飛べ、北極星を友として…巨大飛行船の時代 ― 2026年05月18日 19時01分38秒
記事の間隔が空くと、「久しぶりだから、しっかり中身のあるものにしないと…」というプレッシャーを感じることがあります。もちろん気にするのは当人だけで、他の人にとってはどうでもいいことでしょうし、そもそもこのブログは人の目に触れることがほとんどないので、まったく無用の気遣いだとは思います。「されど…」というのが人情の機微。
…と、自問自答したあとで、ごくあっさり書きたいと思います。
★
最近の買い物の中では出色の品。
飛行船のレリーフです。9.2×14.8cmと、ちょっと細長の葉書サイズ。
表面に人工的に酸化被膜をつけた、いわゆる黒染鋳鉄製。
飛行船そのものも、もちろんいいです。
そして、それが北斗とポラリスの輝く脇を悠然と進む姿はさらにいいです。
北極星が表現されているのは、当時の飛行船は星を目当てに進路を定める「天測航法」を使っていたことを象徴的に示しているのでしょう。
裏面には「Weltflug 1929 Graf Zeppelin」の文字。
すなわちこの金属プレートは、あの「ツェッペリン伯号」が1929年(昭和4)に世界一周飛行を成し遂げたことを記念する目的で作られたものなのでした。
★
ツェッペリン伯号は全長約237メートル、1928年に建造された当時は、世界最大の飛行船でした。型番は「LZ 127」。ちなみに悲劇の爆発事故(1937年)を起こした「ヒンデンブルク号」は「LZ 129」で、その後続機にあたります。
1929年8月8日、米ニュージャージーを出発したツェッペリン伯号は、まず大西洋をひとっ飛びして故国ドイツへと向かいます。そこからシベリアを横断して、8月19日に、東京上空にその巨大な姿を現し、茨城県の霞ヶ浦海軍基地に着陸。8月23日まで日本で熱狂的な歓迎を受けたあと、太平洋横断の旅に出発し、ロサンゼルス経由でニュージャージーのレイクハースト海軍航空基地に戻ったのは、8月29日のことでした。21日間に及ぶ世界一周の旅でした。
巨大飛行船が空の王者だった時代。
もちろん現実世界の話なんですが、なんだか夢まぼろしのような気もします。
★
上の写真の再掲ですが、このレリーフの原型を制作したのは、ここに名前の見えるベルリンの彫刻家、エーベルハルト・エンケ(Eberhard Encke、1881-1936)。
そして鋳造にあたったのは、おもて面の右下にそのマークが見える、「ラウフハンマー美術鋳造所」です。ここは1725年創業という、ドイツ有数の伝統をほこる鋳造所で、手掛けるのはもっぱら美術工芸品の由。
さらに左下に見えるのは、白山羊をかたどったツェッペリン伯家の紋章で、実物は下のような絵柄だそうです。
(Wikimediaコモンズより)
★
ところで、今回記事を書くまで見落としていましたが、レリーフの下部に見える巨大な弧。これってよく考えたら、大地であり、巨大な地球の一部を表現したものですね。そう思って見なおすと、全体が一層立体的かつリアルに迫ってきて、ツェッペリン伯号の偉容が増すように感じられます。
天上の馬 ― 2026年01月02日 08時57分06秒
馬の星座といえば、ふつうはぺガスス座とこうま座、それにいっかくじゅう座あたりでしょう。ちょっとひねれば、ケンタウルス座やいて座も、部分的に馬といえば馬です。
(星座カード『Urania’s Mirror』(1832)復刻版より)
でも、ここではさらにひねって、中国星座の馬を見にいきます。
そもそも十二支は中国で生まれたものですし、ここは正月気分で東洋情緒にひたることにします。…といってもその方面に暗いので、例によって他人の褌になりますが、今回も大崎正次氏の『中国の星座の歴史』(雄山閣、1987)からの抜き書きです。
★
探してみると、たしかに中国星座には馬に関連するものがいくつか存在します。
中国星座は、天帝を中心とする天界の統治機構の具象化であり、それは即ち地上の王朝の似姿ですから、地上の皇帝が必要とするものは、たいてい天上世界にもあって、交通・軍事の要である馬が星座になっているのも、ある意味当然です。
そのひとつが西洋星座でいうアンドロメダ座の領域にある「天厩(てんきゅう)」。
