Constellations a la Rococo2023年12月21日 18時00分31秒

先日、スウェーデン生まれの美しい星図を話題にしたとき(LINK)「そういえば、この星図は例の本に載っていたかな?」と気になりました。
「例の本」というのは、星図コレクターのロバート・マックノート氏が編んだ、19世紀~20世紀前半の作品を中心とする大部な星図ガイドブックです(下記参照)。

■星図収集、新たなる先達との出会い

で、さっそく本棚から引っ張り出してきたんですが、さしものマックノート氏もこの星図にはまだ気付いてないようで、収録されていませんでした。こういうのは、たとえつまらない慢心と言われようと、あるいは「お前さんは、単にdubheさんの受け売りに過ぎないじゃないか」と言われようと、なんとなく誇らしいものです。

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そのついでに、しばらくぶりにマックノート氏の本をパラパラやっていたら、こんな星図が目にとまりました。


星図といっても書籍由来のものではなく、フランスで発行された宣伝用カードです。ベルサイユチックというか、ロココ調というか、星図そのものはともかく、そのカードデザインにおいて繊細華麗をきわめた品。

以下、マックノート氏による解説を引かせていただきます(一部抜粋、適当訳)。

星座のトレーディングカード、1900年頃
パリ、Hutinet〔ユーティネ〕社
豪華な金色の背景を伴う多色石版による3枚の宣伝用カード。
4.5インチ×3.25インチ〔11.5×8.3cm〕


この種のカードは、19世紀にしばしば6枚セットで発行され、さらに多くの枚数から成るシリーズ用として、カード保存用の専用アルバムも用意されていた。ここに挙げた2つの星座は、一般には代表的星座とは見なされないので、これら3枚も、おそらくはもっと多くのカードを含むセットの一部なのだろう(ただし、はくちょう座もりゅう座も、下の北天カードに登場している)。

非常に希少な品。私が購入したカード専門のオークションサイトでも、もちろん「レア」と記載されていたし、当時インターネット上では何の情報も得られなかった。数年経つ今でも、私はまだ他の例を見たことがない。」

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この「激レア」カードは私の手元にもあります。


記録をさかのぼると、私は今からちょうど10年前にこれを購入していて、特に珍品とも意識せずにいましたが、マックノート氏にここまで書かれると、再び慢心がつのってきます。しかも、こちらは自前で見つけた品ですからなおさらです。



(裏面はすべて白紙)

私の手元にあるのは、いずれも星座単独のカード10枚で、北天星図カードが欠けているので、残念ながらこちらもコンプリートではありません。

では元のセットはいったい何枚で構成されてたのか?
ひょっとして、これは全天星座を網羅した一大シリーズなのだろうか?
…と思案するうちに、「ただし、はくちょう座もりゅう座も、下の北天カードに登場している」というマックノート氏の言葉に、はたと膝を打ちました。


この北天星図を凝視すると、

おおぐま座、こぐま座、ヘルクレス座、りゅう座、ふたご座、おうし座、アンドロメダ座、ペガスス座、はくちょう座、いるか座、こと座

の11星座が金色で刷られています。そして、こと座を除く10星座が私の手元に揃っています。これは即ち上記の11星座に北天星図を加えた、全12枚でセットが構成されていたことを意味するのではないしょうか(あるいは、さらに南天星座12枚セットも作られたかもしれませんが、この北天シリーズが12枚セットというのは動かないと思います)。

…というわけで、マックノート氏と私のたくまざる協働によって、幻の星座カードの全容まであぶり出されたわけで、まずはめでたしめでたし。

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ちなみに発行元のD. Hutinet社は、トレーディングカードの大手「リービッヒカード」(リービッヒ社のスープの素に入っていたおまけカード)も一部請け負った印刷会社のようです。またネットで検索すると、19世紀パリの写真機材メーカーに同名の会社が見つかりますが、両者の関連は不明。

(メーカー名は隅っこに控えめに書かれています)

なお、マックノート氏はこのカードを「1900年頃」と記載していますが、私的には「19世紀第4四半期」あたりのように感じます。

スウェーデン生まれの極美の星図2023年12月16日 07時47分05秒

(前回のつづき。今日は2連投です)

