ギンヤンマの翅に宿る光と影2017年03月23日 06時58分41秒

家人の体調が思わしくなく、いろいろ不安に駆られます。
人の幸せや平安なんて、本当に薄皮1枚の上に成り立っているのだなあ…と痛感させられます。

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先日、奥本大三郎氏の昆虫アンソロジー『百蟲譜』を読みました。
さらにそこから思い出して、同氏の『虫の宇宙誌』を再読していました。

(奥本大三郎 『百蟲譜』、平凡社ライブラリ、1994/同 『虫の宇宙誌』、集英社文庫、1984)

前にも書いた気がしますが、私は後者に収められている「昆虫図鑑の文体について」という文章を、ひどく気に入っています。

「昆虫趣味」から「昆虫図鑑趣味」へ…というのも、趣味のあり方として、かなりの変格ですが、さらに図鑑に盛られた文体を論じるとなれば、これはもうスピットボール並の、超のつく変革です。でも、変格のようでいながら、奥本氏の感じ方は、やっぱり昆虫好きに共通する心根であり、正当な本格派である気もします。

そんな奥本氏が、古い昆虫図鑑の向うに見たイリュージョン。

 「当時〔小学生のころ〕、平山図譜〔平山修次郎(著)『原色千種昆蟲図譜』〕のギンヤンマの図版を見ると、きまって一つの情景が浮かんできた。夏の暑い昼下り、凛々しい丸坊主の少年が、風通しのよい二階の畳の上に腹這いになって、興文社の「小學生全集」の一冊を見ている。すると下から「お母さま」の、「まさをさーん」と呼ぶ声がする。その高い声は、雨ふり映画のサウンド・トラックから出た声のように語尾がふるえて聞こえるのである。」 (文庫版p.65。〔 〕内は引用者)

(ギンヤンマ。平山修次郎 『原色千種昆蟲図譜』、昭和8年(1933)より)

 「そういう、いつかの夢で見たような、フシギな、なつかしい情景が、ギンヤンマの図と結びあって私の頭の中に出来上ってしまっていた。まさか前世の記憶という訳でもあるまい。私が戦前の少年の生活など知っているはずはないのだ。多分うちにあった昔の本や、「少年クラブ」に載った、まだ戟前の余韻を引いている高畠華宵や山口将吾郎それに椛島勝一の挿絵その他のものが頭の中でごっちゃになっていたに違いない。ともあれ私は、平山図譜の、その本の匂いまでが好きになった。何でも戦前のものの方が秀れていて、しつかりしている……本でも、道具でも。そういう固定観念がなんとなくあったような気がする。」 (同pp.65-66)

(同上解説)

奥本氏は昭和19年(1944)生れですから、ご自分で言われるほど、「戦前の少年」と遠い存在でもないように思うのですが、でも、そこには終戦という鮮やかな切断面があって、やっぱり氏にとって「戦前」は遠い世界であり、遠いからこそ憧れも成立したのでしょう。

この思いは、何を隠そう私自身も共有しています。
別に、「戦前のものだからエライ」ということはないんですが、でも「これは戦前の○○なんですよ」と書くとき、私は無意識のうちに「だからスゴイんだぞ!」というニュアンスを込めているときが、たしかにあります。

この辺は、大正時代に流行った「江戸趣味」に近いかもしれません。
大正時代には、江戸の生き残りの老人がまだいましたが、「江戸趣味」にふけったのは、江戸をリアルタイムで知らない若い世代で、知らない世界に憧れるのは、いつの時代にも見られる普遍的現象でしょう。

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と言いつつも、「戦前」を手放しで称賛するわけにはいきません。
やはり「戦前」は、暗い面を持つ、無茶な時代でした。
以下、いつもなら「閑語」と称して、別立てで書くところですが、連続した話題なので、そのまま続けます。

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治安維持法よろしく共謀罪を国民支配の恰好の道具と考え、戦前のこわもて社会の再来を待ち望む人が、見落としていることがあります。

それは、戦前への回帰はもはや不可能だ…という、シンプルかつ冷厳な事実です。
なぜなら、あれほど強権的な政治が行われたのに、戦前の社会が活力を維持できたのは、為政者が潤沢な人的資源の上にあぐらをかき、人的資源の浪費が許された時代なればこそだからです。

