死者を照らす月2017年02月05日 14時00分33秒

今日は一日冷たい雨。

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心が索漠とした夜。
不安を抱えて眠れない夜。
そんなときは、そっと寝床を抜け出して、暗い世界に足を踏み入れ、闇の存在と言葉を交わす方が、いっそ気持ちが安らごうというものです。


深夜の散歩者を気取りたくなる、手彩色の幻灯スライドを手にしました。


時代は19世紀末、メーカーはおなじみのニュートン社。
(参照 http://mononoke.asablo.jp/blog/2014/02/10/7218715


被写体となっているのは、イングランド中部のレスターシャー州ラターワース(Lutterworth)の町に建つセント・メアリー教会。小づくりな教会ですが、現在の建物は13世紀にさかのぼる歴史遺産だそうです。

この教会では塔のある方角が西なので、満月の位置を考えると、現在の時刻は、未明から明け方に移る頃合い。我々の深夜の散歩も、そろそろ終わりが近いことを告げています。

それにしても、見るからにゴシック趣味に富んだ画題ですね。
工業化が日に日に進む社会を横目に、当時の人はこういう風情を愛でながら、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』を読みふけったりしたのでしょう。

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余談ながら、わが家は隣が墓地なので、墓石ごしにお寺の本堂の屋根を見上げると、ちょっと似た構図になります。

望月の欠けたる晩2016年11月23日 11時52分03秒

昨日は津波警報でヒヤッとしましたが、大きな被害もなく、まずは良かったです。
とまれ用心を。

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こんな版画を見つけました。

(最初から額に入ってました)

額縁全体は21.5×32cm、中央の窓枠は10×20cmほどですから、ごく小さな作品です。


読みにくいサインですが、ドイツの売り手はこれを「S. Feigl」と読んでいました。
でも、そういう名のアーティストは、探しても見つかりませんでした。
あるいは職業画家ではなく、日曜画家の趣味の作品なのかもしれません。(その脇にある「8 / ’99」というのも、1999年8月作という意味なのか、99枚刷った内の8枚目というエディションナンバーなのか、判然としません。)


そんな無名氏の作ですが、それでも買う気になったのは、もちろん安かったというのもありますが、この絵の不可解さを面白く思う気持ちがあったからです。
そもそも、これは日食なのか、月食なのか?

これは金環食の場面ですから、日食とすれば、こんなふうに辺りが真っ暗になるはずがありません。これは明らかに深夜の空の色でしょう。かといって、月食とすれば地球の影の方が、月本体よりもずっと大きいので、「月食の金環食」というのはありません。

…というわけで、真面目に考えるといろいろ理屈に合わないのですが、これは無名氏の想像力が生んだ「幻のエクリプス」であり、町中の人々がいっせいに眠りに落ちた晩にだけ生じる、不思議な「金環月食」の光景だ…と見るのが、いちばんスマートではないかと思います。


【11月24日付記】

いえ、全然スマートじゃありません。
この絵の真相は、コメント欄でS.Uさんが見事に謎解きされていますので、ぜひお読みください。

月星合戦2016年11月19日 10時31分42秒

『武州治乱記』、文明十年(1478)八月の条は、古河公方配下の成田顕泰が、扇谷上杉家配下の忍胤継と、当時混乱を極めた関東の覇権をめぐって、大利根の原野で激突した「星川合戦」について記しています。(その覇者・成田氏は、この地に堅固な忍城を築き、その裔・成田長親をモデルにしたのが、あの小説『のぼうの城』。)

ときに、この「星川合戦」の「星川」というのは、すなわち今の「忍川」のことで、「忍(おし)」という姓も、元来は「星」から転じたものです。星氏は千葉氏の流れを汲む氏族ですから、千葉氏一門の習いとして、その紋所は「星紋」でした(星氏ならびに忍氏が用いたのは、主に七曜紋)。

