銅製のゾディアック2022年11月02日 06時05分23秒

この前、マックノート氏の星図カタログを紹介しました。
あそこに載っている本で、私が持っていない本は多いですが、反対に私が持っている本で、あそこに載っていないものもまた多いです。

たとえば、関根寿雄氏の美しい星座版画集、『星宿海』
あれも英語圏で出版されていたら、きっとマックノート氏のお眼鏡にかなったんだろうなあ…と思いました。『星宿海』については、過去2回に分けて記事にしたので、リンクしておきます。

関根寿雄作『星宿海』 http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/06/10/6851030

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その関根寿雄氏には、『黄道十二宮』という、これまた変わった本があります。

(左:外箱、右:本体。本体サイズは10×7.5cm)

■関根寿雄(造本・版画) 「黄道十二宮」
 私家版、1978年 

まず目を惹くのは、その装丁です。


著者自装によるその表紙は、星雲や太陽を思わせる形象を切り抜いた銅板の貼り合わせによって出来ており、表紙の表裏がネガとポジになっています。


関根氏は版画家として銅板の扱いには慣れていたでしょうが、かといって金工作家でもないので、その細工はどちらかといえば「手すさび」という感じ受けます。が、そこに素朴な面白さもあります。

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ただし、『星宿海』とは違って、こちらは星図集ではありません。



ご覧のように、黄道星座のシンボル絵集です。そして多色木版の『星宿海』に対して、こちらはモノクロの銅版なので、受ける感じもずいぶん違います。

(扉)

(奥付)

当時、100部限定で作られ、手元にあるのは通番98。
内容は銅版画16葉と木版3葉で、銅版16葉というのは、十二宮が各1葉、十二宮のシンボルから成る円環図、扉、奥付、そして蔵書票を加えて16葉です。

(銅版作品の間に挿入されている木版画は、いずれも天体をイメージしたらしい作品)

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掌サイズのオブジェ本。
版画作品としての完成度という点では、正直注文をつけたい部分もなくはないです。
しかし、その小さな扉の向こうに、広大な宇宙と人間のイマジネーションの歴史が詰まっている…というのが、何よりもこの本の見どころでしょう。


【閑語】妖しの筒が青い空を飛び、青い海に墜つるとかや2022年11月03日 11時12分27秒

今日は11月3日、文化の日。
特異日の名に恥じず、今年も快晴です。

穏やかな気持ちで朝食の席に着き、テレビを付けたら、全局が北朝鮮のミサイル発射のニュースを流していました。えらいお祭り騒ぎだなあ…と思うと同時に、建物内に避難するよう真顔で呼びかけるアナウンサーの声に、何だか茶番めいた印象も持ちました。

朝刊に目を落とせば、原発の運転期間延長のニュースが紙面を飾っていて、「そういえば、原発にミサイルを撃ち込まれたら、日本は即座に詰むぞ…と言われた件、あれは今どうなっているのかな?」と思いました。他国のミサイルの脅威を目一杯あおりつつ、同時に日本海側に原発を多数展開するというのは、たしかに整合しない話です。

このことについて、国の公式見解はどうなっているのか?
関連する成書も多いとは思いますが、新聞報道や国会でのやりとりをパパッと見た限りでは、今でもあまり本気で考えているようには見えませんでした。

例えば、国の原子力規制員会は、環境省の外局として原発の安全策を担う部署ですが、委員会の立場としては、武力攻撃に対する防御策を電力会社には求めず、それは防衛省の役割というスタンスのようです。一方、自衛隊は、ミサイルが飛んで来れば、空・海・陸から対空ミサイルで迎撃するわけですが、それは国土一般に共通の話で、特に原発だけを手厚く守っているわけでもありません。撃ち漏らしてミサイルが原子炉を直撃した場合どうなるかは、原子炉の対爆性能が非公表のため、全くのブラックボックスです。仮に直撃に耐えても、外部電源を喪失すればメルトダウンは避けられず…ということで、なかなかお寒い感じです。

