ある星座切手が秘めた主張 ― 2024年11月02日 08時49分36秒
10月は「他愛ないものを買う月間」でした。
お尻を叩く絵葉書もそうだし、下の切手シートもそうです。
値段は送料込みで数百円。そのわりにずいぶんきれいな切手です。
元絵は、ローマの北50kmに位置するカプラローラの町にあるファルネーゼ宮(パラッツォ・ファルネーゼ)に描かれた天井画です。絵の作者はジョヴァンニ・デ・ヴェッキ(Giovanni de' Vecchi、1536–1614)。
(五角形をしたファルネーゼ宮。撮影:Fábio Antoniazzi Arnoni)
「ファルネーゼ」と聞くと、現存する最古の天球儀をかついだアトラス神像、「ファルネーゼ・アトラス」【LINK】を思い出しますが、このファルネーゼ宮こそ、かつてアトラス像が置かれていた、アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿(Alessandro Farnese、1520-1589)の邸宅にほかなりません。
ファルネーゼ宮の中には、「世界地図の間(Sala del Mappamondo)」と呼ばれる部屋があって、四方の壁には世界地図が、そして天井にはこの星座絵が描かれているというわけです。
ファルネーゼ枢機卿が、星の世界にどこまで心を惹かれていたかは分かりませんが、彼は古代ローマ彫刻の大コレクターだったらしく、ギリシャ・ローマの異教的伝統に連なる、星座神話の世界に関心を示したとしても不思議ではありません。いずれにしても、ここが天文趣味と縁浅からぬ場所であることは確かでしょう。
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豪華絢爛な邸宅からチープな切手に話を戻します。
この切手は1986年のハレー彗星接近と、その国際観測協力を記念して発行されました。
4枚の切手の隅には、VEGA(ソ連)、PLANET-A(日本;日本での愛称は「すいせい」)、GIOTTO(欧州宇宙機関)の各探査機の姿が印刷されています。当時、ほかにも多くの探査機がハレー彗星に向かって打ち上げられ、「ハレー艦隊」と呼ばれました。
この切手は南太平洋の島国ニウエ(Niue)が発行したものです。
…と言いながら、私は恥ずかしながらニウエという国を知りませんでした。イギリス国王を元首とする立憲君主制の国だそうです。国連に正式加盟はしていませんが、日本は国家として承認している由。2022年現在の人口は1681人で、バチカン市国に次いで世界で2番目に人口の少ない国だ…とウィキペディアに書かれています。切手が外貨獲得の手段であるのは、小国にありがちなことで、この切手もそのためのものでしょう。
(絶海の孤島、ニウエ)
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私は最初、「たしかに美しい切手だけれど、このデザインはハレー彗星と関係ないし、他所から星にちなむ絵をパクってきただけじゃないの?」とも思いました。でも、それは私の浅慮で、ここにも切手デザイナーの深い配慮は働いていたのです。
(世界地図の間・天井画 https://www.wga.hu/html_m/v/vecchi/2mappa1.html)
そう、切手化するにあたり、元絵が鏡像反転されているのです。
ファルネーゼ宮の元絵は、天球儀の星座絵と同様、地上から見た星の配列とは反対向きに描かれているのですが、切手の方はそれを再度反転させて、地上から見たままの姿になっています。
これは切手の方に文句なしに理があると思います。
何せ天井画なのですから、実際に星空を見上げた時と同じ姿になっていないと変だし、天井に描いた意味がないと思います(実際、フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂や、サンタ・クローチェ教会の天井に描かれた、15世紀の星座絵は地上から見た姿で描かれています)。
…というわけで、たしかにハレー彗星とはあんまり関係ないにしろ、一見安易なこの切手にも、ある種の「主張」があり、そこに小国の気概みたいなものを感じました。
コメント
_ S.U ― 2024年11月03日 09時21分16秒
_ 玉青 ― 2024年11月04日 11時47分24秒
おお!ニウエおそるべし。これは油断がならない感じですね。
(ご指摘の通り、右上の1枚はソ連のVEGAです。)
(ご指摘の通り、右上の1枚はソ連のVEGAです。)
_ S.U ― 2024年11月04日 18時53分04秒
その後、さらに気がついたのですが、欧州の探査機名のGIOTTOも、ジョヴァンニ・デ・ヴェッキと同様、イタリア・ルネサンスの画家なのでした。ジオットは前期でジョヴァンニは後期なので、だいぶ時代は違いますが、思うに、ニウエの切手デザイナーは、VEGA、GIOTTOと聞いて、これは、イタリア・ルネサンスの画家の描いた星座絵を探さなければと思ったのかもしれません。
と、ここまで来ると、日本のPLANET-Aも何らかの連想を及ぼしていないか一応考えてみないといけませんね。何もないとは思いますが。
と、ここまで来ると、日本のPLANET-Aも何らかの連想を及ぼしていないか一応考えてみないといけませんね。何もないとは思いますが。
_ S.U ― 2024年11月04日 19時18分38秒
ジオットは、私は初期ルネサンスと聞いたような気がしますが、どうやら後期ゴシック(中世)に分類されているようです。ルネサンスへの道を拓いた人であるという評価はまちがいないようなので、そのへんは大目に見てください。
_ 玉青 ― 2024年11月07日 05時55分44秒
まこと、1枚の切手シートからも謎解きの楽しみは尽きませんね。
今回はだいぶコストパフォーマンスが良かったです(笑)。
今回はだいぶコストパフォーマンスが良かったです(笑)。
_ S.U ― 2024年11月07日 07時12分17秒
日本のPLANET-Aとの関係も調べてみました。VEGAが恒星、GIOTTOがイタリアの画家なら、PLANET-Aは時代と旅かな、ということで、ファルネーゼ枢機卿の時代の日本との関わりに注目しますと、天正少年遣欧使節が、1585年3月にカプラローラのファルネーゼ宮の地図の間に招待されたことになっているようです。画が描かれたのは1570年代のようですから、まだ完成から間のなかった時代のことでしょう。
https://readyfor.jp/projects/Tensho_Mission_to_Europe/announcements/266165
https://blog.goo.ne.jp/k-caravaggio/e/cb90d841d6dc5d240c42559cf921f6e3
https://readyfor.jp/projects/Tensho_Mission_to_Europe/announcements/266165
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この美しいニウエの切手には、もう一つの意味が隠れているかもしれない?と気づきました。お写真ではよく見えませんが、右上の区画は、ソ連の探査機VEGAでしょうか。だとしますと、その探査機の絵のすぐ近くにこと座のVega星があるはずですよね。ヘルクレスと白鳥に挟まれた鳥みたいなのが琴なのでしょうか。Vegaは「降りている鷲」ですからそれでいいのかもしれません。VEGAと聞けば、当然、織女星を連想するでしょうが、ソ連の探査機名は、本来は、Vega星ではなく、Venera-Gallei (Venus-Halley)から来ていますから、この名前は洒落が一段かんでいることになります。