Iron Insects2022年09月02日 09時00分58秒

机辺に置かれた鋳鉄製の虫。


手元の買物帳には、「1996 11/25 インド鉄工芸品 虫3種 800×3 LOFT」とあるので、もう26年もの付き合いになります。

もっとも、彼らは26年間ずっと机辺に棲んでいたわけではありません。
ご覧の通り至極他愛ない品なので、長いこと引き出しにしまいっぱなしでした。でも、このあいだ久しぶりに見つけて、手にしたときの重みがいいなと思って、こうして復活させました。


こちらはバッタの類で、


こっちはタマムシ類のイメージでしょうか。いずれも、ごく素朴な造形です。

こういう品を買った個人的動機としては、当時何となく自然を感じさせるものが欲しかった…というのがあります。この点は以前の記事でも省察しました。ちょうど下の記事に出てくる魚やクワガタの工芸品と同じ時期、同じ動機に基づいて、この鉄の虫たちも買ったのだと思います。(当時のエスニックブームも影響していたかもしれません。)

■虫と魚

ちなみに、買物帳には「3種」とあるのに、2種類しかないのは、もう1種がヘビトンボLINK】のような姿をしていたからです。最初はそうでもなかったんですが、だんだんヘビトンボそっくりに見えてきて、私はヘビトンボがひどく苦手なので(咬まれたことがあります)、結局処分してしまいました。かわいそうな気もしますが、見るたびにネガティブな連想が働くものを、手元に置くことは忍び難かったです。

ハーシェル去って200年・改2022年09月02日 17時24分58秒


(画像再掲。元記事はこちら

4月にも同じ話題で記事を書きましたが、会期等が決定したので、改めてのご案内です。(以下、日本ハーシェル協会のサイトより全文引用します。)

----------------- 引用ここから -----------------

ウィリアム・ハーシェル(1738-1822)が没してから、今年でちょうど200年になります。イギリスを中心に、各地で関連イベントも盛んに行われていることから、日本ハーシェル協会も、この節目を祝うイベントを、下記により開催する運びとなりました。

■名称 ウィリアム・ハーシェル没後200年記念展
■会場 名古屋市科学館
      (〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄2丁目17-1白川公園内)
■会期 2022年9月17日(土)~10月20日(木)
      月曜休館(9月19日、10月10日は開館、翌火曜日休館)
       9:30~17:00(入場は16:30まで)
■主催 名古屋市科学館 (協力:日本ハーシェル協会)
■内容 同時代の品を含む各種の資料とパネルでハーシェルの略歴と業績を
      紹介し、併せて日本人とハーシェルとの関りについても説明します。

今回、展示される品は、

 ・天王星発見や銀河の構造論に関するウィリアムの論文
 ・ウィリアムの自筆手稿
 ・「ハーシェルの望遠鏡座」を描いた古星図類
 ・ウィリアム作曲の音楽楽譜(複製)
 ・ウィリアムを天文学の世界に導いた天文学書

…等々に加え、「7フィート望遠鏡の金属鏡レプリカ(大金要次郎氏作)」、「同望遠鏡の2分の1模型 (藤井常義氏作)」、「カロラインを描いた七宝絵皿(飯沢能布子氏作)」等、会員諸氏による研究の成果も含まれます。

会場の名古屋市科学館は、東西からのアクセスに便利なロケーションにあり、また世界最大級のプラネタリウムを擁する科学館です。ぜひ皆様お誘いあわせの上、ご参観ください。

(巨大なプラネタリウムを誇る名古屋市科学館。出典:wikipedia)

----------------- 引用ここまで -----------------

ちょっと煽り気味の文章ですが、より客観的に叙述すれば、天文フロアの一角に「ハーシェル・コーナー」を設けるだけの、わりとこじんまりとした展示なので、「大ハーシェル展」みたいなものを想像されると、ちょっと肩透かしを食らうかもしれません。それでも一人の天文学者に光を当てたテーマ展は珍しいと思うので、関心のある方はぜひご覧いただきますよう、私からもお願いいたします。

円安時代をどう生きるか2022年09月03日 09時52分27秒

その後も円安傾向が止まらず、1ドル140円になったとのニュースが流れています。

(本日のGoogleFinanceの表示)

円安になると、海外のものは当然買いにくくなります。
1ドル100円の時代なら、100ドルのものを買うのに10,000円出せばよかったのに、1ドル140円になれば、14,000円出さないと手に入らない理屈ですから、これは辛いです。

