星座スタンプ2020年06月13日 08時34分36秒



星座にちなむ小物というと、こんなものを見つけました。
黄道12星座をデザインした、天球儀風の印刷ブロックです。


小物といっても、たてよこ8cm近くあって、印刷ブロックとしては結構大きいです。
おそらく1920~30年代の品。売ってくれたペンシルベニアの業者さんは、廃業した印刷屋の在庫をごそっと買い取ったらしく、他にもインクまみれの古い印刷ブロックを、たくさん売りに出していました。


刷り上がりのイメージ(左右とネガポジを反転)。

気になるのは、これを「何」に使ったかです。
もちろん印刷するために使ったわけですが、その刷ったものの用途は、はたして何であったか? まあ、普通に本の挿絵かもしれないんですが、ひょっとしたら、星占い用のシートを印刷するのに使ったのかな?…という想像もしています。


以前登場した、ホロスコープ用印刷ブロック【元記事】と似た感じを受けるからです。
(右側に写っているのがそれ。以前、記事を書いたときは、占星術師が手元でポンポンと捺して使うのだと考えましたが、これも町の印刷屋さんに一気に刷ってもらった方が便利そうです。)

上の想像の当否はしばし脇に置いて、なかなか素朴で愛らしい品です。

星座ボタン2020年06月12日 20時41分46秒



星座の範囲がカクカク定まって、科学がずんずん先に進んでも、人々の星座観は旧来のイメージを引きずっていて、その辺は今でもあまり変わりがなさそうです。(そもそも星座という存在が古代の残滓なので、古めかしくて当然です。)


上の写真に写っているのは、星座絵のガラスボタンです(直径2㎝)。
売ってくれたのはカリフォルニアの人ですが、ガラスボタンといえばチェコなので、元はチェコ製かもしれません。黒いプレスガラスに手彩色で仕上げてあります。

(ボタンの背面)

時代はよく分かりません。1930年代かもしれないし、1950年代と言われれば、そんな気もします。20世紀前半~半ばのものと言えば、大体当たっているでしょう。

それにしてもこのボタン、遠くから見たら何だかよく分からないし、近くから見てもやっぱり分かりません。至近距離でじっと見つめて、初めて星座の絵柄が分かるので、こうなると江戸小紋の美学みたいなものです。西洋の人も、こういうのを「粋」と思うんですかね。

空の土地公図(後編)2020年06月10日 06時41分18秒



これが本のタイトルページです。
イギリスで出た本ですが、言語はフランス語で、著者はベルギー人と、この本の国際的な性格がよく出ています。

左側に見えるコピーライト表示に目を向けると、


ケンブリッジ大学出版局のほか、アメリカ・インド・カナダに展開していたマクミラン社、そして日本の丸善が版権を共同保有していて、こちらも非常に国際的です。


本書は前半が土地台帳というか、星座境界線の位置を示す詳細データが、ずらずら続きます。ページ数にして35ページ。まあ、見て面白いことはないんですが、興味深くはあります。デルポルト博士が眉間にしわを寄せて、苦労しながら数字を書き出していった様が想像されます。

そして、後半がいわば土地公図に相当する図面。
南北両天各13図、計26図が収載されています。

上から見ても↓


横?から見ても↓


パキパキとまっすぐな線が、まさに新時代です。
まあ、この図だけだと普通の星図とあまり変わりませんが、


巻末折込の図はまさ公図。そこには星がいっさい描かれておらず、境界線だけがカクカク引かれ、座標値が書き込まれています。


野を駆ける狩人オリオンも、今やすっかり塀の中に囲い込まれた観あり。
振り上げた棍棒まわりの区画が、いかにも細かいですね。ご近所と土地をめぐる相論がいろいろあったのでしょう。


南半球の星座は、北半球の星座とちがって、さしたる歴史的因縁もないので、もっとスパスパ境界を決めればいいように思いますが、「みなみのさんかく座(Triangulum Australe)」なんか、無駄とも思えるほど細かいです。

なんだかせせこましいような、世知辛いような気がしますが、科学の世界では「一義的に決まる」ということが、すこぶる重要であり、そうするだけの価値があったのでしょう。

   ★


以下余談ですが、今回、改めてしげしげと見たら、手元の一冊は、かのアルゲランダー(Friedrich Wilhelm August Argelander、1799-1875)が、「ボン掃天星表」を作った、ボン大学付属天文台の旧蔵書と気付きました。

