ある書斎風景…本の山の傍らで光るモノ ― 2012年05月06日 09時52分33秒
こんな書斎はどうでしょうか。
(Photo by Underpuppy
出典: http://www.flickr.com/photos/underpuppy/12252359/)
出典: http://www.flickr.com/photos/underpuppy/12252359/)
本の量に圧倒されつつも、画面をよーく見てください。
画面右寄りに何か金色の筒が…。これは!アンティークの屈折望遠鏡!!
単なる書斎としても魅力的ですが、望遠鏡のおかげで好感度はさらに3割増しです。
「望遠鏡のある光景」として、これは深く印象に残ります(できれば、真鍮製の顕微鏡もどこかに鎮座していて欲しいところ)。
この写真は、米国ジョンズ・ホプキンス大学の人文学部教授、Richard A. Mackseyの書斎です。教授の家は全体がこんな有様で、蔵書数は7万冊だとか。うーむ…
上の画像に驚かれた方、そしてさらに、この書斎の中に分け入ってみたいと思われる方は、以下に動画がありますので、こちらもぜひ併せてご覧ください(別ウィンドウで開きます)。
動画には教え子たちのインタビューが出てきますが、マクジー先生は学生から愛される名物教授のようですね。ただ、目を凝らしても動画には望遠鏡が出てこないので、教授の天文趣味は、残念ながら、それほどでもないのかもしれません。
奇怪なる日本趣味 ― 2012年03月14日 22時51分32秒
あまりにも変なので買ってしまった、19世紀末のリービッヒ・カード(※)。
物見遊山に出かけた女性たちが、富士山を望遠鏡で覗いている光景…のようです。
シチュエーションもなんだか変だし、服装も変ですが、そもそもなぜ角隠し?
(※)リービッヒ・カードについては、下記を参照。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/08/15/4515029
物見遊山に出かけた女性たちが、富士山を望遠鏡で覗いている光景…のようです。
シチュエーションもなんだか変だし、服装も変ですが、そもそもなぜ角隠し?
(※)リービッヒ・カードについては、下記を参照。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/08/15/4515029
春日、望遠鏡、古書 ― 2012年03月03日 20時49分43秒
今日はひな祭り。穏やかな春です。
昨日、くしゃみが立て続けに出ました。
そして一晩明けたら、私は突然花粉症患者になっていました。
昨日、くしゃみが立て続けに出ました。
そして一晩明けたら、私は突然花粉症患者になっていました。
これまでも、何となく目がかゆいとか、予兆はありました。
しかし、まあそれほどでもなかったのですが、ここにきていきなりの発症です。
鼻水はとめどもなく流れ、喉もいがらっぽいし、しかも悪寒までしてきて、今日は昼からずっと寝ていました。
この間まで、他の人が花粉に苦しんでいるのを見て、何を大げさなと思っていましたが、いざ自分がその身になってみると、実に嫌なものですね。頭がずんと重い。
これ以上ひどくなったら、お医者に行ってきます。
★
そんなわけで記事を書くのも物憂く、HDDの隅で見つけた画像を1枚貼っておきます。
■Lucy Taylor,
Astronomers and their Observations.
Partridge (London), c1890, 160p.
