エフゲニディス・プラネタリウム ― 2026年07月01日 16時09分42秒



白地に薄灰青と緑青色の配色が上品で涼しげな初日カバー。
いかにも夏向きの感じですが、押された消印は1965年10月21日付けで、発行されたのは秋真っ盛りの頃です。


このドームをいただいた建物は、1966年6月7日にアテネにオープンした「エフゲニディス・プラネタリウム」。

なんでもギリシャの海運王に、エウゲニオス・エフゲニディス(Eugenios Eugenidis、1882-1954)という人がいて、この人はギリシャの近代化と科学教育に多大な貢献をしたそうですが、ここはその遺贈によって設立された「エフゲニディス財団」が手掛けたプラネタリウムです。


カール・ツァイスのモデルⅣ型機を備えたエフゲニディス・プラネタリウムは、ギリシャはもちろん、南東ヨーロッパ全体を見渡しても、最初の本格的プラネタリウムで、開館当時は大変な話題になった由。初日カバーには民間発行のものも多いですが、これはギリシャ郵便が公式に発行したもので、同プラネタリウムの開館が国家的慶事だったことを物語ります。

今年はちょうど同プラネタリウムの開館60周年。
プラネタリウムのオープンと記念切手の発行が半年ばかりずれているのは、建物の竣工とプラネタリウムの本格オープンにタイムラグがあったせいでしょう。

額面2.5ドラクマの切手に描かれているのは、古代の天文学者・ヒッパルコス(紀元前2世紀)と、彼の発明品とされるアーミラリー・スフィアで、そこに天文学揺籃の地としてのギリシャの強い自負を感じますが、他国者の目から見ても、ヒッパルコスとツァイス投影機の対比は、天文学2000年の歴史をただちに思い起こさせるものがあり、なかなか味わい深いです。

(裏面は白一色)

ちなみに、同プラネタリウムは2003年に全面リニューアルし、最先端のデジタル投影システムを備えた今風のプラネタリウムに生まれ変わったそうです。
ちょっぴり残念な気もしますが、この辺は世の流れで、いかんともしがたいです。

彗星の思い出 ― 2026年07月09日 16時11分08秒

いつの間にか七夕も終わってしまいました。
この間、ボンヤリ過ごしていたわけではなく、むしろバタバタしていたのですが、バタバタ続きだと、空白の時間には一層ボンヤリしてしまって、なかなか記事が書けませんでした。でもそういうのは精神によくないので、少しずつ記事を書きます。

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最近の買い物から。


彗星のカリカチュア絵葉書です。


キャプションは、「モンリュソン、1910年の夜」。
モンリュソン(Montluçon)はフランスのほぼ中央部、パリからは南に約300kmのところにある町です。例によって昼間の写真を加工して夜景に作り替えてありますが、右手の塔の目立つ建物がこの町のシンボルで、14世紀にブルボン家が建てた城だそうです。


消印は1910年4月25日付け。
日付からすれば、この年の4月20日に近日点を通過したハレー彗星を当て込んだ絵葉書だろうと推測されますが、その壮大な尾は、同じ年の1月に出現した、これまた巨大な彗星「C/1910 A1」【LINK】の姿に一層似て見えます。

まあ、後者も描き手の発想源のひとつではあったでしょう。
「C/1910 A1」は一時期、日中でも視認できるほど明るく、夕暮れ時にはそれこそ目を見張るような光景を見せてくれたと伝わります。


ところでこの絵葉書、微妙な表情のお月様はいいとして、よく見ると彗星自体も擬人化されています。


その姿は、冠をかぶり、何かを指さして微笑む女性のようです。
そして長大な彗星の尾は、女性の純白の裳裾であり、婚儀を象徴しているのかもしれません。

実は絵葉書の現物が届くまで、私はこの女性に気づかなかったのですが、女性の姿と彗星の尾の比率がおかしいせいで、滑稽なような、あるいはいっそ不気味なような、奇妙な味わいを生んでいます。


版元はモンリュソンの G. Chaumont 商店で、あて先も同地に住む Marie Haymond 嬢と、徹底的に地元志向の絵葉書ですが、文面が「Souvenirs(思い出に)」の一語だけなのは、いろいろ人間ドラマを想像させます。

光学の授業 ― 2026年07月10日 16時40分09秒

この「天文古玩」も、すでに20年以上の星霜を経ています。
この間、いろいろな話題を取り上げ、多くの品を登場させました。でも、この狭い部屋の中に限っても、ここに登場してない品はまだまだたくさんあります。しかし、それは登場する価値が無いからではありません。


