遥かなり、ハレー彗星2007年05月30日 22時22分35秒

昨日の話題から、何か彗星にちなむ品はないかな?と考えて思いついたのがこれです。

前回ハレー彗星が接近した時(1986)に、その天球上での位置を示すために作られた、特殊用途の星座早見盤です。石油販売のカルテックス社が、顧客に配ったおまけ商品。オーストラリア製なので当然南天用です。(一辺は約30cm)

彗星の位置を結ぶ赤線は、1985年7月から始まり、86年の6月で終わっていますが、見ごろは86年の3月から4月にかけて。この時期は、図中の彗星も派手に尾を伸ばした姿で描かれています。

当時、私は天文から遠ざかっていたため、天文ファンの間で実際どんな動きがあったのかはよく知りません。望遠鏡メーカーはあれこれ購買欲をあおって、便乗商品もだいぶ出たそうですが、肝心の彗星はまったく期待はずれだったと聞きます。

嗚呼、それも早20年余りも昔の話となりました。
結局私はハレー彗星を1度も見ずに死ぬことになりそうですが、この早見盤は見損なった彗星のいわば形見の品なのです。

コメント

_ T.Fujimoto ― 2007年05月30日 23時01分00秒

ハレー彗星のことを知った小学生のときから、ワクワク期待していたにも関わらず、僕も期待はずれの彗星を見損なったひとりです。
考えてみれば、確かにはや二十数年ですね。
死ぬ前に一度は見れないものか、と、かなり無理ぽいですが、ひそかにそういう虫のいい考えも持ちつづ。

_ ハイパチ ― 2007年05月30日 23時58分37秒

見ましたよ、、、、20数年前のハレー彗星。
東の空が開けた高台にある帝人研究所(どこ?)の裏で、
夜明けで、見えなくなるまで、双眼鏡で、眺めていました。
彗星、大好きです。  安い双眼鏡で、楽しめますから。。。

_ 玉青 ― 2007年05月31日 21時03分26秒

Fujimotoさま、ハイパチさま

ハレー彗星の魅力の一つは、万人に見るチャンスが与えられながら、しかも一期一会的な、絶妙の公転周期を持っている点にあるのでしょう。

次回は54年後、2061年ですか。うーむ…頑張れば…いや、頑張っても…

と言いつつ、実は私は人生において一つ目標としていることがあって、これは他聞を憚ることですが、ひっそり告白すると、ズバリ300年間生きることです。

というわけは、以前「ゲゲゲの鬼太郎」を読んでいたら、「人間は300年生きないと妖怪のことは分らない」と書かれていたので、それ以来300年生きることを密かに目論んでおるのです。

で、仮に300年生きることができるなら、ハレー彗星の1回や2回見損なっても、まだまだ余裕というわけで、いく分泰然としている部分もあります。

_ Bay Flam ― 2007年06月05日 19時14分55秒

前回のハレー彗星の回帰の予想の外れっぷりは、ジャコビニ流星群の悲劇に次ぐものでしょうか。当時の私は地域の子供たちに柔道を教えていて、帰り道すがらに星座解説をして何人かをコッチ側に引きずり込んじゃっていましたっけ。このときは、子供たちの純粋で鋭い観察眼に舌を巻いたものでした。まあおりもおりなんで、子供たちのリクエストに応えて特別にハレー彗星観望会なんてのもやりました。で、みんなガッカリ。みんな写真で見たような雄大な姿を連想していたんですね。そういった俄かファンがたくさん出たんでしょうね、世界中で。

で、仰るとおり、望遠鏡メーカーがこのブームに便乗してあれこれとあおったのですが、私は知人らに 「騙されるな!」 と釘をさしたものでした。大彗星に対して望遠鏡など無意味(←もちろん、ハイ・アマチュアは別ですが)、「肉眼そのものか双眼鏡で見るべし」 と。それにしても、本当に20年も経っちゃったんですね。

まあ、あれを見ずとも、百武やヘール・ボップを見れりゃ御の字でしょう。私ゃマックノート見損ねってしまいましたよ。おマヌケにも程があるってもんです、がっくし。

_ 玉青 ― 2007年06月05日 22時42分22秒

Bay Flamさんと柔道…。ウラノグラフィとラテン語と柔道…。

むぅ、意想外というか、私もまだまだ人を見る目がないな、と大いに不明を羞じております。

硬派な論評の背後に硬派な肉体あり―。

柔弱かつ虚弱な私としては、まずその辺から取り組む必要がありそうです。

_ Bay Flam ― 2007年06月07日 18時50分20秒

これでも、学生時代は体育会系だったのですヨ。高校時代は「柔道部」と「科学部・天体班」を掛け持ちしていました。夏休み中の合宿の打ち上げの夜半に見た「ペルセウス座流星群」と真夏の未明の空に昇る「すばる」の情景は一生忘れられません。
ちなみに、合宿中には、みなコミック文庫とかSF小説を持ちこんでいたのに、自分だけ原恵先生の『星座の神話』。このころは文字通り「座右の書」で、一日に必ず一度はページを繰らないと禁断症状が出るくらいだったのです。

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