透かし見る空…透過式星図(5)2020年09月27日 07時29分35秒

さて、本題に戻って、最後に登場するのは、Otto MöllingerHimmelsatlas(1851年)です。

メリンガーのこの星図は、資料が至極乏しくて、目ぼしい情報は、2018年にドイツで行われたオークションに登場した…という記事ぐらいです。



その記載を読むと、「石版図版16枚セット。21.5×18.5cm。金文字の表題を記した布製ポートフォリオ入り。ゾロトゥルン/ベルン〔スイス〕刊。1850年ごろ。各図版には美しい彩色星座が描かれ、光にかざすと星に穿たれた小穴が輝く」…といった大意が書かれています。

同じオークションの記録はネット上に複数あって、別の記事によると、気になる落札価格は271ユーロ(約301ドル)。メリンガーがいくら無名の人とはいえ、この珍品にしてこの価格は破格。

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今回、一連の記事を書きながら、メリンガー星図が手元にあることに気がつきました。以前(2012年)入手した正体不明の星図カードがそれです。8年を経て、やっとその正体が分かったわけで、こうしてブログを細々と続けていて良かったです。

と言っても、手元にあるのはわずかに3枚。

(第4図 ペルセウス座とアンドロメダ座)

(同拡大)

(第5図 おひつじ座とうお座)

(第8図 はくちょう座周辺)

(同拡大)

独・仏併記の表記が、いかにもスイスという感じです。
肝心の光に透かしたイメージと、裏面の様子も載せておきます。




元絵は、例によってフォルタン版のフラムスティード星図です。

(フォルタン版を復刻した恒星社版『フラムスチード天球図譜』より)

端的に言って彩色も雑だし、お手本がある割に絵も下手ですが、だからこそ素朴な愛らしさがある…と言えなくもないです。どことなく、スイス民芸調の味わいと言いますか。

四半世紀前のケーニッヒ星図と同様、このメリンガー星図も、学究的な星図とは意味合いを異にした、一種の「おもちゃ絵」として享受されたんではないかなあ…と再度つぶやいて、一連の透過式星図の話題はいったん終わりです。(しかし、昨日の記事にいただいた「パリの暇人」さんのコメントをご覧いただければお分かりのように、透過式星図の世界はまだまだ広く、これで話が尽きるものではありません。)

(この項一応おわり)

透かし見る空…透過式星図(4)2020年09月26日 06時56分51秒

話の順番では、次にOtto MöllingerHimmelsatlas(1851年)を採り上げるところですが、前回の末尾に書いた「或る疑問」をめぐって、ここで1回寄り道をします。

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2つの星図を並べてみます。御覧のとおり表紙デザインは全く同じです。


右側は昨日も登場したブラウン星図で、正確なドイツ語タイトルは、『Himmels-Atlas in transparenten Karten』(透過式カードによる星図アトラス)
左側はフランス語で、『Astronomie Populaire en Tableaux Transparents』(透かし絵による一般天文学)。タイトルは微妙に違いますが、中身は当然ブラウン星図のフランス語版です……というのだったら、なんの問題もありません。しかし事実は違うのです。


左の中身は、なぜか連載第1回に登場した、『レイノルズ天文・地学図譜』のフランス語版。いったい全体、何がどうなっているのか? 

レイノルズの『天文・地学図譜』は、スウェーデン語版やロシア語版まで出ているぐらいですから、フランス語版が存在しても、別に不思議ではありません。しかし、その「衣装」がブラウン星図と同じというのは、いかにも変です。そうであるべき理由がありません。


それと、もう一つ気になるのは、このフランス語版の紙質と印刷が、微妙に粗末なことです。

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以下はまったくの想像で、全然違っているかもしれません。しかし、おぼしきこと言わざるは何とやら、無遠慮に書いてしまいます。