端的に言って、明治以降の日本の発展と対外膨張策を支えたのは、近代に生じた人口爆発であり、その担い手は「農村からあふれ出た次男坊、三男坊」たちでした。

しかし、今の日本に、もはや浪費し得る人的資源はありませんし、それを前提にした社会も成り立ちようがありません。農村には次男・三男どころか、長男もおらず、農村そのものが消失してしまいました。

かといって、都市部が新たな人口の供給源になっているかといえば、まったくそんなことはなくて、今や日本中で出生率の低下が続いており、東京なんかは地方の消滅と引き換えに流入する人口によって、一見活況を呈していますけれど、遠からず都市機能の維持が不可能になることは目に見えています。

「じゃあ、それこそ『産めよ増やせよ』か」
…と言われるかもしれませんが、為政者に差し出す「壮丁」を増やすための政策なんて真っ平ごめんです。

それでも、この社会をきちんと次代に引き継ぐつもりなら、もはや「戦前ごっこ」に興じたり、弱い者いじめをして喜んだりしている暇はなくて、子どもの貧困問題にしろ、経済格差の問題にしろ、介護現場の悲鳴にしろ、もっと真面目にやれと、声を大にして言いたいです。

役人は作文が上手なので、各種の白書とかを見ると、いかにも長期的なビジョンがあるように書かれていますが、実態はその場限りのやっつけ仕事が大半で、まったく信が置けません(中には真面目なお役人もいると思いますが、そういう人ほどたくさん仕事を抱えて、じっくり考える余裕がないように見えます)。

「今こそ百年の計を」(ドン!)と机をたたいて然るべき局面だと、私は思います。
これ以上、民を委縮させ、痛めつけるようなことをして、そんな馬鹿が許されるものか(ドン!)と、ここで再度机を叩きたい。

雪の絵本2017年01月14日 12時10分27秒

夕べは空を一面雲が流れ、星はろくに見えませんでした。
でも雲を透かして、一つだけ星がやけに明るく輝いていました。
東方最大離角を過ぎたばかりの金星です。

ふだんは瞬かない金星がちらちらするのを見て、「これは来るぞ…」と思ったら、やはり夜半からしきりに白いものが降り始めました。

今日は一日雪。
こういう日には、どうしても読みたい本があります。


児童文学者・神沢利子さん(1924~)の筆になる、雪にちなんだ美しい文集、雪の絵本』(昭和46、三笠書房

(目次の一部)


「雪うさぎ」の一節。
子供が雪でこしらえる、あの雪うさぎではなく、冬になると白毛に替わる野うさぎの生態についてのエッセイ。

雪明かりに照らされた紙の色。
江戸時代の『雪華図説』からとった雪の絵が文章を彩ります。


清少納言と「香炉峰の雪」のエピソード。

日本の古典、おとぎ話、近代の詩人の作品などを引きながら、文章は静かに綴られていきます。そしてまた、自身のあふれるような思い出も。

南樺太のそのまた外れの村で過ごした、少女時代の明るく楽しい雪遊びの思い出(著者のお父さんは、炭鉱会社の事務員として、一家を連れてこの辺境の地に赴任していました)。その後、東京から信州へと移り住んだ、戦時下の青春時代の哀切な記憶。

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窓の外にも、本の中でも、雪はまだ降り続いています。

冬の幽霊2017年01月09日 15時44分43秒

強い風がコツコツと窓を叩く晩。
雪の降り積もった丘を越え、白い衣に身を包んだ「彼ら」は無言でやってくる。
西洋の、それも北の国のお化けは、夏よりも冬が似合うような気がします。

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こんな本を手にしました。


(タイトルページ)

International Geodedic and Geophysical Union
 『Photographic Atlas of Auroral Forms』
  A.W. Brøggers Boktrykkeri(Oslo)、1951

「国際測地学及び地球物理学連合」が、オスロの出版社から刊行した『オーロラの形態写真アトラス』という、22ページの薄手の本です。判型はほぼA4サイズ。

この「国際測地学及び地球物理学連合」という学術組織は、1930年に英語名を「International Union of Geodesy and Geophysics」と改称していますが、依然旧称のままなのは、本書が1930年に出た本の再版だからです。

