月の賭場2024年02月24日 10時53分43秒

青年の面立ちをした上弦の月というと、こっちの方がそれっぽいですね。


1920年頃にイタリアのミラノで売り出された、月をデザインしたゲームボード。
49×33cmの多色石版刷りで、裏打ち布で補強してあります。…と言っても、現物がどこかに入り込んで出てこないので、ここに記すことは、画像も含め購入時の商品説明の流用です。

タイトルの「Il dilettevole giuoco della Luna」は「イル・ディレッテーヴォレ・ジュオッコ・デラ・ルーナ」と読むらしく、音楽的な響きが心地よいですが、意味の方は「月の面白いゲーム」という、あまりひねりのないものです。

ゲームは2個のサイコロを使って、2人以上で遊びます。
一人がサイコロを振り、出た目の合計と等しい数字のところにコインを置きます(このゲームは現金を賭けて遊びます)。もし既にコインの置かれた数字が出たら、次の人に交代。ただし赤い旗の「7」のマスは例外で、ここにはいくらでもコインを置くことができます。ボードに数字のない「2」と「12」はラッキーナンバーで、2が出たら月面上のコインを、12が出たら月面プラス赤い旗のコインを総取りできるというルール。

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というわけで、ゲームの内容自体は月とは全然関係がなくて、これは以前も書いた「デザインとしてだけ天文モチーフを採り入れたゲーム」の一例です。

でも、「今日はツイている」というときの「ツキ」は「憑き」の意で、「月」も同じ語源だそうですし、イタリアの人にしたって、月面に賭場を開帳して、「さあ張った、張った!」なんていうのは、だいぶ正気を失ったルナティックな振る舞いと言うべきでしょう。

月男の横顔2024年02月23日 16時16分14秒

最近こんな絵葉書が届きました。


ドイツ語のErstes Viertelは、英語の The first quarter で、「上限の月」の意。


石版刷りにエンボス加工をほどこした洒落た1枚。


1916年にハンブルグで投函されたものです。

これはたぶん<新月、上限、満月、下限>の4枚セットで発行されたんだろうなあ…と、これを書きながら想像しましたが、でもそうだとすると、それぞれ<赤ん坊、青年、壮年、老人>に当てるのが自然ですから、こんなひねこびた「青年」がいるもんだろうか?と、そこに不審を抱きました。

ものは試しと検索すると、はたして同シリーズの下限の月を見つけました。

(eBayで販売中の品)

こちらは懐も財布も空っぽの草臥れた老紳士です。
なるほど、これは無一文(新月)から徐々に羽振りが良くなり(上弦)、得意の絶頂(満月)を迎えて、やがて零落する(下弦)男の人生を描いた絵葉書だろうと、これまた想像ですが、そんなふうに推測できます。

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今期も年度末に入り、なかなか忙しいです。
心も体もすり減って、今の私はちょうどこの下弦の月の男のような表情を浮かべていると思いますが、月と同じように、極限を超えたところでまた光を取り戻せるのかどうか?

まあ仕事の繁閑はさておき、人生全体を月の満ち欠けになぞらえると、そのサイクルは一回限りのもので、欠け始めた光がふたたび甦ることはないのかもしれません。つまり人は諦念を噛みしめつつ、最後の光がふっと消えるのを待つしかないわけです。

でも、月では謎めいた「月面発光現象(TLP)」というのが折々報告されています。
私の人生だって、徐々に闇に沈みながら、突如パッと火花を散らせることもないとは言えません。

嵯峨野の月2024年02月12日 17時43分34秒

以前、月の風流を求めて、こんな品を手にしました。



桐箱の中に収まっているのは棗(なつめ)、つまり薄茶用の茶器です。
輪島塗の名工、一后一兆(いちごいっちょう、1898-1991)作「野々宮」
源氏物語の「賢木(さかき)」の巻のエピソードを画題としたもので、ここでのヒロインは六条御息所です。

