夏至の夜、現実は溶け出す2019年06月22日 17時34分45秒



先日話題にした、フェルスマンの『おもしろい鉱物学』
堀秀道さんが訳された日本語版のコピー本を、せっせと作っていました。
これで、いつでも読めると一安心。

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最近はどうもボーっとしがちです。
ボーっとしているときは、考えがまとまらないので、記事も書けません。こういう心の流れに逆らうのは良くないので、こんなときは唯々ボーっとしているに限ります。

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でも、ボーっとしながらも、考えることがあります。


最近机の上に載っている2冊の本。

1冊はコマツシンヤさんの『午后のあくび』
帯を見ると、「ヘンテコなことがあぶくのように湧いてくる、ここは白玉町。この街に住むOLのひび野あわこさんの“うたかたの日々”を綴った、心にすっとしみこむ、キュートなショートマンガです。」とあります。

もう1冊は倉橋正直さんの『日本の阿片戦略』
こちらは、「国際条約に違反して、一大麻薬帝国を形成し、莫大な利益を得ていた戦前の日本!和歌山県、大阪府を中心に国内でも大量になされていたケシ栽培、中国への密輸出、軍の関与…。丹念な調査にもとづき、日本の阿片・モルヒネ政策の実情に迫る!」とあります。

最近ボンヤリ考えるのは、「この2つの世界は、どんなふうにつながっているのかな?」ということです。確かにこの2つの世界は、私という一人の人間が興味を持って手繰り寄せた世界ですから、私を仲立ちにつながっているのは確かです。それにしたって、両者はかなり異質の世界です。ひび野あわこさんと、戦前の阿片王・二反長音蔵(にたんちょう・おとぞう)に何か関係があるとは思えません。

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まあ、ふつうに考えると、阿片政策は過去の<現実>であり、白玉町は<ファンタジー>です。そして、ファンタジーに没入することは、「現実逃避」と呼ばれます。

この「現実逃避」という言葉は、「目の前の嫌なことに目をそむけて、空想の世界に遊ぶ」みたいな意味だと思いますが、明らかに悪口として使われることが多く、私も少なからず現実逃避の癖があるので、耳が痛いです。

でも、ここで反論を試みると、「現実逃避」という言葉は、「唯一絶対の現実」を暗黙の裡に仮定している点で、薄っぺらい言い方だと感じます。そして、「現実から逃げてはいけない」というときの「現実」とは、結局そうやって相手を責める人の「俺様の現実」に過ぎないんじゃないかなあ…とも思います。

人の数だけ「現実」はあるので、声の大きい人の現実を一方的に押し付けられることには、素朴な反発を感じます。

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白玉町は別にどこにあるのでもない、我々の住む世界の一部です。
ただし、我々の世界そのままではなく、それをコンデンスしたものです。優しさも、不思議さも、美しさもこの世界に現にあるものであり、コマツシンヤさんは、それを巧みにすくい集めたに過ぎません。その意味で、白玉町も、あわこさんも、たしかな現実です。

この世には、醜いものも、恐ろしいものも、卑しいものもたくさんあります。
それと同時に、聖なるものも、光り輝くものもたくさんあります。
それら(醜いものや、聖なるもの)を好んですくい集める人も、また大勢います。

芸術家も、宗教家も、歴史家も、科学者も、我々の世界にないものを作ることはできません。皆、その一部をすくい上げて、並べて見せることしか出来ないのです。昔の人は、「地獄も極楽も、どこにあるのでもない、すべてはただ人の心のうちにあるのだ」と言いましたが、それはまったく正しいです。

となると、あわこさんと、二反長音蔵はやっぱり関係があるのです。
関係というか、「連関」と「連環」が、そこにはきっとあるはずです。

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ボーっとしているので、自分でも論旨が分かりにくいですが、ここでフェルスマンに加わってもらうと、多少は分かりやすくなるかも。


現実が、常に醜悪で俗悪なものというのは、ひどい決めつけです。
現実が、フシギでステキなものでもあるのは、フェルスマンを読めば明らかです。
フェルスマンは、たしかに両者をつなぐ環のひとつです。

