ストラスブールの天文時計(後編)2017年10月22日 08時15分36秒

ストラスブール大聖堂の天文時計のつづき。

この中世ムード満点の天文時計は、実際には1838年の完成ですから、中世どころか、むしろ近代の作です。でも、これは1574年に完成した先代(2代目)の天文時計の外観を、かなり忠実に再現しているので、やっぱり相当古風は古風です。

(ストラスブールの2代目天文時計。この時計の装飾を手がけた、シュティンマー兄弟による同時代の版画。H.C.Kingの『Geared to the Stars』より)

この2代目の天文時計は、そこに“或る人物”が描かれたことによって、14世紀に作られた初代とは、隔絶した存在となりました。これが中世ではなく、確かにルネサンスの産物であることを雄弁に物語る、その人物とは、ニコラウス・コペルニクス(1473-1543)

カトリックの大聖堂に、堂々とコペルニクス像が描かれたことに、少なからず驚きますが、コペルニクスの地動説が、カトリックではっきりと異端視されるようになったのは、17世紀のガリレオの時代になってからだと聞けば、ことさら異とするに足りないのかもしれません。

上の版画に目をこらすと、たしかに左下のほうに、それらしい人がいます。


では、3代目の天文時計ではどうかと思って写真を見たら、以前よりも一段高い位置に、やっぱりコペルニクスがいました。(なお、その下の、元コペルニクスがいた場所にいるのは、3代目の製作者であるジャン=バティスト・シュヴィルゲ(Jean-Baptiste Schwilgué、1776-1856)だそうです。)

(画面左上に注目。英語版Wikipedia、「Strasbourg astronomical clock」の項より)

そして、2代目天文時計の中央に鎮座し、古人の目を奪ったアストロラーベ式文字盤は、3代目になると、惑星の運行を直接表現した、巨大なオーラリーに改変されていることが分かります。

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古風な天文時計こそ、かつての最新テクノロジーであり、当時最先端の宇宙論を人々にアピールするツールでもありました。

現代の技術で、現代の宇宙論を表現した、巨大な天文時計が作られ、都市ごとにデザインを競う…なんていう風になったら、ちょっと素敵ですね。(でも今は、科学博物館やプラネタリウムが、その役割を担っているのかもしれません。)

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さあ、天が動くか地が動くか、ひとつ投票に行って来ましょう。

ストラスブールの天文時計(前編)2017年10月21日 14時20分35秒

ついでなので、さらに天文時計の話題です。
今日は、たぶんこれまで最も多くの絵葉書が作られ、天文時計としては、プラハのオルロイと並んで、史上最も有名なストラスブール大聖堂のそれです。

と言っても、この天文時計は以前も取り上げました(日付けを見ると、もう10年近く前ですから、本当に嫌になってしまいます)。

■天文時計の古絵葉書

(ほぼ10年ぶりに同じ絵葉書を撮り直しました。)

以前の記事に付け加えることは、ほとんどありませんが、その後、日本語版ウィキペディアにも、「ストラスブール大聖堂」の項目が出来て、天文時計の詳しい説明が簡単に読めるようになったのは喜ばしいです。

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さて、今回新たに取り上げるのは下の品。


天文時計に憧れながら、私はその実物を一度も見たことがありません。せめて臨場感だけでも味わおうと、19世紀後半のステレオ写真を手に入れました。

でも、勇んでステレオビュアーにセットしたものの、撮影の仕方に問題があるのか、あんまり立体感がなくて一寸ガッカリ。それでもこの臨場感は、現代のそれではなく、19世紀の人の目を借りた臨場感ですから、まさに天文古玩的じゃないでしょうか。

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このストラスブールでも、ちょっとした発見があったので、そのことをメモ書きします。

(この項つづく)


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▼閑語(ブログ内ブログ)

ゆっくり近づく台風は、恐るべき事態が静かに迫っていることを警告しているかのようです。

それにしても、現政権を支持する人って、どんな人なんでしょう?
ちょっと怖い顔をして、「隣国に舐められてたまるか!」と腕まくりする人とか、国家に自己を投影して、「ニッポン万歳!安倍さん万歳!」と無意味に叫んでいる人とかでしょうか。確かに、ネットで見かけるのは主にそういう人たちです。でも、実際にコアな支持層というと、「株価はやっぱり高い方がいいよね」と、もっぱらそっち方面に関心の強い人とか、「北朝鮮はこわいねー」と漠たる不安を抱えた人たちなのかな…と想像します。