天厩とは文字通り「天の厩(うまや)」ですが、同時に馬を管理する官名でもあるらしく、大崎氏の本には以下のように記述されています。
「天厩 テンキュウ〔…〕厩舎、馬小屋。『晋書』天文志に、「馬を管理する役人で、今日の駅亭のようなものである。命令を伝えるために駅を置くことを主さどる。その伝達の早さは、時計の刻みと競うほどであるべきである」とみえる。」(上掲書p.172)
馬小屋があれば当然馬もおり、馬の方はお隣のカシオペヤ座にいます。
それが「王良」です。
「王良 オウリョウ〔…〕戦国時代の名御者。王良は趙の襄王の馬術の師であった。〔…〕王良が名御者であったので、天に上って星となり、天馬をつかさどったという話もある(『文選』張衡「思玄賦」注)。この天馬とは「天駟」とよばれる王良5星のうちの4星である。」(同p.144)
上の文章は、少し文意が曖昧な点もありますが、星となった王良は、天界では天馬をつかさどり、天馬を含むその全体を星座名「王良」と総称した…ということかと思います。そして王良のそばには、彼が使うムチも用意されていて、その名を「策」と言います。
「策 サク〔…〕名御者王良の使った馬を打つむち。策はムチだが、『宋史』天文志に、「王良〔…〕ノ北ニ在リ」とあるから、王良のムチを意味すると思われる。」(同p.156)
★
上記の諸星座の位置を、伊世同(編)『中西対照 恒星図表』(科学出版社、1981)で確認しておきます。
それぞれ下線を付しましたが、上方のやや左寄りに「王良」と「策」、その下の方に「天厩」が見えます。
参考として、フリーソフトの「Stella Theater Lite」の表示だと、大体下の領域が該当します。
伊世同氏の比定した「天厩」、「王良」、「策」を星名をたよりに囲んでみたのが以下。
★
「だからどうした」と言われると困るのですが、こういうのは知っているのと知らないのとでは、空の見え方が違ってきますから、やっぱり知っておいた方が良いと私は思います。
今の時期だと、ちょうど宵の口に、天の駿馬とそれを世話する役人たちの姿が頭上高々と眺められるはずです。
街と星…美しい星座カード(後編) ― 2025年09月22日 18時49分51秒
昨日は「リケット星図カード」の第1 シリーズのNo.2、4、5の3枚を載せました。このシリーズで私が持っているのは、この3枚だけです。しかしこのシリーズはたぶん12枚セットだろうと思います。というのは、シリーズ中のNo.12のカードが、他のカードのような星座ではなく、彗星の絵になっていて、これが最後のスペシャルカードだと推測されるからです。
(1858年に出現したドナティ彗星。前景はフランクフルトの大聖堂)
この“スペシャルカード”は、他に競り合う人がいて、落札し損ねました(参考として画像だけ保存しておきました)。
★
そして。これが第1シリーズということは、当然第2シリーズもあるわけで、私は第2シリーズも3枚だけ持っています。
上は第2シリーズのNo.11、ライプツィヒの帝国裁判所としし座。
おそらく第2シリーズも12枚セットで、「リケット星図カード」は全体で24枚、あるいはさらに第3シリーズも加えて、全36枚で構成されていたと想像します(何せドイツから見える星座限定ですから、全天の星座を網羅する必要はないわけです)。
左はシュトゥットガルトのシュロス広場を見下ろすペルセウス座(No.10)、右は現ポーランドのヴロツワフ(当時はドイツ領・ブレスラウ)市庁舎とおおいぬ座(No.9)。
(この3枚の裏面は共通)
★
第1シリーズと第2シリーズを比べると、前者は浅緑、後者は青みの勝った縹(はなだ)色で、こうした寒色系の色遣いのうまさも、その美しさの要因です。
そして「星景画」として見たとき、このカードセットには、実はもう一つ著しい特徴があります。それはダンキンの『真夜中の空』や、ギユマンの『天空』には見られない、「或る物」の存在です。
(左『真夜中の空』、右『天空』より)
比べればすぐにお分かりでしょうが、それは「雲」です。
実際、月の明るい晩には、夜の雲が美しく眺められることがあります。
しかし、星空を眺めるには雲がないほうがいいし、そもそも雲がくっきり見えるほど月の明るい晩は、星がよく見えません。