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一生懸命書いても、やっぱり頭がボーっとして、フワフワします。
別に阿片を吸ったわけではないんですが、早くも夏バテなのかもしれません。
この状態で、内容のあることを書くのは難しいので、ブログの方は、当分暑中モードです。

チューリングの死から思ったこと2019年06月17日 20時36分31秒

今日は天文趣味とも理科趣味とも関係ない“時事放談”です。

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飛び切り斬新な発想で電子計算機の原型を生み出し、ナチスのエニグマ暗号機を打ち負かした天才数学者、アラン・チューリング(1912-1954)。その生涯を描いたのが2014年公開の映画「イミテーション・ゲーム」でした。
 
(16歳のAlan Mathieson Turing,、1912-1954、ウィキペディアより)

映画というものの性質上、あの作品はチューリングの複雑な人生模様を、かなり単純化して描いていたと想像しますが、彼がその華やかな活躍の後、同性愛者として当局の取り調べを受け(当時のイギリスでは、同性愛それ自体が罪でした)、強制的な治療を迫られた末に死を選ぶ…という結末は、非常にビターな印象を与えるものでした。

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当時のイギリス社会では、同性愛はまぎれもなく「異常な傾向」であり、「治療を要する病気」であり、そこに疑問を感じる人はいなかったように見えます。同性愛の「治療者」の中に、「善意」の人が少なからずいたことは、疑うことができません。彼らは、「当人もそれで苦しんでいるのだから、当然救ってやらなければならない」という強い信念に燃えて、その「治療法」を熱心に探ったはずです。

しかし、今の我々から見ると、当時の「おかしさ」がよくわかります。
今の文化基準では、同性愛は何ら異常なものではなく、「正常さのヴァリアント」に過ぎないし、同性愛にネガティブな態度をとる人がいることは依然事実にしても、それはもはや社会的に容認されない態度だからです。したがって、当時の「善意」も、もはや無条件で善と見なすことはできません。

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なぜこんなことを改めて書いたかというと、現在メディアで沸き立っている「ひきこもり」の議論を見て、似たような感想を抱いたからです。

現在、行政も、支援団体も、多くは「ひきこもりは、それ自体異常な行動であり、治療・矯正の対象である」ことを暗黙の前提として、対象と向き合おうとしています。

そのスペクトルは、「焦らず待つことが大切です」というソフト路線から、「連れ出し屋」のような無茶なものまで様々ですが、前提にあるのは、突き詰めて言えば、「ひきこもりは異常だ」という観念に他なりません。そして、「当人もそれで苦しんでいる(はず)だから、当然救ってやらなければならない」という強い信念のもと、「善意」の人々が、今日も有効な「治療法」や「矯正法」を求めて、熱心に議論を続けているのです。

もちろん「ひきこもり」の人の中には、「社会参加したいけど、できずに苦しんでいる人」もいます。そういう人に、社会参加に向けた支援をすることは必要です。まさに「ニーズあるところに支援あり」です。

しかし、本人がひきこもることに何の問題も感じてないとしたら…。
あるいは、さらに積極的にひきこもることを望んでいるとしたら…。

これは症状の「自我親和性/自我違和性」として、昔から知られている問題でもあります。そして、自我親和的な症状(=自分がそれに苦しんでいない症状)は、基本的に治療の対象とはなりません。ただ、社会防衛的観点から、時にそれが政治的マターになるだけのことです。(そもそも、それを「症状」と呼ぶべきかは、大いに議論の余地があります。)

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こういうと、「じゃあ、ひきこもりは、そのままでいいと言うのか?ひきこもったまま、一体どうやって食っていくんだ?」…という意見が、必発でしょう。

しかし、本人がひきこもりの状態に悩んでおらず、将来の生活の糧だけが心配の種だとすれば、そこに必要なのは本来「ひきこもり支援」ではなく、経済支援のはずです。

この点では、いろいろデメリットが指摘されているにせよ、ベーシックインカムの議論は避けて通れないでしょう。少なくともベーシックインカムの拠って立つ思想は、今一度考える価値があると思います。

