本の標本、本のオブジェ ― 2024年09月11日 18時18分13秒
名古屋・伏見のantique Salonさんが店内を改装されて、お店の一角にライブラリコーナーができました。
お店を訪問されたことがない方には、なかなか構造が把握しづらいと思いますが、antique Salon さんは、奥行きのある、細長いお店です。全体は鉄アレイ状といいますか、両端(道路に面した側と奥側)に広いコーナーがあり、その間を通路状のスペースがつなぎ、その通路部分も含め、店内のあらゆる場所が、奇妙で美しい品で満ちています。
正面、ドアの向こうが道路に面したコーナーで、左側、壁の向こうが通路状の店舗部分。ドアの手前に続くフローリング部分は、店舗外にある本来の通路です。
昨日は道路側のコーナーで、店主の市さんと冷たいものを手に話しこんでいましたが、新たにできたライブラリコーナーは、
それとは反対側、道路からは遠いコーナーの、
そのまたいちばん奥に設けられてます。
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その完成を記念して、「本の標本、本のオブジェ」展が始まっています。
■特別展示室 第1回企画展 『本の標本、本のオブジェ』
○期間: 2024.9.7(土)~9.23(月) 12時 ~ 19時(水曜・木曜定休)
○場所: antique Salon 特別展示室・図書室
名古屋市中区錦2丁目-5-29 えびすビルパート1_2F
○参加者(順不同・敬称略):
美術家・造形作家/ 川島 朗、UAMO/ 高木綾子、小説家/伽十心、
メルキュール骨董店/矢野 文、夕顔楼/店主、コレクター/久保
カルトナージュ作家/竹内朋子、BiblioMani/店主、
VOUSHO Coffee Factory/店主、antique Salon/市ゆうじ(+天文古玩)
今回並ぶのは全部で22冊の本。
“本好き”という共通項以外、年齢も職業も背景もバラバラな11名が、「自分の根幹にある本」と、「装丁の美しい本」を、それぞれ1冊ずつ紹介するという、それ自体不思議な企画です。(もうひとつの共通項は、市さんの知己ということですが、私もそこにまぜていただいたものの、他の方のことは、個人的には殆ど存じ上げません。)
会場にはその22冊の本が、標本ないしオブジェとして展示されています。
(左:メルキュール骨董店・矢野文氏セレクト/アンリ・ボスコ(著)『シルヴィウス』、右:antique Salon・市ゆうじ氏/宮本輝(著)『流転の海』)
(左:小説家・伽十心氏/ジョイス・マンスール(著)『充ち足りた死者たち』、右:BiblioMania・店主氏/奥崎謙三(著)『宇宙人の聖書!?』)
(左:コレクター・久保氏/『バタック族の呪術暑(19世紀)』、右:VOUSHOU Coffee Factory・店主氏/小田実(著)『何でも見てやろう』)
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市さんの企画意図とは一寸ずれるかもしれませんが、「これは本の展示である以上に、人間の展示だなあ」と思いながら、会場を拝見していました。自分の人生観や美意識を本に託すことは、一種の表現行為にほかなりませんし、実際、どの本の背後にも読み手の濃厚な気配を感じたからです。
文字通り十人十色の皆さんと、機会があれば膝詰めで語り明かしたいとも思いましたが、でもこれはそういう単純な話でもなくて、本の向こうにその読み手の姿をよみがえらせることは、我々観覧者に許された別種の表現行為であると同時に、そのよみがえった読み手と言葉をかわすことこそ、ここでは一層濃密な体験ではないか…とも思いました。
もちろん読み手の方々は、私の狭い了見で計ることのできない存在ですから、リアルな交流が生じれば得難い経験になるでしょうが、そこで得られる楽しみは、たぶん上で述べた仮想交流とは別の位相に属する気がします。(…と、ここまで考えてくると、結局私は市さんの企てに、半ば乗せられたことになるのかもしれません。)
買える博物館 ― 2024年07月08日 05時57分56秒
炎暑の七夕。
それだけに空は快晴で、南東の空に織姫と彦星が明るく眺められました。南を向けば天のさそりが雄大に身をくねらせ、これぞ夏空という感じです。新暦の7月7日はたいてい雨にたたられますから、こんな風にスカッと二星を拝めたのは久しぶりじゃないでしょうか。でも東京の空はどうだったのか、願いが叶わなかったのは残念です。ちゃんと短冊に書いておけばよかった…。
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昨日、名古屋駅まで行く用事があり、ついでに「地球研究室」と「男の書斎」を久しぶりに覗いてきました。いずれも、東急ハンズ名古屋店(JR名古屋タカシマヤと同居しています)の10階にあるお店で、「地球研究室」は博物系グッズのショップ、「男の書斎」は書斎の机辺において楽しみたい渋めのセレクト雑貨を並べたお店です。
(「買える博物館」とは言い得て妙。https://ny-select.com/chiken/)
(両店舗のコンセプト。https://nagoya.hands.net/floor/selectcorner.html)