序文を見ると、同連合の地磁気・地球電気部門(the Section of Terrestrial Magnetism and Electricity)が、1927年にプラハで会合を開き、オーロラの眼視観測の標準化を図るとともに、オーロラの形態に関する写真図鑑を編纂することを決め、ノルウェーのStørmer教授をリーダーに、カナダ、デンマーク、フィンランド、イギリス、スウェーデン、アメリカの研究者から成る委員会を結成し、その成果としてまとめられたのが本書だそうです。


例えば、「HB」と「PA」に分類されるオーロラのページ。
見開きの左側が解説、薄紙をはさんで右側が図版になっています。


こちらが写真図版。


頁を傾けると、そのツルツルした質感が分かりますが、この図版は6枚の写真を1枚の印画紙に焼付けた「紙焼き」で出来ています。当時のオフセット印刷では、オーロラの微妙な明暗を表現できないため、このような手間のかかる方法を採ったのだと思いますが、これは少部数の学術出版物だからこそ出来たことでしょう。本書にはこうした図版が8ページ、都合48枚のオーロラ写真が収録されています。

なお、HBとは「Homogenous bands」の略で、均質な帯がときにまっすぐ、ときに曲がりくねって見られるもの。図版でいうと、上の4枚がそれに当たります。いっぽうPAとは「Pulsating arcs」の略で、弧状に天にかかったオーロラの一部が、数秒ごとに輝いたり薄れたり脈動するもので、いちばん左下のオーロラがそれです。(右下のボーっとした1枚は、「DS(Diffuse luminous Surfaces)」に分類されるもので、空の一部が紗のような光を帯びるオーロラ。)


各写真には、それぞれこんなデータが付されています。写真番号、撮影地、日付、年次、そして写真中央部の位置が、地上座標(地平からの「高度」および真南を基線とし、西回りに360度で表示した「方位」)で示されています。

年次を見ると、各写真は1910~27年に撮影されたもので、写野は約40度四方に統一されているため、それぞれのオーロラの見た目の大きさを比較することができます。


頭上からスルスルと理由もなく下りてくる垂れ幕。


奇怪な生物のように身をくねらせる不整形な光の塊。

ここには最近のオーロラ写真集のように美しい色彩は皆無ですが、それだけにいっそうその存在が、幽霊じみて感じられます。

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北極圏の人は、オーロラを見慣れていて、特に何の感興もないようなことを聞きますが、昔の人はオーロラを見て、やっぱり怖さを――あるいは怖いような美しさを――感じたんじゃないでしょうか。


キノコ本(5)2016年11月14日 06時19分44秒

それぞれに趣のあるキノコ本ですが、虚心に振り返ると、個人的にいちばん心にしっくりくるのは、子供の頃から親しんでいる、いかにも「図鑑っぽい」本です。


たとえば、1966年に出た『オックスフォード隠花植物図鑑(The Oxford Book of Flowerless Plants)』(F. H. Brightman・文、B. E. Nicholson・絵)。

(牧草地や野原で見られるキノコ)

この図鑑は、分類学的記載に拠らず、その生育する環境別にキノコや苔やシダの仲間を図示した、一種のフィールドガイドです。半世紀前のイギリスのナチュラリストが、身近な自然観察の際に参照したのでしょう。

(混合林中の倒木に見られるキノコ)

(同じく混合林中のチャワンタケ類)

19世紀の博物学書は、自ずと審美的見地から眺めることが多くなりますが、この辺まで時代が下ってくると――何せ私の方がこの本よりも年長なのです――、もっと直接的な記憶や経験を刺激されて、もろに郷愁という要素が入り込んできます。

(高地の荒れ地に育つ苔類。本書はキノコ以外に、コケやシダ、藻類など「花の咲かない植物」は何でも載っています。)

幼いながらも真剣だった自然観察の経験。
あの日、あの場所で感じた光や匂いが、ページの向うに浮かび上がります。

もちろん昔の私の生活環境に、こんな洒落た本があるはずはなく、実際に読んでいたのは、小学館の学習図鑑とか、ちょっと背伸びして保育社の原色図鑑ぐらいでしたけれど、「図鑑画」の匂いには東西共通のものがあります。

(高地の湿生植物。赤い帽子をかぶって並んでいるのは、ハナゴケ(地衣類)の子実体)