したがって、自ら微光を発しているかのような、この繊細な雲と、美しい星々の取り合せは、現実にはありえない光景であり、そのシュールな幻想味が、このシリーズの言い知れぬ魅力だと思います。
★
これはいつかコンプリートしたいですが、残り少ない人生の中で、果たしてそのチャンスが巡ってくるかどうか、少し弱気な自分もいます。
街と星…美しい星座カード(前編) ― 2025年09月21日 12時35分23秒
代表的な天文小間物のひとつに、天文モチーフのおまけカード(トレーディングカード)があります。この種のカードは19世紀~20世紀にかけて、ずいぶんいろいろな種類が発行され、魅力的な星の小世界を形作ってきました。
私も天文古玩趣味の徒として、これまで多くの作品を目にし、ひょっとしたらその全てを既に見切ったのではないか…とすら思ったこともありますが、もちろんそれは慢心であり、やはりまだ見ぬカードは存在したのです。しかもとびきりの逸品が。
(カードサイズは約11×7cm)
上はハンブルク港上空に浮かぶアンドロメダ座を描いた石版刷りの美しいカード。
ライプツィヒのお菓子メーカー・リケット社が、自社製品の販促用に頒布したカードで、下部欄外に「リケット星図カード シリーズI、No.5」の記載があります。時代的には1900年前後のものでしょう。
カードの下部には、詳しい星座解説が施されており、このカードが単に美しいばかりではなかったことが分かります(以下、適当訳)。
「この星座は、右上にある大星雲で有名で、これは肉眼でも見ることができます。(10世紀には既にアラブの天文学者に知られていましたが)ヨーロッパで初めて言及されたのは1612年、シモン・マリウスによってです。彼はこの星雲を、角灯を透かして輝くロウソクの光に例え、その美しさを巧みに表現しました。現代の高性能望遠鏡により、この星雲中には、約2,000個の小星団が観測されています。」
★
都市のスカイラインと星空を対比するという趣向は、深夜のロンドンを舞台にしたE・ダンキンの『The Midnight Sky』(1869)や、同じくパリを舞台にしたA・ギユマンの『Le Ciel』(1865)でおなじみです。その向こうを張るかのように、ドイツの街を舞台にした作品が、おまけカードとして存在したことに驚きました。
もちろん、この1枚だけでダンキンやギユマンに匹敵すると称するのは誇大でしょうが、その後、他のカードも見つけたことで、全体としてみたとき、これはやはり逸品と称するに足ると思いました。
左は同じくカードNo.2のハノーファーのエルンスト・アウグスト広場上空に輝くおとめ座とからす座、右はNo.4のケルン大聖堂とカシオペヤ座です。
★
(カード裏面は複数のデザインがあります)
リケット社については、ドイツ語版Wikipediaに説明がありました【LINK】。
それによると同社は18世紀創業の老舗で、先祖はフランス人なので、その姓は元々「リケ」と読んだと思います。最初は紅茶・コーヒー・スパイス等の輸入商として出発し、19世紀末からはココア・チョコレート・菓子の販売をもっぱらとして、20世紀後半まで続いた会社の由。
★
この「ドイツの街と星座」シリーズは、私にとってまだ全貌が明らかでなく、そもそも何枚セットなのかも不明ですが、かすかな手掛かりはあるので、その辺も含めて、残りの手持ちカードも載せておきます。
(この項つづく)
あれがポラリス ― 2025年06月15日 11時47分54秒
昨日の品からの連想ですが、星石先生の蔵書印と一寸似たものが手元にあります。
(全長78mm。私の手と比べたら、ちょうど中指の長さと同じでした)
まあ、見た目はご覧のとおり全然似てないんですが、似ているのはその機能です。
このデコラティブな金属細工の先が、やっぱり印章になっているのでした。
これは書状を蝋封するためのシーリングスタンプで、たぶん19世紀の品でしょう。
スタンプのヘッドはオニキス(縞めのう)を陰刻したものですが、ここまで寄っても図柄が分かりにくいので、購入時の商品写真をお借りします。
(コントラスト調整+左右反転画像)
星を指し示す手と「Bear」の文字が、約1cm四方の石面にきっちり彫り込まれています。
