閑語…情報戦の果てに2024年11月18日 19時34分24秒

今朝に続いて無駄ごとを述べます。

戦国時代を舞台にしたドラマを見ると、「らっぱ」とか「すっぱ」とか呼ばれたリアル忍者を敵の領国に送り込み、根も葉もない噂を流して、敵にダメージを与える謀略の場面が出てきます。戦国時代のことは知らず、風雲急を告げる幕末には、薩摩藩がいろんな怪文書をまいて、情報の攪乱と人心の動揺を画策したと聞きます。近代戦でも情宣活動は重要な柱ですから、旧日本軍の特務機関も大陸で相当暗躍していた形跡があります。

あるいは、特にそんな工作をしなくても、大正震災における朝鮮人虐殺の惨劇のように、人は容易に流言飛語に乗せられ、軽挙妄動に走りがちで、そういう人間の性質を熟知した者の手にかかれば、コロッと行ってしまう怖さが常にあります。

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人間とは<情報>を欲する存在だ…と、つくづく思います。
そして多くの場合、情報のvalidityは不問に付され、「そういう情報がある」という事実が何より人を動かすもののようです。そうなると、初手から騙す気満々で来る相手には、情報の受け手側は分が悪く、無防備な人がそれに騙されるのはやむを得ないともいえます。


そんなわけで、今回の選挙でも、「兵庫の人はいったい何をしてるんだ」と責めるのは、いささか酷で、公正に見れば、騙されるよりも、騙す方が格段にタチが悪いし、そういう手合いにはそれなりの接し方をせねばなるまい…なんていう無粋なことを、趣味のブログに書かねばならぬことを遺憾に思います。

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さはさりながら、「天網恢々」、徒に妄言を振りまく人間の末路をこそ見定むべけれ。

コメント

_ S.U ― 2024年11月19日 09時18分38秒

私が昔聞いた心理学の学説と実験調査なのですが、人間はその性質として、情報自体は覚えていても、情報ソースというのを先に忘れてしまうらしいですね。
 それで、何が起こるかというと、真実かどうかわからない情報を始めに聞いたときは、そのソースを見て「これは信用できる」とか「ちょっと怪しい」とか「相当怪しい」とか思うんだそうです。でも、一定の時間が経つとその情報ソースが何か忘れてしまって、どの程度怪しいと判断したかも忘れてしまい、そういう情報があったことだけが頭に残るのだそうです。

 これを敷衍すると、選挙のように短い期間でも、あちこちのソースからいろんな情報が入ってくると自分の行った判断というのは完全にウヤムヤになってしまいそうです。本当は、あるAという情報があれば、その情報源をA1,A2,A3・・・とリストして、A1以下のすべての傾向を分析すべきなのですが、普通はそんな記録はしないので、Aだけが残るということなのでしょう。A1以下の中に一つでも絶対に信用できるソースがあればそれで問題ない(多くの事件報道の場合はそうなっている)のですが、選挙ではそうでない場合もあり、また、信用できるソースも選挙期間中は報道を避けることもありますので、それで人々はソースがわからなくなり、Aがあったと思ってしまうのだと思います。

_ 玉青 ― 2024年11月21日 19時04分11秒


ありがとうございます。
S.Uさんは、私が言いたかったことをこの上なく的確にまとめてくださいました。私が言いたかったのはまさにその点です。その上さらに恐ろしいのは、よそから聞いた話が、そのソースが忘れられると、あたかも自分自身で考えたことのように思えてくることです。

これらのことは大昔、個人の接しうる情報が少なく、欺瞞という行為が横行していなかった時代ならば、それで問題なかったのでしょうが、今のような時代ではまったくダメで、人間の情報処理能力を代替・補完するツール(要はAIでしょうか)が強く求められます。何だかディストピア的展開だなあと思いますが、我々の進化は、否応なくそいういう方向に進みつつあるように見えます。

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