六条御息所というと、嫉妬に狂った挙句、生霊となって葵上に取り憑いた女性(「葵」の巻のエピソード)のイメージが強いですが、あれは本来貞淑で控えめな六条御息所の心の奥底にも、本人の知らぬ間に鬼が棲んでいた…というのが恐ろしくも哀しいわけで、紫式部の人間観察がいかに透徹していたかを示すものです(きっと彼女の心にも鬼が棲んでいたのでしょう)。

「葵」に続く「賢木」の巻では、息女の斎宮下向にしたがって伊勢に下る決心を固めた六条御息所を、源氏が嵯峨野の野の宮に訪ねるシーンが描かれます。

(清水好子・著『源氏物語五十四帖』、平凡社より)


 「黒木の鳥居(樹皮を剥かない木で作った簡素な仮の鳥居)と小柴垣があれば、野の宮の舞台装置は揃ったことになる。夜空に「はなやかにさし出でたる夕月夜」とある、晩秋九月七日の月がかかっている。」(清水上掲書、p.51)


この棗も小柴垣と露に光る萩を描くことで、野の宮を象徴的に表現しています。
で、肝心の月はどこに行ったかというと、


この蝶の舞い飛ぶ蓋を裏返すと


そこに月が出ているという趣向です。

外から見えないところに、ふと月が顔を出すというのが、心憎い工夫。
蓋表に描かれた蝶は、虫の音も弱々しい晩秋には不似合いですが、これは枯れ色が目立つ野の宮を訪ねた源氏その人の華やぎを蝶に託したのでしょう。

私は茶の湯をまったくやらないので、これは実用の具というよりも、純然たるオブジェに過ぎないのですが、実用性がないからこそ一層風流であるとも言えるわけです。

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能登の地震では、当初は当然のことながら人的被害がクローズアップされていましたが、状況が一段落するにつれて、漁業をはじめ、酒蔵や塩田、そして輪島塗など、地場産業への影響も報道されるようになってきました。いずれも復興には年単位の取り組みが必要とのことです。これらは能登一国にととまらず、他国・他県の暮らしと文化にも直接関わることですから、その復興を強く応援したいです。



【付記】

上の作品を、箱書きにしたがって一后一兆作としましたが、同人作には贋作も出回っているそうなので、「伝・一后一兆作」ということにしておいてください。


頼りはこの落款ですが、仮にこれが本物だとしても、だから中身も本物だとは限らないという、まことに油断のならない世界なので、なかなか風流の道も険しいです。

ついでながら、以下は石川県立図書館のデータベースで見つけた記事。
掲載されているのは見出しだけなので、さらなる詳細は不明ですが、まあかなり組織的に贋作づくりが行われていたのでしょう。

■「北國新聞」1992年6月26日夕刊
 「輪島塗・一兆の贋作出回る 大阪の業者が販売 漆器組合が警告書
■同1992年7月16日朝刊
 「一兆贋作で2人逮捕 輪島署 製造業者(輪島)と販売業者(大阪) 作品、箱に偽造印 漆器、帳簿など100点押収」

天上の三目ならべ2024年02月11日 13時42分30秒

1月19日の記事【LINK】で、ドイツのマックス・エッサーがデザインした天体モチーフのチェスセットを紹介しました。



その記事の末尾で、「これを見て思案をめぐらせていることがある…」と、ちょっと思わせぶりなことを書きましたが、それはエッサーのチェス駒に似た、Tic-Tac-Toe、つまり日本でいうところの「マルバツゲーム」や「三目ならべ」の駒を見つけたからです。


(元はMetzkeというメーカーが1993年に発売した製品です。同社は玩具メーカーというよりも、ピューターを素材にしたアクセサリーメーカーの由。→参考リンク

まあ、似ていると言っても当然限界はあるんですが、このピューター製の太陽と月には、重厚かつ古風な味わいがあって、それ自体悪くない風情です。


このセットには上のような鏡面仕上げのガラス盤が付属しますが、せっかくなのでエッサー風の盤を自作することにしました。


この配色を参考に、出来合いのタイルと額縁を組み合わせてみます。



お手軽なわりには、なかなか良くできたと自画自賛。
このブルーとグレーの交錯する盤を天空に見立て、その上で太陽と月が無言の戦いを繰り広げるわけです。


これがエッサーのチェスセットよりも、明らかに優っている点がひとつあります。
それはチェスを知らない私でも、そしておそらく誰でも、これならゲームを存分に楽しめることです。

