月の空を飛んだ兄弟の記憶(前編)2017年11月24日 07時03分59秒

年の瀬が近づき、街はすっかりクリスマスムードです。
2017年ももうじき終わりですけれど、遅ればせながら2017年にちなんだ話題です。

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今からちょうど半世紀前の1967年。
人間の背丈ほどの人工天体が、月の周りを回りながら、課せられたミッションにせっせと取り組んでいました。すなわち、アメリカの「ルナ・オービター」4号機および5号機です。そして、彼らのミッションとは、月面の詳細な写真地図を作ること。

(NASAのロゴ。下に紹介する書籍の扉より)

ルナ・オービター計画自体は1964年からスタートしており、月への接近も前年の1966年から始まっていました。ただし、前任の1号機から3号機までは、アポロ計画の露払いとして、その着陸予定地点を精査することを目的としており、月面地図作りの大仕事を任されたのが、後継の4号機と5号機だった、というわけです。

その期待に応えて、4号機は月面の大半を写真撮影することに成功し、さらに5号機が、4号機の撮り洩らしたエリアもすべて写真に収め、一連の計画はすべて成功裡に終わったのです。

…というのは、例によってウィキペディア(「ルナ・オービター計画」の項)の受け売りに過ぎませんが、受け売りついでに書くと、同じ項の以下の記述も一寸驚きです。

 「ルナ・オービター計画の撮影システムは非常に複雑であった。まず、月面を撮影した後、軌道上にてフィルムの現像を自動で行い、濃淡を帯状にアナログスキャンし、データを地上に送信する。地上では、データをモニターに表示し、それを再び撮影する。そして最後に、帯状の画像をつなぎ合わせて全体の画像を作成していた。」

何といっても月探査機ですから、そこには当時の最先端技術が投入されたのでしょうが、画像処理に関しては、予想以上にローテクというか、アナログ一色の世界でした。しかし、それでも見事な成果を上げたところが、やっぱり偉いといえば偉いし、スゴいといえばスゴかったわけです。

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ここでルナ・オービターの話題を持ち出したのは、先日、ルナ・オービターによる当時の月写真集を手にしたからです。

(高さ35cmを超える大判の写真集)

■L. J. Kosofsky & Farouk El-Baz,
 『The Moon as Viewed by Lunar Orbiter』 (ルナ・オービターが見た月)
 National Aeronautics and Space Administration (NASA)、1970

下は同書に掲載されている撮像システム。

(左:撮像システム、右:フィルムフォーマット概念図(部分))

搭載のカメラは、中解像度の80mm広角レンズと高解像度の610mm狭角レンズを備え、装置内には79mの長大な70mmコダックフィルムが装填されていました。そこに、写角が広狭の画像を、互い違いに写し込んでいく仕組みです。

同じくフィルムスキャンシステム。


光源は電子線を当てた蛍光物質から発する光で、それをレンズで点状に集光し、フィルム上の画像を舐めるように走査した結果が対向面で記録され、画像信号として地上に送信されました。

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かつて月上空を旋回した5機のルナ・オービターは、運用終了後、いずれも月面に落下し、その貴重な撮影フィルムも探査機本体と運命を共にしました。今となっては、ルナ・オービターの「声」を遥かな地上で聞き取って、それを元に画き起こした「絵」が、彼らの形見として残るのみです。

彼らの半世紀前の偉業をしのんで、ちょっと古めかしい写真集のページを開いてみます。

(この項つづく)

至高の石2017年11月23日 07時42分30秒

結晶形態学にちなむ優品――と敢えて呼びましょう――に続き、「至高の鉱物」を登場させます。


ラ・ピエール・フィロゾファル、すなわち「賢者の石」です。

卑金属を黄金に変える力を持つとされ、古来多くの錬金術師が探し求めた幻の石。そして、錬金術が神秘の学問体系で覆われるにつれて、賢者の石はいよいよ謎めいたシンボルとなっていきました。

隠秘学の世界における賢者の石は、
「自らは死することなく、すべての死せる者を再生させるもの」であり、
「人々に究極の治癒、すなわち救済をもたらす霊薬」であり、
「始原より来たれる第二のアダム」であり、
その究極の実体は、イエス・キリストその人である…と言われます。


この赤い小箱に、その賢者の石が入っているというのですが、いったいそれは?
これこそ、聖なる方の不朽体を収めた聖櫃(せいひつ)なのか?