何となく謎めいた図柄で、その意味するところは想像のほかありませんが、その文字はたぶん持ち主が「Bear」家の一員であることを示すものでしょう(Bear という姓は特に稀姓ではありません)。
そしてその名前から「天空の熊」、すなわちおおぐま座・こぐま座(英名は Great Bear と Little Bear)を連想し、それを北極星を指し示す手として表現したんじゃないでしょうか。そこからさらに、“我らBear一族は、常に志操の極北を示す指針たらん”…とまで説教臭い意味をこめたかどうかは分かりませんが、でもヴィクトリア朝の人だったら、それぐらいのことは考えたかもしれません。
★
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。
五つのばした ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。
上の想像の当否は不明ですが、賢治の「星めぐりの歌」を聞きながら眺めれば、ここにも天文古玩的情趣が流れるのを感じるし、そしてこの品もまた星と石の取り合わせであることを、天上の星石先生に報告したくなるのです。
へびつかい些談(5) ― 2025年01月05日 08時43分32秒
へびつかい座とアスクレピオスの結びつきが当初は弱かったとすれば、「じゃあ、あの蛇遣いのそもそもの出自は何だろう?」というのは当然気になるところです。普通に考えると、ギリシャの星座体系の母体であるバビロニアの星座に、その元があったのでは…とは誰しも思うところでしょう。
それを実際に跡付けたのが、『Babylonian Starlore』(2008)を著したGavin Whiteで、彼によるバビロニア星座の復元案が下図です。
(Full Reconstruction of the Babylonian Star-Map. © Gavin White 2007)
左手のさそり座の北、図では向かって右に「Sitting Gods(坐せる神々)」と「Standing Gods(立てる神々)」がいて、これが現在のへびつかい座とヘルクレス座の付近に当たります。
私はWhiteの原著は見ていなくて、同書を紹介している近藤二郎氏の『星座神話の起源―古代メソポタミアの星座』(誠文堂新光社、2010)を通じて間接的に知るのみですが、近藤氏の解説によると、以下のような次第だそうです。
「『ムル・アピン』粘土板文書の星表の「エンリルの道」の21番目と22番目には、「Ekur(エクル)の立てる神々」と「Ekur(エクル)の座す神々」と並んで記されています。この神々とは、元来はヘビの神々を表すものです。イラク中部のエラムとの境界付近に位置したデール(Der)市では、ニラフ(Nirah)というヘビの神が崇拝されていました。ニラフ神は、ニップル市にあったエンリル神殿では、中バビロニア時代(前16世紀初~前1030年ごろ)まで崇拝されていました。このエンリル神殿は、「山の家」の意味を持つエクル(E-kur)という名でよばれていました。つまり「エクルの立てる神々」のエクルは、ニップルにあったエンリル神殿を表していたのです。」
(近藤上掲書pp.93-94。引用に当たって漢数字を算用数字に改めました)
(同p.93掲載の図。キャプションには「図3-11 ヘビの神々。足の先がヘビになっている。アッカド時代の円筒印章の部分。(ブラックとグリーン著、Gods, Demons and Symbols of Ancient Mesopotamia, Austin, 1992)」とあります)
★
へびつかい座にも前史があり、メソポタミアの蛇身の神がそこに隠れている…。もちろん、これまた仮説にすぎないとはいえ、こう鮮やかに説かれると、なるほどと頷かざるを得ません。
星座ロマンはギリシャ神話で打ち止めではなく、その向こうにさらなる悠遠の歴史があり、それらをひっくるめて「星座ロマン」なのだと思います。
(この項おわり)
へびつかい些談(4) ― 2025年01月04日 08時35分01秒
(前回のつづき。今日は2連投です)
では、「蛇遣い=アスクレピオス」説が、最初に登場するのはいつか?