私の想像というのは、要はこれは海賊版じゃないかということです。
そう思うのは、レイノルズのフランス語版が出るなら、当然パリの出版社から出るはずなのに、これがベルギーのブリュッセルで出ているからです。別にブリュッセルを軽んずるつもりはありませんが、ブリュッセルと聞くと、何となく身構えてしまう自分がいます。何といっても、19世紀のブリュッセルは、名にし負う海賊版の本場だったからです。

その辺の事情を論じた文章があるので、引用しておきます。

■岩本和子
 ベルギーにおけるロマン主義運動―想像の「国民文化」形成
 神戸大学国際文化学部紀要11巻(1993年3月)、pp.1-35. 
その「Ⅲ 出版資本主義 海賊版 contre-façon 論争をめぐって」(pp.14-19)という節にはこうあります。

 「19世紀のベルギー、とりわけロマン主義の時代は、「海賊版」の時代でもあった。今日でも我々が19世紀のフランス語の稀覯本カタログを手にすると、しばしばブリュッセルの匿名出版社発行であることに気づく経験をする。

「海賊版」には大きく分けて3通りのやり方があったようである。ひとつには、「最近」パリで出版されたものを無許可でコピーし、ヨーロッパ市場へ売り出すというものである。当時ブリュッセルでの印刷費はパリでの半分だったとも言われる。安価な上、読者の反響がすでにある程度わかっているものだけに、確実に売れる方法である。フランスの有名作家はまず例外なく対象となった。」
(p.14)

これは相当なものですね。
さらには、「ベルギーのこのような節操のない無制限のフランス書籍出版」(p.16)とか、「国を挙げてと言ってもいいほどのベルギーの海賊出版」(p.17)といった烈しい文言も出てきます。(ちなみに海賊版のあとの2つの方法とは、「新聞・雑誌に連載されたものを、フランス本国よりも先に単行本化してしまう」というのと、「フランスで発禁処分になったものを、ベルギーで堂々と印刷発行する」ことを指します。)

――「いや、これはたまたまブリュッセルで出ただけで、やっぱり正規のフランス語版なのだ」という可能性だって、当然あります。もしそうならば、版元の Keslling 書店にお詫びせねばなりません。しかし、その場合も、同社がブラウンのポートフォリオ・デザインを剽窃した疑いは依然残ります(その逆は、よもやありますまい)。

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余談の余談ですが、この怪しいフランス語版は、かつてパリの名店、アラン・ブリウ書店のショーウィンドウを飾っていたことがあります。

(画像再掲。元記事はこちら

私は当時上の写真にあこがれて、日に何度も飽かず凝視していました。仮に海賊版だとしても、「あの」アラン・ブリウ書店の店頭にあったんだから、我が家にあったっていいじゃないか…というのは妙な理屈ですが、モノとの付き合いを長く続けていると、いろいろなところに思わぬ結び目ができるものです。

(この項つづく)

透かし見る空…透過式星図(3)2020年09月25日 06時42分02秒

さて、次に登場するのは、Friedrich Braun 『Himmels-Atlas in transparenten Karten』 (1850年)です。

ブラウンのこの透過式星図は、連載第1回に登場した、レイノルズの星図と並んで有名なので、ご存知の方も多いでしょう。日本のアンティークショップでも、折々売られているのを目にします。しかし、有名なわりに、ブラウンその人の背景については、今のところよく分かりません。これは今後の宿題です。


全体は、濃い緑のポートフォリオに包まれています。


内容は、28.5×22.8cmの星座カードが30枚、さらに、それよりちょっと大きいカードを4枚つなぎ合わせた約60×50cmの天球図(四つ折りになっています)が付属し、図版としては計31図から成ります。

全図版の詳細は、以下のページ(※)で見ることができます。

Himmels-Atlas in transparenten Karten by Friedrich Braun in 1850
  http://www.atlascoelestis.com/Braun%20pagina%20base.htm

(※)余談ですが、ページ・デザインからお分かりのように、上のページは前回も参照した、イタリアのフェリーチェ・ストッパ(Felice Stoppa)氏ATLAS COELESTIS のコンテンツです。星図について調べごとをしていると、しょっちゅう行き当たるサイトで、情報量もすごいし、その星図愛に圧倒されます(ストッパ氏は、ミラノ在住の天文学史研究者で、教育図書の編集発行が本業だと聞きました)。

上のような立派なサイトがあるので、屋上屋を架すこともないのですが、人の褌を借りてばかりではいけないので、自前の画像を載せておきます。


試みに、上の2枚(おおいぬ座とおうし座)を光にかざすと、どう見えるか?