この地図帳と星図の存在は、dubheさんのツイートで教えられました。

博物画を専門に商い、豊富な知識と鋭い鑑識眼で知られるdubheさんをして、「星図は個人的には19-20世紀で最も美しい図版と思ってます」と言わしめた、この極美の星図をどうして手に入れずにおられましょうか。それが苦労の末に届いた時の喜び、それをどうか思いやっていただきたいのです。

(第49図)

(第50図)

第49図は黄道帯付近、第50図は南北両極を中心とした星図です。
いずれも見開きに左右振り分けで2枚の図が収録されているので、星図としては都合4枚になります。


それにしても、この表情といったら…。
厚手の高級紙、しかも私好みのニュアンスのある無光沢紙に、絶妙の色合いで刷られた夜空と星、そして繊細な星座絵。


煙るような銀河の表現は、本当にため息が出るほどです。


私を含め、多くの方がdubheさんの言葉にうなずかれるのではないでしょうか。


スウェーデンの天文古書というと、基本的に他国の翻訳物が多い印象がありましたが、こんなふうに卓越したデザイン能力と印刷技術を見せつけられると、もっと本腰を入れて探すべきではないかと思いました。

北欧世界地図帳2023年12月16日 07時40分52秒

今日はひさしぶりの休日。記事を再開します。

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前回登場したいわく付きの地図帳ですが、あの地図帳には、さらに長い前史…というほどでもありませんが、経緯があります。あれを注文したのは、前述のとおり今年の9月でしたが、私は同じ本を5月にも一度注文しています。しかし、オランダの本屋さんからは待てど暮らせど発送の連絡がなく、メールで問い合わせても梨のつぶて。結局しびれを切らして、3か月目にキャンセルしました(このときは古書検索サイトが、古書店に代わって返金処理をしてくれたので助かりました)。

その後、2度めのチャレンジの結果がどうなったかは、前回書いたとおりです。

しかし、あの地図帳をどうしても手に入れたかった私は、スウェーデン王立図書館の権威を振りかざす怪しい古書店と揉めている最中、別の店に3度めの発注をかけました。幸い「二度あることは…」とはならず、今度は無事に真っ当な商品が届いて、ほっと胸をなでおろしました。正直、2軒めの店のせいで、スウェーデンの印象もだいぶ悪化していましたが、やはりスウェーデン人の多くは実直で、2軒めの店主が特異なのでしょう。


三度目の正直で届いたのがこちら。


50枚の図版を含むだけあって、36枚の図版しか含まない問題の地図帳(上)と比べると、判型は同じでも、厚さがずいぶん違います。

改めて本書の書誌を記しておきます(ちなみに36図版バージョンも、同出版社・同書名・同発行年なので要注意)。

■S. Zetterstrand & Karl D.P. Rosén(編著) 
 Nordisk Världsatlas(北欧世界地図帳).
 Nordisk Världsatlas Förlag (Stockholm), 1926.
 表紙40×26 cm、見開き図版50図+解説136頁+索引48頁

書名で特に「北欧」を謳っているのは、一連の地図の中でも、特に北欧エリアが詳細だからでしょう(「北欧」のパートには全11図が含まれています)。



上質の紙に精細に刷り上げた美しい石版の地図帳は、大戦間期の世界を覗き込む興味はもちろん、紙の本ならではの「めくる愉しみ」に富んでいます。
それだけなら、36枚版でもいいのでしょうが、私が50枚の図版にこだわったのにはワケがあります。


STJÄRNHIMMELN ――すなわち「星図」。
この地図帳の最後を飾る第49図と第50図は美麗な星図で、それをどうしても手に入れたかったからです。

(この項つづく)

金緑の古星図2023年10月14日 18時29分09秒

これまた東洋趣味の発露なんですが、韓国郵政(Korea Post)が2022年に、こんな美しい切手シートを出しているのを知りました。

(左側の円形星図の直径は約14cm)

切手といっても、ミシン目のある昔ながらの切手ではなく、最近はやりの「切手シール」による記念シートです。

テーマとなっているのは、朝鮮で作られた古星図、「天象列次分野之図」
同図には、李氏朝鮮の初代国王・太祖の治世である1396年に制作(石刻)された「初刻」と、それを第19代国王・肅宗の代(1674-1720)に別の石に写した「再刻」があり、いずれも現存します。この切手のモデルになっているのは、後者の再刻のほうです。

