1899年の彗星騒動(前編) ― 2025年10月04日 14時57分29秒
高知市の寺田寅彦記念館友の会が発行している会誌 『槲(かしわ)』。
最新の第104号(令和7年9月刊)をご恵送いただきました。
冒頭に掲載された寅彦の随筆「新星―「小さな出来事」より」(大正9/1920)は、寅彦が長男に星を眺めることを手ほどきする内容で、短い中にも、彼が幼き人の興味をどう引き出そうとしたかが分かり、興味深かったです。
そしてもう一篇、さらに興味深い記事を拝見しました。
野村学氏による「寅彦と子規と彗星地球衝突説」という論考です。
要旨を述べると、明治32年(1899)、俳誌『ホトトギス』10月号に、正岡子規は「星」という随筆を寄せているのですが、その中で子規は、同年11月に彗星と地球が衝突するという説をめぐって「ある人」と問答をしたと述べています。幾分不安げな子規に対して「ある人」は、「世界中の大砲を一斉に放てば彗星は粉微塵になって消えるし、世界中の火薬弾丸が尽きて、当分は戦争のない太平の世になるだろう…」と気焔を上げて、子規を安堵させたのですが、この「ある人」こそ、同年9月に子規庵を初訪問した寺田寅彦その人ではなかろうか…というものです。
野村氏はこれを「ひとつの仮説」として提案されていますが、甚だ魅力的な説だと思いました。
★
野村氏の尻馬に乗る形になりますが、ここに出てくる「彗星地球衝突説」について、純然たるこたつ記事ですが、以下にメモ書きしておきます。
野村氏は、その内容から、最初は例のハレー彗星騒動(1910)を連想されましたが、年代が合わないため、しし座流星群の母天体であるテンペル・タットル彗星のことではないかと推測されました。1899年はちょうどその回帰年に当ります。
同時代の資料を求めて、国会図書館のデジタルライブラリーで検索すると、関連する記事がいくつか見つかりますが、たとえば 『工業雑誌』 第7巻第132号(明治30/1897年9月22日発行)の雑報欄(「漫録」)に、以下のような記事が出てきます。
句読点を補い、一部用字を変更して転記してみます。
●恐るべき生類殲滅の説
地球上の生類は尽く殲滅すべし、而も其は明後年なりとは心細き限りと云はざるべからず。即ち其説の起りは、近頃墺国〔オーストリア〕維那〔ウィーン〕のファルブ教授、来る1899年11月13日を以て我地球は彗星と衝突すべし、地球は激動に堪へて能く其存在を保つと雖も、有毒瓦斯に触れて生類は悉く殲滅すべし云々との事を唱えへ出したるにあり。
地球上の生類は尽く殲滅すべし、而も其は明後年なりとは心細き限りと云はざるべからず。即ち其説の起りは、近頃墺国〔オーストリア〕維那〔ウィーン〕のファルブ教授、来る1899年11月13日を以て我地球は彗星と衝突すべし、地球は激動に堪へて能く其存在を保つと雖も、有毒瓦斯に触れて生類は悉く殲滅すべし云々との事を唱えへ出したるにあり。
雑報欄のちょい記事ですから、書き手もあまり真面目に受け止めていたとは思えませんが、それでも彗星の有毒ガスによって生物が絶滅するという、1910年のハレー彗星騒動の先蹤めいた「予言」によって、一部の人々はだいぶ不安になっていたようです。
子規と寅彦と彗星については、野村氏の仮説の紹介にとどめ、ここでは上記引用中に登場する「ファルブ教授」について追ってみます。
(この項つづく)
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。