君の名は…? ― 2024年10月14日 17時47分31秒
以下、小ネタです。
彗星が登場する映画というと、2016年に公開された新海誠監督の「君の名は。」をまず思い出します。
(主人公が高校生の姿のままで描かれた宣伝用のカット)
今でも印象に残る映画ですが、物語のラストで主人公の三葉と瀧が再会した階段のシーン、あれは東京の四谷須加神社の階段だ…というのは、ファンの間ではよく知られた事実と思います。
ストリートビューに投稿された写真を見ると、「なるほど」と思うんですが、こないだ地元・名古屋のストリートビューを見ていて、「あれ?」と思った眺めがあります。
千種区内の階段坂からの眺めですが、その高低差や「抜け感」でいうと、こっちの方が似てないですかね?
まあ、そうこだわるほどのこともないですが、階段の向こうに広がる光景をディスプレイ越しに眺めながら、映画のことを懐かしく思い出しました。
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再会という点では、周期彗星そのものが再会を体現する存在です。
たぶん映画のストーリーはそのことも下敷きにしていると思いますが、作中のティアマト彗星(架空の彗星)は、周期1200年という設定だそうです。
紫金山・アトラス彗星の場合は、推定約8万年。
8万年後に「紫金山・アトラス彗星」の名を記憶している人がいるのかどうか、たぶんいないんでしょうけれど、だとするとあの彗星が「紫金山・アトラス彗星」と呼ばれるのは、彗星の生涯においてただ一度きりのことであり、なんだか無性にいとおしい気がします。
江戸のコメットハンター(1) ― 2024年10月14日 11時16分16秒
紫金山・アトラス彗星の話題で、一般向けメディアも賑わっています。やっぱり彗星は人気者ですね。まあ、これは彗星の正体がわかって、この「宇宙の旅人」を歓迎するムードが高まってからのことで、それ以前はもっぱら不気味で不安を掻き立てる存在だったことは、洋の東西を問いません。
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日本で彗星に対する科学的関心が生まれたのは江戸時代中期、宝暦年間(1751~63)以降のことで、この頃から幕府天文方による正確な位置観測に向けての努力が始まった…と渡辺敏夫氏の『近世日本天文学史』には書かれています(p.692)。
もっとも天文方の本務は暦の作成でしたから、彗星観測はいわば余技で、それでも結構なエネルギーを注いだのは、彗星のようなぼんやりした対象の位置を正確に決定することは、非常にチャレンジングなことであり、彼らの研究者魂や技術者魂を強く刺激したからでしょう。
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そんな「江戸のコメットハンター」にちなむ品を手にしました。
浅草天文台を観測拠点として活動した、幕府天文方による彗星発見の第一報である「御届書付」です。天文方は若年寄の直属だったので、直接には若年寄に対して差し出したものでしょう。
美濃判サイズの和紙(実寸は28×38.5cm)に、細筆を使って丁寧に書かれています。図中の直線は、おそらく墨糸を打ったものでしょう。字体と紙質から、江戸期の文書と見て間違いないと思いますが、もちろん現物は若年寄に提出してしまったので、これはその写しということになります。
現物では彗星の位置は別紙に描かれていたようですが。ここでは同じ一枚にまとめて描かれています。また現物では、末尾に報告者である天文方3名の署名があったはずですが、写しでは単に「天文方三名」となっています。
ただ、写しにしても、ここまで丁寧に書かれているのは、「写しの写しのそのまた写し」とかではなく、現物を直接脇に置いて書いたものではなかろうかと、もちろん正解は分からないですが、今のところそんなふうに考えています。したがって天文方自身、あるいはその周辺の者が、控えとして作成したもの…という可能性もなくはありません。
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この文書が報じている彗星は、大崎正次氏が編纂した『近世日本天文史料』(原書房、1994)を見たらすぐに分かりましたが、この文書の素性に関しては、他にもいろいろ考えるべき点があるので、地味な話題ですが、のんびり筆を進めます。
(この項つづく)
アールデコの彗星 ― 2024年08月11日 13時50分08秒
アールデコの時代は、高度な工業化の時代でもあります。
昨日のクライスラービルに代表される「摩天楼」も、巨大な工場が生み出す大量の鉄筋とセメント、そして平面ガラスがなければ、実現不可能だったでしょう。
そして身近な品も、合成樹脂製品が幅を利かせるようになります。
その代表が、非石油系樹脂であるセルロイドです。