かつて名古屋には、栄地区に「東急ハンズANNEX店」というのもあって、そこにも理化学用品や博物系商品のコーナーがあり、一時はなかなか賑わっていたのですが、だんだん規模が縮小されて、ついにはANNEX店そのものがつぶれてしまいました(その後できた松坂屋店のことはひとまず脇におきます)。
東京では、池袋三省堂が鳴り物入りでオープンした「ナチュラルヒストリエ」が、事業撤退するという悲しい出来事もありましたし、博物系の常設店舗にとって今は冬の時代か…と思っていたので、「地球研究室」と「男の書斎」のその後の様子が気になりましたが、あにはからんや、いずれも老若男女のお客で大賑わいで、ほっと胸をなでおろしました(インバウンドのお客さんも多かったです)。
両店舗は一部コンセプトがかぶって感じられる部分もありますが、いずれもバイヤーの気合の入った良店舗で、商品構成によってはまだまだ博物系もいけるな…と思いました。まあ、別に私が経営者目線になる必要もないですが、一消費者としても、博物系のお店が元気で頑張っていることは、うれしく頼もしいことです。
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ささやかながら、「地球研究室」で購入したものがあります。
自分がそれを購入する気になったこと自体、嬉しい驚きでもあったので、そのことを書きます。
(この項つづく)
One Hundred and One Year Stories ― 2024年07月02日 19時33分20秒
いよいよ7月、夏本番。
足穂好みの「六月の夜の都会の空」は幻のごとく飛び去りましたが、消夏にうってつけのタルホ関係のイベントを2件ご案内いただきました。
昨年は『一千一秒物語』刊行100周年で、関連するイベントがいろいろありました。
今年はさらに101周年で、「1001」にはむしろ「101」の方がお似合いです。
それに101は素数ですから、100のような卑俗な数よりも顔つきが上等だし、なんなら合成数である1001(7×11×13)よりも一層エライかもしれません。そんなわけで101周年は大いに祝う価値があるのです。
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■kk life work 古多仁昴志 ライフワーク展
変容する(メタモルフォーゼ) 遊縁遊戯
変容する(メタモルフォーゼ) 遊縁遊戯
○参加出品者(敬称略):
小橋慶三、戸田勝久、パラモデル中野裕介、福本タダシ、溝渕眞一郎、
山下克彦 & 古多仁昴志
○会期: 2024年6月27日(木)~7月21日(日) 〔月火水は休廊〕
13:30~17:00
○会場: 喜多ギャラリー
奈良県大和郡山市額田部南町413 TEL:0743-56-0327
○MAP:
※JR大和小泉駅からタクシー8分/近鉄平瑞駅から徒歩18分
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■稲垣足穂 オマージュ展2024 一千一秒奇譚
○参加出品者(敬称略):
erico、川島朗、戸田勝久、中川ユウヰチ、中野奈々恵、福本タダシ、
星野時環、百瀬靖子、山本佳世、よこやまぺん、よりそう
○会期: 2024年7月21日(日)~8月4日(日) 〔7/25, 29, 8/1休廊〕
14:00~20:00〔最終日は18:00まで〕
○会場: 月光百貨店(http://moon-shines.net)
兵庫県芦屋市茶屋之町12-2 TEL:070-5433-6961
○MAP:
※JR芦屋駅南出口から8分/阪神芦屋駅から6分
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明石に生まれ、神戸で才を磨き、京都で亡くなった足穂。
関西はまさに足穂のホームグランドです。彼の後姿を思い浮かべながら、奈良と兵庫の両会場に足を運ぶだけでも、私のような他郷の人間には興の深いことと感じられます。
昨年の京都でのイベント、そしてそこでお会いした方々のお顔と声を思い出しながら、これは単なる懐旧ではない、これぞ宇宙的郷愁と呼ぶべきものだ…と思ったりもします。
十年一剣 ― 2024年05月06日 07時51分00秒
先日、名古屋のantique Salon さんの続けてこられた「博物蒐集家の応接間」が第10回を迎えたことを記事にしました。本当の10周年は来年なのですが、イベントとしてはいよいよ10年目に入ったということで、やはり大きな節目です。
そして、島津さゆりさん(屋号・時計荘)から10周年記念展のご案内をいただき、ここでも「10年か…」と、深く感じ入りました。
■島津さゆり10周年記念個展
「石たちの祝祭(カルナバル)」
「石たちの祝祭(カルナバル)」
2024年5月14日(火)~5月19日(日)
11時~19時(最終日は17時まで)
会場:アートコンプレックスセンター(ACT1、ACT2同時開催)
東京都新宿区大京町12-9-2F
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10年を長いと感じるか、短いと感じるか?
