大著『ウラノグラフィア』がやってきた ― 2024年12月01日 13時10分19秒
19世紀最初の年、1801年にドイツのボーデ(Johann Elert Bode、1747-1826)が上梓した巨大な星図集『ウラノグラフィア(Uranographia)』については、以前もまとまった記事を書きました。
■星座絵の系譜(3)…ボーデ『ウラノグラフィア』
4年前の自分は、
「天文アンティークに惹かれる人ならば、『ウラノグラフィア』が本棚にあったら嬉しいでしょう。もちろん私だって嬉しいです。でも、さっき検索した結果は、古書価460万円。これではどうしようもないです。さらに探すと、原寸大の複製(複製本自体が古書です)が16万円で売られているのを見つけました。
ホンモノが16万円だ…と聞けば、分割払いで買うかもしれません。でも、460万円ですからね。じゃあ、複製本を16万出して買うかといえば、よく出来た複製だとは思いますが、そこまでするかなあ…という気もします。」
ホンモノが16万円だ…と聞けば、分割払いで買うかもしれません。でも、460万円ですからね。じゃあ、複製本を16万出して買うかといえば、よく出来た複製だとは思いますが、そこまでするかなあ…という気もします。」
…と、何となく物欲しげなことを書きつつ、『ウラノグラフィア』の縮刷版を買うことで、かろうじて留飲を下げていました。
★
しかし、気長に待っていればいいこともあるものです。
これまで何度か話題にした、ドイツのアルビレオ出版から、先日うれしいメールが届きました。天文古書の複製本をリーズナブルな価格で提供する同社が、こんどは『ウラノグラフィア』を俎上に載せたというのです。
気になるお値段は169ユーロ(今日のレートで約26,800円)、しかも12月いっぱいまでは特別価格の149ユーロ(同23,600円)。日本までの送料として、別途46ユーロ(約7,500円)がかかりますが、それを計算に入れても、大層リーズナブルな買い物です。
(手前が解説書)
しかも星図には別冊解説書も付属し、この解説書もカラー刷りでなかなか豪華です。
★
ただし、この複製本にもちょっとした弱点はあります。
それはオリジナルよりもサイズが縮小されていることで、オリジナルは高さ65cmという途方もなく巨大な判型ですが、この複製本は高さ41.5cm(表紙サイズ)と、約64%に縮小されています。
しかし、届いた本はそれでも十分に巨大です。アンティーク星図ファンの書棚には、恒星社の『フラムスチード天球図譜』が並んでいると思います。あれだって決して小さな本ではありませんが、この『ウラノグラフィア』と並べれば、その差は歴然です。
アルビレオ出版のカール=ペーター・ユリウス氏は、このサイズこそ「図版の読みやすさに影響を与えることなく、しかも扱いやすいサイズであり、最小の文字もはっきり読み取れる」と説明しています。若干強がりっぽい感じがなくもありませんが、これは概ね事実と認められます。
落ち着いたクロス装の表紙を開けば、あの大著の風格が堂々と感じられ、これはやっぱり紙でペラペラやりたい本です。
各図版とも裏面は白紙で、その白紙に刻まれた経年の染みまで忠実に再現されているのも高評価。
気になる印刷精度はどうでしょうか。オリオン座とおうし座を中心とした上の星図を部分拡大してみます。
雄牛の目を中心とした部分。この画像で左右幅は25mmです。ユリウス氏の言う通り、たしかに微細な文字も十分読み取れます。
こちらはかみのけ座の中心付近で、左右幅は40mm。一面に散在する微細な点刻模様も十分な精度で再現されています。これらは当時その正体が議論されていた「星雲・星団」の類で、今では「かみのけ座銀河団」と呼ばれる系外銀河の集団であることが分かっています。
★
待てば海路の日和あり。
長生きをすれば、嫌な経験もする代わりに、嬉しい経験も増えていくのだなあ…と、師走を迎えて大いに感じ入りました。
コメント
_ S.U ― 2024年12月02日 06時46分12秒
_ 玉青 ― 2024年12月03日 19時04分13秒
該当書籍については、Warnerの『The Sky Explored: Celestial Cartography 1500-1800』に詳細な書誌が載っていました。
それによると、S.Uさんが挙げられた蘭書は、Bodeの『Anleitung zur Kenntniss des gestirnten Himmels』(Hamburg, 1768)のオランダ訳で間違いありません。Bodeのこの本は当時大変な好評を博したようで、初版以来1867年までの間にハンブルク及びベルリンで15回も版を重ね、さらに1804年と1857年にはウィーン版が、1779年には上記の蘭訳が、1792年にはデンマーク語版が出た…とWarnerは記しています。