ここでさらに「働かざる者食うべからず」のスローガンが登場することは、火を見るよりも明らかですが、このスローガンは、よくよく考えねばなりません。「働かざる者食うべからず」というのは、我々の常識に深く組み込まれているので、こう言われると、そこで思考停止状態になりがちです。でも、このスローガンには無数の例外があります。

働かなくても食べてる人、働いても食べられない人、働きたくても働けない人は、世の中に無数にいます。そもそも今の世の中、労働量と収入がまったく比例しないのは何故なのか、それはいかなる理由で正当化されるのか…とか、論点はいくらでもあります。

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いずれにしても、冒頭にかえって、同性愛をめぐる過去の軋轢と、現在進行中のひきこもりをめぐる軋轢の類似性に注目すると、この問題を考える上で、いろいろ見えてくるものがあるよ…というのが、私の個人的意見です。

もちろん、当事者の家族は苦しんでいると思います。そして支援を必要としています。
でも、それはかつての同性愛者の家族の苦しみと同質のものであり、その苦しみを生んでいる社会規範への批判を抜きに、単に苦しんでいるからと言う理由で、その苦しみを正当なものとすることはできないと思います。

空をつるぎが飛ぶ日2019年06月16日 17時24分59秒

今日は一日中涼しい風が吹いていました。
風の音以外何も聞こえない、とても静かな休日で、畳に寝転んで青い空を見ていると、憂き世のことなど忘れてしまいます。しかし、たとえ現実から目をそらしても、その苛烈さが無くなるわけではありません。

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今日も青い幻灯スライドです。

(ロンドン・ニュートン社製、19世紀末)

隅に見える手描きの文字は…


「Comet Sword over Jerusalem (エルサレム上空の彗星の剣)」。

西暦66年1月、エルサレム上空に巨大な剣(つるぎ)の形をした彗星が出現し、人々に何か恐るべき事態が近いことを告げているようでした。


果たしてこの年、ローマ帝国の支配下にあったユダヤ属州の民は、帝国に対して反乱を起こし、ローマ軍との大規模戦争へと発展しました。しかし、ユダヤの民の奮戦も空しく、西暦70年には、ローマ軍によってエルサレムが制圧され、かつてヘロデ王が築いた壮大な第二神殿も、破壊焼亡の憂き目を見たのです。これこそが後世「流浪の民」と呼ばれた、ユダヤ民族の長い苦難の歴史の始まりでした。

なお、後世の学者はこの66年の大彗星を、ハレー彗星と推測しています。

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さて、時は移って西暦2019年の日本。

かつて一時の繁栄を誇った国も、急速に衰運の道をたどり、漠たる不安が社会の隅々にまで広がっています。いずれ天意が象(かたち)となって、大空に出現せぬものでもあるまい…と、昼となく、夜となく、油断なく空を見守る日々が続きます。

水の惑星2019年06月12日 18時57分14秒

梅雨本番です。
ありふれた光景ですが、紫陽花が雨に濡れている風情なんかは、やっぱり好いですね。

考えてみれば、雲が空を走り、大量の水が空から落ちてくるなんて、ずいぶん不思議な現象です。私はその景色を、これまで幾度目にしたのでしょうか?

調べてみると、年間降水日数は、関東や中部だとだいたい100日前後です。この中には雪の日も含まれ、また1ミリ未満の降水日は勘定に入ってませんが、まあ大雑把に言って、私はこれまでの人生で、5千回か6千回の雨を目撃した計算です。多いようでもあり、少ないようでもあり。

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透明なガラスに描かれた青い地図がさわやかな幻灯スライド。
黒枠に金の星のワンポイントも洒落ています。
ピッツバーグのスティエレン光学社(Stieren Optical Co.)が、20世紀初頭に売り出したもの。


これが何かというのは、裏面のラベルに書かれています。
「Land and Water Hemisphere」、すなわち「陸半球と水半球」

地球の陸地は、巨大なユーラシア大陸がある分、明らかに南半球より北半球に偏在していますが、地球儀をいろいろな角度から眺めると、さらに陸地の割合の多い半球と少ない半球に分割できることに気付きます。それがすなわち陸半球と水半球です。


