ドラゴンヘッドとドラゴンテール2024年01月24日 05時05分29秒

さらに前回のおまけで話を続けます。
数年前に、アメリカの人からこんなハットピン(ラペルピン)を買いました。

(ピンを含む全長は約8cm)

口を開けて、今まさにアメシストの珠を呑まんとするドラゴン。

(照明の加減で色が鈍いですが、実際にはもうちょっと真鍮光沢があります)

これを買った当時、ドラゴンヘッドとドラゴンテールの話は聞いたことがあるような無いような、あやふやな状態でしたけれど、それでも直感的に「これって何か日食と関係あるモチーフかな?」と思った記憶があります(だからこそ買う気になったわけです)。

今あらためて見ると、アメシストの対蹠点にドラゴンの丸まった尻尾が造形されているのも意味ありげだし、仮にそれが作り手の意図を超えた、私の過剰解釈だとしても、もっともらしい顔つきでそんなふうに説明すれば、たぶん大抵の人は「へえ」とか「ふーん」とか言ってくれるでしょう。

(裏面にもメーカー名や刻印は特にありません)

ここは言ったもん勝ちで、以後、そういう説で押し通すことにします。
そうなれば、この小さなハットピンの向こうには、突如日食とドラゴンをめぐる壮大な歴史と天空のドラマが渦巻くことになるし、私が話を盛らずとも、それは元から渦巻いていた可能性だってもちろんあるわけです。


【付記】

竜(ドラゴン)と日食の件。昨日の記事の末尾で、「識者のご教示を…」とお願いしたら、早速S.Uさんからご教示をいただきました。そして、S.Uさんが引用された、m-toroia氏による下記サイトが、まさにこの問題を論じ切っていたので、関心のある方はぜひご一読ください。


私自身、まだすべてを読み切れてませんが、時代を超え、地域を超えて垣間見られる「天空の竜」の諸相が、豊富な資料に基づき論じられています。

聖夜の星2023年12月24日 14時05分40秒



1920年頃のガラススライド。
ごらんのように周囲の保護フレームは厚紙製で、フレームを含む全体は8.3×10cmあります。


厚紙に空押しされた文字は、「VICTOR ANIMATOGRAPH CO.」
こういうスライド形式は、ビクター・アニマトグラフ社(1910年創業)の専売で、一般に「ビクター・フェザーウェイト・スライド」と呼ばれます。他社のガラススライドは全体がガラス製で、しかも2枚のガラス板を貼り合わせているため、重くかさばったのに対し、「フェザーウェイト」は一回り小さいガラス板を、しかも1枚しか使っていないため、非常に軽いという特徴があります(通常はスライドの感光面を、別のガラス板で保護しているわけですが、「フェザーウェイト」では、代わりにシェラック(カイガラムシ由来の樹脂状物質)が塗布されています)。

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くだくだしい説明はさておき、その絵柄を見てみます。
画題は「ベツレヘムの星」
幼子イエスが誕生した時、ベツレヘムの町の上空に明るい星が出現し、それを奇瑞と見た東方の三博士が、イエスとマリアの元を訪ね礼拝した…という聖書由来のお話です。


こちらはベツレヘムの星をかたどったブローチ。
以前、メルキュール骨董店さんに教えられ、私もぜひ一つ手元に置きたいと思って新たに購入しました。


ベツレヘムの星のブローチのデザインは多様ですが、いずれも真珠母貝(マザーオブパール)を細かく削り出して作られています。イエス・キリストが真珠なら、その母貝は聖母マリアの象徴だ…という連想も働いているかもしれません。手元の品は、星の周囲を天使が取り巻いているように見えます。


ベツレヘムの星のブローチは、善男善女向けのベツレヘム土産として、今も盛んに作られていると聞きました。

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ベツレヘムの星は、たしかに救い主誕生の瑞祥かもしれませんが、「新たなユダヤの王」の出現を恐れたヘロデ王が、2歳以下の男児を皆殺しにするという、血なまぐさい「幼児虐殺」のエピソードにもつながっています。

10月以降、ガザでは多くの子どもたちが命を落とし、それは今も続いています。
ガザの惨状に心をいためて、ヨルダン川西岸地区に位置するベツレヘムでは、今年のクリスマス行事を中止したと聞きました。

はたして救い主は今どこにいるのか。
エリ、エリ、レマ、サバクタニ…

碧い彗星を見上げて2023年10月15日 10時42分13秒

イスラエルの人から何か物を買ったことがあるかな?…と思って調べたら、買ったのはイギリスの人でしたが、イスラエル製の彗星ブローチを見つけました。


孔雀石をメインに、繊細な銀線細工を施した美しいブローチです。


売り手の人は、ミッドセンチュリーの品ではないかと言ってたので、第2次大戦後にイスラエルが建国されたしばらく後に、彼の地で作られたものと想像します。

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今回のイスラエルとハマス件で、改めてイスラエル問題の輪郭を知ったという方も多いでしょう。私にしても、それほど明瞭なイメージを描けていたわけではありません。

ナチスの暴虐によるホロコーストの悲劇と、新たな希望の地としてのイスラエル建国。アラブとイスラエルの対立による数次の中東戦争。あるいは一挙に時代を遡って、旧約時代のエピソードの数々…。そんなものがぼんやり重なって、私の中のイスラエルイメージはできていました。でも、そこには旧約の時代と第2次大戦後の時代に挟まれて、膨大な空白の期間があります。

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イギリスで1871年に発行された地図帳を開いてみます。


この地図の中で色が付いているのは、「Turkey in Asiaアジアにおけるトルコ」、すなわちオスマン帝国の版図です。「アジアにおける…」というのは、この地図帳にはもう1枚、「ヨーロッパとギリシャにおけるトルコ」という地図があるからで、当時のオスマン帝国はアジアとヨーロッパにまたがる広大な領土を誇っていました。


少し寄ってみます。今のイスラエルも当時はオスマン領内で、その「シリア地方」の一角を占めていました。


もちろん、エルサレムもガザもその一部です。

こうして近世以降、トルコ一強で固められた中近東でしたが、この大帝国もクリミア戦争(1853-1856)後の経済的疲弊と、相次ぐ国内の政治的混乱によって、半植民地化の進行がとまらず、特に第1次世界大戦(1914-1918)の最中、イギリスの後押しで蜂起したアラブ民族独立闘争を受けて――アラビアのロレンスのエピソードはこのときのことです――結果的にパレスチナがイギリスの委任統治領になった…というのが、その後の歴史を大きく左右したらしいのですが、この辺の叙述は、たぶん大部な書物を必要とすることでしょう。

まあ、イギリスばかり悪者にするのはアンフェアかもしれませんが、当時のイギリスが関係各国と後ろ暗い密約を重ねていたのは事実だし、はた目に「火事場泥棒」や「焼け太り」と見えるのも確かです。

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今、彼の地の上空を一個の見えない彗星が飛んでいます。


ガザの人々にとって、この彗星は紛れもなく凶星でしょうし、多くのイスラエルの人にとってもそうかもしれません。

でも、孔雀石の石言葉は「魔除け」、そして「癒し」と「再会」だそうです。
どうか人間の心が、獣性によって蹂躙されることのありませんように。
そして、子どもたちの屈託のない笑顔が再び見られますように。

今はひたすら祈るような気持ちです。

ヘイデン・プラネタリウムのペンダント2023年09月19日 17時54分44秒



ニューヨークのヘイデン・プラネタリウムで、かつてお土産として売っていたペンダント。気楽なお土産品ですから、全体の作りは安手な感じですが、青緑の背景に光る銀のプラネタリウムは、なかなか美しい配色です。

(ペンダントの裏側)

で、気になったのは「これって、いつぐらいのものなのかな?」ということ。
鉄アレイ型の古風な投影機のシルエットは、これが少なからずビンテージな品であることを物語っています。