たとえば、この品はどうでしょう?
今から12年前に購入して、以来ずっと棚の上に鎮座しています。


これは木製台座の上でレンズを動かし、対象の見え方を観察させる「望遠鏡原理説明器」です。上の写真だと背景が暗くゴチャついているので、購入時の商品写真も載せておきます。


光学の理を説く理科教材の一種で、類似の品は日本でも、そしてたぶん今でも作られていると思いますが、これは19世紀のイタリア製で、フィレンツェの業者から送ってもらいました。

この場合、イタリア製というのが個人的に大きな意味を持ちます。
当然ガリレオの横顔も思い浮かぶし、ジョバンニとカムパネルラの教室にもこんな教具が置かれていたのではないか…と想像すると、これぞ天文古玩の保守本流という気が俄然してきます。


ここが定位置。これまた暗い写真で、何だかよく分らないと思いますが、20年間こういう風情に惹かれ続けて現在(いま)に至り、依然として変化と成長を続けているわけですから、我ながらなかなか根気強いというか、執念深いです。

小町石 ― 2026年07月11日 13時57分07秒

 老残のこと伝はらず業平忌  登史郎 

平安時代を代表する美男子・在原業平は、若年の艶っぽいエピソードこそ有名ですが、老いてから後のエピソードは伝わらないことを詠んだ句です。
業平忌は旧暦5月28日で、新暦に直すと今年は7月12日がそれに当ります。彼はちょうど今時分、梅雨が明けるか明けないかの頃合いに亡くなりました。

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この句の裏には、平安美女の代表である小野小町の方は、能「卒塔婆小町」に描かれるように、“老残”の姿がむしろ有名であることが伏在するようです。

美女もいつしか老い、そして白骨と化す。
女性の死体が腐朽する過程を描いた「九相図」が、特に小町と結びついて作成された例もあります。別に美女でなくても、すべての男女が同じ道をたどるわけですが、男性優位の社会では、女性の美貌に高い価値が置かれたので、いきおい美女の例が強調されたのでしょう。

(伝・英一蝶作。ウィキペディア「九相図」の項より)

小野小町は女乞食として晩年を迎えた…という文芸上の観念を受けて、小町の墓の伝承地は全国に点在します。ほかにも様々な小町伝説が各地に伝わるのは、大師信仰と同様、遊行する宗教者(この場合は「歩き巫女」)の影響だと言われます。

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そんな伝承のひとつに「小町石」、あるいは「小町の腰掛石」というのが、あちこちにあります。旅の途中で小町が腰をかけて休んだ石だというのですが、もちろん後世の付会でしょう。あるいは、今回検索して「小町しぐれ」という石材があることを知りました【LINK】。小町生誕伝説がある福島県小野町で産する花崗岩で、主に墓石に加工される…というのは「卒塔婆小町」との縁を感じて興味深く思いました。

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…と縷々書いたものの、以上のことはまったく無駄な前書きです。

本当は火山岩の一種である「Komatiite(コマチアイト)」のことを書こうと思ったのですが、日本人としてはどうしてもこれを「小町石」と呼びたくなるので、前置きとして現実に存在する小町石に言及しました。

(本題に戻してこの項つづく)

コマチアイト ― 2026年07月12日 18時40分54秒

(昨日のつづき)

「コマチアイト」という名称は、南アフリカのコマチ川で発見されたことから付けられたもので、小野小町とはもとより何の関係もありません。

私にコマチアイトの存在を教えてくれたのは、天文界の大先達である藤井常義氏で、氏の化石コレクションをまとめた冊子、『EVIDENCE OF LIFE 生命の証拠 ― Fossil collection(PartⅢ)』(私家版、2024)で、最初にその名を知りました。以下、同冊子から一部を引かせていただきます(太字は引用者)。

 「コマチアイトは火成岩で表面に板状に細長く伸びた結晶の橄欖石が放射状に見えるのが特徴。この模様はスピニフェックス構造(spinifex texture)と呼ばれる。オーストラリア砂漠に生えるスピニフェックス草に似ることからその名が付く。

 このような模様はマグマの融点温度が 1600 度をこしたもので急激に冷却しないと形成されない。現在の地球ではマグマの融点が 1200 度をこすことはないこととコマチアイトの産出が太古代の岩石が分布する地域に限定されることから地球誕生のまもない 25~35 億年前のマグマ温度が高かったマグマオーシャンの海で急激に冷えて固まった地球で最初の岩石と考えられている。」

「地球で最初の岩石」。
何と魅力的な響きでしょう。ざっと30億年前に生まれ、以来ふたたび溶けたり砕けたりすることなく、岩石として在り続けた存在。今はなき太古のマグマの忘れ形見。