典型的なヴィクトリア時代後期のブックデザイン。
表紙は可愛らしいんですが、中身はそれほどでもないので、古書としての評価は今一つで、昔のメモを見たら、買い値は15ドルでした。
この写真は、3年前の今頃、我楽多倶楽部のとこさんに撮影していただいたもの。
表紙に当たった陽光がいかにも春らしい。
そう、確かにここには句に詠み込みたいような仲春の諧調があります。
できることなら、理知的で繊細な句をよくした、若いころの芥川龍之介(俳号、我鬼)に詠ませたい。
紙の星 ― 2012年02月14日 21時56分51秒
今日は大事な2月14日ですから、生々しい剥製の話題は先送りして、「L’Astronomié天文学」と題された、可愛らしい19世紀のクロモカードを載せます。(詞書きを見ると、パリの「アンリ商店」という洗濯屋さんが作ったもののようです。)
とんがり帽子の少年天文家と青いドレスの少女。
この少年は心から女の子に星を見せてあげたかったのでしょう。それもとびきり素晴らしい星を。でも、結局彼は紙の星を見せることしかできなかった。
少女は感極まった様子で望遠鏡をじっと覗きこんでいます。でも、彼女だって本当はそれが紙の星に過ぎないことを知っているのだと思います。
男女の間に限らず、親子でも、きょうだいでも、友人同士でも、こういう切ない光景は、いろいろなところで見られます。
悲しい嘘、優しい嘘、尊い嘘、どうしようもない嘘。
嘘にもいろいろな色がありますね。
その色は見る角度によっても変わるかもしれません。
そして、嘘の中にもまことがある…
齢を重ねると、だんだんそうしたことも分かってくる気がします。
ゆったりとした天文趣味の話(5)…P.H.ゴス・後編 ― 2012年01月09日 19時20分53秒
(前回のつづき)
このゴスの伝記は、息子のエドムンドの目を通して叙述されていますが、巻末にはゴスの妻(前妻をガンで失った後に迎えたイライザ)の手記が付録として収められています。同じような内容ですが、こちらも見てみます。
「この時期〔引用者註:晩年の数年間〕のこととして、夫が天体の研究に打ち込んだことを述べないわけにいきません。私たちは良い望遠鏡を持っていました。秋晴れの、星がいっぱいの晩には、それを使って主要な星座や二重星、それに星雲に関して、しっかり学ぶことができました。
この望遠鏡は、ある事故のせいで台無しになってしまいましたが、バザーの折に、ロチェスターの牧師さんから、もっと性能の良い望遠鏡を手に入れることができたので、それを使って私たちは、遠い遠い世界の素晴らしい光景を、さらに眺めることができるようになりました。このきわめて興味深い探究は1887年の終わりまで続きましたが、私にとって貴重な暮らしは、そこで幕を閉じたのです。
その年の冬の晩は冷え込んでいました。開け放った窓辺で熱心に立ったまま望遠鏡の調整をしていたせいで、夫は気管支炎の発作を起こし、1888年の初めには、深刻な病状になっていました。医者によって心臓の具合が悪いことも見つかり、それでも二人でちょっと散歩に出たり、ごく短い時間、田園まで馬車で出かけることはありましたが、夫の健康がすっかりだめになっていることが分かるのに、時間はかかりませんでした。」
夫婦で仲良く天体観測に励んだ様子が、何ともほほえましい。
ゴスは天文学に関しては完全に素人でしたから、上のこと(=夫婦で仲良く)は、当時の一般的なアマチュア天文ライフの一端を物語るものとも言えそうです。おそらく、この時期、天体観測は一般の女性も参画できる趣味として、徐々に認知されてきたのでしょう。
ゴスが天文趣味に目覚めた1862年というタイミングも興味深いです。
これはちょうどウォード夫人の『望遠鏡指南』(1859)が出て、好評を博していた時期にあたります。一般的に、この頃から天文趣味の裾野がぐんぐん広がり始めたので、ゴスもその波に乗った形です。かつての啓発家が反対に啓発されたわけで、当時の天文趣味の勢いを物語る話ではあります。
★
「数限りない創造の驚異は、何の補助具もない肉眼では見えずとも、顕微鏡の助けを借りれば十分視野に入ってくる。その驚異へと至る小道を切り開くことこそ、本書の目的であり、その取り扱う内容である。
すべての目に見える事物において、神の力と智慧の顕現は偉大かつ華麗であるが、同様にこれらの栄光は、さらに予想もつかないほどの広がりを見せており、ただ光学機器製作者の技術がそれを明らかにするまでは、打ち捨てられ、見過ごされてきたのだと断じても差し支えあるまい。
まるで東洋の伝説に出てくる強力な魔神の所業のように、この真鍮の筒こそは、それまで見えなかった驚異と美に満ちた世界への錠を開ける鍵であり、それを一目見た者は、決してそれを忘れることはないし、感嘆の言葉が尽きることもないだろう。」
ゴスが、まだ天文趣味に目覚める前の1859年に著した『顕微鏡とともに過ごす夕べ Evenings at the Microscope』の序文の一節です(1896年のアメリカ版から訳出しました)。ゴス自身が、天体観測について何か本を書いた話は聞きませんが、上の文中の「顕微鏡」を「望遠鏡」に置きかえれば、彼が天文趣味に何を求めていたかは明らかです。