下はWikipediaの「Zeiss projector」の項に挙がっている同館の投影機の変遷を日本語化したものです(Zeissの型式呼称は、「Mark 〇〇」とか「Model 〇〇」とか、表記が揺れていますが。Zeiss社自身は後者を採用しているようなので、ここでも「モデル〇〇」で通します)。


ヘイデンは一貫してツァイス社の製品を使っており、そこには長い歴史があります。このうち明らかに異質なのは、ずんぐりしたお団子型のモデルIXです。

(ヘイデンの現行機種であるモデルIX。American Museum of Natural Historyのサイトより「Zeiss Projector」の項から転載)

日本でも最近はこういう形状のものが大半なので、「プラネタリウムというのはこういうもの」というイメージにいずれ変っていくのでしょうが、私にとってはやはり旧来の「ダンベル型」のイメージが強烈です。

下はヘイデンを被写体にした同時代の報道写真で、eBayで見かけた商品写真をお借りしています。


左は1935年、右は1960年とクレジットされていたので、それぞれモデルIIモデルIVでしょう。本体の見た目はそんなに変わりませんが、昆虫の脚っぽい支柱がすっきりしたのが目立つ変化です。これはその後のモデルVIも同様で、モデルVIになると、さらに支柱のみならず、投影機の胴体周りも幾分すっきりしています。

(ヘイデンの画像が見つからなかったので、これはシュトゥットガルト・プラネタリムに設置されたモデルVIの写真です(1977)。出典:ZEISS Archive

ペンダントに描かれた投影機はデフォルメと簡略化が著しいですが、もろもろ考え合わせると、どうやらモデルVIの時代(1973~1997)のものらしく、全体がピカピカと新しいのも、この推測を裏付けています。


とはいえ、これでもすでに四半世紀以上昔の品であり、「プラネタリウム100年」の歴史の一コマを飾る品と呼ばれる資格は十分ありそうです。

アメシストの蜘蛛2023年07月16日 09時29分21秒

昨日の流れで、もうひとつ虫のアクセサリーを載せます。


これも1930年代、アールデコ期の蜘蛛のブローチです。
こちらは英国ノリッジから届きました。


素材は銀、そこに紫水晶の胴、月長石の胸、ガーネットの両眼が光っています。


この蜘蛛はペンダントトップにしてもいいと思うんですが、現状は素朴なc形クラスプの留め具がついたブローチです。途中でブローチに改変されたのかもしれません。仮にそうだとしても、その加工が施されたのはずいぶん昔のことでしょう。

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蜘蛛のアクセサリーは、今でもゴシック・ファッションや、ハロウィンのコスチュームでは人気があるのかもしれません。でも、昔はそういう特殊な色合い(=不気味さゆえの選好)とは別に、もっと日常使いのアイテムだったのではないか?という疑念もあります。

ものの本によれば、もともと蜜蜂はラッキーアイテムとして、西洋世界で親しまれていたそうですが、19世紀のジュエリー界に「昆虫ブーム」が訪れると、蜂はもちろん、甲虫やら、蜻蛉やら、いろんな昆虫が女性の身を飾り立てることになったのだとか。

(別冊太陽『骨董をたのしむ62・永遠のアンティークジュエリー』(平凡社、2004))

昨日のクワガタや、今日の蜘蛛のブローチは20世紀前半の品ですが、いずれもその末流ではないかと思います。

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そうした昆虫アイテムの流行には、アールヌーヴォーを染め上げていたジャポニズムの影響もあったでしょうが、それ以上に、19世紀後半に大衆化した博物学の一大ブームの影響を見落とすことはできないと思います。

当時は女性だって磯に出かけて貝を拾い、イソギンチャクをつかまえ、森の小道で苔やシダを採集し…という具合でしたから、野の虫たちもまた「追い求められる存在」であり、「憧れを誘う存在」だったわけです。