結局、出口の見えない世の中で、みんな不安なのでしょう。
もっとも、近代以降、不安のない時代はこれまでありませんでした。バブルの頃は、「こんなアブクはいつか弾けるに違いない」という不安がありましたし、昭和戦前には、「こんな無謀な拡張路線が、いつまでも続くはずがない」という不安がありました。

でも、ここが歴史のパラドックスですが、不安の強い時代は、人々がその不安を打ち消そうとして、「こんなの屁でもない」とばかりに、むしろ不安の根っこにある行動や事態を、いっそう強化してしまうことがあります。いわゆる虚勢を張るというやつです。そして結果的に、「予言の自己成就」よろしく、当初の不安は的中してしまいます。

昔の不安は、<社会の右肩上がり>と<不確実な未来>を背景に醸し出された不安でした。今の不安は<右肩下がり>と<100%凋落が確実な未来>を背景にしている点が、以前とは違います。

今の日本の課題は多様ですが、すべての根っこにあるのは、人口ピラミッドの不自然な歪みです。その歪みは、10年単位で見たとき、日本という国が確実に苦境に陥ることを告げています。これは舵取りの上手い下手に関わらず必発であり、船頭が下手ならば、さらに国家経済の破綻、社会的セーフティーネットの消失、国家そのものの実質的崩壊が、かなりの確率で生じます。

ここで上記の教訓に学ぶならば、「少子高齢化なんて屁でもない」と強がるのは、最もよくないことです。この件は、不安に蓋をせず、正しく畏れなければなりません。

この件については、自民党はもちろん、私が推す立憲民主党も、十分論を展開しているようには見えないのですが、この掛け値なしの難局を前に、嘘とでたらめにまみれた人々に舵取りを任せるのは、まことに危険極まりないことだと思います。

流れる時の中で天文時計は時を刻む2017年10月19日 21時10分29秒

今日も天文時計の古絵葉書の話題を続けます。


この2枚の絵葉書は同じ天文時計を写したものです。
左は1907年の差出しで、作られたのも同時期でしょう。
右はやや下って、1929年の消印が押されています。でも、写っている人々の服装からすると、もうちょっと古い時代に撮られた写真を元にしているように見えます。

(天文時計に仕込まれたからくり人形を見物する観衆)

印刷技法に関して言うと、1907年の方は前回のリヨンの絵葉書と同じく、黒・水色・オレンジの3色石版。いっぽう1929年の方は、黒の網点(ハーフトーン)印刷に、水色とオレンジの2色の石版を刷り重ねてあります。(いずれの絵葉書も、現代のフォトクローム絵葉書のように、つやつやしていますが、これはニス引きのような表面加工が施されているせいです。)

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前回、「古絵葉書に写った古物には、いっそう古物らしい表情がある」と書きました。
この絵葉書を見ると、一層そのことを痛切に感じます。


この天文時計は、チェコの歴史都市、オルミュッツ(Olmütz)の町にあります。
ただし、オルミュッツというのはドイツ語による名称で、現在の名乗りはチェコ語で「オロモウツ」。―この名称の変化からも、チェコという国と民族が、周辺の大国の間で絶えず揺さぶられてきた歴史を感じます。

土地の名称ばかりではありません。
実を言えば、このオロモウツの市庁舎に付属する天文時計は、今はもうありません。いや、あるにはあるのですが、この絵葉書のような姿では残っていません。

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以下、ポスト共産主義の東欧社会を研究している、クリステン・ゴッズィー氏のブログより。


「手元にモラヴィア地方のオロモウツ市で撮った写真が何枚かある。その中には、おそらく1422年に建造された、有名な天文時計の写真も幾枚か含まれている。

1945年の5月、ナチスがオロモウツから撤退する際、彼らはこの中世の時計に火を放ち、破壊した。時計は、チェコスロバキア共産主義体制下の初期に、社会主義的リアリズム様式に基づき再建され、聖人や諸王を表現した以前の聖像は、すべて労働者や農民の像に置き換えられた。