そして、問題の『Anleitung…』ですが、これには本来星図が付属しており(星図は別冊になっていたのかもしれません)、月ごとの星空を示す12枚の星図と、天の北極から南緯32度までを描いた星図がそこに含まれている由。
初版ではありませんが、1792年の第6販の星図は以下のようなものだそうです。
https://www.astrotreff.de/marketplace/index.php?entry/2939-anleitung-zur-kenntnis-des-gestirnten-himmels-j-e-bode-6-auflage-1792/
それによると、S.Uさんが挙げられた蘭書は、Bodeの『Anleitung zur Kenntniss des gestirnten Himmels』(Hamburg, 1768)のオランダ訳で間違いありません。Bodeのこの本は当時大変な好評を博したようで、初版以来1867年までの間にハンブルク及びベルリンで15回も版を重ね、さらに1804年と1857年にはウィーン版が、1779年には上記の蘭訳が、1792年にはデンマーク語版が出た…とWarnerは記しています。
そして、問題の『Anleitung…』ですが、これには本来星図が付属しており(星図は別冊になっていたのかもしれません)、月ごとの星空を示す12枚の星図と、天の北極から南緯32度までを描いた星図がそこに含まれている由。
初版ではありませんが、1792年の第6販の星図は以下のようなものだそうです。
https://www.astrotreff.de/marketplace/index.php?entry/2939-anleitung-zur-kenntnis-des-gestirnten-himmels-j-e-bode-6-auflage-1792/
_ S.U ― 2024年12月04日 08時37分40秒
ありがとうございます! さすが識者の方にかかると書誌はすぐ出てくるものなのですね。
ドイツ語版にもはじめから星図があったそうで、それはそのほうが自然ですが、21歳の時にすでに製図をしてリアルな出版までこぎ着けたというのは、よほど天佑的な事情があったのでしょうか。驚きです。ボーデ星図は100年間に渡って人気を博したわけですね。また、日本へやってきた時代も(証拠は見つけていませんが)、化政期以降に限らず、梅園・吉雄の蘭学初期からの可能性が考えられることになりました。
少なくとも、1848年の 武雄鍋島文書(武雄市教育委員会所蔵) 「1848年目録 嘉永元年申七月 阿蘭陀持渡書籍:銘書 古文書 1 353」には、この蘭語版の書が「ハントレイティングトットステルレンヘーメル ボーデ」で引用されていることを知りました。
長積洋子氏の研究報告『18世紀の蘭書注文とその流布』の史料の付表のNo.619にあります。発行年の1778は1779の間違いでしょう。
https://libir.josai.ac.jp/il/user_contents/02/G0000284repository/pdf/JOS-kaken7451078.pdf
現物が武雄鍋島氏に入ってきていたのかは確認していません。
ドイツ語1792版の星図の対応する、蘭語1779版の星図は、
https://books.google.co.jp/books?id=hVBYAAAAYAAJ
のファイルの390ページです。残念ながら折り込まれていてちゃんと鑑賞できませんが、同一の星図のようです。ただし、上辺のタイトルはオランダ語に訳されているようです。
★型は、1等星を除けばすべて六芒星が基本で、五芒星を含む1801年の巨大版とは違うようです。
ドイツ語版にもはじめから星図があったそうで、それはそのほうが自然ですが、21歳の時にすでに製図をしてリアルな出版までこぎ着けたというのは、よほど天佑的な事情があったのでしょうか。驚きです。ボーデ星図は100年間に渡って人気を博したわけですね。また、日本へやってきた時代も(証拠は見つけていませんが)、化政期以降に限らず、梅園・吉雄の蘭学初期からの可能性が考えられることになりました。
少なくとも、1848年の 武雄鍋島文書(武雄市教育委員会所蔵) 「1848年目録 嘉永元年申七月 阿蘭陀持渡書籍:銘書 古文書 1 353」には、この蘭語版の書が「ハントレイティングトットステルレンヘーメル ボーデ」で引用されていることを知りました。
