ストックブックを開いて…再び太陽観測年の話2024年08月25日 15時43分52秒

ストックブックというのは、切手保存用のポケットがついた冊子体の郵趣グッズで、それ自体は特にどうということのない、いわば無味無臭の存在ですが、半世紀余り前の切手ブームを知っている者には、独特の懐かしさを感じさせるアイテムです。

その後、子ども時代の切手収集とは別に、天文古玩の一分野として、宇宙ものの切手をせっせと買っていた時期があるので、ストックブックは今も身近な存在です。

最近は切手に意識が向いていないので、ストックブックを開く機会も少ないですが、開けば開いただけのことはあって、「おお、こんな切手もあったか!」と、感興を新たにするのが常です。そこに並ぶ古い切手はもちろん、ストックブックという存在も懐かしいし、さらには自分の趣味の変遷史をそこに重ねて、もろもろノスタルジアの源泉ではあります。

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昨日、「太陽極小期国際観測年(IQSY)」の記念切手を登場させましたが、ストックブックを見ていたら、同じIQSYの記念切手のセットがもう一つありました。


同じく東欧の、こちらはハンガリーの切手です。
この切手も、そのデザインの妙にしばし見入ってしまいます。

時代はスペースエイジの只中ですから、ロケットや人工衛星も駆使して、地上から、成層圏から、宇宙空間から、太陽本体の活動に加え、地磁気、電離層、オーロラと大気光、宇宙線など、様々な対象に狙いを定めた集中的な観測が全地球的に行われたと聞きます。


IQSYは、太陽黒点の極大期である1957年~1958年に設定された「国際地球観測年(International Geophysical Year;IGY)」と対になるもので(※)、さらに極地を対象とする観測プロジェクト、「国際極年(International Polar Year;IPY)」がその前身だそうで、その流れを汲むIQSYも、いきおい極地観測に力が入るし、そもそも太陽が地球に及ぼす影響を考える上で、磁力線の“出入口”である南北の磁極付近は最重要スポットなので、この切手でも極地の描写が目立ちます。


下の左端の切手は、バンアレン帯の概念図。
宇宙から飛来した電子・陽子が地球磁場に捕捉されて出来たバンアレン帯は、1958年の国際地球観測年のおりに、アメリカの人工衛星エクスプローラー1号の観測成果をもとに発見されたものです。

東西冷戦下でも、こうした国際協力があったことは一種の「美談」といってよいですが、それでも研究者以外の外野を含め、美談の陰には何とやら、なかなか一筋縄ではいかない現実もあったでしょう。


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(※)【2024.8.25訂正】
上記の記述には事実誤認があるので、以下の通り訂正します。

(誤) 「IQSYは、太陽黒点の極大期である1957年~58年に設定された「国際地球観測年(International Geophysical Year;IGY)」と対になるもので」
(正) 「IQSYは、太陽黒点が極大期を迎える1968~70年の「太陽活動期国際観測年(International Active Sun Years;IASY)と対になって、1957~ 58年に設定された「国際地球観測年(International Geophysical Year;IGY)」を引き継ぐもので」

コメント

_ S.U ― 2024年08月26日 05時50分29秒

少し前に、ソ連のプロトンロケットの形がチェコスロバキアの天文団体のバッヂでリークした可能性をご指摘しましたが、今回ご紹介のハンガリーの切手のソ連の人工衛星(最上行中央)も、有人宇宙船デザインのリークである可能性があります。これは正確にはいつの年代の発行のものでしょうか?
 
 これは、観測衛星というよりは、軌道モジュールのついた有人宇宙船のように見えます。軌道モジュールはほぼ球形の宇宙飛行士用の居住スペースです。この系列に属するのは、「コラプリ・スプートニク」~「ボストーク」~「ボスホート」~「ソユーズ(1号)」ですが、細部は適当に描かれているふしもあり、個別の特定は難しいようです。いわゆるマンガのロケット型や水平翼型の宇宙船でないことは確かですが、有人宇宙船をあたかも観測衛星のように見せることによってカムフラージュになっているのかもしれません。

_ 玉青 ― 2024年08月26日 19時45分38秒

>正確にはいつの年代の発行のものでしょうか?