まあ、輸入品の価格がいくら上がろうが、それに応じて給料も上がるならいいですが、今の日本は(輸出で潤っている一部企業を除いて)そうなってないので、海外からモノを買い入れることが趣味だ…なんていう人にとって、円安はあまり嬉しくないニュースでしょう。私もどちらかといえば、その一人です。

「ああ、こんなことならドル建てで預金しておけばよかったなあ…」なんて、その気もなかったくせにボヤいてみても、まさに何とかの遠吠え。

でも一瞬ひらめいて、「いや、待てよ。円高の頃に買ったあれこれを、今のレートで換算したら、途方もない金額になっているはずだ。これはひょっとして、相当な含み資産を抱えていることになるんじゃないか?」とも思いましたが、これまた捕らぬ狸の何とやら。その「途方もない金額になったあれこれ」を、一体どこの誰が買うというのか?

要するに、天文アンティークや天文古書は、資産としての流動性が極端に低いので、そこにも円安メリットは無いに等しいです。

   ★

…というような、ソロバン高い話は、あまり趣味の世界にはなじまないでしょう。
もちろん私も現実世界に生きているので、お金のことは気にはなります。気にはなりますけれど、そもそも、そういう「下界の雑事」からいっときでも離れるための天文古玩趣味ではなかったか?という思いもあります。愛すべき品々を、一瞬でも「資産」と考えた時点で、「キミもずいぶん俗物だね」と自嘲したくなります。

   ★

とはいえ(と、もういっぺん逆接をはさみますが)、欲しいものがどんどん遠いところに行ってしまうのは、やっぱり悲しいことです。

それを乗り越えるには、これまで以上に丹念に、思慮深くふるまうことが求められている気がします。懐が乏しいなら乏しいなりに、その範囲でなるべく面白いもの、美しいものを見つけるため、一層の努力をすること。これまで見えてなかったものに、よく目をこらすこと。身の丈にあったものを、よく吟味して買う姿勢に徹すること――。私も定年後にそなえて生活のダウンサイジングを求められているので、その辺を見直すにはちょうど良い機会です。

   ★

「え?生活を見直すとか何とか言いながら、結局買っちゃうんだ。一体それのどこが思慮深いの?」という内なる声も聞こえます。

「まあ、理屈でいえばそうだけどさ。でも理屈を超えて、そこが自分の自分らしさだという気もするんだよ。仮にマグロが生活を見直して、泳ぐのをやめたら死んじゃうじゃない?」と、反論にならない反論をする自分もいます。

あまり物に執着するのもよくないですが、人は物にいろいろな思いを託し、その限りにおいて物は物以上の存在なので、まったく物なしで生きることも難しいです。大切なのは物との距離感ですかね。

なぜ天文古書を?(前編)2022年09月06日 19時17分47秒


(英国王立天文学会の図書室。同学会のfacebook投稿より。正面は同学会の初代事務局長を務めたFrancis Baily(1774‐1844)の肖像)

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このブログが始まったのは2006年1月で、もう16年も前のことです。
そのちょっと前、2005年12月に、「Cloudy Nights」(※)の片隅で、1つのはかなげなスレッドが立ちました。

(※)Cloudy Nights」というのは、アメリカをベースとするアマチュア天文家の巨大掲示板・兼・情報サイトです。

スレ主はハンドルネーム「ガンダルフ」、ことスチュアートさんという方です。17年前から響いてくる、その声に耳を傾けてみます。(私がこの投稿に気づいたのは数日前ですから、なんだか17光年先から届いたメッセージのような気がします。)

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 「多くの天文家は本棚の一つや二つ持っているでしょうし、それを見れば趣味の進展具合も分ろうというものです。

しかし、天文古書を集めている人となると、一体どれぐらいいるものでしょうか?そしてその理由は?

天文古書は、クラシック望遠鏡とはいくぶん異なる点があります。すなわち、そこに書かれた情報はあらかた時代遅れになりつつあるし、説明されている理論の中には、最新の研究成果―いわば後知恵(笑)―を身につけた現代の天文ファンには荒唐無稽に思えるものもあるでしょう。 それに対して、たいていのクラシック望遠鏡は、今でも十分実用になりますし、現行品に代わる立派な選択肢となりうるものがたくさんあります。

では、なぜ天文古書を集めるのでしょう?過去とのつながりを保つため?偉大な天文学者や、私たちアマチュアの先人の心を学ぶため?書物愛や装丁が好みだから?それとも現代の天文学の知識を、広い視野から捉えるため?

