グスコーブドリの伝記2011年03月17日 21時09分42秒

冷えてほしい所だけが冷えない。


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戦後の混乱がつづく昭和23(1948)年、小山書店の童話シリーズ「梟文庫(ふくろぶんこ)」の1冊として出た、宮沢賢治の『四つの物語』。ごく粗末な紙に刷られた本ですが、それだけに、なおさら子どもたちを慈しむ心がにじみ出ているようです。

この本の中には、名作「グスコーブドリの伝記」が入っています。


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飢饉によって孤児となったグスコーブドリ。
ブドリは苦労の末にイーハトーヴにたどり着き、そこでクーボー大博士の教えを受け、火山局でペンネン技師の助手として働くことになります。


イーハトーヴには、活火山が70あまり、休火山が50あまり、そして死火山が160あまり、合わせて300いくつもの火山があります。火山局ではそれらの精密観測を続け、大爆発が迫った火山に決死隊を送り込んで、爆発を未然に防いだり、クーボー大博士の計画によって建造された潮汐発電所群と一体となって、窒素肥料の空中散布で成果を上げたり、人々の生活をゆたかにするための活動を続けます。


(↑ 『四つの物語』、口絵より)

しかしある年、深刻な冷害がイーハトーヴを襲います。このままでは、再び大飢饉が起きて、自分のような孤児が増えてしまう…。ブドリは熟考の末、ある考えを思い付きます。火山を故意に爆発させたら、空気中の炭酸ガスの量が増えて、温暖化が生じるのではないか?ブドリは、さっそくクーボー大博士に相談をもちかけました。


(以下、青空文庫より転載。全文はこちらhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1924_14254.html


「先生、気層のなかに炭酸ガスがふえて来れば暖かくなるのですか。」
「それはなるだろう。地球ができてからいままでの気温は、たいてい空気中の炭酸ガスの量できまっていたと言われるくらいだからね。」
「カルボナード火山島が、いま爆発したら、この気候を変えるくらいの炭酸ガスを噴くでしょうか。」
「それは僕も計算した。あれがいま爆発すれば、ガスはすぐ大循環の上層の風にまじって地球ぜんたいを包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度ぐらい暖かくするだろうと思う。」
「先生、あれを今すぐ噴かせられないでしょうか。」
「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね。」
「先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの出るようおことばをください。」
「それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事にかわれるものはそうはない。」
「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。」



クーボー大博士もペンネン技師も、ブドリを必死に慰留します。しかし、しブドリは静かに決心を固め、火山に赴きます。


  それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。
 すっかりしたくができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。
 そしてその次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅(あかがね)いろになったのを見ました。
 けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪で楽しく暮らすことができたのでした。



   ★


今のタイミングでは、まさに1つの寓話としか思えないこの作品。
冷徹な人からすれば、あるいはブドリはヒロイズムに酔った愚か者と見えるかもしれません。しかし、ブドリは生身の人間というよりも、一人ひとりの心の中に住んでいる「象徴」なのではないでしょうか。今も必死の働きをしている多くの人の姿と、ブドリが重なって見えます。そして、私の中に住むブドリを通して、彼らの思いがじかに伝わってくるような気がするのです。


コメント

_ てら ― 2011年03月18日 20時44分58秒

おお、グスコーブドリ・・・
子供のころ、はじめて読んだ記憶が強烈に蘇ります。

"自己犠牲は科学者としては敗北である"

とは正しい一面であるとは思いますが、今回の地震や原発に対する当事者の重い行動を見ると、この段階にあっても人類が示す知恵の有限さを思い知らされます。そしてその責任は負わなければならないのですね。深く仏教に共感していた賢治さんなら、なおさらそう思っていたのでしょう。

_ 玉青 ― 2011年03月18日 22時38分43秒

てら様

グスコーブドリにしても、地球滅亡の危機を救う映画のヒーローたちにしても、みんな(敢えて言えば)「カッコよく」散華していきますが、今回の原発事故の場合、作業に当っている人たちは、これから苦しい内部障害を抱えて、それぞれの人生を生き続けねばならないかもしれず、そのことを思うと鉛を飲んだような気分になります。一方、それによって救われるはずの人々が、(いい大人も含めて)バラエティ番組を見ながら笑っているとしたら…。何と言えばいいのか、にわかに言葉が見つかりません。いや、それでも、敢えて捨身するところが尊いのでしょうか。ええ、確かにそうなのかもしれません。でも、納得がいきません。何はともあれ、被害が最小であることを祈るばかりです。