(奈良文化財研究所 飛鳥資料館発行『キトラ古墳と天の科学』より)


世上に流布しているのは、「原本」にあたる碑石から写し取った拓本ですが、その墨一色の表現を金彩に変え、輪郭線のみだった銀河を金緑で満たしたのは鮮やかな手並みで、なかなか美しい仕上がりです。



印刷精度も良好で、すぐ上の画像は、左右幅の実寸が約65mmしかありません。


私は面倒くさがりなのでやりませんが、これは額装して飾ってもいいかもしれませんね。


【参考】 天象列次分野之図については、以下に詳しい説明がありました。

■宮島一彦「朝鮮・天象列次分野之図の諸問題」
 『大阪市立科学館研究報告』第24号(2014)、 pp.57- 64. 

インドラの網のその彼方へ2023年09月17日 10時09分34秒

Etsyに出品している方に、こんなものを作ってもらいました。

(木製フレームの外寸は25cm角)

ブルガリア在住のその方は、時刻と場所を指定すると、その時・その場で見える星空を正確に計算して、こんなふうに宝石を散りばめた星図として作ってくれるのでした。主に大切な人への誕生日のプレゼント用のようです。しかし、私が今回あつらえたのは誕生日ではなく、ある人とのお別れの日を記念するためです。


SEPT 21. 1933/HANAMAKI, IWATE/39°23′N 141°7′E

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90年前の9月21日、宮澤賢治は37歳で息を引き取りました。
上のキャプションには年月日までしか書かれていませんが、時刻は13:30、賢治の臨終のときに合わせてあります。

 「九月十七日から鳥谷ヶ先神社祭礼。連日、店先へ下りて人の流れや鹿踊り、神輿を観る。二十日、容態が変る。急性肺炎。しかし夜七時頃肥料相談に来た農民には衣服を改め一時間ばかり正座して応対した。夜、並んで寝んだ清六に原稿を託す。翌二十一日午前十一時半、喀血。国訳法華経一千部の印刷配布を遺言し、自ら全身を、オキシフルに浸した綿で拭ったのち息絶え、魂はとび去った。午後一時三十分だったという。」 (天沢退二郎(編集・評伝)、『新潮日本文学アルバム12 宮沢賢治』より)

(出典:同上)

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その作品を通して、空を色とりどりの宝石で満たした賢治。


 「いつの間にかすっかり夜になってそらはまるですきとおっていました。素敵に灼きをかけられてよく研かれた鋼鉄製の天の野原に銀河の水は音なく流れ、鋼玉の小砂利も光り岸の砂も一つぶずつ数えられたのです。
 またその桔梗いろの冷たい天盤には金剛石の劈開片や青宝玉の尖った粒やあるいはまるでけむりの草のたねほどの黄水晶のかけらまでごく精巧のピンセットできちんとひろわれきれいにちりばめられそれはめいめい勝手に呼吸し勝手にぷりぷりふるえました。」

心象風景を美しい散文詩で描き出した『インドラの網』の一節です。


「『ごらん、そら、インドラの網を。』
 私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互いに交錯し光って顫えて燃えました。」

全天を覆う赤経・赤緯線とそこに散りばめられた星座たち。
現代の星図は、まさに「インドラの網」さながらに感じられます。


昼日中のこととて、人々の目には見えませんでしたが、賢治の旅立ちを見送った(あるいは迎え入れた)星たちは、たしかにこんな顔触れだったのです。

(この星図には、太陽・月・諸惑星の位置もきちんと表示されています)

思うことは多々ありますが、今は贅言を慎んで、間もなく訪れる90年目の忌日を静かに迎えたいと思います。

銀河鉄道の道しるべ2023年06月29日 06時09分25秒



昨日の黒い帽子の下には、この黒いビニール製のフォルダーが写っていました。


中身はこんな黒々とした星図です。
素材はプラスチックで、大きさは24.5×38.7cm。
表現されているのは、明るく目立つ星だけなので、何となくおもちゃめいた感じもします。