時代的にはアルゲランダーとは全然関係ないし、だからどうだという話なんですが、私はこういう学問の香気をむやみと有難がる癖があります。1冊の本からも、天文学の歴史がいろいろ偲ばれて、興味は尽きず、こういうのも古書の魅力の一つでしょう。

ちなみに、同天文台は戦後徐々に観測拠点を他所に移して、旧天文台の建物は、現在、歴史的遺産として保存されているとのこと。

(ボン大学旧天文台。Wikipediaより)

空の土地公図(前編)2020年06月09日 06時31分03秒

前回の記事に出てきた「空の土地公図」の中身を、参考のために見ておきます。


その名称を『Délimitation Scientifique des Constellations(諸星座の科学的分界)』と言います。後ほど見るように、その中身は地味ですが、その科学史上の意義は、はなはだ大なるものがあります。

   ★

そもそも、昔の星図における星座の扱いはどうだったか?
例えば1888年にドイツで出版された星図を見てみます。

(ヤコブ・メッサー著、『天体観測用星図帳(Stern-Atlas für Himmelsbeobachtungen)』表紙。貼り付けられた北天星図のうねうねした星座境界に注目)

(同書より、ふたご座付近)

昔も今も、星座の絵姿に関しては、一定の共通理解があったわけですが、その絵姿の「外側」の取り扱いがあいまいでした。言うなれば、星座の国土に付属する「領海」の範囲がはっきりしなかったのです。昔の星図で境界がうねうねしていたのは――そして、そのうねうね具合が、人によって違ったのは――その反映です。(しかも、星座の数自体一定していませんでした。メジャーな星座はいいとしても、過去の学者が提案した、様々なマイナー星座があって、その扱いが人によって違ったからです。)

   ★

それに対して、今の星図は、星座と星座の境界がかっちり決まっています。

(今のふたご座)

天文学者の国際組織、国際天文学連合(IAU)が、1920年代に、明確な意思を持ってそのように決めたからです。その具現化が、この『諸星座の科学的分界』なのです。

事の経緯を、手っ取り早くウィキペディアの「星座」【LINK】の項から転記してみます。

 「1922年にIAUの第1回総会がローマで開催された際、〔…〕ベルギーのウジェーヌ・デルポルトとカスティールズは、北天の星座に対して赤道座標の経線と緯線に平行な円弧で境界線を設けることを提案した。」

ここに登場するデルポルト(Eugène Joseph Delporte、1882-1955)というのが、星座画定の立役者で、『諸星座の科学的分界』の著者。

 「IAUは、1925年にケンブリッジで開催されたIAU総会で「星座の科学的表記」の分科会を設立し、デルポルトに赤緯-12.5°以北の天球上の境界線を策定するよう要請した。〔…〕IAUは、北天と同じく南天の星座の境界線も定めるように要請、これを受けたデルポルトは〔…〕境界線の改訂案を策定した。この案がIAUで承認され、1930年にケンブリッジ大学出版会から「Délimitation Scientifique des Constellations」と「Atlas Céleste」という2つの出版物として刊行されたことにより、現在の88の星座の境界線も確定された。」

こういうことは、得てして国家間の思惑が対立して紛糾しがちですが、この場合トントン拍子に事が運んだのは、誰しも不便を感じていたからでしょう。

「このようにして、各星座の名称と領域が厳密に決められたことによって、あらゆる太陽系外の天体は必ずどれか1つの星座に属することとな」り、まずはメデタシメデタシ。地上の国境線と違って、空の国境線はこうして無血確定したのでした。

…と前置きして、本の中身は次回に回します。

(この項つづく)

「星座」の誕生(後編)2020年06月07日 13時32分05秒

昨日のエピソードに似たことは、抱影の評伝を書いた石田五郎氏も自身の経験として述べています(『野尻抱影―聞書“星の文人”伝』、リブロポート(1989)、p.186)。

「また東北地方の山奥にこけしを買いに入ったとき老木地師に尋ねても
 「サア、孫たちはオリオンとか北斗七星とかいってますが…」
という返事である。
小学校の天文教育やテレビの科学番組が、古きよき神々を追放したのであろう。」

