A Holy Night of Chocolate2024年12月25日 09時27分49秒

1855年にフランス人、André Mauxion(1830-1905)がドイツで興したチョコレートの老舗、Mauxion社。他社に吸収合併された今も、ブランド名として生き残っています。社名としてはドイツ風に「マウクシオン」と読むのだと思いますが、下はそのマウクシオン社の広告(1925年)。

(シートサイズは25.5×20.5cm)

Mauxion wünscht fröhliche weihnachten!
マウクシオンから良いクリスマスを!

キューピッド風の少女を引き連れ、チョコを配り歩く細身の麗人天使。
空には三日月と星、そして一筋の尾を引いて飛ぶ彗星が見えます。
冴え返った夜の気配を伝える、洒落た広告ですね。


この彗星の頭部は、西洋の城塔を模した同社のロゴで、これは創業家から経営を引き継いだエルンスト・ヒューター(Ernst Hüther)の頭文字、EとHの組み合わせだそうです。

   ★

この広告が出た前後、大戦間期のマウクシオン社は、高級チョコのブランドイメージ確立のため、広告戦略に力を入れており、世間の評判を呼ぶ広告を次々と発表していました。日本で言えば、後のサントリーや資生堂みたいな感じだったのでしょう。商業主義というと一寸浅薄な感じもしますが、その背景には平和な世と豊かな市民生活があったわけですから、必ずしも悪いことではありません。そして才能あるクリエイターにとっても良い時代だったと思います。

   ★

日本を振り返れば、稲垣足穂がまさに彗星のごとく現れた時代で、『一千一秒物語』(1923)、『星を売る店』(1926)、『第三半球物語』(1927)、『天体嗜好症』(1928)を立て続けに出した時期にあたります。

私がこの広告に惹かれた理由も、これがまさにタルホチックだからで、足穂の作品世界と、この広告の時代感覚は、必ずどこかでつながっている気がします。


コメント

_ S.U ― 2024年12月25日 17時31分57秒

子どもも日本風のキュービーちゃんみたいですね。
 資生堂への喩えで、太宰治が「皮膚と心」でモデルにしたという資生堂のデザイナーを思い出して調べましたら、山名文夫の入社は1929年でこの広告と案外近い年代でした。当時の日本は世界の風潮に敏感だったのですね。この太宰の短編はなんということはないほっとするだけの作品に思いますが、太宰ももう少しだけ早く生まれて、せめて足穂と同じ年代だったらずっと幸せな青年時代を過ごしたかもしれなかったと思います。

_ 玉青 ― 2024年12月26日 06時03分07秒

これはありがとうございます。何か見えたものがあります。
山名文夫とマウクシオン社の共通項は「アールデコ」。そこに足穂を絡めると、「足穂とアールデコ」という、これまであまり注目されてこなかった論点が浮かび上がりますね。そこには「神戸とアールデコ」という観点も必要ですし、いろいろ話はふくらみそうです。ちょっと私の手には余りますけれど、上手に論じればきっと成果はあるでしょう。

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