_ かすてん ― 2011年03月20日 18時38分27秒

今後、政府や東電は裁かれて当然ですが、享楽に溺れいまだに自分たちの責任に気づかず災害ワイドショー原発ワイドショーを楽しむ人々こそが本当の責任者ではないかと思います。召集令状も無いのに逃げ出すこともせず、生還できるとは思えない作業に従事する人たちのことを想像すると本当に切なくなります。玉青さんのこのコメント読んで涙が出て来てしまいました。

_ 玉青 ― 2011年03月20日 23時17分34秒

>かすてんさま

巨大な機構、巨大な技術、巨大なメディア。
いずれも人々を幸福にするために作られたはずですが、いったん出来上がると、それ自体が自律性を獲得して、個々人を圧殺しても動き続ける性質があるようです。
人間はそれにどう対峙すればよいのか?現在進行している出来事を、そんな視点から見つめたいと思っています。

_ DryGinA ― 2011年03月28日 12時35分18秒

またまたご無沙汰してました。
 この記事を拝見したとき、あぁコメント入れたいなぁと思っていました。

 クーボー博士の設問に、ブドリが見事に応える場面が大好きです。私も『観察とはかくありなん』と理工系学生に示す素材にしています。

 ただそう…私もまた"自己犠牲は科学者としては敗北である"と教えたい。が…難しい社会的現状もあります。うちの学生はたぶん何も知らされずに短靴で水溜りで作業をしてしまう立場となるでしょう。
 もっともっと鍛えて、これからの『大復興』に活躍できれば良いのですが…。3月24日に彼らは卒業しました。

 SUさん、けっくも相当な被害が出ていますね。
 我がにむすの40MJの装置も渦中にあります。
 原発の不具合に比べれば些細かもしれませんが…。
    皆さん、くれぐれごも ご安全に!!  2011-03-28 DryGinA

_ 玉青 ― 2011年03月28日 20時33分12秒

DryGinAさま

こんばんは。
自己犠牲、科学、宗教…これらの関係は、よくよく考えなければならない問題ですね。
思うに、科学者にとって、自己犠牲が敗北であるのは、世界と向き合うときの向き合い方が、宗教者とは全く違うからでしょう。すなわち、科学の徒は宿命的に世界の「観測者」であり続けねばならないし、その役割を辞するとき、必然的に科学者であることもやめなければならない…それが科学者の矜持であり、また同時に寂しさでもあるように思います。

とはいえ、観測者たるの故を以て、あに熱い心なかるべけんや。
師の熱い心を受け継いで、門下の方々もこれから大いに活躍されることでしょう。
熱烈に応援しております!

_ S.U ― 2011年03月28日 21時48分51秒

DryGinA様、玉青様、
 科学者が観察をして記録できる時間は限られていますから、結局は「記録を残す」という価値しかないのかもしれません。その記録すらもすぐに後世の学者に塗り替えられるとすれば、残るのは結局「着眼した」という事実だけということになるでしょうか。それだったら、ブドリの行動とあまり違わないのかもしれません。

DryGinAさん、にむすの40MJとはちくでんきのことですか? けっくの8GeVりにあっくは修理可能ですが、その後の調整に必要な電力事情のほうがきびしそうです。

_ 玉青 ― 2011年03月29日 20時35分25秒

科学者ならぬ身として思うんですが、科学者に限らず、自らの価値なり評価なりをどこに求めるかというのは、その人の生き方の根幹に触れる問いですよね。
あまりにも大きな問いなので、私の場合、普段は真面目に考えることを避けている節もあります。でも、人生も後半に入ると、考えまいとしても、やっぱり考えざるを得ません。
「棺をおおいて事定まる」という言葉がありますが、他者からの評価に限らず、自己評価についても、棺をおおう最後の最後まで迷い続けるんでしょうかねえ。(でも、そうでない強い人もきっといることでしょう。)

_ S.U ― 2011年03月30日 07時24分13秒

 後世に残る自然科学の観察としては、ごひいきの第2分野がこの点で有利ですね。天文や地球、生物の観察は「一期一会」で、ひとたびなされた素人科学者の観察を、他の場所にいるどんな専門家も置き換えることは出来ません。この点は、再現性の精密検証を要求する物理・化学とまったく違います。