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それがいつしか、昆虫は嫌われる存在、不気味な存在になり、農業害虫や衛生害虫以外に、単に不快という理由で忌避される「不快害虫」という言葉が生まれ、「不快害虫」を駆除する殺虫剤が、スーパーやホームセンターの棚にズラッと並ぶ状況になりました。

その理由のすべてを説明するものではないにしても、その一端を解き明かしたのが以下の論文です(ただし、リンク先は原論文ではなく、その解説ページです)。

■深野祐也・曽我昌史
 「なぜ現代人には虫嫌いが多いのか? 
 ―進化心理学に基づいた新仮説の提案と検証―」
もともと毒のある虫のように、「避けるべき虫」というのはいたわけですが、身近に虫がいなくなると、避けるべき虫とそうでない虫を区別することができなくなり、虫といえば一様にみな避けるようになったのだ…という説です。(それと、屋外より屋内で虫を目にする機会が増えると。感染症リスク回避のため、虫に対する嫌悪感がより強まることも要因のひとつに挙げられています。)

まあ、身の回りに虫がやたらめったらいたら、いちいち嫌悪や回避もしていられないわけで、虫と出会う機会が減って、生活空間で虫の存在が「有徴化」することが、虫嫌いの発生の前提であることは確かだと思います。

琥珀色のクワガタ2023年07月15日 09時33分21秒

しばらく前に今年初めての蝉を聞き、「あ、鳴いているな」と思ったら、昨日は急に蝉時雨状態になりました。先駆けに続いて、いよいよ本隊のお出ましです。
それにしても、地面の下で互いに相談していたわけでもなかろうに、よくこれほどタイミングが揃うものだと感心します。

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さて、何か涼し気なものはないかな…と思って、まあ涼しいかどうかは分かりませんが、季節柄、昆虫のブローチです。


つる草に昆虫のモチーフは、いかにも19世紀のアール・ヌーヴォーっぽいですが、購入したカリフォルニアの業者によれば、1930年代の品とのことでした。アール・デコ期に入ってからも、ちょっとレトロなデザインとして、こういうものが受け入れられる素地があったのでしょう。


そう思って見ると、そもそも素材は真鍮だし、このクワガタにはめ込まれているのはガラスの模造宝石だし、全体に気取りのないお手軽感があります。これこそが時代の気分だったのかもしれません。


葡萄の葉にたまった露もファセットのガラス玉。この辺はたしかに涼し気かも。

(裏面)

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改めて暑中お見舞申し上げます。
今日も当然30度超えで、さらに明日・明後日は35度だ、39度だ…と天気予報は脅しています。
どうぞご自愛のほど願います。

再び小さな月の工芸品…「月と薄」2023年01月05日 18時33分21秒

話にはずみがついたので、もう一回話を続けます。


これまた小さな月の工芸品。左右は3.9cmほどで、人差し指の先にちょこんと乗るぐらいのサイズです。


月に薄の図で、三日月とススキの穂に金箔を置いたのが、渋い中にも華やかさを感じさせます。よく見るとススキの葉に小さな露が玉になっていて、こういうところが細工士の腕の見せ所。

これは「目貫(めぬき)」、つまり日本刀の柄(つか)を飾った金具で、昔の侍というのは、威張っているばかりでなく、なかなか風雅な面がありました。

月に薄の取り合わせは、お月見でもお馴染みですし、ふつうに秋の景色を描いたものとして、特段異とするには足りないんですが、実はこの目貫は2個1対で、もう一つはこういう図柄のものでした。


こちらは烏帽子に薄です。「これはいったい何だろう?」と、最初は首をひねりました。昨日の記事で「文化的約束事」ということを述べましたが、こういうのは要は判じ物で、分かる人にはパッと分かるけれども、分からない人にはさっぱりです。私もさっぱりの口だったんですが、ネットの力を借りて、ようやく腑に落ちました。

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まず、ここに描かれているのは烏帽子ではなくて、「冠」だそうです。


正式には巻纓冠(けんえいかん)と呼ばれるもので、特に両耳のところに扇形に開いた馬の毛の飾り(老懸・おいかけ)が付いているのは、武官専用の冠であることを示しています。

