黄金のコメタリウム ― 2024年12月08日 07時30分46秒
わが家にはコメタリウムが2台あります。
ひとつはSiiTaaさんからご恵贈いただいた純白のコメタリウム。
これは世界でただ1台のカスタムメイドで、それを持てたことを大いに誇っています。【LINK】。
「求不得苦」―求めて得ざる苦―と表裏して、「求めて得たる喜び」というのもあります。お釈迦様はきっとそれも迷いだと言われるでしょうが、でも、苦しみも喜びもあるのが凡夫であり、私はもちろん凡夫なので、それでも好いのです。
そしてもう一台は、アメリカのArmstrong Metalcrafts社(以下、Armstrong社)の黄金のコメタリウムです。こちらは世界で1台ということはありませんが、製品として販売されているコメタリウムとしては、今のところこれが唯一のものでしょう。
(古色が付いて「黄金」とも言い難いですが、昔はたしかに黄金色でした)
上の写真だと暗くてよくわかりませんが、メーカーの商品写真↓でお分かりのように、手前にクランクがあって、
これをくるくる回すと、
本体下部のギアが滑らかに回転し、上部にセットされた小球が、時には速く、時にはゆっくりと、リズミカルに楕円運動をします。
(下部の指針は、時計の時針のように等速運動して時間スケールを表示します。1回転に要する時間は、上部の非等速運動をする小球と同一です)
★
ところで、コメタリウムって何のために作られたか、つまり何をデモンストレーションするために工夫された装置か?というのは以前も書きました。
「え、コメタリウムなんだから、彗星の動きをシミュレートするためでしょう?」
…というのは事柄の半面にすぎず、本当の目的は「ケプラーの第2法則(面積速度一定の法則)」を視覚的に教えるためのもので、Armstrong社のコメタリウムの盤面にケプラーの肖像がエッチングされているのも、そのためです。
ケプラーの第2法則は、「惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に掃く面積(面積速度)は、一定である」というもので、要は彗星に限らず、楕円軌道を描く各惑星は、太陽に近い時は素早く、遠い時はゆっくり動くということです。
(線分で区切られた長短さまざまな扇形の面積はいずれも同一)
ケプラーがそれを見出したのは、惑星の動きの精密観測データからであり、彗星からではありません(彼は彗星が惑星の間を直線運動していると考えていました)。彗星が楕円軌道(+放物線軌道を含む円錐曲線)を描くことが分かったのは、ニュートンの時代になってからのことです。
したがって「コメタリウム(彗星儀)」という名称には、ちょっと微妙なところもあるんですが、ケプラーの第2法則が劇的に観察されるのは他ならぬ彗星だし、彗星は宇宙の人気者なので、これはやっぱりコメタリウムと呼ぶのが穏当であろうと、私が言っても何の説得力もありませんが、そう思います。
【付記】 Armstrong社の個人経営者であるジェームズ・ドネリー氏には、ちょっとした思い出があって、今でも温かなものを感じます。
■小さな世界の不思議
コメント
_ S.U ― 2024年12月08日 08時58分20秒
_ S.U ― 2024年12月08日 09時49分07秒
【付記】上のコメントで紹介した「ウーヘンスコール」(1778)のコメタリウムの図版に、"Nieuw Commetarium verbeterd door B.MARTIN" (B.Martinによって改良された新しいコメタリウム)とあります。問題の「コメタリウム」の命名を行ったのは、ベンジャミン・マルチンなのでしょうか。
_ S.U ― 2024年12月08日 09時53分34秒
【訂正】すみません。上記の書の発行は、1778年ではなく1763年です。
_ 玉青 ― 2024年12月09日 06時09分05秒
以下、ザッとネットを徘徊した結果です。
装置としてのコメタリウム―まだその名で呼ばれてはいませんでしたが―が、人々の前にお目見えしたのは1732年。発明者はフランスに生まれ、イギリスで活躍したJ. T. Desaguliers (1683 –1744) で、最初は彗星ならぬ水星の近日点と遠日点での公転速度の変化をデモンストレートするためのものであった…というのは、以前も書いた気がしますが、下の論文にその辺のことがまとめて書かれているようです。
https://adsabs.harvard.edu/full/2002JAHH....5..155B
一方、言葉としての「コメタリウム」は、10年あまり遅れて登場し、OEDによれば1743年、S.Uさんも挙げられたBenjamin Martin(c.1705-1782)の著作に出てくるのが、その最初期の用例の由。
https://www.oed.com/dictionary/cometarium_n?tl=true
コメタリウムには、いろいろな見た目のデザインがありますが、基本となる「心臓部」は2枚の楕円形の歯車の組み合わせで、これは新旧一貫して同じだと思います。Martinの「A New Cometarium improved by B.M.〔Benjamin Martin〕」(1755)は以下のようなデザインで、これがS.Uさんの引用中に出てくる品かもしれません。