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もちろん私がコマチアイトを手にしても、何か研究の対象にするわけではないし、単なる物好き以上の意味はないのですが、30億年の歳月を手にする機会はそう多くはありません。


私が見つけたのは、ご覧のようにコマチアイトの薄片標本です。
詳細な産地は不明ですが、藤井氏が入手されたものと同じくオーストラリア産です。


この薄く透明な岩石薄片が秘めた30億年の記憶。
私にサイコメトリーの能力はないにしても、偏光顕微鏡の視野に広がる光景を見れば、この惑星の30億年の歴史がたしかに感じられるのです。


鮮麗で鋭角的な光は、老残とはおよそ無縁。



熱いマグマが急速に冷却固化する際に析出する構造体。


どんな宝玉にも勝る光、光、光。

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花のような容貌が輝くばかりであった小野小町も、百歳(ももとせ)に一歳(ひととせ)足らぬ九十九髪(つくもがみ)、老いて頭は霜の如く、下賤の女からも汚いものを見るような目で見られ、諸人に恥をさらす女乞食になった…と謡曲「卒塔婆小町」には謡われます。

でも、だから人間はダメで、鉱物はエライ…とも限りません。
この移ろいやすい人間の肉体こそ、地水火風空の「五大」をかたどった五輪の似姿に他ならず、その移ろいやすさの向こうに仏の三昧耶形(さんまやぎょう)を観じ、菩提心を発する機縁とすべきだ…ということを、おそらく「卒塔婆小町」の作者は言いたかったのだと思います。

平たく言えば、物質的存在を超えたところに、人の存在する価値なり意味はあるのでしょう。コマチアイトが30億年の時を超えて輝くのも、それを目にする人間の精神が輝くからだと、言って言えないことはありません。

30億年前のあの日、あの時、私が将来コマチアイトと対話することは既に決まっていたのかもしれません。そう思うと、弥勒仏信仰もそう荒唐無稽な話とは思えなくなります。

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ちなみにアフリカのコマチ川のさらなる語源をたずねると、スワジ語の「インコマチ(牝牛)」に由来し、乾季にあっても豊かに流れる川を、常に乳を出す牝牛になぞらえたのだそうです。まさに地上のミルキーウェイ。宵闇の中、コマチ川のほとりに立てば、天上と地上の2つのミルキーウェイが照応して、きっと素敵な眺めが見られることでしょう。

月の歌 ― 2026年07月20日 17時51分17秒

3連休。徒長した枝を整理するために、昨日もおとといも庭木をちょきちょき伐っていました。もちろん熱中症対策をした上でのことです。でも、対策をしたからといって、暑くてしんどいことに変わりはありません。ますます暑くなりゆく世界と、衰えゆく自分。この先、いつまで庭仕事ができるかなあ…と不安な気持ちを抑えることはできません。

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さて、こんな絵葉書を見つけました。


三日月に乗った子供たち。
写真の上に手描きで絵を補ったもののようです。張りぼての月に乗った、よくある「ペーパームーン」の絵葉書ともちょっと違った雰囲気です。


左上の文章はオランダ語で、オランダの古いわらべ歌の一節だそうです。

Kleine Nellie en kleine Koos, 小さなネリーと小さなコースは、
zaten heerlijk op de maan. 月の上で楽しく座っていました。
Maar na een heele korte poos, しかし、ちょっとしたら、
wilde het nu regenen gaan. 雨がぽつぽつ降りだしました。

そして、この後には次のような歌詞が続きます。

Nellie had geen paraplu, ネリーは傘を持っていません。
Koosje riep: "Wat moeten we nu?" 「ああ、どうしよう?」とコースちゃん。
Toen gleden zij langs een zonnestraal, すると彼らは、太陽の光に乗って、
Vlug weer naar beneden, allemaal! 急いで下まで滑り降りました!