そして、ここに描かれた自然は、やっぱり美しいと思います。
それは描き手の画力はもちろんですが、やっぱり画いた人自身が、自然をこよなく愛していたからでしょう。

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キノコの話題もひとまずこの辺で収束します。
何だかキノコそのものを語らず、余談ばかりでしたが、キノコを手がかりに、懐かしく新鮮な気分を味わえたので、ここでは良しとしましょう。
「あの日」が戻ってくることは二度とないにしろ、こうして本を開けば、一瞬あの日に還ることができることを確認できたのは、何にせよ良かったです。

キノコ本(4)2016年11月13日 13時10分42秒

キノコ本の話題が続きます。
キノコの絵にそう違いはないのに、ご苦労なことだ…と思われるかもしれませんが、意外にそうでもないよ、ということを書きたいと思います。

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今日の本は、ふたたび19世紀に戻って、1860年にイギリスで出た本です。

M.J. Berkeley
 Outlines of British Fungology (英国産キノコ学概説)
 Lovell Reeve(London)、1860. 本文442p+図版24葉


本の「お国ぶり」を考えると、この本の表情はいかにもイギリス的で、版元による地味で質素な布装丁は、フランスの繊細・華麗を旨とする装丁感覚と好対照をなしています(イギリスでも、この後徐々に装飾性豊かな本が好まれるようになりますが、世紀半ばはまだ地味です)。

(版元イニシャル(LR)の箔押しが唯一の装飾)

著者のバークリー(Miles Joseph Berkeley(1803-1889)は、英語版wikipediaによれば、「イギリスの隠花植物学者にして聖職者。植物病理学の創始者の一人」で、菌類の分類学で名を成した人。(https://en.wikipedia.org/wiki/Miles_Joseph_Berkeley

彼は「~師(Rev.)」の肩書を持つ聖職者ですが、かつての英国国教会の牧師は、宗教者であると同時に、国家の禄を食む一種の社会的身分・富裕層であり、僧籍の傍ら学問的活動に励む人が大勢いました。バークリーもそんな牧師さんの一人なのでしょう。この辺りもイギリス的といえばイギリス的です。


本書のタイトルページ。
正式な表題は、『一千種を超えるキノコの特徴及びイギリス諸島産と記録された全種類の完全なリストを収録した英国産キノコ学概説』という長いものです。


中身はセオリー通りに、まず文字だけの解説篇があって、その後に図譜編が続きます。



この図は石版画ですが、まだ多色石版が普及する前なので、彩色はすべて手彩色。その点に何となく有難味があり、本書の特徴ともなっていますが、この図を見ていかがでしょう、シカールやロイバのキノコ図とは、かなり手触りの違うものを感じられないでしょうか。


たとえば、この不整形なキノコの図。



モヤモヤッとしたキノコの輪郭を表現する線が、いかにもペン画タッチです。どことなく「手塚治虫的な線」と言いますか。そのせいで、本書はこれまで見た3冊の中で、いちばん古い本なのに、いちばん今風の印象を受けます。この辺もヨーロッパ大陸とは異なる、イギリス的肌触りを感じる所以かもしれません。

キノコも多様ですが、本の世界も多様であり、キノコ画の世界も奥が深い…と感じます。(人間も多様だということでしょう。)

キノコ本(3)2016年11月12日 11時05分28秒

今日もフランス語のキノコ本。
時代はちょっと下って20世紀初めに出た本です。

Fritz Leuba、
 Les Champignons Comestibles et les Espèces Vénéneuses avec lesquelles
 ils Pourraient être Confondus.(食用キノコ及びそれと間違えやすい有毒種)
 Delachaux et Niestlé (Neuchatel)、1906(第2版)
 判型 35×26cm、本文120p+図版52葉.