個人的なことを言えば、私は自分自身の研究上の興味から細々と収集を行っています。以前蒐集した本の多くは、英国天文学史学会(Society for the History of Astronomy)のロバート・ボール卿参考図書館(Sir Robert Ball reference library)に寄贈してしまいましたが、現時点では、もっぱら以下の3つのテーマに力点を置いています。

1. 月とその歴史、観測、探査
2. 天文学者であり放送作家でもあるパトリック・ムーア卿の作品
3. 科学者でありSF作家であるアーサー・C・クラーク卿の作品

あなたは昔の天文学や宇宙の本を集めていますか?誰の、何の本を?なぜ?

それとも、そのような本はまったく時間の無駄だと考え、趣味の参考書としては、最新のテキストだけを持っているのでしょうか?

スチュアート」

(ロバート・ボール卿参考図書館の内部。英国天文学史学会のサイトより)

   ★

一口に天文アンティークといっても、古書と望遠鏡では意味合いが違う…という指摘は、これまであまり考えたことがありませんでしたが、言われてみれば確かにその通りです。要はアンティーク望遠鏡は実用性があるが、天文古書には実用性がない、ということでしょう。そして、その「実用性」を欠いた天文古書をあえて集めるとすれば、その理由は何か?というのが、スチュアートさんの問いです。

これに対して、当時の人々が何と答え、今の私自身ならどう答えるか?
それを腕組みしながら考えてみます。

(この項つづく)

なぜ天文古書を?(中編)2022年09月10日 09時50分04秒

最近消耗しがちで、これがコロナの後遺症か?と思ったりもしますが、まあ普通に夏の疲れが出ているのでしょう。いくぶん間延びしましたが、話のつづきです。

   ★

スチュアートさんの問いかけに、何人かの人が書き込みをしていました。

そこには、たとえば「いや、天文古書は今でも貴重な情報源だし、十分役に立ってますよ」という真面目な反論もあり、「私は知らず知らずのうちに天文古書を収集していました。つまり買ったときは別に古書ではなかったんですが、今や持ち主同様、老いぼれてしまったんです」という軽口もありました。

中でも、いちばんしみじみした意見は以下のようなものです。

「昨夜、シャープレスとフィリップスの『天文学』(1872)を通読しました。冥王星はまったく想像の外でしたが、バルカンの存在は考慮されていました。研究が進めば、水星と太陽の間にある惑星バルカンの存在が、いずれ証明されるだろうと本書は述べています。この学術的な著作を読了後に、私もきっとそれが実現すると確信しました(笑)。

この本を、数年前に手に入れた別の本と比較してみたいと思います。それは『望遠鏡の驚異。あるいは星空と宇宙体系の大観。天文学習の促進および簡便化のために。銅版画入り』という本です。同書はさらに『ロンドン。発行者ウィリアム・ダートン(版権譲渡)。ホルボーンヒル58番地。1823年』と付け加えることで、一層長ったらしい題名になっています。

(たまたま手元にあった『望遠鏡の驚異』の1805年版。版権譲渡前なので、版元はリチャード・フィリップスになっています)

本書の一節を読めば、我々が誰の肩の上に乗っているのか明らかです。それは、著者が「ハーシェル惑星」と呼んでいるものについてです(天王星の名が一般的になったのは、1827年頃で、本書が発行されてから4年後のことだと思います)。著者は人が住む惑星に関するハーシェルの意見に賛成しています。

曰く、「この惑星にも何らかの種族が住んでいると信じるべき、あらゆる理由がある。ハーシェル惑星は、我々が住む地球と同様、何百万人もの人々の幸福な住処である。我々に理解可能な方法や、説明可能な法則を用いてではないにしろ、彼らもまた創造主の善意を賛嘆していることだろう。何となれば、この世界をお作りになり、太陽がない間も明るく照らすため6個の衛星をこの惑星に与えた大いなる方は、居住者をその居住地に叶う姿にすることもできるのだから。」

くだくだしい文章ですが、非常に興味深い内容で、これは過去の世界に開かれた素晴らしい窓です。

(上掲書口絵の太陽系図。土星には7個、天王星(当時の“ハーシェル惑星”)には6個の衛星が描かれています)

