名月の記 ― 2024年09月18日 08時06分10秒
昨日の記事を読み返すと、冒頭で「今宵は旧暦の八月十五夜、中秋の明月です」と自分は書いています。「中秋の明月」は、たぶん新聞の校閲なんかだと「中秋の名月」に書き換えられる表現でしょう。
(1903年の消印が押されたドイツの古絵葉書)
「名月」と「明月」、「中秋」と「仲秋」の異同は昔から言われるところで、これらを組み合わせると、「中秋の名月」、「中秋の明月」、「仲秋の名月」、「仲秋の明月」の4通りできますが、この中のどれが正解で、どれが間違っているのか?
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まず「仲秋」は秋半ばの意で、旧暦8月の異称。
それに対して、「中秋」は旧暦8月の中でも特に「8月15日」を限定的に指す言葉です。この日を祝うのが「中秋節」で、お月見習俗もその一環。ですから「中秋の名月」と書くほうが、意味的により的確なのは確かです。
でも、旧暦は月の満ち欠けを基準に日にちを決めていて、新月の日が1日(ついたち=月立ち)、そして満月は必ず15日になります。つまり「仲秋の名月」と書けば、それは自動的に旧暦8月15日の月を意味しますから、そう書いても間違いではない…という人もいます。
次に「名月」というのは、旧暦8月以外でも、また満月以外でも、美しい月であれば「今宵は名月だなあ…」といって差し支えない気もするんですが、詩歌の世界の約束事として、「名月」といえば「旧暦8月15日の月」を指すことになっています。そして「明月」は「名月」と互換可能で、歳時記を開くと、
明月や 一声くもる 天津雁 森川許六
明月や 遮る庇 面白し 高浜虚子
明月や 舟を放てば 空に入る 幸田露伴
明月や 遮る庇 面白し 高浜虚子
明月や 舟を放てば 空に入る 幸田露伴
といった例句が挙がっていて、いずれも旧暦8月15日の月を詠んだ句です。
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ということは即ち、「中秋の名月」、「中秋の明月」、「仲秋の名月」、「仲秋の明月」のいずれも間違いとはいえない…というのが、上の疑問の答になります。
その中で「中秋の名月」が多用されるのは、多分に習慣的な要素が強いといえますが、言葉というのは意思疎通の手段ですから、他者とコミュニケーションをスムーズに行うために、慣用や通例に従うことも大切です、(でも、改めて考えると、「中秋が8月15日で、名月が8月15日の月の意味だったら、『中秋の名月』は冗長じゃないか。『中秋の月』とか、単に『名月』でいいじゃないか」という気がしなくもありません。)
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秋の夜は、満月を過ぎても月を愛でる気分が続くので、今日からは「十六夜(いざよい、旧暦8月16日)」、「立待月(たちまちづき、同17日)、「居待月(いまちづき、同18日)」、「臥待月(ふしまちづき、同19日)」、「更待月(ふけまちづき、同20日)」…と続きます。日を追うごとに月の出が遅くなることに対応した名称ですが、いかにも優しい心根と感じます。
(同じ版元から出た絵葉書。こちらも1903年の投函)
コメント
_ S.U ― 2024年09月18日 13時20分44秒
_ 玉青 ― 2024年09月18日 23時11分19秒
ありがとうございます。参考になります。
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ほかに名月があったかな、と考えたら、「栗名月」だけ思い出せました。これは、十五夜ではなく、旧九月の十三夜のことに決まっているみたいです。「栗明月」も立派にありましたので、確かに互換可能のようです。
https://tsukiminoutakai.studio.site/
で、最初の行は、栗名月、下から3行目は、栗明月になっています。(これはどちらかが意図しなかった間違いだと思いますが、他にも「栗明月」の記載はネットにけっこうありました)