これまた英語版wikipediaを参照すると、ローマ時代のヒュギヌス作とされる『アストロノミカ』(AD2世紀)に、その記述があるといいます。同書は『ポエティコン・アストロノミコン』の名でも知られますが、 Mark Livingston によるその英訳本(1985)がネットに挙がっていたので【LINK】、それを見てみます。
(ヒュギヌス『ポエティコン・アストロノミコン』、1549年バーゼル版より)
英訳本だと、45頁から48頁にかけて、へびつかい座についての記述があり、あの蛇遣いはいったい誰なのか、諸説が開陳されています。曰く、あれは奸計によって善竜を殺したトラキアの王カルナボンの姿である。曰く、あれはリュディアで大蛇を退治したヘラクレスである。曰く、テッサリアの悪王トリオパスである。いや、トリオパスの息子、英雄ポルバスである…と諸説紛々の中、最後の方に「多くの天文学者は、あれがアスクレピオスだと信じている」と、ようやくお馴染みの説が出てきます。
(Giovanni Cinico による星座図(部分)。羊皮紙に彩飾、1469年、ナポリ。出典:George S. Snyder, MAPS OF THE HEAVENS. Abbeville Press, 1984)
★
ここでウィキペディアを離れて、昨年11月に邦訳が出たばかりのマニリウス(マーニーリウス)の『アストロノミカ』(竹下哲文訳、講談社学術文庫)を開いてみます。『アストロノミカ』は、AD1世紀に成立した占星術の古典です。
「大きな蜷局(とぐろ)と捩(よじ)った身体で身体に巻きつく蛇を
引き離しているのは、蛇使いと呼ばれる者。
そうして彼は、輪をなして屈曲する胴のもつれを解こうとする。
しかし、蛇はしなやかな頸を反らして振り返り、
緩めた蜷局で掌を受け流して戻ってくる。
両者の力が拮抗しているため、この戦いはいつまでも続くだろう。」
引き離しているのは、蛇使いと呼ばれる者。
そうして彼は、輪をなして屈曲する胴のもつれを解こうとする。
しかし、蛇はしなやかな頸を反らして振り返り、
緩めた蜷局で掌を受け流して戻ってくる。
両者の力が拮抗しているため、この戦いはいつまでも続くだろう。」
ここにもアスクレピオスの影はなく、むしろ両者は互いに力を尽くして戦っているというのですから、こうなると蛇を悠々と使役するどころの話ではありません。紀元後のローマ世界でも、「蛇遣い=アスクレピオス」は決して自明のことではありませんでした。
★
これまでのところを整理すると、古代ギリシャ時代、少なくとも『ファイノメナ』が書かれた紀元前3世紀頃には、既にへびつかい座は空にあったわけですが、その頃はへびつかい座とアスクレピオスの物語は、まだ明瞭に結びついていなかったか、アスクレピオス信仰の強い土地で語られる地方伝承に過ぎず、汎ギリシャ的な共通理解には至ってなかったのではないか…と想像されるのです。「蛇遣い=アスクレピオス」の物語は、その後時間をかけて徐々に整えられ、人口に膾炙したものと思います。
