往くが如し2017年01月17日 06時51分43秒

毎度のことながら、生きていくためには雑務の突沸にも耐えねばならず、なかなか記事をノンビリ書くことができません。ブログの方はしばし開店休業です。
まことに人の一生は、重き荷を負うて遠き道を…

雪の絵本2017年01月14日 12時10分27秒

夕べは空を一面雲が流れ、星はろくに見えませんでした。
でも雲を透かして、一つだけ星がやけに明るく輝いていました。
東方最大離角を過ぎたばかりの金星です。

ふだんは瞬かない金星がちらちらするのを見て、「これは来るぞ…」と思ったら、やはり夜半からしきりに白いものが降り始めました。

今日は一日雪。
こういう日には、どうしても読みたい本があります。


児童文学者・神沢利子さん(1924~)の筆になる、雪にちなんだ美しい文集、雪の絵本』(昭和46、三笠書房

(目次の一部)


「雪うさぎ」の一節。
子供が雪でこしらえる、あの雪うさぎではなく、冬になると白毛に替わる野うさぎの生態についてのエッセイ。

雪明かりに照らされた紙の色。
江戸時代の『雪華図説』からとった雪の絵が文章を彩ります。


清少納言と「香炉峰の雪」のエピソード。

日本の古典、おとぎ話、近代の詩人の作品などを引きながら、文章は静かに綴られていきます。そしてまた、自身のあふれるような思い出も。

南樺太のそのまた外れの村で過ごした、少女時代の明るく楽しい雪遊びの思い出(著者のお父さんは、炭鉱会社の事務員として、一家を連れてこの辺境の地に赴任していました)。その後、東京から信州へと移り住んだ、戦時下の青春時代の哀切な記憶。

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窓の外にも、本の中でも、雪はまだ降り続いています。

理科室少年の面差し2017年01月12日 21時14分31秒

前回登場した「理科室少年」という言葉。
この言葉は、いろいろな思いを誘いますが、彼はきっと下のような面持で教場に座っているに違いありません。


彼は普段は「ふーん」と、先生の話を聞いています。
彼は実に頭の回転が速いので、「ふーん」レベルでも、そこそこ理解できてしまうのですが、彼が本領を発揮するのは、何か心の琴線に触れる話題に出会ったときです。


そのときの彼は、まさに全身を耳にして先生の話に集中する…ということはおそらくなくて、むしろ「ふーん」レベルよりも、外界への注意力は低下するはずです。


新たな観念との出会いに興奮した彼の耳に、もはや先生の話は断片的にしか入って来ず、彼の思考は急速に内界へと沈潜し、忙しく自問自答を繰り返しながら、その新たな真理に瞳を凝らす…というような仕儀と相成るのです。

その顔は一見無表情のように見えて、目には何か不思議な光を宿しているはずです。


そんな彼らが大きくなると、その一部はこんな理科の先生になって、また次代の理科室少年を育むわけです。

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この絵葉書、キャプションがないので、具体的なことは不明ですが、おそらく時は1920年代、所はイギリスの寄宿制学校に設けられた物理実験室の光景じゃないでしょうか。


右手前に写っている筒先は、物質のスペクトルを観測する分光器のように見えます。
とすると、この少年たちはかなり高度なことを学んでいることになりますが、彼らはそれを「ふーん」で済ますのか、それとも目に不思議な光を宿すのか…?

理科室少年の部屋2017年01月10日 22時59分23秒

仮想現実がいくら進化しても、自らが身を置くリアルな物理環境を、思いのままに作り上げたいと願うのは、人間として自然な感情でしょう。

そういうわけで、昔も今もインテリアに凝る人は少なくありませんし、私も素敵な部屋の写真を眺めるのは結構好きです。まあ、見ても自室が整うわけではないのですが、彼我の懸隔が大きいところにこそ、憧れも生まれるのでしょう。

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別件で画像検索していたら、「RoomClip」(http://roomclip.jp/)という、インテリア好きの人たちが写真を共有するサイトに行き会いました。そして、そこで「理科室少年のインテリア実例」とタグ付けされた写真が並んでいるのを発見し、「あ、これはいいな」と思いました。