長積洋子氏の研究報告『18世紀の蘭書注文とその流布』の史料の付表のNo.619にあります。発行年の1778は1779の間違いでしょう。
https://libir.josai.ac.jp/il/user_contents/02/G0000284repository/pdf/JOS-kaken7451078.pdf
現物が武雄鍋島氏に入ってきていたのかは確認していません。
ドイツ語1792版の星図の対応する、蘭語1779版の星図は、
https://books.google.co.jp/books?id=hVBYAAAAYAAJ
のファイルの390ページです。残念ながら折り込まれていてちゃんと鑑賞できませんが、同一の星図のようです。ただし、上辺のタイトルはオランダ語に訳されているようです。
★型は、1等星を除けばすべて六芒星が基本で、五芒星を含む1801年の巨大版とは違うようです。
_ 玉青 ― 2024年12月05日 18時32分31秒
1冊の本からの引用だけでしたが、少しでもお役に立てたのなら幸いです。
江戸の★型の謎、全容解明にはまだ距離があるにしても、なんとなく外堀が埋まってきたというか、パズルのピースが少しずつ揃ってきた感じがしますね。
引き続きどうぞよろしくお願いします。
江戸の★型の謎、全容解明にはまだ距離があるにしても、なんとなく外堀が埋まってきたというか、パズルのピースが少しずつ揃ってきた感じがしますね。
引き続きどうぞよろしくお願いします。
_ S.U ― 2024年12月06日 08時19分14秒
こちらこそ、よろしくお願いします。
★型に限らず、江戸時代以前の日本人が、恒星天や恒星についてどんな具体的(物理的?)イメージを持っていたかということは、日本天文学史や天文民俗学の知識のギャップ(穴)になっているのではないかと思います。東洋星座や客星(=新星・超新星)の記録が一般に知られている影で、恒星についての考察がごく一部の特殊例しか知られていないのはアンバランスだと思います。何とかギャップを少しでも埋めていきたいと思っています。
★型に限らず、江戸時代以前の日本人が、恒星天や恒星についてどんな具体的(物理的?)イメージを持っていたかということは、日本天文学史や天文民俗学の知識のギャップ(穴)になっているのではないかと思います。東洋星座や客星(=新星・超新星)の記録が一般に知られている影で、恒星についての考察がごく一部の特殊例しか知られていないのはアンバランスだと思います。何とかギャップを少しでも埋めていきたいと思っています。
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ここで、書誌的なお尋ねを申し上げたいと思います。
ボーデ星図の本格版のものは、1801年の巨大版が最初なのでしょうか? また 解説書は、オリジナルからドイツ語でしょうか?
と気になっておりますのは、例の★型の江戸受容問題との関連で、これに先行する蘭語版簡易星図を見つけたからです。それは、
"Handleiding tot de kennis van den sterren-hemel ..."
という本です。
https://books.google.co.jp/books?id=hVBYAAAAYAAJ
1779年という早い段階で星図とオランダ語の解説付きが出ているのが不思議で、これはオランダ人の航海の需要があったのかと想像しています。著者は、ボーデ自身、Boschというのが翻訳者でしょうか。この屁理屈が通れば、オランダ人がこれを高橋至時存命中に日本に持ち込むことは十分あり得たと主張したいです。1801年の巨大判は、至時の1802年への景保への指示には間に合いません。
このオランダ語版は、それにさらに先行する彼の『毎月の星空の知識入門』というドイツ語の本(1768)
https://www.e-rara.ch/zut/content/zoom/424777
のオランダ語版に相当するものではないかと思います。ただし、1768年版は、星図がついていないようです。(この時ボーデはまだ21歳でした)。オランダ語版でも、まだ32歳の時の出版ですが、ちゃんと毎月に対応しての星図が出ています。当然、先行してドイツ語の星図付きがあるはずですが、ドイツ語版星図初出は具体的な画像は見つけていません。
恐れ入りますが、お時間のあるときいつでも書誌的関連のコメントがいただけましたらよろしくお願いします。