陶片と残欠2020年07月02日 21時02分54秒

前にも書いたかもしれませんが、自分の趣味嗜好の中に「本物嗜好」というのがあります。ふつうは「本物志向」と書くのでしょうけれど、「志向」と書くと、昔の「違いのわかる男」みたいな、何となくいかがわしいスノビズムの臭みが出てしまうので、ここは「嗜好」で良いのです。本物を好ましく思うというのは、単なる好き嫌いの問題で、そう大上段に構えるようなことではありません。

私の場合、本物に重きを置くのは、そこに資料的価値があるという理由が大きいです。
モノは自らの存在を通して、何かをアピールしていると思うのですが、本物がアピールしているのは、正真正銘ホンモノの歴史だ…というところに、有難味があります。実際に資料としてそれを活用するかどうかはさておき(たぶん活用しない方が多いでしょうが)、そうしようと思えば、生の資料になる―。これは本物が持つ絶対的な価値であり、完全な復刻品よりも、不完全な本物が優る点です。(…とはいえ、不完全な本物も無理となれば、復刻品もやむなしです。)

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このことは、「陶片趣味」を想起すれば明らかでしょう。

焼き物マニアの中には、そのかけらである「陶片」を熱心に収集している人がいます。もちろん焼き物の世界では、完品が最も評価されるわけですが、古い時代の焼き物の素材や技法を学ぼうと思えば、その断片でも十分役に立ちます。さらに陶片には陶片独自の美があると主張する人もいて、昔から焼き物趣味の一分科として、「陶片趣味」というのが確立しているらしいのです。

同様に仏教美術の世界でも、仏像の手だけとか、一片の蓮弁とか、古写経のきれっぱしとか、「残欠」を有難がる「残欠趣味」というのがありますが、これも意味合いは同じでしょう。

(陶磁研究家・小山冨士夫の陶片コレクションと天平時代の天部像裾残欠。別冊太陽『101人の古美術』と『やすらぎの仏教美術』より)

天文アンティークの世界で、陶片趣味や残欠趣味を、堂々と標榜している人を自分以外に見たことはありませんが、趣味としては十分成り立ちうることで、同様に滋味があるのではないかと思っています。そして、完品に比べれば、もちろんずっと財布に優しいので、その楽しみ方にも自ずと余裕が生まれるわけです。

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以上、言い訳めいたこと――というよりも、はっきり言い訳ですね――を前置きして、さっそく「陶片」と「残欠」の例を見てみます。

天空をめぐる科学・歴史・芸術の展覧会をふりかえる2020年06月29日 07時05分40秒

昨日の記事で、現在開催中の「大宇宙展―星と人の歴史」に触れました。
このブログと興味関心が大いにかぶる、この種の展覧会はこれまでも度々ありましたが、その歩みを一望のもとに回顧することがなかったので、ここに列挙しておきます。

もちろん、この種の試みは諸外国でも盛んでしょうが、そこまで範囲を広げると手に余るので、取り急ぎ日本限定とします(日本限定といっても、アートシーンは日本だけ孤立して存在しているわけではないので、それらは海外の動向と密接に連動しているはずです)。

以下、ネットでパッと出てきたものをサンプル的に挙げますが、それだけでも結構いろいろなことが見えてきます。テーマの力点が、科学・歴史・芸術のどこに置かれているかも様々ですし、科学といっても「科学史」寄りなのか、それとも最先端のサイエンスなのかでも、違いが生まれます。歴史の対象領域も広くて、世界史があれば、日本史もあり、古代・中世があるかと思えば、ルネサンスあり、近現代あり。さらに芸術に関しも、伝統工芸、古典絵画、現代美術、ポップアートと幅が広いです。それらを組み合わせると、まこと世に展覧会の種は尽きまじ。

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それでは、開催時期の順に挙げていきます。(項目は、タイトル、参考画像、会場、会期、URL、主催者解説の順です。引用文中の太字は引用者)

■日輪と月輪:太陽と月をめぐる美術

(図録表紙)

〇サントリー美術館(東京)
〇1998年9月1日~10月11日
〇関連サイトなし(1990年代以前はネットに情報の蓄積が乏しいです)

 「古来、人間は、太陽と月にさまざまな思いを託してきました。昼と夜、陽と陰など、その組み合わせは、古代から現代まで、この世界を律するものとして崇められてきました。我が国でも、月見の宴や、各地の祭礼など、太陽や月をめぐる風習は多く残されています。

 美術においても、宗教美術をはじめ、水墨画や絵巻、近世の屏風絵など、太陽すなわち日輪と、月の姿である月輪は、古くから芸術家にとって格好の題材となりました。手箱や硯箱などの蒔絵の意匠や、武将が身につけた甲冑武具の前立や軍扇、さらには刀の鐔や女性の身につける櫛かんざしに至るまで、時代や材質形状を問わず、その様相はきわめて多彩です。

 この展覧会は、日月すなわち日輪と月輪が描かれた絵画や、太陽や月をかたどった工芸を一堂に展示し、日月が芸術の世界でどのように表現されてきたかをさぐろうとするものです。思えば、太陽と月は、太古の昔から人間の営為を見守って来ました。この展観によって、日月が芸術の中に占める位置とその意味を、美術作品を通して改めて見直す機会となれば幸いです。」<図録巻頭「ごあいさつ」より>


■天体と宇宙の美学展


〇滋賀県立近代美術館
〇2007年10月6日~11月18日

 「地球上の生命の源である太陽、満天の夜空に輝く星や月、無限に広がる宇宙空間に漂う銀河系。宇宙の神秘と謎はたえず人間の魂を魅了し、人々の想像力をかき立ててきた。古代より星辰の運行は、航海や牧畜、農耕などの日々の労働と生活に密接に結びつき、また惑星と黄道十二宮は、人間の性質や運命に多大な影響を及ぼすと考えられてきた。近代以降、天文学がめざましい発展を遂げ、宇宙に関する知識は飛躍的に拡大深化したが、それでもなお宇宙は人間にとって、無限の謎を秘めた存在であり、今なお人々は夜空を見上げ、星や宇宙に思いを馳せている。

 この展覧会は、近現代美術を中心に、太陽と月、惑星や恒星、銀河などの天体と宇宙を主題にした美術作品を、絵画、水彩、版画、写真、立体作品など、さまざまな分野から155点選び、芸術家が、天体や宇宙をどのように思い描き、作品の中にどのような夢を託してきたのか、天文学からいかなる影響を受けてきたのかなど、人間と天体、人間と宇宙の関わりを美術の中に探る試みであった。」


■七夕の美術―日本近世・近代の美術工芸をみる


〇静岡市美術館
〇2012年6月23日~7月22日【前期】、7月24日~8月19日【後期】

 「「笹の葉さらさら」「短冊」「織姫と彦星」…。七夕伝説は「乞巧奠(きっこうでん)」という、古代中国の魔除けの風習に端を発しています。本展では日本の近世・近代の絵画、工芸などにより、儀礼としての七夕、日本独自のもう一つの七夕・天稚彦(あめわかひこ)物語の絵巻などにより人々の「星に願いを」という思いをお届けします。」


■ミッション[宇宙×芸術]-コスモロジーを超えて


〇東京都現代美術館
〇2014年6月7日~8月31日
 「21世紀最初の10年が過ぎ、私たちをとりまく「宇宙」はますます身近なものになりました。研究開発の進むリアルな宇宙と、アーティストの表現としての内的宇宙は、パラレルワールド=並行世界として急速に拡張/集束しつつあります。本展では、2014年夏の宇宙ブームにあわせて、限りなく私たちの日常に近づく宇宙領域と、アーティストらによる内的宇宙を、個々のコスモロジー=宇宙論を超える多元的宇宙として呈示します。

 日本において戦後すぐに始まったアーティストらの試みは、現代作品(パーティクル=粒子や宇宙線による作品、人工衛星によるサテライトアートなど)として展開を続けています。約10年にわたりJAXAが実施した『人文・社会科学利用パイロットミッション』など、世界的にも先駆的かつ意欲的な活動が試みられてきました。また近年、小惑星探査機「はやぶさ」帰還と同2号機打ち上げ、大規模な博覧会や展示施設のオープン、種子島宇宙芸術祭プレイベントなど、宇宙領域は社会的ブームとして活況を見せています。本展は、アートインスタレーション、人工衛星やロケットの部品(フェアリング)などの宇宙領域資料、宇宙にかかわる文学、マンガやアニメーションなどエンターテインメント領域、参加体験型作品の展示やトーク&イベントを通じて新たな可能性を探り、「拡張/集束する世界をとらえ、描写する」試みです。かつてのような異世界や理想郷としてだけでなく、本当の意味で「日常」となる私たちの「宇宙」について体験し、考えてみましょう。」


■明月記と最新宇宙像


〇京都大学総合博物館 
〇2014年9月3日~10月19日
 「藤原定家の残した日記「明月記」の中には、安倍晴明の子孫の観測した超新星(客星)の記録3件が記載され、20世紀前半の世界の天文学の発展に大きな貢献をしました。
 本特別展では、明月記の中の超新星の記録が、いかにして世界に知られるようになったか、最近明らかになった興味深い歴史と京大の宇宙地球科学者たちとのつながり、さらに関連する最新宇宙研究について解説します。」


■宇宙をみる眼―アートと天文学のコラボレーション


〇志賀高原ロマン美術館(長野県)
〇2015年7月18日~10月12日
 (※コラボした国立天文台野辺山宇宙電波観測所のサイトです)

 「天文学は、宇宙の起源や系外惑星などの研究の急激な進展によって、人間が誰でも思い描く根源的な疑問、すなわち「私たちがなぜここにいるか、私たちがどこからきたか?」といった疑問について、答えることが出来るような時代に入ってきた。この意味で以前にもまして、天文学と芸術とのつながりを模索することは意義があると考えられる。

このような試みの1つとして、「志賀高原ロマン美術館」では、2015年7月18日~10月12日まで、企画展「宇宙を見る眼、アートと天文学のコラボレーション」を開催している。そこでは、「アーティスト・イン・レジデンス in 国立天文台野辺山」の事業としてアーティストが国立天文台野辺山宇宙電波観測所に滞在して得たインスピレーションを反映した全5作品と、長野ゆかりのアーティストによる「宇宙」の作品が展示されている。

この「アーティスト・イン・レジデンス」という活動は、アーティストを地方自治体や研究機関などに数日から数ヶ月招聘し、滞在中の活動を支援する事業であり、本年5月に、国内の天文学研究機関としては初めて、国立天文台野辺山で実施された。これらの作品と共に、現在大活躍中のチリのアルマ電波望遠鏡用の受信機や国立天文台野辺山で実際に使用されていた受信機、東京大学木曽観測所で実際に使用された可視光や赤外線のCCDカメラなどを展示し、人や観測装置による「眼」を通した多様な宇宙像を提示している。