人は時間を空間に置き換えて考えがちです(そもそも。時を「長い」とか「短い」とかいうのは、空間的語彙を時間表現に転用したものでしょう)。ですから10年という時間の長短も、その間に自分がどれだけ「歩み」を進めたか、その距離感に依存している気がします。ぼんやり座り込んでいた人の10年は短く、つとめて歩みを続けた人の10年は長いということです。
個人的主観として10年はとても短いです。それは私自身にほとんど変化がないからで、まさに十年一日です。でも、島津さんにとっての10年は、まったく違った意味合いを帯びていることでしょう。
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上のような考え方は、ある意味、常識的なものと思いますが、ここでさらに思うのは、島津さんの向き合ってこられた対象が鉱物だということです。
永続的で腐朽しない石たち。
もちろん石にも生々流転はありますが、そのタイムスケールは人間のそれに比べれば、やっぱり永劫に近いものです。はかなさの美学とはおよそ対極にある不磨の美。
島津さんは自ら変化し、進化することで、石の秘密に迫ろうとされてきました。しかし、その前で光を放つ石そのものは変化を拒み、永遠の相のうちに在り続けている…その対比に、私は何か只ならぬものを感じるのです。
島津さんの作品は、鉱物の美と一瞬の人生が交錯する場面が多いように思いますが、それはまさに作者・島津さんと鉱物との関係の似姿であり、そこからさらに有限の存在である人間と永劫の世界との関係性へと思いは広がっていきます。
深い思索を誘う作品、それは間違いなく佳い作品です。
博物蒐集夜話 ― 2024年04月21日 17時56分43秒
昨日、博物蒐集家の応接間にお邪魔し、皆さんといろいろお話をする中で、印象に残ったことがいくつかあります。
まず経済的苦境の問題。
何せ円安だし、送料は爆上がりだし、それに現地物価の高騰という三重苦、とにかく商売をするには大変な時代ですよ…という話に頷きつつ、「それに若者が貧しくなって、モノを買わない、買えないのも大きいですしね」という話にも、実感がこもっていました。身辺を見回しても、本当にその通りだなと思います。
まあ、日本でも一部の人はもうかっているのでしょう。せっせと投資に励んで株が上がってにんまりとか、円安だからこそ「濡れ手に粟」なんていう人もいるはずです。
でも、日本全体を見渡せば、聞こえてくるのは貧乏くさい話ばかりで、文化芸術や趣味嗜好の分野はいかにも旗色が悪いです。
それともう一つ、商いの視点から見た天文アンティークの難しさについて。
天文図版がひどく売れた時期というのがあったそうですが、それも一通り行き渡ってしまえば、その後はなかなか…という話と、天文アンティークは事実上「紙モノ」に集約されるので、商品構成上の難しさがあるという話。これまた体験的によく分かります。
世間には、同種のものを無限に集めつづける生来のコレクター、つまり「集めること自体が趣味」という人がいます。あるいはコレクション形成に喜びを見出すというよりも、私のように、天文学史や天文趣味史を語るための「資料」として集め続けている人間もいます。
しかしそうした例をのぞくと、美しい天文図版を何点か身近におけば、それで満足というのが、一般的な天文アンティーク好きでしょうし、天文アンティーク好きの人自体、最初から数が限られているので、無限に需要が喚起されることもないわけです。
それと、天文アンティークって、なんだかんだ言って結局紙モノばかりだよね…というのは、本当にその通りです。古風な天球儀や望遠鏡、アストロラーベや星時計など、天文アンティークの世界にも立体物はいろいろありますけれど、総じて高価だし、普通の給与生活者はそうした品に憧れつつも、指をくわえて見ているしかないのが現実でしょう。
(たまたまメーリングリストで、4月24日に開かれるボーナム社のオークション案内【LINK】が回ってきました。貴重な日時計コレクションを含む理系アンティークに焦点を当てた売り立てです。うーむ、豪奢)
(同上。ポンドとともに日本円で評価額が表示されています)
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帰る道々考えたのですが、私の考えはやっぱりいつも同じところに戻ります。