何と融合的な時計だろう!」

(現在の時計の姿。英語版Wikipedia「Olomouc」の項より。上記ゴッズィー氏のページにも、時計の細部を写した写真が載っています。)

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古い大きな時計。その足下を往来した人々。そして生活の証。


今となっては全てが幻のようです。
そして、ここで再び「物に歴史あり」と思わないわけにはいきません。

リヨンの天文時計2017年10月17日 20時30分43秒

昨日から冷たい雨が降り続いていましたが、今日はきれいな青空を眺めることができました。明るい日差しが嬉しく感じられる季節になりました。

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昨日届いた絵葉書。
フランス南部の都市リヨンに立つ、サン・ジャン大聖堂(洗礼者・聖ヨハネに捧げられたカテドラル)に置かれた天文時計です。


この角度から撮影された古絵葉書は無数にありますが、彩色されたものはわりと少ないと思います。

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まあ、ここは観光名所なので、古絵葉書に頼らなくても、ネットで画像はいくらでも見ることができます。例えば、高精細画像としてパッと目に付いたのは以下のページ。

Saint Jean Cathedral astronomical clock (by Michael A. Stecker)
あるいは動画だと、以下のものが、時計の細部や動きをよく捉えています。


Horloge astronomique de St Jean

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とはいえ、古絵葉書に写った古物には、いっそう古物らしい表情があるというか、何となく奥ゆかしさが感じられます。


この絵葉書、色彩感覚がちょっと独特ですけれど、これは手彩色ではなくて、墨版(黒一色の版)に水色とオレンジの色版を重ねた、3色刷りの石版絵葉書だからこそ生まれた効果です。

当時(1900年代初頭)は、まだカラー印刷の黎明期で、石版に合羽刷り(ステンシル)で色を載せるとか、墨版を網点で仕上げ、そこに石版を3色重ねるとか、仔細に見ると、その技法は実に多様で、これも古絵葉書の1つの鑑賞ポイントだと思います。

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さて、キャプションによれば、この時計は1572年にニコラス・リッピウス(Nicolas Lippius)という人が作ったと書かれています。

でも、この時計について検索していたら、ウィキペディアの「天文時計」の項には、「リヨンにあるサン・ジャン大聖堂にも14世紀の天文時計が設置」云々の記述があって、「あれ?」と思いました。

そこで今度は英語版を見にいくと、「この大聖堂の天文時計に関する最初の記録は1383年に遡るが、これは1562年に破壊された」とあって、なるほどと思いました。でも更に続けて、「1661年、時計はギヨーム・ヌリッソン(Guillaume Nourrisson)によって再建された」と書かれています。

いったい誰の言うことが本当なのか?
リヨンの天文時計については、この分野の基本文献である、ヘンリー・C.キングの『Geared to the Stars』(1978)にもほとんど触れられておらず、いささか途方に暮れました。

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が、さらにネット上を徘徊したら、ようやく謎が解けました。

L' Horloge Astronomique de la Cathédrale Saint-Jean de Lyon

上のページに、この天文時計に関する年表が載っています。

それによれば、時計は1562年に破壊された後、1598年にユーグ・レヴェ(Hugues Levet)とニコラス・リッピウスの2人が再建を成し遂げました(絵葉書の1572年と合致しませんが、これは再建着手の年と、完成年の違いかもしれません)。
ただし、当時の部品で現存するのはごくわずかだ…とも書かれています。 

この最初の修復の後、1660年にギヨーム・ヌリッソンが再度修復を行ない、時計はほぼ現在と同様の姿となりました。(英語版ウィキペディアの記述(1661年)とは、ここでまた1年のずれがありますが、物自体が完成した年と、正式にお披露目した年がずれているとか、何かしら理由はあるのでしょう。)

…というわけで、誰が正しいというよりも、それぞれに根拠と言い分があったわけです。要はどこに注目するか、の違いですね。

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まこと物に歴史あり――。
物だって、人間と同じく、その生い立ちを一言で語ることはできません。そのことを1枚の絵葉書に改めて教えてもらいました。

