3億3300万円2025年01月29日 19時10分29秒

昨年の暮れに、天文学史の大家・故オーウェン・ギンガリッチ博士(1930-2023)の旧蔵書の売り立てがあるという記事を書きました。

■碩学の書斎から

クリスティーズが主催するこのオークションが昨日、無事終了。
出品されたギンガリッチ博士ゆかりの品74点(古典籍73冊とアストロラーベ1点)のうち、10点は入札がなく、オークション不成立でしたが、それ以外は概ね好調で、落札額の合計額は214万8400ドル、1ドル155円で換算すると、3億3300万円ちょっきりという、まことに天晴れな数字になりました。

これはクリスティーズが事前に公表していた、74点の最高評価額(評価額は、例えば「5千ドル~8千ドル」のように幅を持たせてあります)の合計である、160万5500ドルをも大きく上回る結果で、手数料で稼ぐクリスティーズにとってはホクホクでしょう。

もちろん私には無縁の世界の出来事ですし、他人の懐具合を気にするのも下世話な話ですが、やっぱりこういうのは気になるもので、今回の結果を改めてレビューしておきます。その盛会ぶりを知ることは、ギンガリッチ博士の遺徳を偲ぶよすがともなるでしょう。

以下、タイトルと書誌はクリスティーズによる表示のままで、落札額には日本円(1ドル155円で換算)も添えておきます。タイトルから元ページにリンクを張ったので、本の詳細はそちらでご確認ください。

<落札額ベスト10>

   327,600ドル(5,077万円)

277,200ドル(4,296万円)

   163,800ドル(2,538万円)

   100,800ドル(1,562万円)

   56,700ドル(878万円)

   52,920ドル(820万円)

   37,800ドル(585万円)

   37,800ドル(585万円)

   ★

ちなみに、クリスティーズの最高評価額を大きく超えて、意外な高値を呼んだのは、
最高評価額2,500ドルのところ、5.54倍の13,860ドルで落札された


Mechanism of the Heavens, inscribed (Mary Somerville, 1831)や、同じく5万ドルのところ、3.53倍の176,400ドルで落札された、Stellarum Fixarum Catologus Britannicus (John Flamsteed, 1712-1716)〔これは高額落札の第3位に既出〕、あるいは同じく3,000ドルのところ、3.36倍の10,080ドルで落札された




  ★

これまたちなみに、19~20世紀に作られた旅行客用のお土産品らしいアストロラーベは、最高評価額6,000ドルのところ、10,800ドル(167万円)とかなりの健闘です。


   ★

これらの高価な品々を落札したのが誰かはまったく分かりません。

もちろん個人コレクターもいるんでしょうけれど、多くは名のある博物館とか図書館とかに収まることになるんでしょうか。こういうものは当然お金のあるところに吸い寄せられるので、以前記事にした上海天文館あたりにひょっこり登場する可能性もあるかな…と想像しています。

■ある天文コレクションの芽吹き

コメント

_ S.U ― 2025年01月31日 09時55分40秒

無粋な私は、骨董品の価格には興味があるのですが、以前、天文月報の報告だったか国立天文台の天文史の研究会だったかで、どなたか忘れましたが、江戸時代の蘭学天文書の当時の(日本両での)価格と、今の古書としての評価価格はほぼ同じとおっしゃっている人がいました。また、私は、昔の貨幣に関心があるのですが、日本の近代貨幣では、アンティークコインは高いように見えて、実は、当時の額面価値とそれほど変わらない場合が多いことを見つけました。もちろん、一定の流通量と現存量がある物の場合の話です。今昔の貨幣価値の換算は、例によって、米価とか蕎麦1杯とか、下級官吏の賃金とかで換算するものとします。

 そういうことを考えると、これらの高値の書物の中にも、当時、一般の好事家にある程度売れたとか、各々の天文台の図書館に常備された本は、当時から価値があり、そのまま現存している物も多いとしますと、上の法則が成り立っているものもあるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。当時の取引価格の比較価値がわからないのでなんとも言えませんが、フラムスティードとかヘヴェリウスなどは当時からけっこう高かったのではないかと思います。

_ 玉青 ― 2025年01月31日 15時57分00秒

うーむ、これは相当な難問。
でも、他ならぬギンガリッチ氏が何かそれについて書いていたような気がして、氏の『誰も読まなかったコペルニクス』を見返したら、果たして次のような記述がありました(第8章。以下、かいつまんで述べます)。

まず残存率の高い古書というと、コペルニクスの『天球の回転について』なんかはその代表で、これは当時から評判の本でしたから(「誰も読まなかった」というのは反語的表現で、実際専門家にはよく読まれたそうです)、バチカンが禁書扱いにしても、それを処分する人は少なく、いきおい残存率も高いのだとか。その発行部数をギンガリッチ氏は各種のデータから、初版400~500部、第2版500~550部と見積もっており、現在その半分強が残っている…というのが、氏の推測です。