ゴスが使った機材や、その天文活動の詳細は不明ですが、「魔法の筒」を駆使して、博物学と天文学に熱狂した、もう1つの実例として、ここではゴスに注目してみました。
(↑過度に装飾的なヴィクトリア時代のプレパラート。
背景はゴスの『顕微鏡とともに過ごす夕べ』、1896)
★
さて、ここまで書いてきて、ふと思ったのですが、天文趣味と他の興味関心―博物学でも、古物趣味でもいいですが―を両立させた人を挙げるとなると、賢治も、足穂も、抱影もそうですし、さらに言えば、アリストテレスも、ニュートンも、フックも、ハーシェルも…となって、話が終わらなくなります。
以下は、改めて話のポイントをしぼって、驚異の部屋への志向性と天文趣味が併存した例に内容を限定することにします。
ちなみに、古物の陳列室や「珍品のつまったキャビネット」を自慢したジョン・リーはその資格十分です。ウォード夫人やゴスの場合も、博物標本や採集・観察用具が山積した様は、きっと現代の目からすれば十分「驚異の部屋」的香気を放ったことでしょう。
次回は少し毛色の変わった例を見ることにします。
(このシリーズは少し間を開けてさらに続きます。なお、「ジョバンニが見た世界」も、画像の準備ができたら再開の予定です。)
ゆったりとした天文趣味の話(2)…ウォード夫人・前編 ― 2012年01月04日 22時50分11秒
三が日も幻のごとく消え去りました。
2012年もすでに1%が経過し、残り99%を切ったわけです。まことに無常迅速。
2012年もすでに1%が経過し、残り99%を切ったわけです。まことに無常迅速。
★
さて、話の続き。
元旦に書いたように、この「天文古玩」も近ごろ天文専一というわけにいかず、博物趣味やヴンダー趣味の台頭が著しいです。それはそれで「有り」だと思いますが、とりあえずこの辺で、そういう様々な領域を綜合し、止揚したい気がします。
そのために、前回はジョン・リーの生活スタイルを例に挙げました。彼の場合は、天文学と人文学―あるいは尚古趣味―の調和がテーマでしたが、今日は天文学と博物学をともに終世追求した人として、アイルランドのメアリー・ウォード(1827-1869)をとりあげます。
彼女は、一般に「ウォード夫人(Mrs. Ward)」の名で知られ、著書もその名で上梓しています。アイルランドのバー城に口径100インチの怪物望遠鏡を建設した、ロス伯爵(1800-1867)の従妹にあたる…と聞けば、その生活背景や、知的環境がただちに想像されます。実際、彼女は少女時代にロス伯の望遠鏡を繰り返し覗いた経験があり、バー城を訪れた高名な天文家にも、その知識と才能は深い感銘を与えました。
(メアリー・ウォード、1860年ごろ。ロス伯爵夫人による撮影。伯爵夫人は夫に負けず進取の気性に富み、女流写真家のはしりでした。出典:D.H.Dvidson, Impressions of an Irish Countess, The Birr Scientific Heritage Foundation, 1989)
「しかしながら、天文学は彼女の唯一の関心ではなかった。いや、その第一の関心ですらなかった。彼女の大のお気に入りは昆虫学だった。彼女は熟練した博物学者となり、また植物学や生物学の標本収集家となった。
彼女は〔デイビッド・〕ブリュースター推奨の一台の顕微鏡を所有し、自らの手で美しいプレパラート標本を作り、そして自然界の繊細なスケッチを描いた。
何人も子供がいる家庭を監督しながら、生物学や昆虫学をテーマにした本を著わす時間を見つけ出し、ついには名著・『顕微鏡指南Microscope Teachings』(1864)(後に『顕微鏡 Microscope』と改題)を出したが、この本は何千部も売れた。天文学をテーマにした類書、『望遠鏡 The Telescope』(最初は『望遠鏡指南 Telescope Teachings』の書名で1859年に刊行された)も、同様の成功をおさめ、これまた何度も版を重ねた。」
(Mary Brück 著、『Women in Early British and Irish Astronomy』(2009, Springer), p.97)
(『顕微鏡指南』(1864)。表紙を飾る顕微鏡は、ウォード夫人の愛機。)
(同書に収められた、彼女の手になるスケッチ。)
(この項つづく)
(この項つづく)
千年の古都で、博物ヴンダー散歩…島津創業記念館(2) ― 2011年10月22日 16時49分37秒
観光地然とした高瀬川のほとりに、記念館はあります。
中に入るとすぐに照度を落とした、怪しい科学の部屋のムードが漂います。
X線装置「ダイアナ号」(大正7年)の操作盤。大正科学の面構え。
現存する国内最古の顕微鏡(天明元年=1781製造)。
古いステンドガラスの明かりを横目に
コツコツと2階に上がっていくと…
愛らしい科学教材がずらり。明治期の島津の製品群です。
展示は原則として時代順になっているのですが、明治時代の展示室には、特に「芸術的・玩具的な理化学器械」というコーナーがあります。言い得て妙ですね。
そこにあった品。「昼夜の長短説明器」だそうです。
豆人形の先生と生徒が、空を見上げてその説明の真っ最中。これを囲んで、実際の先生と生徒がまた説明を行うのですから、なんだかややこしい話です。
それにしても何と愛らしい教具でしょうか!