わたくしたちは、このような天文学と芸術にわたる活動自体を新しいアート・天文教育の創造の場ととらえ、冒頭の疑問への答えをさぐれるよう、今後も活動を続けていきたい。」
(改行は引用者)


■宇宙と芸術展


〇森美術館(東京)
〇2016年7月30日~2017年1月9日

 「〔…〕宇宙は古来、人間にとって永遠の関心事であり、また信仰と研究の対象として、世界各地の芸術の中で表現され、多くの物語を生み出してきました。本展では、隕石や化石、ダ・ヴィンチやガリレオ・ガリレイ等の歴史的な天文学資料、曼荼羅や日本最古のSF小説ともいえる「竹取物語」、そして現代アーティストによるインスタレーションや、宇宙開発の最前線に至るまで、古今東西ジャンルを超えた多様な出展物約200点を一挙公開。「人は宇宙をどう見てきたか?」、「宇宙という時空間」、「新しい生命観―宇宙人はいるのか?」、「宇宙旅行と人間の未来」の4つのセクションで構成し、未来に向かっての新たな宇宙観、人間観を提示することを試みます。2016年夏、六本木を宇宙の入り口として「私たちはどこから来てどこへ向かうのか」を探る旅となる本展にご期待ください。」


■天文学と印刷 新たな世界像を求めて


〇印刷博物館(東京)
〇2018年10月20日~2019年1月20日

 「ニコラウス・コペルニクス、ティコ・ブラーエ、ヨハネス・ケプラー、天文学の進展に大きな役割を果たした学者と印刷者の関係を紐解きます。

 天動説から地動説(太陽中心説)への転換が起こるきっかけとなった『天球の回転について』。著者であるコペルニクスの名は知られている一方、本書の印刷者を知る人は少ないのかもしれません。15世紀のヨーロッパに登場した活版および図版印刷は、新たな世界像を再構築していく上で大きな役割を果たしました。学者と印刷者は共同で出版を行うのみならず、学者の中には自ら印刷工房を主宰した人物も存在します。本展では学問の発展に果たした印刷者の活躍を、天文学を中心に紹介します。」


■「星とアート」展―星を忘れない。天空のイメージ―


〇西脇市岡之山美術館(兵庫県)
〇2019年8月4日~12月1日

 「夜空に輝く星の姿は、天空の太陽、月、天の川、さらには雲や山、海原などの地上とからみあう風景的なものと深く関わり、古来から様々なかたちで人々の想像力を刺激してきました。とりわけ夜空に輝く星座のかたちには、神話、物語、伝説の登場人物、聖獣と聖なるものの形象がそこかしこに投影されました。星の姿かたちは、アートの世界に刺激を与え、時代をこえて綿々と語り継ぐ重要な対象となっています。

 本展覧会は、星空を彩るイメージの佇まいに注目し、天空の星を作品のテーマに据えた多彩な作品を一堂に紹介します。幸村真佐男による天体の軌跡の写真をはじめ、日本古来の星座神話の研究で知られる国文学者勝俣隆による星の神話をめぐるドローイングの仕事、星、天使、妖精たちのヴィジョナリーな世界を描く寺門孝之、デリケートな感覚と筆触で月と風景を描く増田妃早子、星空やはるかな宇宙の佇まいと生活風景との予想外の結びつきを取り上げた中山明日香、天体と風景、星と自然とのきずなを深く意識した作品で知られる片山みやびによる多彩な表現を通じて、星とイメージをめぐる人間の想像力とアートの魅力に迫ります。」

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とりあえず資料としてズラズラ並べましたが、ここから何を導くか?

まっ先に思ったことは、こうした「学際的」展覧会が、2000年代以降盛り上がりを見せた(らしい)ことと、2006年にスタートしたこのブログとは、おそらく無縁ではないということです。つまり、時代にひそむ「何か」が、一方で数々の展覧会として形を成し、他方では(規模こそ全く違いますが)私という人間に「天文古玩」というブログを書かしめた…と、想像するのですが、その「何か」が何であるは、これからゆっくり考えます。

当人は「書かされた」意識がまったくないんですが、文化的影響力とはそういうもので、人間の自由意志も、100%何物からも自由ということはありえないですね。

コロナを越えて…東洋文庫「大宇宙展」2020年06月28日 14時38分14秒

依然不安は残りますが、とりあえずコロナ騒動が一段落し、各地で催事が再開されるようになってきました。天文古玩関連でいうと、東京駒込の東洋文庫ミュージアムで、開催延期となっていた「大宇宙展」が、先週の水曜日からようやく始まりました。



「大宇宙展―星と人の歴史」

■会期 2020年6月24日(水)~9月22日(火・祝日)
       火曜休館(火曜日が祝日の場合は開館し、水曜日が休館)
       10:00〜17:00(入館は16:30まで)
■会場 東洋文庫ミュージアム
      〒113-0021 東京都文京区本駒込2-28-21
      (最寄駅)JR・東京メトロ南北線「駒込駅」から徒歩8分
           都営地下鉄三田線「千石駅」から徒歩7分
           MAP→【LINK

 「古来、世界各地で人々は天空の動きから様々な情報を読み取り、暦を作る、運命を占う、旅の道中の標にするなど、日々の暮らしのなかで役立ててきました。 やがて、天空の動きや現象を観察し、その法則などを見出すことは学問として発展していきます。日本へは、6世紀後半から7世紀初頭に、 朝鮮を通じて中国の暦と天文が伝わりました。
 本展では、人々がどのように天空の動きを理解し、宇宙へのあこがれと好奇心を育んでいったのか、古今東西の様々な資料によってその歩みをたどります。」