理科室少年のインテリア実例 http://roomclip.jp/tag/415076

驚いたのは、これが全てR-TYPEさんという、ただお一人の方が投稿されたものであることです。R-TYPEさんは、さまざまなアンティークや標本を蒐集され、それを魅力的にディスプレイして、博物館的なお宅を目指されているという、僭越ながらまことに共感できる趣味嗜好の方です。

もちろん、R-TYPEさんと私とでは、「快と感じる散らかり具合」や、色彩感覚も多少異なるので(私はどちらかといえば混沌とした空間を好みますし、いく分暗い感じの方が落ち着きます)、R-TYPEさんのお部屋をダイレクトに目指すことにはならないのですが、それでもこういう方の存在を知って、とても心強く思いました。

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最近は、以前ほど「理科室風書斎」の話題を語っていませんが、久方ぶりにそっち方面の話題も出してみようかな…と思いました。

冬の幽霊2017年01月09日 15時44分43秒

強い風がコツコツと窓を叩く晩。
雪の降り積もった丘を越え、白い衣に身を包んだ「彼ら」は無言でやってくる。
西洋の、それも北の国のお化けは、夏よりも冬が似合うような気がします。

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こんな本を手にしました。


(タイトルページ)

International Geodedic and Geophysical Union
 『Photographic Atlas of Auroral Forms』
  A.W. Brøggers Boktrykkeri(Oslo)、1951

「国際測地学及び地球物理学連合」が、オスロの出版社から刊行した『オーロラの形態写真アトラス』という、22ページの薄手の本です。判型はほぼA4サイズ。

この「国際測地学及び地球物理学連合」という学術組織は、1930年に英語名を「International Union of Geodesy and Geophysics」と改称していますが、依然旧称のままなのは、本書が1930年に出た本の再版だからです。

序文を見ると、同連合の地磁気・地球電気部門(the Section of Terrestrial Magnetism and Electricity)が、1927年にプラハで会合を開き、オーロラの眼視観測の標準化を図るとともに、オーロラの形態に関する写真図鑑を編纂することを決め、ノルウェーのStørmer教授をリーダーに、カナダ、デンマーク、フィンランド、イギリス、スウェーデン、アメリカの研究者から成る委員会を結成し、その成果としてまとめられたのが本書だそうです。


例えば、「HB」と「PA」に分類されるオーロラのページ。
見開きの左側が解説、薄紙をはさんで右側が図版になっています。


こちらが写真図版。


頁を傾けると、そのツルツルした質感が分かりますが、この図版は6枚の写真を1枚の印画紙に焼付けた「紙焼き」で出来ています。当時のオフセット印刷では、オーロラの微妙な明暗を表現できないため、このような手間のかかる方法を採ったのだと思いますが、これは少部数の学術出版物だからこそ出来たことでしょう。本書にはこうした図版が8ページ、都合48枚のオーロラ写真が収録されています。

なお、HBとは「Homogenous bands」の略で、均質な帯がときにまっすぐ、ときに曲がりくねって見られるもの。図版でいうと、上の4枚がそれに当たります。いっぽうPAとは「Pulsating arcs」の略で、弧状に天にかかったオーロラの一部が、数秒ごとに輝いたり薄れたり脈動するもので、いちばん左下のオーロラがそれです。(右下のボーっとした1枚は、「DS(Diffuse luminous Surfaces)」に分類されるもので、空の一部が紗のような光を帯びるオーロラ。)


各写真には、それぞれこんなデータが付されています。写真番号、撮影地、日付、年次、そして写真中央部の位置が、地上座標(地平からの「高度」および真南を基線とし、西回りに360度で表示した「方位」)で示されています。

年次を見ると、各写真は1910~27年に撮影されたもので、写野は約40度四方に統一されているため、それぞれのオーロラの見た目の大きさを比較することができます。


頭上からスルスルと理由もなく下りてくる垂れ幕。


奇怪な生物のように身をくねらせる不整形な光の塊。

ここには最近のオーロラ写真集のように美しい色彩は皆無ですが、それだけにいっそうその存在が、幽霊じみて感じられます。

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北極圏の人は、オーロラを見慣れていて、特に何の感興もないようなことを聞きますが、昔の人はオーロラを見て、やっぱり怖さを――あるいは怖いような美しさを――感じたんじゃないでしょうか。