そして、この冠の主は下の人物だと思います。

(在原業平像 狩野探幽筆『三十六歌仙額』)

在原業平(825-880)は歌人として有名なので、文人のイメージがありますが、その官職は右近衛権中将で、れっきとした武官です。したがって狩野探幽が業平を武官姿で描いたのは正確な描写で、彼は古来「在五中将(在原氏の五男で中将を務めた人)」の呼び名でも知られます。

そして業平といえば、『伊勢物語』です。中でもとりわけ有名な「東下り」と武蔵国でのエピソードが、この「薄と冠」の背景にはあります。したがって「月と薄」の方も、単なるお月見からの連想というよりは、和歌で名高い「武蔵野の月」(※)をモチーフにしたものであり、ここに共通するテーマは「武蔵野」です。

(「武蔵野図屏風」江戸時代、根津美術館蔵)

(※)たとえば源通方が詠んだ、「武蔵野は月の入るべき峯もなし 尾花が末にかかる白雲」(続古今和歌集所収)など。

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何だかしち面倒くさい気もしますが、文芸的伝統の本質とは、幾重にも重層的な「本歌取り」の連続にほかならず、そうした伝統の末に、次のような表現も生まれたような気がします。

「そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか。」
 そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛くちぶえを吹きながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしました」
 (宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より「六、銀河ステーション」の一節)

小さな月の工芸品2023年01月04日 06時10分35秒

一昨日のつづきで、少し話をふくらませます。

門外漢の言うことなので、あまり当てにはなりませんが、日本では装身具があまり発達しなかった気がします。端的にいって、指輪、ネックレス、ブレスレット、イヤリング、ブローチ、宝冠…等々を身につける習慣がなかったし、特にジュエリーの類は、ヨーロッパ世界との懸隔が目立ちます。

近世は奢侈品が禁じられたので、やむを得ない面もありますが、それ以前だって、あまりポピュラーだったとは思えません。まあ、別に装身具が発達したからエラい、しなかったからダメという話ではなくて、単に文化の在りようが違うといえばそれまでです。

ただ、仏典には「七宝」の記述があるし、菩薩像の絢爛たる宝冠、瓔珞、腕輪などの造形を考えれば、日本人がそういうものの存在を知らなかったはずはないので、そこはちょっと不思議な気がします。(あるいは逆に、そこに「仏臭さ」を感じて、自ら身に着けることを忌避した…ということかもしれません。)

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そんな中で近世にあっては、女性ならばかんざし、男性ならば提げ物(煙草入れなど)とそれに付随する装飾が、装身具として独自の発展を遂げました。また刀も身に帯びるものですから、凝った刀装具を、装身具の一部に数えていいかもしれません。こうした日本独自の細密工芸品は、海外でも国内でも、コレクターが多いと聞きます。

月のモチーフ限定ですが、私もそうした細々した品に惹かれるところがあって、一昨日の兎のかんざしも、その流れで手にしたものです。さらに今日はもうひとつ、提げ物の金具を見てみます。


これは形状から留め具と思われる品で、左右2.8cmのごく小さな細工物です。モチーフは波にもまれる月。ここに兎は登場しないし、海上の月はそれ自体独立した画題でもありますが、それでも例の「月海上に浮かんでは 兎も波を奔る」(竹生島)の連想は自然に働きます。


一方、こちらは典型的な波乗り兎。おそらく煙草入れの前金具で、左右は4.8cmと一寸大きめです。こちらは逆に月が描かれてませんが、文化的約束事として、この兎は月をシンボライズしているので、見た目は違っても、結局両者は「同じもの」だと思います。


「月の登場しない月の工芸品」というのは一見奇妙ですが、シンボルとはそういうもので、西洋の人が白百合の絵を見て、「ここには聖母マリアが描かれている」と言ったりするのも同じことでしょう。