技術面に目を向けると、最初の本(『天文学』、1872年)によれば、ワシントンの国立天文台では、毎日正午の時刻を慎重かつ厳密に計算した後、この情報をいくつかの重要な関係各方面に「電報」で送るのだそうです。

彼らの考えのうち、現在では正しくないものでも、私は別に滑稽だとは思いません。そうした考えは、当時得られていた最良の情報に基づく結論だったのですから。私自身の考えにしたって、十分考え抜いたはずなのに、後から振り返ると、愚かしく思えることもあります。

まだ幼かった1950年代、私たち一家はコロンビア空港への最終進入路の近くに住んでいました。庭に寝転がって星を見上げ(その頃ヒアリはまだいませんでした)、8時のイースタン航空のコンステレーション機が飛んでくるのを、わくわくしながら眺めたものです。頭上から低空飛行で轟音が響いてくると、巨大な星型エンジンの鼓動が感じられるのです。その後、ある日ジェットエンジンを搭載した新型機が飛んできました。私は子供心に、いつかジェット機に乗れる日が来るのかだろうか?と、いぶかしく思ったものです。でも、当時主流だったコンステレーションのような民間プロペラ機には、結局これまで一度も乗ったことがありません。私の数多くのフライトは、すべて何らかのジェットエンジンによるものです。」

とはいえ、最後の人を除けば、明瞭に天文古書コレクターといえる人の書き込みはありませんでした。それに、あまり話題が発展したようにも見えません。Cloudy Nights に書き込むような人は、わりとディープな天文ファンだと思うんですが、それにしたって、天文古書の話題はマイナーなんだなあ…と、改めて思いました。しかも2005年の時点で、すでにそうだったわけです。

そして、上の投稿から9年後の2014年に、私自身が以下のような記事を書きました。

■天文古書の黄昏(1)
天文古書界で有名だった、ポール・ルーサー氏が商売をたたみ、ひとつの時代が終わったことを述懐する内容で、それを悲しむ他の人の声も紹介しました(連載は3回にわたって続きました)。

その後さらに8年が経過し、天文古書の世界はさらにシュリンクした感もありますが、スチュアートさんの問いに、今の私ならどう答えるか?を、次回書きます。

(この項つづく)

なぜ天文古書を?(後編)2022年09月11日 09時37分56秒

スチュアートさんの書き込みを読んだとき、実は微妙な違和感がありました。
それは、スチュアートさんが「天文古書なんて古臭いものを、なぜ一部の人は集めるのか?」と問うていたからです。

もちろんスチュアートさんの真意は全く違うところにあると思いますが、その問いの前提ないし含意は、「天文古書は古臭くて、実用性に欠け、そうしたものは読んでもしょうがないんだ」という考え方です。でも、私が天文古書に惹かれる理由(のひとつ)は、まさに「古風で実用性に欠ける」からなので、出発点からして全然違います。

(賑やかしの演出写真。以下も同じ)

京の伝統町家や、優美な茅葺の古民家を、単に「古臭い」とか「住みにくい」とかいう理由で取り壊して、新しい家に建て替える――実際そうした例は多いし、それは住む人の権利だとは思いますが、一部の人にとっては、はなはだ嘆かわしいことでしょう。私が天文古書をいとおしむ気分は、それに通じるものがあります。

人から人に伝わってきた古いものは、それだけで慈しむに足るし、ましてやそこに優美さや、往時の人の思いが感じられれば、それを尊重しないわけにはいきません。

   ★

ここでちょっと注釈を入れておくと、「天文古書には実用性がない」と書きましたが、ある立場の人にとっては、天文古書にも立派な実用性があります。それは、過去の学説史を学ぶ人、つまり「天文学史」の研究者で、そうした人にとって、天文古書は大切な研究材料であり、いわば飯の種です。

研究こそしていないものの、私も興味関心は大いにあるので、天文学史家にはシンパシーを感じます。でも極論すれば、研究目的のためだけなら、デジタルライブラリでも事足りるので(今後、古書のデジタル化はますます進むでしょう)、モノとしての本は無くても良い…ということになりかねません。この点で、私の立場は純粋な天文学史家ともズレる部分があります。

   ★

「天文古書好き」というのは、「天文好き」と「古書好き」の交錯領域に成り立つものでしょう。「真理を説く」という科学書の第一目的から逸脱してもなお、古民家のごとくそれを愛惜するというのは、もっぱら後者の観点からです。いわば審美的観点。