天からの手紙に貼る切手2017年01月07日 13時36分57秒



雪と雲の切手。
以前に登場したものもありますが、最近はこうやって律儀にストックブックに入れてあるので、「一望する」喜びが増しました。


「雪は天からの手紙である」と言いますが、その手紙には、ぜひこういう切手が貼ってあってほしいものです。


今から10年前の2007年(~2008年)は、国際極年(International Polar Year)に当り、各国が共同して、極地観測プログラムに取り組みました。
上のスキッと澄んだ切手は、それを紀念してフィンランドで発行されたものです。

切手の右下にある地図で、北緯65度と70度の間に引かれた点線は、北緯66度33分の北極線。この線より北が北極圏になり、夏は白夜、冬には極夜が生じます。フィンランドは、その北部がすっぽり北極圏に入っていますが、この極北の地にも村があり、町があり、人が住んでいる…というのは、「今年は雪が遅いね」とか言っている暖国の人間には、ちょっと現実離れして感じられます。でも、現実に人は住んでいて、トナカイ料理をふるまうレストランがあったりします。

(フィンランドの北の端にある「DEATNU RESTAURANT」。トナカイのソテーは28.6ユーロ也。http://www.holidayvillagevalle.fi/en/restaurant/

それにしても、2007年といえば、ついこのあいだのような気もしますが、もう10年も経ったのですね。まあ2017年だって、もう50分の1が過ぎたのですから、それも仕方のないことでしょう。


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【閑語】(ブログ内ブログ)

これまで通らなかった法案がどんどん通る。
これまで通らなかったのは、それだけの理由があるわけで、その理由自体は昔とまったく変わらないのに、法案だけがどんどん通るというのは、国会が、そして世の中一般が変ってしまったからです。それも確実に悪い方向に。

自分の生まれ育った国が無残に壊れるのを目にするのは、あまり愉快な気分ではありません。「世の中が変質するとは、こういうことか」と、体験的に学べたのは良かったですが、その代償はあまりにも高くつくものでした。

日本の自壊もいよいよ仕上げの段階に入り、「共謀罪」という、これまた歴史的な悪法の成立がもくろまれています。悪用しようと思えば幾らでもできるという意味で、これは無敵の大悪法ですが、それだけに政権は是が非でも成立させたいところでしょう。

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ただ、歴史は常に複線的なので、今後、世の中がいっそう悪く変化するにしても、その変化の過程には、まだまだいろいろあるはずです。この世に生きた証として、それをしっかり目に焼き付けておこうと思います。

安倍という人物の力の源泉が「日本会議」という右派団体であり、その中枢にいるのが、かつての右翼学生あがりの人物たちだ…というのは、今や広く知られる事実でしょう。端的にいって、安倍氏は彼らの傀儡です。安倍氏とアドルフとの大きな違いはそこです。

と同時に、安倍氏は一部財界の傀儡でもあり、何と言ってもアメリカという国家の傀儡でもあります。そして、日本会議と財界とアメリカが、全部同じ方向を向いているはずはないので、どうしてもどこかに軋みが生じます。先に対ロシア問題で迷走したのも、その軋みの現れだと思います。

日本会議中枢の思惑を勝手に忖度すれば、
  「御輿に担ぐには、操りやすい人間の方が良い。
  だが愚か過ぎては、担ぎ甲斐がない。
  さらに自分が御輿であることを忘れて、勝手なことを始めるのは何より良くない。」

というところかと思います(単なる想像です)。

日本会議が次の御輿探しを始める頃、水面下で暗闘が始まり、第2の政変が起こる…という勝手予想をしているのですが、これは全然外れるかもしれません。
いずれにしても、傀儡体制が続く限り、仮に首がすげ替っても、それで事態が収束するわけでないことは、しっかり頭に入れておきたいです。


白銀の雪2017年01月06日 22時38分53秒

昨日から冷え込みが厳しいです。
私のすむ街は、今シーズンはまだ雪らしい雪がなくて、年末に白いものが舞ったとニュースでは言ってましたが、自宅からは見えませんでした。でも、この冷え込みだと、天から白い便りが届くのも、もうじきでしょう。

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毎年、クリスマスソングが町に流れ出す頃、注文しているものがあります。
それは本物に先駆けて届く「白銀の雪」。

(素材は銀ではなくピューター)