昨日の本をさらに上回る、堂々とした大型本。
フランス語の本ですが、著者フリッツ・ロイバの名前がドイツ風なのは、これがスイスで出た本だからです。出版地のヌーシャテルは、現在人口3万人あまりの小都市で、100年前もそれは変らなかったと思いますが、こんな立派な本を出すだけの文化的実力を持っていた…というのは驚きであり、羨ましい環境だと思います。

この本も、キノコ本としてはポピュラーらしく、「Fritz Leuba」で検索すると、バーッと画像が出てきます(例えばロンドンの自然史博物館では全図版を公開しています。http://piclib.nhm.ac.uk/results.asp?txtkeys1=fritz+leuba)。

とはいえ、ここは自前の写真で中身を見ることにします。

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「第1部」と銘打った本文編は、こんなふうにキノコの解説がずらっと続きます。
その記述をただちに読み解くことはできませんが、昨日の本が生物種としてのキノコに注目した著作であるのに対し、この本は書名からして「実用書」の色彩が濃い気がします。


たとえば、本文編の終わりには月替わりのキノコのカレンダーが載っていて、四季折々のキノコを存分に賞味しようという人の手引き書たることを目指しているように読めます。

そして本文に続いて、52枚の多色石版の図版が続きます(厚みのある紙を使っている関係で、図版編は本文以上のボリュームがあります)。


一見して分かるように、本書の最大の特徴は、「キノコの背景が黒い」ということです。


でも、全部が黒いわけでもなくて、白い背景の図版もあります。
ただし、毒キノコは黒、食べられるキノコは白…という明確なルールがあるわけでもなくて、その辺は説明のしやすさ、あるいはそれ以上に作り手の美意識という要素が大きいのかもしれません。


黒地に浮かぶサンゴハリタケ(上)とヤマブシタケ。
不気味な幽霊じみた姿ですが、立派な食用キノコ。


にぎやかなチャワンタケの仲間たち。こちらは陽気な妖精のようです。


いささか大味な図ですが、とにかくこれだけ大きいと圧倒されます。
画面からはみ出るまでに拡大して描かれたキノコ像は、同時に描き手(原画は著者自身のスケッチによるもの)のエネルギーを物語るものでしょう。


上の図と比較すると、葉っぱの緑の差し色や、線画による部分拡大図の存在によって、とたんに「博物画らしさ」が増すのを感じます。


博物画を博物画たらしめている要素や作法というのは、たしかにあるものです。

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なお、著者のフリッツ・ロイバは、タイトルページに「薬剤師(Pharmacien)」とありますが、詳しい経歴は不明です。

キノコ本(2)2016年11月11日 21時43分55秒

トランプ情勢を注視しつつ、キノコ本の話題を続けます。

といって、私はそっち方面に詳しいわけでは全然ありません。
先日の「きのこの思い出」では、キノコに関する思い出を、熱っぽく語りましたが、少なくともキノコ本に関しては、キノコ愛に燃えたというよりも、単に流行りに乗っただけの面が強いです。

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下は「いかにも」な1冊。

■Guillaume Sicard,
 Histoire Naturelle des Champignons Comestibles et Vénéneux
 (食用及び有毒キノコの博物誌)
  Delegrave (Paris), 1884(第2版)、判型 27.5×17.5cm、308p.


この表紙に横溢するメッセージ性がすごいですね。
キノコはまさに「花ならぬ花」であり、花と競い合う存在だ…というわけでしょう。


以前、素晴らしいルリユール(美装幀)の施された本書を目にしたことがありますが、私の手元にあるのは、傷みと染みの目立つ仮綴じ本です。


それでも、74枚もの多色石版画を収めた、この本の美質を愛でるには十分です。
この本は、キノコ本の世界では有名らしく、検索すればその画像をたくさん見ることができますが、以下サンプル的に中身を覗いておきます。



大きいキノコに小さいキノコ。



紅、青、紫、若草…鮮明なキノコのスペクトル。



キノコは、生命が取りうる形態の驚くべき多様性を教えてくれます。
こんな姿を目にすれば、人々がキノコに魅せられるのも当然で、ましてやそこに舌の喜びや、妖しい幻覚が伴うとすれば、もはや何をかいわんや…という感じです。

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著者のギヨーム・シカールは、フランス国立図書館のデータによれば、「1830年生まれ、1886年没。植物学者。フランス植物学会会員」とありますが、本書以外の著作は、「リンゴとナシの発酵と腐敗」という雑誌論文と、フランスの薬学者、アルフォンス・シュヴァリエの評伝がある程度です。肩書も「ドクトル」ではなく「ムッシュ」ですから、おそらくはアマチュア、あるいはアマチュアに近い立場で活躍した人でしょう。

それだけに、この『キノコの博物誌』は彼畢生の代表作。その熱い思いが、本書の序文や前書きには綴られているんじゃないかと思うのですが、残念ながらフランス語なので、読み取れません。

