西の方より黒雲生ず ― 2024年11月18日 07時02分39秒
(海洋気象台(神戸)編 『雲級図』 (大正11年)より 「乱雲 Nimbus」 ※)
晴々とした気持ちで――いかにも晴々とした画像まで貼りつけて――、“さあ新たな一歩を”みたいなことを書きましたが、とたんに心に雲がかかる出来事がありました。ほかでもない兵庫県知事選挙のことです。
私にとっての兵庫は、憧れの神戸の街と足穂のふるさと明石に代表されるのですが、そんな素敵な町に暮らす人々が、なぜわざわざ悪事を好むよこしまな人間を知事に戴こうとするのか? 既得権益に斬り込む…と口で勇ましいことを言いながら、その実、彼を取り巻くそれこそ「権益」に群がる有象無象が、強力な選挙戦を仕掛けたとも側聞しますが、まことに心胆を寒からしめる光景です。
公益通報制度をないがしろにし、人を死に追いやり、パワハラ行為を繰り返し指弾され、最終的に議会でその任を解かれた人物が、何の反省もないまま(もちろん反省がないから立候補したのでしょう)、それでも再選されてしまうという、この常識の底の抜け方には言うべき言葉がありません。
しかし、「兵庫の人はいったいどうしてしまったんだ?阿呆やなあ」と、傍で言っていれば済む問題なのか、実は同じことが今や日本中で起きる可能性があるのではないか…と考えると、そのことが一層心を曇らせます。
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先日の衆院選では野党が躍進し、自公政権にNoを突き付けました。そのことで、「国民の理性はまだ健全なのか」と安堵したのは事実ですが、しかし改めて考えると、今回の「斎藤現象」とその根っこは同じなのかもしれません。
すなわち、それは理性とは縁遠い、単なる「現状変革願望」に過ぎず、カーゴ・カルト的心性や、「ええじゃないか」の狂騒に近いものではないか…そう思うと、心に雲がどんどん湧いてきて、黒雲鉄火を降らしつつ、数千騎の鬼神が暴れまわる様が眼前に浮かんでくるのです。まさに末法の世なる哉。
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この場に足穂氏がいたら、今回の件を何と評したか?
「またえらいケッタイな花火が上がりよったな。まあ100年経っても、魔法を使える人間がおるゆうんなら、おもろいやないか」とでも言って、自若としているかもしれませんが、しかし、それにしたって…と思います。
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(※)この雲級図は、昔記事にしたことがあります。
■雲をつかむような話(1)
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