ブラウン星図の特徴は、裏に貼った薄紙が彩色されていて、星が黄色く輝くこと、そして何といっても、星だけでなく、星座絵もピンホールによるドットラインで表現されていることです。後者の点は、工夫としては面白く、現代のプラネタリウムの映像を思い起こさせます。しかし当たり前の話ですが、現実の空に星座絵はありませんから、「リアルな星空のシミュレーション」という意味では、これは良し悪しです。その後、模倣者が出なかったのも、手間がかかるわりに効果が今一つだったからではないでしょうか。

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こちらは、天の北極を中心に-40°までを描いた天球図。


光にかざすと、こんな感じです(薄っすら見える横じまは、背後のブラインド)。


よく見ると、星は裏から多様な彩色が施してあり、星座絵カードのように黄色一色ではありません。ただし、現実の星の色を塗り分けてあるわけではなくて――そうだったら良かったのですが――単に星座を区別しやすくするための工夫として、同じ星座に属する星は、すべて同じ色で塗られています。

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ところで、上で参照したストッパ氏のページには、ブラウン星図を包むポートフォリオとして、天球をかつぐ巨人アトラスの姿をデザインしたものが掲載されています。この「アトラス像版」は、私の手元にもあります。


ただし、「アトラス像版」の中身は、天球図のみで、30枚の星座絵カードは入っていません。こちらは最初から天球図単体で販売することを目的とした商品のようです。(そのことはポートフォリオの「まち」幅から明瞭です。この薄さに30枚のカードをはさむことはできないでしょう。)

ストッパ氏のページは、別ページで普通の濃緑色のポートフォリオも紹介しているので、これは見場を考えて載せてあるのだと思いますが、この「アトラス像版」を見ていると、或る疑問がむくむくと湧いてくるのです。

(この項つづく)

透かし見る空…透過式星図(2)2020年09月24日 06時50分58秒

さて、前回挙げたリドパス氏の記述に沿って、透過式星図の例を発行年代順に見ていきます。まず登場するのは、Franz Niklaus König 『Atlas céleste』(1826)
最初にお断りしておくと、この星図はオリジナル資料が手元にありません。以下、ネット情報を切り貼りして、概要だけ整理しておきます。

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フランツ・ニクラウス・ケーニッヒの名前で検索すると、すぐに一人の人物がヒットします。私は知りませんでしたが、日本語版ウィキペディアにも出てくるので、それなりに有名な人なのでしょう。

 「フランツ・ニクラウス・ケーニッヒ(Franz Niklaus König、1765年4月6日-1832年3月27日)は、スイスのベルン出身の肖像画・風俗画家。
 ティベリウス、マークォート・ヴォッヒャー、ジークムント・フロイデンバーガー、バルタザール・アントン・ドゥンカーらとともに研鑽し、伝統衣装や田舎の風俗、風景を描いて名を上げていった。」

…とあって、何せこんな↓絵を描く人ですから、これはさすがに同名異人だろうと思いました。

(ウィキペディアの当該ページより)

でも、その先を読んでいくと、やっぱりご当人だったのです。
天文学とは無縁のケーニッヒが、星図帳を編むきっかけとなったキーワードは「透かし絵(独 Transparentgemälde/英 transparent paintings)」です。