ともあれ、私はこういう人が好きです。
きっと満ち足りた一生を送ったのだろうと、まあ本当のところは分からないですが、何となくそんな風に思い、かつ憧れます。

キノコ本(1)2016年11月09日 07時15分07秒

博物趣味の世界も広いですが、その中で巨峰を形成しているのは、昆虫とか、貝とか、化石とか、何となく蒐集欲をそそり、かつ実際に蒐集行為が成立しやすい対象だ…という共通点があります。(歴史的に見れば、博物趣味と収集行為は双子のきょうだいのようなものです。)

それらと並んで、キノコも、昔から熱い博物趣味的視線を向けられた存在です。
しかし、(少なくとも19世紀のナチュラリストにとって)キノコはなかなか保存が難しい相手で、蒐集とは結びつきにくかったように思います。

それでもなおかつキノコが人気を誇ったという事実は、いかにキノコそのものが、人々にとって魅力に富む対象であったかを物語るものでしょう。

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色・形の保存が難しいキノコを前に、人々は盛んに絵筆を走らせ、あのファーブル先生も、たくさんのスケッチを残した…ということは、前に書きました。

■ファーブルのキノコ本
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/11/03/7037120

一般の出版物としても、キノコの図譜はいろいろ出ていて、今も古書市場の人気者です。高価な図譜とは無縁にしろ、私もそうした本を何冊か手にしたことがあります。
談がたまたまキノコに及んだので、この機会に、キノコ本の世界を覗き見ることにします。

(この項つづく)

南極の海をゆく(3)2016年08月09日 20時46分41秒

南極の話をしても、暑いものは暑いですね。
でも、一昨日はツクツクボウシを聞き、ゆうべはコオロギの声を聞きました。
晩夏へ、そして初秋へと、季節は舵を切りつつあります。

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幻の島・エメラルド島も通りすぎると、記述はいきなり南極大陸に飛びます。
この間の情報はゼロなので、羅針盤だけが頼りですが、ひたすら南進すれば南極に至ることは確実なので、この辺は大胆に行きましょう。

説明の便のため、前回の地図をもう1度出しておきます。


今、我々は右下のマッコーリー島の南側にいて、南極大陸のウィルクスランドを目指しています。上の地図は、「ウィルクスランド」の文字がちょっと上(西)に寄りすぎているので、これまた前回掲出した1904年のドイツの地図から、ウィルクスランド付近の拡大図を載せます。

(図中の略語は、B.(Bucht ~湾 英:Bay)、K.(Kap ~岬 英:Cape)、Ld.(Land)、Sp.(Spitze ~山、~峰 英:Peak)の意だと思います。)

とはいえ、南極というのは、どこが陸やら氷やら、「私は陸地を見た」と主張する人も、実際には何を見たのかあやふやで、しかも新発見の先取権争いも絡んで、地名ひとつとっても、はっきりしないことが多く、こうして↓現代の日本で発行された地図(昭文社)と並べても、ずいぶん地名やその範囲が違います。


ここでは経緯線に注目すると、両者を比較しやすいですが、右側の日本の地図でいうと、右上の隅にチラッと東経100度の線が写っていて、その下の「ウィルクスランド」の「ル」の字を通るのが東経110度の線です。以下、時計回りに120度、130度…ときて、左端の垂直線が東経180度の線。ドイツの地図は左端が切れているので、東経160度の線で終わっています。

また、緯度の方は、それぞれ左上から南緯80度、70度、60度の線で、それと平行してほぼ南極大陸の縁に沿った点線が描かれています。これは「南極圏」を示す南緯66度33分55秒の線で、これより高緯度地帯では、夏の白夜・冬の極夜が生じます。

一見して明らかなように、100年前は、南極圏の線を超えて、大陸がはみ出して描かれている部分が多く、当時は氷舌(棚氷の端部)と陸地を見分け難く、またそれだけ今より寒冷だったのでしょう。

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…と、話がくだくだしいですが、そこが未知の大陸たるゆえんです。

そんなわけで、ウィルクスランドの範囲も伸び縮みがあって、今は西につづまっていますが、昔はジョージ5世ランドあたりまで伸びていて、ウィルクスランドの名前は、この辺一帯を1840年に探査した、チャールズ・ウィルクス(米)にちなむものです。

