江戸の星形を追う…アンサー篇2024年11月08日 18時44分12秒

まさに打てば響く。
昨日の記事の末尾で、「こうして書いておけば、きっと今後の展開もある」と書いたのが、こうも早い展開を見せるとは!こういうのを「啐啄の機(そったくのき)」というのかもしれません。

   ★

「江戸の星形」については、すでに詳しい論考があることを、コメント欄でS.Uさんに教えていただきました。

■中村 士・荻原哲夫
 「高橋景保が描いた星図とその系統」
 国立天文台報 第8巻(2005)、pp.85-110.

大雑把にいうと、日本の江戸時代に流布した星図には2系統あり、1つは東アジアで独自に発展し、李氏朝鮮の『天象列次分野之図』の流れを汲む星図、もう1つはイエズス会宣教師が中国にもちこんだ西洋星図や星表が彼の地で漢訳され、日本に輸入された結果、生まれた星図です。

中村・荻原の両氏は、前者を「韓国系星図」、後者を「中国系星図」と呼んでいます。シンプルに、それぞれ「東洋系星図」、「西洋系星図」と呼んでもいいのかもしれませんが、ただ、ここでいう「西洋系星図」に描かれているのは、西洋星座(ex. オリオン座)ではなくて、やっぱり東洋星座(ex. 参宿)なので、無用な誤解を避けるため、ここは原著者に従って「韓国系」「中国系」と呼ぶことにしましょう。

ここで、「両方とも東洋星座を図示してるんだったら、「韓国系」と「中国系」は何が違うの?」と思われるかもしれません。その最大の違いは、「韓国系」は、星の位置情報のみが小円で表示されているのに対し、「中国系」は位置情報のみならず、星の明るさ(等級)の違いに関する情報が表現されていることです。そして問題の星形は、ここで登場するのです。

(中村・荻原の上掲論文(p.102)より転載。等級差の表示記号を両氏は「星等記号」と呼んでいます)

江戸の古星図に関して、私の目にはこれまで「韓国系」だけが見えていて、「中国系」の存在が欠落していた…というのが私の敗因なのでした。しかし、「中国系」の星図は、決して孤立例・散発例などではありません。上記論文はその作例として、高橋景保の『星座の図』(享和2年(1802))や、伊能忠誨(ただのり)の『恒星全図』、『赤道北恒星図』、『赤道南恒星圖』のような肉筆作品、さらには石坂常堅の『方円星図』(文政9(1826))や、足立信順の『中星儀』(文政7年(1824))(※)のような版本も挙げています。

この論文を読んで学んだことを、自分の関心に沿って整理すれば

① 江戸時代も後期に入ると、確かに『星形の星』が存在した
② その起源は、中国経由でもたらされた西洋由来の星の等級記号らしい
③ それは孤立例・散発例ではなく、一定の広がりをもって使用されており、もっぱらプロユースの星図上において使われた

…ということになろうかと思います。

   ★

「江戸の星形」に関して残された問題は、この「星形の星」が江戸時代の人にどれだけのリアリティをもって受け止められたか、つまり星の等級を識別するための、便宜的な記号という以上に、「なるほど、星を虚心に眺めれば、小円よりも、こういうトゲトゲした形の方が実際に近いよなあ…」と思ったかどうかです。

まあ、本当のことは、タイムマシンで当時の人に聞かないと分からないのですが、こういう「星形の星」が星図の世界を飛び出して、たとえば歌川広景の「江戸名所道戯尽三十六 浅草駒形堂」【参考LINK/リンク先ページの作例⑤】や、歌川国貞の「日月星昼夜織分」【天牛書店さんの商品ページにリンク】のような浮世絵にも顔を出しているところを見ると、ある程度の――全幅のとは言いませんが――リアリティを喚起したんじゃないかなあ…と想像します。


(※)中星儀については、以下に図入りで詳細な解説があります

コメント

_ S.U ― 2024年11月09日 09時34分01秒

浮世絵も天文史資料になるのですねぇ。
私のお気に入りの絵に、葛飾応為の「夜桜美人図」というのがあって、たしか、英国ハーシェル協会ジャーナルに日本美術の投稿をさせてもらったときに採用したと思うのですが、それのウィキペディアに「夜空の星は等級を意識した描き分けが行われている[4]」「夜空の星は等級によって5種類ほどの描き分けが見られる[11]」という見解が挙げてありました。私が絵を見る限り、等級の違いというより色の違いのようです。[4][11]の文献を見ても、色の違いが等級の違いを表したものとする根拠は不明ですが、文化背景としてそういう知見があるのでしょうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E6%A1%9C%E7%BE%8E%E4%BA%BA%E5%9B%B3

_ 玉青 ― 2024年11月09日 18時11分49秒

「夜桜美人図」のことを忘れていましたが、改めて眺めてみると実に美しい絵ですね。
S.Uさんがおっしゃるように、この色の違いを等級の違いと見る根拠は何もなさそうなので、素直に星の色味の違いを表現したものと思います。それにしても葛飾応為が、こうした色味の違いを、文字の知識ではなく、実体験に基づいて独力で描き分けたのだとしたら、おそるべき鋭眼の女性ですね。光と色に対する感受性が独特というか。今後、日本天文学史における女性の活躍をレビューする際は、逸話的扱いでもいいので、ぜひ名前を挙げてほしいです。

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