むむ…と思って、改めて切手を凝視したら、各切手の左下に「1965」の文字がありました。おそらくこれが発行年だと思います。

深いところに入っていくと、私には何とも分かりかねる点が増えてくるのですが、今日の記事も併せて、S.Uさんの方で何かお気付きになった点がありますでしょうか?何か新知見に結び付くとよいのですが…

_ S.U ― 2024年08月27日 06時04分57秒

「1965年」の情報をありがとうございます。私もいろいろといい加減な記憶で書いていますが、「冷戦・宇宙競争」時代の「ソ連の秘密」というのが、いつ、何を、どの程度一生懸命隠したかということはそれほどよくわかっているわけではありません。IGY、IQSYで使うような「宇宙空間観測衛星」の形などは、本来、ケースに囲まれた計測器からブームとアンテナが出ているだけですから隠す必要のないものでした。実際、昨日(2024/8/26)ご掲載のスプートニク1号、3号の形状はある程度真に近いものが、古くから公表されていたと思います。もっとも、玉青さんがご指摘の「スプートニク1号」は、アンテナの形状と月が近くにあることから、形は「ルナ1号」(ルーニク)ではないかと思います。いずれにしても、こういうのの外観は秘匿するべきことはなかったのでしょう。

 では、何を秘匿する必要があったかというと、それは、打ち上げロケット、有人宇宙船、それから、有人月旅行と直接関係するものでした。これは、軍事的な意味、米国との技術差のプラスマイナスともに隠すため、それから有人月旅行は計画自体が秘密でした。隠された期間は、ほぼ1960年代を通してということになるでしょう。ソ連の計画は、だいたいアメリカの公表した将来計画を後追いで追い抜いてインパクトを与えることでした。

 IQSYに関連して有人宇宙船の形を出すことはまったくのお節介で、たとえば、IQSYなら1964年のコスモス26号、49号あたりの外観を正直に載せれば問題なかったはずです(本物はもっと単純な円筒形、球形、楕円体の形をしています)。でも、これはどう見ても、無人観測衛星ではなく軌道モジュール(居住空間)をつけた有人宇宙船に見えます。まあ、無人観測衛星ということにしたのでそれで秘密は守られてはいるわけですが・・・

 一連の玉青さんからの情報で、ソ連が秘匿しているものを同盟国の関係者(共同研究者?)がバラしているという構図がみえているような気がします。特にスパイをするつもりはなくても、情報というのはそういうところから漏れるものですが、その効果でまた逆に情報がもたらされることもあり、互いに自慢や刺激になるので、これはポジティブに国際研究の効能であると私は言い切っておきます。(バレるのが嫌なら、国際舞台に発表するような研究など初めからしなければいいのです)

 ということで、問題のIQSYのハンガリーの切手のデザインは、もっとも似ているのは、軌道モジュール付き(球形に近い部分)のソユーズのように見えます。実際のソユーズは1967年からですから、1965年の時点ではプロトタイプのはずで、ソユーズの初期形の可能性が高いと思います。もともとは、軌道モジュール付きも有人月往復モデルであったようです。(後に、月往復宇宙船からは、軌道モジュールは取り除かれました)。

http://www.astronautix.com/s/soyuza.html
http://www.astronautix.com/s/soyuz7k-ok.html
に図面が多いのでをご参照ください。

で、最終的に、いつから、これらの有人宇宙船の形が外に出たかというと、1970年の大阪万博のソ連館あたりからと思います。アポロに負けた後は有人月飛行計画はなかったことにしたので、有人月飛行の直接的な証拠になるものを除けば公開可能になりました。軌道モジュールのない「ゾンド」型と打ち上げロケットはそのあともしばらく秘密として続きましたが、軌道モジュール付きソユーズはこのあたりで公開されたものと思います。