これはへびつかい座に限らず、他の星座神話だって深掘りすれば異説も多いでしょうし、そもそも大元のギリシャ神話が異説だらけなので、プラネタリウムで語られる星座物語を、何か輪郭のかっちり定まったものと考えると、間違うことも多いだろうなあと、改めて思いました。
★
ところで、素人考えに屋上屋を架して恐縮ですが、ローマ時代以降「蛇遣い=アスクレピオス」説が力を得たのは、アスクレピオスとローマの固い結びつきによるのかもしれんなあ…とも思いました。これは紀元前後の人であるオウィディウスの『変身物語』に出てくるアスクレピオスの物語を読んで、ぼんやり感じたことです。
それは遠い神話時代の物語ではなく、もっと後の話です。
ラティウムの地(イタリア半島中部)に疫病が流行ったとき、ローマ人がエピダウロスからアスクレピオス神を勧請したことがあったのだそうです。ローマを救うためアスクレピオスは大蛇の姿に身を変え、故地・エピダウロスを後にし、イタリア船で威風堂々と進む姿を、オウィディウスは感動的に描いています。以下、中村善也訳 『変身物語(下)』(岩波文庫)より。
「女も、男も、あらゆるひとびとが、彼を迎えるために、ほうぼうからここへ駆けつけた。トロイアから迎えたウェスタ女神の、その聖火を守る巫女たちも、そのなかにいる。みんなが、歓呼の声をあげて神にあいさつする。快速の船がさかのぼってゆく河の、その両岸には、つぎつぎに祭壇が設けられていて、香がぱちぱちと音をたて、かぐわしい煙であたりをつつんでいた。〔…〕
はやくも、船は、世界の首府であるローマの都へはいっていた。蛇は、高く背伸びをすると、マストのてっぺんに頸をもたせかけ、それを動かしながら、住むのに適した場所を求めてあたりを見回した。
〔…〕アポロンの子である蛇は、ローマ人の船を出ると、この島へやって来た。そして、本来の神の姿にもどって、厄災を終わらせた。この神の到来が、都を救ったのだ。」
はやくも、船は、世界の首府であるローマの都へはいっていた。蛇は、高く背伸びをすると、マストのてっぺんに頸をもたせかけ、それを動かしながら、住むのに適した場所を求めてあたりを見回した。
〔…〕アポロンの子である蛇は、ローマ人の船を出ると、この島へやって来た。そして、本来の神の姿にもどって、厄災を終わらせた。この神の到来が、都を救ったのだ。」
アスクレピオスはギリシャ生まれの神様ですが、同時にローマを救った英雄にして「おらが神様」でもあり、ローマ人にとって蛇とアスクレピオスは一体不可分でしたから、「あにその雄姿、天空になかるべけんや!」というわけで、空に浮かぶ蛇遣いにアスクレピオスを重ねることは、ローマ人にとっていちばんしっくり来る解釈だったんじゃないでしょうか。
(この項つづく。次回完結予定)
へびつかい些談(3) ― 2025年01月04日 08時28分17秒
へびつかい座とアスクレピオスの物語はいつ結びついたのでしょう?