リヨンの天文時計は、ヌリッソンの修繕後も、18世紀、19世紀、20世紀の3回にわたって工人の手が入り、今に至っている由。やっぱり「物に歴史あり」です。

空の旅(10)…四分儀2017年04月29日 13時57分04秒

世間を見回し、何となく末法世界が到来したような気分です。
詮ずる所、人間とは愚かな存在なのかもしれません。
でも、愚かなばかりでなしに、なかなか大したところもあるのが不思議なところで、つまりは、いろいろ矛盾を抱えた存在なのでしょう。

そんな人間の不思議さを思いつつ、「空の旅」を続けます。

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星を見上げる行為が、精密科学へと飛躍する過程には、数々の観測機器の発明がありました。その最初は、太陽による影の長さと位置を測るための、地面に立てた1本の棒で、おそらくそれに次いで古いのが四分儀


四分儀にもいろいろなタイプがありますが、上は時刻を知るための「測時四分儀(Horary Quadrant)」の一種である、「ガンター式四分儀(Gunter’s Quadrant)」のレプリカ。元はイギリスの数学者・天文学者、Edmund Gunter(1581-1626)が考案したものです。

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そもそも四分儀とは何か。
分度器と糸とおもりがあれば、対象の高度を測ることは簡単です(さらにストローがあればなお便利)。


天体の場合は0度から90度まで測れれば十分なので、ハーフサイズの分度器、すなわち全円の四分の一の扇形を使えばいいことになり、これが「四分儀」の名の由来です。


手元の四分儀も、上の図のストローに相当する、2つの覗き穴が扇の一辺の両端に備わっています。さらに、扇の頂点には覗き穴のすぐ下に、もう1個の小穴が穿たれていて、ここに糸を通して、その先におもりをぶら下げたことが分かります。

太陽暦では、特定の日時の太陽の高度(地平線からの角度)は、一意的に決まります。裏を返せば、日にちと太陽の高度が分かれば、その瞬間の時刻が分かる理屈です。

ガンター式四分儀を使えば、さらに時刻以外にも、いろいろなことが分かるのですが、その前に、四分儀を使って時刻を知る方法について、もうちょっと見ておきます。

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下は一般的な測時日時計の図。


最外周から順に、角度目盛り、カレンダー目盛り、時刻目盛りになっています。
時刻目盛りは、さらに複数のパートから成り、外側の弧には正午~午後8時、内側の弧には午前6時~正午の時刻が刻まれ、2つの弧を結ぶようにたくさん並ぶ曲線は、同一時刻における太陽高度の周年変化(夏至~冬至)を示す時刻線です。

また、おもりをぶら下げた糸の途中に、小さなビーズ玉が見えます。
四分儀を使うときは、事前にカレンダー目盛りの位置に糸を持ってきて、糸が時刻線と交わる位置にビーズ玉をセットしておきます。

あとは太陽の高度を調べ、その時のビーズ玉の位置から時刻を読みとればOK。

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ガンター式四分儀にも、当然、上の図と同様の目盛りが刻まれていますが、それ以外にも付加的な目盛りがいろいろあって、中には黄道十二宮の記号も見えます。

下にリンクしたのは、ガンター式四分儀をシミュレートするアプリを作った人の解説ページです。使い方が今ひとつ分からないのですが、結論だけ言うと、これら複雑な目盛り群は、太陽の詳細な位置データ、すなわち高度、方位、赤経、黄経、日の出・日の入の時刻などを知るためのもので、ガンター式四分儀とは、いわば太陽に特化した一種の簡易アストロラーベというわけです。

Gunter's Quadrant Applet

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さらに裏面を見ると…


中央に何やら回転盤が見えます。


目を凝らすと、円盤には星図が彫り込まれていて、回転の中心はこぐまの尻尾の先になっています。


円盤の外周に刻まれたカレンダー目盛りと、その外側に固定された時刻目盛りを使えば、星座の位置関係から、夜間でも時刻が分かる仕組みで、これは日時計に対して「星時計」と呼ばれるものです。

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手元のは単なるレプリカですし、造りもちょっと雑ですが、こういうのは実際にあれこれ操作して初めて分かることも多いので、これはこれで良しとせねばなりません。