 将来的には、どこかにまとめたいと思いますが、今は公開されていることが昔はどの程度秘密だったかというのはなかなか調べにくいです。まずは当時の「科学朝日」をあたるくらいでしょうか。

_ 玉青 ― 2024年08月28日 05時50分30秒

今、私の前に1冊の本が置かれています。注文した覚えはないのですが、どうもAmazonの「タキオンお急ぎ便」で届いたものらしく、表題は『夜空のストリップティーズ ―― ソ連の宇宙開発と情報統制』、帯には「隠すか、見せるか、それが問題だ…」という思わせぶりな惹句が躍っています。これは面白そうだなあと、中を見ようと思うんですが、虚空をつかむばかりで、ページをめくることができません。どうも宇宙の禁則事項に引っかかっているようです。結局、これは読むには正式な発刊を待つしかなさそうで、その日が待ち遠しいです。(^J^)

>ルナ1号

ご教示ありがとうございます。これは迂闊でした。確かに仰る通りですね。早速本文にも訂正を入れました。

_ S.U ― 2024年08月28日 06時54分16秒

なんとかしたいと思います。

副題に、『および同盟国のバッヂや切手に見る情報リーク』とかつくかもしれないので、その節はよろしくお願いします。

_ S.U ― 2024年09月06日 15時09分54秒

>『夜空のストリップティーズ ―― ソ連の宇宙開発と情報統制』

書籍の発売にはまだ時間がかかると思いますが、1960年代の『科学朝日』をざっとチェックして、ソ連の有人型宇宙船とその打ち上げロケットについて、外観形状の公開時期がいつであるかを調べてきました。要点だけ速報します。無人型衛星・探査機については、成功した物の外観形状はだいたい即座に公表されています。打ち上げロケットは、ミサイル転用なので、基本はどれも秘密ですが、公表された物もあります。

 ボストーク宇宙船については、1965年4月のモスクワ経済発展博覧会で模型が公開されています。ボストークロケットのエンジン1本単体については、単純な形のミサイルですが、1965年5月の軍事パレードで公開されています。6本を組み合わせた形状については、この段階では未公表です。ボストークロケットの全容の模型が出たのは、1967年5月のパリ・エアショーです。ボスホートについては不詳です。宇宙遊泳に船外に出る方式についてはずっと後まで秘密だったかもしれません。

 ソユーズ軌道型宇宙船(7K-OK)は、1969年7月号に写真があります。同年1月に史上初の有人ドッキングに成功したソユーズ4号5号の写真があるので、その成功後に公表されたようです。ソユーズロケットの形のわかる写真もあります。なお、ソユーズドッキングの模型は、1970年の大阪万博のソ連館に展示されました。
https://mainichi.jp/graphs/20180910/hpj/00m/040/003000g/20180910hpj00m040063000q

 月往復宇宙船(7K-L1ゾンド)は、有人月飛行計画全体が秘密だったので、1970年代に入っても長らく秘密でした。打ち上げロケット(プロトンロケット)も、1970年代に軍事用宇宙ステーション(アルマズ/サリュート)に使われたので、後代まで秘密であったと思います。1970年代以降については、またあとで調べます。とりあえず、1960年代の宇宙切手や記念品の評価のご参考になれば幸いです。

_ 玉青 ― 2024年09月06日 18時14分21秒

おお、これは!大変興味深い深掘りをありがとうございます。

共産圏の報道写真は、一見何ということもないスナップ写真が、政治局員の序列とか、政治闘争の末の失脚や粛清など、政権の機微に触れる情報を物語っていると言いますが、ロケット関連報道も、そこに写っているものが何で、写っていないものが何か、分析すればするほど見えてくるものがありそうですね。一般にはあまり注目されてこなかった分野かと思いますが、きっと同時代のアメリカの情報機関や軍関係者は、目を皿のようにして凝視していたんじゃないでしょうか。自分で書いておいてなんですが、本当に「隠すか、見せるか、それが問題だ…」の世界ですよね。ぜひぜひこれは引き続きご考究をお願いします。

ときにソ連の宇宙開発関連で、打ち上げ失敗に関する情報は、それこそ当時は厳秘だったと思いますが、現在ではかなり事実が明らかになっているのでしょうか?