つまり、天文アンティークにしても、それ以外の博物系アンティークにしても、その見た目だけで面白がろうとしても限界があるし、鬼面人をおどろかすような目新しさは、そう長続きはしないので、そういう楽しみ方は、どうしても先細りになってしまうだろうということです。
こうした品々は、どれだけ対象から意味を汲み出せるかが肝でしょう。
これを「蘊蓄主義」というと、なんだかつまらない感じもしますが、そういう蘊蓄があるとないとでは、面白さや味わいがずいぶん違ってくるんじゃないでしょうか。モノはそれ自体の価値を持つと同時に、その向こうに広がる世界への扉であり触媒である…という観点を見落としてはならないと思います。(昨日の会話の中にも触媒という語が出てきて、わが意を得たりとひざを打ちました。)
言うなれば、こういうのは知的遊戯です(ちょっと気取って知的営為と言ってもいいです)。モノの向こうに広がる世界にどこまで遊べるか。こちらに十分な備えと心組み、そしてイマジネーションさえあれば、その世界はいよいよ広く、いよいよ豊かに、我々を迎え入れてくれる予感がします。
まあこれは一種の理想であり、現実の私がそんな境涯にあるわけではありませんが、でもそうした境地にまで達すれば、いかに貧に苦しもうが、手元にあるのがささやかな紙モノに過ぎなかろうが、なかなかどうして心は豊かに違いありません。
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となると、現状に閉塞感が漂うのは、そうした知的好奇心や知識欲が、社会全般でやせ細っていることの現れではないかと思うのです。そのことこそ真に憂うべきではないか…と、話が急に大きくなりますが、そんなことを考えながら宵闇の町を歩いていました。
驚異への扉を開く ― 2024年04月11日 05時36分56秒
奇想のイベント「博物蒐集家の応接間」のご案内を、主催者である antique Salon さんからいただきました。
■博物蒐集家の応接間―気配 悪戯な天使
2024年4月20日(土)~4月23日(火)
12:00~19:00(最終日は17:00まで)
会場:antique Salon
(名古屋市中区錦2-5-29 えびすビルパート1 2F)
今回はアンティークショップとして antique Salon(名古屋)、メルキュール骨董店(長野)、JOGLAR(神奈川)の皆さんが、またクリエイターとして、いしかわゆか、犬飼真弓、#ISO1638400、eerie-eery、山掛とろろ、伽十心、RISA OKADA、ひん、Arii Momoyo Pottery、川島朗の皆さんが参加されます。今回クリエイターさんの数が多いのは、名古屋を拠点に活動するクリエイター・グループ、「#casement13」とコラボされていることによるようです。
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「博物蒐集家の応接間」は、2015年に名古屋の antique Salon さんの店舗で開催されたのが第1回で、以後は東京をはじめ、神戸や大阪の各地で開催されてきました。そして節目の第10回は、ふたたび名古屋での開催です。
思い起こすと、第1回の会場でお会いした方々の顔が懐かしく浮かんできます。
いきなり回想モードに入るのもどうかと思いますが、でも趣味の世界にあって9年という歳月は、その世界の住人を、揺りかごから冒険の旅へと駆り立て、老練な人間に鍛え上げ、静かな回想へといざなうのに十分な長さです。
博物趣味の世界にあっても同様で、老獪…とまでは言わないにしろ、あの第1回の会場に集った方たちも、それぞれに年輪を重ね、成長を遂げられ、もはや昔日の談ではないでしょう。十年一日のごとき私にしても、やっぱり変化した部分はあるはずです。
そこには良い変化もあるし、初々しさが失われたという意味で、必ずしも良いとばかりはいえない変化もあります。でも、 antique Salon さんに譲っていただいた、小さな驚異の断片を前にすれば、
「目慣れただけで汲み尽くせるようなものを、キミは驚異と呼ぼうというのかい? キミは‘驚異’を‘目新しさ’と取り違えているんじゃないのか? そもそも、キミはボクの何を知っているというのか? 」
という声がしきりに聞こえてくるのです。
そんなことを自問しながら、悪戯な天使が待つ会場を訪ねようと思います。