ともあれ、この小さな器具一つからも、天文学の歩みを如実に感じ取ることができます。

空の旅(9)…『コスモグラフィア・ウニヴェルサリス』2017年04月26日 22時52分50秒

いつでも、どこでも、そこに人がいる限り、星との関わりが生まれ、星をめぐる物語が生まれ、そしてまた「物語をものがたるモノ」も生まれます。そんなモノを眺めながら、時代と国を越えて歩き続ける「空の旅」――。

何だか、ひどく大層なことにも聞こえます。
これが金満的な大規模展、例えば、今年の正月まで六本木の森美術館でやっていた、宇宙と芸術展とかなら分かるのですが、わびし気な天文古玩の管理人がチマチマとやれることなのかどうか…?

まあ、侘しかろうが何だろうが、多少の土地勘と想像力さえあれば、どんなに遠い旅だって、できないことはないぞ…と、幾分強がりまじりに思います。
それはちょうど、小口径の望遠鏡しか持たない人や、都会のひどく貧弱な星空の下で暮らす人でも、想像力でそれを補えば、いくらでも星の世界に分け入ることができるのと同じでしょう。

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…と、言い訳をしたところで、旅を続けます。
これまで古代オリエントから出発して、イスラム世界、インド亜大陸、モンゴルの大地をたどってきましたが、ここで踵(きびす)を返して、西洋の天文学に話題を戻します。

イスラム世界からバトンタッチを受けて、試行錯誤をしながらも、天文学を大きく前進させたのは、ルネサンス以降のヨーロッパの人々であることは間違いありません。そんな時代の記憶を伝える紙物2点。


 「いずれも、ゼバスチアン・ミュンスター(Sebastian Münster, 1488?-1552)『一般宇宙誌(Cosmographia Universalis)』から取った一頁(元は1552年のバーゼル版か)。古代のプトレマイオスや、アラブ世界の天文学者について記す章の挿絵ですが、おそらく同時代の天文学者や占星術師の姿を反映した絵柄。手にしているのは四分儀です。」


ラテン語の説明文はさっぱりながら、「In parallelo qui transit per 72. dies maior est trium…」で始まる頁冒頭からボンヤリ眺めていると、「sphaerae mundi」とか、「parallelus conplectitur 24 horas diei et noctis」とか、何となく天文学や地理学の話題を語っているのだろうなあ…と感じられるものがあります。


まだ望遠鏡登場以前のこの時代、天体観測を表わすイコンは四分儀でした。
…というわけで、次回は四分儀です。

(この項つづく)

空の旅(4)…オリエントの石板とアストロラーベ2017年04月16日 17時56分05秒

天文アンティークというと、何となく西洋の品に目が向きがちですが、天文学が生まれ育った土地は、いわゆる西洋の外側です。

昔々、天文学が発達したのは、四大文明発祥の地ですし、栄えあるギリシャ科学を受け継ぎ、発展させたのは、東方のヘレニズム文化と、その後のサラセン文化でした。

まあ、わが家にそんな歴史遺産があるわけはありませんが、それでもそうした事実をイメージさせる品を並べて、天文アンティークの枠を少し広げたい気がしました。

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(説明プレートはantique Salonさんに作っていただきました)

たとえば、以前も載せた紀元前の天文石板(正確には粘土板)と、はるか後代のアストロラーベ


残念ながらいずれも複製品ですが、本来の絶対時間でいうと、ここには2千年近くの時間差があります。

しかし――あるいはだからこそ――両者を並べて見る時、西アジアで星座が生まれた遠い昔のことや、精巧な儀器を生み出した工人の黒い指先、星の運行の秘密を解き明かした学者先生の長いあごひげ、そして彼の地の人々が星を見上げて過ごした幾十万もの夜の光景などが、いちどきに思い起こされて、何だか西域ロマンにむせかえるようです。

今、安易に「ロマン」という言葉を使いましたが、ナツメヤシの葉擦れ、乾いた透明な空に輝く満天の星、研ぎ上げた鎌のような新月…こうした状景は、暗い北ヨーロッパの人にとっては、実際ロマンに違いありません。