惹句は「約5000年分の宇宙への旅」と、なかなか豪勢です。
内容の詳細は不明ですが、サイト掲載のチラシの裏面には、

・宋代の石刻星図「淳祐天文図」(1247)拓本
・ペトルス・アピアヌス(1495-1552)の『宇宙誌』1564年版刊本
・オランダのブラウ父子による『ブラウ大地図帳』(1664)掲載のティコ・ブラーエ図
・江戸幕府の浅草天文台を描いた、葛飾北斎の「鳥越の不二」の図

といった顔ぶれが写っていて、この手の展覧会としては、わりとスタンダードな印象です。

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ネット上には、早々と観覧された方のレポートもありました。

■大宇宙展―星と人の歴史(アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】)
東洋文庫は1924年、当時、三菱財閥の当主だった岩崎久彌(1865-1955)の肝入りで創設された東洋学専門の研究図書館。いわば三菱による企業メセナです。

元がそういうアカデミックな図書館ですから、今回の展示も書籍を中心とした、かなり渋めの内容のようです。しかし、コロナで世間が浮動的な今、心を静めて沈思するには、これぞむしろうってつけではないでしょうか。

理科室の棚から…電流計のこと2020年06月27日 07時22分37秒

暑いですね。そして蒸します。
最近、理科室の話題が少なかったですが、ちょっと理科室で涼もうと思います。

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とはいえ、現実の私の部屋はかなり乱雑で、涼しいというよりも、暑苦しく、むさくるしいです。この前も、棚の奥の本を取るために、その前に置かれた物を、せっせとどかしてたんですが、その堆積の中に、古い理科器具が埃をかぶって――あまつさえ蜘蛛の巣までかかって――いるのを再発見し、「おやおや」と思ったのでした。

昔標榜していた「理科室風書斎」は、その後「理科準備室風」になり、さらに「物置風」となって、風趣の点では、だいぶ退化したことを認めないわけにはいきません。寂しいことですが、これも宇宙を貫く真理、「熱力学第二法則」の実例なので、抗うことは難しいです。

ともあれ、そこで再発見したものを採り上げます。

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アンティークな宇宙船のような姿をした電流計。


ガラスドームの中にコイルと磁針が仕組まれ、その両サイドに電線をつなぐ端子が鈍く光っています。そして下部には、島津の紋所に由来する丸に十字の島津製作所のロゴ。

手元に島津製作所が発行した『理化学器械使用法』という冊子があります。小学校の理科授業で使う機器類の操作法を説明した本です。そこに、同じタイプの品が小さく載っていました。この本は明治43年(1910)が初版、手元のは大正5年(1916)の第5版なので、我が家の電流計も、その頃に遡る品かな…と想像しています。

(隣の「白熱電灯」も目を引きます。大正時代には、電球もありふれた存在になっていたでしょうが、そこには依然「科学」の匂いがありました。)

せっかくですから、この電流計の働きについて、当時の人の説明に耳を傾けましょう(原文には句読点が一切ないので、適宜補いました)。

 「電流の為めに磁針が傾く角度の大小によりて電流の強弱を測るものにして、度盛したる円盤の中央にコイルを置き、その中心に小磁針を支へ、之れと直角に指針を取付け、磁針の傾きを円盤状に示さしむ。先づコイルの面を磁針の方向と一致せしめ(指針を目盛の0と一致せしむべし)、コイルに電流を通ずれば、指針の示す目盛によりて電流の強弱を知る事を得べし。此種の電流計を正切電流計といふ。」(上掲書p.72)

「正切」は「正接」と書かれることが多いですが、三角関数でいう「タンジェント」のことです。コイルに電流を流したときの磁針の振れ角を読むと、その角度のタンジェントが電流の強さになる(=電流の強さが磁針の振れ角のタンジェントに比例する)ことを利用した電流計を、「正切(正接)電流計」と呼ぶのだそうです(注)




木、真鍮、ガラスの作り出す小世界。
電流計は、もちろん電流さえ測れれば良いわけですが、そういう機能を越えて、素材の質感やら何やら、「風趣」にこだわるのが理科室趣味というもので、そこに涼やかな感じがあるわけです。

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とはいえ、私が実際に経験した理科室には、こうした風情は薄れていて、私の記憶の中の電流計は、こちらの姿に近いです。

(こちらも同じく島津製)

これも1950年代のものらしく、十分懐かしいは懐かしいです。
そして、デジタル化が著しい現在でも、理科の授業で使う電流計は似たような姿をしていて、ピョコピョコ動く指針をアナログ的に読んでいる(らしい)のは、ちょっとホッとできる気がします。


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(注) この箇所は、永平幸雄・川合葉子(編著)『近代日本と物理実験機器―京都大学所蔵明治・大正期物理実験機器』(京都大学学術出版会、2001)を参照しました。

日本の星座早見盤史に関するメモ(14)…恒星社『新星座早見盤』2020年06月25日 06時27分04秒

さっそく自力で新しい発見があったので、追記します(ちょっとしつこいですね)。

連載第6回「昭和50年頃の早見盤界」に出てきた、恒星社版の星座早見の正体が分かりました。記事中では「南北天両面式」「直径15cm」という説明だけが、かろうじて判明していた品です。

