千年の古都で、博物ヴンダー散歩…島津創業記念館(3)2011年10月23日 17時58分57秒

■S.Uさん、たつきさんからのコメントへのお答に代えて■

昨日、島津製作所と科学ロマンについて、お二人からコメント欄で言及がありました。
「島津製作所には科学に対するロマンの香りがある!」
実に素晴らしいことです。ただ、この「香り」が、馥郁と香っているのか、はたまた単なる残り香なのか、ふと気になりました。
科学に対する人々の思いが、不安と不信に塗りつぶされようとしている今、科学へのロマンはどんな形をとりうるのか?あるいは、どんな形で再生するのか?

昨日何気なく手に取った本に、その「答」が書かれていました。
その本は冒頭で、「今日、科学と社会の間の界面(インターフェース)を活性化させるために、われわれに足りないもの、それは「もうひとりの○○○○」である」と力強く宣言していました。○○○○に入るのは、初代・島津源蔵(1839-1894)の11年前に生まれ、11年後に死んだ、あるフランス人の名前です。

その名は「ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)」。
文化と研究を、無知な文科系と教養なき科学者を和解させ、縫合し、知識と同時に魅惑と驚異をもたらす人、それが今こそ必要なのだ!と、この一文の筆者ミシェル・セールは言います(私市保彦監訳、『ジュール・ヴェルヌの世紀―科学・冒険・《驚異の旅》』、東洋書林、2009、序文)。

島津源蔵の生涯は、そっくり「ヴェルヌの時代」と重なっていた…というのが、私なりの発見で、源蔵の夢とヴェルヌのそれは、必ずどこかでつながっている気がします。ひとつの時代精神とでもいいますか。

源蔵の衣鉢を継ぐ者はいますが、果たしてヴェルヌの方はどうか?
上の本の尻馬に乗って恐縮ですが、現代のヴェルヌの登場が待ち遠しいです。

   ★

さて、創業記念館の見学をつづけます。


現在の京都科学(株)の前身は、明治28年(1895)に設立された島津製作所標本部です。当時の島津製作所は、物理・化学系の実験器具に加えて、生物標本や模型も手掛ける総合理科教材メーカーでした。そうした歴史を物語るのがこの展示です。


日本的な面ざしの人体模型。一種の殿様顔ですね。
(これには時代表記がありませんが、人体模型愛好家として言わせてもらうと、これは島津の製品でも後期に属するもの、たぶん昭和に入ってからの品ではないでしょうか。)


各種キノコの模型(蝋製か)。


哺乳類前脚比較標本(アシカ、ネコ、サル、モグラ、コウモリ)。


生物標本の展示ケースの前には、誘導機電機(ウィムシャースト感応起電機)が置かれています。ふつう教室で使うものよりもはるかに大型サイズで、バリバリ放電しそうです。


2階部分は小屋組がむき出しです。
島津の歴史をつぶさに見てきた、黒々とした木材。


創業資料館は、各地に残る自社製品の積極的な収集活動や、寄贈受け入れによって、コレクションを充実させてきました。そして館内には、寄贈品だけからなる展示コーナーができています。


たとえば上は、大谷高校が寄贈した「ワインホールド氏 水の底圧力試験器」。
このコーナーの傍らには次のような解説板がありました。

「歴史遺産として 保存に向けた取り組み

 当館は、製品保存や寄贈の受け入れ、収集活動により約1100点の理化学器械を収蔵しており、国内最多の展示数を誇っています。
 これらは、島津の歴史を語る品々として意義深いというだけのものではありません。近代日本を牽引してきた科学・技術と工業がどのように誕生し成長してきたかを、雄弁に物語ってくれる貴重な資料なのです。
 他にも国内には、京都大学所蔵の三高コレクションをはじめとして、各地の旧制高校由来の実験器具群が点在しており、それぞれについて関係者による調査、研究が行われてきました。理化学器械を貴重な歴史遺産として見直し、大切に保存する気運が高まっています。」

まさに然り。そして、このことは旧制高校レベルばかりでなく、戦前・戦後の小・中学校でも同じことだと思います。各地でポイポイ古い理科教材が捨てられていますが、ぜひ一考をお願いしたいところです。

   ★

さてさて、博物ヴンダー散歩は、このあとジリジリ東へと向かいます。
次なる目的地は「京都大学総合博物館」。

コメント

_ たつき ― 2011年10月23日 22時06分19秒

玉青様
私などのコメントにきちんと答えて下さり、どうもありがとうございました。科学は絶望と同義語になりかけています。こんな今だからこそヴェルヌのような考え方をした人が、島津製作所だけではなく、いろいろな科学の現場に現れることを願っています。
そのためには人々が科学史を学ぶことはとてもたいせつなことでしょうから、それを知っている島津製作所の記念館には、やはり科学へのロマンの残滓のようなものを感じます。

_ S.U ― 2011年10月24日 19時37分58秒

 現代のヴェルヌとは、大きく出ましたね。
 でも、少年少女時代に科学に憧れた人たちには、だれでもヴェルヌに匹敵する人がいたのではないでしょうか。私の子どもの頃には、世界的にはアシモフが人気があったようですが、私にとっては手塚治虫とカール・セイガンでした。今の子どもたちに、そんな人はいるのでしょうか。心配になります。

 私は「八十日間世界一周」のフォッグ氏が好きでした。「月世界旅行」はというと、読まなくてもアポロが地でいっていました。今の子に申し訳ないくらい良い時代に育ったと思います。

_ 玉青 ― 2011年10月25日 07時16分08秒

おふたりの名前を出して、勝手に記事に仕立ててすみませんでした。

さて、現代のヴェルヌはありやなしや。
若手科学者100人にアンケート、「私は○○に憧れて科学者になった」…なんてやってみたら、どんな結果が出るのか興味深いですね。

_ ハルオ ― 2024年05月05日 18時07分46秒

科学と人間生活は、きってもきれないとおもいます。 でも 今の世の中は
科学によつて地球が破壊されそうですね。 悪用されないようにしたいですね 自然環境に戻してどうぶつの森に したいですね。
私は、よく分かりません 但し科学は、大事だと思っています。

_ 玉青 ― 2024年05月06日 07時57分57秒

ハルオさま、コメントありがとうございます。何と13年前の記事ですね。
我ながら息の長いブログだなあ…と思いつつ、とても光栄に思います。

科学そのものは善でも悪でもなく、むしろそうした価値判断を超えたところで営まれるものというのが、多分大前提ないし建前なのでしょうが、最近の科学をめぐるニュースは、そうした「無色透明な科学像」に疑問符を突き付けるものが多いですね。
たしかに科学それ自体は没価値であっても、それを社会に応用する段階では価値判断を避けることはできないし、その結果に無自覚な科学は、たとえ「悪」とは呼べなくても、「害」にはなり得る思います。

願わくは、科学とその応用が、豊かなどうぶつの森と敵対することなく、共栄できますように!

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