雪の結晶写真で有名な、ウィルソン・A.ベントレー(1865-1931)を顕彰する、地元バーモント州のジェリコ歴史協会は、毎年ベントレーの膨大な結晶写真から1枚を選んで、それにちなむグッズを制作しています。

Snowflake Bentley (ジェリコ歴史協会)
 http://snowflakebentley.com/

その1つである「スキャッターピン」、すなわちピンブローチを、以前から気長に集めていて(何せどんなに頑張っても1年に1個しか集められないのですから)、今シーズン届いたのが上の品というわけです。

(5センチ角の銀の小箱に入って届きます)

雪の結晶をモチーフにしたアクセサリーは、世間に無数にありますけれど、様式化されすぎて、現実の結晶とは乖離したものも多いようです。その点、この品は何と言っても本物の結晶に基いて作られているので、正確さという点では申し分ありません。

(これまで制作されたスキャッターピンは、全部で11種類)

この先どれだけ集められるか、私の命が尽きるとき、あるいはジェリコ歴史協会そのものが歴史のかなたに消えるとき、海を越えて舞い落ちる白銀の雪も降り止み、あとにはささやかな雪原が残ることでしょう。

再びハリーとハレー2017年01月04日 07時25分47秒

ハレー彗星と、その発見者であるエドモンド・ハレーに関する昨日の記事に、常連コメンテーターのS.U氏からコメントをお寄せいただきました。それに対してお返事を書いていたら結構な分量になったので、他の方からのご教示も期待しつつ、以下にその内容を記しておきます。S.Uさんの元のコメントと併せてごらんいただければと思います。

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S.Uさま
 
ご教示ありがとうございます。
以前、S.Uさんが目にされたメーリングリスト上の議論に接していないので、あるいは単なる蒸し返しになるかもしれませんが、私なりに考えたことを下に記してみます。

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まず、外来語の表記について、お上が何か言っているかな?と思って調べたら、文科省がずばり「外来語の表記」という内閣告示を出していました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19910628002/k19910628002.html

でも、これはものすごくゆるくて、ほとんど何も言ってないに等しいです(慣用があるものは慣用に従え、語形に揺れがあるものはどっちでも良い、特別な音の書き表し方は特に制限を設けず自由に書いてよい…etc.)。他の決め事も、全てこれぐらい大らかだと結構なのですが、それはともかくとして、今に至るまで外来語の表記について、しっかりした官製ルールはないように見受けられます。

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「-ley」の日本語表記が揺れているのは、Halleyの他にも、Stanley(スタンレー、スタンリー)やBentley(ベントレー、ベントリー)のように、いくらもあるでしょうが、私見によれば、この揺れの背後にある根本原因は、横文字を日本語で表記する際の「2大ルール」がコンフリクトを起こしていることで、その根はなかなか深いと思います。

全くの素人談義ですけれど、その2大ルールとは「原音主義」と「ローマ字準拠主義」で(勝手な命名です)、たとえば同韻の単語でも、potatoは原音主義により「ポテト」、tomatoはローマ字準拠により「トマト」となるように、英単語の表記は、この両者の間を歴史的に絶えず揺れ動いてきました。

前者は、音声言語でやりとりする際に利があり、後者は日本語から原綴を復元しやすく、文字言語でやりとりする際に利があります。(まあ、これはスペルと発音の乖離が著しい英語だから悩むのであって、独仏語なんかの場合は、ローマ字を持ち出すまでもなく、それぞれの発音ルールにしたがって音写すればことが足ります。)

ハリーとハレーの差も、結局は原音主義をとるか(ハリー)、ローマ字準拠主義をとるか(ハレー)の違いによるもので、それぞれ一長一短がありますから、なかなかすっきりと結論は出そうにありません。

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ただ、ハレーに関していうと、これはやや中途半端な表記で、完全にローマ字準拠主義をとるなら「ハルレイ」となるはずで、実際、明治期にその用例があります(下述)。おそらく、その後「ハルレイ」→「ハレイ」→「ハレー」という変化を経て、ハレーが定着したのでしょう。

昭和8年(1933)に出た、山本一清・村上忠敬著の『天文学辞典』では既に「ハレー」となっており、この頃には既にハレーがかなり一般化していたことを窺わせます(同時期、荒木俊馬は「ハレイ」を使っていて、昭和戦前は「ハレイ」と「ハレー」が混在していたようです)。