(Giuseppe de Rossi による17世紀の天球儀の複製)
こういう考証は文献の森に分け入らないとできないので、素人のよく成し得るところではありませんが、ウィキペディアを眺めただけでも、いくつか有益な情報が得られたので、メモ書きしておきます。
★
まず英語版「Ophiuchus」の項【LINK】には、へびつかい座に言及した最古の文献は、アラトス(315/310-240BC)によるもので、アラトスはエウドクソス(BC4世紀の人)の今では失われた著作を参照して、それを書いた…とあります。
アラトスの著作、「ファイノメナ(天象詩)」は、前回の記事にもちらっと出てきましたが、ローマ時代にラテン語訳され、「アラテア(アラトス集)」の名を得て、後世大いに流布しました。伊藤博明氏がそれを邦訳されているので(グロティウス「星座図帳」千葉市立郷土博物館、1993)、へびつかい座に関する箇所の訳文をお借りします。
(上掲・グロティウス「星座図帳」より)
「膝を折り曲げた、不幸な星座[ヘルクレス座]が頭を上げている方向に、<蛇つかい>[へびつかい座]があるだろう。あなたは、まず最初に広大な両肩を、そして次に残りの部分を見いだすだろう。これらの部分では光が減じているが、他方、両肩は、月の半ばの満月のときでさえ、十分な輝きを保っている。<蛇つかい>の手は光が弱く、その間を滑っていく<蛇>[へび座]は、彼の両手によってつかまれ、彼の胴体に巻きついている。彼の両足は<蠍>[さそり座]に達しているが、左足は<蠍>の背中に押しつけ、右足は宙に浮いている。彼が手で支えている重さは等しくない。というのは、彼は右手で<蛇>のごく一部を持ち、左手でその全体を支え、そしてこの左手によって、<蛇>を<冠>[かんむり座]へ達するまで持ち上げているからである。<蛇>の顎の先端にある髪の毛のような星は、天の<冠>[かんむり座]の下で輝いている。」
これを読んでただちに分かるのは、ここに星座の形や星の配置は書かれているものの、アスクレピオスの名も、それらしい神話物語も一切出てこないことです。まあ、他の星座も全部そうなら、「そういうもの」で済むのですが、『ファイノメナ』にはちゃんと星座神話の書かれた星座もあるし、むしろその方が多いので、なんだか不思議な気がします。
★
では…と、今度はギリシャ神話そのものに注目してみます。
古代における最も体系的なギリシア神話集とされる、アポロドーロスの『ビブリオテーケー』(高津春繁訳による邦題は『ギリシャ神話』、岩波文庫)を見ると、そこにはアポロンと人間の女性との間に生まれたアスクレピオスが、ケンタウルス族のケイロンによって育てられ、医術を学び、ついにはゴルゴンの血を使って死者をよみがえらせる技を編み出したため、ゼウスの忌避に触れ、その雷霆に撃たれて死んだ…という伝承が書かれています。でも、ここには蛇と関連する記述が何もないし、彼がその後、天に上げられて星座になったという肝心のことも書かれていません。
まあアポロドーロスが、星座神話に一切口をつぐんでいるなら分かるのですが、おおぐま座の有名な物語――アルテミスの女従者カリストが、ゼウスによって星に変えられ、「熊」と呼ばれるようになったこと――なんかはちゃんと書かれているので、これまた「うーむ」という感じです。
(長くなるので、ここでいったん記事を割ります。この項つづく)
へびつかい些談(2) ― 2025年01月03日 10時16分26秒
星座絵で蛇遣いが抱えているのは、ニシキヘビみたいな大蛇ですが、そもそもヨーロッパに大蛇はいないんじゃないでしょうか。
アスクレピオスの蛇のモデルとされるのが、ヨーロッパ原産のZamenis longissimus、英名Aesculapian snakeで、和名のクスシヘビ(薬師蛇)もアスクレピオスにちなんだ訳語です。
(クスシヘビ。荒俣宏『世界大博物図鑑』第3巻「両生・爬虫類」編より)
属レベルで異なるものの、日本のシマヘビやアオダイショウと同じナミヘビ科に属します。体長は大きいもので2mちょっと、普通は1.1~1.6mぐらいだそうなので、「大蛇」という感じでは全然ないですね(それでもヨーロッパでは最大のヘビだそうです)。