いわばオランダ版「マザーグースの歌」です。


写真では2人とも女の子のように見えますが、ネリーとコースは、英語ならJackとJill、日本語なら太郎と花子に相当し、昔風の男の子と女の子を代表する名前。

洋の東西を問わず、わらべ歌の常として、この歌も何となく謎めいた歌詞で、そこには古い民俗的背景があるのではないか…と想像されるのですが、果たしてAIは次のように返してきました(回答を一部改変して抜粋)。

農耕民族であったヨーロッパの人々にとって、「月と雨(天気)」は切っても切り離せない関係でした。民俗学的な迷信として、「三日月が横を向いて、お椀のように水をためられる形の時は雨が降らない(またはその逆で雨が漏れ出す)」といった、月の傾きで天気を占う伝統が各地にありました。「月の上に座っていたら雨が降ってきた」というシチュエーションは、こうした「天候を支配する月」という古くからの自然信仰の記憶が、子どもの遊びの歌の中に形を変えて残ったものと解釈できます。 

「ネリーとコース」「ジャックとジル(マザーグース)」のように、男の子と女の子のペアが天界や高い場所(月や丘)に登り、そこでアクシデント(雨、転倒)に遭って降りてくる、という構造はヨーロッパの児童歌に非常によく見られるパターンです。これは、古代の「双子神」や「一対の精霊(太陽と月、あるいは昼と夜の擬人化)」の物語が、長い年月をかけて口承されるうちに、親しみやすい人間の子供の名前に置き換わった名残であるという説もあります。 

そして、ネリーとコースが「太陽の光を滑り台にして降りてくる」という展開は、北欧神話やヨーロッパ伝承における「虹の橋(ビフレスト)」や「光の階段」を使って天界と地上を行き来する神や妖精のモチーフの変形です。かつては神々が通った光の道を、後代の子どもたちは「雨が降ってきたから」という日常的な理由で滑り降りてくるわけです。 

AIの言うことですから、ハルシネーションに基づく勇み足が混じっているかもしれませんが、説明を聞くとなるほどなあ…と思います。

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こんなふうにAIの言うことを鵜呑みにして、「こたつ記事」を書くのもつまらない話で、ほとんど頭を使ってないという意味では、昔の「ウィキペディアの丸写し」と何ら変わりません。でも、世の中はだんだんそういう方向に向かいつつありますね。現時点では、いかにプロンプトをうまく与えるかがコツと言われますが、AIは日進月歩ですから、これもすぐ昔語りになるはずです。それが良いことか悪いことか、少なくとも文章を書くという行為の意味合いは、ずいぶん変わることでしょう。

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今宵は六日月。

 なにごとも かはりのみゆく 世の中に
  おなじかげにて すめる月かな   西行法師

世の中は変わっても、月の光は昔と変わらない―。
この古歌もうろ覚えだったのを、AIが教えてくれました。でも、だからといって歌の位が下がるわけでもないでしょう。独酌しながら、静かに口ずさみたいと思います。

酷暑、熱死 ― 2026年07月23日 08時39分50秒

今週いっぱい、ことによると来週も、恐ろしい暑さが続きます。
地元名古屋では、今日も最高気温40度の予想。今年は「酷暑日」という気象用語が生まれ、ニュースでは嬉々として使われていますが、まったくいやはやです。


見苦しいごみ袋の写真で恐縮です。

昨日切ったシラカシの枝が、今朝見たら褐変していて驚きました。
別に枯れ枝を切ったわけではありません。昨日まで青々していた葉っぱが、一晩で茶色くなっていたのです。冬場だと剪定した枝も長期にわたって緑を保つのですが、酷暑のせいか「あっという間におじいさん」です。

意外の感に打たれた私は、性懲りもなくまたAIに聞いてみました。
AIの答を自分なりに咀嚼して書くと、こういうことだそうです。

まず、外気温の高さばかりでなく、葉っぱ自身の呼吸作用も加わることで、ビニール袋の中は非常な高温となり、これによって頑丈なシラカシの葉も一気に熱死。そして熱で細胞膜が壊れたことにより、細胞内のポリフェノールと酸化酵素が混ざり合い、空気中の酸素と反応して、リンゴの切り口が茶色くなるのと同じ仕組みで、全体が一気に褐変したわけです。


ビニール袋を側面から観察すると、褐変は主に袋の口近くで生じており、下の方は緑を保っています。高温状態と褐変との間には、ほかにも葉緑素と結びついたタンパク質の熱変性という要因も介在するのですが、青菜のおひたしが青々としているように、植物体の熱死は、それだけでは褐変の十分条件とはいえず、そこに酸化作用の伴なうことが重要なファクターであることが分かります。たぶん袋の下の方は低酸素状態になっていたのでしょう。

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まことに樫の葉にとっては災難でしたが、これと同じことが人間の身に降りかかると、大きな悲劇を生み、狭い空間に大勢の捕虜を押し込めたことによる大量死は、これまで何度も繰り返されています(たとえば1756年のベンガルで起こった悲劇や、1956年のアフリカ・コスチの悲劇など)。