満々と水をたたえた水半球。
そして、精いっぱい陸地を取り込んだ陸半球でも、較べてみると、やっぱり海洋面積のほうが、陸地の面積よりも広いのだそうです。この星は何といっても水の惑星です。空から絶え間なく水が降ってくるのも、ある意味当然なのでしょう。


一面にあふれる青い光。


時には梅雨がうっとうしく感じられる折もありますが、水の惑星の住人として、今年はこの涼しげな水の色を眺めながら、せいぜい水に親しもうと思います。

銀色の天空時計2019年06月11日 07時09分47秒

我が家に豪華な金の時計はありませんが、ちょっと素敵な銀の時計ならあります。


銀といっても素材はピューターです。それと天文時計としての機能はないので、仮に「天空時計」と呼んでみました。東西冷戦下の西ドイツ製で、1970年代頃のもののようです。

さして古くもないし、もちろん2,000万円もしませんが(2,000円よりは高かったですが、2万円よりは安かったです)、白銀に輝くこの時計は、その美しいデザインに心惹かれるものがあります。


銀の空には銀の月輪と地輪が巡って時を告げ、


日輪はといえば、背面で銀の炎をあげて燃え盛り、

(正面向って左にオリオン、右におおぐま・こぐま)

側面には銀の星が浮かび、星座を形づくり、


そして、その下を銀の鳥が一心に飛び続けています。
どうです、なかなか素敵でしょう?

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以下、余談。

その鳥の列なりが天空を一周して、彼らは永遠に空を飛び続けているのだ…と気づいたとき、私は言葉にならぬ思いにとらわれました。その言葉にならぬ思いをあえて言葉にすれば、「いのちの哀しさ」といったようなことです。

おそらく、これは時計のデザイナーの意図から外れた、個人的感傷に過ぎないのでしょうけれど、そのときの私に、ズシンとくるイメージを喚起しました。

理由も目的もないまま、ひたむきに時間と空間の中で循環を続ける生命―。
自分もその片鱗に過ぎないとはいえ、なんだか無性に切ない気がします。
ひょっとして、手塚治虫が『火の鳥』で描きたかったのは、こういう思いだったのかもしれません(違うかもしれません)。

金色の天文時計2019年06月10日 07時00分47秒

今日は時の記念日
これは我が国で初めて漏刻(ろうこく、水時計)が使用されたという、天智天皇の故事に由来する日本限定の記念日ですが、ここでは金色まばゆい異国の時計に登場してもらいましょう。

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昨日、つれづれにYouTubeを見ていて、下の動画に行き当たりました。


An Astronomical Table Clock, Augsburg, Circa 1600, on Auction in London

これは、サザビーズ(ロンドン)の2013年6月オークションに登場した、卓上天文時計の宣伝用動画です。ドイツのアウグスブルクで1600年頃に作られたもので、巧みな金属加工技術と、優秀な時計製作術が合体した、まさに逸品中の逸品。

評価額は12万ポンド~18万ポンドと出ていて、今日のレートで換算すると、1,700万円~2,500万円。モノも驚きですが、世の中にはこういうものをポンと買う人がいるんだなあ…というのがまた驚きです。

検索したら、この品はサザビーズのサイトに、その詳細が載っていました。


A gilt-metal quarter striking astronomical table clock, Augsburg, circa 1600

それによると、実際の落札価格は、評価額のちょうど真ん中、15万8,500ポンドでした。同じく日本円に換算して2,184万円也。やっぱりいいお値段ですね。

でも考えてみれば、億ではなくて2,000万円というのは、いくぶん微妙な数字です。普通の勤労者でも、小っちゃなマンションを買うつもりで、バーンと張りこんだら、買えないことはない額。しかもですよ、マンションはいずれ減価償却で、無価値になってしまいますが、この古時計はそんな心配はないのですから、はるかにお得です。

…という風に考えてみたらどうでしょう?
まあ私も含め、先立つものがなければどうしようもないですが、「長屋の花見」よろしく、とりあえず気分だけでもパーッと景気よく行くのはタダですから、梅雨のジメジメをしばし忘れて、夢を膨らませるのもいいんじゃないでしょうか。