セルロイドは1920~30年代、アールデコの時代を象徴する素材で、今でこそ「なつかしい」と言われるセルロイド製品ですが、当時はモダンな新時代の空気を身に帯びていました。(まあ、当時は当時で「安っぽいまがい物」と、眉をひそめる人もいたでしょうが)。
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彗星モチーフのブローチ。
セルロイドにガラスの模造宝石を散りばめてあります。
米・バーモント州の人から購入しました。
元々安価な品ではあったでしょうが、ところどころ塗装が剥げてしまって、今では文字通り一山いくらの品です。それでもコメット・ブローチをいろいろ探している中で、アールデコの時代を強く感じさせる品として、興味をそそられました。
このブローチは、当時の女性の装いを教えてくれると同時に、彗星にアールデコの装いをさせると、どんな姿形になるのかをも教えてくれます。
元のデザイナー氏が、どこまで彗星の知識を持っていたかは分かりません。
でも、1744年のシェゾ―彗星や、1861年の大彗星(テバット彗星)は、複数の尾を派手に広げた姿が盛んに描かれましたから、このブローチもたぶんその辺が発想源ではないかと思います。そこにアールデコのデザイン感覚を重ねると、こんな姿になるというわけです。
(左上・シェゾ―彗星、右上・1861年の大彗星。William Peck(著)『A Popular Handbook and Atlas of Astronomy』(1890)より)
1910年のハレー彗星以降、20世紀前半は目立つ彗星の少ない時期だったと思いますが、それでも1927年のシェレルプ・マリスタニー彗星(C/1927 X1)のように、日中でも観測できる明るい彗星があったり、彗星は年々地球の近くを訪れましたから、人々の念頭を去ることはなかったでしょう。
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星々の間を縫って進む宇宙の放浪者。
一所不住の気まぐれ者。
颯爽としたダンディな服装と身のこなし。
一所不住の気まぐれ者。
颯爽としたダンディな服装と身のこなし。
彗星は、西洋流の粋を身上とする伊達者に、理想のイメージを提供したかもしれませんね。
聖夜を翔ぶ星 ― 2024年07月19日 13時52分45秒
わが家の年寄りが熱中症(疑い)で救急搬送され、右往左往しました。
幸い病院での処置が功を奏して大事には至らず、まずはホッと一息です。まあ、世間ではありふれた出来事だと思うんですが、身近で起こるといろいろ焦ります。
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何か涼しくなるものはないかな…と思って、こんな絵葉書を見つけました。
Weihnacht(ヴァイナハト)、英語にすれば Holy Night。
楽しかるべきクリスマスの晩に、ひとり雪山をゆく兵士。その背には銃が、足元にはスキーが見えます。姿勢を低くして辺りをうかがう斥候兵でしょうか。
その視線の先には、澄み切った冬の夜空と、それを切り裂くように飛ぶ彗星ないし流星の姿があります(彗星なのか流星なのかは、例によって曖昧です)。
兵士の緊張感も相まって、なんだか見るだけで、キーンと冷えた空気が感じられるようです。
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裏面を見ると、版元はゲオルグ・D・W・カールヴァイ(Georg D.W. Callwey)で、ここは 1884 年創設の、建築関係では有名なミュンヘンの出版社だそうです(今は単なるCallway社。海外展開する中で、読み方もコールウェイになっているかもしれません)。
さらに目をこらすと、上部に「Bayerische Kriegsinvaliden=fürsorge.」の文字が見えます。少し言葉を足すと、「バイエルン戦傷病者福祉向上絵葉書」の意味でしょう。第1次世界大戦中、ドイツの傷痍軍人、中でもミュンヘンを州都とするバイエルンの軍人たちを慰撫するために発行された愛国絵葉書で、 そう聞くと涼しいとばかり言ってられないような気もします。
絵の作者はリヒャルト・クライン。同一人物かどうか、今一つはっきりしませんが、これが芸術家のRichard Klein(1890-1967)だとすれば、彼は後にミュンヘン応用美術学校の校長を務め、ヒットラーとナチス政権の覚えめでたかった人。国威発揚の「大ドイツ美術展」(1937)にも出品したし、ナチスの勲章をいくつもデザインした…と聞くと、今度はなんだか別の意味で涼しくなってきます。
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1910年代は、1910年のハレー彗星を除き、特に目立つ彗星のない時期でしたから、描かれたのが彗星だとすると、これは純粋に画家の想像に基づく絵ということになります。
