木の葉石と木の葉化石園のはなし(3)2011年03月07日 21時42分00秒



余談ですが、木の葉石については、長野まゆみ氏も思い入れがあるらしく、たとえば2002年に出た『文藝別冊~三日月少年の作り方~』では、笙野頼子氏との対談において、次のよう回想しています。

  ★

笙野  鉱物や植物との出会いはどのあたりですか。

長野
  石は小学校一年生の夏休みの自由研究のときですね。
栃木県の塩原にある親戚の家に行ったら、旅館をやってて、木
の葉石っていう化石が出るんですよ。子供にわかりやすいんで
すよね、割ると葉っぱが入ってる、わあきれい、って。それは自
分で割ってもなかなか葉っぱが入ってる石なんか拾えないんで
すけど、おとながうまく拾えるように置いといてくれるんですね。
おとなっていっても中高生ですけど、それくらいになると子供に
はサービスしてくれるんですよ。それを標本にして学校にもって
いったんです。見事に盗られましたけどね、その一番気にいって
いた木の葉石が。盗まれたって先生に訴えたんですけど、「もう
しょうがないわね、欲しい人がもってっちゃったのね」ですまされ
ちゃって。〔後略〕

  ★

文庫版 『鉱石倶楽部』 のあとがきでも、「どこの誰だかわからない石泥棒にたいしていまだに思いだすたび怨念を送っている」と書かれているので、木の葉石を失ったことは、氏にとってかなりトラウマチックな経験だったようですね。

  ★

長野氏流の、すぐれて感覚的な鉱物受容のあり方(美晶を菓子に見立てるような)は、メディアに乗って広く流通したこともあって、その後の鉱物趣味のスタイルに、きわめて大きな影響を及ぼしたと思いますが、それもすべては木の葉石との出会いから始まった…と聞けば、木の葉石の存在は、なかなかどうして大したものだと思えてきます。

<話題を木の葉化石園にもどして、この項つづく>

コメント

_ nona ― 2011年03月07日 22時12分17秒

思えば、わたしにとっても石との最初の出会いは、
父から貰った塩原の木の葉化石でした。
まだ賢治さんの童話も何も知らない頃でした。
まだ所有しています。
断捨離ブームですが、これはいつまでも断捨離できませんね。

_ 玉青 ― 2011年03月08日 19時52分54秒

木の葉石。nonaさんにとっても、深い思い出の品なんですね。
ええ、世の中には決して断捨離してはいけない物もあると思いますよ。
30万年前に散った、たった1枚の葉っぱが、長い長い年月の末に、大切な人からnonaさんに托されたわけですからね。
何と不思議な生命の連鎖…!

_ たつき ― 2011年03月09日 21時54分20秒

長野まゆみさんをきちんと読んでくれている男の方がいて、とても嬉しいです(もちろん分野にもよりましょうが)。長野さんもインタヴューで言っていましたが、男性はまるで彼女の作品を評価してしてくれないそうです。それを証明するように、彼女はデヴューのきっかけになった賞以外は全くの無冠ですからね。世の狭量さを感じます。ここに玉青さんという理解者がいるように、もっと彼女の世界を知ってくれる方が増えたらと思っています。

_ 玉青 ― 2011年03月10日 21時55分25秒

いやあ…おもはゆい(*^_^*)。
私は長野さんの作品は全然きちんと読んだことがなくて、作品数にして2~3点ぐらいでしょうか。なのに、なぜこうも繰り返し話題にするかというと、長野さんのオブジェ好きの性向にいたく反応するというか、「モノ好き」の血が騒ぐ部分があるんですね。『天体議会』にしても、『天然理科少年』にしても、ストーリーよりも、作品に登場するオブジェにまず目が行ってしまいます。読者としては完全に落第生です。

男性から見た長野作品はどうなんでしょうねぇ…
男性にとって、何となく居心地の悪さを感じるのはたしかだと思います(このこと自体、別に論じたい興味深い問題です)。でも何となく気にはなる存在で、ちょっと遠巻きに見ている人も少なくないかも。いや、ひょっとしたら、隠れスイーツ好きが多いように、隠れファンも予想以上に多いかも知れません。

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