夕べ、古い天体観測入門書を見ていたら、図入りでその説明がありました。


■鈴木敬信・中野繁(著)
  『中学・高校生の天体観測』 (誠文堂新光社、昭和27年/1952)


 「星座早見にも市販のものがいくらかあるが、窓の形の不正確なものがかなりある。楕円形にしたり、あるいはそのほか勝手な曲線にしたりしている。信頼できるものをあげると

(1)日本天文学会編 星座早見(北緯35°用) 三省堂刊
(2)水路部編 星座盤(北緯30°用)
(3)宮本正太郎案 新星座早見(北緯35°用) 恒星社刊

などがある。(1)、(2)はほぼ同じようなものであるが、(2)は日本近海を航海する船が利用するようにつくってあるので、基準緯度が低くなっている(郵船会社その他海図を売っている所にある)。印刷が美しい上に、回転部分がガタつかないように、入念につくってあるので、きわめて使いよい。(3)は小型でポケットにはいる程度である。天の赤道をさかいにして、それより北の空と南の空とが、別々に現れるようになっているので、なれないと使いにくい。

 (1)(2)型の星座早見では、星図が北極中心になっており、南の星ほど図の外側にくるので、南極に近い星座ほど、南北にくらべて東西がのびており、星座の形がいちじるしくずれている。さそり座・いて座など東西にひどくのびて、初心者は実際の空と比較するときに、とまどうほどである。(3)では星図が、天の赤道をさかいして、北極中心のものと、南極中心のものと2枚にわかれているので、(1)(2)に見られるような南天星座の変形はない。この点はひじょうにべんりだ(よくいうことだが、天はニ物を与えたまわぬようだ)。」 (pp.34-5、太字は引用者)


なるほど、「南北天両面式」というのは、南十字星のような南半球の星図と、北半球の星図が両面に描かれているのかな…と思ったら、そういうわけではなくて、あくまでも日本国内から見上げた星空を、北の方角を向いたときと、南の方角を向いたときとで描き分けたものだったのですね。(そうすることで、星座の形と大きさの歪みが小さくなるメリットがあるわけです。)

考案者の宮本正太郎氏(1912-1992)は、京大の花山天文台長もつとめられたプロの天文学者。一般向けの本も多く書かれたので、オールド天文ファンには親しい名前かもしれません。

その宮本氏が1952年、ないしそれ以前の段階で、こういうものを世に問うていたというのは、時期的にも相当早いですし、内容も斬新ですから、日本星座早見盤史にその名を記し、記憶にとどめる価値が十分あります。(ただし、このアイデア自体は、ドイツの古い早見盤に先行例があります。)

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そしてまた、印刷が美しく入念な仕上げが施された、水路部編の『星座盤』というのも、これまた目にしたことはありませんけれど、大いにそそられるものがあります。

こうして探索の旅は、さらに続くのです。

(今度こそ本当に、一応この項おわり。でも追記は随時します)

日本の星座早見盤史に関するメモ(13)…いくつかの訂正、そして探索の旅は続く2020年06月23日 21時02分06秒

「一応おわり」と書いたそばから何ですが、自分の狭い見聞だけに凝り固まっては、やっぱりダメだと気付きました。

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以下は、大阪市立科学館で学芸員をされている嘉数次人(かずつぐと)氏の個人サイトです。これまで拙ブログが何度もお世話になり、星座早見盤のことも確かに目を通していたはずですが、やっぱり自分なりの問題意識を持ってないと、「見れども見えず」の状態になってしまうのでしょう。

■なにわの科学史のページ:星座早見盤の世界

上のリンク先から、「星座早見盤のいろいろ」というページに入ってください。
そこには同科学館が所蔵する、さまざまな星座早見盤が紹介されていますが、今のタイミングで再訪して、愕然とする事実を知りました。今回の連載で書いたことの何点かは、ただちに訂正が必要です。


(1)戦前の製品版早見は、三省堂版以外にもあった。

一連の早見盤の中に、宮森作造編『ポケット星座早見』というのが紹介されています。嘉数氏の解説をそのまま引用させていただきます。

 「1929(昭和4)年発行。厚紙布張り二つ折りの豪華なつくりである。編集は天文同好会(現在の東亜天文学会)の宮森作造。この早見盤は、1929年8月に初版発行の後、同年12月には第4刷が発行されている。当時における早見盤の需要の一端をうかがうことができよう。」

おそらく販売部数では三省堂に及ばないでしょうが、この品が当時、繰り返し版(ないし刷)を重ね、一定の面的普及を見ていたことは確実です。したがって、「三省堂版が唯一」みたいな書き方は、正しくありません。なお、ネット情報によれば、宮森作造氏(1891-1976)は、大阪の熱心なアマチュア天文家の由ですが、『日本アマチュア天文史』(恒星社)に名前が見えず、詳細は不明。


(2)三省堂版『新星座早見』は、1958年(これは前述のとおり1957年が正しいように思います)の初版発行から、1986年の『新星座早見 改訂版』発行までの間に、一度モデルチェンジを経ている。それは1972年のことである。

嘉数氏のページには、そのスリーショットが載っています。
私の今回の連載に登場した早見盤は、その1972年のモデルチェンジ後のものでした。同じく「初版の外袋」というのも紹介しましたけれど、その中身は1972年版とはデザインが幾分異なる品だったのです。何事も早とちりは禁物ですね。


