年末はきのこ2024年12月31日 11時14分57秒

年を経るごとにだんだんいい加減になってきているものの、年の暮れともなれば、やっぱり大掃除をしないと落ち着きません。というか、「大掃除のときにやろう」と先送りしていた課題が山積みで、いよいよやらざるを得ないというのが実情です。

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とはいえ、忙中おのずから閑あり。
大掃除の合間に、師走の町でのんびり古本を探す折もあります。最近、動植物などの博物系の本を買うことが少なかったですが、のんびり気分にはのんびりした本がいいと思って、一冊のキノコの本を買いました。


『岡山県菌類方言図譜』
和本仕立てで、それだけでものんびりした感じですが、中身がまた「ガリ版手彩色」という素朴な印刷で、一層のんびり感を掻き立てます。


本書はその名の通り、岡山県内における、各種キノコの地方的呼称を図入りで類纂したものです。図は原則としてすべて実物大、そこに淡彩を施し、きのこの名称を添えていますが、昔は食用キノコにしても、村々の狭い生活圏の中で流通が完結していたのか、岡山県の中でも、その名称は実に多様です。上の右図では、「マツタケモドキ(赤磐郡葛富村)」、「シバタケ(岡山市)」、「オバサン、マッタケノオバサン(久米郡加美村)」という4つの名を挙げています。

上の図は堂々とした、いかにも人目につきやすいキノコですが、


村人たちは、このように地味なキノコにも目を留めて、名を与えていました。ただ、和気郡伊里(いり)村の人は、いずれも「モトヨセダケ(モトヨセタケ)」と同じ名で呼んでいたものの、これはどうみても違う種類だろう…ということで、著者は別図で紹介しています(他にも同名異種のものがいくつかあって、これらもすべて別図に描かれています)。

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さて、本書の書誌と成立事情です。


奥付を見ると、発行は昭和8年(1933)12月、著作者は桂又三郎、発行・印刷所は中国民俗学会となっています。住所は同じなので、同学会を主宰していたのが桂又三郎であり、その自宅に事務局を置いていたのでしょう。

桂又三郎(1901—1986)は、国会図書館のデータベースによると、昭和初年から岡山県の方言と民俗に関する著作を次々と発表し、当初はもっぱら岡山県の郷土史家として活動していましたが、その後、備前焼の研究に進み、戦後は備前焼をはじめとする古陶研究家として知られた人です。

(ワタリウム美術館(編)・萩原博光(解説)『南方熊楠菌類図譜』新潮社、2007)

民俗学と菌類といえば南方熊楠(1867—1941)を連想する方も多いでしょうが、桂もまた熊楠同様マルチな人で、『岡山県菌類方言図譜』も、彼のマルチな関心の中で生まれた著作なのだと思います。

(本書所収のキノコの図はすべて著者が実物からスケッチしたもので、一部は断面図を付しています)

ただ、熊楠ほど桂の関心は菌類そのものに向かわなかったようで、その記載が生物学的に不十分なのは惜しまれます(序文には「学名或は標準和名を附すべきであるが、之は専門家の鑑定によらざれば危険なるため、後日別冊として提供することにした」という断り書きがあります)。

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それにしても、本書を手にし、桂のような人の存在を知ると、戦前の民俗学―すなわち柳田国男(1875-1962)がいうところの「郷土研究」が、地方の有為な人々をどれほど魅了し、いかに多くの知的エネルギーがそこに注ぎ込まれたか、改めて実感されます。野尻抱影(1885-1977)の星の和名採集が、短期間であれほどの成果を挙げたのも、当時の郷土研究熱なくしては考えられません。


序文には「和気郡伊里村の資料は全部正宗敦夫先生の厚意によるものである」とあります。正宗敦夫(1881-1958)は、作家・正宗白鳥の実弟で、国文学者・歌人として知られた人ですが、この頃はやっぱり民俗熱に当てられていたのでしょうか。

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本書は1種=1図=1頁の構成で、全60図を収めています。
それらを1枚1枚眺めていると、やっぱりのんびりした気がします。



なんとなく江戸時代の本草書を見ているようで、そこがまた実にいいと思いました。

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