再生のとき2024年01月13日 12時10分37秒

なんだか駄目ですね。その後の地震報道の影響もあるのか、何となく心が弱っている感じがします。こういう時は何をやってもうまくいきません。もちろん、それは誰のせいでもなく、私自身の心のありようのせいです。

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以前、「Dawn(夜明け)」と題した絵葉書を載せました。


最近、それとよく似た構図の絵葉書を見つけました。


Der junge Dag ―― 英語にすれば「The young day」。

ここには、朝焼け、新月、明けの明星そして幼児といった「若さ」や「ものごとの始まり」のシンボルが満ち満ちています。母なる海を離れ、今砂浜に第一歩をしるした幼児は、人生の歩みを始めたところなのでしょう。


しかし、幼な子にふさわしからぬ巨大な鎌を担いでいる姿は、異様でもあります。
この鎌は新月のシンボルかもしれませんが、同時に命を刈り取る死神の鎌をも意味しているのでしょうか。彼(彼女)が脇に抱える砂時計は、明らかに「有限の生」の象徴です。

始まりがあれば終わりがある―。
幼児は自らが有限な存在だと知りつつも、それが人としての矜持であるかのように、決してその歩みを止めない…そんな強さを画家は描きたかったのかもしれません。

そして、終わりがあればまた始まりもあるのです。
たとえ幼児が、この先病に倒れ、老いに疲れ、死に至ろうと、新たな生が彼(彼女)のあとを追って歩みを続けることでしょう。


この鳥の素性は不明ですが、その姿は雛鳥であり、赤い鳥には「再生、変革、新しいサイクルの始まり」といった寓意があるそうなので、他のオブジェとともに、ひとつながりのシンボルを構成しているように読めます。


なお、この絵葉書はドイツ語のタイトルを持ちますが、発行はロンドンの「J. Harrap & Son」社で、先の「Dawn」と同じです。画工もおそらく同じでしょう(彼はこの主題にひどく執着していたようです)。

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この先、被災地の物理的な復興はもちろん、人々の心の復興がなしとげられることを強く願います。

重い目で月と木星を見る2023年11月26日 19時38分45秒

風邪でずっと寝込んでいました。

でも月と木星の大接近は、私が風邪を引いたからといって待ってはくれませんから、昨夜は床の中から、この天体ショーを眺めていました。せっかくだから…と、だるい身体を起こして双眼鏡を持ってくると、双眼鏡の視野の中でも両者は仲睦まじく寄り添っていて、実にうるわしい光景です。ここでキャノンご自慢のスタビライザー機能をオンにすると、像はピタリと静止し、針でつついたような木星の月たちも見えてきます。地球の月、木星、そして木星の月たち。それを眺めている自分もまた、地球という惑星に乗って、今も宇宙の中を旅しているんだなあ…と今更ながら実感されました。と同時に、木星の4大衛星と地球の月は似たりよったりの大きさですから、両者を見比べることで、木星までの距離も直感されたのでした。

(いつも手の中で転がしている、木星の表面によく似た瑪瑙)

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それにしても今回の風邪。金曜日の朝にいきなり39.4度まで熱がガッと上がり、これはてっきり…と思って近医に行ったんですが、インフルもコロナも検査結果は陰性でした。「まあ、ふつうの風邪でしょう」と言われて、薬をもらって帰ってきたものの、ふつうの風邪でこんなふうに突然高熱が出るものなのか?そこがちょっと不審です。

ひょっとして、コロナの後遺症で、免疫系がおかしくなってしまったのか…と、風邪で気弱になっているせいもありますが、そんな想像が頭をよぎり、不安に駆られます。

月の風流を嗜む2023年11月16日 18時40分58秒

昨年、ジャパン・ルナ・ソサエティ(JLS)のN市支部を設立し【参照】、その後も活動を続けています。

毎月の例会では、当番の会員が月に関する話題を提供し、みんなで意見交換しているうちに、いつのまにやら座は懇親の席となり、座が乱れる前に散会するという、まさにこれぞ清遊。しかも支部員は私一人なので、話題提供するのも、意見交換するのも、懇親を深めるのも、肝胆相照らすのも、常に一人という、気楽といえばこれほど気楽な会もなく、毎回お月様がゲストで参加されますから、座が白けるなんてことも決してありません。