http://www.pastpages.co.uk/site-files/prints-science/HHP007.jpg
Martinは他にも1766年に下のようなコメタリウムも作っていて、彼の中でもいろいろなバリエーションがあります(こちらはゼンマイ仕掛けで動くように見えます)。
https://twitter.com/harvardchsi/status/1188898585233936384
まあ、仕組みとしてはごく単純なので、間重富あたりの器用な人なら、作ろうと思えば作れたと思いますが、こうしたもっぱらデモンストレーション用の装置は、“観測屋”たちの関心をあまり惹かなかったんでしょうかね。
コメタリウムではありませんが、オーラリーの実物は、オランダ製のものが残欠として彦根城博物館に伝わり、12代藩主・井伊直亮(1794-1850)所用のものだそうですが、これもせいぜい殿様の手慰み程度の扱いだったのかもしれません。
装置としてのコメタリウム―まだその名で呼ばれてはいませんでしたが―が、人々の前にお目見えしたのは1732年。発明者はフランスに生まれ、イギリスで活躍したJ. T. Desaguliers (1683 –1744) で、最初は彗星ならぬ水星の近日点と遠日点での公転速度の変化をデモンストレートするためのものであった…というのは、以前も書いた気がしますが、下の論文にその辺のことがまとめて書かれているようです。
https://adsabs.harvard.edu/full/2002JAHH....5..155B
一方、言葉としての「コメタリウム」は、10年あまり遅れて登場し、OEDによれば1743年、S.Uさんも挙げられたBenjamin Martin(c.1705-1782)の著作に出てくるのが、その最初期の用例の由。
https://www.oed.com/dictionary/cometarium_n?tl=true
コメタリウムには、いろいろな見た目のデザインがありますが、基本となる「心臓部」は2枚の楕円形の歯車の組み合わせで、これは新旧一貫して同じだと思います。Martinの「A New Cometarium improved by B.M.〔Benjamin Martin〕」(1755)は以下のようなデザインで、これがS.Uさんの引用中に出てくる品かもしれません。
http://www.pastpages.co.uk/site-files/prints-science/HHP007.jpg
Martinは他にも1766年に下のようなコメタリウムも作っていて、彼の中でもいろいろなバリエーションがあります(こちらはゼンマイ仕掛けで動くように見えます)。
https://twitter.com/harvardchsi/status/1188898585233936384
まあ、仕組みとしてはごく単純なので、間重富あたりの器用な人なら、作ろうと思えば作れたと思いますが、こうしたもっぱらデモンストレーション用の装置は、“観測屋”たちの関心をあまり惹かなかったんでしょうかね。
コメタリウムではありませんが、オーラリーの実物は、オランダ製のものが残欠として彦根城博物館に伝わり、12代藩主・井伊直亮(1794-1850)所用のものだそうですが、これもせいぜい殿様の手慰み程度の扱いだったのかもしれません。
_ 玉青 ― 2024年12月09日 06時23分48秒
1つ前のコメントの訂正です。
12代藩主→14代藩主
それとさっき中村士氏の『江戸の天文学者星空を翔ける』を見たら(p.233)、儒学者の松崎慊堂が高橋景保を訪問した際のこととして、「オルレレイという舶来の天文器具を見せられる。漢訳の語はまだないが、天体儀か地動儀と呼んでいる」云々と日記に書き付けており、天文方はオーラリーをたしかに所有していたことを知りました。このオーラリーには五大惑星と、木星には4個、土星には5個の衛星が付属し、ハンドルでくるくる回ったといいますから、いわゆる「グランド・オーラリー」ですね。
12代藩主→14代藩主
それとさっき中村士氏の『江戸の天文学者星空を翔ける』を見たら(p.233)、儒学者の松崎慊堂が高橋景保を訪問した際のこととして、「オルレレイという舶来の天文器具を見せられる。漢訳の語はまだないが、天体儀か地動儀と呼んでいる」云々と日記に書き付けており、天文方はオーラリーをたしかに所有していたことを知りました。このオーラリーには五大惑星と、木星には4個、土星には5個の衛星が付属し、ハンドルでくるくる回ったといいますから、いわゆる「グランド・オーラリー」ですね。
_ S.U ― 2024年12月09日 09時56分50秒
お調べありがとうございます。おかげさまで私も日本有数のコメタリウムの識者になったかもしれません。天文儀器は、観測や理論構築の役に立ったのか、それともただの見世物かというのは、問題になる点ですね。それ自身が科学哲学史になるかもしれません。