_ DryGinA ― 2011年03月30日 08時43分42秒

   『自らの価値なり評価なりをどこに求めるかというのは、
    その人の生き方の根幹に触れる問いですよね』
 私もそう思います。すべての人がそこから始められるなら、社会主義も民主主義も破綻することはないのでしょう。個人が社会性を持ったときに、最初に課せられることだと思います。厄介で難しい課題ですが…。
 継ぐのは誰か:小松左京 に出てくるのですが
  人類の滅亡に対して
   科学は徹底的に“観る”立場をとり
   政治・行政・工学(?)はそれを“拒否”し
   宗教は事態を“肯定”して受け入れる。
 とそんな様なことを著者はひとりの哲学者に言わせています。
 ブドリの「エントツから昇る煙」に関する観察報告は“科学的現象観察”の模範です。が…多くの民の為とはいえ、じつはブドリが、「観る立場」より「する立場」に『生き方の根幹』を置いてたところに、私はざらついたものを感じたのかもしれません。そう私は、“自己犠牲”に矛盾を感じているわけではなく、私がすばらしいと思った科学者的“観察力”が、“事態拒否”に進んでいったところに裏切りを感じたようです。

  ひとつ眼から鱗が落ちました。ありがとうございました。
  SUさん、40MJはえぬえむあぁるです。 *家主さん…スマン
          2011-03-30 DryGinA@つくば

_ 玉青 ― 2011年03月30日 22時43分31秒

○S.Uさま

むむ、あえて異を立てるならば、S.Uさんが挙げられた例は、学問分野の違いというよりも、個々の学問分野の内部における「現象記述的アプローチ」と「法則定立的アプローチ」の違いではありますまいか。

たとえば、生物学の分野でも、多様な現象の背後にある「法則」を導き出すためには、厳密な検証作業が必要でしょうし、反対に物理学の分野でも、新しい素粒子が続々と(それこそ博物学的に)発見されるような事態が仮に生じたら、その記載作業はかなりの程度昆虫の新種発見と似てくるのではないでしょうか。(そういえば、以前「ニュートラリーノGetだぜ!」とか何とか、素粒子の世界をポケモンゲームになぞらえたら、子供たちに受けるんではないか…というやりとりがありましたね^_^)。

まあ、アマチュアの素粒子愛好家が、続々と新種の素粒子発見!…という事態は考えにくいですが(笑)

○DryGinAさま

>そう私は、“自己犠牲”に矛盾を感じているわけではなく、私がすばらしいと思った科学者的“観察力”が、“事態拒否”に進んでいったところに裏切りを感じたようです。

なるほど、DryGinAさんの引っかかってらしたところが、分かった気がします。
そういう意味では、ブドリは科学者というよりも、工学者(環境工学でしょうか)なのかもしれませんね。賢治自身も、言ってみれば農学者でしたから、環境に介入し、積極的に「する人」であろうとしたことと、ブドリの行動は照応しているのでしょう。ええ、たしかに、腑に落ちるものがあります。

>家主さん…スマン

(笑)いえいえ、私は他の方の会話を聞くのがとても好きなので、ぜひ大いに語らって下さい。この空間で意味深いやりとりが行われならば、家主冥利に尽きます。

_ S.U ― 2011年03月31日 08時08分47秒

玉青様、なるほど。そちらの方面からの切り口は、おっしゃるとおりだと思います。「現象記述的アプローチ」と「法則定立的アプローチ」は、どの分野にも多少の差はあっても存在し、学問を大きく分けるものではないですね。

 でも、そんな高尚なことではなく、「記録されたデータの意味」に絞れば、やはり厳然とした違いがあるように思います。たとえば、乱暴に言うならば、ガリレオの太陽観測のデータは現在でも貴重なデータたりえますが、彼の物理学実験のデータはどれも現在では歴史的価値しか持ち得ない、といったことです。「新しい素粒子の検出」と「ニホンカワウソの目撃」の比較でもよろしいです。これこそ、第1分野と第2分野の違い、と言えませんでしょうか。

>家主さん…スマン
DryGinA様、 にむすには大きなすぅぱぁこんまぐねっとがあるのですね。けっくにあるべるの1.5てすらそれのいども地震で全体が少しだけ動きました。