実際、天文古書はビジュアル面でも優美と呼ぶほかないものが多々あります。
古風な装丁もそうですし、その美しい挿絵の数々には、まったく目を見張らされます。まあ、美しい挿絵ならば現代の本にも多いわけですが、天文古書の場合は、まさに「古い」ということが重要な要素です。それは自分と過去の世界とのつながりを保証するものであり、甘美なノスタルジーを存分に託せるだけの頼もしさを備えています。

   ★

そして、これまで何度も口にしてきた星ごころ」

16世紀の人は16世紀なりに、19世紀の人は19世紀なりに、そして21世紀の人は21世紀なりに、精いっぱいの知識と知恵で星空を見上げ、そこに憧れを投影してきたという事実、それが私のシンパシーを誘うわけです。この点では、古いも新しいもなくて、みな同格です。いずれも熱く、そして優雅な営みだと思います。


そして、現代の星ごころを知るためのツールはたくさんありますが、過去の人の星ごころを知ろうと思えば、何といっても天文古書が良き窓であり、好伴侶です。それが天文古書を集める大きな理由です。

   ★

スチュアートさんの問いに対する答をまとめておきます。

「あなたは天文古書を集めていますか?」
はい、集めています。

「誰の本を?」
過去のあらゆる時代の星好きが著した本です。

「どんな本を?」
優美で、愛らしく、星ごころが横溢した本です。

「なぜ?」
それがまさに過去に属し、古人と語らう場となるからです。また審美的にも優れたものが多く、ロマンを感じさせるからです。

落日のドイツ帝国にハレー彗星来る2022年09月13日 21時10分33秒

円安がますます進んで、買えるものもだんだん限られてきました。
そんな中でも紙物は強い味方で、まあ紙物といってもピンキリですが、せいぜい値ごろで魅力的なものを探そうと思います。

…と考えつつ、こんなものを見つけました。


何だかひどく装飾的なハレー彗星のリーフフレット。
1910年のハレー彗星接近を前に、ドイツのニュルンベルクで発行されたものです。
「星空におけるハレー彗星/特別図1枚及び補助図2枚付き」と書かれた下に、K. G. Stellerという版元の名が見えますが、どうやら私家版らしく、詳細は不明。大きさは23.5×15cmで、A5サイズよりもちょっと縦長です。


天の北極を中心とする円形星図を囲んで、ドーリア式の円柱とアーチがそびえ、そこに円花文様(ロゼット)や唐草文様がびっしり描かれています。いずれも古代オリエント~ギリシャの伝統文様。そして、てっぺんには天文界の四偉人、コペルニクス、ケプラー、ニュートン、ラプラスの名が…。ひょっとしたら、このデザイン全体が、彼らを称える霊廟なのかもしれません。

いかにも大時代というか、当時の歴史主義建築の影響が、片々たる紙物のデザインにまで及んだのでしょうが、第一次大戦の直前、ヴィルヘルム2世治下のドイツ帝国では、これが「時代の気分」だったのかなあ…と思いながら眺めています。

   ★

さて、肝心の中身ですが、リーフレットは二つ折りになっていて、中を開くとこんな感じです。


「1910年3月、4月、5月のハレー彗星の径路」と題して、彗星が徐々に天球上での位置を変える様子を図示しています。

(赤線で示されているのが彗星の位置変化)

このとき彗星はうお座の方向に見えていました。そのプロットは、左下の1月25日から始まり、2月、3月、4月と、時間経過とともに徐々に右(西)に向かって進み、4月24日すぎにクルッと方向転換して、今度は反対に左(東)へと進んでいく様子が描かれています。

赤線の下の太線は黄道で、その上に描かれた小円は太陽の位置です。
上の画像だと右下の3月13日から始まって、左上の4月22日まで、太陽が天球上を動いていくのが分かります。

この2つの情報から、宇宙のドラマを3次元的に脳内再生できますか?
太陽の位置変化は、地球自身の公転による見かけ上のもので、彗星の位置変化は、彗星自身の動きプラス地球の公転の合成です。私にはとても再生不能ですが、それでも何となく彗星がクルッと方向転換するあたりで、太陽をぐるっと回り込んだんだろうなあ…というのが想像できます。彗星の尾は太陽風によって、常に太陽と反対方向になびきますから、その尾の動きも併せて想像すると、よりリアルな感じです。