で、『天球の回転について』が、16世紀当時どれぐらいの価格で売られていたかですが、1フロリン=12ぐロッシェンという同時代資料があって、当時の大学の入学金と同額か倍ぐらい、あるいは大学教授の年俸の1%ぐらいだそうですので、まあ今の日本だと10万円とか15万円くらいになるのでしょう。たしかに高価なものですね。

しかし、現代でもそれが15万円で手に入れば嬉しいですが、上の記事で見たような次第で、実際には2桁ぐらい違ってしまっています。ですから『天球の回転について』は、S.Uさんの法則が当てはまらないことになります。

とはいえ。16世紀の書物でもさっぱり人気のない分野だと(宗教書とか)、今でも10万円とかですから、「S.Uの法則」が当てはまる領域も確かにあることになります。まあ、古書の世界は個別性が高くて、一般論はなかなか立てにくいですね。

_ S.U ― 2025年01月31日 21時27分43秒

ギンガリッチ氏ご本人のコメントをありがとうございます。コペルニクスの書は、禁書になっても手放すものか ということだったのですね。その気持ちはよくわかります。でも、この本は、当時の需要よりも今の需要のほうがはるかに高くて、15万円くらいなら、日本の小中学校や市町村の図書館でも買いたいと思うでしょう。ちょっと同じ値段は無理だと思います。

ということで、この「法則」には、もう一つ、需要が今昔で大差がないという条件をつけたいと思います。日本で指摘された蘭書というのは、『ラランデ暦書』だったと思います。これは、『ターヘル・アナトミア』につぐAクラスの有名どころと思いますが、それでも大して知られてはいませんよね。たぶん、今の日本が当時のヨーロッパと同じくらいの需要で、今のヨーロッパではさらに需要が落ちているのではないでしょうか。

_ 玉青 ― 2025年02月01日 16時54分39秒

思うに、16世紀の人は『天球の回転について』が稀覯書だったから価値を認めたわけではなく、その内容に価値を認めて入手しようと思ったはずですから、比較するなら現代で普通に流通している本と比較する方がフェアかもしれませんね。

現代のリプリントなら、コペルニクスだからといって格段高いこともなくて、同書の英訳本は4~5千円、みすず書房の日本語完訳版なら16,000円(税別)も出せば手に入りますから、ざっと往時の10分の1です。その意味では今の方が恵まれています。

…と言いつつも、「いや、それじゃあダメなんだ、やっぱりあの初版本にこそ意味があるんだ」という人がいるからこそ、それに何千万円もの値がつくのでしょうけれど、それは本そのもの価値とはおそらく別の価値体系に根差すものですね。

もろもろ考えると、件の法則は前提条件なり適用条件なりを厳密に定めないと、あまりにも例外が多くて、法則っぽくないような気もします。

_ S.U ― 2025年02月02日 16時30分32秒

>件の法則は前提条件なり
 そうですね。おっしゃるとおりですが、前提条件にあまりうるさいと法則の価値を下げてしまいそうなので、ここでは、すでに挙げた条件

・現存率がそれなりにある
・教科書などで誰でも知っているというほど超有名なものではない

というので、どれほど当たっているか、今後、思い出された時にでもたまに考えてくださればと思います。
今のところ、見つけたのは書籍とコインですから さらに、

・活版や金型などで大量生産可能で、かつ、製造年が印刷(刻印)されていて各版の出荷量も管理されていたもの。後の世の複製品は正規品とは区別されるので除外。

という条件をつけておきます。

 ちょっと、深掘りになりますが、骨董品の値段はなんで決まるんだろうとしばしば考えます。基本、買いたい人の数×買いたい人の熱心度で決まるのだと思います。超人気品や超レア品を除けば、転売で儲けるアテもなく、持っていても自慢になるものではない、さりとて愛好家といえどもそれが無かったらないで済む物ですので、結局、欲しい人、玉青さんなり私なりの中途半端な気持ちが値段を決めていると考えます。としますと、なぜ欲しいかというと、それについて、当時の人が考えたのと同じ価値が今も残っていると考えるから、というのが大きな理由ではありますまいか。だとすると、今昔でほぼ同じ貨幣価値と当然に期待できるのではありますまいか、と思います。都合良すぎますかね。