_ 玉青 ― 2011年03月31日 22時41分36秒

>記録されたデータの意味

記録の一回性ということがポイントですね。一回きりだからこそ価値が生まれるデータと、一回きりでは意味がないデータとがある…と。
たしかに物理学のデータは後者限定ですね。第2分野には後者もありますが、前者も幅を利かせているという点で、物理・化学とは趣が違うのだ…というのは大いに頷かれます。

_ S.U ― 2011年04月01日 05時35分22秒

>一回きり
 天体物理学は典型的な境界領域で、天体からの宇宙線の予期しない変動が観測されると、大発見か誤認かで、天文学者と物理学者のあいだで大論争になります(←誇張があって半分はウソです)。

_ 玉青 ― 2011年04月02日 19時58分35秒

まったくの印象ですが、物理学者はわりと覇を競うというか、他の領域と「ことを構える」ことが多くはないでしょうか。自然科学全般はもちろん、数学者や哲学者なんかとも、頻繁に議論を戦わせているような気がします(一部の論客だけかもしれませんが)。
世界の本質に触れているという自負がそうさせるのでしょうか?
それとも、もともとそういうメンタリティの人(突き詰めて考えるのが好きな人)が物理学を志すのでしょうか?

_ S.U ― 2011年04月03日 06時56分23秒

>物理学者はわりと覇を競う
 どうなんでしょうね。これまで、気づいたことも言われたこともないのでピンと来ないのですが、確かに、物理学者は自然科学の他分野に対して「越権行為」的な論争を挑みがちかもしれません。ともかく、彼等が外からそのように見られているならば、それ自体何か意味のあることでしょう。数学者や哲学者とは、研究材料のみならず究極の目標を一部共有しているという、一種「同志的」な意識があるように思います。

 本質に触れているという自負やら突き詰めて考えるというのは、物理学者が特別と言うこともなさそうですが、世の中のあらゆる事象を「物理学的」に見てしまうゆえ、というのはあるかもしれません。この傾向のために、彼等は領域外のことやら社会に対してまで不満がたまり、ついつい議論を...ということかもしれません。 「彼等」という人ごとのような書き方をしましたが、以上は自分自身に対する感触からです。(でも、私は議論をふきかけたりはしません...)

_ 玉青 ― 2011年04月03日 11時14分28秒

「物理学者」と一括りにしてしまいましたが、実験系の人と理論系の人とでは、またメンタリティが違うかもしれませんね。論争好きなのは主に理論系の人でしょうか。とすれば、S.Uさんが議論を「ふきかける」(笑)タイプの方でないのは頷けます。

とはいえ、S.Uさんのおかげで、この場が活気づいているのも事実ですので、談論風発、今後も多様な話題を投じていただきますよう、改めてお願いいたします。

_ S.U ― 2011年04月03日 16時25分46秒

>実験系の人と理論系
 そうですね。他人の理論にケチをつけることは傍目八目でもできますが、他人の実験にケチをつけるためには自分で同じ実験をするくらいの苦労が必要です。

>多様な話題
 寝ぼけた議論が多少なりとも議論の発展になることがあればうれしいです。

_ 玉青 ― 2011年04月03日 19時45分20秒

どうぞよしなに <(_ _)> <(_ _)> <(_ _)>

_ サステナブルの森 ― 2021年07月18日 16時11分51秒

元島根大学客員教授の久保田邦親博士(工学)の材料物理数学再武装って、クーボー大博士の「歴史の歴史」の模型みたいなところがある。最近、博士のSNSをのぞいたら国富論で有名なアダムスミスの神の見えざる手を計算していた。価格メカニズムは流通の最大化を目指し決定され、独占状態でも価格40%上昇にすぎないとしていた。
もともとは人工知能の基礎を数理的に話そうとしたものと思われるが結構おもしろかった。

_ 玉青 ― 2021年07月20日 09時44分30秒

サステナブルの森さま、こんにちは。コメントありがとうございます。
久保田博士の材料物理数学再武装の何たるかを存じ上げないので(先ほど検索しましたが、私の理解をはるかに超えるものでした)、はかばかしくお返事もできないのですが、クーボー大博士の「歴史の歴史」のように、一種のメタ理論的なものなのでしょうか。「神の見えざる手」の計算というのも面白そうな話題ですね。私の興味に引き付けると、何だか寺田寅彦が言い出しそうなテーマに感じます。
ともあれ久しぶりに昔の自分の記事を見返し、10年前の3月のことを思い、科学と人々の幸福というようなことに再度思いをはせました。

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