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図の下に書かれた説明に目をこらすと、例によってドイツ語なのであれですが、かなり本格的なことが書かれている気配です。たとえば、本図はクロメリンとその協力者スマート〔文中ではSinartとミスプリ〕の計算に基づくものであり、「彗星は4月20日に近日点を通過すると予測されている」こと、そして「そのとき彗星の速度は秒速54kmに達し、太陽との距離は約8,700万kmである。一方、太陽から最も遠い遠日点では、太陽から約5,000km〔これは5,000ミリオンkm、すなわち50億kmの間違い〕のところにあり、速度は〔秒速〕1km未満に過ぎない」…云々。この印刷物が、ある真剣な意図をもって作られものであり、少なくとも「近日点」「遠日点」という言葉にたじろがないだけの知識を持った人を対象にしていることを窺わせます。

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ちなみに裏面にはもう1つガイド星図が載っていて、ハレー彗星が位置するうお座(とおひつじ座・おうし座)の見つけ方を指南しており、まことに遺漏がないです。


ごくささやかな品とはいえ、旧時代の空気を漂わせ、なかなか堂々たるものです。

紙物未満…パリ天文台を称えて2022年09月16日 12時47分16秒

円安時代を生き延びるために、今でも気軽に買えるものを見つけました。


フランスのテレホンカードです。額面は50度数で、日本と同様、短時間ならこれで50回通話できたのでしょう。

特にプレミアがつくような品ではないので、換金価値は限りなくゼロですが、そうは言ってもタダというわけにもいくまい…と売り主は思ったのでしょう、1ユーロの値段が付いていました。

なぜそんなものを買ったかといえば、これも天文にちなむ品だからです。


背景はパリ天文台。そして「1891-1991」の文字。
下の説明文には、「パリ天文台は100年間、この国の標準時を定めてきました」とあります。

パリ天文台と報時業務については、以前ちょっと書いたことがあります。

■天文台と時刻決定

同天文台は、1891年からは1911年までパリを基準として報時を行い、その後、他国にならってイギリスのグリニッジを基準とするようになりましたが、その後もフランス標準時をつかさどり、100年休まずにチクタクチクタク、1991年にはそれを称えてテレホンカードのデザインにまでなった…というわけです。

私もパリ天文台に敬意を表して、今回1ユーロを投じました。

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ちなみに裏面のデザインはこうなっています。


そこには「3699にお掛けいただくと、音声時計が正確な時刻をお知らせします。料金は1991年3月1日現在、1回につき1度数です」とあって、「へえ、フランスにも日本の〈117〉みたいなサービスがあるんだ…」と、意外に思いました。

でもちょっと検索したら、この1933年から続くサービスも、今年ついに終了したのだそうです。

■Technologie : l’horloge parlante tire sa révérence

こうして時代は少しずつ移っていくのですね。
日本の〈117〉も一体いつまで存続するのか…?まことに思うこと多々、です。

ハーシェル展 続報2022年09月18日 19時09分25秒

名古屋市科学館の「ウィリアム・ハーシェル没後200年記念展」が昨日から始まりました。

科学館公式ページ:ウィリアム・ハーシェル没後200年記念展
それにしても、亡くなってから200年経っても、こうして記念展が開かれるってすごいことですよね。存命中は盛名隠れなき人でも、死後はまったく忘れ去られてしまい、「え、○○って誰?」となってしまう人の方が圧倒的に多いことを思えば、200年後に、しかも遠い異国の地で追悼されるというのは、彼が偉人なればこそです。

会期の方は10月20日(木)までありますので、興味を覚えた方は、ぜひ会場に足をお運びいただければと思います。

   ★

名古屋市科学館は、地元の人にはなじみだと思いますが、その天文館の5階が展覧会の会場です。


フロアには、引退したツァイスIV型機がそびえ、


天井を見上げれば、プラネタリウムの元祖、18世紀の「エイシンガ・プラネタリウム」【LINK】のレプリカが設置され、人々の星界への憧れを表現しています。


上は今回の展示前から常設されている、ハーシェルの40フィート大望遠鏡の縮小模型。

さて、こうした星ごころあふれるフロアの一角にある特設コーナーが、今回のハーシェル展の会場です。といっても、私はオープン前日の展示設営に、日本ハーシェル協会員として立ち会っただけで、まだ実際の展覧会には行ってないのですが、その雰囲気を一寸お伝えしておきます。