もちろん、ミサイルは撃つ方が悪いのです。
でも、それを奇貨として、敵基地先制攻撃能力だ何だと煽り立てるのは、考える順番が違うし、ましてやそれを新たな金儲けの種にしようとか、すわ支持率アップの好機とほくそ笑むなどというのは、不徳義な振る舞いと言わざるをえません。


------------------<以下参考:赤字は引用者>----------------------

■東京新聞(2022年3月4日)

【見出し】
原発に攻撃、日本の備えは…「ミサイルで全壊、想定していない」 テロ対策施設の未完成、再稼働した5基も

【リード】
 ロシア軍によるウクライナ最大のザポロジエ原発への攻撃。日本の原発は2011年3月の東京電力福島第一原発事故以降、地震津波対策は厳しくなったが、大規模な武力攻撃を受けることは想定外だ。航空機衝突などテロ対策で義務付けられた設備は、再稼働した原発の一部でしか完成しておらず、外部からの脅威に弱い。(小野沢健太)

【記事本文】
 「武力攻撃に対する規制要求はしていない」。政府が次の原子力規制委員長の候補とした山中伸介規制委員は4日、参院の議院運営委員会で原発が戦争に巻き込まれた際の対策を問われ、答えた。規制委事務局で原発の事故対策を審査する担当者も取材に、「ミサイル攻撃などで原子炉建屋が全壊するような事態は想定していない」と説明した。

 原子炉は分厚い鉄筋コンクリートの建屋にあり、炉も厚さ20センチの鋼鉄製だ。どの程度の攻撃に耐えられるかは、規制委も電力各社も非公表。しかし炉が難を逃れても外部電源を失えば、原発停止後に核燃料を冷やせず、福島第一原発のようにメルトダウン(炉心溶融)に至るリスクを抱える。

 航空機衝突などで中央制御室が使えなくなった場合は、テロ対策として秘匿された構内の別の場所に設置する「特定重大事故等対処施設(特重)」で炉内の冷却などを続ける。ただ再稼働済みの10基のうち、特重があるのは5基。5基は特重が未完成のまま稼働している。

 廃炉中を含め全国18原発57基の警備は電力会社、警備会社、機関銃などで武装した警察、海上保安庁が担う。自衛隊が配備されるのは「有事」となってからだ。

◆国会で何度も質問も、政府「一概に答えられない」
 日本国内の原発への「軍事攻撃」に対する危険性は過去の国会で何度も取り上げられたが、政府側は言葉を濁してきた。(市川千晴)

 2015年の参院特別委員会で、参院議員だった山本太郎氏(現れいわ新選組代表)は、原発がミサイル攻撃に備えているか質問。原子力規制委員会は「(電力会社に)弾道ミサイルが直撃した場合の対策は求めていない」と説明。当時の安倍晋三首相は「武力攻撃は手段、規模、パターンが異なり、一概に答えることは難しい」とかわした。

 民進党(当時)の長妻昭氏は17年の衆院予算委で、原発がミサイル攻撃を受ければ事故以上に被害が大きくなり「核ミサイルが着弾したような効果を狙える」と指摘し、対応を質問。規制委は「そもそもミサイル攻撃は国家間の武力紛争に伴って行われるもので、原子力規制による対応は想定していない」と答えた。
 
同年の参院審議でも、自民党の青山繁晴氏がミサイル攻撃があった場合の避難想定の不十分さを指摘。「地域住民の不安、社会的混乱もすさまじいと思われる」と対策を求めたが、政府側は「武力攻撃による被害は一概に答えられない」としていた。



■第208回国会 参議院 外交防衛委員会 第15号 令和4年6月7日

○羽田次郎君 〔…〕山口原子力防災担当大臣が、ミサイルが飛んできて、それを防げる原発はないと、世界に一基もないと、これからもできないと五月十三日の会見でおっしゃっていますが、これは、政府として、防衛大臣としても同じ御認識ということでよろしいのでしょうか。