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N市支部では会員の意向にもとづき、もっぱら月にちなむモノを披露し、それを品評するという趣向が多いのですが、最近登場した品はいつになく好評でした。


漢字の「月」の字をかたどった襖の引手金具です。
オリジナルは京都の桂離宮・新御殿一の間に使われたもので、“これは風流だ”というので、後世盛んに模倣されましたが、今回の品はその現代における写しで、真鍮の輝きを強調した磨き仕上げにより、本物の月のような光を放っています。

(出典:石元泰博・林屋辰三郎(著)『桂離宮』、岩波書店、1982)

(有名な「桂棚」のあるのが新御殿一の間です。出典:同上)

古風な姿でありながら、その質感はインダストリアルであり、風変わりなオブジェとして机辺に置くには恰好の品だと感じました。



この品は京都にある、家具・建物の金具メーカー「室金物」さんのサイト【LINK】から購入しました。

嫦娥の詩2023年10月02日 17時46分36秒

昨日のおまけ。

嫦娥の故事は、日本の民間習俗にはあまり…というか、ほとんど影響しなかった気がしますが、知識層はもちろん文字を通じてよく知っていたでしょう。中でも晩唐の詩人、李商隠(りしょういん、812-858)には、ずばり「常娥」〔=嫦娥に同じ〕と題する詩があり、彼はその耽美な詩風で日本にもファンが多かったらしいので、影響は大きかったと思います。

「常娥」は五言絶句の短詩で、その点も日本人好み。今、岩波の中国詩人選集に収められた高橋和巳注『李商隠』を参考に、当該詩を読んでみます。


 雲母屏風燭影深 (うんものへいふう しょくえいふかし)
 長河漸落暁星沈 (ちょうが ようやくおち ぎょうせいしずむ)
 常娥応悔偸霊薬 (じょうがまさにくゆべし れいやくをぬすみしを)
 碧海青天夜夜心 (へきかい せいてん よよのこころ)

起句 「雲母屏風燭影深 (うんものへいふう しょくえいふかし)」

「雲母の屏風」とは、注者によれば「半透明の雲母を一面に貼りつめた屏風」とのことですが、一寸分かりにくいですね。おそらく下のページで紹介されている「窓」と似た、白雲母を枠にはめて屏風としたものと思います。あるいは家具調度としての屏風ではなく、卓上に置かれた小型の硯屏(けんびょう)を指すかもしれません。いずれにしても、そこに蝋燭が深い影を落としているというのです。

The Earth Story: Mica Windowより。画像はロシアで作られた白雲母製の窓)

承句 「長河漸落暁星沈 (ちょうが ようやくおち ぎょうせいしずむ)」

「長河」は銀河のこと。「漸く落ち」は、文字通り地平線近くに傾く意にも取れますが、次の「曉星沈む」と対になって、ともに薄明の中にぼんやり消えていく様をいうのかもしれません。一晩中蝋燭を灯し、星を眺め続けた男(作者)の夜想も、ようやくこれで一区切りです。

転句 「常娥応悔偸霊薬 (じょうがまさにくゆべし れいやくをぬすみしを)」

これぞ嫦娥奔月の故事。ここでは自分を裏切った恋人と嫦娥の姿を重ねて、「彼女もきっと今頃、自分の振る舞いを後悔しているにちがいない…」と、いくぶん未練がましい想像をふくらませています。

結句 「碧海青天夜夜心 (へきかい せいてん よよのこころ)」

注者の訳は、「青々と広がる天空、その極みなる、うすみどりの空の海原、それを眺めつつ、夜ごと、常娥は傷心してるに違いない。私を裏切った私の懐かしき恋人よ。君もまた〔…〕寒々とした夜を過ごしているのではなかろうか。」