まず全体のイメージは↑こんな感じです。


展示は、パネルと同時代のものを含む各種資料から成り、小規模な展示ながら、並んでいる品にはなかなか貴重なものも含まれます。


左上はハーシェルが暮らした町、イングランド西部のバースの絵地図。ここでハーシェルは売れっ子の音楽家として生計を立てながら、一方で天文学書を読みふけり、ついには自作の望遠鏡で天王星を発見し…というドラマがありました。右側に写っているのが、彼の愛読した天文書です。


ハーシェルの自筆手稿を中心とした資料群。右端で見切れているのは、ハーシェルの死を伝える故国ドイツ(ハーシェルは元々ドイツの人です)の新聞という珍しい資料。


会場でひときわ目を引く古星図。ボーデの『ウラノグラフィア』(1801)の一葉で、今は使われてない星座、「ハーシェルの望遠鏡座」が描かれています(右端、ふたご座の上)。この貴重な星図は、今回このブログを通じてtoshiさんから特別にお借りすることができました。


ハーシェルが天王星を発見する際に使った望遠鏡の1/2スケールモデル。サンシャインプラネタリウム(現:コニカミノルタプラネタリウム)の元館長、藤井常義氏が手ずから作られたものと知れば、一層興味を持って眺めることができるでしょう。

以下、その説明は現地でご確認いただければと思いますが、こうしたモノたちを前にして、会場に流れるハーシェルのオルガン曲に耳を傾ければ、職業音楽家から大天文家へと転身したその劇的な生涯がしのばれ、彼によって代表される200年前の星ごころが、身にしみて感じられる気がします。




ブセボロードさんのウクライナだより2022年09月19日 17時32分45秒

ウクライナのアストロラーベ作家、ブセボロードさんから台風見舞いをいただきました。そのお礼を述べる中で、最近、ウクライナ軍が東部戦線で攻勢に出ていることに触れたら、ブセボロードさんからさらに返信がありました。

 「ええ、我々もここ数週間、ウクライナ防衛軍の前進状況に関する報道を目にしています。私が主にチェックしているのは、以下のインタラクティブ・マップです。
https://deepstatemap.live/en#6/49.411/29.290

今月に入ってから解放された地区は、被占領地域の約6%と見積もられています。それは予想を上回る戦果ですが、全面的な成功にはまだ程遠い状況です。全ての変化が地図に反映されるまで若干タイムラグがありますが、それはもっぱらサイト運営者が、信頼できるデータを提供しようとしているためです。

一方には暗い側面もあり、解放地域では多くの陰鬱な発見がなされ、そうした写真の何枚かは、すでにネットにも上がっています。ボランティアでパラメディカルスタッフをしているリヴィウとニーコポリ〔註:それぞれウクライナの西部と東部の町〕出身の私の友人たちも、現在そうした地域で遺体発掘の仕事に従事しています。彼らは決してすべてを語ろうとしませんが、そのメッセージのトーンから、彼らが目にしなければならなかったものは、彼らが決して見たくなかった類のものだろうと感じます。」

たしかにこれも伝聞情報に過ぎないとはいえ、生身の人間から伝わってくる情報は、やはり生々しさが違います。そして「決してすべてが語られない状況」をぼんやり想像して、身の毛がよだつ思いです。

(参考までにブセボロードさんに教えてもらったDeepStateマップの画像サンプルを挙げておきます。9月19日現在の状況)

(マップ右上のインフォメーションボタンを押すと出てくる凡例)

   ★

敵国に立ち向かうには、外交を含む戦略と武器があればいいのかもしれません。
では、我々は何をもって人間の残酷さに立ち向かえばいいのか?

それは宗教だという人もいるし、教育だという人もいます。
でも、まだそれに成功したという話は聞きません。敵国を華々しく打ち破った猛将・知将は、歴史上数多くいますけれど、人間の内なる残酷さに打ち勝った人は多分まだいないので、後者の方が格段に難しい課題であることは確かです。

なぜそんなに難しいかといえば、おそらく「残酷さに打ち勝つという思考の中に、すでになにがしかの残酷成分(排除と殲滅)が含まれているからで、だとすれば残酷さに対しては、打ち勝つのではなく、それとうまく共存する方法を見出すことこそ、人間になしうる最善のことではないか…とか何とか、例によって下手の考え休むに似たりですが、台風の空を眺めながら考えました。