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…と、無理やり話を盛り上げましたが、中身はただの子供向け玩具です。

(おそらく1900年ころのフランス製)

中に入っているのは、紙製のゲームボードとチップ、それに1枚のルール解説書。


遊び方は簡単です。
最初に15個あるボードのマス目に、15個のチップを全部並べ(色は特に関係ありません)、2人のプレーヤーが交互に1~3個のチップを取り去り、最後の1個を取った方が負け…というもの。日本にも「石取りゲーム」という、同様のゲームがありますし、替わりばんこに数字を1から順に(1個ないし3個ずつ)唱え、最後に30(あるいは20)を言った方が負け…という遊びも、同工異曲でしょう。

この手の遊びには必勝法があって、「賢者の石」のルール解説書には、そのことも書かれています。

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何だか羊頭狗肉な気もします。
でも、このゲームの何が「賢者の石」なのかと考えると、それはボードでもチップでもなくて、形のない必勝法こそそれなのだ…という事実に気づきます。そして、必勝法の存在に目覚めた子供たちの幾人かは、「あらゆる問題にはアルゴリズムが存在する」という強固な観念に取りつかれ、その長い探求の道へと歩み出す…。それこそが、このゲームの「賢者の石」と呼ばれる所以ではないでしょうか。

(具象の石と抽象の石。左はドイツの半貴石標本)

Crystals of Crystal(後編)2017年11月20日 06時49分40秒

クリスタルガラス製の鉱物結晶模型の全容はこうです。

(販売時の商品写真の流用。奇妙な手は、大きさ比較用のラバーモデル)

この結晶模型セット、メーカー名の記載がどこにもありませんが、売り手であるイギリスの業者の見立てでは、1890年ころのドイツ製。

年代については、1890年前後で特に矛盾はありませんが、下で触れるように、この種のセットは1920年代にも販売されていたので、もう少し時代は幅を持たせた方が安全かもしれません。

また、販売を手がけたのはドイツの会社かもしれませんが、生産国はおそらくチェコでしょう。つまりドイツの業者――おそらくクランツ商会あたり――が、チェコのガラス工房に発注して、商品として販売していたのだと思います。

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ガラスの結晶模型への憧れを書いたのは、今回が初めてではなく、以前も心情を吐露したことがあります。

上の記事は、ガラス製の結晶模型の実例を紹介するページにリンクを張っており、そこで紹介されているのは、透明ガラスと色ガラスの模型が同居する可憐なセットでした。しかし、一種の親バカかもしれませんが、手元のオール透明ガラスのセットの方が、結晶美という点では、一層純粋で好ましいと思います。(結晶美とは、畢竟、無味・無色・無臭の抽象世界に成立するものでしょう。)

(結晶の面角を正確にカットしたガラス塊の輝き。おそらくボヘミアガラスの職人技)

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ガラスの結晶模型セットを、往時の博物用品カタログに探したところ、パリの博物ショップ・デロールのカタログに載っているのを見つけたので、参考までに挙げておきます。


1929年のカタログですから、デロールの歴史の中ではわりと時代の下るものです。
当時のデロールは、学校への理科教材の卸販売が中心の店で、こうしたカタログを盛んに出しており、カタログ掲載の品も自社製品とは限らず、むしろ他社製品の取次ぎのほうが多かったように思います。


頁をめくると、そこに「Séries cristallographiques en cristal dur」(硬質クリスタル製結晶学シリーズ)というのが見つかります。説明文には「鉱物の結晶形態とその主要な変異を含む、周到かつ十全な科学的正確さを備えたシリーズ」とあり、360フランの20種セットから、1,650フランの90種セットまで、全部で6種類のラインナップ。