公教育の普及によって、古い星名が消滅することは、ひとつの文化が消え去ることに等しく、それを惜しむ気持ちはよく分かります。そして消え去る前に、それを記録しておくことは、同時代人の責務だと思います。

とはいえ、民間語彙を駆逐する立場にある、科学のボキャブラリーにしたって、やっぱり消長と盛衰があって、一つの言葉が生まれれば、一つのことばが消えていくのが常でしょう。

   ★

今回のテーマは「星座」という言葉の誕生をめぐってです。

これは、5月31日の記事に対する、S.Uさんのコメントが元になっています。
その中で、S.Uさんは constellation という外国語が「星座」と訳された時期、そして個々の星座を「○○座」と呼ぶようになった時期を問題にされ、明治30年代に画期があったのでは?という仮説を述べられました。

   ★

ここでもう一度抱影に登場してもらって、彼のヒット作、『星座巡礼』(研究社、大正14/1925)を開くと、そこには「北冠座」とか「蛇遣座」とかの項目が並んでいます。

(手元にあるのは昭和6年(1931)の第7版です)

「北冠座」というのは、今でいう「かんむり座」のことで、後者も今は「へびつかい座」とかな書きすることになっているので、古風といえば古風ですが、そう違和感はありません。そして、抱影以後は、誰もがこういう言い方に親しんでいます。「おおぐま座」とか「オリオン座」とか、個別の星座を「○○座」と呼ぶのは、確かに便利な言い方で、コミュニケーションにおいて言葉の節約になります。

でも、昔はそうではありませんでした。

そもそも「コンステレーション」に伝統的な日本語を当てれば「星宿」であり、実際そのように呼ぶ人が、昔は大勢いたのです。そして「星座」の訳語が生まれても、そこからさらに「○○座」の表現が使われるまでには、結構タイムラグがありました。

   ★

さっそく実例を見てみます。

明治時代の天文書における表記の変遷(「星座」vs.「星宿」、および個々の星座の呼び方)をたどってみます。ここでは便宜的に、明治時代を3区分して、「前期」(鹿鳴館の時代まで、1868~1883)、「中期」(日清戦争を経て日英同盟まで、1884~1902)、「後期」(日露戦争と大正改元、1903~1912)とします。

【明治前期】
〇関藤成緒(訳)『星学捷径』(文部省、明治7/1874)
 「星座」(星座例:“「ヘルキュルス」星座”、“「オライオン」星座”)
〇西村茂樹(訳)『百科全書 天文学』(文部省、明治9/1876)
 「星宿 コンステルレーション」
 (星座例:“大熊 ウルサマジョル”、“阿良〔「オリオン」とルビ〕”
〇鈴木義宗(編)『新撰天文学』(耕文舎、明治12/1879)
 「星宿
〇内田正雄・木村一歩(訳)『洛氏天文学』(文部省、明治12/1879)
 「星座」〔「コンステレーション」と左ルビ〕
 (星座例:“ユルサマジョル グレートビール(大熊)”、“リブラ バランス(秤衡)”、“ヘルキュレス ヘルキュレス(神ノ名)”、“オリオン オリオン”)

(『洛氏天文学』より。下も同じ)


【明治中期】
〇渋江保(訳)『初等教育 小天文学』(博文館、明治24/1891)
 「星宿」(星座例:“グレート、ビーア(大熊星)”、“ヅラゴン(龍星)”、“オリオン”)
〇須藤伝治郎『星学』(博文館、明治33/1900)
 「星宿」(星座例:“ウルサメージョル(大熊)”、“シグナス”、“ライラ(織女)”、“ヲライヲン(参宿)”)
〇横山又次郎(著)『天文講話』(早稲田大学、明治35/1902)
 「星座」(星座例:“大熊宮”、“かしおぺや宮”、“獅子宮”、“おりよん宮”)

【明治後期】
〇一戸直蔵(訳)『宇宙研究 星辰天文学』(裳華房、明治39/1906)
 「星座」(星座例:“大熊星座”、“かっせおぺあ星座”)
〇本田親二(著)『最新天文講話』(文昌閣、明治43/1910)
 「星座」(星座例:“大熊星座”、“獅子座”、“カシオペイア座”)
〇日本天文学会(編)『恒星解説』(三省堂、明治43/1910)
 「星座」(星座例:“琴(こと)”、“琴座のα星”、“双子座β星”)

