六月の夜の都会の空の下で ― 2023年06月25日 21時41分11秒
例の足穂イベントに参加するため、京都に行ってきました。
私は足穂の熱心なファンというわけではありませんが、その作品世界に感化された者として、一人のファンを名乗ってもバチは当たらないでしょう。そして、世間には他にも大勢の足穂ファンがいることを知っており、それらの人々が語る言葉や、足穂に影響された作品を、本や雑誌やネットを通じて、これまで繰り返し見聞きしてきました。
しかし、生身の足穂ファンを私はこれまで見たことがありませんでした。
つまり、眼前で「足穂が好きです」と公言し、足穂について語るような人には、ついぞ出会ったことがないのです。
でも今回京都に行って、生身の足穂ファンが大勢居並ぶ光景に接し、一種名状しがたい感銘を受けました。私にとって、それはすぐれて非現実的・非日常的な光景であり、そのことだけでも、京都に行った甲斐がありました。
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四条烏丸と四条河原町の中間点、富小路通りを少し南に折れたところにある徳正寺さんが、今回の会場です。
京都の古いお寺ですから、当然のごとく坪庭があったりします。
そんな風情ある建物の中で、まずは足穂ゆかりの品々を拝見しました。
左上に掛かっているのは、足穂のあまりにも有名なフレーズ「地上とは思い出ならずや」の短冊。そして右手のイーゼルには足穂の肉筆画、中央の白い棚には、足穂が手ずから作ったオブジェ「王と王妃」をはじめ、遺品の数々が並んでいました。
(白い棚に鎮座する鼻眼鏡)
さらに床の間の前には、戸田勝久氏や中川ユウヰチ氏をはじめ、足穂にインスパイアされた方々の作品が、月光百貨店主・星野時環さんのセレクトによって展示されていました。
隣の部屋には、足穂の初版本がずらり。
いずれも足穂研究家の古多仁昂志氏による多年の蒐集にかかるものです。
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大いなる眼福を得た後、いよいよ本堂でイベントが始まります。
第1部は「『一千一秒物語』100年の記憶」と題した座談会形式のトーク。
テーブルを囲むのは、左端から司会の溝渕眞一郎氏(喜多ギャラリー)、マスク姿の未谷おと氏(ダンセイニ研究家)、中野裕介氏(京都精華大学)、マイクを持つあがた森魚氏、季村敏夫氏(詩人)、そして古多仁昂志氏の面々。
人々が足穂を熱く語る本堂の天井では、蓮の花のシャンデリアが鈍い光を放ち、ここがあたかも浄土であるかのようです。
そして第2部は、あがた森魚さんのコンサート、「宇宙的郷愁を唄う」。
これぞ音楽による足穂讃嘆の法会で、聴衆はそれに唱和する大衆(だいしゅ)です。
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今回の催しは、繰り返し述べるように、『一千一秒物語』刊行100周年を記念するものです。そして古多仁さんやあがた森魚さんは、その中間地点である50年前、まだ足穂その人が生きていた時代の鮮やかな記憶を、人々に語ってくださいました。
参加者の中には、ずいぶんと年若い方もいたのですが、たぶん昨夜の出来事は永く記憶にとどまり、足穂という存在をしっかり心に刻んだことでしょう。…こう言うとなんだか戦争体験の継承みたいですが、でも生きた体験を伝えるという意味では、両者の間には何の違いもありません。
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すべてのイベントが終わり、会場を後にしたとき、京都の町を見下ろすように月が電線に引っかかっているのが見え、私は「ああ、足穂だな…」と心からの満足を覚えたのでした。
コメント
_ S.U ― 2023年06月26日 06時15分45秒
_ 玉青 ― 2023年06月26日 09時36分01秒
なかなか複雑なファン心理ですね。(笑)
その稀なはずの足穂ファンが大勢集う光景というのは、まあファン向けのイベントですから当然といえば当然なのですが、世間的には稀有な上にも稀有な光景で、これはやっぱり一見の値打ちがあると思いました。
ときに、SFアニメとかでも、本放送のときは殆ど話題にならなかったのに、再放送で大ブレークする例がありますよね。そしてそういう場合、その人気はおおむね永続的なものとなり、社会的にも大きな影響を及ぼすことが多いように思います。ああいうのは、「作品が時代を作った」という以上に、「時代が作品を求めた」側面が強いのでしょう。
足穂の場合、1970年代がまさに「再放送」の時代で、その後の足穂ブームは各界に広く深い影響を及ぼしましたが、これもやはり「時代が足穂を求めた」のかもしれませんね。
(まあ、足穂の場合「本放送」のときも少しく話題になったとは思いますが、いかんせん雌伏の時代が長かったので、いかにも「再放送ブレーク」っぽい感じがします。)
その稀なはずの足穂ファンが大勢集う光景というのは、まあファン向けのイベントですから当然といえば当然なのですが、世間的には稀有な上にも稀有な光景で、これはやっぱり一見の値打ちがあると思いました。
ときに、SFアニメとかでも、本放送のときは殆ど話題にならなかったのに、再放送で大ブレークする例がありますよね。そしてそういう場合、その人気はおおむね永続的なものとなり、社会的にも大きな影響を及ぼすことが多いように思います。ああいうのは、「作品が時代を作った」という以上に、「時代が作品を求めた」側面が強いのでしょう。
足穂の場合、1970年代がまさに「再放送」の時代で、その後の足穂ブームは各界に広く深い影響を及ぼしましたが、これもやはり「時代が足穂を求めた」のかもしれませんね。
(まあ、足穂の場合「本放送」のときも少しく話題になったとは思いますが、いかんせん雌伏の時代が長かったので、いかにも「再放送ブレーク」っぽい感じがします。)
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ところで、足穂は「永遠なるもの」を目指し、また「時代精神」を重んじた、ということがあります。これは、一見矛盾するようですが、「永遠なるもの」が時折「時代精神」を支配する時代があり、その時の人々の意思によって永遠が時折具現化されるということだと思います。ここは、私の好きな考え方で、何も疑問は持っていないのですが、足穂の人生と文学をとらえる時、(ファンであろうが文学研究の立場であろうが)、足穂はやはり永遠の存在なのでしょうか。それとも、時代精神なのでしょうか。人によって見解は違うと思いますが、ちょっと意見分布を知りたいと思います。
まあ、美空ひばりや石原裕次郎が戦後の時代精神として永遠であるということもいえるので、ちょっと意味ある答えは得られないかもしれませんが、稲垣足穂は美空ひばりや石原裕次郎のようなものである、という答えは、それなりにそれでいいのではないかと思います。