「Wilkes は1840年1月23日南緯67度4分、東経147度30分に於て15浬に亙〔わた〕り1湾を探検せりと称す。湾は幅25浬にして、全く氷に鎖さる。彼は之を Dissapointment Bay と命名せり。」 (p.236)

Dissapointment Bay(絶望湾)とは、何と救いのない名称だろうと思いますが、それはドイツの地図にもしっかり載っています。そして、その右(西)隣の凹所――古い地図でははっきりしません――が、Commonwealth Bay (連邦湾。ここは1911~1914年に、ダグラス・モーソン(豪)がオーロラ号で精査した地域です。

Commonwealth Bay  Alden Point と Cape Gray との間、幅約27浬にして、約12浬凹入す。西側の氷崖は高さ約31米にして、後方に斜面を成す積雪は、高さ約396米まで隆起す。Alden Point の東方12浬の Cape Hunter に若干の露出せる黒色岩及南極海燕の巣窟あり(第232頁対面対景図第65参照))。」 (p.237)

その第65図が以下です。


手前のごつごつした岩のようなものは、高さ31メートルの氷の崖。その後は一面の雪の斜面で、それが400メートル近くまで盛り上がっているというのですから、恐るべき絶景です。この景色を前に停泊してみます。

錨地  Aurora号は Commonwealth Bay 内、水深18-45米(10-25尋)の処二投錨せしも、錨地は甚しく暴露し、且急深にして水深不斉なりき。Cape Hunter を距る1浬の処にて775米(424尋)の水深を測得せり。」 (同)

オーロラ号に乗ったモーソンたちは、この湾内に探検のための本部を設置しました。が、陸地については「全く氷に鎖され、其の西部以外は僅に陸岸より探検せしのみ」(p.236)という状況だったので、内陸部の地図が真っ白でも止むを得ません。

何といっても、ここは名にし負う南極大陸なのです。細心の注意を払っても、なおかつ危険に満ちた場所であり、その証拠が湾内のデニソン岬には歴然とあります。

Cape Denison 〔…〕は殆ど湾の中央に位する高さ約12米の氷河作用による堆石にして、其の両側に高さ18-46米の氷崖あり。此の角の沿岸は著しく起伏し、内陸1粁〔km〕の処にて43米迄隆起す。Cape Denison に1913年東方の探検中死亡せるDr. Mertz 及 Lieut. Ninnisの紀念の為、十字架を建設しあり。」 (同)

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…という辺りで、このアウェイの話題も、そろそろ引き返した方が安穏のようです。
とりあえず、この真夏の最中、南極の端っこを望見できただけでも、今回は良しとしましょう。

(この項、尻つぼみになっておわり)

南極の海をゆく(2)2016年08月07日 17時45分09秒

この『南極洋水路誌』は、当然のことながらエリア別の記述になっています。

(南極近辺の地理。ウィキペディアより)

まず「第1編 総記」につづく「第2編」は、上の図の左上、サウス・ジョージア島から、サウス・オークニー諸島、サウス・シェトランド諸島を経て、「ゾウの鼻」に当る南極半島にとっつく海域を叙しています。これはヨーロッパ方面から南極に向う一番の近道であり、いわば表街道です。いきおい関連する資料も多いのか、本文264頁の本書の中で、この第2篇だけで98頁を占めています。

一方、日本からまっすぐ南進し、オーストラリアの脇を迂回して南極に至るルートは、本書第5編の、「Macquarie Island-Emerald Island-東経130度至東経160度 Antarctica 並ニ Wilkes Land、Adélie Land 及 King George V Land」に記載があります。上の地図でいえば、右下のマッコーリー島から南極大陸のウィルクスランドに至る海域です。書籍中のボリュームはわずかに11頁。こちらは南極への裏街道といったところです。

まあ、裏道とは言え、我が日の本を発ち出でて向かおうというのですから、このルートで南極に向うことにしましょう。

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まずは1810年に「New South Wales ノ総督ノ名ヲ採リテ斯ク命名」したという、マッコーリー島に立ち寄ります。

ニュージーランドの南に浮かぶオークランド諸島を足掛かりにすれば、「Auckland Islands の South-west Cape の229度〔ほぼ南東〕、340浬に位す」るのがマッコーリー島で、位置は南緯54度37分、東経158度54分。