その心情を、欧州の人が心置きなく吐露できるようになったのは、ヨーロッパがイスラム世界を軍事的・文化的に圧倒した、近代以降のことですが、中世の十字軍などというのも、あれは一種の東方コンプレックスに基づく振舞いだったのでしょう。

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ここで、解説プレートの文字を転写しておきます。

石板の方は、「紀元前200年頃、古代オリエントのセレウコス朝期の天文暦の一部(複製)。有翼の蛇に乗る獅子と、その先に輝く木星が粘土板に刻まれています。獅子は今の「しし座」、蛇は「うみへび座」に当たると言われます。」

そして、アストロラーベの方は、「17世紀、アラビア海周縁のインド-ペルシャ世界で使われた両面アストロラーベ(複製)。表面と裏面が、それぞれ南北両天に対応しています。円盤の中心は天の北極・南極を、唐草模様の葉の尖端は主要な恒星の位置を示しています。アストロラーベは、天体の位置を簡単に知ることができる道具として、イスラム世界で特に発達し、中世後期以降はヨーロッパでも作られるようになりました。」

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石板の方は既出なので、以下、アストロラーベの細部を見ておきます。


アストロラーベのレプリカは、今もインドで大量に作られていて、その大半は土産物的な粗悪な品です。時代付けして、「アンティーク」と称して売っているものもありますが、そうなると完全なフェイク(偽物)です。

上の品は同じレプリカでも、ごく上手(じょうて)の部類に属するもので、かなり真に迫っています。最初からレプリカとして販売されていたので、フェイクではありませんが、黙って見せられたら、一寸危ないかもしれません。(そもそもアストロラーベのフェイクは、昔からさまざまあって、グリニッジのコレクションにもフェイクが混じっていることを、グリニッジ自身が認めています。)


このアストロラーベは、上記のように、両面使えるところが特徴で、後の南北両天用の星座早見盤の元祖のような品です。


安易な鋳造ではなく、彫りの技によって正確に線を刻んでいる点に、作り手の本気具合を感じます。



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どうでしょうか。ともあれ、ヨーロッパだけを見ていては、「空の旅」もロマンに欠けますし、旅の全行程のごく一部しかたどることはできません。

空を見上げながら、さらに遥かな旅を続けることにします。

(この項つづく)

日時計と水鳥2016年03月01日 06時56分50秒

春だなあ…と思っていたら、寒気がどっと流れ込んできました。
こういうのも、この時期ならではと感じます。

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ところで、昔、日時計に春を感じる…というようなことを書いた覚えがあります。
探してみたら、それは5年前の2月1日でした。

■日時計のおもてに春日は暮れ難し
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/02/01/5658945

5年前の自分は、ひと月早く春を意識したようです。
その年がたまたま暖冬だったのか、あるいはこの5年で寒がりになったのか、加齢を考えると、どうも後者っぽいですが、ちょっと興味深いです。

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で、今年は1か月遅れで日時計の登場です。


直径45ミリの小さな銀色の懐中日時計。
19世紀末のフランス製で、素材はニッケルのようです。


蓋をぱかっと開けると、南北を定める方位磁針、時刻を読む目盛り、そして横倒しにして格納できる、太陽の影を読むための「針」がその上にセットされています。

この日時計の針を、西洋ではgnomon(元のギリシャ語にならえばグノモン、英語式に読めばノーモン)と呼び、東洋では「晷針(きしん)」という難しい字を当てるそうですが、ここではシンプルに「時針」と呼ぶことにします。


この時針をよく見ると、一羽の水鳥が寄り添っています。
水鳥のくちばしが、また指針になっていて、時針の仰角を土地の緯度に合わせることができる仕組みです。


この時針をパチンと垂直に立てて、太陽の影から時刻を読みます。
緯度イコール北極星の高度ですから、時針の斜辺を北極星の高度に合わせれば、斜辺は地軸と平行になり、太陽はこの線分を中心に日周運動をすることになります。そうすることで、太陽の影をいちばん読み取りやすくするわけです。

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水鳥を時針にあしらう(あるいは時針そのものを水鳥の形にする)デザインは、日時計にあっては非常にポピュラーなものらしく、あちこちで見かけます。でも、なぜ水鳥なのか…というのは、パッと検索した範囲では分かりませんでした。