対する成田氏は、「月紋」(月に三つ引両)を用い、月と星の旗指物が一面に入り乱れた「星川合戦」は、別名「月星合戦」とも称され、血なまぐさい中にも、美々しい合戦の状景を今に彷彿とさせます(その様は、行田市郷土博物館が所蔵する「星川合戦図絵巻」に生きいきと描かれています)。

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…というのは、たった今思いつきで書いた、純然たるフィクションです。
そもそも『武州治乱記』などという本は存在しません。

なぜそんな埒もないことをしたかといえば、ひとえに「月星合戦」という言葉を使いたかったからです。実際にそういう合戦があればよかったのですが、なかったので、今作りました。

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さて、これが今日の主役。本当の「月星合戦」の主戦場です。

(ボードの大きさは約20cm角)

「ティク・タク・トゥ」、日本でいう「まるばつゲーム」。
この盤上で、黄色い月と青い星が死力を尽くした大一番(と言うほどでもありませんが)を演じるのです。

売ってくれたのは、アンティークショップというよりも、単なるリサイクルショップで、これもわりと新しい品のように見えますが、でも、これで遊んだ子供たちも、今ではいい大人でしょう。


メーカー名の記載は特にありません。おそらくは売り手の住む、米バーモント州の地元で作られた木工品じゃないでしょうか。ボードは合板ではなく一枚板なので、結構重いです。


戦国絵巻もいいですが、月と星の合戦に流血は似合いません。
ときどき涼しい火花がパチッと飛ぶぐらいが、ちょうど良いです。


【閑語】

安倍晋三氏は、ひょっとして先祖の長州人の血が騒ぎ、かの人物と刺し違える覚悟でニューヨークに向かったのかな…と思ったら、どうもそんなことはなくて、ゴルフクラブをプレゼントして、ニコニコ握手するだけで終わったようでした。
「ふたりはゴルフが好きなんだな」ということは得心できましたが、他のことは皆目わからず、煙に巻かれた思いです。

砕けた月2016年11月16日 20時30分08秒

古物を買うときのゴールデンルールは、「状態の良いものを買え」ということです。
将来、買ったものを売却することを、ちょっとでも想定しているなら、このルールを守らないと、相当痛い目に遭うことは必定です。

もちろん、これは個人の気ままな蒐集には当てはまらないことで、私自身、買ったものを売ったことは(本を除けば)これまで一度もありませんから、このルールに従う必要はないのですが、それでも室内の余剰スペースが乏しくなるにつれ、購入対象を選別する必要に迫られて、コンディションということを少し気にするようになりました。

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しかし…というふうに話が続くので、何となく言い訳がましいのですが、昨日の記事で触れた「秘密」というのは、このガラスのステレオ写真が大きく破損していることです。

(下は紙焼きのステレオ写真)

ご覧のように、向かって左側の写真に大きなひびが3本入っています。
だから私でも易々と買えたので、無傷だったら簡単に右から左とはいかなかったでしょう。


もう少し細部を見ておきます。
デ・ラ・ルーの肩書が、紙焼きの方では単に「FRS FRAS &c」(王立協会会員、王立天文学会会員、等々)となっていたのに、このガラススライドでは、「〔…〕Pres RAS」(王立天文学会会長)となっています。彼が同学会の会長をつとめたのは、1864~66年のことなので、このスライドが出たのもその頃だと分かります。


そして製作者も「Charles Panknin」から「Smith Beck & Beck」に変っています。
以前の記事(http://mononoke.asablo.jp/blog/2016/10/26/)で書いたように、このステレオ写真は、Beck社のステレオスコープと抱き合わせで販売されたらしいので、1865年頃には、Beck社も自前のステレオ写真製造体制を整えたか、あるいは外注にしろ、自社の名前を表示させるよう方針を変えたのでしょう。


これが砕けた月のアップ。
そして、この品のもう1つの秘密がここに明かされています。

脇の説明文に書かれているように、これは単純な満月の写真ではなく、実は「月食の写真」なのでした(地球・太陽との位置関係から、月食のときは必ず満月です)。

月食はそう頻繁に起こるわけではありませんし、月食の日が晴天とは限りませんから、立体視に好適な写真を2枚揃えるのは、なかなか大変なことです。このステレオ写真では、1858年2月と1865年10月の2枚の月食写真を組み合わせることで、何とかそれを実現しています。