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そういえば、金融庁が「老後に備えて2,000万円貯蓄せよ」と言って、批判を浴びました。今や私の脳裏には、アウグスブルクの金時計が一家に一台、国中にずらっと並ぶ光景が思い浮かびますが、確かにそこまでしないと国民の生活が覚束ないというのは、相当危機的な状況です。

国の破綻を告げる漏刻の水は、今も刻一刻したたり続けています。

「それなのに今の政府は…」と、私なら続けたいですが、それに対する反論も当然あるでしょう。いずれにしても、この苦い現実は、各人がそれぞれの立場で、よくよく考えねばなりません。

水晶山を越えた先に2019年06月08日 15時16分50秒

ここ一週間は、石の話題が続きました。
最初は時計荘さんのイベントの話題からで、その際、メキシコの巨大水晶の洞窟と小さな水晶の群晶の写真を並べました。




あの洞窟をゆく探検家に、小さな水晶山に分け入ってもらうと、こんな感じになります。


私はこういう空想をするのがわりと好きで、写真の切り貼りこそしませんが、心の中ではしょっちゅうそういう像を思い浮かべます。そして、そこからボンヤリと、それに続く物語を展開させたりします。

(Water Droplet. (C) fir0002 flagstaffotos [at] gmail.com)

あるいは一滴の水玉のうちに、宇宙の生成消滅を思い浮かべてみたり。


何だか幼い気もしますけれど、そういう空想をする人は、わりと多いでしょうし、これは間違いなく人間の自由さの表れでもあります。人間は――少なくともその精神は――空間と時間の枠を超えて、同時に複数の場所に存在できるし、複数の経験をすることができるのです。

…というようなことを、余命が乏しくなってくると、しきりに考えます。

フェルスマンの大地へ2019年06月07日 06時41分05秒

昨日のフェルスマンの原著を買ったのは8年前のことですが、フェルスマンへの傾倒は、その後もずっと伏在していました。


去年の6月、ソ連生まれの岩石・鉱物標本セットを見つけたとき、それがただちに甦り、これでフェルスマンの古い友人たち――彼が目にし、手にした石たち――に、ようやく会えると思ったのです。

(『おもしろい鉱物学』原著付図。広大なソ連の主要鉱産地)

標本自体は1960年代のものらしいので、フェルスマンよりも後の時代のものです。
箱もプラスチック製の安手な感じですが、そこに居並ぶ石たちは、たしかにフェルスマンの故国の住人たちです。


律儀に整形された、30種類の石たち。


標本に付属する内容一覧は、当然ロシア語で、一瞬くじけそうになりますが、ここが踏ん張りどころ。これを無理にでも読み下さなければ、フェルスマンの故国への扉は開きません。その頑張りの成果が以下。

■内容目録 鉱物・岩石30種標本
1 苦灰石中の天然硫黄/トルクメニスタン、ガウルダク〔マグダンリー〕
2 黄銅鉱を伴う斑銅鉱/南ウラル、ガイ
3 閃亜鉛鉱/カザフスタン、ジャイレム
4 並玉髄(コモン・カルセドニー)/カザフスタン、ジャンブール
5 斜方晶チタン石(sphene prismatic crystal)/コラ半島
6 雄黄(orpiment)/キルギスタン、アイダルケン
7 アマゾナイト/コラ半島
8 金雲母/コラ半島
9 ラズライト(青金石)/パミール、ランジュヴァルダラ(? Lanjvardara)
10 ばら輝石/ウラル、クルガノヴォ
11 榴輝岩(エクロジャイト)中の苦礬柘榴石(くばんざくろいし)/南ウラル、シュビノ
2 蛇紋石/ウラル、バジェノボ
13 青色方解石/バイカル、スリュジャンカ
14 アイスランドスパー(氷州石)/エヴェンキア〔中央シベリア〕
15 石膏(劈開模様あり)/トルクメニスタン、ガウルダク〔マグダンリー〕
16 透石膏/ウラル、クングル
17 粒状燐灰石/コラ半島、ヒビヌイ山脈
18 菱苦土鉱/ウラル、サトカ
19 蛍石/裏バイカル地方
0 アマゾナイト花崗岩/カザフスタン、マイクル(? Maikul)
21 黒曜石/アルメニア
22 貝殻石灰岩/マンギスタウ半島〔カザフスタン〕
23 ピンクマーブル/バイカル、スリュジャンカ
24 蛇灰岩(オフィカルサイト)/ウラル、サトカ
25 砂金石(アベンチュリン)/ウラル、タガナイ
26 赤色珪岩(ラズベリー・クォーツァイト)/カレリア、ショクシャ
27 リスウェナイト(Listwanite)/ウラル、ベレゾフスキー
28 碧玉/ウラル、オルスク
29 ウルタイト(urtite)※※/〔コラ半島〕ヒビヌイ山脈
30 魚卵状(oölitic)ボーキサイト/カザフスタン、アルカルイク