(3)日本の星座早見盤界は想像以上に広く、かつ美しい。

大阪市立科学館の所蔵品を見て、宮森作造氏の『ポケット星座早見』にしろ、佐伯恒夫氏の『星座案内』にしろ、また古風な紙製『星時計』にしろ、日本にこんなにも愛らしく、雅味のある逸品がいくつも存在したとは、本当にうれしい驚きです。これぞ天文古玩道の奥深さです。

当然のごとく、所有欲をはげしくそそられるわけですが、いずれも売り物を目にしたことはないので、どれも相当な稀品でしょう。でも、探すだけの価値は十分あります。

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いや、それにしても斯道深し
この思いを噛みしめるのは、はたして何度目でしょうか。

日本の星座早見盤史に関するメモ(12)…三省堂『ジュニア星座早見』2020年06月22日 20時40分21秒

三省堂の『新星座早見』に、ただの『新星座早見』と、『新星座早見 改訂版があったのと同様、『ジュニア星座早見』にも、ただの『ジュニア星座早見』と、『ジュニア星座早見 改訂版がありました。――ここでも略称を使って、前者を「ジュニア元版(もとはん)」、後者を「ジュニア改訂版」と呼ぶことにしましょう。


ジャケットを並べるとこんな感じ。右上が「ジュニア元版」、左下が「ジュニア改訂版」です。

昨日も貼り付けた、三省堂サイトの在庫ページ↓に出てくる『ジュニア星座早見』は、改訂版の方で、その親に当たる『新星座早見』(こちら改訂版の方です)と同時に、1986年に発行されています。そして、ともに仲良く品切れ中です。


「ジュニア元版」が「新星座早見」の子供であり、「ジュニア改訂版」が同じく「新星座早見 改訂版」の子供であることは、このふた組の親子のジャケットを比べれば、一目瞭然です。裏面を並べれば、これまた下のような感じ。

(ジュニア元版の親子)

(ジュニア改訂版の親子)

ジャケットのデザインも、そこに書かれた文句も、本当によく似た親子です。
しかし、似ているのはジャケットだけで、その中身はまったく違います。

(左:「ジュニア元版」、右「ジュニア改訂版」。円形部分の直径はそれぞれ19.8cm、21cm。まったく同じように見えますが、改訂版の方がちょっぴり大きいです。)

そう、『ジュニア星座早見』は、元版も改訂版も、共に4本角タイプであり、しかも素材は厚紙と、その親とは似ても似つかぬ姿で、むしろ祖父母である「旧版」の形質を色濃く受け継いでいるのです。

(祖父母の肖像)

三省堂版に限りません。
フィリップス社のアンティーク星座早見盤をはじめ、かつて各メーカーが盛んに試みたクラシカルな4本角のフォルムは、こうして極東の地で細々と生き延びて、まさに星座早見界のガラパゴス的様相を呈しているのでした。

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ところで、「ジュニア改訂版」は、1986年生まれとはっきりしているのですが、「ジュニア元版」の方は、本体にもジャケットにも記載がないので、正確なことは不明です。

(「ジュニア」元版・裏面)

(同・拡大)

まあ、手元の品に限定すれば、そのジャケットデザインから、これも1970年代の品と想像されるのですが、途中でジャケットデザインの変更があって、その生年自体はもっと古い可能性が捨てきれません。

この点は、先日コメント欄で、S.Uさんに耳より情報を教えていただきました。
ツイッター上に、関連する画像が投稿されているというのです。

さっそく件のツイート【LINK】を見に行ったら――ツイート主は、倉敷の素敵な書店「蟲文庫」さんです――、そこにはズバリ「1961年」のコピーライト表示がありました。これぞ“元版の元版”に違いありません。親にあたる「新版」が1957年の誕生ですから、ジュニアの方は、それから4年遅れで世に出たことになります。

星座早見盤という存在自体、当初から「教育用品」の色彩を帯びていましたが、ここにはっきりと「子供向け市場」が形成され、それが拡大しつつあったことを物語るエピソードではあります。

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ついでに星図の細部も見ておきます。

(ジュニア元版)

(ジュニア改訂版)

時代の変化は、当然『ジュニア星座早見』にも及んでいます。
元版の左下に見える「インドじん座」は、さすがに古風ですね。画像には写っていませんが、改訂版だとちゃんと「インディアン座」に直っています。

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さて、以上で三省堂と渡辺教具製の星座早見については、その変遷が何となく分かりましたが、他のメーカーの品については依然さっぱりです。でも、今のところ手元に何も材料がないので、連載の方はこれで一区切りつけます。所詮は「メモ」ですから、また判明したことがあれば、のんびり書き継ぐことにします。

(一応この項おわり)

日本の星座早見盤史に関するメモ(11)…三省堂『新星座早見改訂版』(下)2020年06月21日 11時17分26秒

(昨日のつづき)

リーフレットの冒頭には、こんなことが書かれていました。

 「この『新星座早見 改訂版』は、永らくご愛用いただいた『新星座早見』にかわるものとして、企画されたものです。」

ふむふむ。

「我が国における星座早見盤の歴史については必ずしも明らかではありませんが、明治41年版の天文月報に三省堂から星座早見盤の広告が掲載されておりますので、少なくとも80年近い歴史があることがわかります。」

え! …と、読んでいる途中で声が出ました。
三省堂は、言うまでもなく、日本における星座早見盤の最老舗です。
私はこの文章を読むまで、同社には日本天文学会と取り交わしたであろう、昔の権利関係の書類とか、往時の事情をリアルに物語る資料が、当然あるのだと思っていました。でも、当の三省堂自身が、「必ずしも明らかではありません」と言い、昔のことは当時の広告で推測するしかないのであれば、やっぱり資料はほとんど残っていないのでしょう(注)