アストロラーベで天意を読み解く ― 2024年01月07日 09時33分15秒
昨日登場したジョヴィラーベは、これまで何度か紹介したウクライナのブセボロードさん(屋号はMasterTerebrus)の製品です。ああいう渋い品を一般向けに供給してくれるブセボロードさんのような存在は本当に貴重です。
しかし、ウクライナの状況はご承知のとおり。
いろいろな出来事が立て続けに起きる中、メディアを通じて入ってくるウクライナ関連の情報も一時より薄くなっている気がしますが、情勢は緊迫したまま推移しており、東部諸州はもちろん、首都キーウへのロケット攻撃もやんではいません。ブセボロードさんが、制作活動に専心できる世の中が一日も早く訪れてほしいと願うばかりです。
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先日、ブセボロードさんから新年のあいさつと共に、能登半島地震へのお見舞いの言葉をいただきました。自身が大変な中、他者を気遣えることは、彼の豊かな人間性を物語るものです。
メッセージの中でブセボロードさんは、MasterTerebrusが昨年1年間に稼いだお金の大半がウクライナ軍支援のために使われたと述べています。ヘルメット、発電機、チェーンソー、ストーブ…そうした多くの備品を、各部隊に寄贈するためです。
ウクライナでは、そうしたボランタリーな支援に感謝の意を表するために、当該部隊のバッジ(徽章)を贈るというインフォーマルな習慣があるそうで、ブセボロードさんは「どうです、これはなかなか高価なコレクションなのですよ…」と書き添えて、その写真を送ってくれました(それだけの費用がかかっているという意味でしょう)。
ということは、私がMasterTerebrusの製品を購入したことは、回りまわってウクライナ軍の支援にもなったわけです。私は平生、平和主義を唱えていますが、それと同じ重みで大国の膨張主義には反対しているので、これはあえて義挙として、自ら誇りたいと思います。
MasterTerebrusは、典型的な多品種少量生産のお店なので、いちどきに注文が重なると、かえってブセボロードさんの負担が増えてしまうかもしれませんが、その点を念頭におきつつ、アストロラーベや天文機器がお好きな方は、ぜひショップ【LINK】を覗いてみてください。(ジョヴィラーベも今ちょうど一点在庫があるようです。)
【おまけ】
緑したたる美しい路地。キーウの街の何気ない日常―。
Google ストリートビューが見せてくれるその世界は、しかし2015年当時のものです。仮に多くの建物がそのままだとしても、そののんびりした空気感はとうに失われてしまったことでしょう。痛ましいというほかありませんが、前年の2014年にはロシアのクリミア併合があり、現在へと至る種は、すでにまかれていたのかもしれません。
プラネタリウム100年 ― 2023年10月08日 23時03分18秒
プラネタリウム100年を追体験するため、遅ればせながら地元の名古屋市科学館に足を運びました。
■企画展「プラネタリウム100周年」
○期間 : 2023/9/26(火)~ 2023/10/22(日) 9:30~17:00(入館16:30まで)
休館日 10/9(月・祝)を除く月曜日、10/10(火)、10/20(金)
○場所:名古屋市科学館 天文館5階「宇宙のすがた」
○公式サイト:【LINK】
同館にはいわば「常設展」として、昔の投影機の展示も以前からあるのですが、こういう機会に眺めると感慨もひとしおで、改めてすごい迫力だと感じ入りました。
(名古屋市科学館プラネタリウムの先代機、ツァイスⅣ型)
(かつて愛知県東栄町の御園天文科学センターに設置されていた金子式プラネタリウム)
天体望遠鏡と並んで、プラネタリウムは星空への憧れが凝縮された装置です。
ただし、天体望遠鏡が「野生の星たち」の生態を観察する道具であるのに対して、プラネタリウムは「飼育環境下の星たち」を学習/鑑賞するためのものという違いに加え、有り体に言えば、それは星ですらなく、単なるその似姿にすぎないんですが、人々の星ごころの発露という点では両者甲乙つけがたく、その進化の歴史は多くの人間ドラマに満ちています。
かつて幾人のプラネタリアンが、この操作盤に手を触れたことでしょう。
その解説の声に耳を傾けた人々のことを想像すると、何だか無性に愛しさが募ります。