当時のフランの価値はよく分かりませんが、質問サイトの回答(https://oshiete.goo.ne.jp/qa/5617201.html)を参照すると、フラン切り下げ後の1928年の時点で、1フラン=200~250円程度(金の価格を基準にしています)。これに従えば、20種セットで7~9万円、最上位の90種セットは33万~41万となります。

手元のセットが、デロールが扱っていた商品と同一である保証はありませんが、20種セットというのは、まあ一般的にいって「入門シリーズ」なのでしょう。それも今となってはすこぶる希少な品で、その希少さの背景には、素材の性質上、きわめて毀れやすかった…という事情があると思います。


手元の模型も、よく見ると縁が欠けているものが何点かあります。
この品を無事次代に引き継げるよう、せいぜい用心しなければ…と、少なからず責任を感じています。

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ときに、ドイツのクランツ商会は、鉱物関連の品で扱ってない物はないと言ってよいので、このガラスの結晶模型も、探せばきっとカタログに載ってると思うんですが、まだ見つけられずにいます。それでも1894年頃のカタログを見て、「おっ」と思いました。


そこにはGlas-Krystallmodelle(ガラス結晶模型)の文字があって、一瞬「これだ!」と思ったんですが、よく見たら、こちらは板ガラスをカットして、結晶形に組み合わせたものでした。

同種のものは、上記デロールのカタログの同じページにも載っていて、そちらはSéries cristallographiques en glace」(ガラス製結晶学シリーズ)と称しています。


これは「結晶形態学プロジェクト」にコラボ参加されている、ステンドグラス職人・ROUSSEAU(ルソー)さんの作品に通じる雰囲気があり、その祖型といって良いかもしれません。

(「結晶形態学プロジェクト」フライヤーより、ROUSSEAUさんの作品2種)

Crystals of Crystal(前編)2017年11月19日 07時00分27秒

(昨日のつづき)

結晶形態学プロジェクト」の雅味に沿い、かつ私が以前から憧れていたもの。
それがこの黒い箱に入っています。

(箱の大きさは、約29×20cm)

この箱が届いたのは、去年の夏のことです。
かなり無理な算段をしてこれを購入したのは、わずかなボーナスが入って、ちょっと気が大きくなっていたせいもありますが、でもこれは、たとえ財布がスッカラカンでも買うしかないと、見た瞬間に思いました。

その中身は(大方お察しのとおり)「結晶模型」です。
でも、よく見る木製ではありません。クリスタルガラス製のまさに Crystals of Crystal、「クリスタルでできた結晶たち」なのです。


もちろん、木製の結晶模型にも独特の味わいがありますし、それに木製だろうが、ガラス製だろうが、結晶の形自体に変わりはないんですが、無色透明なガラスで作られた結晶模型には、昨日書いたような、抽象的な「理」の美しさや、「理知の篩(ふるい)にかけられた純粋な感覚美」が、なおのこと溢れているように感じたのです。


結晶形態は全部で20種類。ひとつひとつが小箱に入り、真綿の上に鎮座しています。
私はこうした風情にすこぶる弱く、また「正方晶系完面像晶族」とか「六方晶系菱面体晶族」とかいった言葉の響きに、脳幹反射的に反応してしまうところがあります。

何だか、「理」の美しさと言ったそばから、妙に幼稚な感想を書き付けていますが、結晶美の王道はルーチカのお二人にお任せするとして、私の方はモノにこだわって、この模型の素性をちょっと考えてみます。



(この項つづく)

結晶形態学の薫香2017年11月18日 08時30分59秒

創作ユニット「ルーチカ」のお一人であるTOKOさんから、「ルーチカ結晶形態学プロジェクト」のご案内をいただきました。


■(公式サイト)ルーチカ結晶形態学プロジェクト

 「百年前にX線結晶構造解析の歴史が始まるより以前、結晶学は鉱物の外観から対称性を見出し、分類同定する学問であった。今日では元素組成と粉末X線パターンによる鉱物の同定が一般的となり、古い結晶学は「結晶形態学」として結晶学の導入部に登場するのみとなっている。しかしながら、結晶の点群と格子定数、ミラー指数から定義付けられる多面体『結晶形態図』の意匠の美しさは現在でもなお人々の心を魅了し続けている。」 (上記サイトより)