試みに、手元の『イメージシンボル事典』を引いたら、goose(ガチョウ、ガン)」の項目のいちばん最初に、「〔象徴〕 母性、創造、豊饒、太陽を表わす」とあって、ひょっとしたらそういう意味合いなのかもしれません。

事典の記述を読むと、イソップ童話に「金の卵を産むガチョウ」(よくばりな百姓が、金の卵を産むガチョウを殺して、腹から金を取り出そうとしてしくじる)というのがありますが、あの話はエジプトにいっそう古いルーツがあって、エジプトでは太古、混沌のガチョウが鳴き交わして金の卵(太陽)が生まれた…という創造神話があるのだそうです。

日時計に表現された水鳥の姿の背後に、そういう歴史があるのかないのか、まあここではロマンも含めて、「ある」と考えておくことにしましょう、


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ちなみに「水鳥」は冬の季語。でも、「水鳥の巣」になると夏の季語だそうです。
そして「白鳥帰る」は、春の季語。
そろそろ白鳥の北帰行が話題になる時期です。

【2016.3.3 付記】
 コメント欄でご教示いただき、日時計に寄り添う「水鳥」の正体が分かりました。正解は水鳥ではなく「雌鶏」。まことに先達は偉大であり、あらまほしきものです。

時の鏡2016年02月01日 20時07分05秒

今日から2月。
2月といえば、今年はうるうです。

現在使われているグレゴリオ暦は便利なもので、うるう年が入るルールさえ心得ていれば、誰でも簡単にカレンダーが作れます。

すなわち、西暦年が4で割り切れる年(たとえば2016年)はうるう年ですが、例外として100で割り切れる年(つまり1800年とか1900年とか世紀末の年)は平年になり、さらに例外の例外として400で割り切れる年(直近は2000年)は、やっぱりうるう年になる…という、ちょっとややこしいものですが、慣れれば子供でも使いこなせます。

うるう年にしろ、平年にしろ、1月1日が何曜日か決まれば、あとは12月31日まで全ての曜日が自動的に決まるのですから、至極シンプルな仕組みです。(このシンプルな仕組みを考案するまでに、人類はずいぶん長い時を費やしました。)

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で、年次と月を合わせると、その月の暦(日付と曜日の組合せ)が読めるような道具を作った知恵者がいて、それがこういう円盤タイプの万年暦です。


ちょっと金満的な香りのする「銀の万年暦」。


銀器の老舗、パリのクリストフルが2010年に発売したもので、直径は約13cm。


仕組み自体はボール紙でも簡単に作れるので、別に銀だからどうということはないですが、この硬質の輝きは、2月の凍てついた空気に何となくふさわしい気がします。


日本では、昔から歴史書を鏡にたとえ、「大鏡」「水鏡」などの「鏡もの」が成立しました。この万年暦も、これからの時代の移ろいを、その表にくっきりと映してゆくことでしょう。

いとも豪華なる天文時計2016年01月24日 16時45分10秒

ブログを開設して10年と1日目。
初心に帰って、真の天文古玩とはこういうものだ!というのをボンと出して、おのれに活を入れることにします。

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あの伝統あるオークション会社のサザビーズも、時代の流れを受けて、最近はeBayに出品しているらしいのですが、そこで見たのがこんな品。


1575年頃、南ドイツで作られた卓上天文時計です。
むう、これは…!

驚きついでに、大きな写真も勝手に貼ってしまうと、こんな感じです。


サザビーズの評価額は2万ドル~4万ドル、スタートは1万6千ドルから。
落札額に加えて、さらに25%の手数料をサザビーズに払わないといけないので、相当豪儀な買い物ですが、後世の手がかなり入っていること、また現状では時計として機能せず、カチコチ動かすためには、大がかりな修繕が必要であることから、評価はこれでも低めに抑えられているのでしょう。


まあ、動かないにしてもすごいです。
それこそ皇帝ルドルフのヴンダーカンマーにあってもおかしくない風格があります。
出来ることなら、こういうものを脇に置き、豪奢な星図を眺めながら、憂鬱そうな表情で、人間の有限性に思いを馳せる…なんて乙に澄ましてみたいものです。

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果たしてこの品、いくらで落札されるのか。
オークションの終了は5日後です。