   ★

こうして見ると、「星座」という言い方は結構古くて、明治の初めにはすでに使われていました。しかし、「星宿」も頑張っていて、最終的に「星座」で統一されたのは、明治も末になってからです。日本天文学会が創設され(明治41/1908)、用語が統一されたことが大きかったのでしょう。

「星座」vs.「星宿」に関しては、最終的に新語が勝ち残った形です。
単に明治人が新し物好きだから…ということなら、「Astronomy」も、古風な「天文学」ではなしに、新語の「星学」が採用されても良かったのですが、結果的に定着しませんでした。この辺はいろいろな力学が作用したのでしょう。

いっぽう「〇〇座」の言い方ですが、これもいろいろ試行錯誤があって、「○○星座」とか、「○○宮」とかを経て、最終的に「○○座」が定着したのは、これも明治の末になってからです。

   ★

ときに先のコメント欄で、S.Uさんが「以下は私論ですが」と断られた上で、
「星座は境界のある「空の区域」を示すものですから、単に星座の絵柄の名前でなく「座」をつけるのが正式とされたのだと思います。」「少なくとも学術的には星座は常に空の区域の名称ですから、星座名としての「オリオン」は間違いではないとしても、正式名称は「オリオン座」でその省略形と見なされるのではないかと思います。」
と述べられたのを伺い、なるほどと思いました。

要は、棍棒を振り上げて、雄牛とにらみ合っているのは、たしかに空の狩人「オリオン」ですけれど、オリオンを含む空の一定エリアを指すときは「オリオン座」と呼ぶのだ…という理解です。たしかに、1930年に国際天文学連合が、星座間の境界を確定して以降は、このように星座のオリジナルキャラと、「○○座」という空域名は、明瞭に区別した方が便利で、実際そのように扱われることが多いのではないでしょうか。

(天界の土地公図。『Délimitation Scientifique des Constellations』(1930)表紙)

とはいえ、改めて考えてみると、東洋天文学で「参」と「参宿」を区別したように、現代の「空域としての星座」は、むしろ「星宿」の考え方に近く、オリオン座も「オリオン宿」と呼んだ方がしっくりするのですが、これはもうどうしようもないですね。

「星座」の誕生(前編)2020年06月06日 14時52分18秒

野尻抱影は、星の民俗を考える上で非常に示唆的な話を、自著『星三百六十五夜』(改装新版1969〔初版1955〕)の中に綴っています。一夜一話形式のこのエッセイ集の5月16日の項に出てくる「マタギの星」というのがそれです。

  「飯豊・朝日の山間、小国郷〔引用者注:山形県小国町〕はマタギ(猟夫)の本場として聞こえている。カモシカの皮の甚平に麻のたっつけ(袴)、村田銃と朱房のついた七尺ヤリを携えたのは、一時代昔のことだろうが、私のおいは、その奥も奥の、戸数八戸という越戸部落の山元、熊狩の統率では神の如く崇められていた、当時八十四才のM老人と親交があった。そして、私のために。その部族に伝わる星の名を問い合わせてくれた。」

(マタギ装束、大正6年。出典:新庄デジタルアーカイブ

抱影が日本古来の星名に関心を持ったのは、大正末年からで、その蒐集活動は昭和20年代いっぱい続きました。これはその時期のエピソードです。文中の「山元」というのは、文脈からすると、山の狩猟権を保有するマタギの棟梁という意味合いのようですが、上の問い合わせに対して、山元のM老人とは別のAという人から返事が来ました(太字は原文傍点)。

 「星さまでは、北極星を当方では北の明星といって、大そう崇めて、この方向には鉄砲を打たないことにしてあります。その星の近くにあるたくさんの星を当方では熊座と崇めて毎夜拝んでいます。山元の家では、この方角に当って不浄をさえしないように気をつけております。熊祭には特にこの熊座に灯明を捧げて一同礼拝します 云々」

マタギの古俗に根差したらしい、いかにも野趣に富んだ話です。

 「私はこの手紙を手にして、一応は首をひねった。何よりも熊座の「座」が気になったからだ。けれど、これは北の明星(北極星)を熊猟でも北のしるべとして崇めるところから、自然その周囲の星々に熊の名をつけたもので、大熊・小熊とは偶然の符号だろうと思い返した。」