上の記事は、ケーニッヒの透かし絵について、「ゲーテの時代ポータル」という、ドイツのまとめサイトにリンクを張っています。その内容をかいつまんで適当訳すると、

 「ランプシェードに絵を描いているうちに、ケーニッヒはあるアイデアを思い付いた。より大きな紙面に水彩で絵を描き、それを枠に張って、背後から光で照らしたらどうだろう?透かし絵は、月明りや日の出どきに眺めてもいいし、背後を灯火で照らす「からくり絵」にも向く。彼の透かし絵は大評判となり、ケーニッヒは1815年、ベルンに「透かし絵の部屋」をオープンするとともに、スイス、ドイツ、フランスの各地で興行を行った。そして、ワイマールではゲーテもそれを目にして、大いに興味を持ち、それについて文章を発表した。」

…という次第で、日本でいえば一種の灯籠絵なのでしょうが、この工夫がヨーロッパの人に大いに受けたようです。

ここに星図の話は出てきませんが、ウィキペディアの記事は「1826年刊のケーニッヒによる星図」にリンクが張られていて(以下のベルン大学図書館の地図コレクションを紹介するページです)、問題の作品がケーニッヒの手になるものであることは確かです。



そこには星座図26枚+南北天球図各1枚、計28枚の図版が載っており、いずれも黒地に白く星座絵が描かれています。でも、これだと画像が小さくて、どこがどのように透かし絵になっているのか、よく分かりません。さらに探してみると、下のページにより詳細な情報が載っていました。


 
その解説によると、ケーニッヒ星図は、上述のとおり全28枚。カードの大きさは27.6 ×21.8 cmで石版刷り。カードの周囲は、同じく石版で文字を入れた紙テープで巻かれています。説明文はフランス語。ちなみに、星座絵のデザインは、フラムスティード星図(フォルタン版)に倣って、それを黒白反転させたものです。

この星図、一見ただの黒白星図に見えますが、どこが透過式かというと、星の所にやっぱり小穴が開いていて、光にかざすと星が光るようになっているのです。しかも、単純に穴を開けただけではなく、裏面から白い薄紙を貼ってあるのが、ケーニッヒなりの工夫です。そうすることによって、星の輝きが面的になり、穴の大きさによる等級表現が、より適切に行えると気づいたのでしょう。(この工夫は、後続の透過式星図にも受け継がれました。例外は、『ウラニアの鏡』で、同図は薄紙が貼られてないため、ろうそくのような点光源だと、かざす位置・角度によって、星の明るさが大きく変化してしまいます。これは『ウラニアの鏡』の欠点です。)

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透過式星図は、専門の天文学者でも、その周辺の人でもなく、一人の職業絵師・兼・透かし絵の興行者によって編み出された…という事実は、それが一種の「視覚的玩具」として同時代人に受容されたという、前回述べた仮説を補強するものだと思います。

(この項つづく)

透かし見る空…透過式星図(1)2020年09月23日 06時48分40秒

しばらく前に『ウラニアの鏡』――すなわち、小穴を透かして星座の形を楽しむカードセットの話題を取り上げました。

■ウラニアの鏡

あのとき十分書けずにスルーしてしまったことがあります。
他でもない、この「透過式星図」という形態そのものについてです。上の記事では、ウィキペディアの「ウラニアの鏡」の項を参照しましたが、実はそこにはこういう注目すべき記述がありました。

 「イギリスの科学史家イアン・リドパス〔…〕によれば、こうした仕掛けをもった星図集は他に Franz Niklaus König Atlas céleste (1826年)Friedrich BraunHimmels-Atlas in transparenten Karten (1850年)Otto MöllingerHimmelsatlas (1851年)の3つがあるが、これらには「『ウラニアの鏡』のような芸術性が欠けている」と述べている。」

ウィキペディアは、イアン・リドパス氏の解説ページにリンクを張っており、そこには確かに同旨の記述があります。

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私が透過式星図に興味を覚えるのは、それが星図史における「色物」以上の存在だと思うからです。