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当然、誤読・誤解・誤訳もあるでしょう。それでも、ウラル、カザフスタン、コラ半島…etc.の文字の向こうに、『石の思い出』の世界が、鮮やかによみがえります。


ここには少壮のフェルスマンが、選鉱台上を黒い帯となって流れるのを見つめた、アルタイ山地の閃亜鉛鉱(第1章)もあれば、


勇敢なソビエトの地質学者が、苦闘の末に見つけた、パミール高地のラピスラズリ(第13章)もあり、


古い石膏細工の村で、職人たちが手にしたクングルの透石膏(第4章)があるかと思えば、


北のコラ半島で鉄道新駅の名前の由来となった、同地の燐灰石(第15章)もあります。


そして、世界有数の模様と色彩でフェルスマンを幻惑した、オルスクの碧玉(第12章)も…。

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嗚呼、フェルスマン博士よ―。
極東の島には、今もこうして博士のことを敬慕する人間が、たしかに少年の瞳は失ってしまったけれど、それでも石の物語に耳を澄まそうとしている人間がいるのですよ…と手紙を送りたい気分です。


以上が、私の“『石の思い出』の思い出”です。

(この項おわり)


【註】
Listwanite(リスウェナイト)はオフィオライト中の変質した苦鉄質岩を表す用語であ り、〔…〕ウラル地方の金鉱床地帯やソビエト国内のその他の金鉱徴地において主としてロ シアの地質学者の間で使用されてきた」 (→LINK

※※Urite  主として霞石(岩石の約85%)と強磁性鉱物(エジリン輝石、エジリン-普通輝石、およびソーダ-鉄角閃石)から成る粗粒の火成岩。 その名はロシアのコラ半島にあるLujaur-Urtに由来し、不飽和閃長岩の一種である。」 (→LINK

フェルスマンに会う2019年06月06日 07時02分37秒

フェルスマンに会うために私がしたこと。それは、彼の生前に出た、彼の本を手にすることです。「なあんだ」と思われるかもしれませんが、私はそうすることで、彼の肉声に触れ、その体温をじかに感じられるような気がしたのです。

そこで見つけたのが、Занимательная Минералогия(おもしろい鉱物学)』という大判の本です(1937、モスクワ)。


…といって、体温はともかく、肉声の方はなかなか難しいです。
題名からして、このキリル文字をラテン文字に置き換えると、「Zanimatel'naya Mineralogiya」となると、Googleは教えてくれますが、「ミネラロギヤ」はともかく、最初の単語は何度読み上げてもらっても聞き取れないし、ましてや発音できません。


そんな次第なので、せっかくのフェルスマン博士の本も、ときどき挟まっているカラー図版を楽しみに「めくる」ことしかできず、きっと滋味あふれることが書かれているのだろうなあ…と想像するばかりです。でも、これはたとえ本物のフェルスマンに会うことができても、彼の母国語を理解できないので、同じことでしょう。