昔の囲炉裏を切った民家では、主人が座るのは「横座」、妻は「かか座」、客人は「客座」と、人々の座る位置が厳密に決まっていました。そこから類推すると、北極星のまわりで、神聖な熊が座を占めるべき位置を「熊座」と呼んだのは、さして突飛とも思われません。

でも、やっぱりこの話にはオチがあったのです。
翌年、抱影のおいは直接小国郷を訪ね、その真相を抱影に知らせて寄こしました。

 「Aという人は、この部落で二十年からいる、六十を越した先生だったのは意外でした。字のたっしゃな人が居らぬため返信を頼まれたのだそうで、熊座が果して小学読本からのものだったのにはがっかりしました。」

そう、古俗でも何でもなく、「熊座」の名は小学校の副読本に出てくる「おおぐま座、こぐま座」の引用だったのです。


 「もっとも先生の教育宜しきを得るためか、八十四の山元のMじいさんまで、大熊座と小熊座とは、シチョーノホシとネノホシ〔引用者注:北斗七星と北極星のこと〕附近の古来からの別称と思ってるらしいのです。この二つの名を、黄いろい前歯が一本だけの老人の口から聞い〔原文ママ〕時の感じを御想像下さい。云々

 私も苦笑するほかはなかった。そして、教育もよくもまあ普及したものだと思った。」

   ★

その教育の片棒をかついだのは、他ならぬ抱影自身ですから、彼も苦笑いするばかりでは済まんぞ…と思いますが、まあこういうことは明治以降、各地で絶えず起こったでしょう。

近代に限らず、江戸時代も出版文化は非常に盛んでしたから、地方の知識人が書物から得た知識を元に、その土地の古俗に国学的解釈をまぶして、それがまた地誌に記録されて、いつのまにか確固たる「事実」に転化したり…なんてことは、いくらでもあったと思います。

こういう民俗調査の陥穽には、よくよく注意しなければなりません。

   ★

…ということを実は書きたかったわけではなく、今では当たり前の「○○座」という言い方が、明治以降、どのように普及したかを書こうと思ったのでした。前置きが長くなったので、本題は次回に。

(この項つづく)

空のコロナ2020年03月01日 08時39分00秒

話題のコロナウイルスですが、その直径はおよそ100ナノメートル、すなわち0.0001ミリ。人間を地球大まで拡大して、ようやくウイルスが人間大になる計算ですから、小さいといえば実に小さいです。そんなちっぽけな存在に斃される人間のもろさと、ウイルスの恐るべき攻撃力を改めて感じます。

   ★

一方、人々が空に見上げるコロナといえば「かんむり座(Corona Borealis)」

コロナ(corona)は、もともとラテン語で、英語のクラウン(crown)もその派生語です。
かんむり座は、わりと地味めの星座ですけれど、その主だった星は、太陽よりもさらに大きく、その光は100~300光年のかなたから届くと聞くと、宇宙はやっぱり大したものです。ウイルスに比べれば巨大な人間も、宇宙の中では当然ウイルスよりもさらにちっぽけな存在です。

かんむり座は夏の星座で、ちょうど夏休み初日の夜8時ころ、天頂近くに来ます。
今でも早起きすれば、夜明け前の空に高々と見えるはずですが、私はものぐさなので、春のかんむり座を見たことはありません。

星座神話の世界だと、かんむり座は、クレタの王女アリアドネをめとった酒神ディオニュソスが、彼女のために贈った冠ということになっています。星座絵だと、それこそ立派な冠として描かれることが多いですが、ラテン語のコロナ(あるいはギリシャ語のステファノス)は、「リース」が原義だとか。


ドイツのヨハン・バイエルが出した星図帳 『ウラノメトリア』 (1603)は、ちゃんと可憐な「花かんむり」として描いており、遠い神話世界の女性には、たしかにこちらの方が似つかわしい気がします。

   ★

社会の行く末も心配ですが、そんな下界の心配をよそに、星はめぐり、季節は移ろっていきます。鳥たちはつがいになって巣作りの準備に入り、先週はウグイスが良い声で鳴いていました。子どもたちが野原で遊び、花かんむりを作って楽しむ穏やかな世が、早く戻ってきてほしいです。