でも、それだけに星の並びが鮮明で、右下の北十字(はくちょう座)からさそり座を経由して左上の南十字に至る「銀河鉄道」のルートが一目瞭然です。


付属の透明グリッド板を重ねれば、星の方位や距離を読み取ることもできるし…


惑星の位置を書き込めるよう、レモンイエローの油性鉛筆(chinagraph pencil)まで付属していることを考えると、この星図はおもちゃどころか、相当渋い品です。

(星図裏面に書かれた惑星の記入要領)

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改めてこの星図が何かといえば、英国空軍省(Air Ministry)が発行した天文航法用星図――すなわち、飛行機乗りが星を頼りに方位を見定めるためのツールです。

英国空軍省は、第一次世界大戦末期の1918年に創設され、1964年に海軍本部および戦争省とともに、現在の国防省に統合された…という主旨の記述がウィキペディアにあります。本体がプラスチック製ということを考えると、これは戦後の1950~60年頃に作られたもののようです。

賢治と軍隊というと。いかにも縁遠い気がしますが、これはずばり「空を飛ぶための星図」ですから、銀河鉄道の旅にはいっそふさわしいかもしれません。

黄金の星図集(後編)2023年02月26日 08時31分00秒



そこにあるのは、例えばペガスス座とカシオペヤ座のこんな姿です。

本書はまぎれもなく天文書であり、これは星図なのですから、当然といえば当然ですが、その星の配置はきわめて正確です。しかし、その星の並びを覆い尽くすように描かれた星座絵の何と華麗なことか。



しかも、その絵柄がすべて金一色で刷られていると知ったときの驚き。

美麗にして豪奢、19世紀ウィーンに乱れ咲いた、まさに宝物のような星図集です。まあ、実際に星見のガイドに使うことを考えると、星よりも星座絵のほうが目立ってしまって使いにくいと思いますが、ここまでくれば、それはあまり大した問題ではないでしょう。

おとめ座とへびつかい座)


(さそり座とりゅう座・こぐま座)


こんな具合に、本書は32枚(すべて裏面は空白)の「黄金の星図」によって北半球から見た星空を描き、



さらに巻末にはこんなアレゴリカルな図が載っているかと思えば、



冒頭を彩るのは、美しい12星座の口絵で、



しかも折り込みで、さらに大判の豪華な北天星図まで付属するのですから、もはや何をか言わんやという感じです。

 

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ここに収められた星座絵を、私は「ユーゲント・シュティール」、すなわちフランスのアール・ヌーヴォーに相当するドイツ語圏の様式と見たんですが、ユーゲント・シュティールが幅を利かせたのは、19世紀も末のことなので、本書が刊行された1858年とは年代が合いません。果たしてこういう様式を何と呼ぶべきか、あるいはイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動がウィーンにまで飛び火したんでしょうか?識者のご教示をいただければと思います。


【2月26日夕刻 付記】 いろいろ考え合わせると、年代的・様式的に符合するタームは「ラファエル前派」ですね。ただ、イギリス生まれのラファエル前派とウィーンの媒介項は依然不明です。



これら一連の石版画を制作したのは、「ライフェンシュタイン&レッシュ芸術社(Artistische Anstalt von Reiffenstein & Rösch)」で、ネットで検索すると同社の手掛けた作品がいろいろ出てきますが、その歴史は今一つはっきりしなくて、19世紀のウィーンで活動した石版工房という以上の情報は得られませんでした。


黄金の星図集(前編)2023年02月25日 16時28分09秒

自分の書いたものを読み返して、「おや?」と思いました。
一昨日の天皇誕生日には、「今日は久しぶりに休日らしい休日」だと書きました。
でも、その4日前の記事を見ると、「おだやかな日曜日」云々の文字があります。

「あれ?そうすると、これを書いた人は、いつもは二日にいっぺんぐらいノンビリ休日を楽しんでいることになるぞ?」と思ったわけです。もちろんそんなことはなくて、たとえ「おだやかな日曜日」ではあっても、休日らしくない過ごし方というのはいろいろあるものです。

…と、自分と周囲の人に言いわけしつつ本題に入ります。

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「そういえば…」の続きなのですが、以下は昨年10月の記事。

■星図収集、新たなる先達との出会い

イギリスの星図コレクター、ロバート・マックノートさんが私家版で出した星図案内書を紹介しつつ、この本に触発されて、私も何冊か天文古書を新たに購入したという内容でした。その際買い入れた本については、すでにいくつか登場していますが(LINK①LINK②)、その中に途方もない本が含まれていたことは、まだ書いていませんでした。


マックノートさんの本だと、ここに紹介されているのがそれです。

■Jan Daniel Georgens & Jeanne Marie von Gayette(著)
 『Sternbilder-Buch』(星図の本)
 L. C. Zamarski, C. Ditmarsche & Comp. (Wien),  1858.