_ S.U ― 2024年09月06日 19時13分15秒

当時のソ連の情報を公開する機関は4種くらいあって、1)ソ連共産党機関紙プラウダ、あるいはソ連政府公式参加事業、2)ソ連側からのリーク、3)米国諜報筋からのリーク、4)米国研究者の分析などです。ここで、興味を持ったのは1)です。ただ、どれも信用できないと言えば信用できないし(諜報局も爪を隠しますから)、ソ連が意外と正直で疑うことによってかえって真実を逃したかもしれません。
 
 また、アメリカの一般向け科学雑誌、Scientific Americanも見ましたが、ソ連の宇宙開発については、あまり取り上げていないようで役に立ちませんでした。ソ連がリードしているような場合も多かったので、やはり米国民へのプロパガンダ上の配慮があったようです。そのぶん、日本の朝日新聞社のほうがソ連にも興味を示して適切でしたが、朝日新聞は平和主義のためか、打ち上げロケット(ミサイル転用が多い)の分析への興味は物足りないものがありました。航空・軍事関係の雑誌も見るべきかもしれません。

 失敗の情報も当時からかなりわかっているようです。米国の偵察衛星や電波の傍受などがあります。また、部分的成功の場合は、ソ連当局が成功したところまでだけ発表しますので、飛行経路などから隠している部分がありそうな時は、残りは失敗と推定できたようです。今は、ロシアが内部の記録を提供していますので、すべてわかっているはずです。

_ 玉青 ― 2024年09月07日 08時28分04秒

うーむ、この件はいろいろな位相があるのですね。日米メディアの姿勢の違いも、なるほどと思いました。

情報戦だと、リーク情報のうちには当局が関知する「意図的リーク」や「アドバルーン」も当然あったでしょうし、なかなか複雑怪奇なものがあるんでしょうねえ。ただそれはそれとして、ソ連の公式発表をベースに、その情報コントロールの様相を探る作業は、全体のベースになるものですから、ぜひおまとめくださいますように。

>失敗の情報も当時からかなりわかっている
>今は、ロシアが内部の記録を提供していますので、すべてわかっているはず

あ、そうなのですね。特に前者は「壁に耳あり障子に目あり」を地で行くような話ですが、さらに「人の口に戸は立てられぬ」要素もあったことでしょう。

_ S.U ― 2024年09月07日 13時46分55秒

はい、構想を練ってもう少し加えた上で、まとめる方向で考えます。ソ連当局大本営発表と並んで興味深いのは、ソ連宇宙飛行士が海外に招かれた時に、ポロッとこぼしたリーク情報です。出典が系統的に得られれば、これも取り入れたいです。

 ソ連宇宙飛行士は、もちろん、ソ連政府の許可を得て渡航していて、それどころか渡航自体が国策の宣伝で忙しく本業の訓練の邪魔にもなったくらいで、渡航中も警護と称してKGB の職員なんかが黙って随行していたはずなのですが、この際ということで羽根を伸ばすのかけっこう自由な発言をしています。それが意図的な国のプロパガンダなのか、宇宙飛行士という学識者として論評をしているのか、それとも何も考えずにべらべら口を滑らせているのか区別がつきません。ただし、しゃべるだけで、図面やデータが流出するわけではなく、招待してくれた人たちへのサービスと攪乱くらいの意味しかなかったのかもしれません。

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