(この項つづく)
足穂の里へ(8)…番外編・天文科学館(前編) ― 2011年09月14日 21時37分25秒
さて、記事の間隔が開きましたが、おもむろに天文科学館へと向かいます。
天文科学館は昭和35年(1960)にできた施設で、昨年50周年を迎えたところです。
同館の公式サイト(http://www.am12.jp/)によれば、当初はここに国立天文博物館を誘致する計画があったそうですが、宇宙開発ブームの追い風を受けて、市民もだいぶ盛り上がったらしく、結果的に市単独の施設としてオープンすることになりました。
同館の公式サイト(http://www.am12.jp/)によれば、当初はここに国立天文博物館を誘致する計画があったそうですが、宇宙開発ブームの追い風を受けて、市民もだいぶ盛り上がったらしく、結果的に市単独の施設としてオープンすることになりました。
そんなわけで、ここは明石時代の足穂とは直接関係ありませんが、明石に来た以上、ここを素通りするわけにはいきません。ここは足穂を離れて、自由に見学させてもらうことにします。
訪問する前は、なんとなく昭和3~40年代の匂いのする施設を想像していたのですが、50周年を期に全面リニューアルをしたばかりということで、予想とは違って平成の匂いがしました。子どもたちを中心にお客さんも多く、まだまだ元気いっぱいの科学館の姿を見ることができました。
★
これは!! 忘れていた友にふと出会った気分。
昨年、神戸の金星台を訪問した記事の中で、この子午儀については触れました。
昨年、神戸の金星台を訪問した記事の中で、この子午儀については触れました。
運のいいことに、臨時の展示で、その際の一件記録も見られました。
★
明石は「日本標準時のまち」が売り物ですから、天文学の展示に加えて、「時(とき)」に関する展示に力を入れているようです。
(↑時刻の決定とは切っても切れぬ関係の、星の南中を観測するクラシカルな機器類。)
★
天文学史のコーナーには、ハーシェルの業績を示すキャビネットが置かれていました。
(↑ハーシェル作、40フィート大望遠鏡の精巧な模型。)
ハーシェルの扱いが大きいのは、個人的に嬉しかったです。
(なんとなくダラダラ続く)
天文古玩・再考(6)…天体望遠鏡メモ(2) ― 2011年04月29日 08時16分10秒
(photo by TOKO氏)
今日はメモの続きで、「アンティーク望遠鏡を知る」という内容。
まず真っ先に思い浮かぶのは、アメリカを中心に会員を擁する、Antique Telescope Society のサイトです(http://www.webari.com/oldscope/)。ここは相当ディープな会のようですが、残念ながら、サイトのコンテンツは必ずしも充実しているとは言えません。ライス大学との共同事業として、壮大なプランで建設が始まった「ヴァーチャル・ミュージアム」(http://www.polarisinteractive.com/vmht/)も、残念ながら工事が途中で止まってしまっています。
アンティーク望遠鏡の基礎知識ということなら、既出ですが、以下のサイトがよくまとまっています。17世紀から20世紀に至るまで、時代ごとの望遠鏡の相貌を一望できますし、これまで話題にした、スパイグラスやフェイク製品についての情報もあり、参考になります。
身近なところで、日本にも古い天体望遠鏡にのめりこんでいる方は、少なくありません。以下はその代表格、ガラクマさんのサイト。その掲示板では、毎日活発な情報交換が行われています。
ガラクマさんは、ご自身の収集対象を「古スコ」と呼ばれていますが、ここで話題になっているのは、より一般的には「ヴィンテージ望遠鏡」と呼ばれるものかなと思います。
ちょっと話題がそれますが、「ヴィンテージ」と「アンティーク」の使い分けについては、以前話題にしたことがあります。上記のAntique Telescope Society が中心になって運営しているメーリングリスト上の議論を、適当訳したのが以下の記事。
■古玩談義~アンティークとは何か(5)、(6)
http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/11/12/1905570
http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/11/14/1909658
※上記は「アンティークとは何か(1)~(4)」に続く、議論の結論部分です。