銀色の天空時計2019年06月11日 07時09分47秒

我が家に豪華な金の時計はありませんが、ちょっと素敵な銀の時計ならあります。


銀といっても素材はピューターです。それと天文時計としての機能はないので、仮に「天空時計」と呼んでみました。東西冷戦下の西ドイツ製で、1970年代頃のもののようです。

さして古くもないし、もちろん2,000万円もしませんが(2,000円よりは高かったですが、2万円よりは安かったです)、白銀に輝くこの時計は、その美しいデザインに心惹かれるものがあります。


銀の空には銀の月輪と地輪が巡って時を告げ、


日輪はといえば、背面で銀の炎をあげて燃え盛り、

(正面向って左にオリオン、右におおぐま・こぐま)

側面には銀の星が浮かび、星座を形づくり、


そして、その下を銀の鳥が一心に飛び続けています。
どうです、なかなか素敵でしょう?

   ★

以下、余談。

その鳥の列なりが天空を一周して、彼らは永遠に空を飛び続けているのだ…と気づいたとき、私は言葉にならぬ思いにとらわれました。その言葉にならぬ思いをあえて言葉にすれば、「いのちの哀しさ」といったようなことです。

おそらく、これは時計のデザイナーの意図から外れた、個人的感傷に過ぎないのでしょうけれど、そのときの私に、ズシンとくるイメージを喚起しました。

理由も目的もないまま、ひたむきに時間と空間の中で循環を続ける生命―。
自分もその片鱗に過ぎないとはいえ、なんだか無性に切ない気がします。
ひょっとして、手塚治虫が『火の鳥』で描きたかったのは、こういう思いだったのかもしれません(違うかもしれません)。

星のカクテルをどうぞ2019年04月14日 11時07分42秒

「天文古玩」でおなじみの二人、賢治さんと足穂氏は、何がどう違うか?
一言でいえば、賢治さんは下戸で、足穂氏は呑み助だったというのが、まあ一番的を射ているでしょう。両者の文学の本質的な違いは、そこに根ざしています(←適当に書いています)。

もちろん下戸が偉くて呑み助はダメ、あるいはその逆ということもないのですが、何といっても酔狂とは酔って狂うことなり。こと酔狂に関しては、下戸は分が悪いです。そういう意味で、今日は賢治さんの出番のない話。

   ★

見るなり、「え、こんな本があったんだ…」と驚き、かつ嬉しくなったのが、「星のカクテル」のレシピ本です。


板表紙を革紐で留めた、まるで中世の書物のような体裁。酒精をあがめる占星術師を気取っているのかもしれません。

■Stanley S. MacNiel
 ZODIAC COCKTAILS: Cocktails for all birthday.
 Mayfair Publishing Co. (NY), 1940 (copyright 1939)
 (巻末のメモ欄を除き)30p.


表紙を開くと、さっそく目次から星界に通じています。
内容は誕生月に合わせて、12星座のお勧めカクテルがずらっと並ぶというもの。


冒頭はおひつじ座(アリエス)。
左側のページには、酒の席で語るのにふさわしい、他愛ない星占いの知識(おひつじ座生まれの性格、誕生花、誕生石、ラッキーナンバー、おひつじ座生まれの有名人…etc.)が書かれており、肝心のレシピ集は右側です。

まずお勧めされるのは、ベーシックな「アリエス・カクテル」
アップルブランデーとジンを半々、そこにスプーン一杯のグレープフルーツジュースと、スイートベルモットとドライベルモットを少々。全体をよくシェイクし、ストレーナーで濾してグラスに注げば出来上がり。

さて、次の一杯は…と眺めると、「北斗パンチ」があり、「暁カクテル」があり、さらに「早春カクテル」「地震カクテル」「黄経パンチ」…と並んでいます。

こんな風に月日がめぐり、星座ごとのカクテルが次々に紹介されます。


ふたご座の人には、「火星カクテル」「土星シュラブ」「スターゲイザーハイボール」が、


てんびん座の人には、「南極カクテル」「金星カクテル」がお勧めです。


そして1年間の締めくくりはうお座で、


彼らが「海王星カクテル」「皆既日食ジュレップ」のグラスを干したところで、ひとまずは飲み納め。でも星の巡りはとどまることなく、すぐにまたおひつじ座の出番です。

   ★

 「今宵、天文バーのドアを押して、ふらりと入ってきたタルホ氏。
 得難い機会なので、思い切って相席を願い出ようかと思ったものの、なにせ氏は酒癖が悪いと評判なので、どうしようか躊躇っているうちに、早くも氏は隣席の土星と口論になり、あまつさえ懐から物騒なものを取り出して、ズドンと一発お見舞いすると…」

