へびつかい些談(4)2025年01月04日 08時35分01秒

(前回のつづき。今日は2連投です)

では、「蛇遣い=アスクレピオス」説が、最初に登場するのはいつか?

これまた英語版wikipediaを参照すると、ローマ時代のヒュギヌス作とされる『アストロノミカ』(AD2世紀)に、その記述があるといいます。同書はポエティコン・アストロノミコン』の名でも知られますが、 Mark Livingston によるその英訳本(1985)がネットに挙がっていたので【LINK】、それを見てみます。

(ヒュギヌス『ポエティコン・アストロノミコン』、1549年バーゼル版より)

英訳本だと、45頁から48頁にかけて、へびつかい座についての記述があり、あの蛇遣いはいったい誰なのか、諸説が開陳されています。曰く、あれは奸計によって善竜を殺したトラキアの王カルナボンの姿である。曰く、あれはリュディアで大蛇を退治したヘラクレスである。曰く、テッサリアの悪王トリオパスである。いや、トリオパスの息子、英雄ポルバスである…と諸説紛々の中、最後の方に「多くの天文学者は、あれがアスクレピオスだと信じている」と、ようやくお馴染みの説が出てきます。

(Giovanni Cinico による星座図(部分)。羊皮紙に彩飾、1469年、ナポリ。出典:George S. Snyder, MAPS OF THE HEAVENS. Abbeville Press, 1984)

   ★

ここでウィキペディアを離れて、昨年11月に邦訳が出たばかりのマニリウス(マーニーリウス)『アストロノミカ』(竹下哲文訳、講談社学術文庫)を開いてみます。『アストロノミカ』は、AD1世紀に成立した占星術の古典です。

「大きな蜷局(とぐろ)と捩(よじ)った身体で身体に巻きつく蛇を
引き離しているのは、蛇使いと呼ばれる者。
そうして彼は、輪をなして屈曲する胴のもつれを解こうとする。
しかし、蛇はしなやかな頸を反らして振り返り、
緩めた蜷局で掌を受け流して戻ってくる。
両者の力が拮抗しているため、この戦いはいつまでも続くだろう。」

ここにもアスクレピオスの影はなく、むしろ両者は互いに力を尽くして戦っているというのですから、こうなると蛇を悠々と使役するどころの話ではありません。紀元後のローマ世界でも、「蛇遣い=アスクレピオス」は決して自明のことではありませんでした。

   ★

これまでのところを整理すると、古代ギリシャ時代、少なくとも『ファイノメナ』が書かれた紀元前3世紀頃には、既にへびつかい座は空にあったわけですが、その頃はへびつかい座とアスクレピオスの物語は、まだ明瞭に結びついていなかったか、アスクレピオス信仰の強い土地で語られる地方伝承に過ぎず、汎ギリシャ的な共通理解には至ってなかったのではないか…と想像されるのです。「蛇遣い=アスクレピオス」の物語は、その後時間をかけて徐々に整えられ、人口に膾炙したものと思います。

これはへびつかい座に限らず、他の星座神話だって深掘りすれば異説も多いでしょうし、そもそも大元のギリシャ神話が異説だらけなので、プラネタリウムで語られる星座物語を、何か輪郭のかっちり定まったものと考えると、間違うことも多いだろうなあと、改めて思いました。

   ★

ところで、素人考えに屋上屋を架して恐縮ですが、ローマ時代以降「蛇遣い=アスクレピオス」説が力を得たのは、アスクレピオスとローマの固い結びつきによるのかもしれんなあ…とも思いました。これは紀元前後の人であるオウィディウス『変身物語』に出てくるアスクレピオスの物語を読んで、ぼんやり感じたことです。

それは遠い神話時代の物語ではなく、もっと後の話です。
ラティウムの地(イタリア半島中部)に疫病が流行ったとき、ローマ人がエピダウロスからアスクレピオス神を勧請したことがあったのだそうです。ローマを救うためアスクレピオスは大蛇の姿に身を変え、故地・エピダウロスを後にし、イタリア船で威風堂々と進む姿を、オウィディウスは感動的に描いています。以下、中村善也訳 『変身物語(下)』(岩波文庫)より。

 「女も、男も、あらゆるひとびとが、彼を迎えるために、ほうぼうからここへ駆けつけた。トロイアから迎えたウェスタ女神の、その聖火を守る巫女たちも、そのなかにいる。みんなが、歓呼の声をあげて神にあいさつする。快速の船がさかのぼってゆく河の、その両岸には、つぎつぎに祭壇が設けられていて、香がぱちぱちと音をたて、かぐわしい煙であたりをつつんでいた。〔…〕

 はやくも、船は、世界の首府であるローマの都へはいっていた。蛇は、高く背伸びをすると、マストのてっぺんに頸をもたせかけ、それを動かしながら、住むのに適した場所を求めてあたりを見回した。

 〔…〕アポロンの子である蛇は、ローマ人の船を出ると、この島へやって来た。そして、本来の神の姿にもどって、厄災を終わらせた。この神の到来が、都を救ったのだ。」

アスクレピオスはギリシャ生まれの神様ですが、同時にローマを救った英雄にして「おらが神様」でもあり、ローマ人にとって蛇とアスクレピオスは一体不可分でしたから、「あにその雄姿、天空になかるべけんや!」というわけで、空に浮かぶ蛇遣いにアスクレピオスを重ねることは、ローマ人にとっていちばんしっくり来る解釈だったんじゃないでしょうか。

(この項つづく。次回完結予定)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック