博物学と名物学(前編)2017年10月09日 09時57分23秒

博物の話題が出たので、この頃気になっていることを、少しメモ書きしておきます。

それは日本における博物学のルーツは何か…という問題です。
「もちろん、本草学でしょう」――以前の私なら、そう即答したはずです。

博物学は本草学、すなわち薬草を主とする生薬の学に発し、江戸後期になると、そこから実利を離れた、純然たる自然物への興味が育ち、蘭学・洋学の影響も受けて、多くの動・植物図譜が編まれた。そこで蓄積された知識は、さらに伊藤圭介(1803-1901)らを通して、近代へバトンタッチされ、新時代の動・植学発展の礎ともなった。

…というような図式的理解をしていたわけです。

ウィキペディアの「博物学」の項も、似たような構図で記述していますから、まあ常識的な理解でもあるのでしょう。しかし、上の理解は間違いではないにしろ、事柄の半面に過ぎないことを最近知りました。

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それは、中国文学者の青木正児(あおきまさる、1887-1964)氏の著書に教えられたことです。先日、氏の『中華名物考』(平凡社・東洋文庫、1988/初版は春秋社、1959)を開いたら、その巻頭に以下の記述がありました(強調は引用者)。

 かつて白井光太郎博士の『本草学論考』を読むに、大正二年四月、貝原益軒先生二百年紀念祭における講演「博物学者としての貝原益軒」の速記がある。中にいう、「今日の博物学と先生の時代の博物学とは違つてゐる。其の代りに本草学・名物学・物産学と云ふ此の三つの科目が有つた。この三つを合したものを先づ博物学と云うたのである。…名物学と云ふのは物の名と実物とを対照して調べる、歴史とかいろいろの書物に出て居る所の禽獣草木其外物品の名実を弁明する、此の学問が矢張必要であります。書物などにいろいろの品物が書いてあつても、実物が何う云ふものであると云ふことが分らなくては、真に書物が分つたのではない。名物学と云ふのは昔も必要であつたが、今も必要であると思ふ」云々と。


白井光太郎(しらいみつたろう、1863-1932)は、やっぱり本草学の流れを汲む植物学者で、白井博士曰く、博物学のルーツは本草学ばかりでなく、名物学と物産学もそうなのだ…という指摘です。

このうち「物産学」は、本草学の弟分のようなもので、動植物の分布や天然資源の産出状況など、各種自然物の地理的分布に係る学問です。

   ★

それに対して「名物学」とは、「物の名と実物とを対照して調べる学問」のこと。
つまり、ここでいう「名物」とは、「名物に旨い物なし」というときの「名物」ではなくて、「名と物」の意です。

そして、その名物学に、中国文学者の青木氏が注目したのは、中国伝来の名物学は、自然を研究する学問ではなく、古典のテクスト研究の一分科として、訓詁学と並ぶ存在だったからです。

中国の人々はなべて古典を重んじましたが、時と所を隔てると、古典に登場する動植物や器物の名が、中国の人にもだんだんはっきりしなくなってきます。それを研究して、果たしてその正体が何であるのか、それは今言う所の何に当るのか、それを明らかにするのが名物学です。日本だと、有職故実の「故実」に押し込められていた知識が、漢土では本格的な学問として重んぜられたのでしょう。

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今では全く流行らない名物学(の日本的展開)が、確かに博物学のルーツであったことを理解するために、その具体例を見てみます。

(この項つづく)

コメント

_ S.U ― 2017年10月09日 21時36分48秒

>貝原益軒先生
 貝原益軒は、当時の年寄りや女性や子どもを相手にしんきくさい説教ばかりを垂れている先生というイメージでしたが、実は学問体系を広く見渡すほどしっかりした「博物学者」だったのですね。
 確かに、現代人がしんきくさいと思うということは、ある意味現在のもっとも大事な常識をすでにわかりやすくまとめていたとも言え、当時の学者として傑出していたのかもしれません。

_ 玉青 ― 2017年10月10日 07時12分12秒

たしかに貝原益軒ってなんか辛気臭いですよね。あれは字面のせいでしょうか。
まあ、ここで益軒は単なる「ツマ」なので、あまり深入りせずにおきましょう。

_ S.U ― 2017年10月10日 20時14分11秒

では、貝原益軒がなんで辛気くさいのかの詮索はまた場を改めるとしまして(笑)、他に気になる人々が出てきたので、それについて、「後編」のほうにコメントいたしますね。

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