参考までに手元の明治期の本を見ると、

○小幡篤次郎 『天変地異』(1868) ハルリー
○西村茂樹訳・文部省印行 『百科全書 天文学』(1876) 哈勒(「ハルレイ」とルビ)
○文部省印行 『洛氏天文学』(1879) ハルレー
○横山又次郎 『天文講話』(第5版、1908) はれー
○本田親二 『最新天文講話』(1910) ハリー
○須藤傅治郎 『星学』(第9版、1910) ハーレー

となっており、「リー」と「レー」の間で、表記がずっと揺れていますが、どうもこの頃から「レー」が優勢だった気配もあるので、ハレーの普及を抱影翁一人の責めに帰すのはやや酷かもしれません。(でも「あの」抱影がハレーと書けば、全国の天文ファンも当然右にならえしたでしょうから、抱影の影響も必ずやあったことでしょうね。)

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なお、抱影がどこからそれを引っ張ってきたかは不明ですが、「エドマンド」は明らかに「Edmund」を意識したものと思います。

姓は針井、名は江戸主水2017年01月03日 11時42分36秒

新年から小ネタです。

なんとなくウィキペディアのハレー彗星の項を見ていたら、この「ハレー彗星」という表記は間違いで、「ハリー彗星」と書くのが正しいのだ…という議論があることを知りました。ウィキペディアだと、本編の記述ではなく、ノートのページでその議論が行われています。傍から見ると、かなり感情的な言葉の応酬で、ちょっと身構えるものがありますが、そこまで情熱的になれるのは、ある意味すごいことです。

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「ハリー派」の論拠は、主にネイティブの発音は「レー」より「リー」に近いというもので、私の耳にも確かにそう聞こえます。

でも、そうすると Edmond Halley のファーストネームの方は「エドモンド」のままでいいのか、NHKのアナウンサーはこれを「江戸主水」と同じ読み方をするでしょうが、これは元の「Edmond」の発音とは相当距離があって、そっちはそのままでもいいのか?…という疑問が頭をもたげます。

では、他にどう書けばいいのか?と問われても、特に名案はなくて、結局のところ英語の音韻を、日本語の五十音(限られた子音と母音)で表記するのは、最初から無理なのだ…と達観するほかない気もします。その意味では、ハレーもハリーも五十歩百歩だというのが、偽らざる感想です。

   ★

で、今日改めて知ったのは、実はこのハレー彗星とエドモンド・ハレーの発音をめぐっては、ネイティブの間でも意見が分かれているということです。ただし、それは「レー」と「リー」の違いではなく、冒頭の「ハ」の字の部分です。

Wikipediaの「Halley's Comet」の項(https://en.wikipedia.org/wiki/Halley's_Comet)を見ると、一番最初に「発音 Pronunciation」という節があって、

 「ハレー彗星は、通常『valley』と同韻の /ˈhæli/〔ハリー〕、もしくは『daily』と同韻の /ˈheɪli/〔ヘイリー〕と発音される。Edmond Halley の名前の綴りは、彼が在世当時、Hailey、Haley、Hayley、Halley、Hawley、Hawlyと様々であり、同時代にどのように発音されたかははっきりしない。」

と書かれています(出典として、ニューヨークタイムズの「サイエンスQ&A」の記事が挙がっています)。要は「ハリー」か「ヘイリー」かで、向うの人も悩んでいるようなのです。

このことは、「Edmond Halley」の項(https://en.wikipedia.org/wiki/Edmond_Halley)を見たら、「発音と綴り Pronunciation and spelling」の節で、さらに詳しく書かれていました。ざっと適当訳してみます(改段落は引用者による)。

 「Halley という姓には3通りの発音がある。
イギリスでも
アメリカでも、最も普通なのは、/ˈhæli/〔ハリー〕である。これは、現在ロンドンで暮らしている Halley 姓の人の多くが、自ら用いている発音である。

それに代わる/ˈheɪli/〔ヘイリー〕というのは、ロックンロール歌手のビル・ヘイリーと共に育った世代が、エドモンド・ハレーとその彗星を呼ぶ際に、しばしば好んで用いる発音である。ビル・ヘイリーは、ハレー彗星の読み方として、当時〔1950年代〕のアメリカでは一般的だった発音〔ヘイリー〕をもじって、自分のバックバンドを「コメッツ」と呼んだ〔最初は「Bill Haley with Haley's Comets」、後に「Bill Haley & His Comets』が、そのグループ名〕。