「途方もない」と書きましたけれど、実際これは途方もない本です。
美しいと言われる天文古書を、私はこれまでもずいぶん見てきました。でも、まだこんな本が世間には埋もれていたのか…と、ちょっと呆気にとられました。


38×29cmの堂々たるフォリオ判の大冊。


マックノートさんのものよりも状態が悪いのが残念ですが、まあ御年165歳の本ですから、それもやむを得ません。


その本の中身なんですが、前半は文字だけの星座解説が素っ気なく続き、本書の肝である星図はそのあとにまとめて綴じられています。

(長くなるので、いったんここで記事を割ります。この項続く)

ボーデの『星座入門』を眺める2023年02月23日 18時18分44秒

仕事が突沸するときはどうしようもないものです。
でも、今日は久しぶりに休日らしい休日を過ごしました。

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ノンビリついでに本棚を見回し、ふと昨年12月に書いた記事を思い出しました。

■アルビレオ出版からの贈り物:ボーデの『星座入門』
1805年に出た星図集の複製本を注文した…という内容です。
「そういえば、あれはどうなったかな?」と思いましたが、別にどうなったもこうなったもなくて、現物はその後まもなく届いたんですが、私自身が文字にするのをサボっていたので、ブログの表面からは消えた話題になっていました。せっかくなので、その内容をここで見ておきます。


表紙サイズは21×29.5cmの横長の判型で、背と角をレザーで補強した、凝った四分三装丁(Three Quarter Binding)です。


表紙中央にタイトルが貼り込まれていますが、そこが空押しで凹んでいるのが、芸の細かいところ。神は細部に宿るというか、玄関を見ればその家が分かるというか、こういう点にアルビレオ出版のこだわりが出ています。


可愛らしいタイトル口絵。


全34図のうちの第1図、北天星座図。


細部を拡大してみます。この画像で左右約38mm。近くでじっくり見るとドットの存在がわかりますが、パッと見では気にならないレベルです。
アルビレオ社の製品は押し並べてそうなのですが、この本も一般にカラー印刷にふさわしいとされるツルツルの紙は使わずに、ニュアンスのある無光沢紙を使っています。これも私にとっては嬉しい点。

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以前も書きましたが、このボーデの『星座入門』の元となったのは、イギリスのフラムスティード(John Flamsteed、1646-1719)が手掛け、その死後に刊行された『天球図譜(Atlas Coelestis)』(1729)です。

もっと正確にいうと、『天球図譜』の約半世紀後(1776)に、フランスのフォルタン(Jean Nicolas Fortin)が、原書を約3分の1サイズに縮小して再刊した、いわゆる「フォルタン版・天球図譜」が元になっています。

まあ、フォルタン版は幾度か版を重ねているし、ボーデの本も途中で版を改めているので、その書誌は入り組んでいてよく分からないのですが、ここでは単純に1776年に出たフォルタン版の初版と比べてみます(といっても、こちらも本物ではなくて、1943年に日本で出た複製本です。→参考LINK)。


ぎょしゃ座付近。星座絵は基本的に同じですが、目を凝らすと違いが目立ちます。
たとえば、ボーデの本には、ウィリアム・ハーシェルによる天王星の発見(1781)を記念する「ハーシェルのぼうえんきょう座」が描かれていますが、フォルタン版には当然ありません。また描かれている恒星の数もずいぶん違います。この間の観測の進展によって、より詳しいデータが利用できるようになったせいでしょう。


こちらはうお座をアップして比較。恒星の数の違いはもちろん、星座絵そのものや星座境界も、ドイツで新たに版を起こした関係で、いろいろ違いが生じているのが分かります。


こちらはみずがめ座・やぎ座付近ですが、注目してほしいのは左のブランクページです。


お分かりのように、そこにある「染み」は印刷によるものです。
空白ページの表情も、きっちり写真に撮って再現しようというのは、高価なファクシミリ版なら普通ですが、リーズナブルな複製本でここまでやるのは、趣味的経営の(ように見える)アルビレオ出版ならではです。