彗星ゲームをめぐる旅 ― 2024年07月14日 10時46分22秒
このブログも長くなったので、最近は何を書いても二番煎じのような気がします。限られた世界で右往左往しているので、やむを得ない面もありますが、それでも単なる二番煎じではなく、少しずつ前に進もうという殊勝な思いもあります。
実際ちょっとは前進しているぞ…と最近思ったことがあります。
10年前のことですが、自分は下のような記事を書きました。
■ちょっと気取った彗星ゲーム
イギリスのゲームメーカーが1996年に発売した「ロイヤル・コメット」というボードゲームを紹介したものです。
そしてゲームの内容もさることながら、そのデザインが天文古玩的になかなか典雅で好いね…ということを書きました。
それから5年が経ち、今から5年前、その続報を書きました。
「ロイヤル・コメット」のパッケージデザインの元絵を見つけたという内容です。
■古画発見
元絵は1766-1775年ごろロンドンで出版された、ずばり「Astronomy」というタイトルの版画で、オックスフォード科学史博物館に収蔵されている一枚が、現在オンラインで公開されていることを紹介しつつ、あの典雅な絵の出所が分かって、まずは良かったと胸をなでおろしたのでした。
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それからさらに5年が経った今年、問題の版画が売りに出ているのを見つけました。しかも非常にリーズナブルな価格で。もちろん、これを買わない手はありません。
(ガラスの反射がきついので、不自然な構図になっています)
手彩色なので、色合いには個体差がありますが、まぎれもなくあの「Astronomy」の現物です。18世紀のロマンチックな、そしておそらくは理想化された天文学の営みが、こうしてわが家にやって来たのです。
なんとなく落ち着くべきところに落ち着いたと言いますか、「ロイヤル・コメット」に始まった旅は、10年かけて今ようやく目的地に着いた感があります。やっぱり長く続ければ、続けただけのことはあります。
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でも、10年前に記事で紹介した「ロイヤル・コメット」の版元解説↓に出てくる、18世紀のオリジナルのゲーム盤とはどんなものか、その現物はどこで見られるのか、はたまたそれを入手するなどということは可能なのか…と、まだまだ旅は続きそうな気配もあります。
「1682年のハレー彗星出現後、イギリスの上流階級の間で天文学への関心が高まり、それは宮廷での娯楽の在り方にも広範な影響を及ぼしました。「ロイヤル・コメット The Royal Game of Comette」の名で知られるカードゲームが、英国の宮廷に紹介されたのも、こうした天文ブームの一例です。
1684年までには、ロイヤル・コメットは「ご婦人方も含め…宮廷における最も熱い流行」となっており、ずっと後の1748年になっても依然として愛好されていました(この年に、ゲーム盤を用いる、より複雑な遊び方が流行りだしました)。」
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お茶の二番煎じはあまり感心しませんが、世の中には徐々に味わいの濃くなる「蔗境(しゃきょう)」という言葉もあります(サトウキビをかじるとき、あえて甘みの薄い先端部からかじり始める理由を問われ、「漸入佳境」と答えた六朝時代の画家・顧愷之(こがいし)の逸話に由来)。
「天文古玩」もこんなふうに蔗境を楽しみつつ、「まだ見ぬ目的地」に向けて、終わりなき旅を続けたいと念じています。
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【補遺】
ちなみに、ゲーム盤が生まれる以前の「ロイヤル・コメット」は、こちらのページで解説されている、単に「Comet」と呼ばれるトランプゲームと同じものだと思います。
17世紀のフランスで考案された遊びで、手札をルールに従い数字の小さい順に場に捨てていき、最初に手札をなくした人が勝ち…というのは、20世紀の「ロイヤル・コメット」ゲームと共通です。「Comet」の名は、場に捨てられた自分のカード列がだんだん伸びていく様を、彗星の尾に見立てたのが由来だとか。
彗星と赤い目をした象(後編) ― 2023年11月12日 08時39分10秒
以下、どちらかといえば余談ですが、昨日の版画の作者を付記するとともに、ネットの威力に改めて感じ入ったので、文字にしておきます。
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まず作者のサインを、改めて見てみます。