会場には、名古屋市科学館に納入された「ツァイスⅣ型263番機」の、貴重な設計図面も展示されていました。古風な青焼きから、往時の技術者の肉声が聞こえてくるようです。
プラネタリウムの歴史を説く壁面投影のスライドショーも充実しています。
「医薬品、光学機器の興和(Kowa)が2台だけ作った伝説・幻の早すぎたプラネタリウム」、「その後、あっさり製造打ち切り」――この辺の口吻は、何となく公立科学館のお行儀の良い解説を逸脱した、純粋なプラネタリウムファンのコメントのような趣があって、好感度大。
こちらは小型ホームプラネタリウムの展示です。同じ条件で実際の投影像を比較できるのは貴重な機会で、購入を考えている人には大いに参考になるでしょう。
(個別に撮った写真を並べたもので、実際の並び順とは違うかもしれません。)
これも常設展示ですが、ツァイスの光学式プラネタリウムに先立つこと約140年、18世紀後半に作られた、世界最大・最古の機械式プラネタリウム「アイジンガー・プラネタリウム」のレプリカです。
その脇には、オランダの時計メーカー、クリスティアン・ヴァン・デル・クラーウ【LINK】 が制作した「ロイヤル・アイゼ・アイジンガー リミテッドエディション」が展示されていて、「おお、これが」と思いました。といってもムーブメントのない外身だけですが、実物は世界に6つしかない、1000万円超えの逸品だそうですから、そう滅多矢鱈に展示できるものではありません(でも、明石の天文科学では今年6月に、その紛れもない実物が展示された由↓)。
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こうして展示をゆっくり見てから、現役のプラネタリウムを鑑賞し、豊かな気分で家路につきました。一口にプラネタリウム100年といいますが、アイジンガーのことまで勘定に入れると、その歴史は250年にも及ぶわけで、これはウィリアム・ハーシェルに始まる現代天文学の歴史とちょうど重なります。1年前にハーシェル没後200年展が同じ会場であったことなども、道々ゆくりなく思い出しました。
あの名店がお隣にやってきた ― 2023年09月09日 15時24分20秒
ブログをそろそろ再開…といいながら、なかなか再開しないのですが、物事の終わりというのは、得てしてこういうものかもしれませんね。炎が徐々に細くなって、ふっと消える感じといいますか。とはいえ、一息に吹き消すつもりもないので、この駄文もまだしばらくは続きます。
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最近、心に波風が立ったこと。
以前も何回か言及した Daniel Crouch Rare Books。
私はたわむれに「倉内古書店」とか、「倉内さん」とか心の中で呼んでいますが、同社はそんなふうに馴れ馴れしく呼ぶのは本来畏れ多い相手で、ロンドン・メイフェア近くの一等地に店を構え、最近はニューヨークにもオフィスを設けている、古地図・古典籍の世界では押しも押されもせぬ超一級のディーラーです。
そのクラウチ古書店が、宝の山を抱えて、今、すぐ近くまで来ていると聞きました。
9月6日から9日まで、すなわち今週の水曜日からちょうど今日まで、ソウルで開かれている「フリーズ・ソウル」というイベントにブースを設けて、同社も出展しているのだそうです。
(クラウチ古書店の取扱商品の一部。
フリーズ・ソウルは、美術雑誌『FRIEZE』の版元であるフリーズ社が例年開催しているアートフェアの一環で、今のところロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルス、そしてソウルが開催地となっており、ソウルでの開催は、昨年につづき今年で2回めだそうです。
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フリーズ・ソウルには、日本のアート・ディーラーも多数参加しているので、これがただちに日本の凋落を意味するわけでもないでしょうが、何しろこういう催しは、より多くのお金が落ちるところで開かれるのが常ですから、それが今ではトーキョーではなくソウルになった…というところに、なにがしかの感慨を覚えます。ことに先日の国立科学博物館のクラウドファンディングの一件以来、文化的貧困の淵に沈む日本の行く末に思いをはせていたので、よけい心に冷たい秋風が吹くわけです。
