Navire」とは、今は廃された「Navire Argo(アルゴ船座)」のこと。現在のりゅうこつ座、とも座、ほ座の3つの星座を合わせた巨大な星座です。その二重星といえば、まず「りゅうこつ座イプシロン星」に指を屈さねばなりませんが、正しい答は未詳。
色目としては「紅菊(くれないぎく)」が好いですね。
ギユマンの図とはだいぶ違いますが、現実の「りゅうこつ座イプシロン星」はこんな配色です。
「8 エリダヌス座32番星」。
図版の印刷がかすれているのか、このままでいいのか、判然としない図ですが、
色目を当てるなら「柳」でしょうか。
「9 カシオペヤ座シグマ星」。
すっきりとした寒色の取り合わせなので、「夏萩」を選んでみました。
「10 はくちょう座ベータ星」。言わずと知れたアルビレオです。
あまりしっくりきませんが、とりあえず「移菊(うつろいぎく)」を当てておきます。
主星と伴星の関係を考えると、これは表地と裏地を入れ替えた方がいいのですが、残念ながら、そういう色目が見つかりませんでした。
天上の宝石にたとえられるアルビレオ。今だと「ウクライナカラー」が真っ先に連想されるかもしれません。
「11 しし座ガンマ星」、固有名はアルギエバ。なんだか妙ちきりんな図ですが、これはいったいどういう状態を表現してるんですかね?
望遠鏡で覗くとこんな感じで、何も妙なことはないんですが…。
この奇妙な図とぴったり同じものはありませんが、このトリコロールに注目して「比金襖(ひごんあお)」を挙げておきます。これは表地と裏地に中倍(なかべ)を加えた3色のかさね色目です。
袷(あわせ)を仕立てるとき、裏地を表地よりちょっと大きくして、表地のふちを覆うように折り返して縫い合わせると、裏地が表地のへり(袖口や裾)を彩ることになりますが、中倍とは、表地と裏地の間に、さらにもう1色加えた布地のことをいいます。
「12 ヘルクレス座アルファ星」。
とりあえず「青朽葉(あおくちば)」とします。緑にもう少し青みがあるとなお良かった。
とはいえ、写真でも伴星の青はそれほど感じません。
最後は「13 ペルセウス座イータ星」です。
赤と青で「薔薇(そうび)」。
★
こうして星のかさね色目は、「桜」で始まり「薔薇」で終わりました。
改めて見返すと、かさね色目の名称はすべて植物にちなむものばかりです。
衣服の染料や、繊維そのものが植物由来だから…ということもあるかもしれませんが、日本にだって鉱物顔料の伝統はあるし、美しい色合いを表現するのに、瑠璃やら辰砂やら碧玉やらを登場させない法はないと思うんですが、まあこの辺が日本らしい感覚なのでしょう。
天上には豊かな山野があり、あまたの花が咲き誇るかと思えば、若葉が芽吹き、濃い樹陰をつくり、やがて紅葉して朽葉となり、静かな冬木立の季節を迎える…。星を眺めながらそんな想像をするのも、王朝人にインスパイアされた風雅な天文趣味のありようだという気がします。
驚異への扉を開く ― 2024年04月11日 05時36分56秒
奇想のイベント「博物蒐集家の応接間」のご案内を、主催者である antique Salon さんからいただきました。
■博物蒐集家の応接間―気配 悪戯な天使
2024年4月20日(土)~4月23日(火)
12:00~19:00(最終日は17:00まで)
会場:antique Salon
(名古屋市中区錦2-5-29 えびすビルパート1 2F)
今回はアンティークショップとして antique Salon(名古屋)、メルキュール骨董店(長野)、JOGLAR(神奈川)の皆さんが、またクリエイターとして、いしかわゆか、犬飼真弓、#ISO1638400、eerie-eery、山掛とろろ、伽十心、RISA OKADA、ひん、Arii Momoyo Pottery、川島朗の皆さんが参加されます。今回クリエイターさんの数が多いのは、名古屋を拠点に活動するクリエイター・グループ、「#casement13」とコラボされていることによるようです。
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「博物蒐集家の応接間」は、2015年に名古屋の antique Salon さんの店舗で開催されたのが第1回で、以後は東京をはじめ、神戸や大阪の各地で開催されてきました。そして節目の第10回は、ふたたび名古屋での開催です。
思い起こすと、第1回の会場でお会いした方々の顔が懐かしく浮かんできます。
いきなり回想モードに入るのもどうかと思いますが、でも趣味の世界にあって9年という歳月は、その世界の住人を、揺りかごから冒険の旅へと駆り立て、老練な人間に鍛え上げ、静かな回想へといざなうのに十分な長さです。
博物趣味の世界にあっても同様で、老獪…とまでは言わないにしろ、あの第1回の会場に集った方たちも、それぞれに年輪を重ね、成長を遂げられ、もはや昔日の談ではないでしょう。十年一日のごとき私にしても、やっぱり変化した部分はあるはずです。
そこには良い変化もあるし、初々しさが失われたという意味で、必ずしも良いとばかりはいえない変化もあります。でも、 antique Salon さんに譲っていただいた、小さな驚異の断片を前にすれば、