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前置きが長くなりました。
デ・ラ・ルーの苦労をしのびつつ、150年前の満月を拝むことにしましょう。


月食時の月は光量が乏しいせいで、普通のときよりも撮影が難しかったのか、1858年の写真は、像がややぼんやりしています。1865年は相対的に鮮明で、これは彼の技量の向上を物語るものかもしれません。


地球の影に包まれた、砕けた月。
いかにも無残な感じですが、「砕けた月」という言葉には、何となく詩情も漂います。

月を想う2016年11月15日 20時28分07秒

夕べは湯船の中で、降り続く雨の音に、じっと耳を澄ませていました。
それはそれで心の落ち着くひと時でしたが、話題のスーパームーンは、ぼんやり想像するほかありませんでした。

今宵はと言えば、雲を透かして、ぼんやりとした月影が隣家の屋根越しに見えます。
そんな折柄、満月の話題です。

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先日、満月にちなむものを見付けました。
といって、それは特段目新しいものではなく、最近の記事で既に言及したものです。
すなわち、ウォレン・デ・ラ・ルーの月のステレオ写真。

先日登場したのは、半月の頃合の、紙焼きのステレオ写真でした(http://mononoke.asablo.jp/blog/2016/10/25/)。

(画像再掲)

その翌日の記事で触れたように(http://mononoke.asablo.jp/blog/2016/10/26/)、このデ・ラ・ルーの写真には、ガラススライド式のものもあって、透過光で覗き見る月の表情はいっそう幻想味に富むだろう…と想像されました。

とは言え、ガラス・スライド式の品は、紙焼きタイプよりもさらに数が少ないようで、その実物を目にしたことは、これまでありませんでした。

しかし、です。
世の中には不思議なタイミングというのがあって(皆さんも経験があるでしょう)、デ・ラ・ルーのことを話題にした直後、偶然にも1枚だけ売りに出ているのを見つけました。そして、それこそが満月を写した1枚だったのです。


上の写真はその「裏側」。
実は、この品にはある「秘密」が伴うのですが、その秘密と、表側の表情はまた次回に。

(もったいぶって、この項つづく)

デ・ラ・ルーとその時代(6)2016年10月26日 07時00分56秒

今日はオマケの話題です。

デ・ラ・ルーによる月のステレオ写真を知ったのは、天文アンティーク界隈で著名な、スウェーデンのトマス・サンドベリ氏の「SCIENTIFIC CURIOSITIES」の下のページでした。

Set of R&J Beck Glass and Paper Stereoview of the Moon
  -- Photographed by Warren De La Rue

 http://www.blenders.se/ebay/me/astro/beck.html

サンドベリさんの説明を読むと、このデ・ラ・ルーのステレオ写真は、もともと R & J Beck 社(19世紀半ばにロンドンで営業した光学機器メーカー)のステレオスコープと、抱き合わせで販売されており、紙焼きタイプのものと、ガラススライド式のものとがあったようです。

ガラススライド式のステレオ写真というのは、以前もチラッと登場しましたが↓、透過光で眺めることによって、一層興ある3D体験をする目的で作られたものらしく、月はまさにうってつけの対象です。


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サンドベリさんによる紹介写真にあるように、この月のステレオ写真は、本来いろいろな月齢のものがセットになっていたはずですが、私自身はセットで売られているのを見たことがありません。それに、バラ売り状態でも結構強気の値付けがされていて、購入を控えていました。でも先日、ようやく値ごろの品を見つけ、1枚だけ手にしたのが、昨日の品です。

…思えば、昨年の師走に、渾天儀の模型を手にして以来(http://mononoke.asablo.jp/blog/2015/12/19/)、今年は以前から待望していたモノとの出会いがいくつもあって、その方面ではなかなか充実した年でした。