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まあ、日本一国の運命がどうであれ、世界規模で見たときに文化が栄えるのであれば大いに結構な話で、そうくよくよするにも及ばない…とは思うんですが、でも日本の貧困化と私自身の貧困化はかなりシンクロしているので、身辺に及ぶその影響は、決して小さいものではありません。
六月の夜の都会の空の下で ― 2023年06月25日 21時41分11秒
例の足穂イベントに参加するため、京都に行ってきました。
私は足穂の熱心なファンというわけではありませんが、その作品世界に感化された者として、一人のファンを名乗ってもバチは当たらないでしょう。そして、世間には他にも大勢の足穂ファンがいることを知っており、それらの人々が語る言葉や、足穂に影響された作品を、本や雑誌やネットを通じて、これまで繰り返し見聞きしてきました。
しかし、生身の足穂ファンを私はこれまで見たことがありませんでした。
つまり、眼前で「足穂が好きです」と公言し、足穂について語るような人には、ついぞ出会ったことがないのです。
でも今回京都に行って、生身の足穂ファンが大勢居並ぶ光景に接し、一種名状しがたい感銘を受けました。私にとって、それはすぐれて非現実的・非日常的な光景であり、そのことだけでも、京都に行った甲斐がありました。
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四条烏丸と四条河原町の中間点、富小路通りを少し南に折れたところにある徳正寺さんが、今回の会場です。
京都の古いお寺ですから、当然のごとく坪庭があったりします。
そんな風情ある建物の中で、まずは足穂ゆかりの品々を拝見しました。
左上に掛かっているのは、足穂のあまりにも有名なフレーズ「地上とは思い出ならずや」の短冊。そして右手のイーゼルには足穂の肉筆画、中央の白い棚には、足穂が手ずから作ったオブジェ「王と王妃」をはじめ、遺品の数々が並んでいました。
(白い棚に鎮座する鼻眼鏡)
さらに床の間の前には、戸田勝久氏や中川ユウヰチ氏をはじめ、足穂にインスパイアされた方々の作品が、月光百貨店主・星野時環さんのセレクトによって展示されていました。
隣の部屋には、足穂の初版本がずらり。
いずれも足穂研究家の古多仁昂志氏による多年の蒐集にかかるものです。
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大いなる眼福を得た後、いよいよ本堂でイベントが始まります。
第1部は「『一千一秒物語』100年の記憶」と題した座談会形式のトーク。
テーブルを囲むのは、左端から司会の溝渕眞一郎氏(喜多ギャラリー)、マスク姿の未谷おと氏(ダンセイニ研究家)、中野裕介氏(京都精華大学)、マイクを持つあがた森魚氏、季村敏夫氏(詩人)、そして古多仁昂志氏の面々。
人々が足穂を熱く語る本堂の天井では、蓮の花のシャンデリアが鈍い光を放ち、ここがあたかも浄土であるかのようです。
そして第2部は、あがた森魚さんのコンサート、「宇宙的郷愁を唄う」。
これぞ音楽による足穂讃嘆の法会で、聴衆はそれに唱和する大衆(だいしゅ)です。
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今回の催しは、繰り返し述べるように、『一千一秒物語』刊行100周年を記念するものです。そして古多仁さんやあがた森魚さんは、その中間地点である50年前、まだ足穂その人が生きていた時代の鮮やかな記憶を、人々に語ってくださいました。
参加者の中には、ずいぶんと年若い方もいたのですが、たぶん昨夜の出来事は永く記憶にとどまり、足穂という存在をしっかり心に刻んだことでしょう。…こう言うとなんだか戦争体験の継承みたいですが、でも生きた体験を伝えるという意味では、両者の間には何の違いもありません。
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すべてのイベントが終わり、会場を後にしたとき、京都の町を見下ろすように月が電線に引っかかっているのが見え、私は「ああ、足穂だな…」と心からの満足を覚えたのでした。
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