木の葉石と木の葉化石園のはなし(3) ― 2011年03月07日 21時42分00秒
余談ですが、木の葉石については、長野まゆみ氏も思い入れがあるらしく、たとえば2002年に出た『文藝別冊~三日月少年の作り方~』では、笙野頼子氏との対談において、次のよう回想しています。
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笙野 鉱物や植物との出会いはどのあたりですか。
長野 石は小学校一年生の夏休みの自由研究のときですね。
栃木県の塩原にある親戚の家に行ったら、旅館をやってて、木
の葉石っていう化石が出るんですよ。子供にわかりやすいんで
すよね、割ると葉っぱが入ってる、わあきれい、って。それは自
分で割ってもなかなか葉っぱが入ってる石なんか拾えないんで
すけど、おとながうまく拾えるように置いといてくれるんですね。
おとなっていっても中高生ですけど、それくらいになると子供に
はサービスしてくれるんですよ。それを標本にして学校にもって
いったんです。見事に盗られましたけどね、その一番気にいって
いた木の葉石が。盗まれたって先生に訴えたんですけど、「もう
しょうがないわね、欲しい人がもってっちゃったのね」ですまされ
ちゃって。〔後略〕
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文庫版 『鉱石倶楽部』 のあとがきでも、「どこの誰だかわからない石泥棒にたいしていまだに思いだすたび怨念を送っている」と書かれているので、木の葉石を失ったことは、氏にとってかなりトラウマチックな経験だったようですね。
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長野氏流の、すぐれて感覚的な鉱物受容のあり方(美晶を菓子に見立てるような)は、メディアに乗って広く流通したこともあって、その後の鉱物趣味のスタイルに、きわめて大きな影響を及ぼしたと思いますが、それもすべては木の葉石との出会いから始まった…と聞けば、木の葉石の存在は、なかなかどうして大したものだと思えてきます。
<話題を木の葉化石園にもどして、この項つづく>
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