○国務大臣(岸信夫君) 我が国に飛翔します弾道ミサイルに対しましては、まず海自のイージス艦による上層での迎撃、それから空自のPAC3による下層での迎撃、これらを組み合わせた多層防衛で対処するということとしています。また、巡航ミサイル等については、航空機、艦艇、地上アセットから発射します各種の対空ミサイルで対応している、することとしております。〔…〕

○羽田次郎君 その山口大臣の、担当大臣のその記者会見のお話だと、今後も迎撃というか、ミサイル攻撃から守れることはないというふうにおっしゃっているように感じたんですが、その認識とは防衛大臣とは違うということでよろしいのでしょうか。

○政府参考人(増田和夫君) お答え申し上げます。五月十三日の山口大臣の会見の中で、委員おっしゃるとおり、ミサイルが飛んできて、それを防げる原発はありませんと、世界に一基もありませんと、このように申しておりますが、〔…〕その前の段階で質問、記者から質問を受けて山口大臣は、原発の防衛を高めるということということはもう当然のこととして受け止めておりますと、これはもう防衛省に関わることでありますと。
 ですから、原発の防衛という観点から申し上げますと、先ほど岸大臣が申し上げたとおり、我々としては、上層、下層での弾道ミサイル防衛、そして巡航ミサイルに対しては各種のアセットで対応すると、その中には当然原発の防衛というのも入っていると、こういうふうに思っているところでございます。

○羽田次郎君 結局、明らかに、ミサイルが飛んできてそれを防げる原発はない、これからもできないというふうに明言されているのとは何かちょっと違うような感じはしますが、防衛省、そして防衛大臣がしっかりと守っていけるとおっしゃるんであれば、その言葉を信じたいとは思いますが。〔…〕

静と動2022年11月04日 05時34分53秒

「表面がギザギザしてて、見る角度によって違った絵柄が見えるやつ」と言って、何のことか分かっていただけるでしょうか?昔はよくシール状のものが、お菓子のおまけに入っていました。子供心に実に不思議で、表面のギザギザをボンナイフで削って、その謎を解こうと試みた思い出があります。

あれの正式名称は「レンチキュラー」というそうです。
表面の透明ギザギザシートの下には、すだれ状に細切りにした複数の画像が交互に並べてあって、ギザギザを通して見ると、光の屈折の加減で、見る角度によって特定の絵柄が浮かび上がる仕組みだとか。


上はロサンゼルスにあるJ.ポール・ゲッティ・ミュージアムのお土産にもらったブックマーク(しおり)。



牛、鹿、犬(?)の疾走する姿が、レンチキュラーでアニメーションのように見えるという、まあ他愛ないといえば他愛ない品なんですが、シンプルなものほど見飽きないもので、つい見入ってしまいます。

(しおりの裏側)

オリジナルの作者は、エドワード・マイブリッジ(Edweard J. Muybridge、1830-1904)。彼は、当時としては画期的なハイスピード撮影法を編み出し、走っている馬の脚の動きを捉えたことで知られますが、上のも同工の作品で、彼の写真帳 『The Attitudes of Animals in Motion (移動時の動物の姿勢)』(1878-81)から採った写真が、3枚組み合わさっています。

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こういうのを見ていると、「運動の本質」とか、「時間の最小単位」とか、「眼に映る変化はすべて虚妄であり、我々の生は連続する静止画に過ぎない」とか、見方によっては“中二病”的な考えがむくむくと湧いてくるんですが、これは決して軽んずべき問題ではなくて、少なくとも一度は真剣に考えないといけないものばかりだと思います。