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この本のことは、『石の思い出』にも出てきます。

その最終章(「第19章 石にたずさわる人々」)で、フェルスマンは自著に対する少年少女の感想を並べ、これからも多くの素晴らしい人々が、鉱物学の発展に力を尽くしてくれるだろうと期待しつつ、筆をおいています。(以下、〔…〕は引用者による略。引用にあたって漢数字をアラビア数字に改めました。)

 「私の書いた『おもしろい鉱物学』に応えて、大勢の若い方々から手紙をいただいた。たくさんの若い鉱物ファンが我が国に生まれているのである。それらの手紙は純真率直で、自然と国に対する深い信頼をもって書かれている。〔…〕

 「ぼくは小さいときから石が好きでした。いつも石を家へ運び込むので怒られたことが何回もありました。」(12歳の少年が大きな文字で書いたもの、1934年)
〔…〕
 「ぼくは化学と鉱物が前から好きでした。もう64個の鉱物標本を集めました。ぼくはもう13歳です。自分の実験室を持っています。結晶をつくることもできます。学校(7年制)を終えて、すぐ科学アカデミーへ入ることはできますか」(1931年)
 「本をありがとうございました。私たちはお父さんの部屋から持ってきて、自分たちの部屋へ置きました」(8歳と10歳の女生徒)
〔…〕
 「ぼくは小さいときからよく家から外に出て、小鳥や動物や植物を観察していました。コレクション用に標本を集めました。そのころから6年たちました。ぼくは少年サークルを2つつくりました。そして天山山脈に登山し、岩の中から野生のネギや有用植物を採集しました。その山の中で、ぼくは石に興味をもつようになりました。大地の秘密を解き、大地の富を開拓しようと決心しました」(7年生)
〔…〕
 「私は19歳の娘です。鉱山大学の地質・探鉱学部へ入学することが以前からの念願でした。ところが、女はこの仕事に向かないし、仕事のじゃまになると男の人たちはいいます。これはほんとうでしょうか、どうぞ教えてください。現場の職員になることを希望しています」(1929年)

 このような手紙がまだたくさんきている。私は一言も付け加えていないし、間違いを直してもいない。飾り気のない文章と若い魂の息吹を保とうと思ったからだ。」
(邦訳pp.193-195)

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まぶしい感想が続きますが、ここまで書いたところで、その差し出しが1937年以前であることに気づきました。

「あれ?」と思って、英語版やロシア語版のウィキペディアで、フェルスマンの項目を見たら、『おもしろい鉱物学』は1928年に初版が出て、1935年に改訂版が出ていること、さらに30か国以上で翻訳・出版されていると書かれていました。したがって、手元にあるのは、改訂版の、さらに後に出た版になります。改めて本書が評判を呼んだベストセラーであることが分かります。


手元の本は、扉にべたべたスタンプが押されていて、図書館除籍本のようですが、この本をかつて多くの少年少女が手にしたのか…と思うと、フェルスマンの引用した彼らの声が、いっそう生き生きと感じられます。

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ここでさらに、「30か国以上で翻訳・出版」と聞いて、「もしや…」と思い調べたら、果たして『おもしろい鉱物学』は、邦訳も出ていることが分かりました。

訳者は同じく堀秀道氏です。1956年に出た『石の思いで』(初訳時は『…思い』ではなく『…思い』)から11年後の1967年に、同じ版元(理論社)から出ています。これで「体温」ばかりでなく、「肉声」の方も、その内容を無事聞き取れることになり、めでたしめでたし。

ただ、この邦訳『おもしろい鉱物学』は、絶版久しい相当な稀書らしく、古書検索サイトでも見つかりませんでした。やむなく近くの図書館で借りてきましたが、ついでに『石の思いで』の旧版も借りることができたので、これはこれでラッキーな経験です。

(邦訳『おもしろい鉱物学』の底本は1959年版。この本がフェルスマンの死後も盛んに版を重ねていたことが分かります。)

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こんな風に話を広げていくと、なかなか読書の楽しみは尽きません。
これもブログの記事を一本書こうと思ったからこそなので、やっぱり書くことは大事です。

さらに石の物語を追って2019年06月04日 20時42分26秒

「石の物語」ということから、A.E.フェルスマン『石の思い出』を連想し、再読していました。

(堀秀道・訳、草思社、2005)