月から見下ろせば、地上は空という名の海の底に他ならず、その海はときに青く、ときに薄緑を帯びて見えるという、いわば宇宙的想像力の発露ですね。まことに凄美な句です。もちろん、その「夜夜の心」は、空を見上げる男の心の投影でもあります。

(Pinterestで見かけた出所不明のコラージュ画像)

天空の美と人の心の陰影を巧みに重ねた名詩として、私も今後大いに愛唱したいと思います。


【おまけのおまけ】

このブログは個人のブログですから、つまらない自分語りをしても許されるでしょう。
「玉青」というのは私の本名ですが、その由来ははっきりしません。「昔、ある国に3人の王子がいて…」で始まる物語を、幼い日に聞かされたような気もします。そして、末の王子が手に入れた青い玉がどうとかこうとか…というのですが、すでに両親も亡くなり、今では詳細を確かめようがありません。

今回、李商隠の詩集を開き、注を担当した高橋和巳――あの作家の高橋和巳です――による解説を読んで、少なからず衝撃を受けたことがあります。李商隠の詩には、雅俗とりまぜた文学的引用が甚だ多く、その典拠を知らぬ者にはチンプンカンプンで、後世の注釈者泣かせであることについて解説した箇所です。

 「…李商隠がなぜかくも夥しい故事をつらねて詩を構成したのかと質問されるなら、李商隠の方法にならって、次のように答えたく思う。フランスのある寓話に、ある貧しい少年が、魔法使いから一つの青い玉を授かった話がある。その玉は、耐え難い不幸に襲われた時に覗くと、世界の何処かで、いま自分が経験するのと同じ不幸を耐えている見知らぬ人の姿が浮んでくる。その少年は、その玉を唯一の富とし、その映像にのみ励まされて逆境に耐えてゆく。李商隠が夥しい故事を羅列するとき、それは概ね、彼の意識に浮んだ青い玉の像だと解してよい。」
(pp.21-22)

うーむ…と、しばし瞑目しました。まあ齢を重ねたから、この話にひどく感動したのかもしれません。いずれにしても、今後「玉青」の由来を聞かれたら、私はこの話を披露しようと思います。亡き両親もあえてそれを否定することはないでしょう。私は今、私自身の創造者になろうとしているのです。

夫は太陽を射落とし、妻は月へと逃げる2023年10月01日 08時03分55秒

(昨日のつづき)

羿(げい)はたしかに英雄ですが、女人に対しては至らぬところがあったらしく、妻に逃げられています。

羿は、西王母から不老不死の仙薬を譲り受け、秘蔵していたのですが、ある日、妻である嫦娥(じょうが)がそれを盗み出して、月まで逃げて行った…というのが、「嫦娥奔月(じょうがほんげつ/じょうがつきにはしる)」の伝説で、まあ夫婦仲がしっくりいってなかったから、そんなことにもなったのでしょう。

ただ、このエピソードは単なる夫婦の諍いなどではなくて、その背後には無文字時代から続く長大な伝統があるらしく、その意味合いはなかなか複雑です。いずれにしても、満ちては欠け、欠けては満ちる月は、古来死と復活のシンボルであり、不老不死と結びつけて考えられた…という汎世界的な観念が、その中核にあることは間違いありません。

嫦娥はその咎(とが)により、ヒキガエルに姿を変えられたとも言いますが、やっぱり臈たけた月の女神としてイメージされることも多いし、嫦娥自身は仙薬の作り方を知らなかったのに(だから盗んだ)、月の兎は嫦娥の命を受けて、せっせと杵で仙薬を搗いてこしらえているとも言われます。

この辺は、月面にあって無限に再生する巨大な桂の樹のエピソード等も含め、月の不死性に関わる(おそらくオリジンを異にするであろう)伝承群が、長年月のうちに入り混じってしまったのでしょう。そんなわけで、物語としては何となくまとまりを欠く面もありますが、中国では月の女神といえば即ち嫦娥であり、中国の月探査機が「嫦娥1~5号」と命名されたのは、記憶に新しいところです。

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嫦娥にちなんで、こんな品を見つけました。


この古めかしい箱の中身は、大型の墨です。



側面にある「大清光緒年製」という言葉を信じれば、これは清朝の末期(1875~1908)、日本でいうと明治時代に作られた品です(「信じれば」としたのは、墨というのは墨型さえあれば、後から同じものが作れるからです。)