そんな回顧記事を年末に書くかもしれません(書かないかもしれません)。

デ・ラ・ルーとその時代(5)2016年10月25日 06時31分47秒

問題のデ・ラ・ルーの月写真というのはこちら。


版元はロンドンのCharles Panknin と読めますが、このメーカーについては詳細不明。


さて、これをステレオビュアーで見るとどうか?
実際にやってみると、確かに丸みを帯びて立体的に見えます。

でも、ボールのような真ん丸ではなくて、卵を尖った方から眺めているような、ちょっと不思議な形に見えます(「厳密に計測すると、月はわずかにレモン型をしている」…という話も聞きますが、そういうレベルを超えて、はっきり尖って見えます)。

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眺めているうちに、実際そういう奇説を唱えた人がいたのを思い出しました。
それは足穂がエッセイに書いていたことで、奇説の主は、ペーター・ハンゼン(Peter Andreas Hansen、1795-1874)。ウォレン・デ・ラ・ルー(1815-1889)から見ると、ちょっと年長の同時代人です。

 「彼はゴータ大学に教鞭を執り、ゼーベルグ天文台の台長だったが、月の運動の特異性に基いて、「月は球体に非ず」という説を立てた。お月様はむしろ玉子形である。鶏卵の尖った方が常に地球に向いている。この、巨大な山と云ってよい部分は月の気圏の上まで突出しているから、山頂に空気は無い。大気も水も裏側に廻っている。従って、月人も裏側に棲み、其の他、動物も植物も見られることに相違ないと。」
稲垣足穂 『月は球体に非ず!―月世界の近世史』


これだけだと文字通りの奇説に過ぎませんが、ハンゼンは王立天文学会のゴールドメダルや、王立協会のコプリー・メダルを受賞した、当時一流の天文学者でしたから、その影響力はずいぶん大きかったことでしょう。

となると、このステレオ写真の不思議な見え方も、ひょっとして意図的に狙ったのかなあ…という気もするのですが、確証はありません。

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月の立体写真というのは、単に同じ写真を並べても――あるいは普通の立体カメラを使ったぐらいでは――両眼視差の効果が得られないので、立体には見えません。

でも、月のわずかな首ふり運動(秤動;ひょうどう)を利用して、似たような月齢で、しかも一寸違った角度を見せている写真を並べると、そこにヴァーチャルな立体感が生まれます。これを最初に思いついた人は、相当の知恵者だと思います。

(ステレオ写真の裏面)

デ・ラ・ルーの写真も、1858年5月と1859年2月に撮った、別々の2枚を並べて立体感を出しています。


1859年、今から157年前の半月。
月古きが故に貴からず。でも、そういう目で見れば、何となく古雅な感じが漂います。

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月観測の功績から、デ・ラ・ルーは、今や月面地形の名称にもなっています。

(A. ルークル著『月面ウォッチング』、地人書館より)

月の「氷の海」の傍らにある、崩壊した壁平原(大型クレーターの名残の地形)がデ・ラ・ルー。


これは父親のトーマスが、ガーンジー島のパブの名前になったよりも格段にすごいことで、たとえ地元では忘れられても、ウォレンがあえて不平を唱えることはないでしょう。(でも、月面にパブが開店し、「ウォレン・デ・ラ・ルー」という看板が出たら、一層喜ぶかもしれません。)

デ・ラ・ルーとその時代(4)2016年10月24日 06時59分20秒

さて、トランプの話題から、「天文家ウォレン・デ・ラ・ルー」の話題に移ります。

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ウォレンの父親である、トーマス・デ・ラ・ルー(デ・ラ・ルー社の初代社長)の方は、出身地ガーンジー島に同名の人気パブがあったり、また自治領発行の5ポンド紙幣に肖像画が描かれたりしたおかげで、今でも地元では有名人です。それにひきかえ息子ウォレンは、そのすばらしい科学的業績にもかかわらず、半ば忘れ去られた存在となっています。

…というのは私が言っているわけではなく、BBCのページにそう書かれていました。
まあ、BBCがそう言うのですから、ウォレンは一般には過去の人には違いないのでしょう。

