英雄たちの選択…ある古書の場合(後編) ― 2022年11月06日 07時46分13秒
他人にはどうでもいいことでしょうが、当事者としては大いに緊張感をもって話を続けます。あまり勿体ぶっても良くないので、何の本を買ったのか、ここで明らかにしておきます。
掲載されている美しい表紙に、思わず目を奪われました。
■Mary Elizabeth Storey Lyle
What are the Stars?
Sampson, Low, Son & Marston(London)、1870
What are the Stars?
Sampson, Low, Son & Marston(London)、1870
マックノート氏による解説を引かせていただきます。
「1869年、次いで1870年には第2版が G.T.Goodwin 社から出ている。1869年に出た(おそらく初版の)Goodwin 社版は、より大型の判型で、下に掲げたセクションを囲むように、金色の12星座が描かれている。おそらくこれが費用の高騰につながったのだろう、私の所蔵本を含め、後の版ではこの部分が切り詰められているが、縮小後もなお非常に魅力的な本である。折々見かけるが、大判の本は希少。」
これを読めば、初版本に一層食指が動くのは当然です。
中身はモノクロ図版ばかりのようですが、多くの挿絵を使って、ヴィクトリア朝の女性や子供向けに、星座の見つけ方をやさしく説いた星座入門書です。いかにも当時の天文趣味の香気が漂う一冊。
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私がここで逡巡したのは、前回書いたように、状態の良い初版本はウン万円したのに、Acceptableな初版本は2千円以下だったからです。この本はどちらかといえば「ジャケ買い」に近い買い物なので、表紙の状態が何よりも重要で(表紙がきれいなら、中身も当然きれいでしょう)、Acceptable な本は本来問題にならないはずですが、ウン万円と千円だったら、やっぱり問題になるのです。(ちなみにもう1冊売りに出ていた後版の状態は「Good/Fair」と記載されていました。)
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さてアンサー編です。届いた本はこれでした(右側)。
「ああ良かった」と思いました。
確かに状態が良好とは言い難いですが、私の基準だと、これなら「Fair」はクリアしていて、良くて「Good」、悪くて「Goodマイナス」ぐらいの感じです。
中身はきれいで、まったく問題ありません。
背表紙はたしかに傷みが目立つので、イギリスの古書店主はこの点を考慮して「Acceptable」の評価にしたと、ご当人から伺いました。なかなか律儀で、本を愛する人です。
上のやりとりからお分かりと思いますが、実際のところ、私はこの本を袋入りのまま、ギャンブル気分で買ったわけではありません。ちゃんと事前に写真を送ってもらい、これならいいだろうと思って買ったのです(それぐらいの用心は、ズボラな私でもします)。ただ、写真はあてにならない場合もあるので、実物を手にとるまでは油断できず、今回はまずまずの結果だったので、「ああ良かった」と思ったわけです。
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今回の教訓は、陳腐ながらも「百聞は一見に如かず」ということです。
それともうひとつ、「跳ぶ前に見よ」。
【おまけ①】
ときに、この愛すべきブックデザインを見て、私のお気に入りのもう1冊の本を連想しました。エドウィン・ダンキンの『真夜中の空(The Midnight Sky)』です。
丸い青い貼り込みと金の十二星座、それに中身も何となく似ています。
版元は違いますが、出たのは同じ1869年なので、どちらかが真似したわけでもないと思うんですが、こういうブックデザインが当時の流行りだったんでしょうか。
【おまけ②】
ちなみに、上で何度も言及した「申し分のない美本」は、古書サイトではなくアメリカのAmazonに出品されていたのですが、さっき見たら既に売れてしまったようです。世の中には懐が豊かで、しかも目端の利く人がいるものです。だから古書離れの現在でも、依然として果断さが求められるのです。
コメント
_ S.U ― 2022年11月07日 08時06分12秒
_ 玉青 ― 2022年11月09日 22時05分44秒
「古本(セコハン本)」だと新しくパリパリに近いほど良いわけですが、これが「古書」や、さらに「古典籍」になると、保存状態以外にも評価の物差しがいろいろ出てきて(来歴とか、装丁の質とか、手彩色の巧拙とか、周囲の余白の広さとか)、それらを総合してどう評価するかということになって、なかなかややこしいです。この辺はまさに書画骨董の世界に近いですね。ですから、記事で書いたよなFine-Good-Fairという単線的な評価が有効なのは、せいぜい19世紀後半以降の本のことかなと思います。
私は別に愛書家ではなく、そんな古典籍に手を出しているわけでもないのですが、19世紀の本であっても、「総体としての本の良さ」は多少気になるところで、いつもあれこれ悩みつつ購書計画を立てています。
私は別に愛書家ではなく、そんな古典籍に手を出しているわけでもないのですが、19世紀の本であっても、「総体としての本の良さ」は多少気になるところで、いつもあれこれ悩みつつ購書計画を立てています。
_ S.U ― 2022年11月10日 07時53分44秒
>装丁の質とか、手彩色の巧拙とか、周囲の余白の広さとか
こういう「版下」「印刷」のバリエーションは、日本の古銭趣味では「手替わり」というみたいです。古典籍ではなんというのか存じませんが、収集趣味もこれを気にする域になると優雅の部類に属するのだと思います。
こういう「版下」「印刷」のバリエーションは、日本の古銭趣味では「手替わり」というみたいです。古典籍ではなんというのか存じませんが、収集趣味もこれを気にする域になると優雅の部類に属するのだと思います。
_ 玉青 ― 2022年11月10日 19時10分36秒
「手替わり」というのですね。本の世界だと「版(エディション)」や「刷(イッシュー)」の違いに相当するのだと思いますが、そういう「同じだけど違う」点にこだわりだすと、もはや立派な“沼の住人”なのでしょう。
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古書は、読めればよいと思えばAcceptableで良いわけですし、本棚に並べておくだけで劣化しますので(昔は空調も湿度調整機もなかったでしょうから)完全未使用というのはないでしょう。だから、転売を考えなければ何でもいいと思います。さすがにこれは暴論であるとは思いますが、だいたいそんな感じで、それでも、思ったよりきれいな本が安くてあると何故かとても嬉しいものです。何が言いたいかよくわからないコメントですみません。