江戸時代の岩橋善兵衛とかを除けば、日本における天体望遠鏡の製造は、大正時代の後半に始まったので、「100年以上古い物をアンティークという」という通説に従えば、日本生まれのアンティーク望遠鏡は事実上ないことになります。しかし、望遠鏡に関しては、「第2次大戦前に作られた製品を全てアンティークと呼んで差支えない」という説も有力なので、“古スコ談義”にはアンティーク望遠鏡も一部登場しています。
とはいえ、その登場の機会が少ないのは、やはり戦前の望遠鏡がきわめて希少だからでしょう。「この望遠鏡の値段で、当時は家が一軒買えた」云々という話を時折耳にします。まあ、戦前にも「子供向け望遠鏡」のマーケットはあって、全部が全部高かったわけでもありませんが、生産量が格段に少なかったことは確かだと思います。望遠鏡を含む光学製品は、戦後日本の花形輸出品目で、その生産量は膨大ですが、戦前は状況が全く違ったことに留意する必要があります。
★
なんだか内容が中途半端で、まとまりませんが、アンティーク望遠鏡を語るには、まだまだ全く経験が足りません。とりあえず望遠鏡の件はこれぐらいにして、次の話題に進むことにします。
天文古玩・再考(5)…天体望遠鏡メモ(1) ― 2011年04月27日 05時50分08秒
(↑名匠・シムズが書いた『アクロマート望遠鏡と各種架台』(1852)より。Willam Simms, The Achromatic Telescope and its Various Mountings. Troughton and Simms, London, 1852)
★
アンティーク望遠鏡好きの方のために、少し実際的なことを書こうかと思ったのですが、冷静に考えたら、蘊蓄を語るほどの知識もないので、以下は個人的なメモです。
アンティーク望遠鏡に関する知識とモノを、どうやって手に入れるか?
これはある意味簡単で、ある意味難しい問いです。
情報は、本にしろ、ネットにしろ、探せばいろいろあります。
入手法だって、ネットオークションをこまめに見ろと言えば、それまでです。
しかし、本当に有用な情報は少ないし、具体的な「ノウハウ」になると皆無に近いと思います。これは情報の探索範囲を英語圏にまで広げても同じことです。
これが顕微鏡なら、話は別です。
アンティーク顕微鏡コレクターというのは、昔から沢山いて、ずばり、『Collecting Microscopes』 というハウツー本が出ていたりします(巻末には、この本が出た1981年当時の相場表が載っています)。
しかし、サンダーソンさんも言うように、アンティーク望遠鏡は一層レアであり、高い。
そのため収集行為自体が成り立ちにくく、スタンダードなハウツーが確立するには至らないのでしょう。 (相手が高価でも、美術品なんかは、それ自体が「愛でる」対象なので、蒐集家も多く、マーケットとして成立しますが、望遠鏡それ自体を愛でようという奇特な人は少ない。そもそも天文ファンが愛でるのは望遠鏡ではなく、天体だというのが、健全な姿でしょうし…。)
理系アンティークを扱う海外の専門店ならば、大抵アンティーク望遠鏡も置いていると思います。しかし、その数は1つとか2つとか、せいぜい3つぐらいで、ズラッと在庫を抱えているような店は無いと思います。ですから、いろいろ見比べて相場を知るというのも、なかなか難しいですね。その意味でも、ネットオークションは貴重な場だと思います。
あえて単純化すれば、アマチュア用のポータブル機材ならば10万円単位の世界で、100万円単位にはならないと思います(もちろん例外はあるでしょう)。
スペックを度外視して、単純に値段だけで言えば、現行の中~上級アマチュア向け機材と同じレベル。ですから、「高い」と言っても、ある程度限定的ですね。やたらに需要があるわけでもないので、価格が天井知らずになることもない代わりに、お金を出せばいつでも買えるわけではない…そんな概況でしょうか。
なお、急いで付け加えると、ここでいう「望遠鏡」は、「天体望遠鏡」限定です。
天体望遠鏡ではない望遠鏡、いわゆる「遠眼鏡」は大量に出回っています。英語で言うところの「スパイグラス」、つまり映画の海賊が持っているような、三段伸縮式の手持ち望遠鏡の類ですね。これにも、アンティークに似せたフェイク商品が売られていますが、それを除外しても、なおかつ十分な量の品が流通しているので、見つけるのは容易であり、価格もリーズナブルです。
(この項つづく)

































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