北天を載せたので、おまけに南天星座図も載せておきます。


本書の奥付。本書は全部で399部作られ、手元の1冊はNo.165でした。

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我ながら何だか提灯記事っぽいですが、私は当然アルビレオ出版からお金をもらっているわけではありません。でも、勝手連的に同社を応援しているのは確かで、ここは大いに提灯を掲げ、鳴り物入りで触れ歩こうと思います。

He will be back.2023年02月16日 20時44分44秒

昨日のハレー彗星の早見盤をゆずっていただいたとき、もう1つ興味深い品がオマケに付いてきました。


それは私の机の上では広げることもままならない大きな星図で(45×120cm)、科学雑誌「ニュートン」(1985年11月号)の付録についてきた、素性からして正真正銘のオマケです。

しかし、これは決して軽んずべき品ではありません。
ここにはハレー彗星の天球上の位置変化が詳細にプロットされており、その意味では昨日の早見盤も同じですが、大きく違うのは、そのタイムスパン。この星図には、実に1909年から2063年まで、つまり前々回(1910)と前回(1986)、そして次回(2061)の近日点通過を含む、彗星の2周期分の見かけの位置が、まるごと描かれているのです。


上の説明にあるように、その軌跡は、順行と留、逆行と留を繰り返す何重ものループで表現されます。

そして近日点付近では――ということは、地球から比較的近いときは――彗星の絶対的な速度が極大となり、しかも地球から近い分、その見かけの位置もめまぐるしく変化します。一方、太陽系の果て、遠日点付近を進むときは、彗星の歩みはのろのろと遅く、地球の公転による年周視差によって、いくぶん目につく変化が生じるだけとなります。

その振る舞いをまとめて図示すると、こんなダイナミックな曲線になるというわけです。

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1986年に最接近したハレー彗星は、その後、長大な尾も消え失せ、徐々に暗く小さくなっていき、その姿が最後に目撃されたのは、ウィキペディア情報によれば、2003年の観測記録だそうです。その後、彗星の姿を見た人はいません。

しかし、これぞニュートン力学の精華。彗星の位置は厳密に計算されており、現在どこにいるかといえば、うみへび座の北西の角、こいぬ座・かに座との境界付近です。


そして、ハレー彗星が遠日点をゆっくりと回り込むのは、2023年11月。
そう、今年はハレー彗星が箱根芦ノ湖の折り返し点に到着し、復路のスタートを切る記念すべき年に当たるのでした。

これぞ「目に見えない天体ショー」です。それは望遠鏡を使っても見えませんが、海王星軌道のさらに先、宇宙の箱根付近に住む人たちは、今頃歓呼して彗星を迎えていることでしょう。


来年以降、彗星は徐々にその速度をはやめながら地球に近づいてきます。
そして東京大手町でテープを切るのは、2061年7月29日。地球の箱根駅伝と違ってこちらはエンドレスですから、彗星はその後も走るのをやめず、地球で応援している我々の目の前を通過するのは、翌日の7月30日です。

前回よりもずっと明るくなると予想されている、この「目に見える天体ショー」を、期待して待ちましょう。それは宇宙のタイムスケールでいえば、ほんの寸秒の先です。


【オマケのオマケ】
このオマケ星図の裏面には、過去のハレー彗星の軌道変化が、これまた詳細に図示されていました。


以下、解説文から引用します。

「ハレー彗星の軌道は、惑星の引力の影響を受けてたえず変化している。この現象を摂動という。また太陽に近づくと、彗星が物質を放出することによって非重力効果が生じる。その結果彗星の運動が変化し、軌道の形もかわる。〔…中略…〕1981年にアメリカのドナルド・ヨーマンスは紀元前1404年までさかのぼってハレー彗星の軌道要素を計算した。その計算にもとづき、ここでは紀元前1404年から2061年までのハレー彗星の軌道と、近日点通過の日(世界時)、ハレー彗星と地球の相対位置を示した。」

それにしても、ニュートン編集部の力の入れようがすごいですね。それはハレー彗星ブームの熱気の反映でもあるのでしょう。