「目慣れただけで汲み尽くせるようなものを、キミは驚異と呼ぼうというのかい? キミは‘驚異’を‘目新しさ’と取り違えているんじゃないのか? そもそも、キミはボクの何を知っているというのか? 」
という声がしきりに聞こえてくるのです。
そんなことを自問しながら、悪戯な天使が待つ会場を訪ねようと思います。
蛮族の侵入 ― 2024年04月13日 16時06分42秒
ここに1枚の絵葉書があります。
ガートルードという女性が、友人のミス・ウィニフレッド・グッデルに宛てたもので、1958年7月31日付けのオハイオ州内の消印が押されています。――ということは、今から76年前のものですね。
「ここは絶対いつか二人で行かなくちゃいけない場所よ。きっと面白いと思うわ。早く良くなってね。アンソニーにもよろしく。ガートルード」
彼女は相手の身を気遣いながら、絵葉書に写っている天文台に行こうと誘っています。
(絵葉書の表)
改めて裏面のキャプションを読むと
「オハイオ州クリーブランド。ワーナー・アンド・スウェイジー天文台は、ケース工科大学天文部門の本部で、イーストクリーブランドのテイラー通りにある。研究スタッフである天文学者たちは、とりわけ銀河の研究に関心を向けている。また学期中は市民向けに夜間観望会を常時開催し、講義と大型望遠鏡で星を眺めるプログラムを提供している。」
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ワーナー・アンド・スウェイジー(Warner & Swasey Company)は、オハイオ州クリーブランドを本拠に、1880年から1980年までちょうど100年間存続した望遠鏡メーカーです。
同社の主力商品は工作機械で、望遠鏡製作は余技のようなところがありました。
そして本業を生かして、望遠鏡の光学系(レンズや鏡)ではなく、機械系(鏡筒と架台)で実力を発揮したメーカーです。ですから、同社はたしかに「望遠鏡メーカー」ではあるのですが、「光学メーカー」とは言い難いところがあります。たとえば、その代表作であるカリフォルニアのリック天文台の大望遠鏡(口径36インチ=91cm)も、心臓部のレンズはアルヴァン・クラーク製でした。
★
同社の共同創業者であるウースター・ワーナー(Worcester Reed Warner 、1846-1929)とアンブローズ・スウェイジー(Ambrose Swasey 、1846-1937)は、いずれも見習い機械工からたたき上げた人で、天文学の専門教育を受けたわけではありませんが、ともに星を愛したアマチュア天文家でした。
その二人が地元のケース工科大学(現ケース・ウェスタン・リザーブ大学)の発展を願って建設したのが、ワーナー・アンド・スウェイジー天文台で、1919年に同大学に寄贈され、以後、天文部門の本部機能を担っていたことは上述のとおりです。
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1910年代、二人の職人技術者の善意が生み出し、1950年代の二人の若い女性が憧れた「星の館」。ここはもちろん天文学の研究施設ですが、同時にそれ以上のものを象徴しているような気がします。言うなれば、アメリカの国力が充実し、その国民も自信にあふれていた時代の象徴といいますか。
ことさらそんなことを思うのは、ワーナー・アンド・スウェイジー天文台の今の様子を伝える動画を目にしたからです。関連動画はYouTubeにいくつも挙がっていますが、下はその一例。
アメリカにも廃墟マニアや心霊スポットマニアが大勢いて、肝試し感覚でこういう場所に入り込むのでしょう。それにしてもヒドイですね。何となく「蛮族の侵入とローマ帝国の衰亡」を連想します。
もっとも、ワーナー・アンド・スウェイジー天文台は、別に廃絶の憂き目を見たわけではなく、今も名を変え、ロケーションを変えて観測に励んでいるそうなので、その点はちょっとホッとできます。そして旧天文台がこれほどまでに荒廃したのは、天文台の移転後に土地と建物を取得した個人が、詐欺事件で逮捕・収監されて…という、かなり特殊な事情があるからだそうです。まあ、たとえそうだとしても、ワーナーとスウェイジーの純な志や、建物の歴史的価値を考えれば、現状はあまりにもひどいと言わざるを得ません。
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冒頭のガートルードとウィニフレッドの二人は、その後この天文台を訪問することができたのかどうか? 訪問したならしたで、しなかったらしなかったで、このお化け屋敷のような建物を目にした瞬間、きっと声にならぬ声を漏らすことでしょう。
ワーナー・アンド・スウェイジー、夢の跡(前編) ― 2024年04月16日 18時20分15秒
19世紀最後の年、1900年にワーナー・アンド・スウェイジー社(以下、つづめて「ワーナー社」と呼びます)は、自社の天文機器をPRするための写真集を出しています。
■Warner & Swasey
A Few Astronomical Instruments:From the Works of Warner & Swasey.