これを何と読むか? 元の売り手の方は、「Alan C. Naiman」と読みつつ、そこに疑問符を付けていました。ナイマン(Naiman)は、たぶんその通りでしょうが、ファーストネームの方はいささか難読で、「Alan Naiman」で検索しても、解決に結びつく情報は得られませんでした。
でも、「Naiman wood engraving」で探しているうちに、アメリカ東部の名門女子大、ウェルズリー大学のデーヴィス美術館に、「Alaric Naiman」という人物が、木版画作品を大量に寄贈しているのを見つけました。なるほど、例のサインは確かにこの名に違いありません。
ただ、ここでナイマン氏が寄贈しているのは自作の版画ではなく、様々な作家の過去作品です。つまり、ナイマン氏はここでは版画家ではなく、版画コレクターとして登場しているわけです。そして、そのすべての寄贈作品には、「Gift of Alaric Naiman in memory of Adeline Lubell and Mark Lewis Naiman(アデライン・ルベルとマーク・ルイス・ナイマンを記念して、アラリック・ナイマンより寄贈)」の注記がありました。
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版画家か?コレクターか? その疑問を残しつつ、ここまでくれば話は早いです。
ネット情報をたどると、アラリック・ナイマン氏は、物理学者であるマーク・ルイス・ナイマン氏(1922‐2007)【参考LINK】と、コンピューター教育の専門家、アデライン・ルベル・ナイマン氏(1925‐2011)【同】のご長男で、自身は化学を専攻し、特許をいくつも取得して実業に乗り出し…という経歴の方でした。1953年のお生まれだそうですから、御年70。ハレー彗星がやってきた1986年は、33歳の少壮期に当たります。
そしてナイマン氏のFacebookページもすぐに見つかりましたから、強心臓の私はさっそくメッセージを送り、この版画が氏の自刻作品なのか問い合わせました。ただ、氏はもうFacebookを使われてないのか、残念ながら返事はありませんでした。
しかし…です。ナイマン氏の投稿を遡ると、2020年10月23日付け【LINK】で、氏がコロナ禍と絡めてこの作品を紹介しているのを発見。そして「これはご自身の作ですか?」という質問に対し、それを否定することなく「ハレー彗星です」と答えているので、すべての謎は解けたのでした。
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結局、今回私が入手したのは、アラリック・ナイマンというアマチュア版画家の手になるものでした。そして氏は同時に木版画コレクターでもあり、好きが昂じてご自分も制作を始められたか、あるいは趣味の版画制作の延長として、先人のコレクションを始めたのでしょう。
たしかにナイマン氏は作家として著名とは言い難いですが、その技倆はなかなかのものです。そして、この作品はハレー彗星の目に映った1986年の世界を活写し、当時のアメリカ社会の空気を彷彿とさせる「歴史の生き証人」として、依然貴重だと思います。
彗星と赤い目をした象(前編) ― 2023年11月11日 09時53分15秒
ギリシャ神話だと、天空はアトラス神によって支えられています。
一方、インドでは古来、巨大な象や亀が世界を支えていることになっています。
最近、こんな版画を見つけました。「USMC/地球を支える象の版画/作者サイン入り/86年ハレー彗星」と題して、eBayに出品されていたものです。
版面サイズは108 ×137mmと 、ほぼ葉書サイズの小さな木版画です。
まずは売り手の言葉に耳を傾けてみます。
「この品の歴史は不明です。これはニューヨーク市近郊で何十年も希少本の専門家として働いてきた私の母の遺品です。この上質の手漉き紙に刷られた絵の下には、以下のような文言が書かれています。
「SIC SEMPER TYRANNIS(羅:暴君は常にかくの如く=専制的な指導者は必然的に打倒される)」、「A Felicitious New Year to you and yours (ご一同様が良き新年を迎えられますように)」「ALAN C. NAIMAN 86」(この読み方は間違っているかもしれません)」
絵柄は地球を支えている象で、彼は亀に乗っているように見えます。また彼は鐘を引きずっていて、その鐘にも何か文字が書かれているようですが、私の老眼には定かでありません。スターダストの浮かぶ空には彗星が飛んでいます。ハレー彗星が最後にやってきたのが 1986 年ですから、それと関係があるかもしれません。でも、はっきりしたことは分かりません。いずれにしても興味深い品です。〔以下略〕」