たしかに、透過式星図は、第一義としては天文学の基礎を学ぶためのツールであり、それを効果的なものとする工夫として、ああいう形式は編み出されたのでしょう。

しかし、れが同時代人の心を捉えたのは、それが「教具」である以前に、一種の「視覚玩具」として受容されたからだと思います。つまり、一見普通の星図が、一瞬で輝く星空に変わるという驚きは、ステレオ写真や幻灯、パノラマ、キネオラマといった、同時代に流行った視覚的娯楽と同質のものであり、透過式星図は、「19世紀視覚文化史」の文脈で捉え返して、はじめてその姿が見えてくる…というのが私見です。(さらに一歩踏み込むと、「見る」ことへのオブセッションこそ、当時の天文趣味隆盛の要因なのでしょう。)

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さて、前口上はこれぐらいにして、リドパス氏が挙げた3種の星図を順々に見てみたいのですが、透過式星図といえば、以下の星図も絶対に外せないので、まずそちらを一瞥しておきます。

■James Reynolds(著)
 『Reynolds' Series of Astronomical and Geographical Diagrams』
 (レイノルズ天文・地学図譜)
 James Reynolds(London)、1850頃

(右下にちらりと見えているのは、英語原版を元にしたスウェーデン語版)

この本ははるか昔(2006年)に登場済みです【LINK】。が、話の流れとして、新たに写真を撮り下ろして再登場させます。

この本の書誌や、レイノルズその人について、依然はっきりしない点もあるんですが、彼は「絵解きもの」を得意とした人らしく、1840年代後半から1860年代前半にかけて、各種の科学図解やロンドン市街地図など、ヴィジュアルな出版物を続けざまに出しています。まさに「視覚文化」の潮流に乗った人。本書は彼の代表作で、出版後すぐに各国語版が出ました。12枚セットがオリジナルですが、版によって図版数は異同があります。


天の川の横切る天球図を光にかざせば…


一転して星空へと変化します。

この「透過式天球図」という趣向は、後で見るように、ドイツのフリードリッヒ・ブラウンも1850年に試みていますが、どちらかが模倣したのか、それとも相互独立に考案したのか、年代の先後が微妙なので、今のところ真相は不明です。ただ、レイノルズはなかなか創意に富んだ人で、星図のみならず惑星や月の姿も透過図版化しているのは、ブラウンに見られない工夫です。





これらの画題や構図は、当時流行した天文をテーマとした幻灯講演会の演目ともかぶります。本書は、「特別な装置の要らない幻燈会」として、家庭の夕べを楽しいひとときにしたことでしょう。

(この項つづく)

こちらウラヌス2020年09月22日 06時37分50秒

4連休なので、部屋の掃除をしていました。


いつもの雑然とした光景。
あまりにも見慣れ過ぎて、最近は機械的にホコリを払うだけの日が続いていました。


しかし何せ4連休ですから、いつもよりのんびりホコリを払っていて、気が付いたのです。


あ、光っている!

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この小さな科学衛星「ウラヌス」が我が家に到達したのは、10年前のことです。


■翔べ!ウラヌス

彼はそれから休むことなくミッション――緑色光によるメッセージの送信――をこなし、それは今も続いていたのです。

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同じ年に打ち上げられた人工天体の仲間に、「あかつき」があります。
彼は2010年5月に種子島を飛び立ち、金星に向かいましたが、途中でメインエンジンの故障という決定的なトラブルに見舞われました。しかし、先輩「はやぶさ」のように、人々の智慧と才覚によって、みごと金星周回軌道に乗り、観測ミッションを成功させ、そして今もデータの収集を続けています。実に鮮やかです。

徐々に酸化被膜で覆われつつある、我らが「ウラヌス」の奮闘も、「あかつき」に決して劣るものではありません。にもかかわらず、そのことを忘れ、貴重な信号を受信し損ねていた私の責任は重大です。遅ればせながら、これからは緑色光のチェックを怠らないので、「ウラヌス」よ、どうか最後の日まで共にあらんことを。

庚申信仰2020年09月21日 07時16分17秒

(今日は2連投です。前の記事のつづき)