Warner & Swasey (Cleveland)、1900
A Few Astronomical Instruments:From the Works of Warner & Swasey.
Warner & Swasey (Cleveland)、1900
(タイトルページ。手元にあるのはノースダコタ大学図書館の旧蔵本で、あちこちにスタンプが押されています。)
本書成立の事情を、ワーナーとスウェイジーの両名による序文に見てみます。
「我々がこれまでその計画と天文機器の製作にかかわった第一級の天文台の数を考えると、それらを一連の図版にまとめることは、単に興味ぶかいばかりではなく、現代の天文装置が有する規模と完璧さを示す一助となるように思われる。
一連の図版は自ら雄弁に物語っているので、機器類と天文台については、ごく簡単に触れておくだけの方が、詳しい説明を施すよりも、いっそう好ましかろう。
ここに登場する三大望遠鏡、すなわちヤーキス天文台、リック天文台、海軍天文台の各望遠鏡の対物レンズは、いずれもアルヴァン・クラーク社製であり、他の機器の光学部品については、事実上すべてJ.A.ブラッシャー氏の手になるものである。
本書に収めた写真を提供していただいた諸天文台の天文学者各位のご厚意に、改めて感謝申し上げる。」
強烈な自負と自信が感じられる文章です。
たしかにアルヴァン・クラークとブラッシャーのレンズ加工技術は素晴らしい、だが我々の機械工作技術がなければ、あれだけの望遠鏡はとてもとても…という思いが二人にはあったのかもしれません。
当時のワーナー社の工場兼社屋。
堂々とした近代的ビルディングですが、よく見ると街路を行きかっているのは馬車ばかりで、当時はまだモータリゼーション前夜です。
この前後、19世紀末から20世紀初頭にかけて、車は内燃機関を備えた「自動車」へと姿を変え、人々の暮らしは急速に電化が進みました。そうした世の中の変化に連れて、天文学は巨大ドームとジャイアント望遠鏡に象徴される「ビッグサイエンス」へと変貌を遂げ、20世紀の人類は革命的な宇宙観の変化をたびたび経験することになります。(このブログ的に付言すると、本書が出た1900年は、稲垣足穂生誕の年でもあります。)
(この項続く)
ワーナー・アンド・スウェイジー、夢の跡(中編) ― 2024年04月17日 07時28分49秒
写真集の中身を見てみます(以下、原著キャプションは青字)。
「米国海軍天文台、ペンシルベニア大学、その他のために製作された天文機器類」。ワーナー社の倉庫ないし展示室に置かれ、納品を待つ製品群です。手前の4台は天体の位置測定用の子午儀・子午環、その奥は一般観測用の望遠鏡。
前回、前々回触れたように、ワーナー社の光学機器はレンズを外注しており、そのオリジナリティは機械的パーツの製作にこそありました。
たとえば、こちらは「米国海軍天文台の26インチ望遠鏡用の運転時計(driving clock)」。天体の日周運動に合わせて鏡筒を動かし、目標天体を自動追尾するための装置です。
あるいは、天体の位置を厳密に読み取る「位置測定用マイクロメーター(position micrometer)」。
あるいは、「自社で製作し使用している40インチ自動目盛刻印装置」。上のマイクロメーターもそうですが、計測機器の「肝」ともいえる目盛盤の目盛りを正確に刻むための装置で、工作機械メーカーの本領は、こんなところに発揮されているのでしょう。
そうした製作加工技術の集大成が、大型望遠鏡であり、それを支える架台であり、全体を覆うドームでした。(「ヤーキス天文台の40インチ望遠鏡、90フィートドームおよび75フィート昇降床」、「ワーナー・アンド・スウェイジー社設計・施工。1897年」。)