英雄たちの選択…ある古書の場合(前編)2022年11月05日 10時35分31秒

古書の状態表示は、英語だとまずFine(新品同様)Near Fine(ほぼ新品同様)から始まって、Very Good(良好)Good+(まずまず)Good(経年並み)と続き、最後にFair(可)というのが来ます。


GoodとFairは、業者によっても相当判断に幅がありますが、少なくとも「状態がいいとは言えない」ということで、「古書のGoodはGoodではない」というフレーズが囁かれるゆえんです。さらにFairともなれば、相当ボロボロの本を覚悟しなければなりません(日本の業者なら、はっきり「状態悪し」と書くところです)。

しかし、下には下があって、さらに「Acceptable」という表現があります。これはFairと同義で使われることもありますが、区別する場合は「本として読めないことはない」、すなわち商品として流通しうる下限に相当し、これより状態が悪ければ、すなわち紙屑です。

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…というのが話の前置き。

先日のマックノート氏の本に触発されて、1冊の本を注文することにしました。
その時点でネット上に売りに出ていたのは、以下の3点です。
1冊は判型が初版よりも一回り小さい後版で、状態の良くないもの。残りの2冊は初版ですが、1冊は上記の「Acceptable」で、状態は極め付きに悪そうです。最後の1冊は申し分のない美本ですが、お値段はウン万円以上するし、しかも海外発送はしない業者の取扱品です。

さて、ここで一番賢明な振る舞いは何か? 
NHKの歴史番組「英雄たちの選択」よろしく、そのときの私の心のうちに分け入ってみましょう。

選択A 「ふーむ、同時に3冊も市場に出ているということは、この本は決して稀本ではないのだろう。だったら、もう少し待てば、まずまずの状態で、もっと値頃の品が出てくる可能性は高い。ここはいったん購入を保留して、好機を待つのはどうか。」

選択B 「いや、古書との出会いは一期一会。ここで出会いを無下にして、あとで後悔しても遅い。ここはあの美本に目星をつけて、まずは先方と発送の可否や価格について交渉してみるのが良いだろう。最終的な選択はそれからでも遅くはないはずだ。」

さて、皆さんだったら、どんな選択をするでしょう?


まあ、これはどちらも理のあることで、たぶんAを主体にして、Bを並行して試みるというのが、磯田先生(「英雄たちの選択」の司会者)的には正解だと思います。

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しかし私が最終的に選択したのは、そのいずれでもなく「Acceptable」な1冊でした。
果たしてそれがどんな結果を招いたか、それを以下に書きます。

(この項、緊張感をはらみつつ続く)

英雄たちの選択…ある古書の場合(後編)2022年11月06日 07時46分13秒

他人にはどうでもいいことでしょうが、当事者としては大いに緊張感をもって話を続けます。あまり勿体ぶっても良くないので、何の本を買ったのか、ここで明らかにしておきます。


掲載されている美しい表紙に、思わず目を奪われました。

■Mary Elizabeth Storey Lyle
 What are the Stars?
 Sampson, Low, Son & Marston(London)、1870

マックノート氏による解説を引かせていただきます。

 「1869年、次いで1870年には第2版が G.T.Goodwin 社から出ている。1869年に出た(おそらく初版の)Goodwin 社版は、より大型の判型で、下に掲げたセクションを囲むように、金色の12星座が描かれている。おそらくこれが費用の高騰につながったのだろう、私の所蔵本を含め、後の版ではこの部分が切り詰められているが、縮小後もなお非常に魅力的な本である。折々見かけるが、大判の本は希少。」

これを読めば、初版本に一層食指が動くのは当然です。
中身はモノクロ図版ばかりのようですが、多くの挿絵を使って、ヴィクトリア朝の女性や子供向けに、星座の見つけ方をやさしく説いた星座入門書です。いかにも当時の天文趣味の香気が漂う一冊。