「SIC SEMPER TYRANNIS(羅:暴君は常にかくの如く=専制的な指導者は必然的に打倒される)」、「A Felicitious New Year to you and yours (ご一同様が良き新年を迎えられますように)」「ALAN C. NAIMAN 86」(この読み方は間違っているかもしれません)」
絵柄は地球を支えている象で、彼は亀に乗っているように見えます。また彼は鐘を引きずっていて、その鐘にも何か文字が書かれているようですが、私の老眼には定かでありません。スターダストの浮かぶ空には彗星が飛んでいます。ハレー彗星が最後にやってきたのが 1986 年ですから、それと関係があるかもしれません。でも、はっきりしたことは分かりません。いずれにしても興味深い品です。〔以下略〕」
タイトルにあるUSMCとは、United States Marine Corps(アメリカ海兵隊)のことで、象のお尻のところにこの文字が縦書きされています。
これが1986年に回帰したハレー彗星をモチーフにしているのでは?という、売り手の意見に私も賛成です。1986年を祝うかのように、遠い宇宙から飛来した客人を、作者はぜひ描きたかったのでしょう。
さらに私なりの推理を加えてみると、この年はイラン・イラク戦争の最中であり、アメリカのレーガン政権が、そこに直接的な軍事介入を画策した時期に当たります。買い手の方は首をひねっていましたが、象の足にくくりつけられた鐘は、そのひびの入り方から見て、アメリカ独立の象徴である「自由の鐘」とみていいでしょう。

(自由の鐘)
すなわち、この白象はアメリカの正義をかかげて進むアメリカ海兵隊の分身であり、彼らこそ世界を支える存在だ…という、かなり愛国的なメッセージを、そこに読み取ることができます。結局、この作品は、ある経歴不詳の版画家が(その腕前から見て、彼はプロないしセミプロでしょう)、派兵を前にした海兵隊の友人と、その同僚や家族を鼓舞するために、これを刷って贈ったのではないかと想像します。
★
一応、この作品のコンテクストは、そんなふうに読み解けます。
でも、私の目にはまた別の意味を帯びて感じられます。もちろん、これは作者の意図を離れて、私が勝手に読み取ったものに過ぎません。
私が連想したのは、賢治の童話『オツベルと象』です。
このお話に出てくる象は、本当に気のいい奴で、狡猾なオツベルの言葉に何の疑問も持たず、頼まれごとは何でも引き受けます。でも、いいように酷使されているうちに、やがて憔悴しきったその顔に「赤い竜の目」が光るようになります。
この版画に描かれた「自由の鐘」は、自由どころか、この象にとっては「くびき」そのものであり、またアメリカの正義なるものが、まったく恣意的で信の置けないものであることは、今回のイスラエルの横暴に対するアメリカの態度を見ても分かります。そしてこの象も、今や赤い目をして、重そうにアメリカの大義を引きずり、世界はその鼻先で危ういバランスをとっているのです。
そんな目でこの絵を眺め、今の世界を顧みるとき、いかにも複雑で苦いものが感じられるのではないでしょうか。
★
…と、ここまで書いて、いい気持ちになっていましたが、文章を書き上げた後で、この版画の作者が突如わかったので、後編ではそのことを書きます。
(この項つづく)
碧い彗星を見上げて ― 2023年10月15日 10時42分13秒
イスラエルの人から何か物を買ったことがあるかな?…と思って調べたら、買ったのはイギリスの人でしたが、イスラエル製の彗星ブローチを見つけました。
孔雀石をメインに、繊細な銀線細工を施した美しいブローチです。
売り手の人は、ミッドセンチュリーの品ではないかと言ってたので、第2次大戦後にイスラエルが建国されたしばらく後に、彼の地で作られたものと想像します。
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今回のイスラエルとハマス件で、改めてイスラエル問題の輪郭を知ったという方も多いでしょう。私にしても、それほど明瞭なイメージを描けていたわけではありません。
ナチスの暴虐によるホロコーストの悲劇と、新たな希望の地としてのイスラエル建国。アラブとイスラエルの対立による数次の中東戦争。あるいは一挙に時代を遡って、旧約時代のエピソードの数々…。そんなものがぼんやり重なって、私の中のイスラエルイメージはできていました。でも、そこには旧約の時代と第2次大戦後の時代に挟まれて、膨大な空白の期間があります。
★
イギリスで1871年に発行された地図帳を開いてみます。
この地図の中で色が付いているのは、「Turkey in Asiaアジアにおけるトルコ」、すなわちオスマン帝国の版図です。「アジアにおける…」というのは、この地図帳にはもう1枚、「ヨーロッパとギリシャにおけるトルコ」という地図があるからで、当時のオスマン帝国はアジアとヨーロッパにまたがる広大な領土を誇っていました。