その干支のひとつに「庚申(こうしん/かのえさる)」があります。
西暦でいうと、直近は1980年で、次は2040年。

ただし、干支というのは「年」を指すだけでなく、「日」を指すのにも使います。だから旧暦を載せたカレンダーを見ると、今日、9月21日は「丁卯」で、明日は「戊申」、あさっては「己巳」だ…というようなことが書かれています。

そういうわけで、庚申の日も60日にいっぺん回ってきます。近いところだと先週の月曜、9月14日が庚申の日でした。次は11月13日です。庚申塚とか、庚申講とか、いわゆる「庚申信仰」というのは、この庚申の日に関わるものです。

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庚申信仰について、ウィキペディアばかりでは味気ないので、紙の本から引用します。

 「〔…〕庚申(かのえさる)にあたる日には、特殊な禁忌や行事が伝えられている。とくに庚申の日に、眠らないで夜をあかすという習俗は、もともと道教の説からおこったものである。人の体に潜む三尸(さんし)という虫が、庚申の日ごとに天にのぼり、その人の罪を天帝に告げるという。そこで、その夜には、守庚申といって、眠らないで身を慎むのである。

〔…〕庚申待ちの礼拝の対象は、一般に庚申様と呼ばれている。しかし、もともと庚申の夜には、特定の神仏を拝んだわけではなかった。初期の庚申塔には、山王二十一社や阿弥陀三尊などがあらわれ、江戸時代になって、青面金剛(しょうめんこんごう)が有力になってくる。さらに神道家の説によって、庚申が猿田彦に付会され、道祖神の信仰にも接近した。

〔…〕庚申信仰の中核となるのは、それらの礼拝の対象とかかわりなく、夜こもりの慎みであったと考えられる。そのような夜こもりは、日待ちや月待ちと共通する地盤でおこなわれていたといえよう。」
 (大間知篤三・他(編)、『民俗の事典』、岩崎美術社、1972)

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引用文中に出てくる「青面金剛」の像を描いた掛け軸が手元にあります。(元は文字通り掛け軸でしたが、表装が傷んでいたので、切断して額に入れました。)


憤怒相の青面金剛を中心に、日月、二童子、三猿、それに二鶏を配置しています。
庚申の晩は、これを座敷に掛けて、近隣の者がその前で夜通し過ごしたのでしょう。といって、別に難行苦行というわけではなくて、ちょっとしたご馳走を前に、四方山の噂をしたり、村政に関わる意見を交わしたり、村人にとっては楽しみ半分の行事だったと思います。


線は木版墨摺り、それを手彩色で仕上げた量産型で、おそらく江戸後期のもの。
改めて庚申信仰を振り返ってみると、

○それが暦のシステムと結びついた行事であること、
○道教的宇宙観をベースに、人間と天界の交流を背景にしていること、
○日待ち・月待ちの習俗と混交して、日月信仰と一体化していること、
○夜を徹して営まれる祭りであること

…等々の点から、これを天文民俗に位置づけることは十分可能です。まあ、この品を「天文アンティーク」と呼べるかどうかは微妙ですが、このブログで紹介する意味は、十分にあります。

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ところで、手元の品を見て、ひとつ面白いことに気づきました。


この掛け軸は、絵そのもの(いわゆる本紙)は、割と保存状態が良かったのですが、一か所だけ、三猿の部分が著しく傷んでいます。特に「言わざる」の口、「聞かざる」の耳、そして「見ざる」に至っては顔全体が激しく摩耗しています。

おそらくこれを飾った村では、見てはいけないものを見た人、聞いてはいけないことを聞いた人、言ってはいけないことを言った人は、庚申の晩に、対応する三猿の顔を撫でて、己の非を悔いる風習があったのではないでしょうか。そうした例はすでに報告されているかもしれませんが、私は未見なので、ここに記しておきます。