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私がここで逡巡したのは、前回書いたように、状態の良い初版本はウン万円したのに、Acceptableな初版本は2千円以下だったからです。この本はどちらかといえば「ジャケ買い」に近い買い物なので、表紙の状態が何よりも重要で(表紙がきれいなら、中身も当然きれいでしょう)、Acceptable な本は本来問題にならないはずですが、ウン万円と千円だったら、やっぱり問題になるのです。(ちなみにもう1冊売りに出ていた後版の状態は「Good/Fair」と記載されていました。)

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さてアンサー編です。届いた本はこれでした(右側)。


「ああ良かった」と思いました。
確かに状態が良好とは言い難いですが、私の基準だと、これなら「Fair」はクリアしていて、良くて「Good」、悪くて「Goodマイナス」ぐらいの感じです。



中身はきれいで、まったく問題ありません。


背表紙はたしかに傷みが目立つので、イギリスの古書店主はこの点を考慮して「Acceptable」の評価にしたと、ご当人から伺いました。なかなか律儀で、本を愛する人です。

上のやりとりからお分かりと思いますが、実際のところ、私はこの本を袋入りのまま、ギャンブル気分で買ったわけではありません。ちゃんと事前に写真を送ってもらい、これならいいだろうと思って買ったのです(それぐらいの用心は、ズボラな私でもします)。ただ、写真はあてにならない場合もあるので、実物を手にとるまでは油断できず、今回はまずまずの結果だったので、「ああ良かった」と思ったわけです。

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今回の教訓は、陳腐ながらも「百聞は一見に如かず」ということです。
それともうひとつ、「跳ぶ前に見よ」

【おまけ①】
ときに、この愛すべきブックデザインを見て、私のお気に入りのもう1冊の本を連想しました。エドウィン・ダンキンの『真夜中の空(The Midnight Sky)』です。


丸い青い貼り込みと金の十二星座、それに中身も何となく似ています。


版元は違いますが、出たのは同じ1869年なので、どちらかが真似したわけでもないと思うんですが、こういうブックデザインが当時の流行りだったんでしょうか。

【おまけ②】
ちなみに、上で何度も言及した「申し分のない美本」は、古書サイトではなくアメリカのAmazonに出品されていたのですが、さっき見たら既に売れてしまったようです。世の中には懐が豊かで、しかも目端の利く人がいるものです。だから古書離れの現在でも、依然として果断さが求められるのです。

世界内存在する書斎2022年11月07日 06時39分46秒



本を積み上げて、狭い部屋をますます狭くし、
その片隅で、灯りに舞い飛ぶ埃をぼんやり眺める。

まことに小市民的な逸楽です。
まあ「逸楽」と言った時点で、若干ネガティブなニュアンスがまじりますが、これは確かに平和な日常であり、私にとってはかけがえのないものです。

ただ問題は、この部屋をあとにして、世界の中に歩み出した時、そこにも平和な日常が広がっているかどうか?

自分の小市民的な愉しみが否定されるべきだとは思いません(賢治さん的には否定されるかもしれません)。その上で思うんですが、ここに積み上がった本は、本来世界を拓(ひら)くものとして生まれたはずなのに、今はもっぱら外界に対する防壁として使われているのが矛盾であり、我ながら不仁なものをそこに感じます。

月蝕日和2022年11月09日 22時00分38秒

昨夜の皆既月食は、寝そべって見るのにちょうどよい角度だったので、これ幸いと畳の上にゴロンと横になって、双眼鏡を手にジーッと月の変化を眺めていました。

地球がかぶっている「影の帽子」の中に、じりじりと滑り込む月を眺めていると、月の公転運動や、地球の大きさ、月との距離感が、有無を言わせずダイレクトに伝わってきて、「自分は今、たしかに宇宙の中にいるんだなあ」という実感がありました。

(A. Keith Johnston、『School Atlas of Astronomy』(1855)より月食解説のページ)