明治・大正・昭和・平成、そして令和―。
5代の長きに及ぶ三省堂の星座早見盤作りの歴史が、早くも昭和の頃には分からなくなっていたとは、痛恨の極みです。であれば、しかしこの駄文にも多少の意味はあるでしょう。

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さて、「改訂版」の続きです。
改訂版には、昨日書き洩らした工夫が、もう一つ凝らされています。


それが、この「高度方位角図」で、ジャケットの中には、白封筒に入った5枚の方位角図が付属します。これらは、本体に印刷された北緯25度~45度まで5度刻みの地平線の「窓」の大きさ・形に、それぞれ対応しています。


これは、おそらく渡辺教具製「お椀型」のアドバンテージを奪おうという野望の表れでしょうが、実際に「窓」にあてがっても、下の星図は見えません。ではどうするか。
この「高度方位角図」の使い方も、リーフレットに解説がありました。

 「観測地に近い緯度の高度方位角図を選び、上の盤の窓に転写して使います。用心のためにコピーをとっておいてから、使用する高度方位角図を南北の線で2つに切りはなします
〔注:縦に真っ二つに切るのです〕。次に〔…〕窓の下に挿入します。地平線に相当する周囲の線をよく一致させ、窓に高度方位角の線を極細のフェルトペンなどで転写しましょう。」

何だか面倒くさいですね。手先が不器用だと、悲惨なことになるかもしれません。
それに実際に転写してしまうと、他の緯度に移動したとき使いにくくなるので、リーフレットも「観測地があまり変化しない方は利用されるとよいでしょう」と、特に断わりを入れています。若干企画倒れの感なきにしもあらず。

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しかし、三省堂(と日本天文学会)の「野望」はこれで尽きることなく、新たに『世界星座早見』を生み出すことになります。2003年のことです。



盤の直径は27.5cmとさらに大型化し、対応する緯度も25度から50度にまで拡大。さらに、盤の両面に南北の星図を載せて、世界の主要地点のどこでも使えるようにしようという、大変な意欲作です。


高度方位角図も、こんどはシートに印刷済みのものを、回転盤にクリップ(写真の下に白く見えています)で固定するよう、工夫を凝らしています。以上のことから、『世界星座早見』が「改訂版」の延長線上にあって、それを改良したものであることは明らかです。

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では、改訂版はすでに過去の商品なのか?
そして『世界星座早見』こそが、その後継なのか?
この点は、三省堂の出版案内【LINK】を見れば明らかになります。


「改訂版」は、その後どうなったわけでもありません。今も現行の商品です。たしかに「品切れ中」ではありますが、「絶版」になったわけではありません。
明治生まれの旧版の正当な後継者は、今も「改訂版」であり、『世界星座早見』は、そこから派生したスピンオフという位置づけなんだろうと思います。

そして、旧版、新版、改訂版という太い進化の幹から分岐した、もう一つのスピンオフ作品が『ジュニア星座早見』で、この愛すべき品を次に見ておきます。

(この項つづく)


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(注)

「三省堂書店」と出版社の「三省堂」は、今は別の会社ですが、元は当然同じ会社なので、『三省堂書店百年史』は、星座早見盤出版当時のことも扱っています。ただ、『百年史』の目次をこちら【LINK】で読むことができますが、早見盤のことは独立した項目にはなっていないので、一寸した言及ぐらいはあるかもしれませんが、詳細な記述はなさそうです(機会があれば確認してみます)。

また、日本天文学会百年史編纂委員会(編)の『日本の天文学の百年』(恒星社厚生閣、2008)には、「第2章天文の教育と普及」の一節として、星座早見盤のことが1か所だけ出てきます。

 「天文学会が教育、普及を意識して組織されたものであることが、星座早見盤から読み取ることができる。天文学会が設立されたのは1908年1月であるが、早くもその前年の9月に平山信編集、日本天文学会発行と印刷された星座早見盤が出版社を通じて販売されている。この星座早見盤は1958年に大幅に改訂されて「新星座早見」となり、現在は「世界星座早見」、「光る星座早見」として編集、発行され今なお根強い人気を保っている。」(P.251)

学会設立よりも前に星座早見盤が出ていたことは、言われるまで気づかなかったので、「へええ」とういう感じですが、情報量としてはこれだけなので、やはり往時の事情はさっぱりです。なお、「1958年に大幅に改定」というのは、以前書いたように「1957年」が正しいと思います。

日本の星座早見盤史に関するメモ(10)…三省堂『新星座早見改訂版』(上)2020年06月20日 18時13分09秒



「星座早見」星座早見」になり、さらに「新星座早見改訂版の時代へ。(以下、それぞれを「旧版」「新版」「改訂版」と呼ぶことにします。)

(ジャケット裏面。文字情報を確認できるよう、大きな画像にしてあります)

改訂版は発行年が明記されていて、1986年7月が第1刷。年号でいえば昭和61年、まさに昭和の掉尾を飾る早見盤です。(手元のは1998年6月の第17刷ですが、「版」ではなく「刷」ですから、中身は当初のままのはず。)

お値段1200円というのは、「新星座早見」が1970年代(推定)当時1000円だったことを思うと、ずいぶんお安く感じますが、これは物価上昇の鈍化に加え、素材の変化によるところが大きいと思います。