   ★

現実とファンタジーは、あたかもカクテルのように、容易にシェイクされてしまうものです。この確かな実体を備えた本にしたって、著者のスタンレー・マクニールは、「20年間にわたって世界中を旅した、放浪のカクテルコレクター」と名乗っているし、版元のメイフェア・パブリッシングは、NYのロックフェラー・センターの一角、ラジオシティ・ホールに存在すると主張するのですが、もちろんすべては虚構のようでもあります。

星のカクテルを口にすれば、虚実の境界はいよいよとろけて、タルホ氏と土星の声が、はっきりと耳元で聞こえてくるのです。

七宝焼きで描く星たち2019年03月17日 09時20分06秒

18世紀末から19世紀初頭にかけて、その鮮やかな発想と不断の努力によって、天文学に画期をもたらした偉大な天文家、ウィリアム・ハーシェル(1738-1822)
生年からすると、活躍時期が壮年期以降に偏っている印象ですが、それは彼が元々名のある音楽家で、天文家への転身は、その「第二の人生」に属するからです。まあ、異能の天才と言っていいでしょう。

そして、ウィリアムの研究を陰に陽に支え、自らも天文家として8個の彗星を発見したのが、ウィリアムの妹、カロライン・ハーシェル(1750-1848)です。彼女は最初期の女性科学者であり、当時の社会的桎梏をはねのけて活躍した人として、やはり一個の偉人です。


そのカロラインを描いた七宝絵皿。
現代の七宝作家、飯沢能布子さんの作品です(左右12.5、高さ11.2cm)。

(同部分)

飯沢さんは、夜空を彩る星々に惹かれるとともに、星と共に生きたハーシェル一家の物語にも関心を持たれ、それらを有線七宝の技法で作品化してこられた方です。(飯沢さんは、私よりも古手の日本ハーシェル協会員であり、その関係でご縁をいただきました。)

(同)

芸術作品はすべからくそうかもしれませんが、特に七宝作品の場合、ガラス質の釉薬と基層の銀箔が発する輝きは、光の当たり方によって多彩な表情を見せるため、その美しさを真に味わおうと思ったら、実物を見るほかありません。

   ★

…というのを前振りにして、飯沢さんの作品展示会のお知らせです。

東大和市奈良橋…と聞くと、他の土地の人は「奈良県のどこか?」と思われるかもしれませんが、でも奈良県ではなくて、場所は首都東京です。埼玉県と境を接する、緑豊かな狭山丘陵の一角が、今回の会場。そして、テーマは「アイヌの星座」。(このテーマは、飯沢さんが以前、北海道にアトリエを構えていたことと関連します。)


◆企画展示 「七宝焼きで描く星たち」
  「日本各地には生活に根ざした星の名前や星物語があって、北海道にはアイヌの人々の自然観で考えられた星座が伝えられています。このアイヌの生活や文化から生まれた星や星座を、飯沢能布子さんの七宝作品を通して紹介します。」(チラシより)

〇会期  2019年3月23日(土)~5月19日(日)
       9:00~17:00 (月曜休館、4月29日、5月6日は開館)
〇会場  東大和市立郷土博物館 1階企画展示室
       東京都東大和市奈良橋1-260-2 TEL 042-567-4800
       アクセス&MAP →  [LINK]
会期中、アイヌの星座研究家である山内銘宮子さんのワークショップ「星座早見盤を使ってアイヌの星座を学ぼう」や、天文民俗学研究者で、大著『日本の星名事典』(原書房、2018)を上梓された北尾浩一さんの講演会「日本の星の名前」等、興味深い関連イベントも予定されています(詳細は公式サイト参照)。

   ★

最寄り駅の東大和市駅までは、新宿からだと西武新宿駅から一本、あるいは山手線で高田馬場に出るか、中央線で国分寺に出るかして西武線に乗り換え、いずれも所要時間は約45分。季節も好いですので、のんびりトトロも住んでいる狭山丘陵の地にお出かけください。