上のヤーキスの大望遠鏡は実地使用に先立って、シカゴ万博(1893)にも出展されました。足元には正装をした男女、頭上には巨大な星条旗。天文学では後発だったアメリカがヨーロッパに追いつき、けた外れのスピードで追い越していった時代の変化を如実に物語っています。
(この項、次回完結)
ワーナー・アンド・スウェイジー、夢の跡(後編) ― 2024年04月19日 05時28分10秒
この写真集には、天文機器の写真とならんで、天文台の外観写真が何枚も載っています(全36枚の図版のうち10枚がそうした写真です)。
たとえば、ニューヨークのダドリー天文台。まさに「星の館」にふさわしい外観で、憧れを誘います。ワーナー社はここに12インチ(すなわち口径30cm)望遠鏡を提供しました。
同社の12インチ望遠鏡というと、これぐらいのスケール感。
ちょっと毛色の変わったところでは、中東シリアの首都ベイルートに立つ「シリア・プロテスタント大学」の天文台なんていうのもあります(ここはその後、無宗派の「ベイルート・アメリカン大学」となり、天文台も現存)。ここに納入したのも12インチ望遠鏡でした。
何度か名前の出たワシントンの米国海軍天文台。
ワーナー社とは縁が深かったようで、ここには26インチ(約66cm)大望遠鏡をはじめ、6インチ子午環、5インチ経緯儀、さらに46フィートドーム(差し渡し14m)や26フィートドーム(同8m)といった多くの備品を供給しています。
上の写真の左端に写っている建物のアップ。
26インチ大望遠鏡はここに据え付けられました。望遠鏡以外に、昇降床やドームもワーナー社製です。
その内部に鎮座する26インチ望遠鏡の勇姿。ヤーキス天文台の40インチ望遠鏡にはくらぶべくもありませんが、それでも堂々たるものです。
海軍天文台の白亜の建物を設計したのは、著名な建築家のハント(Richard Morris Hunt 、1827—1895)で、ここは彼の最晩年の作品になりますが、そのハントの名は本書にもう1か所登場します。
それが冒頭、第1図版に登場するこの愛らしい天文台です(写真の左下にハ
ントの名が見えます)。
「ワーナー、スウェイジー両氏の個人天文台」。
この小さな塔の上の
小さなドームの中で、ふたりはどんな夢を追ったのか?
巨大なドームにひそむモンスター望遠鏡ももちろん魅力的ですが、この小さな天文台をいつくしみ、写真集の巻頭に据えたワーナーとスウェイジーの心根に私は打たれます。かのハントに設計を依頼したのも、二人がここをそれだけ大切に思ったからでしょう。立派な中年男性をつかまえて可憐というのも妙ですが、その優しい心根はやっぱり可憐だし、優美だと思います。
(この項おわり)
ひとひらのワーナー・アンド・スウェイジー ― 2024年04月20日 06時00分46秒
我が家には大きな天文台も小さな天文台もありませんが、ワーナー社をしのぶ品がひとつだけあります。
それは小さな双眼鏡で、
口径1インチ、倍率は6倍という、これ以上ないぐらい小さな製品です。
どういう光路になっているのか、ちょっと変わったシルエット。
これがワーナー社の製品であることは疑いようがなく、
そこにはクリーブランドのワーナー社の名前と共に、「1902年3月18日パテント取得」の文字が刻まれています。
ワーナー社の可憐な夢のかけらを前にして詠んだのが今日の記事のタイトルで、「ぶらんこ」が超感覚的に春の季語とされているように、「ワーナー・アンド・スウェイジー」も春の季語である…ということにしておきましょう。
自ら付け句してかくなむ。
ひとひらのワーナー・アンド・スウェイジー
月もおぼろに 星もおぼろに
月もおぼろに 星もおぼろに
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