蛮族の侵入2024年04月13日 16時06分42秒

ここに1枚の絵葉書があります。


ガートルードという女性が、友人のミス・ウィニフレッド・グッデルに宛てたもので、1958年7月31日付けのオハイオ州内の消印が押されています。――ということは、今から76年前のものですね。

「ここは絶対いつか二人で行かなくちゃいけない場所よ。きっと面白いと思うわ。早く良くなってね。アンソニーにもよろしく。ガートルード」

彼女は相手の身を気遣いながら、絵葉書に写っている天文台に行こうと誘っています。

(絵葉書の表)

改めて裏面のキャプションを読むと


「オハイオ州クリーブランド。ワーナー・アンド・スウェイジー天文台は、ケース工科大学天文部門の本部で、イーストクリーブランドのテイラー通りにある。研究スタッフである天文学者たちは、とりわけ銀河の研究に関心を向けている。また学期中は市民向けに夜間観望会を常時開催し、講義と大型望遠鏡で星を眺めるプログラムを提供している。」

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ワーナー・アンド・スウェイジー(Warner & Swasey Company)は、オハイオ州クリーブランドを本拠に、1880年から1980年までちょうど100年間存続した望遠鏡メーカーです。

同社の主力商品は工作機械で、望遠鏡製作は余技のようなところがありました。
そして本業を生かして、望遠鏡の光学系(レンズや鏡)ではなく、機械系(鏡筒と架台)で実力を発揮したメーカーです。ですから、同社はたしかに「望遠鏡メーカー」ではあるのですが、「光学メーカー」とは言い難いところがあります。たとえば、その代表作であるカリフォルニアのリック天文台の大望遠鏡(口径36インチ=91cm)も、心臓部のレンズはアルヴァン・クラーク製でした。

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同社の共同創業者であるウースター・ワーナー(Worcester Reed Warner 、1846-1929)アンブローズ・スウェイジー(Ambrose Swasey 、1846-1937)は、いずれも見習い機械工からたたき上げた人で、天文学の専門教育を受けたわけではありませんが、ともに星を愛したアマチュア天文家でした。

その二人が地元のケース工科大学(現ケース・ウェスタン・リザーブ大学)の発展を願って建設したのが、ワーナー・アンド・スウェイジー天文台で、1919年に同大学に寄贈され、以後、天文部門の本部機能を担っていたことは上述のとおりです。

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1910年代、二人の職人技術者の善意が生み出し、1950年代の二人の若い女性が憧れた「星の館」。ここはもちろん天文学の研究施設ですが、同時にそれ以上のものを象徴しているような気がします。言うなれば、アメリカの国力が充実し、その国民も自信にあふれていた時代の象徴といいますか。

ことさらそんなことを思うのは、ワーナー・アンド・スウェイジー天文台の今の様子を伝える動画を目にしたからです。関連動画はYouTubeにいくつも挙がっていますが、下はその一例。



アメリカにも廃墟マニアや心霊スポットマニアが大勢いて、肝試し感覚でこういう場所に入り込むのでしょう。それにしてもヒドイですね。何となく「蛮族の侵入とローマ帝国の衰亡」を連想します。

もっとも、ワーナー・アンド・スウェイジー天文台は、別に廃絶の憂き目を見たわけではなく、今も名を変え、ロケーションを変えて観測に励んでいるそうなので、その点はちょっとホッとできます。そして旧天文台がこれほどまでに荒廃したのは、天文台の移転後に土地と建物を取得した個人が、詐欺事件で逮捕・収監されて…という、かなり特殊な事情があるからだそうです。まあ、たとえそうだとしても、ワーナーとスウェイジーの純な志や、建物の歴史的価値を考えれば、現状はあまりにもひどいと言わざるを得ません。

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冒頭のガートルードとウィニフレッドの二人は、その後この天文台を訪問することができたのかどうか? 訪問したならしたで、しなかったらしなかったで、このお化け屋敷のような建物を目にした瞬間、きっと声にならぬ声を漏らすことでしょう。

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