(裏面)

新版は星座盤が金属製でしたが、改訂版はオールプラスチック製。
錆びる心配がなくなったし、持ち運びにも便利ですが、あえていえばペラペラで安っぽい感じです。これも軽薄短小化という時代の流れを受けたものでしょう。ただ、薄くなった分、直径は24cmと、大きさは心持ち大きくなっています。

(改訂版と新版)

カラーリングも、昭和30年代がこだましていた新版とは、ずいぶん印象が異なります。


機能面でいうと、新版が「4等星以下」としていた部分を「4等星」「5等星」に分けて、その分、記載星数が増えたのと、対応緯度が30度までだった新版に対して、改訂版は25度まで対応しています。(そのため南天星座(円周部)がボリュームアップし、それが直径が大きくなった理由の1つでしょう)。

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ところで、ジャケットの中には「ご利用の参考に」という解説リーフレットが同封されているのですが、これを読んで一寸驚いたことがあります。


(この項つづく)

日本の星座早見盤史に関するメモ(9)…三省堂『新星座早見』2020年06月19日 06時35分16秒

連載が長くなったので、以前の記事を振り返る便を考えて、過去にさかのぼって各回に以下のような副題を入れることにしました。

(1)…三省堂に始まるその歴史
(2)…三省堂『星座早見』の進化
(3)…手作り早見盤のこと
(4)…戦後の市場拡大
(5)…渡辺教具「お椀型」通史
(6)…昭和50年頃の早見盤界
(7)…ここまでの整理
(8)…渡辺教具「第3期」細見

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次に取り上げるのは、渡辺教具と並ぶ星座早見盤界の主役、三省堂です。
三省堂版の星座早見については、この連載の第1回第2回でも取り上げました。そこに書いたことをまとめると、三省堂版の初期の歴史は以下のとおりとなっています(以下、画像再掲)。


〇三省堂初期版『星座早見』 明治40(1907)初版発行
 ※手元の品から昭和20年(1945)第77版まで確実に存在


〇三省堂普及版『星座早見』 昭和4年(1929)初版発行 
 ※同じく昭和14年(1939)第63版まで確実に存在


〇三省堂戦後版『星座早見』 昭和26年(1951)初版発行
 ※同じく昭和30年(1955)第5版まで確実に存在

乗りかかった舟ですから、三省堂版のその後をたどることにします。

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上に挙げた3つのバージョンは、その商品名から『星座早見』と総称できます。そして『星座早見』を名乗る製品はこれで打ち止めで、三省堂は次に星座早見』というのを売り出します。昭和32年(1957)のことです。

(『新星座早見』の外袋)

(同裏面(部分))

編者は引き続き日本天文学会。定価は200円。(袋の隅には「地方売価210円」とも書かれています。当時は地方と中央で値段が違ったようです。)

ここで大きな問題は、手元にあるのは画像の外袋だけで、その中身が失われていることです。ただし、袋についた圧痕から、その直径は約23cmと分かります。

ここで話を先回りして述べると、三省堂では昭和61年(1986)に『新星座早見 改訂版というのを出すのですが、それまでは『新星座早見』の時代が長く続き、この間、基本的にデザインの変更はなかったと推測しています。

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ここで『新星座早見』の本体を見てみます。
外袋のデザインから、1970年代に販売されたとおぼしい品です。


外袋のデザインは大きく変わっていますが、本体のサイズは22.8cmで、1957年の初版と同一と判断できます。お値段の方は、物価上昇を反映してジャスト1,000円。

『新星座早見』と旧『星座早見』の最大の違いは、四隅に角のある形状から、単純な円形になったこと、そして星図盤の上に載る回転盤(地平線の窓が開いた盤)が、透明なプラ板になったことです。これらは同時期の他社製品(渡辺教具やヘンミ計算尺)に追随した形です。


渡辺教具の場合は、この透明な窓に地平座標の目盛をネット状に印刷する工夫をしましたが、三省堂の方は北緯30度~45度まで対応できるよう、窓の形状と天文薄明線を、5度間隔でプリントするという工夫をこらしています(さらに地平座標による高度も読み取れるようになっています)。

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ここで外袋の裏側に目を向けます。

(外袋・裏面)

「きらめく星座をたずね神秘の扉を開こう」
「科学技術の発達とともに、宇宙のナゾが次々と解明されていく現代にあっても、夜空にきらめく無数の星座には、まだ私たちをロマンの世界に誘う何かがあるようです。」

上で、この品の発行年を「1970年代」と書きましたが、発行年自体は、本体にも外袋にも記載がありません。しかし、この外袋の文句には、まさに1970年代としか言いようのない「何かがあるようです」

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そして、「新星座早見」の本体デザインが、1957年の初版当時から変わってないんじゃないか…と私が推測する最大の理由も、まさにその文章が発する「匂い」に他なりません。

(本体・裏面。「実用新案登録番号第507216号」の記載あり)

(同・部分)

「夜空にきらめく数々の星座は、私たちの夢を誘い、宇宙摂理の妙音をかなでているかのようです。」

うーむ、「宇宙摂理の妙音」…。
はなはだ感覚的な話ではありますが、この言語感覚には、1970年代よりもさらに古風なものを感じないわけにはいきません。

事の真偽はともかく、とりあえず新資料が発見されるまで、「新星座早見」は昭和32年(1957)から昭和61年(1986)までの約30年間、ほとんど変化することなく発行が続いた…と仮説的に述べて、先を続けることにします。

(この項つづく)