以下、江戸蘭学の知識から、さらに加えておきます。
ベンジャミン・マルチンは、英国人ですが、著書がオランダ語に訳されて、これも早期の主要蘭学文献の1つになっています。たぶん、「ナチュールキュンデ」と呼ばれている(そういう本は複数あるでしょうが)のは、
"Filozofische onderwijzer, of: Algemeene schets der hedendaagsche ondervindelijke natuurkunde" Benjamin Martin(I.Tirion訳)(1737)
で、これは間重富も読んでいる可能性があります。英原著は存じませんが、マルチンにしては時期的に早いので、コメタリウムは載っていなさそうです。(詳細は見ていません)
高橋至時は、『ラランデ暦書管見』で、ケプラーの第1、2法則「楕円面積平行法」の発見事情を推察しています。「楕円面積平行法」の「平行」は、太陽の面積速度が一定して進むという意味で、すでに『暦象考成後編』で蘭学がなくても入っている説ですが、ここでは、洋学の知識にもとづいてケプラーの思考をたどっています。麻田、高橋、間は、「暦算改良家」でしたら、天体軌道理論の創設過程にもっとも興味を持ったというのが彼らの実態だったかもしれません。岩波書店の『洋学 下』に出ています。
中村氏のその本は読んでいなかったので、オルレレイが日本にあるということは知りませんでした。『星学手簡』にたしか間重富が、地動儀かオーラリーか忘れましたがとにかく地球が太陽を周りを回る儀器のカラクリにおいて、地球が太陽の周りを回っても地軸の向きが絶対空間で一定になっていることに注目し、「そのようなカラクリは普通に考えるとまずできないが、実は工夫すれば出来る」というような意味のことを書いていたと思います。興味を持って、つくってみたのかもしれません。地球の土台が太陽の周りを1周回るときに、地軸が土台に対して逆向きに1周回るように複数の歯車がついているのですよね。
以下、江戸蘭学の知識から、さらに加えておきます。
ベンジャミン・マルチンは、英国人ですが、著書がオランダ語に訳されて、これも早期の主要蘭学文献の1つになっています。たぶん、「ナチュールキュンデ」と呼ばれている(そういう本は複数あるでしょうが)のは、
"Filozofische onderwijzer, of: Algemeene schets der hedendaagsche ondervindelijke natuurkunde" Benjamin Martin(I.Tirion訳)(1737)
で、これは間重富も読んでいる可能性があります。英原著は存じませんが、マルチンにしては時期的に早いので、コメタリウムは載っていなさそうです。(詳細は見ていません)
高橋至時は、『ラランデ暦書管見』で、ケプラーの第1、2法則「楕円面積平行法」の発見事情を推察しています。「楕円面積平行法」の「平行」は、太陽の面積速度が一定して進むという意味で、すでに『暦象考成後編』で蘭学がなくても入っている説ですが、ここでは、洋学の知識にもとづいてケプラーの思考をたどっています。麻田、高橋、間は、「暦算改良家」でしたら、天体軌道理論の創設過程にもっとも興味を持ったというのが彼らの実態だったかもしれません。岩波書店の『洋学 下』に出ています。
中村氏のその本は読んでいなかったので、オルレレイが日本にあるということは知りませんでした。『星学手簡』にたしか間重富が、地動儀かオーラリーか忘れましたがとにかく地球が太陽を周りを回る儀器のカラクリにおいて、地球が太陽の周りを回っても地軸の向きが絶対空間で一定になっていることに注目し、「そのようなカラクリは普通に考えるとまずできないが、実は工夫すれば出来る」というような意味のことを書いていたと思います。興味を持って、つくってみたのかもしれません。地球の土台が太陽の周りを1周回るときに、地軸が土台に対して逆向きに1周回るように複数の歯車がついているのですよね。
_ ht ― 2024年12月12日 19時45分01秒
こんにちは。かれこれ10年くらい、時折訪問させていただいて楽しく読ませていただいています。
最近、英国の大学の天文学部に入ることになって、少しずつではありますが小品を集め始めました。週末ロンドンを訪問するのですが、当地の古書店で皆様のおすすめのお店があったら教えていただけるととても嬉しいです。
最近、英国の大学の天文学部に入ることになって、少しずつではありますが小品を集め始めました。週末ロンドンを訪問するのですが、当地の古書店で皆様のおすすめのお店があったら教えていただけるととても嬉しいです。
_ 玉青 ― 2024年12月14日 11時13分05秒
○S.Uさま
>実は工夫すれば出来る
これは頼もしい言葉ですね。何せ才知の人ですから、こう言っているからには、きっと作ってみたんじゃないでしょうか。間重富は頭の中で図面を引くだけではなく、実際に試してみないと満足しない、実学の人という気がします。
○htさま
お返事が遅れ申し訳ありませんでした。
英国で天文学史の香気に触れられるとはすばらしいですね!