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各種鉱物の美しい色・形―。
それももちろん素敵ですけれど、さらにそうした感覚美を超えた、「理」の美しさと呼ぶべきものが、鉱物にはある…と、先日書きつけました。それこそが、まさに「結晶形態の美」だと思います。

それは抽象度の高い美ですが、それを図示したり、立体模型化したりすれば、そこには理知の篩(ふるい)にかけられた、「純粋な感覚美」と呼ぶべきものが、また新たな輝きを放ち出します。

さらに、その解説文を拝読すると、結晶形態学の面差しには、その歴史性に根ざした深い雅味が寄り添っているようにも感じられます。

総じていえば、木製キャビネットや真鍮製の偏光顕微鏡を備えた、古風な鉱物学研究室の空気を、私はそこに感じ取ります。(私信を勝手に引用して恐縮ですが、TOKOさんからのお便りには、「クランツ標本をみて多面体に本格的に目覚めてしまった人のなれの果てみたいな」という一節があって、思わず膝を打ちました。)

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ここで私自身のことを振り返ると、私には「いつか欲しいなあ」と願い続けてきたものがいくつかあります。指折り数えると、ちょうど7つ。まあ、私にとってのドラゴンボールみたいなものです。そのうちのいくつかは、すでに見つけることができたので、神龍が出現することはないにしろ、完全ゴールも徐々に近づいています。(でも、ゴール間近になると、また新たな目標が生まれそうな気もします。真の完全ゴールは永遠に来ないかもしれません。)

そのうちの1つ、自分の中ではこれぞという逸品を、結晶形態学プロジェクト始動を祝し、勝手協賛企画として登場させます。(尻馬に乗る、とも言います。)


<大いに勿体ぶりつつ、次回につづく>

ついに解明された火星の謎2017年11月16日 07時57分27秒

エクスの謝肉祭の件もそうですが、何事も「継続は力なり」で、こんなブログでも続けていれば、以前は見えなかったものが徐々に見えてくるものです。今日も今日とて、謎が1つ解けました。

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下は以前登場した絵葉書。


女A 「あら、金星が見えるわ」
女B 「あたしの方は木星が見えるわ」
男 「おいらにゃ火星が見えるよ」

――という掛け合いの、結局何がオチになっているのか、なんで男が火星を持ち出したのかよく分からんなあ…というのが、これまで一種の「謎」でした。何だか下らない話題ですが、気になる時は気になるもので、私は過去2回までも記事にして、その「謎」を追ってきました。

■ある火星観測

■金星、木星、火星のイメージを追う

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しかし、その強固な謎も、別の絵葉書によって、ついに解明されました。

(1920年前後、ロンドンの Art & Humour Publishing 社から出たコミック絵葉書)

女 「あれは金星じゃないかしら?」
男 「ボクには火星のように見えるがね。」

そう、火星の運河論争がほぼ終結した1920年前後、当時の男性は、なぜか女性の赤い下着を見ると火星を連想し、それがまた笑いを誘うネタとして、世間に流通していたらしいのです。したがって、例の男も、女性のスカートの奥に赤い下着を発見して「火星が見える」とうそぶいたに相違なく、そうと分かってみれば、実に単純なオチです。

まあ、こんなことを100年後の現代に力説してもしょうがないのですが、いかにツマラナイなことでも、謎が解けるのはちょっと気分がいいものです。

宇宙の謝肉祭(その4)2017年11月14日 23時05分24秒

これまたエクスに登場した天文モチーフの山車。
題して、「月の恋人たち(Amoureux de la lune)」


キャプションには年次も回数も記載がありませんが、消印から1915年の出し物と分かります。


それにしても、これは何なんでしょう?
アンパンマン的な何かと、バイキンマン的な何かを、大勢の天文学者が望遠鏡で覗いている情景ですが、いったいこれは何を言わんとしているのか?