普通、星を見上げているときは、たいてい足下の大地のことは意識から消えていますが、月食は地球の存在そのものが天に投影されるという、非常に特異な天体ショーですね。

双眼鏡の視野のうちでは、きれいな茜色に染まった月の周りできらきらと星が輝き、そもそも「満天の星に彩られた満月」というのは、通常あり得ない光景ですから、皆既日食ほどドラマチックではないにしろ、やっぱり相当神秘的な眺めでした。

そして、話題の天王星食。
天王星が月の傍らで、あんなにはっきり見えるとは思わなかったので、これまたすこぶる意外でした。天王星の直径は月のほぼ15倍ですから、それだけの大きさのものが、あんなちっぽけな点に見えるぐらい遠くにあるんだなあ…と、太陽系の大きさを実感しつつ、月の地平線に消えていく天王星の姿を見守りました。

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こうした光景を、すべて寝っ転がって楽しめた…というのが個人的には高ポイントで、先年、奮発してスタビライザー付きの双眼鏡を買って良かったと、壮麗なドラマを前に、卑小な話を持ち出して恐縮ですが、そのことも少なからず嬉しかったです。

胸元のブループラネット2022年11月10日 19時11分42秒

「青い惑星」といえば地球。
そして、この前多くの人が目撃した天王星もまた青い惑星です。

地球の濃い青は海の色であり、豊かな生命の色です。
一方、天王星の澄んだ青は、凍てつく水素とメタンが織りなす文字通りの氷青色(icy blue)で、どこまでも冷え寂びた美しさをたたえています。

(ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した天王星。原画像をトリミングして回転。原画像:NASA, ESA, Mark Showalter (SETI Institute), Amy Simon (NASA-GSFC), Michael H. Wong (UC Berkeley), Andrew I. Hsu (UC Berkeley))

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以前、土星のアクセサリーを探していて、こんなブローチを見つけました。


見た瞬間、「あ、天王星」と思いました。
アメリカの売り手は天王星とは言ってなかったし、普通に考えれば土星をデザインしたものだと思うんですが、自分的には、これはもう天王星以外にありえない気がしています。

(裏側から見たところ)

飾り石はブルーカルセドニー(青玉髄)のようです。
『宮澤賢治 宝石の図誌』(板谷栄城氏著/平凡社)を開くと、「青玉髄」の項に、賢治の次のような詩の一節が引かれていました。

 ひときれそらにうかぶ暁のモティーフ
 電線と恐ろしい玉髄(キャルセドニ)の雲のきれ
 (「風景とオルゴール」より)

賢治の詩心は、明け方の蒼鉛の雲に青玉髄の色を見ました。
そこは天上の神ウラヌスの住処でもあります。
だとすれば、はるかな天王星をかたどるのに、これほどふさわしい石はないのでは…と、いささか強引ですが、そんなことを思いました。


ジョージ星辰王2022年11月12日 16時33分27秒

天王星といえば、その発見者であるウィリアム・ハーシェル(1738-1822)の名が、ただちに連想されます。そればかりでなく、19世紀後半に「ウラヌス」の名称が定着する以前は、天王星そのものを「ハーシェル」と呼ぶ人がおおぜいいました。

この名は主にフランスとアメリカで用いられ、ニューヨークで出版された、あの『スミスの図解天文学』(1849)でも、天王星は「ハーシェル」として記載されています。



もちろん、これはハーシェルの本意ではなく、ハーシェル自身は、時のイギリス国王・ジョージ3世に敬意を表して、ラテン語で「ゲオルギウム・シドゥス」(ジョージの星)という名前を考案しました。そしてこれを元に、イギリスでは天王星のことを「ジョージアン」と呼んだ時期があります。

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ジョージ3世(1738-1820/在位1760-1820)は、自分と同い年で、“同郷人”(※)でもあるハーシェルを目にかけ、物心両面の支援を惜しみませんでした。(※ハーシェルはドイツのハノーファー出身で、ジョージ3世はイギリス生まれながら、父祖からハノーファー選帝侯の地位を受け継いでいました。)