(港の見えるパブ 「トーマス・デ・ラ・ルー」。
http://www.liberationgroup.com/pubs/thomas-de-la-rue

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しかし、ウォレンの名は、天文趣味の歴史において決して落とすことができません。
何と言っても、彼はアマチュア天文家として、天体写真の撮影に熱心に取り組んだ最初期の一人であり、現代の天体写真マニアにとって偉大な先達だからです。

ウォレンの名は、小暮智一氏の『現代天文学史』にも1か所だけ登場します。
それは1860年のスペイン日食の際の業績で、彼はこのとき得意の写真術を使って、太陽光球部の縁に「赤い炎」――すなわちプロミネンスを見出したのでした。
このニュースが、やはり当時はまだ一介のアマチュア天文家だった、ノーマン・ロッキャー(1836-1920)に、プロミネンスの分光観測を決意させ、やがて新元素「ヘリウム」の発見につながったのです(同書177-8頁)。

(ウォレンの写真を元にした石版画。アメデ・ギユマン『Le Ciel』より)
 

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そして、ウォレンの名をいっそう高めているのが、月面写真家としての顔です。

彼は太陽以前に、月の写真撮影に熱心に取り組み、それによって月面の地形変化を探ろうと試みました。その試みは必ずしも成功しなかったのですが、彼の手になる月写真は、19世紀人の嗜好に叶い、立体写真の形で一般にも広く流通しました。

月のステレオ写真というと、ヤーキス天文台の写真を元にしたキーストーン社のものがポピュラーで、ほかにも19世紀末から20世紀にかけて、いろいろなメーカーから出ていますが、1850年代(江戸時代!)にさかのぼるデ・ラ・ルーの月写真は、その嚆矢と言えるもので、歴史的に大きな意味があります。

(1910~20年代に出たらしい、キーストーン社のステレオ写真)

(長くなったのでここで記事を割ります。この項つづく)

月下の天文台2016年10月14日 21時39分46秒

今宵は丸い月が明るく眺められます。

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月に照らされた天文ドーム。


1879年に完成した、壮麗なウィーン天文台の雄姿です。
まるでいにしえの宮殿のようですが、これぞモダニズム建築が開花する以前、歴史主義全盛期に生まれた建築様式なのでしょう。

中央の大ドームに据付けられた、英国グラブ社製68cm径屈折望遠鏡は、当時、屈折式としては世界最大を誇りました。


1898年の消印が押された切手の主は、ウィーン天文台の開所式を自ら執り行った、時のオーストリア皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世です。

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ちなみに、当時の台長はエドムント・ヴァイスで、彼は天文古書ファンにはおなじみの、あの『星界の絵地図』(1892)の著者であり、その表紙を飾ったのが、ウィーン天文台とその巨大望遠鏡です。


遊歩する者2016年10月10日 10時41分33秒



Flâneur(フラヌール)、遊歩者。
子羊舎のまちだまことさんが中心になって発行されている雑誌のタイトルです。
上は先日出たばかりの、記念すべき第1号。

創刊号の特集は「蒐集」で、極小の雛道具(川内由美子さん)や、セルロイド玩具(野口知子さん)のコレクション紹介と並んで、まちださんご自身の「擬人化された月」を中心とする天体ものコレクションの紹介があって、素敵だなと思いました。


このブログでも、折々そうした色合いのモノが登場しますが、それも元をたどれば、まちださんに端を発しているものが多いのです。
(上の写真で、右の方で大きな顔をしているのは、ブルガリア煙草の「Luna」。1960年代のパッケージ。)

まちださんとも細く長いお付き合いが続いていますが、単純な理科趣味の徒だった私に、さらにその奥にある妖しさや、エフェメラルなものの美しさ、さらに曰く言い難い世界を教えてくださったのがまちださんで、これはいくら感謝しても感謝しすぎということはありません。

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日常と非日常は紙一重。
その境界を遊歩する人のための『Flâneur』の入手法は、以下のFBサイトをご覧ください。

遊歩者 Flâneur Magasin
 https://www.facebook.com/flaneurmagasin/