少し寄ってみます。今のイスラエルも当時はオスマン領内で、その「シリア地方」の一角を占めていました。
もちろん、エルサレムもガザもその一部です。
こうして近世以降、トルコ一強で固められた中近東でしたが、この大帝国もクリミア戦争(1853-1856)後の経済的疲弊と、相次ぐ国内の政治的混乱によって、半植民地化の進行がとまらず、特に第1次世界大戦(1914-1918)の最中、イギリスの後押しで蜂起したアラブ民族独立闘争を受けて――アラビアのロレンスのエピソードはこのときのことです――結果的にパレスチナがイギリスの委任統治領になった…というのが、その後の歴史を大きく左右したらしいのですが、この辺の叙述は、たぶん大部な書物を必要とすることでしょう。
まあ、イギリスばかり悪者にするのはアンフェアかもしれませんが、当時のイギリスが関係各国と後ろ暗い密約を重ねていたのは事実だし、はた目に「火事場泥棒」や「焼け太り」と見えるのも確かです。
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今、彼の地の上空を一個の見えない彗星が飛んでいます。
ガザの人々にとって、この彗星は紛れもなく凶星でしょうし、多くのイスラエルの人にとってもそうかもしれません。
でも、孔雀石の石言葉は「魔除け」、そして「癒し」と「再会」だそうです。
どうか人間の心が、獣性によって蹂躙されることのありませんように。
そして、子どもたちの屈託のない笑顔が再び見られますように。
今はひたすら祈るような気持ちです。
彗星はどこにでも ― 2023年03月18日 10時20分58秒
昨日の品は、他の2枚のポスタースタンプと一緒に、ドイツの古書店から買いました。
こちらは18世紀に遡るという老舗の食酢メーカー、キューネ(Kühne)社のコメット印のお酢の宣伝シールです。
こちらは「新たな彗星!(Der neue Komet !)」とビックリマークが付いていますが、ニョロっとした変な形の彗星だなあ…と思ってよく見ると、これは「フォアヴェルツ靴下(Vorwärts Strumpfwaren)」というメーカーの宣伝で、確かにこの彗星は靴下の形をしているのでした。
昨日のスチール弦は、音楽にちなむ分、いくぶん雅な要素がなくもありませんが、お酢とか靴下とか、ひどく散文的なところにも彗星が登場しているのが、むしろ興味深いです。
スチール弦も含め、いずれも彗星とは全然関係ない品々ですが、1910年にハレー彗星がやって来る前後、彗星は何となくカッコいい存在であり、カッコよさの記号として彗星が多用されたんだろうなあ…と想像します(たぶん、その感性は今も健在でしょう)。
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それにしても、これがまとめて売られていたということは、これをまとめて(古書店に)売った人がいるんじゃないでしょうか。「彗星をテーマにしたスタンプシール」という、ひどく細かい世界に執着した人が、私以前にもいたのかなあ…と想像すると、強い親近感を覚えます。
三味線を弾く男 ― 2023年03月17日 17時13分48秒
今日は「現代天文文化論の試み」と題して、天文学史研究会でお話をさせていただきました。まあ、話した内容は、いつもこのブログに書いているようなことです。
すなわち、日本で特異的に進化した「天文アンティーク」をめぐる最近の文化的ムーブメントについて、そしてそこに影を落としている、野尻抱影由来の天文ロマンチシズムとか、漫画文化の影響とかいったようなことです。
しかし、話しているうちに、だんだん自分がほら吹き男爵になったような、図々しさと後ろめたさがないまぜになったような気分になって、いささか背中に汗をかきました。でも、冷静に考えると、このブログは最初から「駄法螺ブログ」の色合いが濃いので、たまたま真っ当な議論の場で、真っ当な光を照射されたために、その事実が改めて露呈したに過ぎない…とも言えます。
さはさりながら、世間の潤滑油として、駄法螺には駄法螺なりの効用もあり、これからも懲りずに駄法螺の開陳を続けることにします。
怪しい笑みを浮かべつつ、マンドリンの弾き語りをする男。
日本語で「三味線を弾く」といえば、適当なことを言って調子を合わせたり誤魔化したりするという意味ですが、なんとなく今の気分はこんな感じですかね。
モノの方は、ドイツのポスタースタンプ、つまり切手の形を模した販促用のおまけシールです。多色石版刷りで、時代は20世紀初頭と思います。エッセンのクルップ鋳鋼社(Krupp Stahl)が販売していた、「コメット」ブランドのスチール弦の宣伝用シールのようです。







































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