裳裾をひるがえし、月へと急ぐ嫦娥。


提灯をかざして、気づかわしそうに後方を振り返っているのは、追手を心配しているのでしょうか。


その胸には1羽の兎がしっかりと抱かれています。
月の兎は嫦娥とともに地上から移り住んだことに、ここではなっているみたいですね。

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夫は太陽を射落とし、妻は月へと逃げていく―。
夫婦別れしたとはいえ、宇宙を舞台に、なかなかスケールの大きい夫婦です。「嫦娥X号」の向こうを張って、将来、中国が太陽探査機を打ち上げたら、きっと「羿X号」とネーミングされることでしょう(※)

なお、この品は「和」骨董ではありませんが、他に適当なカテゴリーもないので、和骨董に含めておきます。


(※)これまた中国神話に由来する「夸父(こほ)X号」が、すでに運用を開始しており(現在は1号機)、報道等でこれを「太陽探査機」と呼ぶことがありますが、正確には地球近傍で活動する「太陽観測衛星」であり、夸父自ら太陽まで飛んでいくわけではありません。

太陽を射る2023年09月30日 13時25分13秒

昨晩は月が美しく眺められました。
盗っ人と天文マニアを除いて、月明かりが一般に歓迎されるのは、それが涼やかな光だから…という理由も大きいでしょう。彼岸を過ぎてなおも灼けつく太陽を見ていると、一層その感を強くします。

平安末期に編まれた漢詩アンソロジーに『本朝無題詩』というのがあります。
無題詩というぐらいですから、すべて題名のない詩ばかりですが、便宜上テーマ別に類纂されていて、その卷三には「八月十五夜翫月(はちがつじゅうごやに つきをめづ)」の詩が集められています。そこに、「一千餘里冷光幽(いっせんより れいこうかすかなり)」の一句を見出して、はたと膝を打ちました。作者は不明ですが、青みを帯びた月の光が、どこまでも海のように広がっている様を詠んだものとして、実に美しい一句です。

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さて、中国の古代神話に、羿(げい)という弓の名人が登場します。

羿は太陽を射落としたことで有名です。伝説によれば、かつて天には10個の太陽が存在し、最初は1個ずつ順番に世界を照らしていたのが、あるとき秩序に乱れを生じ、10個の太陽が同時に空に輝くようになりました。途端に地上は灼熱の世界と化し、耐え難い状況となったため、皇帝の命を受けた羿が10個の太陽のうち9つを射落とし、世界は事なきを得た…という話です。

今年の猛暑の最中、空を見上げては「今の世に羿はおらぬものか…」と思ったりもしました。でも、残り1個のかけがえのない太陽ですから、迂闊にそんなわけにもいきません。せいぜいおもちゃで、太陽を射る羿の気分でも味わうか…と思い出したのが、下のドイツ製の玩具です。これは以前も登場済みですが【LINK】、そのときは購入時の商品写真でお茶を濁したので、今回は撮り下ろしの写真で再度紹介します。


戸棚から出してきたら思いのほか大きくて、箱の横幅は約43.5cmあります。


箱の中には、射的の的と的を机に固定する金具、それに弓矢のセットが入っています。


ゴム製の吸盤がついた矢をつがえ、竹製の弓をきりきりと引き絞り…


見事太陽(左)に当たると、的がくるっと上下に回転して、裏面に隠れていた月が顔を出す(右)という仕組み。まあ、他愛ないといえば他愛ないし、ちゃちいといえばちゃちいゲームですが、それが表現するものはなかなか気宇壮大です。

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なお、以前の記事では、この品を大雑把に1950~60年代のものと書きましたが、今回改めて箱を見たら、下のようなラベルが貼られているのを見つけました。


製造元は東ドイツの「BEKA」で、「EVP 7.90 MDM」というのは、「小売販売価格7.90ドイツ中央銀行マルク」の意味だそうです。この「MDM」という通貨単位が使われたのは、1964~67年のごく短い時期なので、この品も1960年代半ばのものということになります。