(一部拡大)

そのコスチュームとタイトルを見比べて、じっと考えた結論として、これは「太陽と月の結婚」である<日食>を表現しているのではないかと思いつきました。つまり、白いのが太陽、黒いのが月で、彼らがひたと頬を寄せ合うとき日食が起きる…という、古くからのイメージを表現した出し物という説です。

(Pinterestで見かけた出典不明の画像)

ただ、この前後にフランスで皆既日食が見られたら、話がきれいにまとまるのですが、どうもそういう事実はなくて、1912年4月17日に観測された皆既日食(+金環食のハイブリッド日食)が、ちょっとそれっぽく感じられる程度です。

(パリ天文台が行った飛行船観測による画像。

まあ、いくら100年前でも、3年前の出来事が「時事ネタ」になることはないでしょうから、これは特定の日食を表わしているというよりも、天文趣味に染まった山車の作り手の脳裏に、この年はたまたま日食のイメージが浮かんだ…ということかもしれません。

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エクスの町における「宇宙の山車」の始点と終点は不明ですが、少なくとも1910-12年と1915年に登場したのであれば、当然、中間の1913-14年にも作られたでしょうし、その前後も含め、まだまだ奇想の山車はあるはず…と睨んでいます。

今後も類例が見つかったら、随時ご報告します。(我ながら酔狂な気はしますが、まあ実際、酔い狂っているのですから仕方ありません。)

(この項いったん終わり)

宇宙の謝肉祭(その3)2017年11月13日 20時51分53秒

南仏・エクスの町の「宇宙の謝肉祭」。
ある年には、こんな幻想的な「三日月の山車」も登場していました。


このブログでは先日来おなじみの、「月にピエロ」の取り合わせ。
月の表情もいいし、星と流星の裾模様も洒落ています。

タイトルの一部が切手に隠れて見えませんが、同じ絵葉書を他でも見たので、そのタイトルは判明しています。すなわち、「ピエロの飛行家、または不可能な夢(Pierrot aviateur ou le rêve imposs)」

(一部拡大)

これまた何と文学的なタイトルでしょう。
儚くも美しい…というイメージがピッタリきます。

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些末なことながら、これまで登場した山車の登場年をここで整理しておきます。
まず、この三日月の山車の遠景には「CARNAV(AL) XXII」(第22回カーニヴァル)の看板が見えており、切手の消印は1910年です。


また、先に登場した「流れ星の天文学」は「第23回」を謳っており、


昨日の「火星と地球の交感」は「第24回」で、開催は1912年でした。


以上のことから、エクスの町のカーニヴァルは――その起源自体は非常に古いかもしれませんが――こういう山車行列でにぎにぎしく祝うようになったのは意外と新しいことで、おそらく1889年が第1回だと推測できます。

したがって、1910年のハレー彗星騒動に引っ掛けた出し物と思った「流れ星の天文学」は、実際には翌1911年に登場したもので、これが想像通りハレー彗星をモチーフにしたものだとしても、少なくとも、その騒動の渦中に、リアルタイムで登場したものではありませんでした。その点は、ちょっと訂正と注釈が必要です。


(この項さらに続く)

宇宙の謝肉祭(その2)2017年11月12日 10時51分17秒



昨日登場した、「Mars communiquant avec la Terre(火星と地球の交感)」と題されたカーニヴァルの山車。別テイクの絵葉書も購入したので、そちらも貼っておきます。

(一部拡大)

まあるい地球に覆いかぶさるように、巨大な星が接近しています。
この星が火星なのでしょう。作り物の星の中央やギザギザの先っぽには穴が開いていて、子供たちが顔をのぞかせています。そして、とんがり帽子の可愛い天文学者が、望遠鏡でそれを眺めているという趣向。

昨日も書いたように、この火星の山車が町を練り歩いたのは1912年のことです。日本でいえば、ちょうど大正元年。それにしても、この年になぜ火星の演目が登場したのでしょう?