私はロンドンの古書店に通じているわけでは全然ないのですが、チャリングクロスロードの古書店街は今も健在なのでしょうか?今も健在なら冷やかしてみたいですし、私の手の届く世界ではないにしても、後学のためにDaniel Crouch Rare Booksにはぜひ行ってみたいと思っています。あと古書店ではなく、古地図専門店ですが、Altea Antique Maps & Chartsも訪ねたい店のひとつです。
>実は工夫すれば出来る
これは頼もしい言葉ですね。何せ才知の人ですから、こう言っているからには、きっと作ってみたんじゃないでしょうか。間重富は頭の中で図面を引くだけではなく、実際に試してみないと満足しない、実学の人という気がします。
○htさま
お返事が遅れ申し訳ありませんでした。
英国で天文学史の香気に触れられるとはすばらしいですね!
私はロンドンの古書店に通じているわけでは全然ないのですが、チャリングクロスロードの古書店街は今も健在なのでしょうか?今も健在なら冷やかしてみたいですし、私の手の届く世界ではないにしても、後学のためにDaniel Crouch Rare Booksにはぜひ行ってみたいと思っています。あと古書店ではなく、古地図専門店ですが、Altea Antique Maps & Chartsも訪ねたい店のひとつです。
_ (未記入) ― 2024年12月18日 19時47分39秒
玉青さま
ご教示いただきありがとうございます。Daniel Crouch Rare Booksも、Mapのお店も素晴らしいですね!
古い記事に書かれていたAstoronomy Societyも気になるところです。
チャリングクロスは近くのBurlingtonまでいって満足して帰ってしまいました。田舎の大学なので、街に出づらいのが辛いところです。
とはいえ、わが大学にも素晴らしい蔵書と文物があることに気づいたので、もしかしたらこちらにも投稿させていただくかもしれません。
ご教示いただきありがとうございます。Daniel Crouch Rare Booksも、Mapのお店も素晴らしいですね!
古い記事に書かれていたAstoronomy Societyも気になるところです。
チャリングクロスは近くのBurlingtonまでいって満足して帰ってしまいました。田舎の大学なので、街に出づらいのが辛いところです。
とはいえ、わが大学にも素晴らしい蔵書と文物があることに気づいたので、もしかしたらこちらにも投稿させていただくかもしれません。
_ 玉青 ― 2024年12月19日 05時57分15秒
>素晴らしい蔵書と文物
ああ、いいですねえ。
イギリスでは大学に限らず、パブリックスクールでも、その歴史に応じて素晴らしいライブラリーを持っているというのを、ウィンチェスター・カレッジのYouTube動画↓で見ましたが、ぜひhtさんが見聞された一端もご紹介ください。
https://youtu.be/u1R4zI4jrxE?si=CG9DR306b2b0w2MI
ああ、いいですねえ。
イギリスでは大学に限らず、パブリックスクールでも、その歴史に応じて素晴らしいライブラリーを持っているというのを、ウィンチェスター・カレッジのYouTube動画↓で見ましたが、ぜひhtさんが見聞された一端もご紹介ください。
https://youtu.be/u1R4zI4jrxE?si=CG9DR306b2b0w2MI
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これは、何か機械が立体的ですね。前に見せていただいたのは、もうちょっと平面的だったような気がしますが、原理は同じでしょうか。
実は、私もたまたまつい先月、「コメタリウム」を別のところで見つけました。
間重富が早い時点で見た可能性のある図版のある蘭書を探っていることはこのところしつこくご報告していますが、そのなかの「ウーヘンスコール」
"Algemeene oefenschoole van konsten en weetenschappen" 第1巻
https://books.google.co.jp/books?id=C1RhEM0XknMC
の(同書の内容のファイル)の131ページから139ページまで、延々と彗星の記述があり、コメタリウムが美しい図版付きで紹介されています。機械のカラクリの図もあります。本文は、彗星の動きを中心に対話形式で説明しているようですが、解読していません。
この書は、この版そのものかはわかりませんが、司馬江漢がオーラリーの図(同じファイルの238ページ"GROOTE ORRERY")を自著に模写しているので、コメタリウムの絵も見たのではないかと思います。間重富も見ているかもしれません。