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以前、天文モチーフのアクセサリを探していたとき、「そういえば、日本にこういうのはないなあ…」と一瞬思ったんですが、でも改めて考えたら結構あるような気もして、そのことを思い出しつつ、今日は日本文化論を一席ぶってみました。(新春大放談ですね。)

(おまけ。今年の年賀状に使った柴田是真筆「玉兎月宮図」(部分))

波乗り兎のこと2023年01月02日 11時02分24秒

ウサギと天文といえば「うさぎ座」という、そのものズバリのものがありますけれど、ここではちょっと方向を変えて、月のウサギにちなむ品を採り上げます。

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私の趣味嗜好として、月をかたどった品は昔から気になるもののひとつで、特に集めているわけでもないんですが、目についたものをポツポツ買っているうちに、少しずつ集まってきました。


そうしてやってきたひとつが、この月と兎のかんざしです。


全体は銀製。文字通り「銀の月」に赤珊瑚の兎が乗っています。


角度をちょっと変えると、兎の造形も達者だし、


正面から見ると、鼻先から口元にかけて珊瑚の白い部分が生かされていて、なかなか芸が細かいです。かんざしの細工が高度に発達したのは、江戸時代よりもむしろ明治の末~大正頃で、これもその頃のものだろうと売り手の方から聞きました。

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「波乗り兎」は和の文様としてポピュラーですが、この「月・兎・波」の3点セットは、謡曲「竹生島」の以下の詞章に由来します。


 「緑樹影沈んで 魚木に登る気色あり 
 月海上に浮かんでは 兎も波を奔るか」

琵琶湖に浮かぶ竹生島明神へ参詣の折、船からあたりを眺めると、島影と月が湖面に鮮やかに映り、あたかも魚が木に登り、月に棲む兎が波の上を走るようだ…という美辞です。

岩波の日本古典文学大系の『謡曲集』注解は、同時代の文芸作品にも似たような表現が複数見られることを指摘していますが、いずれにしてもこれは中国に典拠のない、純国産の表現のようです。そして近世以降、謡曲の知識が庶民層に普及する中で、それに基づくデザインの方も人気を博すようになったのでしょう。


このかんざしは、波の表現もダイナミックで、水上を奔る兎の勢いが感じられます。

(かんざしの裏面)

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こういう品を、あのジャパン・ルナ・ソサエティ(LINK)に持ち込んで、各人の評価を聞いてみたいなあ…と思います。

胸元のブループラネット2022年11月10日 19時11分42秒

「青い惑星」といえば地球。
そして、この前多くの人が目撃した天王星もまた青い惑星です。

地球の濃い青は海の色であり、豊かな生命の色です。
一方、天王星の澄んだ青は、凍てつく水素とメタンが織りなす文字通りの氷青色(icy blue)で、どこまでも冷え寂びた美しさをたたえています。

(ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した天王星。原画像をトリミングして回転。原画像:NASA, ESA, Mark Showalter (SETI Institute), Amy Simon (NASA-GSFC), Michael H. Wong (UC Berkeley), Andrew I. Hsu (UC Berkeley))

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以前、土星のアクセサリーを探していて、こんなブローチを見つけました。


見た瞬間、「あ、天王星」と思いました。
アメリカの売り手は天王星とは言ってなかったし、普通に考えれば土星をデザインしたものだと思うんですが、自分的には、これはもう天王星以外にありえない気がしています。

(裏側から見たところ)

飾り石はブルーカルセドニー(青玉髄)のようです。
『宮澤賢治 宝石の図誌』(板谷栄城氏著/平凡社)を開くと、「青玉髄」の項に、賢治の次のような詩の一節が引かれていました。

 ひときれそらにうかぶ暁のモティーフ
 電線と恐ろしい玉髄(キャルセドニ)の雲のきれ
 (「風景とオルゴール」より)

賢治の詩心は、明け方の蒼鉛の雲に青玉髄の色を見ました。
そこは天上の神ウラヌスの住処でもあります。
だとすれば、はるかな天王星をかたどるのに、これほどふさわしい石はないのでは…と、いささか強引ですが、そんなことを思いました。