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ところで、「酷」の部首は「酉」で、一般に「とりへん」と呼ばれますが、これは十二支の「酉」の読み方から借りたもので、本来は“酒壺”のかたちを表し、「酒」とか「酔」とか「酌」とか、お酒に関係した字に使われます。

では「酷」は?…と字書を引いたら、「形声。酉と、音符告コク(ひきしめる意→梏コク)とから成り、きゅっと口をひきしめさせるような味のこい酒の意を表わす。転じて「きびしい」の意に用いる。」とありました(小川環樹ほか偏『角川新字源』)。ですから、もともと「酷」自体に悪い意味はなくて、むしろ酒徒としては大いに慶ばしい字です。

熱死は御免こうむって、結句、この辺が酷暑との好ましい付き合い方ではないでしょうか。

回れ、天文時計 ― 2026年07月27日 18時52分34秒

私のコレクションに大きな進展がありました。

私が意識して集めているテーマはいくつかあるのですが、その一つに「天文時計のメカニカルポストカード」という、異常にこまかいコレクションがあります。このテーマで収集活動をしているのは、たぶん世界中で私ひとりでしょう。

まあ、これは別に威張って言うほどのことではなくて、対象をしぼれば「世界で唯一のコレクション」は誰でも作れます。たとえば「猫グッズ」を集めている人は多くても、「猫の陶製人形」に限ればコレクターはぐっと少なくなるし、さらに「三毛猫の陶製人形」、「戦前の三毛猫の陶製人形」…etc,、制限を強めれば強めるほど、競争相手はどんどん減っていく理屈です。

ただ、話を「天文時計のメカニカルポストカード」に戻すと、これはそもそも対象が非常に限られているので、集めやすそうで、かえって集めにくいテーマでした。


メジャーなのはプラハの天文時計↑と


ストラスブールのそれ↑だけで、第3の品がなかなか見つからなかったのです。
でも、先年、ようやくスウェーデンのルンド大聖堂のそれを見つけて、嬉々として記事にしました。


■ルンドの天文時計
 (過去記事のリンクが開けたり、開けなかったりで、ご不便をおかけします)

求めよさらば与えられん。そして、今回さらに第4の品を見つけました。
話がこまか過ぎて、もはや私が何を自慢しているのか、読み手の方には伝わらないかもしれませんが、私にしてみれば、「やっぱりあったんだ!」、「この分だと、まだあるかもしれんぞ!」という期待の持てる、実に嬉しい出来事だったのです。


それが、このチェコのオロモウツ市庁舎に取り付けられた天文時計の絵葉書です。
オロモウツは規模でいうとチェコ第5の都市ですが、伝統を誇る歴史の町だそうです。


もちろん、その絵葉書自体は上のようにたくさんあるのですが、紙製の仕掛けを施したメカニカル・ポストカードは今回初めて見ました。


裏面の文字情報を参照すると、原画を描いたのは、C. アンブロス(C. AMBROS)という人で、発行者は地元のヴォイテフ・シェベスチーク(Vojtěcha Šebestíka)書店。

側面のギザギザ付き円盤を回すと、オリジナルの天文時計と同様、「窓」から見える絵柄が次々に変わる仕組みです。

(中段左右の窓の絵柄が変わります)

絵柄はアダムとイブ、ハプスブルク家のルドルフ、エジプト逃避途上の聖家族、そして東方三博士の4種類。

しかし、現在の時計に登場するのは、それとはまったく違ったものです。
この時計は。第2次大戦中に損傷を受け、冷戦期に全体が共産主義モチーフに作り替えられたのですが、それも歴史の1ページということで、現在もそのままになっています。そして時計の窓に登場するのは、キリスト教モチーフではなく、鉱夫、パン屋、事務員、工員など、様々な労働者階級のからくり人形だそうです。いかにも…という感じですね。

(出典:下記)

■Olomouc astronomical clock(英語版wikipediaの解説ページ)

今の姿になったのは1955年なので、この絵葉書はおそらく戦前、1930年前後のものだろうと思います。

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【閑語】

ひたすら暑いです。

 念力の ゆるめば死ぬる 大暑かな  村上鬼城

…という不穏な句を、先日、中日新聞の朝刊コラムで目にしました。比喩的表現でなしに、今年の夏は句意が文字通りに感じられます。しかも最大級の念力を維持しても、なお命の尽きる人が続出という、大変な事態になっており、まことに恐ろしいことです。

近未来の予想として、人類は大々的に穴居生活に戻るか、夏場は「地底人」として暮らすようになるんじゃないでしょうか。しかし暑さはそれでしのげるとして、食糧生産の方が追い付くかどうか。何にせよ、今は人類史の曲がり角かもしれませんね。