(上の想像が当たっているなら、その摩耗の程度は、当時の「三悪」の相対頻度を示すことになります。昔は見ちゃいけないものが、やたら多かったのでしょう。)

10×12=602020年09月21日 06時51分16秒

突然ですが、あれ?と思ったことがあります。
先日、コメント欄で「天文民俗」というワードが出て、それについていろいろ考えていたときのことです。

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暦の「えと」ってありますよね。
例えば、今年の「えと」はネズミ(子)だし、来年はウシ(丑)です。順番に並べれば、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二個。いわゆる「十二支」というやつです。

でも、「えと」は漢字で「干支」と書くように、正式にはこれら「十二支」と「十干」の組み合わせから成ります。十干の方は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十個あって、両者を組み合わせた「甲子(コウシ/きのえね)」とか「乙丑(イッチュウ/きのとうし)」とかが正式な干支です。そういう意味でいうと、今年は「庚子(コウシ/かのえね)」の年で、来年は「辛丑(シンチュウ/かのとうし)」の年です。


正式な干支は、全部で60種類あって、60歳の誕生日を迎えると――より正確には、数えで61歳になると――生年と同じ干支に戻るので、「還暦」のお祝いをするのだ…というのは、ご承知のとおりです。

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あれ?と思ったのは、十干と十二支を組み合わせたら、全部で120個の干支ができるはずだと一瞬思ったからです。実際には半分の60個しかないのは何故? 残りの60個はどこに消えたのか?

少し考えれば当たり前で、これは別に謎でも何でもありません。
十干と十二支を、順番に一つずつずらしながら組み合わせるとき、できるペアには或る制限があります。すなわち、十干より十二支の方が2個多いため、十干が一巡するたびに、ペアを組む相手の十二支は2個ずれる(=1つ飛ばしでペアを組む)ことになり、それが6巡すると元に戻って、その先はエンドレスだからです。

結果として、「甲、丙、戊、庚、壬」「子、寅、辰、午、申、戌」としかペアにならないし、「乙、丁、己、辛、癸」「丑、卯、巳、未、酉、亥」としかペアになりません。
全体の半分は永遠に結ばれぬペアだ――これが「消えた60個」の正体です。

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…というのは長すぎる前置きで、以下本題につづきます。

(年寄りは話がくどい、というのは事実です。いやだなあ…と思いますが、しょうがないですね。何せ事実なんですから。私は事実を尊びます。)

1912年、英国の夜空を眺める(後編)2020年09月20日 07時33分44秒

(昨日のつづき)


こちらは1912年2月1日、午後10時の南の空。
ロンドンのシンボル、ビッグベンの脇にかかるウエストミンスター橋から見た光景です。この橋は東西にかかっているので、(街の明かりさえなければ)真北と真南の空を見上げるには、恰好のポイントです。


この本が、わざわざ「1912年用」と断っている理由がこれです。
この星図は恒星以外に、月や五大惑星の位置を計算して印刷してあるのがミソ。

周知のように、月や惑星は星座の間を常に動いているので、通常の星図には載っていません(というか、載せようがありません)。でも、著者ブレイキーは、1912年の毎月1日に限定することで、強引にそれを載せています。本書は天文の知識がまったくない人でも、空を気楽に見上げてもらえるよう作った…と、解説ページの冒頭に書かれているので、これもそのための工夫でしょう。

(9月の星図の対向ページ(部分))

星図の隣頁を見れば、毎日の月の位置や、8日ごと(毎月1、9、17、25日)の惑星の位置がくわしく載っているので、上級者はそれを参照すればよいわけです。(要するに、この本は天文年鑑と星図帳を兼ねたものです。)


ここで、もう一度9月1日の空に戻って、角度を変えて撮ってみます。
この角度で見ると分かるように、正面から撮ると黒っぽく見える星々は、実際はすべて金色のインクで刷られています。

金の星と青い夜空の美しいコントラスト。
テムズ川に映る星明りと、地上の夜景に漂う詩情。
青い空にぽっかりと浮かぶ白い惑星の愛らしさ。
石版刷りのざらりとした懐かしい質感。