ハーシェル推しの私からすると、ジョージ3世は、もっぱらその庇護者という位置づけになるのですが、でもジョージ3世の天文好きは、ハーシェルと知り合う前からのことで、彼はもともと好学な王様でした。金星の太陽面通過を観測するために、1769年、ロンドン西郊のキュー・ガーデンに天文台を新設し、併せてそこを科学機器と博物コレクション収蔵の場としたのも彼です。

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そんなジョージ3世ならば当然かもしれませんが、彼には一種の「時計趣味」があり、精巧な天文時計を、ときに自らデザインして一流の職人に作らせ、それらを身近に置いていたことを、以下の動画で知りました。


George III and Astronomical Clocks(by Royal Collection Trust)


上は、1765年、ジョージ3世が27歳の誕生に贈られ、寝室に置いていたという天文時計。Eardley Norton(活動期 1760-92)作。(詳細はこちら


こちらは、ジョージ3世自身が筐体デザインした天文時計。1768年、Christopher Pinchbeck 2世(1710-83)作。(詳細はこちら

こうした興味関心の延長上に、キューの天文台があり、ハーシェルとの出会いがあったわけで、思えばハーシェルは実に良いタイミングで世に出たものです。そして、彼が捧げた「ジョージの星」の名も、単なるお追従ではなかったわけです。(まあ、そういう気持ちも多少はあったでしょうが。)

天文時計の幻を追って2022年11月13日 13時41分22秒

アンティークの天文時計を所有することは、憧れではあっても、現実的な目標とは言えません。それはずばり手の届かぬ花です。
では、せめて雰囲気だけでも…と思って、5年前にこんな品を見つけました(現物は棚の奥なので、以下、購入時の商品写真を借用)。


エディンバラの業者が扱っていた品で、17世紀のイタリア製と聞きました。
黒檀製の筐体と、古びた文字盤はなかなか風格があります。
でも、よく見ればこれは完全に見かけ倒しで、ここには時計の針もなければ、内部のムーヴメントもありません。要するに、これは筐体だけが残された、「かつて時計だったもの」に過ぎません。


さすがに酔狂な買い物だとは思いましたが、この筐体は前面のガラス扉だけでなく、背面の木蓋も自由に開け閉めできるので、何か大切なものをしまう、気の利いたケースになると思ったのです(箱を手にしてから容れる物を考えるなんて、菓子箱をやたら取っておく老人みたいですが)。

(中はがらんどう)

ここで業者の言い分と私の推測を混ぜ合わせて、かつての“栄華”をしのんでみます。


前面のベースは、天空をイメージしたらしい空色に塗られた銅板で、そこに真鍮製のリングが上下に2つ取り付けられています。


上部リングの中央には、太陽の装飾があり、その上の扇型の穴と組み合わせて、これがいわば時計の中核部分。この時計は時針ではなく、文字盤のほうが回転する仕組みで、扇形の穴を通して見える文字盤の一部と、太陽のてっぺんにとび出たポインターを使って正確な時刻を読み取ったようです。

またリングの周囲には、1~12月の月名と星座絵が描かれており、リング全体をくるくる手で回すことができます。当然、このリングも、本来は機械仕掛けで回転してほしいわけですが、どうもそういうカラクリのあった形跡がなく、これはマニュアル操作オンリーの、純装飾的パーツだったかもしれません。


下部の真鍮のリングは曜日目盛りで、こちらは中央の指針が回転する、尋常の形式だったようです。

冷静に考えると、これがカチコチ動いていた時分でも、表示できたのはせいぜい時刻と曜日だけですから、これを「天文時計」と呼ぶのは苦しいかもしれません。
まあいずれにしても、かつての栄華は夢のあと、今となってはその存在そのものが「時」の寓意であり、ヴァニタスとなっている…と言えなくもないでしょう。