ハレーの伝記作家の一人であるコリン・ロナンは、/ˈhɔːli/〔ホーリー〕という発音を好んだ。

同時代の記述は、ハレーの名前をHailey、Hayley、Haley、Haly, Halley、Hawley、Hawlyと綴っており、おそらく発音も同様に多様だったろう。」

   ★

そして、「エドモンド」というファーストネームについても議論があるようで、Wikipediaは上の説明に続けて、

 「そのファーストネームに関していうと、1902年の〔タイムズ紙掲載の〕ある記事は、『Edmund』という綴りの方がずっと一般的ではあるが、『Edmond』こそ、ハレー自身が用いた綴りだとしている。

しかし、2007年の『International Comet Quarterly』誌掲載の論文は、これに異を唱えている。同論文は、ハレーの公刊された著作の中で、『Edmund』は22回も使われているのに、『Edmond』はたったの3回しか使われておらず、また他にもラテン語化された『Edmundus』のような、いくつかのバリエーションが用いられていることを指摘している。

こうした議論の多くは、ハレーが生きた時代には、英語の綴字の慣習はまだ標準化されておらず、したがってハレー自身も複数のスペリングを用いたという事実に由来している。」

と、その間の事情を明かしています。

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こういうのは、行き過ぎると「言葉咎め」や、さらには「言葉狩り」のようになって良くないですが、しかし一歩踏み込んでみると、興味深い事実が分かりますし、いろいろ考えさせられます。

(本人自身がどう発音していたかは、最も重要な基準でしょうが、これも行き過ぎると、「宮沢賢治を欧文表記するときは、“Miyazawa Kenzu”が正しい」…ということにもなりかねません。)

『星恋』のこと2017年01月02日 14時54分59秒

星の文学者・野尻抱影(1885-1977)と、星を愛した俳人・山口誓子(1901-1994)が著した句文集、『星恋』(初版1946)。その冒頭に置かれたのが、誓子の「星恋のまたひととせのはじめの夜」という一句です。

「星恋」というフレーズが何とも良いし、明るい星々がきらきら輝く今の時期の空を見上げて、冷たく澄んだ空気を胸に吸い込んだときの清新な気分は、星好きの人にとって言わずもがなの情趣でしょう。

敬愛する霞ヶ浦天体観測隊http://kasuten.blog81.fc2.com/)のかすてんさんは、毎年この句でブログ開きをされるのを嘉例としていて、私もそのマネをしてみたいと思います。

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といって、私の方は地上の話題に終始するのですが、私の手元には『星恋』が5冊あります。なんでそんなにあるかといえば、『星恋』には終戦直後の昭和21年(1946)に鎌倉書房から出た初版と、昭和29年(1954)に中央公論社から出た版とがあり(この2つは内容が多少異なります)、さらに昭和61年(1986)に深夜叢書社から出た『定本 星恋』と合せて、全部で3種類の異版があるからです。このことは既に5年前に取り上げました。

■『星恋』ふたたび

でも、それだけでは5冊にまだ2冊足りません。
実は鎌倉書房版と中公版は、それぞれ後からもう1冊ずつ買い足しました。

(左・鎌倉書房版、右・中央公論社版)

なぜかといえば、それぞれに抱影と誓子の署名が入っているという、関心の無い人にはどうでも良いことでしょうが、『星恋』に恋する者には無視できない要素が含まれていたからです。


中公版は抱影の署名入り。ミミズの這ったような…というと叱られますが、抱影の独特の筆跡で、仏文学者の高橋邦太郎(1898-1984)に献じられています。


対する鎌倉書房版には、誓子の几帳面な署名と落款が印されています。

古書を手にすると、昔の人の体温がじかに伝わってくる気がしますが、この2冊は確実に二人の作者が手に取って、ペンを走らせた本ですから、両者の存在がなおのことしみじみと身近に感じられます。何だか今もすぐそばに座っているような気すらします。



  星恋のまたひととせのはじめの夜
  初春といひていつもの天の星

変るものと変わらぬもの。
世の転変を横目に、今宵も星と向き合い、そして自分の心と向き合いたいと思います。