(ローマ時代のAD150年頃、より古いギリシャ彫刻を模して作られたファルネーゼ天球儀【参考LINK】の18世紀における模写図より。出典:Ian Ridpath’s Star Tales: The Farnese Atlas celestial globe)
現存する最古の天球儀、「ファルネーゼ天球儀」に刻まれた蛇も、まあ大きいといえば大きいですが、それほど大蛇感はありません。
(紀元前3世紀のアラトスが著した『天象詩(Phaenomena)』のラテン語訳註解を書写した、通称「ライデン・アラテア」(複製)より)
上の9世紀の古写本に描かれた蛇もずいぶん細くて、ある意味リアルな描写だと思いますが、当時のヨーロッパの人がイメージするヘビは、まあこんなものでしょう。
16世紀以降、へび座が大蛇化したのは、大航海時代を迎えて、ヨーロッパの人が実際に大蛇に触れる機会が増えたからかもしれません。
…というような、どうでもいい話を枕に、次回は本題である蛇遣いとアスクレピオスの関係について考えてみます。
(この項、さらに続く)
へびつかい些談(1) ― 2025年01月02日 15時44分39秒
年明けの話題は自ずと蛇になります。
蛇の星座といえば、うみへび座(Hydra)や、みずへび座(Hydrus)もありますが、海蛇にしろ水蛇にしろ、蛇界ではマイナーな存在なので、ここでは普通にへび座(Serpens)とへびつかい座(Ophiuchus)を採り上げます。
★
へびつかい座は夏の星座で、さそり座を踏みしめ、ヘルクレスと背中合わせに立っています。今の季節だと、ちょうど近くに太陽があるので、その姿を見ることはできません。
(日本天文学会編『新星座早見・改訂版』(三省堂、1986)より)
上の星座早見に描かれた線画は、星座絵でおなじみの蛇遣いの姿そのままで、星座の中でも、へびつかい座はわりと「名」と「体」が一致している部類でしょう。
(恒星社版『フラムスチード天球図譜』より)
★
ところで「蛇遣い」というと、ピーヒョロ笛を吹いて、かごの中からコブラを誘い出す「インドの蛇遣い」を連想します(あれをネタにした東京コミックショーの記憶が私の中では強烈です)。でも、星座の蛇遣いはどうもそんな風でもないし、あの人は大蛇を抱えていったい何をしているのか?
もちろん、星座神話の本をひもとけば、あれは古代ギリシャの医神アスクレピオスが天に昇った姿で、彼は蛇の絡みついた杖を携えていたことから、蛇が一緒に描かれているのだ…と書いてあります。でも星座の蛇遣いは杖も持ってないし、古代のお医者さんだって、薬草を調合したり、瀉血術を施したりするのがメインだったはずで、大蛇を抱えていては治療がしにくかろうと、なんだか釈然としないものを感じます。
(アスクレピオスの石膏像(AD 160)。後期古典期のギリシャ彫刻をローマ時代にコピーしたもの。エピダウロス考古学博物館蔵。ウィキメディアコモンズより)
★
そもそも「へびつかい座」という和名が、あんまりよくないんじゃないか…と思います。原語の「Ophiuchus」にしろ、その異名である「Serpentarius」にしろ、本来の語義は「蛇を手にした者(Serpent-handler、Serpent-holder)」であり、何か積極的に蛇を使役するイメージはありません。
(Serpentariusと記されたへびつかい座。BC1世紀の著述家・ヒュギヌスの作とされる『天文詩(Poeticon Astronomicon)』のヴェネチア版刊本(1485)複製より)
明治43年(1910)に出た日本天文学会編纂の『恒星解説』では、「蛇遣(へびつかひ)」となっていて、現行の名称はこの頃定まったものと思いますが、それ以前は「提蛇宮」とも訳されていて(※)、語呂はともかく、意味としては「提蛇座」とした方が原義に忠実という気がします。
(※)明治35年(1902)刊・横山又次郎著『天文講話』。ただし直接参照したのは明治41年(1908)第5版。
(おせちを食べつくした重箱の隅をつつきながら、蛇遣いの話を続けます)





































最近のコメント