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火星の公転周期は2年弱。いっぽう地球の公転周期は1年ですから、火星がゆっくり公転している脇を、地球が2年2か月にいっぺんの割合で、シュッと追い抜く格好になります。この追い抜く瞬間が、地球が火星に最も接近する時で、天文学用語でいうところの「衝(しょう)」です。

地球や火星の軌道がまん丸なら、地球と火星が最接近する距離はいつも同一のはずですが、実際には楕円ですから、衝の際の距離も、そのタイミングによってずいぶん伸び縮みします。両者が目立って接近するのが、いわゆる「火星の大接近」で、近年の大接近の例は、あすとろけいさんの以下のページに載っています。


リンク先の表によれば、1909年にかなり目立つ大接近があったことが分かります。ただ、それにしても「歴史に残る超大接近」というほどではありませんでした。

それでも、この時期に、火星がお祭りに登場するぐらい世間の注目を集めたのは、この1909年に行われた観測が、くすぶり続ける火星の運河論争に改めて火をつけて、いよいよ1870年代末から続く「火星の運河をめぐる三十年戦争」の最終決戦が幕を開け、学界における論争が、新聞報道を通じて市民に伝わったからだ…と想像します。

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そもそも火星の運河論争は、1877年に勃発しました。
この年も火星大接近のときで、火付け役はイタリアのジョヴァンニ・スキャパレリ(1835-1910)です。このときスキャパレリは、口径20cmの望遠鏡で火星を観測し、翌1878年に、彼がそこで見たとする「運河」について、大部な報告を行ないました。

続く1880年代、このスキャパレリと、その説に惚れ込んだフランスのカミーユ・フラマリオン(1842-1925)が、運河説を大いに唱道しました。さらに下って1890年代には、視力の衰えたスキャパレリに代わって、アメリカのパーシヴァル・ローエル(1855-1916)が参戦し、運河派は大いに気勢を挙げたのです。

(スキャパレリの火星図。http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/10/21/

それに対して、イギリスのナサニエル・E.グリーン(1823-1899)エドワード・モーンダー(1851-1928)といった天文学者は、「それは目の錯覚に過ぎない」という論陣を張りました。(といっても、これは国別対抗で争ったわけではなく、各国で運河派と錯覚派が入り乱れていたのです。)

この論争は、結局のところ「見える」「見えない」の水掛け論になりがちです。

錯覚派の「もし運河があるなら、運河派の観測者が互いに独立にスケッチをした時、そこに共通した図が描かれるはずなのに、あまりにも結果が食い違うじゃないか」という主張は、大いに筋が通っていましたが、「火星の知的生命」に対する憧れは、あまりにも強く、また運河派領袖の世間的名声は大したものでしたから、錯覚派が運河派を圧倒することは、なかなか困難だったのです。

しかしその間にも、火星の分光学的観測に基づいて、火星に水が存在することを否定する論が強まるなど、学界における運河派包囲網は、ひそかにせばまりつつありました。そんな中で迎えたのが1909年の大接近です。

以下、マイケル・J.クロウの『地球外生命論争』(邦訳2001、工作舎)から引用します(引用に当り、漢数字を算用数字に置き換え、文中の傍点部は太字で表記しました)。

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1909年のすばらしい火星の衝は、1909年にほぼ90の、そして1910年にも同数の出版物の洪水をもたらした。アントニアディは24あるいはそれ以上の論文を著した。〔…〕32.7インチのムドン屈折望遠鏡で火星を観測し、〔…〕1909年12月23日付けの論文の中で、次のように主張している。巨大望遠鏡の高解像度の下で運河が消滅したことから、次の結論が正当化される。

