収蔵庫、危うし ― 2024年04月28日 10時55分47秒
何たる偶然。せっせと収蔵庫を作ってパーソナル・ミュージアムを実現…みたいなことを書いたら、その日の夕刊にこんな記事が出ました。一読不穏な内容です。仮に本物の博物館を我が物とし、そこに公金が投じられたとしても、全然安心できないというのですから。
【中日新聞 2024年4月27日夕刊】
「公立の博物館・美術館 悲鳴」「収蔵庫もうパンク!」
「公立の博物館・美術館 悲鳴」「収蔵庫もうパンク!」
「公立の博物館・美術館の資料を保管する収蔵庫が限界を迎えている。地域で歴史や文化を学ぶために必要な施設だが、十分な収蔵スペースが確保できなければ、資料や文化財の保存、活用もおぼつかない。一方で、収集を続ける資料を維持、管理するには相応のスペースが要り、経費もかかる。財政に余裕がある自治体ばかりではなく、どうすればいいのか。(宮畑譲)」
そこには、先年話題になった国立科学博物館のクラウドファンディングの件や、寄贈された郷土資料が、雨漏りのする旧保育園舎に天井まで山積みになっている例(神奈川県藤沢市)、あるいは将来の資料収集のため、収蔵品の一部を希望者に無料譲渡せざるを得なかった歴史民俗資料館(鳥取県北栄町)など、各地の窮状が伝えられています。
日本博物館協会が実施したアンケート結果(2020年実施。対象は全国の公立博物館・美術館)によれば、収蔵庫の資料が「9割以上(ほぼ満杯)」という館が34%、「収蔵庫に入りきらない資料がある」という館が23%、合わせて57%の館が収蔵に関して危機的な状況にあるようです。
これはもう現場の人にはどうしようもないことで、結局、予算の問題に還元されますが、さらにその先には議会が予算を承認するかどうか、そして市民がそれを是とするかという「そもそも論」に話は帰着します。
ただ、私は思うんですが、博物館や美術館にある資料は、今を生きる我々だけのものではないですよね。時代を超えて文化を伝えていく「超世代的営み」を、今の我々だけで軽々に決めてしまってよいものかどうか? 記事の見出しには「いったん散逸したら二度と元に戻らない」とありますが、散逸だけならまだしも、滅失したら文字通り二度と復元できませんから、このことはよっぽど慎重に考えないといけないと思います。
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何度もいいますが、本当に貧乏くさい話です。
こんな状況を招いた為政者は、当然きびしく指弾されねばなりません。
その一方で、貧乏度にかけては今以上に貧乏だった時代でも、文化を守り伝えた人が確かにいるわけですから、我々も知恵を出し惜しみしてはならないし、自分だけの博物館の意義についても、今一度真剣に考えてみる必要があります。
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