現在はオーストラリア領で、南極へのとば口に当ります。南北18浬、幅3浬…といいますから、キロに直せば、南北33km、幅5.6kmほどの細長い島です。

その景観はというと、

「丘陵は殆ど直接海際より隆起し、僅に狭き礫浜を存するのみ。但し西岸北端の方に可なり広き平地あり。礫浜の上方に泥炭及び湿地あり。又高地には多数の小湖あり。島の概観は非常の瘠地〔やせち〕にして、樹木又は灌木なく、僅に貧弱なる苔類あるのみ」 (p.229)

であり、「島に住民なく、又規則正しく来航する者もなし」という僻遠の島ですが、

「海象〔セイウチ〕及び海豹〔アザラシ〕多く、特に10月以後は仔を生む為来るを以て、一層夥多なり。「ペンギン」鳥も多し。」 (同)

と、寒地の動物たちにとっては、一種の楽園となっています。

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『南極洋水路誌』の水路誌たる由縁は、その航海情報の精確さにあります。

では、このマッコーリー島に停泊・接岸・上陸するにはどうすればよいのか? 
本書にしたがえば、東岸北端にあるバックルス(Buckles)湾や、南端にあるルスティアニア(Lustiania)湾、あるいは島の北端にあるハッセルバラ(Hasselborough)湾が、その適地だと教えてくれます。

例えばバックルス湾から上陸を試みるとしましょう。
マッコーリー島の北端には、瘤状に突きだした半島状の地形があり、ワイヤレス・ヒル(Wireless Hill)と命名されています。

Buckles Bay   地頚〔=ワイヤレス・ヒルの付け根〕南東側に於ける沿岸の小凹入部なり。湾岸に約3鏈〔1鏈=0.1浬=約185メートル〕の間、纏布せる海藻帯の外側には、険礁なきが如し。此の著しき沿岸堆上の測得最小水深は11米(6尋)なり。」 (p.231)

そして、ここに停泊するには、

錨地   船舶は Wireless Hill 南端下の緑塗小舎を296度に見て、之に向針し、Finger and Thumb Point の外方尖岩(礁の先端に非ず)と Tom Ugly Point の外端とを一線に見て、水深21米(12尋)の処に投錨すべし。然らば十分海藻帯の外側に位置すべし。」 (同)

本書の著しい特徴は、場所ごとに記述の精粗が大きいことです。
上の記述は、最も細かい部類で、さらには上記の「緑塗小舎」が、かつてのアザラシ猟者の小屋であり、「一部破壊せるも、其の内の罐〔ボイラー〕は好目標たり」という点にまで説き及んでいます。そして、ここまで来れば、「普通の天候時には上陸容易なり。最好上陸所は海藻纏布せる岩線の内側、最北の海豹小舎直下の浜岸なり」。

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マッコーリー島を出て、さらに南方に向うと、ビショップ・アンド・クラーク諸島という小島が見えてきます。

(北北東方3鏈ヨリBishop and Clerk Islands ヲ望ム)

その脇を超えて、さらに進めば、そこに「エメラルド島」という美しい名前の島があります。上の南極周辺図には、その名が見えないので、もっと大きい地図を見てみます。


上は1904年にドイツで出た南極地図の一部。オーストラリア~南極大陸の海域です。その中央左下あたりを拡大すると、マッコーリー島とエメラルド島が見えてきます。

(たくさんの不整形な島状のものは、この近辺まで群氷がやってくることを示しています)

何と言っても、マッコーリー島では、壊れかけの緑色の小屋にまで言及しているぐらいですから、エメラルド島も楽勝だろうと思うと、さにあらず。

そもそも、エメラルド島は、複数の航海者の誤認に基づいて記載された、幻の島(phantom island)」の1つで、今では地図から抹消されています(上の1904年の地図も、よく見ると「?」が付いています)。

いよいよこの辺りから、『南極洋水路誌』に全面的に寄りかかることの許されない、謎の多い海域に入るのです。細心の注意を払って、さらに大陸に向けて南進します。

(この項つづく)


【付記】 これを書いている今は、あくまでも1940年の気分なので、安易にネットを覗き見るのはご法度ですが、ウィキペディアに載っているマッコーリー島はこんな場所でした。海岸に群れているのはペンギンたちです。