[火星の]真の外観は、…地球や月の外観と似ている。
②良い視界の下では、幾何学的なネットワークのいかなる痕跡も存在しない。
そして、
③惑星の「大陸部分」は、非常に不規則な外観や明暗度を持った無数の薄暗い点によって斑になっている。その散発的な集まりは、小さな望遠鏡の場合、スキアパレッリの「運河」組織に見える。


そして彼は「われわれは疑いもなく、いまだかつて一つの真正の運河をも火星に見たことはない…」という。 (上掲書、pp885-6)

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運河派に強力な一撃を加えたのが、誰あろう、かつての運河派の一人で、フラマリオンの腹心でもあったウジェーヌ・アントニアディ(1870-1944)であり、彼が拠って立ったのが、パリ近郊のムードン天文台であった…ということが、フランスの人々に一種独特の感慨をもたらしたんではないかなあ…と、これまた想像ですが、そんな気がします。そして、そういう一種独特のムードの中で、エクスの町の人は、あの火星の山車を作り、そして歓呼の中、練り歩いたわけです。

運河があればあったで、そして無ければ無いで、火星はこの間常に地球に影響を及ぼしてきました。まさに、それこそが「Mars communiquant avec la Terre(火星と地球の交感)」です。


(エクスの絵葉書の話題はまだ続きます)

宇宙の謝肉祭(その1)2017年11月11日 16時33分19秒

最近、立て続けに妙な絵葉書を目にしました。

「妙な」といっても、同じ被写体を映した絵葉書は、以前も登場済みです。
それは、南仏・エクス(エクス=アン=プロヴァンス)の町のカーニヴァルで引き回された、星の形をかたどった不思議な山車を写したものです。

(画像再掲。元記事は以下)

天の星、地の星


エクスはマルセイユのすぐ北にあり、これぐらいの縮尺だと、その名も表示されないぐらいの小都市です。でも、その歴史はローマ時代に遡り、往時の執政官の名にちなみ、古くは「アクアエ・セクスティアエ(セクスティウスの水)」と呼ばれたのが転訛して「エクス」になった…というのを、さっきウィキペディアで知りました。

その名の通り、水の豊富な土地で、今も町のあちこちに噴水が湧き出ているそうです。そして、多くの高等教育機関を擁する学園都市にして、画家・セザンヌの出身地としても名高い、なかなか魅力的な町らしいです。

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今回まず見つけたのは、上と同じ山車を写した、別の絵葉書でした。


まだ芽吹きの時期には早いですが、いかにも陽の明るい早春の街をゆく山車行列。
道化姿の男たちと、馬に乗ったとんがり帽子の天文学者に先導されて、大きな星形の山車がしずしずと進んでいく様は、上の絵葉書と変わりません。こちらも「流れ星の天文学(L'astronomie sur l'étoile filante)」と題されていますから、これがこの山車の正式な呼び名なのでしょう。

(一部拡大)

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で、何が「妙」かといえば、この絵葉書に続けて、偶然こんな絵葉書も見つけたのでした。


こちらは、「Mars communiquant avec la Terre(火星と地球の交感)」と題された、これまた星形の山車です。そして、この絵葉書には「1912年」という年号が、欄外に明記されています。

(一部拡大)

これまで、他の町でも行われた同様の催しを手がかりに、冒頭に登場した山車は、1910年のハレー彗星接近をテーマにした、一種の時事ネタ的演目だろうと推測して、これまで疑うことがありませんでした。でも、この火星の絵葉書を見つけたことで、上の推測は再考を迫られることになったのです。

要するに、エクスの町のカーニヴァルには、天文モチーフの山車が複数登場しており、その登場時期もハレー彗星騒動があった1910年に限らない…ということが、この葉書から判明したわけです。

そういう視点で探してみたら、確かにエクスのカーニヴァルには、他にも天体を素材にした山車がたびたび登場していました。他の町はいざ知らず、少なくとも20世紀初頭のエクスの町では、天文モチーフの山車が毎年のように作られ、人気を博したようです。何だか不思議な町です。

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関連する他の絵葉書のこと、そして、この1912年に登場した火星の山車の時代背景について、次回以降考えてみます。

(この項つづく)