この本のことは、ずいぶん前に取り上げた気がするのですが、探しても該当記事が見つかりません。どうやら、私の脳内だけの紹介にとどまっていたようです。そんなわけで、改めてフェルスマンの登場です。

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ずばり、これは良い本です。
こういうものを本と呼び、こういう体験こそ読書というのでしょう。もちろん、これはその人の感覚に合う/合わないにもよりますが、私の個人的要因を差し引いてもなお、これは良い本といって差し支えないです。

これがどういう種類の本か、それは冒頭の「著者のことば」に最もよく表れています。

 「興味深い小説を読むときのように、“先に終わりを見てから一気に読みくだす”――このようにはこの本をお読みにならないでください。
 仕事をしながら、新聞を読みながら、ラジオの音楽を聴きながら、電話や仕事の話の合間に、この本をお読みにならないでください。
 そのかわり、ちょっとひと休みしたいとき、目新しい興味を得たいとき、一般に知られていない珍しい分野に浸りたいとき、このようなときに、ぜひ読んでいただきたい。
 『石の思い出』は、ある人生の歴史であり、自然へ寄せた風変わりな愛情の記録であり、五十年もの長い時間をかけて探りつづけた自然の秘密でもあります。〔…〕」

この本は暇のあるときに、のんびり読むのがふさわしいです。でも、「暇つぶし」に読まれるべきではなく、心で味わわれるべき本です。

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アレキサンドル・エフゲニェビッチ・フェルスマンは、1883年にペテルブルグで生まれ、人生の前半を帝政ロシアで、後半を革命後のソビエト連邦で送った鉱物学者です。亡くなったのは1945年、第二次大戦終結の直前で、この『石の思い出』は、まさにその没年に出ています。 <6月6日訂正: 邦訳が底本にしたのは1945年版ですが、『石の思い出』自体は、1940年初版の由>

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一連の物語は、老学者が炉辺で物思いにふけるシーンから始まります。
外はしんしんと降る雪――。老学者はその気配にじっと耳を澄ませます。

そこに湧き上がる思い出の数々。
そこから展開するエピソードの主人公は、フェルスマン自身のこともあるし、彼が他の誰かから聞いた話の再録の場合もありますが、いずれも過去のある時点で、フェルスマンがじかに接した思い出の数々です。

岩石と鉱物は、この碩学の人生を常に彩ってきました。
北の果てに住む老女から聞いた「サアーミ人の血で赤く染まった石」の伝説。愉快な鉱物採集の旅が、突如暗転した人間の心の闇。イタリアのエルバ島で極上のピンクトルマリンが採れなくなった理由を悲しげに語る古老の顔。天青石の瞳を持つ女性を詠った革命詩人…。温暖な黒海沿岸で、雪で覆われた北のコラ半島で、さらに遠い異国で、フェルスマンは多くの石の思い出とともに日々を送ってきました。

彼の透徹した観察眼は、大地にも人間にも向けられ、そのペンが描き出す美しい自然と、奥行きのある心理描写は、この本を実に豊かなものにしています。

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この本に深い味わいを与えているのは、すぐれた訳文の手柄でもあります。
訳者の堀秀道氏(1934-2019)については、今さら言うまでもないでしょうが、在野で長く活躍し、日本の鉱物趣味の普及発展に大きな力のあった方です。惜しくも今年の1月に亡くなられました。

堀氏は、フェルスマンのこの本を、すでに20歳のときに初訳されています(理論社、1956)。それを50年後に再訳されたのは、多くの読者の声に応えるためもありましたが、堀氏自身、この書に深い愛着があったからでしょう。

旧訳と新訳の間で、当然ことばの彫琢も加わっているでしょうし、堀氏自身の人生経験も重なることで、この本の味わいをいっそう深めています。

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かつてこの本に強い感銘を受けた私は、フェルスマンに会いに行こうと思い立ち…といって別にロシア旅行を企画したわけではなくて、例によってディスプレイの前に陣取って、いろいろいじましい画策を始めたのですが、それはまた次回。

(この項つづく)