本当に美しく、愛らしい本だと思います。

   ★

ここで改めて著者・ブレイキーについて述べておきます。彼の名前は、英語版Wikipeia【LINK】に項目立てされていました。

(Walter Biggar Blaikie、1847–1928)

それによると、ブレイキーはスコットランドの土木技師、出版者、歴史家、天文家であり、さらにエディンバラ王立協会会員、名誉副知事、名誉法学博士の肩書を持つ人です。いろいろ列記されていますが、ざっくり言うと、エンジニアとして世に出て、長く出版人として活躍した人。したがって、天文学は余技に近いようです。でも、だからこそ初学者向けの親しみやすい本となるよう、出版人の感覚も生かして、本書を企画したのでしょう。

   ★

余談ながら、ブレイキーの個人的感懐がにじんでいると思ったのが、タイトルページに引用された下の詩句です。


「Media inter proelia semper stellarum caelique plagis superisque vacavi.」

これは紀元1世紀のローマの詩人・ルカヌスの作品の一節で、ロウブ古典文庫の英訳を参照すると、「戦争のさなかにあっても、私は常に我々の頭上に広がる世界のことを、そして星々と天上に係る事どもを学ぶ時間を見つけた。」という意味だそうです。

ブレイキーは、自身の個人的劇務を念頭に置いて、これを引用したと想像しますが、2年後には第一次世界大戦が勃発し、この詩句にさらに実感がこもったことでしょう。

1912年といえば、日本では明治から大正に改元(7月)した節目の年です。この頃から世界は新しい局面へと突入し、人類は恐るべき大量殺戮の技術とともに、遥かな宇宙を見通す圧倒的な力を手に入れたのでした。

それを思うと、ブレイキーのこの本は、夜空のベル・エポックの残照のようにも感じられます。


【おまけ】 こちらの方がきらきらした感じに撮れたので、全体のイメージを伝えるために載せておきます。12月1日の北の空です。


1912年、英国の夜空を眺める(前編)2020年09月19日 17時18分33秒

彼岸の入りを迎え、秋が秋らしくなってきました。今日から4連休。
ばたばたする中でも、ホッと一息つけます。

   ★

昔、鹿島茂さんの古書エッセイに、カタログを見て注文した本の3割が「当たり」なら、野球でいう3割バッターで、古書マニアとしては一流だ…という趣旨のことが書かれていました。たしかに文字情報と、あってもせいぜい1~2枚の写真が添えてあるだけのカタログ記載を見て、真に良い本を見つけるのは至難の業です。この辺は、オンライン注文が普通になった現在でもあまり変わらず、「思ったよりもさらにいい本だった」という嬉しい経験の一方で、現物が届いたらガッカリということも少なくありません。

そういう意味でいうと、私はこのところ打率がいいです。
おそらくそこには古書市場の縮小に伴って、品物がだぶついているという事情もあるので、手放しで喜べない部分もありますが、投資目的ではない、真に本好きの人にとって、これは悪いことではないです。(でも「真に本好きの人」の家族が、同じく本好きならいいですが、そうでない場合はやっぱり喜べないでしょうね。)

   ★

記事に登場しないだけで、最近も天文古書は買い続けています。
そして、「へえ、まだまだ世の中には美しく愛らしい本が多いなあ」と、驚くこともしばしばです。そんな最近の買い物から。



■Walter Biggar Blaikie(著)
 『Monthly Star Maps for the Year 1912』
 The Scottish Provident Institution (Edinburgh)、1912.
 27.5×21.5cm、表題を除き本文28p.

表紙は空色の薄布を張ったボール紙製で、非常にシンプルな造りです。

(1912年9月1日午後10時の星空)

内容は、こういう北の空と南の空がセットになった月ごとの星図と、当月の天体に関するデータが見開きになっていて、


途中に全天星図が挿入されています。

(次回、さらに本の細部を見てみます。この項つづく)