_ 玉青 ― 2025年02月06日 18時40分45秒

>骨董品の値段はなんで決まるんだろう

これは難しい問いですね。まあ、売る側の論理は明快で、どこまでそれにお金を払う人がいるかで決まります。骨董商のいう「相場」とか、鑑定団の鑑定士の値付けの根拠も、要はオークションレコードで、中島誠之助氏がいくらもっともらしい顔で説明しても、物それ自体に内在する価値で売り値が決まることはない…と断言して差し支えないです。

難しいのは買う側の論理です。ある人がある品物にどこまでお金を払うかは、どうやって決まるのか?自分が買う場合を考えても、うまく説明できません。古さ、珍しさ、美しさ等、自分なりの物差しがありそうな気はするんですが…。

当時の人が考えたのと同じ価値が今も残っていると考えるから…というのは、たぶん「労働価値説」が説く「価値」に近いと思うんですが、骨董の場合、それではうまく説明できないことが多くて、ここは「効用価値説」の出番となのでしょうけれど、「効用価値」というのが、いかにも分かりにくいですよね。「効用とは主観的満足度のことなり」と言い換えても、何の説明にもなってないし、単に人々の経済行動を説明するための謎の変数を、仮に「効用」と名付けてみた…という以上のものではない気がします。

「うーむ…」と天をにらみながら、強いて言葉にすれば「夢代」ですかね。
そのモノがどれだけ夢を見せてくれるか、その夢に対して自分はお金を払っている気がします。そして、夢はそもそも不合理なものですから、その値付けはときに狂的な色彩を帯びます。それでも完全に狂ってしまわないのは、買う側も「骨董共同体」の共通言語である相場感覚を共有しているため、それが辛うじてタガになっているからでしょう。

_ toshi ― 2025年02月06日 23時34分11秒

横レス失礼します。先日ヤフオクで古地図資料が出ていて10年以上探していてもほかで見たことがないものでした。よくよくみるとこれまで1点だけ存在を知られていた某コレクションのものではありませんか。されど入札しようとしたらPCトラブルでできず結局2万円ほどで落札されてしまいました。このまま散逸すると資料が確認できなくなるという気持ちから落札された方が過去に取引したことのある方だったので連絡を取ってみると,その4倍ほどで譲っていただけることになりました。でもそれでも満足しています。与太話で済みません。

_ Bay Flam ― 2025年02月08日 17時42分39秒

『誰も読まなかったコペルニクス』は、アーサー・ケストラー発のsuburban myth で、ギンガリッチさんはこの定説を検証すべく、世界中に散在する『天球回転論』の初版ならびに第2版クエストの冒険を敢行し、実はたくさんの人達に読まれていたこと突き止めて、見事に定説を覆したんですよね。って、そんなクエストするのは貴方くらいなものです。
ところで、「フラムスティードの星表」が第3位にランクインしていて「?」ってなってしまいました。と言うのも、「フラムスティードの星表」は "Historia Coelestis Britannica" 第3巻の一分なんで、ひょっとして抜き刷りかなにかと思っていたら、解説文を読んでいて合点がいきました。なんとハレーとニュートンによる海賊版(Morton 氏による)じゃないですか。フライング出版にキレたフラムスティードが発行された400部のうち300部を回収して焼き捨てたという。と言うことは、残存する100部のうちの1冊ですから納得。ギンガリッチさん、フラムスティードに関する論集で、フラムスティードの星表について寄稿していたけど、私蔵書だったわけだ。

_ 玉青 ― 2025年02月09日 07時44分27秒

○toshiさま

(以下のお返事はすでに昨日投稿したものですが、さっき読み返したらtoshiさんのお名前をミスタイプしていたので(しかも2回も)、修正の上再投稿します。失礼いたしました。どうも最近小さい字が見にくくて…。)

いやあ、これは劇的な展開ですねえ。
入札を逃したtoshiさんの無念いかばかりであったか、そしてその後のスリリングな交渉の過程と、ついにそれを我が物とされた喜び…想像するだに、こちらの手も汗ばむようです。そのモノが何であったか、猛烈に気になりますが、またtoshiさんのブログでひょっこりご紹介があるのを楽しみにしています。何はともあれ、念願の品を入手されたこと、心よりお慶び申し上げます。


○Bay Flam さま

ギンガリッチ氏は無論碩学でしょうが、さらにいえば畸人っぽいところもありますよね。発想と行動が奇抜というか。お年を考えればやむを得ないとはいえ、まことに惜しい人をなくしました。

>ハレーとニュートンによる海賊版

これは細やかなご指摘をありがとうございます。恥ずかしながらまったく見逃していました。なるほど、これはフラムスティードによる「セルフ焚書」を潜り抜けた珍書だったのですね。それにしても、ギンガリッチ氏はモノの力を最大限に引き出し、モノをして語らしめた人という点でも、尊敬おく能わざる人物だったと思います。

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